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新宿下落合氷川神社 / 東京都新宿区

5.0
新宿区

概要

下落合鎮守の氷川さま

東京都新宿区下落合に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧下落合村の鎮守。
正式名称は「氷川神社」だが、他との区別のため「下落合氷川神社」と呼ばれる事が多く、当記事では公式サイトなどで使用している「新宿下落合氷川神社」とさせて頂く。
かつては旧下高田村鎮守「高田氷川神社」の御祭神・素戔嗚命で「男体の宮」と呼び、当社の御祭神は奇稲田姫命で「女体の宮」と呼び、両社合わせて「夫婦の宮」と称されていたと伝わる。
落合周辺はかつて蛍の名所として知られ、自然溢れる江戸郊外の名所であった。

神社情報

新宿下落合氷川神社(しんじゅくしもおちあいひかわじんじゃ)

御祭神:素戔嗚命・奇稲田姫命・大己貴命
社格等:村社
例大祭:9月第2土曜・日曜
所在地:東京都下落合2-7-12
最寄駅:下落合駅・高田馬場駅
公式サイト:https://www.shinjyuku-hikawa.jp/

御由緒

当神社の御創建は今より二千四百年前、第五代孝昭天皇の御代とも、又更に上古とも云われ詳らかではありませんが、蛍の名所として有名だった落合の郷、神田川の守り神として古くから信仰されてきました。豊島区高田氷川神社と夫婦の社と云い伝えられ、江戸期の文献には将軍家の御狩場(おかりば)である御留山(おとめやま)の山裾に広い境内を有していた様子が描かれています。太平洋戦争末期に戦火に包まれるという憂(う)き目に遭うものの、復興を遂げ昭和二十六年に現在の御社殿が建立されました。(頒布の用紙より)

参拝情報

参拝日:2021/04/30

御朱印

初穂料:500円
社務所にて。

※兼務社「東山稲荷神社(東山藤稲荷神社)」の御朱印も頂ける。

授与品・頒布品

撤下品
初穂料:─
社務所にて。

御朱印を頂いた際に下さった撤饌。(昆布)

歴史考察

2,400年以上前に創建の伝承を持つ古社

社伝によると、孝昭天皇の御代(BC475年-BC393年)に創建だと云う。
更に上古とも伝わる古社である。

孝昭天皇(こうしょうてんのう)
第5代天皇。
欠史八代(『古事記』『日本書紀』で系譜は存在するがその事績が記されない8人の天皇)の一人で、実在性については諸説ある。
孝昭天皇の御代を西暦に当てはめると紀元前となり、今から約2,400年以上前の創建となる。創建についての詳細は明らかになっていないため伝承として捉えるのが良いが、大変古くから信仰を集めた古社なのは間違いないだろう。

落合の郷、神田川(旧・平川)の守り神として古くから崇敬を集めたと云う。

落合の地名由来・下落合村の鎮守

落合の郷の鎮守として崇敬を集めた当社。

落合(おちあい)の地名由来
妙正寺川と神田上水(現・神田川)が落ち合う場所で「落合」。
由来となった川の合流点には「一枚岩」と呼ばれた岩があった。

(江戸名所図会)

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に描かれた一枚岩。

落合の地名の由来となった妙正寺川と神田上水(現・神田川)の合流点。
一枚岩と呼ばれる立派な岩が描かれている。

落合が上落合村・下落合村になると、当社は下落合村の鎮守として崇敬を集めた。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(下落合村)
氷川社
村の鎮守也。
諏訪社二
太神宮
以上四社薬王院持。
稲荷社三
一は藤稲荷と云。山上にあり。喬木生茂れり近き頃鳥居の傍に瀧を設て垢離場とす。薬王院持。二は上落合村最勝寺持。

下落合村の「氷川社」として記されているのが当社。
「村の鎮守也」とあるように下落合村の鎮守だった事が記されている。

他に諏訪社、太神宮、稲荷社などが落合村にあったが明治以降にその多くが当社の境内に祀られた。稲荷社のうちの1社は「藤稲荷」と呼ばれ現在当社が兼務する「東山稲荷神社(東山藤稲荷神社)」である。
東山稲荷神社(東山藤稲荷神社) / 東京都新宿区
おとめ山公園に鎮座するお稲荷様。知恵と勇気の神様。平安時代に源経基によって創建・源氏の守護神。藤稲荷と称される。江戸名所図会に描かれた藤森稲荷社(東山稲荷)。江戸時代の神狐像や水盤など・藤棚も整備。御朱印は本務社「新宿下落合氷川神社」にて。

別当寺は「薬王院」であった。

薬王院(やくおういん)
新宿区下落合にある真言宗豊山派の寺院。
鎌倉時代に開山され、江戸時代に中興、当社の別当寺を担った。
総本山の奈良「長谷寺」から移植された100株が約40種1,000株にまで増えたため、牡丹の名所として知られ「牡丹寺」とも称される。
薬王院(東長谷寺) | 一般社団法人新宿観光振興協会
鎌倉時代に開山された、真言宗豊山派の寺院です。牡丹の名所として知られ、別名は牡丹寺です。 総本山の奈良長谷寺から移植された100株が約40種・1,000株にまで増え、見頃を迎える4月中旬から下旬にかけては、都心とは思えない美しく雅やか…

江戸名所図会に描かれた当社と御留山

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「落合惣圖」として見開きで描かれたもの。
題名の通り落合一帯を俯瞰で描いたものとなっている。
河川と自然溢れる地域だった事が窺える。

(江戸名所図会)

当社を中心に拡大したのが上図。

山裾にかけて「氷川」の文字があり、これが当社。
当社の裏手に見える大きな山は「御留山(おとめやま)」で、現在の「おとめ山公園」。

徳川将軍家の御狩場だった御留山
江戸時代には徳川将軍家が鷹狩などで利用する御狩場とされた。
一帯は一般人の立ち入りが禁止されており「御留山」「御禁止山」と書いた事が由来。
当社はその御留山の山裾に広い境内を有していた。
おとめ山公園:新宿区

中腹に「富士」の文字があるが、これは現在兼務社になっている「東山稲荷神社(東山藤稲荷神社)」。

東山稲荷神社(東山藤稲荷神社) / 東京都新宿区
おとめ山公園に鎮座するお稲荷様。知恵と勇気の神様。平安時代に源経基によって創建・源氏の守護神。藤稲荷と称される。江戸名所図会に描かれた藤森稲荷社(東山稲荷)。江戸時代の神狐像や水盤など・藤棚も整備。御朱印は本務社「新宿下落合氷川神社」にて。

蛍の名所だった落合・初夏の風物詩

こうした水と自然豊かな地であった落合は蛍の名所としても知られていた。

(江戸名所図会)

「落合螢」の題名で描かれた見開きの1枚。
大変のどかな風景と、人々が蛍狩している様子が描かれている。
当時は落合と云えば蛍が結びつくほど有名で、初夏の風物詩であった。

此地の蛍狩は芒種の後より夏至の頃迄を盛とす。草葉にすがるをばこぼれぬ露かとうたがい高く飛をばあまつ星かとあやまつ。游人暮るを待てここに逍遥し壮観とす。夜涼しく人定り風清く月朗なるにおよびて、はじめて帰路をうながさん事を思い出たるも一興とやいわん。(江戸名所図会)

(江戸名所図会)

当社を中心に拡大したのが上図。

こちらにも当社の様子が「氷川」として描かれている。
かなり緑豊かな境内だった事が窺える。

社伝によると境内から湧き出る泉では神様の姿をした砂が噴き出たと伝えられていて、参拝者も多かったと云う。

徳川将軍家の御狩場である御留山があり、落合の地域は初夏には蛍の名所となる、当社はそうした下落合村の鎮守として崇敬を集めた。

女体の宮・高田氷川神社と合わせて夫婦の宮

「氷川社」「氷川権現社」などと称された当社は、「女体の宮」とも称された。
これは当社の御祭神が奇稲田姫命のみを祀っていた事による。

素戔嗚命(すさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
氷川信仰の御祭神は通常はスサノオを祀るが、その妃・クシナダヒメも夫婦神として祀る事が多い。
八岐大蛇(やまたのおろち)退治の伝承が知られており、クシナダヒメが八岐大蛇の生贄にされそうになったところ、出雲に降り立ったスサノオが結婚を条件に八岐大蛇退治を申し出て、スサノオの神通力によってクシナダヒメを湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に姿を変え、スサノオはこの櫛を頭に挿して八岐大蛇と戦い退治した。

一方で隣接する旧下高田村の鎮守「高田氷川神社」の御祭神・素戔嗚命のみで、「男体の宮」称された。

高田總鎭守氷川神社 / 東京都豊島区
高田総鎮守。カラフルな御朱印。太田道灌と山吹伝説。山吹の里氷川宮。夫婦の宮・男体の宮。御朱印。

素戔嗚命のみを祀る「高田氷川神社」、その妃・奇稲田姫命のみを祀る当社が対になっていたと推測でき、両社合わせて「夫婦の宮」と称されていたと云う。

(江戸名所図会)

赤で囲った箇所が『江戸名所図会』に記されている当社についての項目。

氷川明神社
同申酉の方、田島橋より北、林の中にあり。祭神奇稲田姫命一座なり。是を女躰の宮と稱せり。同所薬王院の持なり。高田の氷川明神の祭神素盞鳴尊なり。よって當社を合せて夫婦の宮とす。土俗あやまって在原業平および二條后の霊を祀るといふ。甚非なり。(江戸名所図会)

このように『江戸名所図会』に奇稲田姫命のみを祀り「女体の宮」と呼ばれていた事、「高田氷川神社」は素戔嗚命のみを祀っていたため、両社を合わせて「夫婦の宮」と称されていた事が記載されている。

現在の当社の御祭神は素戔嗚命・奇稲田姫命・大己貴命の三柱。素戔嗚命・奇稲田姫命のどちらも祀るようになったのがいつの頃かは不明。おそらく明治の神仏分離後と推測される。

明治以降の歩み・戦後の再建

明治になり神仏分離。
当社は無格社であった。

後に村社に昇格している。

明治二十二年(1889)、市制町村制によって下落合村・上落合村・葛ヶ谷村が合併して落合村(後の落合町)が成立。
当地は落合村下落合となり、当社はその鎮守であった。

明治三十九年(1906)、村社に昇格。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
落合村や下落合といった地名も見る事ができる。
妙正寺川と神田川の河川の流れも違っているのが分かる。

このような河川の多い立地のため江戸時代から染色業も盛んで、明治になりそして現在でも洗張やクリーニング工場など繊維関連企業が多いのが特徴。

昭和二十年(1945)、空襲によって社殿を焼失。

戦後になり境内整備が進む。

昭和二十六年(1951)、社殿を再建。
この社殿が改修されつつ現存。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

新目白通り沿いに鎮座・東側に表参道

最寄駅である下落合駅からは徒歩数分の距離。
新目白通り沿いに鎮座しているので分かりやすい立地。
大通り沿いにあるが新目白通り沿いは南参道。
立派な大鳥居。

表参道は東側。
こちらにも立派な鳥居と「氷川神社」の社号碑。
こうした2つの参道からも当社が崇敬を集めている事が伝わる。

手水舎・幕末の狛犬(石獅子)

鳥居を潜ると真っ直ぐ参道。
参道の右手に手水舎。
身を清める事ができる。

参道途中に石段があり、その先に一対の狛犬。
慶応元年(1865)奉納の狛犬。
大変躍動感のある良い造り。
いわゆる石獅子。
吽形は子獅子がいて獅子の子落としの故事を表現している。

戦後に再建された木造社殿

参道の正面に社殿。
旧社殿は空襲にて焼失。
現在の社殿は昭和二十六年(1951)に再建されたもの。
戦後間もない時期に再建された事からも、地域からの崇敬の篤さが伝わる。
大切に維持管理。
本殿を裏手より見た様子だが緑で囲まれているのが分かる。

境内社の合殿・神楽殿など

社殿の右手に境内社。
三峰社・天祖社・稲荷社・諏訪社・浅間社の合祀殿。
諏訪社や稲荷社などは『新編武蔵風土記稿』に記されていたものと思われ、周辺の神社が当社に遷座合祀されたのであろう。

その近くに神楽殿。
鉄筋コンクリート造。

手水舎の近くに消防記念碑。
さらに日露戦役記念碑。
現在は江戸時代のような広大な社地ではないものの、地域の鎮守として整備されている。

氷川神社の御朱印・兼務社の御朱印も頂ける

御朱印は社務所にて。
大変丁寧に対応して下さった。

兼務社「東山稲荷神社(東山藤稲荷神社)」の御朱印も頂ける。
東山稲荷神社(東山藤稲荷神社) / 東京都新宿区
おとめ山公園に鎮座するお稲荷様。知恵と勇気の神様。平安時代に源経基によって創建・源氏の守護神。藤稲荷と称される。江戸名所図会に描かれた藤森稲荷社(東山稲荷)。江戸時代の神狐像や水盤など・藤棚も整備。御朱印は本務社「新宿下落合氷川神社」にて。

御朱印は「氷川神社」の朱印。
「新宿下落合 氷川神社」の墨書き。

御朱印を頂いた際に撤饌もくださり有り難い。

所感

下落合の鎮守として崇敬を集める当社。
かつての落合は河川と自然に溢れ、蛍の名所として知られた地域であった。
『江戸名所図会』にも蛍狩の様子が描かれていて、さぞ美しかったのであろう。
現在は地域も発展してそうした自然は消えたが、かつて将軍の御狩場であった御留山(現在のおとめ山公園)ではホタル舎もあったりと、そうした面影を僅かに残す。
そのため兼務社の「東山稲荷神社(東山藤稲荷神社)」も鎮座している事もあり、一緒におとめ山公園も楽しみたい。
境内はシンプルな構成であるが、下落合の歴史を伝える神社である。

神社画像

Google Maps

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