神社情報
渋谷氷川神社(しぶやひかわじんじゃ)
御祭神:素盞鳴尊・稲田姫命・大己貴尊・天照皇大神
社格等:村社
例大祭:9月16日
所在地:東京都渋谷区東2-5-6
最寄駅:渋谷駅
公式サイト(Instagram):https://www.instagram.com/shibuyahikawa/
御由緒
創始は非常に古く、慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとある。境内には江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡がある。(東京都神社庁より)
参拝情報
参拝日:2021/01/01(御朱印拝受)
参拝日:2020/12/26(御朱印拝受)
参拝日:2020/11/20(御朱印拝受)
参拝日:2020/10/15(御朱印拝受)
参拝日:2020/09/12(御朱印拝受)
参拝日:2020/08/14(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2020/07/06(御朱印拝受)
参拝日:2020/02/17(御朱印拝受)
参拝日:2020/01/01(御朱印拝受)
参拝日:2019/11/02(御朱印拝受)
参拝日:2019/09/10(御朱印拝受)
参拝日:2019/05/05(御朱印拝受)
参拝日:2019/02/21(御朱印拝受)
参拝日:2018/07/15(御朱印拝受)
参拝日:2018/01/08(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2017/09/21(御朱印拝受)
参拝日:2016/05/11(御朱印拝受)
御朱印
初穂料:500円
社務所にて。
※毎月限定で月替り御朱印、祭事や季節に応じて限定御朱印を授与。
※毎月15日は縁結び御朱印を授与。
※2018年元日より初穂料を300円から500円に変更。
1月1日-から「初詣特別御朱印」(限定数で終了)
1月8日-31日まで「月替り(睦月)御朱印」
1月15日は「縁結び御朱印」
12月25日から「疫病除お神札」
※「疫病除お神札」は御朱印や授与品をお受けした人に無料で頒布される御朱印サイズの神札。2021元日より頒布予定だったが幸先詣や分散参拝を推奨するために前倒しで頒布開始。
※御朱印は書き置きのみ。詳細は公式Instagramにて。
- 疫病除お神札
- 年越大祓
- 新嘗祭
- 縁結び
- 2020年神無月
- 2020年例祭
- 2020年葉月
- 2020年夏詣
- 2020年文月
- 祈年祭
- 2020年如月
- 大嘗祭
- 2019年霜月
- 2019年例大祭
- 祈年祭
- 2019年如月
- 縁結び/旧
- 2018年初詣
- 通常
- 通常
- 2021年初詣
- 2020年初詣
- 2019年皐月
御朱印帳
初穂料:1,500円
社務所にて。
平成三十年(2018)元日よりオリジナル御朱印帳の頒布を開始。
開くと縁結びの「結」の文字で、江戸郊外三大相撲に数えられた金王相撲の土俵の円と、スサノオと稲田姫の夫婦神を祀る事から縁を合わせたデザイン。
桃色と緑色の2種類。
- 表面
- 裏面
歴史考察
渋谷区南端一帯の総鎮守
東京都渋谷区東に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧下渋谷村・旧下豊澤村(現在の渋谷区南端一帯)の鎮守。
正式名称は「氷川神社」だが、他との区別のため「渋谷氷川神社」と呼ばれる事が多い。
渋谷最古の神社と伝えられており、江戸時代は「江戸七氷川」のうちの一社に数えられた。
かつては境内で「金王相撲」と呼ばれる相撲が奉納されていたため、江戸郊外三大相撲の一社として知られていた。
近年は縁結びの神社としても知られ、毎月15日は縁結び祈願が行われ、特別御朱印も授与される。
渋谷最古とされる神社
社伝によると、景行天皇の御代(71年-130年)に創建とある。
日本武尊が東征の際、当地に素蓋鳴尊(すさのおのみこと)を勧請したと伝えられている。
第12代景行天皇の皇子。
東国征討や熊襲征討を行った伝説的な英雄として『日本書紀』『古事記』などに載る。
弘仁年間(810年-824年)、慈覚大師(円仁)が「宝泉寺」を開基。
「宝泉寺」が当社の別当寺になったと云う。
第三代天台座主。
遣唐使で渡海した入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の1人で、帰国後は目黒不動尊として知られる「瀧泉寺」など、関東や東北といった東日本に円仁伝承が残る寺社が多く存在しており、後に円仁派は山門派と称された。
この事から「渋谷最古の神社」とされている。
江戸時代の古い史料を見ると、当社の創建については他にも説が残る。
正徳三年(1712)に幕府に出した書上には「起立の年数知れ不申候」とある。
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には、源頼朝による創建との記述もある。
いずれにせよ、素蓋鳴尊を祀る氷川信仰の神社として崇敬を集めた。

下渋谷村・下豊澤村の鎮守の氷川社
寛文年間(1661年-1673年)、渋谷村が上渋谷村・中渋谷村・下渋谷村に分村。
当社は下渋谷村の鎮守となった。
当社周辺だけでなく、現在の恵比寿周辺や、広尾の南部(渋谷川より南)を含む広い範囲。
現在の渋谷区南端一帯にあたる。
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(下豊澤村)
氷川社
下渋谷村及当村の鎮守なり。神体木の立像にて本地は慈覚大師作の薬師、釈迦、阿弥陀、弁天、地蔵、大日、不動、十一面観音、毘沙門、各長一尺三寸なるを安す。当社は渋谷金王丸振興せし旧社なりと、或は右大将頼朝の勧請の社なりと云説あれど、今社傳を失ひたれば詳ならず。例祭は九月二十九日神輿を昇て両村を渡し、又角力を興行す。東叡山五世公弁法親王の筆、氷川大明神の五字一幅を社寶とす。
末社
太神宮山王天満宮稲荷疱瘡神合社。弁財天社。当社を正五九月三度の神事には仮に神楽殿とす。
常盤松(中略)
別當寶泉寺
下豊澤村の「氷川社」として記されているのが当社。
下渋谷村と下豊澤村の鎮守だった事が記されている。
御神体は慈覚大師(円仁)作の木の立像と伝えられている。
また「当社は渋谷金王丸振興せし旧社なり」「或は右大将頼朝の勧請の社なりと云」と云うように、渋谷金王丸の伝承や、源頼朝による勧請説も記してあるが、いずれも社伝は失っているため不明とも記されている。
例祭になると「角力を興行す」と記されており、これが江戸郊外三大相撲の1つ「金王相撲」であった。(詳しくは後述)
江戸切絵図から見る当社
下渋谷村と下豊澤村の鎮守である当社であるが、当時の渋谷はまだのどかな農村であった。
そうした様子は江戸の切絵図からも見て取れる。
こちらは江戸後期の渋谷・青山周辺の切絵図。
右上が北の切絵図となっており、当社は図の左下に描かれている。
赤円で囲ったのが「氷川宮」と書いてある当社。
当社と共に「寶泉寺」が一緒に描かれており、これが当社の別当寺。
周囲が田畑・百姓地で囲まれており、のどかな農村だった事が窺える。
江戸七氷川の1社に数えられる
元文・明和年間(1736年-1772年)に記されたと見られる、筆者不詳の古随筆『望海毎談』には江戸の氷川明神が7社記されている。
江戸に鎮座する「氷川神社」を代表する7社で、そのうちの1社であった。
『望海毎談』に記されている7社は以下の通り。
「赤坂氷川神社」
「赤坂氷川神社」に合祀
「麻布氷川神社」
不詳(羽田近辺か)
「渋谷氷川神社」
不詳(「幡ヶ谷氷川神社」説あり)
「簸川神社」




江戸に鎮座する「氷川神社」を代表する「江戸七氷川」のうちの1社として紹介されている。
江戸名所図会に描かれた当社
「渋谷氷川明神社」と描かれた当社。
当時のこの一帯の風景が窺え、当時の渋谷は林や畑の多い、全く開けていない土地なのが分かる。
境内の前に流れるのは渋谷川であり、茂った森林の中にある社だったのが見て取れる。
現在は参道を進み左手に社殿があるが、当時は参道の正面に社殿があった事も分かる。現在の境内にも「本殿御敷地舊地」の碑が建つように、かつては参道の正面に社殿が鎮座していた。
赤円で囲った箇所に「土俵」の文字があり、絵としても土俵が描かれている。
これがいわゆる「金王相撲」として伝わる当社の相撲場。
江戸郊外三大相撲である金王相撲
江戸時代の頃には、例祭になると奉納相撲が行われていた。
『江戸名所図会』にも描かれている、参道脇の土俵で行われた相撲は「金王相撲」と呼ばれ、江戸から様々な見物人が多く集まったと云う。
渋谷の地名由来となった渋谷氏の一族で、渋谷に鎮座する「金王八幡宮」の社名由来にもなった人物。
当主の渋谷重家にはしばらく子がなく跡継ぎでできなかったため、一族の鎮守「金王八幡宮」に夫婦で祈願したところ、妻の胎内に金剛夜叉明王が宿る霊夢を見て、子を授かる事ができたため、金剛夜叉明王の上下の二字を頂き渋谷金王丸と称された。
謎の多い人物としても知られ、金王丸として『平治物語』に登場し、源義朝の愛妾である常盤御前にその死を伝えた義朝の郎党・金王丸として記されている。
また『吾妻鏡』『平家物語』に登場する源頼朝の御家人・土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)ではないかとも伝わり、頼朝に従い武勲をあげ、義経を討つようにと命令され義経の館に討ち入ったものの、常盤御前と共にいた幼い義経を覚えていたため討つことができず、逆に討たれたとも伝わる。

当社の相撲は、「世田谷八幡宮」「大井鹿嶋神社」と共に、江戸郊外三大相撲とも呼ばれた。


その名残で、現在も境内には土俵が置かれている。参道脇が「氷川の杜公園」として整備されている児童公園になっていて、その一画に相撲場跡として土俵が存在。
常盤御前の伝説が残る御神木の常盤松
当社には古くから「常盤松」と呼ばれた御神木があり名所であった。
以下に、『新編武蔵風土記稿』の常盤松の項目を詳しく記す。
(下豊澤村)
氷川社
(中略)
常盤松
廻一丈二尺余。傳へ云、左馬頭義朝の妾常盤の植し所にて、其色紙別当寶泉寺什寶として今に蔵す。計下に出せり。是よりして常盤の松と呼ならはせりと云。按に義朝か妾当国に下りしこと未所見なし。永禄の頃世田谷の城主吉良左兵衛頼康の妾に常盤と呼しものあり。衆妾に妬まれ、遂に世田谷村小橋の邊にて自殺せしかは、其橋を今に常盤橋と呼。又同郡馬引澤村八幡社、及若林村香林寺、弦巻村常在寺等にも此人のことを傳たり。且世田谷より当所は程近き所なれば、此松を植しは頼康か妾常盤なるへし。然るを義朝か妾の旧名なるを以てかく誤り傳へしならん。此樹下に萬代石と刻したる石あり。浪人斎藤定易建る所にて九十年程に及ふ。其子孫今松平備前守藩士なり。
当社の項目に付随して「常盤松(ときわまつ)」と記されており、これが当社の御神木。
常盤御前が植えたと伝承が残る松であったと云う。
源義朝(頼朝・義経の父)が寵愛した側室。
その子に牛若(後の源義経)がおり、義経の実母として知られる。
但し、『新編武蔵風土記稿』の記述によると、常盤御前が当地を訪れた記録がないため、永禄年間(1558年-1570年)の世田谷城主・吉良頼康の側室である常盤が植えたものであり、後世になって誤って伝えられものだと記している。
『江戸名所図会』を見てみると、参道左手に「神木」「守武萬代石」の文字が見える。
これが常盤松の跡であり、現在の境内では神楽殿の後ろあたりになる。
既に常盤松は枯れていたようで、その傍らに「守武萬代石」の石と古株が残っていたと云う。
そのため描かれている御神木は、後に植えられたものであろう。現在も「守武萬代石」の石があり、この一画に常磐松があったものとみられる。
当社の御神木としての伝承を持つ常盤松であるが、安政大地震以後に当社近くに移転してきた薩摩藩下屋敷にも立派な松の古木があり、「千両の値打ちが付くほどの銘木」と賞賛され、これも「常盤松」と呼ぶようになった。
戦時中に枯木となってしまったが、常磐松町と云う地名の由来となり、現在は常陸宮邸(常盤松御用邸)となっている。
当社の境内にあったと云う、常盤松が元祖で、この常磐松とは別物。
明治維新以後と戦後の歩み
明治になり神仏分離。
明治五年(1872)、村社に列した。
明治十二年(1879)、下豊澤村が下渋谷村に編入。
両村とも当社の氏子地域であり、当社は下渋谷村の鎮守として崇敬を集めた。
明治二十二年(1889)、市制町村制によって上渋谷村・中渋谷村・下渋谷村、麻布区の一部、赤坂区の一部が合併して渋谷村が成立。
当地は渋谷村下渋谷となる。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
下渋谷という地名や、常盤松という地名を見る事もできる。
こうした一帯の総鎮守として崇敬を集めた。
昭和十三年(1938)、社殿を改築。第二次世界大戦の戦火を逃れたため、この社殿が現存。

戦後になり境内整備が進む。
現在では渋谷区南端一帯の鎮守として崇敬を集めている。

境内案内
緑豊かな境内・人の往来が多い参道
最寄駅である渋谷駅から明治通りをやや歩き、左に曲がると参道入口。渋谷区の立地にありながら約4,000坪の緑豊かな境内を維持。
境内全域が渋谷区の保存樹林。
当社の境内の裏手には國學院大学があるため、学生が参道を通って通学する姿をよく見かける。そのため通学路として参道を利用する学生が多いため、人の往来の多い参道なのが特徴。

江戸時代の一之鳥居が残る表参道
社号碑の奥に一之鳥居。一之鳥居の手前に、古い鳥居土台があり、かつては現在よりも手前に鳥居があったと思われる。
一之鳥居は安永四年(1775)建立で、大変古い石鳥居。
現存しているのが素晴らしい。
参道が真っ直ぐ伸び、左手には金王相撲跡の土俵のある氷川の杜公園。(詳しくは後述)その先に石段。
比較的長い参道が続く。
二之鳥居や狛犬・北参道
石段の先に再び石段があり、二之鳥居。やや左斜に伸びる形で、真っ直ぐ参道が伸びていた江戸時代より配置転換が行われたと思われる。
二之鳥居の両脇に一対の狛犬。
昭和十五年(1940)に奉納された狛犬。
彫りが深い狛犬で、阿吽の向きが通常とは逆。
表参道とは別に渋谷図書館入口近くから入る北参道。こちらにも北参道の鳥居。
この先、左手に二之鳥居への石段が続く形。
手前には一対の狛犬。明治二十九年(1896)奉納の狛犬で、石工・中村勝五郎の作。
美しい造形美で勝五郎の作は、「金王八幡宮」「代々木八幡宮」「碑文谷八幡宮」などにも奉納されている。



二の鳥居を潜って左手に90度曲がる形で手水舎。その先が社殿となる。
戦火を免れた立派な木造社殿
表参道から左手に90度曲がった先に社殿。昭和十三年(1938)に改築された社殿。
戦火を免れており、その後も改修されつつ状態よく維持されているのが窺える。
立派で重厚感のある社殿。
本殿は僅かにその姿を確認する事ができるが、同様に綺麗に維持されている。
本殿御敷地舊趾・八幡神社と秋葉神社
社殿から見て右手に本殿御敷地舊趾。かつては、参道の正面に社殿が置かれていたが、現在の社殿を正遷座した際に配置転換。
旧社殿跡には本殿御敷地舊趾の石碑が置かれている。
かつてはこの位置に社殿が置かれていた事が分かる。

本殿御敷地舊趾の近くに境内社が2社。左手に鎮座するのは八幡神社。
手前に古い狛犬。
右は完全に破損しているが、かなり古いものなのが窺える。
その左には百度石。
八幡神社の隣に秋葉神社。こちらも手前に小さな狛犬。
こちらも一部破損しているが、動きのある狛犬で小さいながら躍動感がある。
稲荷神社と厳島神社・二対の江戸時代の狛犬
社殿と向かい合う形で稲荷神社。前には神狐像。
古いものから比較的新しいものまで様々。
表情も様々でユニーク。
その左手に厳島神社。江戸時代の頃に弁財天社と記されていたのがこちら。
厳島神社の手前には二対の古い狛犬が置かれている。右手前の狛犬は明治八年(1875)に奉納されたもので、実に良い造形美。
若干苔むした部分もあり実によい造り。
その奥の狛犬は寛政六年(1794)とさらに古い。
阿吽共にユニークでよい表情。
神楽殿・守武萬代石と常盤松を偲ぶ
社殿の手前左手には神楽殿。現在はないものの、かつてはこの神楽殿の奥に、江戸時代以前の御神木である常盤松があった。
二之鳥居の手前左手の一画が、常磐松があったエリア。
『江戸名所図会』にも描かれた「守武萬代石」の石が今も残る。
参道脇の氷川の杜公園には金王相撲跡の土俵
参道の左手には金王相撲跡の土俵のある氷川の杜公園。この公園内にかつての金王相撲跡を残す土俵が置かれている。
江戸時代の頃に土俵があった位置と同じ位置に整備されているのが喜ばしい。
児童公園になっているため、近くの保育園や、小さなお子様と親で訪れている姿をよく見かけ、地域の方々に親しまれている。
カラフルな月替り御朱印や限定御朱印
これまではシンプルな御朱印のみの授与であったが、平成三十年(2018)より御朱印に力を入れるようになっていて、現在は月替りの限定御朱印や祭事に応じた御朱印を授与。左は2019年祈年祭の御朱印で、右は2019年2月の限定御朱印。
2019年5月の限定御朱印は令和奉祝の御朱印。(別紙のみ)
こちらは2019年9月の例大祭御朱印。
こちらは令和元年(2019)11月14日・15日の大嘗祭を祝した特別御朱印。
こちらは令和二年(2020)の初詣限定御朱印。
右が如月の月替り御朱印で、左が祈年祭の特別御朱印。
右が夏詣の特別御朱印で、左が文月の月替り御朱印。
2020年例祭は新型コロナウイルスの影響で例大祭は諸行事中止となったものの例祭御朱印が授与された。
2020年新嘗祭の御朱印。
2020年の年越大祓御朱印と、12月末より授与品を受けた人に頒布している疫病除お神札。
2021年の初詣特別御朱印。
1月1日-から「初詣特別御朱印」(限定数で終了)
1月8日-31日まで「月替り(睦月)御朱印」
1月15日は「縁結び御朱印」
12月25日から「疫病除お神札」
※「疫病除お神札」は御朱印や授与品をお受けした人に無料で頒布される御朱印サイズの神札。2021元日より頒布予定だったが幸先詣や分散参拝を推奨するために前倒しで頒布開始。
※御朱印は書き置きのみ。詳細は公式Instagramにて。
毎月15日はいいご縁の日・縁結び御朱印・縁結び祈願祭
更に毎月15日は「いいご縁の日」として縁結び祈願祭を斎行。毎月15日の15時より縁結び祈願祭が斎行される。
当社の御祭神・素盞鳴尊(すさのおのみこと)と稲田姫命(いなだひめのみこと)は、夫婦神である事から縁結びの神としても崇敬を集めている。
また江戸時代の頃より金王相撲で知られた当社は、土俵の円と縁をかけ縁結びの神として信仰されている。
基本的に縁結び祈願祭は誰でも自由に参加可能。新型コロナウイルス以降は抽選制となっている。(画像は2020年10月の縁結び祈願祭)
毎月15日限定で縁結び御朱印も授与。挟み紙も縁結び用のものとなる。
左が現在(2020年10月拝受)の御朱印で、右が縁結び祈願祭を開始したばかり(2018年7月)の御朱印。
人気の縁結び御朱印帳は桃色と緑色の2色
平成三十年(2018)元日よりオリジナルの御朱印帳の頒布も開始。開くと「結」の文字がデザインされており、これは縁結びが由来。
江戸郊外三大相撲に数えられた金王相撲の土俵の円。
素盞鳴尊・稲田姫命の夫婦神を祀る事から縁結びの縁。
円と縁を合わせた秀逸なデザインの御朱印帳。
桃色と緑色の2種類を用意。初穂料は1,500円(御朱印代別)。
所感
渋谷区南端一帯の総鎮守である当社。
かつての渋谷は大変のどかな農村であり、現在とはかなり様相の違う光景であった。
その後の渋谷地域の発展により、市街地や商業地、さらに國學院大學など様々な色を持つ氏子地域となっており、地域の鎮守として崇敬を集めている。
こうしてこの地に立派で広い境内が維持できるのは、素晴らしい事だろう。
金王相撲や常盤松の伝承など、古くからの当地の歴史を伝える境内。
参道脇の氷川の杜公園では家族連れが遊んでおり、参道は通学路として利用する学生の姿も多い。
渋谷にありながらも、地域の鎮守としての懐かしさも残しており、良い神社だと思う。
神社画像
- 社号碑・参道
- 社号碑・参道
- 社号碑
- 社号碑
- 参道
- 一之鳥居
- 一之鳥居
- 一之鳥居
- 一之鳥居
- 参道
- 参道
- 参道
- 二之鳥居
- 二之鳥居
- 二之鳥居
- 狛犬
- 狛犬
- 北参道鳥居
- 北参道鳥居
- 狛犬
- 狛犬
- 参道
- 手水舎
- 手水舎
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 扁額
- 本殿
- 境内社
- 本殿御敷地舊趾
- 本殿御敷地舊趾
- 本殿御敷地舊趾
- 秋葉神社
- 狛犬
- 八幡神社
- 狛犬
- 百度石
- 神楽殿
- 社務所
- 蔵
- 東参道鳥居
- 境内社
- 稲荷神社
- 神狐像
- 神狐像
- 厳島神社
- 狛犬
- 狛犬
- 狛犬
- 狛犬
- 神輿庫
- 石碑
- 石碑
- 石碑
- 石碑
- 石碑
- 金王相撲土俵(氷川の杜公園)
- 氷川の杜公園
- 金王相撲土俵(氷川の杜公園)
- 金王相撲土俵(氷川の杜公園)
- 案内板
- 神輿庫
- 案内板
コメント