渋谷氷川神社 / 東京都渋谷区

渋谷区
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神社情報

渋谷氷川神社(しぶやひかわじんじゃ)

御祭神:素盞鳴尊・稲田姫命・大己貴尊・天照皇大神
社格等:村社
例大祭:9月16日
所在地:東京都渋谷区東2-5-6
最寄駅:渋谷駅
公式サイト:─

御由緒

 創始は非常に古く、慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとある。境内には江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡がある。東京都神社庁より)

参拝情報

参拝日:2019/05/05(御朱印拝受)
参拝日:2019/02/21(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2018/07/15(御朱印拝受)
参拝日:2018/01/08(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2017/09/21(御朱印拝受)
参拝日:2016/05/11(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:500円
社務所にて。

※毎月限定で月替りの御朱印を授与。
※毎月15日は縁結び御朱印を授与。
※その他、祭事や季節に応じた限定御朱印も用意。
※2018年元日より初穂料500円に変更。

御朱印の受付時間は9:00-16:30まで。

[2019/05/05拝受]
(2019年皐月)

[2019/02/21拝受]
(祈年祭)

[2019/02/21拝受]
(2019年如月)

[2018/07/15拝受]
(旧縁結び)

[2018/01/08拝受]
(2018年初詣)

[2017/09/21拝受]
(通常)

[2016/05/11拝受]
(通常)

御朱印帳

初穂料:1,500円
社務所にて。

平成三十年(2018)元日よりオリジナル御朱印帳の頒布を開始。
開くと縁結びの「結」の文字で、江戸郊外三大相撲に数えられた金王相撲の土俵の円と、スサノオと稲田姫の夫婦神を祀る事から縁を合わせたデザイン。
桃色と緑色の2種類。

[ 表面 ]

[ 裏面 ]

[ 社務所掲示 ]

歴史考察

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渋谷区南端一帯の総鎮守

東京都渋谷区東に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧下渋谷村・旧下豊澤村(現在の渋谷区南端一帯)の鎮守。
正式名称は「氷川神社」だが、他との区別のため「渋谷氷川神社」と呼ばれる事が多い。
渋谷最古の神社と伝えられており、江戸時代は「江戸七氷川」のうちの一社に数えられた。
かつては境内で「金王相撲」と呼ばれる相撲が奉納されていたため、江戸郊外三大相撲の一社として知られていた。
近年は縁結びの神社としても知られ、毎月15日は縁結び祈願が行われ、特別御朱印も授与される。

渋谷最古とされる神社

社伝によると、景行天皇の御代(71年-130年)に創建とある。
日本武尊が東征の際、当地に素蓋鳴尊(すさのおのみこと)を勧請したと伝えられている。

日本武尊(やまとたけるのみこと)
第12代景行天皇の皇子。
東国征討や熊襲征討を行った伝説的な英雄として『日本書紀』『古事記』などに載る。

弘仁年間(810年-824年)、慈覚大師(円仁)が「宝泉寺」を開基。
「宝泉寺」が当社の別当寺になったと云う。

円仁(えんにん)/慈覚大師(じかくだいし)
第三代天台座主。
遣唐使で渡海した入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の1人で、帰国後は目黒不動尊として知られる「瀧泉寺」など、関東や東北といった東日本に円仁伝承が残る寺社が多く存在しており、後に円仁派は山門派と称された。
慧日山薬王院 寶泉寺(宝泉寺) | 天台宗東京教区

この事から「渋谷最古の神社」とされている。

これらの社伝は、慶長十年(1605)に、別当寺「宝泉寺」住職が記した『氷川大明神並宝泉寺縁起』を基としている。

江戸時代の古い史料を見ると、当社の創建については他にも説が残る。

他にもある創建説
正徳三年(1712)に幕府に出した書上には「起立の年数知れ不申候」とある。
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には、源頼朝による創建との記述もある。

いずれにせよ、素蓋鳴尊を祀る氷川信仰の神社として崇敬を集めた。

中世には「金王八幡宮」の社名由来にもなった渋谷金王丸から崇敬を集めたと云う伝承も残るが定かではない。
金王八幡宮 / 東京都渋谷区
渋谷・青山の総鎮守。社名由来となった渋谷金王丸の伝説。春日局からの崇敬。江戸時代に造営された社殿・神門。江戸三名桜の1つ金王桜。算額など無料展示している宝物館。『天地明察』の舞台。渋谷の地名由来。浮世絵に描かれた金王丸。御朱印。御朱印帳。

下渋谷村・下豊澤村の鎮守の氷川社

寛文年間(1661年-1673年)、渋谷村が上渋谷村・中渋谷村・下渋谷村に分村。
当社は下渋谷村の鎮守となった。

下渋谷村(しもしぶやむら)
当社周辺だけでなく、現在の恵比寿周辺や、広尾の南部(渋谷川より南)を含む広い範囲。
現在の渋谷区南端一帯にあたる。

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(下豊澤村)
氷川社
下渋谷村及当村の鎮守なり。神体木の立像にて本地は慈覚大師作の薬師、釈迦、阿弥陀、弁天、地蔵、大日、不動、十一面観音、毘沙門、各長一尺三寸なるを安す。当社は渋谷金王丸振興せし旧社なりと、或は右大将頼朝の勧請の社なりと云説あれど、今社傳を失ひたれば詳ならず。例祭は九月二十九日神輿を昇て両村を渡し、又角力を興行す。東叡山五世公弁法親王の筆、氷川大明神の五字一幅を社寶とす。
末社
太神宮山王天満宮稲荷疱瘡神合社。弁財天社。当社を正五九月三度の神事には仮に神楽殿とす。
常盤松(中略)
別當寶泉寺

下豊澤村の「氷川社」として記されているのが当社。
下渋谷村と下豊澤村の鎮守だった事が記されている。

下渋谷村と下豊澤村は境界が曖昧だったようで、当社の鎮座地は下渋谷村とも下豊澤村ともされる。

御神体は慈覚大師(円仁)作の木の立像と伝えられている。
また「当社は渋谷金王丸振興せし旧社なり」「或は右大将頼朝の勧請の社なりと云」と云うように、渋谷金王丸の伝承や、源頼朝による勧請説も記してあるが、いずれも社伝は失っているため不明とも記されている。

例祭で行われた相撲
例祭になると「角力を興行す」と記されており、これが江戸郊外三大相撲の1つ「金王相撲」であった。(詳しくは後述)
更に当時は「常盤松」と呼ばれた立派な御神木があり、かなり詳しく記されている。こちらについては後述で詳しく触れたい。

江戸切絵図から見る当社

下渋谷村と下豊澤村の鎮守である当社であるが、当時の渋谷はまだのどかな農村であった。
そうした様子は江戸の切絵図からも見て取れる。

(青山渋谷絵図)

こちらは江戸後期の渋谷・青山周辺の切絵図。
右上が北の切絵図となっており、当社は図の左下に描かれている。

(青山渋谷絵図)

図を回転(北を上に)させ、当社周辺を拡大したものが上図。

赤円で囲ったのが「氷川宮」と書いてある当社。
当社と共に「寶泉寺」が一緒に描かれており、これが当社の別当寺。

周囲が田畑・百姓地で囲まれており、のどかな農村だった事が窺える。

当社の北西にある「松平美濃守」は、徳川第五代将軍・綱吉に寵愛された柳沢吉保の系譜である柳沢家の屋敷。

江戸七氷川の1社に数えられる

元文・明和年間(1736年-1772年)に記されたと見られる、筆者不詳の古随筆『望海毎談』には江戸の氷川明神が7社記されている。

(望海毎談)

江戸に鎮座する「氷川神社」を代表する7社で、そのうちの1社であった。
『望海毎談』に記されている7社は以下の通り。

上が『望海毎談』での記述で、下が現在比定される神社。
赤坂御門外の社
赤坂氷川神社
今井の盛徳寺の内の氷川の社
赤坂氷川神社」に合祀
麻布一本松の市中の社
麻布氷川神社
羽根田村にて新堀近き所の社
不詳(羽田近辺か)
下渋谷にて羽根田の屋敷口の社
渋谷氷川神社
上水の鰭なる萬年寺山の社
不詳(「幡ヶ谷氷川神社」説あり)
巣鴨の入口なる氷川の社
「簸川神社」
赤坂氷川神社 / 東京都港区
赤坂鎮守の氷川さま。東京十社。徳川吉宗が造営した社殿が現存。江戸時代の風情が残る境内。祭事や季節に応じた限定御朱印。浮世絵など江戸時代に描かれた当社。縁むすび参り。忠臣蔵。四合(しあわせ)稲荷。古い狛犬や石灯籠。御神木の大銀杏。御朱印帳。
麻布氷川神社 / 東京都港区
麻布総鎮守。江戸七氷川の一社。月替りの御朱印・宮神輿巡行の御朱印帳。浮世絵にも描かれた麻布一本松。徳川将軍家からの庇護。セーラームーンに登場神社のモデル。コンクリート博士による社殿。神楽殿や神輿庫。向かい合う狛犬。港七福神めぐり・毘沙門天。
渋谷氷川神社 / 東京都渋谷区
渋谷区南端一帯(旧下渋谷村・旧下豊澤村)総鎮守。月替り御朱印・毎月15日は縁結び御朱印・縁結び御朱印帳。江戸七氷川の1社に数えられる。渋谷最古とされる神社。江戸郊外三大相撲である金王相撲。江戸時代の一之鳥居。戦前の社殿。金王相撲跡の土俵。

江戸に鎮座する「氷川神社」を代表する「江戸七氷川」のうちの1社として紹介されている。

江戸名所図会に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「渋谷氷川明神社」と描かれた当社。
当時のこの一帯の風景が窺え、当時の渋谷は林や畑の多い、全く開けていない土地なのが分かる。
境内の前に流れるのは渋谷川であり、茂った森林の中にある社だったのが見て取れる。

(江戸名所図会)

当社境内を中心に拡大したのが上図。

現在は参道を進み左手に社殿があるが、当時は参道の正面に社殿があった事も分かる。
現在の境内にも「本殿御敷地舊地」の碑が建つように、かつては参道の正面に社殿が鎮座していた。

赤円で囲った箇所に「土俵」の文字があり、絵としても土俵が描かれている。
これがいわゆる「金王相撲」として伝わる当社の相撲場。

江戸郊外三大相撲である金王相撲

江戸時代の頃には、例祭になると奉納相撲が行われていた。

『新編武蔵風土記稿』にも「例祭は九月二十九日神輿を昇て両村を渡し、又角力を興行す。」とあり、相撲が行われていた事が記されている。

『江戸名所図会』にも描かれている、参道脇の土俵で行われた相撲は「金王相撲」と呼ばれ、江戸から様々な見物人が多く集まったと云う。

「金王」は、渋谷金王丸に由来する。
渋谷金王丸(しぶやこんのうまる)
渋谷の地名由来となった渋谷氏の一族で、渋谷に鎮座する「金王八幡宮」の社名由来にもなった人物。
当主の渋谷重家にはしばらく子がなく跡継ぎでできなかったため、一族の鎮守「金王八幡宮」に夫婦で祈願したところ、妻の胎内に金剛夜叉明王が宿る霊夢を見て、子を授かる事ができたため、金剛夜叉明王の上下の二字を頂き渋谷金王丸と称された。
謎の多い人物としても知られ、金王丸として『平治物語』に登場し、源義朝の愛妾である常盤御前にその死を伝えた義朝の郎党・金王丸として記されている。
また『吾妻鏡』『平家物語』に登場する源頼朝の御家人・土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)ではないかとも伝わり、頼朝に従い武勲をあげ、義経を討つようにと命令され義経の館に討ち入ったものの、常盤御前と共にいた幼い義経を覚えていたため討つことができず、逆に討たれたとも伝わる。
金王八幡宮 / 東京都渋谷区
渋谷・青山の総鎮守。社名由来となった渋谷金王丸の伝説。春日局からの崇敬。江戸時代に造営された社殿・神門。江戸三名桜の1つ金王桜。算額など無料展示している宝物館。『天地明察』の舞台。渋谷の地名由来。浮世絵に描かれた金王丸。御朱印。御朱印帳。

(渋谷金王丸昌俊早打之図)

歌川国貞(後の豊国)が描いた『渋谷金王丸昌俊早打之図』。渋谷金王丸にまつわる人物を描いており、左に描かれたのが渋谷金王丸。

当社の相撲は、「世田谷八幡宮」「大井鹿嶋神社」と共に、江戸郊外三大相撲とも呼ばれた。

世田谷八幡宮 / 東京都世田谷区
世田谷総鎮守。江戸郊外三大相撲の一社。境内の土俵や力石・奉納相撲。源義家(八幡太郎)による創建。世田谷城主・吉良頼康による再興。世田谷村の鎮守として発展。江戸時代に描かれた当宮。広く立派な境内・荘厳な社殿・綺麗な弁天池。御朱印。
大井鹿嶋神社 / 東京都品川区
大井村総鎮守の鹿嶋さま。江戸郊外三大相撲に数えられた奉納相撲。立派な戦前の社殿・幕末に造営された鎌倉彫の旧社殿が現存。平安時代に「鹿島神宮」より勧請。鹿島立ち・交通旅行安全の神としての信仰。岩窟の中にある境外社の九頭龍権現水神社。御朱印。

その名残で、現在も境内には土俵が置かれている。
参道脇が「氷川の杜公園」として整備されている児童公園になっていて、その一画に相撲場跡として土俵が存在。

『江戸名所図会』の土俵があった位置と同じ位置に残されており、保存という観点でも素晴らしい。

常盤御前の伝説が残る御神木の常盤松

当社には古くから「常盤松」と呼ばれた御神木があり、名所であった。
そうした様子は『新編武蔵風土記稿』や『江戸名所図会』にも記されている。

以下に、『新編武蔵風土記稿』の常盤松の項目を詳しく記す。

(下豊澤村)
氷川社
(中略)
常盤松
廻一丈二尺余。傳へ云、左馬頭義朝の妾常盤の植し所にて、其色紙別当寶泉寺什寶として今に蔵す。計下に出せり。是よりして常盤の松と呼ならはせりと云。按に義朝か妾当国に下りしこと未所見なし。永禄の頃世田谷の城主吉良左兵衛頼康の妾に常盤と呼しものあり。衆妾に妬まれ、遂に世田谷村小橋の邊にて自殺せしかは、其橋を今に常盤橋と呼。又同郡馬引澤村八幡社、及若林村香林寺、弦巻村常在寺等にも此人のことを傳たり。且世田谷より当所は程近き所なれば、此松を植しは頼康か妾常盤なるへし。然るを義朝か妾の旧名なるを以てかく誤り傳へしならん。此樹下に萬代石と刻したる石あり。浪人斎藤定易建る所にて九十年程に及ふ。其子孫今松平備前守藩士なり。

当社の項目に付随して「常盤松(ときわまつ)」と記されており、これが当社の御神木。
常盤御前が植えたと伝承が残る松であったと云う。

常盤御前(ときわごぜん)
源義朝(頼朝・義経の父)が寵愛した側室。
その子に牛若(後の源義経)がおり、義経の実母として知られる。

但し、『新編武蔵風土記稿』の記述によると、常盤御前が当地を訪れた記録がないため、永禄年間(1558年-1570年)の世田谷城主・吉良頼康の側室である常盤が植えたものであり、後世になって誤って伝えられものだと記している。

渋谷に縁の深い渋谷金王丸は、義朝の死を常盤御前に伝えた人物であると云う伝承が残っているため、常盤御前に繋がったのかもしれない。

(江戸名所図会)

『江戸名所図会』を見てみると、参道左手に「神木」「守武萬代石」の文字が見える。
これが常盤松の跡であり、現在の境内では神楽殿の後ろあたりになる。

既に常盤松は枯れていたようで、その傍らに「守武萬代石」の石と古株が残っていたと云う。
そのため描かれている御神木は、後に植えられたものであろう。
現在も「守武萬代石」の石があり、この一角に常磐松があったものとみられる。

別の常磐松
当社の御神木としての伝承を持つ常盤松であるが、安政大地震以後に当社近くに移転してきた薩摩藩下屋敷にも立派な松の古木があり、「千両の値打ちが付くほどの銘木」と賞賛され、これも「常盤松」と呼ぶようになった。
戦時中に枯木となってしまったが、常磐松町と云う地名の由来となり、現在は常陸宮邸(常盤松御用邸)となっている。
当社の境内にあったと云う、常盤松が元祖で、この常磐松とは別物。

明治維新以後と戦後の歩み

明治になり神仏分離。
明治五年(1872)、村社に列した。

明治十二年(1879)、下豊澤村が下渋谷村に編入。
両村とも当社の氏子区域であり、当社は下渋谷村の鎮守として崇敬を集めた。

明治二十二年(1889)、市制町村制によって上渋谷村・中渋谷村・下渋谷村、麻布区の一部、赤坂区の一部が合併して渋谷村が成立。
当地は渋谷村下渋谷となる。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
下渋谷という地名や、常盤松という地名を見る事もできる。
こうした一帯の総鎮守として崇敬を集めた。

当社周辺に伊藤前と云う地名が見えるが、これは古く当地に伊藤某という豪族が住み、その邸内社であった「伊藤稲荷神社」(現・渋谷区東3丁目)が由来。

昭和十三年(1938)、社殿を改築。
第二次世界大戦の戦火を逃れたため、この社殿が現存。

旧社殿は江戸時代の建築であったのだが、現在の社殿が造営される際に「東玉川神社」に譲る形で移された。そちらも現存している社殿となっている。
東玉川神社 / 東京都世田谷区
東玉川の鎮守。「渋谷氷川神社」より移築された江戸時代初期の社殿。拝殿天井絵の火焔龍神像。親子龍の彫刻。等々力村の飛地であった諏訪分と鎮守の諏訪社。明治になり玉川村の成立・合祀政策によって廃社。昭和に入り諏訪社再建と東玉川町の成立。御朱印。

戦後になり境内整備が進む。
現在では渋谷区南端一帯の鎮守として崇敬を集めている。

なお、恵比寿駅近く「恵比寿神社」は当社の境外末社(兼務社)という形になっている。
恵比寿神社 / 東京都渋谷区
恵比寿の産土神。かつては天津神社・第六天と呼ばれた神社。恵比寿の地名由来はヱビスビール・区画整理により遷座と改称。恵比寿べったら市の起源。べったら市・福富くじ。「渋谷氷川神社」の境外末社。御朱印。

境内案内

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緑豊かな境内・人の往来が多い参道

最寄駅である渋谷駅から明治通りをやや歩き、左に曲がると参道入口。
渋谷区の立地にありながら約4,000坪の緑豊かな境内を維持。(上画像は2019年2月撮影の境内)
境内全域が渋谷区の保存樹林。(上画像は2019年5月撮影の境内)

当社の境内の裏手には國學院大学があるため、学生が参道を通って通学する姿をよく見かける。
そのため通学路として参道を利用する学生が多いため、人の往来の多い参道なのが特徴。

國學院大學
國學院大學公式サイト。渋谷と横浜・たまプラーザにキャンパス。國學院大學では、日本を学び、世界に貢献できる人材育成を目指しています。

江戸時代の一之鳥居・二之鳥居や狛犬

社号碑の奥に一之鳥居。
一之鳥居の手前に、古い鳥居土台があり、かつては現在よりも手前に鳥居があったと思われる。
一之鳥居は安永四年(1775)建立で、大変古い石鳥居。
現存しているのが素晴らしい。
「氷川神社」と記された古い扁額がかかる。

参道が真っ直ぐ伸び、左手には金王相撲跡の土俵のある氷川の杜公園。(詳しくは後述)
その先に石段。
石段の先に再び石段があり、二之鳥居。
『江戸名所図会』にも一之鳥居と、石段の上に二之鳥居を見る事ができ、この辺の配置は江戸時代当時のままと云える。

二之鳥居の両脇に一対の狛犬。
昭和十五年(1940)に奉納された狛犬。
彫りが深い狛犬で、阿吽の向きが通常とは逆。

表参道とは別に渋谷図書館入口近くから入る北参道。
こちらにも北参道の鳥居。
この先、左手に二之鳥居への石段が続く形。

手前には一対の狛犬。
明治二十九年(1896)奉納の狛犬で、石工・中村勝五郎の作。
美しい造形美で勝五郎の作は、「金王八幡宮」「代々木八幡宮」などにも奉納されている。

他に二之鳥居を潜った先、國學院大學側へ抜ける東参道がある。

二の鳥居を潜って左手に90度曲がる形で手水舎。
その奥が社殿となる。

戦火を免れた立派な木造社殿

表参道から左手に90度曲がった先に社殿。
昭和十三年(1938)に改築された社殿。
戦火を免れており、その後も改修されつつ状態よく維持されているのが窺える。
立派で重厚感のある社殿。
本殿は僅かにその姿を確認する事ができるが、同様に綺麗に維持されている。

かつては、参道の正面に社殿が置かれていたが、現在の社殿を正遷座した際に、この辺の配置転換。
参道正面には「本殿御敷地舊趾」の石碑が置かれている。
かつてはこの位置に社殿が置かれていた事が分かる。

旧社殿は江戸時代の建築であったのだが、現在の社殿が造営される際に「東玉川神社」に譲る形で移されており、そちらも現存している。
東玉川神社 / 東京都世田谷区
東玉川の鎮守。「渋谷氷川神社」より移築された江戸時代初期の社殿。拝殿天井絵の火焔龍神像。親子龍の彫刻。等々力村の飛地であった諏訪分と鎮守の諏訪社。明治になり玉川村の成立・合祀政策によって廃社。昭和に入り諏訪社再建と東玉川町の成立。御朱印。

境内社の前には多くの古い狛犬・かつての常磐松

境内社は社殿の右手に八幡神社。
手前に古い狛犬。
右は完全に破損しているが、かなり古いものなのが窺える。
左には百度石。

八幡神社の隣に秋葉神社。
こちらも手前に小さな狛犬。
こちらも一部破損しているが、動きのある狛犬で小さいながら躍動感がある。

社殿と向かい合う形で稲荷神社。
前には神狐像。
古いものから比較的新しいものまで様々。

その左手に厳島神社。
江戸時代の頃に弁財天社と記されていたのがこちら。
右手前の狛犬は明治八年(1875)に奉納されたもので、苔むしているのが特徴的。
その奥の狛犬は寛政六年(1794)と古く、こちらもとてもよい表情。

江戸時代の頃は、現在の神楽殿の位置に鎮座しており、例祭になると仮の神楽殿の役割を果たしたと云う。

社殿の手前左手には神楽殿。
現在はないものの、かつてはこの神楽殿の奥に、江戸時代以前の御神木である常盤松があった。
二之鳥居の手前左手の一画が、常磐松があったエリア。
『江戸名所図会』にも描かれた「守武萬代石」の石が今も残る。

参道脇の氷川の杜公園には金王相撲跡の土俵

参道の左手には金王相撲跡の土俵のある氷川の杜公園。
この公園内にかつての金王相撲跡を残す土俵が置かれている。
江戸時代の頃に土俵があった位置と同じ位置に整備されているのが喜ばしい。
児童公園になっているため、近くの保育園や、小さなお子様と親で訪れている姿をよく見かけ、地域の方々に親しまれている。

氷川の杜公園の開園時間
4月-10月:8時-18時
11月-3月:8時-17時

季節によっては町内会の子供相撲が開催。
2018年7月15日に参拝時は、午前中に町内会の子供たちで賑わっていた。

月替り御朱印・毎月15日は縁結び御朱印

御朱印は社務所にて。
いつも丁寧に対応して下さる。

これまではシンプルな御朱印のみの授与であったが、平成三十年(2018)より御朱印に力を入れるようになっており、現在は月替りの限定御朱印や祭事に応じた御朱印を授与。
左は2019年祈年祭の御朱印で、右は2019年2月の限定御朱印。
2019年5月の限定御朱印は令和奉祝の御朱印。(別紙のみ)

初穂料は2018年以降は300円から500円に変更となっている。

更に毎月15日は「いいご縁の日」として縁結び祈願祭を斎行。
毎月15日限定で、縁結び御朱印の授与も行われる。(画像左側は2018年7月に頂いたもの)
最新の縁結び御朱印は社印が入る形で上画像の御朱印とは少し違う。

縁結びの神さま
当社の御祭神・素盞鳴尊(すさのおのみこと)と稲田姫命(いなだひめのみこと)は、夫婦神である事から縁結びの神としても崇敬を集めている。

人気の縁結び御朱印帳は桃色と緑色の2色

平成三十年(2018)元日よりオリジナルの御朱印帳の頒布も開始。
開くと「結」の文字がデザインされており、これは縁結びが由来。

御朱印帳のデザイン
江戸郊外三大相撲に数えられた金王相撲の土俵の円。
素盞鳴尊・稲田姫命の夫婦神を祀る事から縁結びの縁。
円と縁を合わせた秀逸なデザインの御朱印帳。

桃色と緑色の2種類を用意。
初穂料は1,500円(御朱印代別)。

人気のため品切れになる場合も多いが定期的に入荷がある。

所感

渋谷区南端一帯の総鎮守である当社。
かつての渋谷は大変のどかな農村であり、現在とはかなり様相の違う光景であった。
その後の渋谷地域の発展により、市街地や商業地、さらに國學院大學など様々な色を持つ氏子地域となっており、地域の鎮守として崇敬を集めている。
こうしてこの地に立派で広い境内が維持できるのは、素晴らしい事だろう。
金王相撲や常盤松の伝承など、古くからの当地の歴史を伝える境内。
参道脇の氷川の杜公園では家族連れが遊んでおり、参道は通学路として利用する学生の姿も多い。
渋谷にありながらも、地域の鎮守としての懐かしさも残しており、良い神社だと思う。

神社画像

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[ 社号碑・一之鳥居 ]







[ 参道 ]




[ 二之鳥居 ]


[ 狛犬 ]


[ 北参道 ]

[ 北参道鳥居 ]

[ 狛犬 ]


[ 手水舎 ]


[ 拝殿 ]










[ 本殿 ]

[ 本殿御敷地舊趾 ]



[ 境内社 ]

[ 秋葉神社 ]


[ 八幡神社 ]


[ 百度石 ]

[ 社務所 ]

[ 蔵 ]

[ 神楽殿 ]

[ 東参道鳥居 ]

[ 東参道 ]

[ 厳島神社 ]




[ 稲荷神社 ]



[ 神輿庫 ]

[ 石碑 ]



[ 金王相撲土俵(氷川の杜公園) ]






[ 神輿庫 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

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