杉並猿田彦神社 / 東京都杉並区

杉並区

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概要

太道教による導きの神を祀る神社

東京都杉並区阿佐谷南に鎮座する神社。
「太道教」と云う教派神道の教団が管理する神社。
旧官幣大社「霧島神宮」の霧島講東京支部である「太道教本部」も境内の奥に置かれている。
現在「猿田彦神社」は神社本庁に属している一般的な神社で、導きの神・猿田彦大神を祀る神社として崇敬を集めている。
正式名称は「猿田彦神社」だが、他との区別から「杉並猿田彦神社」とさせて頂く。

神社情報

杉並猿田彦神社(すぎなみさるたひこじんじゃ)

御祭神:猿田彦大神
社格等:─
例大祭:8月15日
所在地:東京都杉並区阿佐谷南1-1-38
最寄駅:新高円寺駅・阿佐ヶ谷駅・高円寺駅
公式サイト:https://www.sarutahiko-suginami.com/

御由緒

 猿田彦大神は天孫降臨の時天野八衢に迎えて啓行され、天孫を高千穂に導きました。
 その後天宇受売命に送られて伊勢の五十鈴の川上に来られ、ここを中心に広く国土を開拓指導された地主の神と伝えられております。
 猿田彦大神の大本社として、猿田彦大神の墳墓近くの三船磐座付近に椿大神社(三重県鈴鹿市)が造営されております。
 当神社はこの椿大神社より猿田彦大神の御霊を勧請して創建されました。
 大神は古来物事のはじめに災害を祓い万事最も善い方へ導き給うとされ、特に地鎮祭、方位除け、災除け、建築、移転、開業、商工業の繁栄、豊作、豊漁、開運のご祈祷を全国から出願されております。(頒布の資料より)

歴史考察

天理教から派生した太道教

当社は教派神道である「太道教」と云う教団が管理する神社である。
但し「猿田彦神社」は神社本庁に属している。

太道教(たいどうきょう)
天理教の支教会長・中村しげを中心として昭和十三年(1938)に設立された教団。
同年・鹿児島県の官幣大社「霧島神宮」を訪ね、関東における霧島講の講元となる許諾を得て、「霧島神宮」より勧請された瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を主祭神としている。
昭和十五年(1940)、宗教結社・太動教教団として届け出が認可された。
天理教(てんりきょう)
江戸時代末期に成立し、中山みきを教祖(おやさま)とする宗教団体。
奈良県天理市に本拠地を置く。
神名(かみな)は天理王命(てんりおうのみこと)で「親神様」とも呼称される。
天理教・はじめての方へ
「天理教・はじめての方へ」では、初めて天理教にふれる方へ、天理教の教えとなりたち、聖地親里(おやさと)について、天理へのアクセスなどをご紹介します。

昭和初期、天理教では分派運動が盛んになり、派生教団が相次いだ。
「ほんみち」「大道教」「太道教」「天輪王明誠教団」「日月教」「八楽会教団」など、昭和初期にかけて天理教から多くの派生教団が誕生した。

天理教から派生教団が相次いだ理由
この時期は天理教を含め新興宗教への弾圧が行われ、各教団に対し軍へ協力するよう強制を行った時代で、天理教も昭和十三年(1938)に内務省と文部省宗教局より指示された事項に全て従うという「革新」と称する決定を行っていた。
こういった弾圧や決定、教祖五十年祭・立教百年祭の年限など色々な要素が絡み合い、様々な団体が分派という形で独立。
特に教祖・中山みき、本席・飯降伊蔵の死後、天啓者がいなくなった事が最大の要因とみられる。
かつては教派神道の一派として公認され活動していた天理教だったが(迫害から守るための措置だった要素が強い)、現在は、教団側では新宗教諸派と称しており、宗教法人としての届けは「諸教」とされている。

太道教もこうした事情から昭和十三年(1938)に分派した一派。
中村しげは、同年に「信仰を改めよ」と神示を受け、旧官幣大社「霧島神宮」から霧島講の講元の許諾を得て、「霧島神宮」から瓊瓊杵尊を勧請したように、分派した中でも特に神社神道・教派神道の影響を色濃く残した。

現在「太道教」は文部科学大臣所轄の包括宗教法人・教派神道となっている。

当社は神社本庁に属していて、この事からも神道系の教団だという事が窺える。
当社の創建年などは公開されていないのだが、戦後の創建だと云う。

太道教は天孫降臨の瓊瓊杵尊を主祭神とする

太道教は主祭神を瓊瓊杵尊としている教団。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
『古事記』『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する神。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫である事から天孫(てんそん)と称される。
天照大御神から授かった三種の神器をたずさえ、葦原中国(あしはらのなかつくに=日本の国土)を統治するため高天原(たかあまはら)から地上に降りた神。
上記の神話を「天孫降臨」と呼ぶ。

当社と同じ敷地内に「太道教本部」が置かれている。
参拝ができるようになっていてこちらに瓊瓊杵尊が祀られている。
太道教本部は、「霧島神宮」からの勧請となっている。

霧島神宮(きりしまじんぐう)
鹿児島県霧島市に鎮座する神社。
式内社であり、旧社格は官幣大社、南九州最大の神宮と称される。
天孫降臨で瓊瓊杵尊が降臨した霊峰・高千穂峰(たかちほのみね)に古くから鎮座していたと伝わり、高千穂峰を有する霧島山一帯を境内としていた。
瓊瓊杵尊を主祭神として祀る。
霧島神宮 – 南九州最大の神宮「霧島神宮」の公式サイトです。
太道教は教団設立時には関東の霧島講の講元を担い、現在も霧島講東京支部として活動しており、今も昔も「霧島神宮」と関係が深い。

天孫降臨の故事に倣い猿田彦大神を祀る神社として創建

戦後になり、太道教本部に隣接する形で猿田彦大神を祀る神社を創建。
これが当社「猿田彦神社」である。

猿田彦大神を祀る神社の総本社・伊勢国一之宮「椿大神社」から勧請されたと云う。

椿大神社(つばきおおかみやしろ)
三重県鈴鹿市に鎮座する神社
伊勢国一之宮。
式内社、旧社格は県社、現在は神社本庁の別表神社。
「猿田彦大本宮」とも称され、猿田彦大神を祀る神社の総本社。
また社宝に、吉備真備の奉納と伝わる獅子頭があり「獅子舞発祥の社」ともされる。
椿大神社
猿田彦大神(さるたひこおおかみ)
『古事記』『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する神。
天孫降臨の際、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊を道案内した神であるため、「導きの神」とされる。
国土の神・道案内の守神であり、中世には庚申信仰や道祖神と結びつき、民間信仰としても広く信仰を集めた。

瓊瓊杵尊を主祭神としている太道教と、猿田彦大神を祀る当社。
教団の主祭神と当社の御祭神に違いがあるが、上述の「天孫降臨」の故事に倣い、猿田彦大神をお祀りする「猿田彦神社」を創建した。

天孫・瓊瓊杵尊を道案内をしたのが「導きの神」猿田彦大神。

太道教の主祭神である瓊瓊杵尊。
その瓊瓊杵尊を道案内し導いたのが猿田彦大神。
崇敬する人々を導くために導きの神を祀った当社が造営された事が窺える。

近年、境内整備も行われ、現在に至る。
現在は神社本庁に属する神社となり、こぢんまりとした境内ながら「導きの神」として崇敬を集めている他、太道教本部は霧島講の講元としても崇敬を集めている。

境内案内

住宅街の一画のこぢんまりとした境内

高円寺駅と阿佐ヶ谷駅からは同じくらいの距離の住宅街に鎮座。
青梅街道の梅里二丁目交差点を北に進んだ細い路地に鎮座している。

境内の右手に手水舎。
小さいながらも水が出て綺麗に整備。

手水舎で身を清めたら一度路地に戻り、鳥居を潜って社殿と云う形になる。

椿大神社から勧請・猿田彦大神を祀る猿田彦神社

路地に沿うように朱色の鳥居。
鳥居の先がすぐに社殿となる。

拝殿の柱に「猿田彦神社」の木札。
神前幕には社紋の桐紋・五七桐。
こぢんまりとした造りではあるが、道行く人が参拝していく姿を見かける事ができる。
伊勢国一之宮「椿大神社」から勧請された猿田彦大神を祀る。

猿田彦大神(さるたひこおおかみ)
『古事記』『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する神。
天孫降臨の際、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊を道案内した神であるため、「導きの神」とされる。
国土の神・道案内の守神であり、中世には庚申信仰や道祖神と結びつき、民間信仰としても広く信仰を集めた。

霧島神宮から勧請・太道教本部・霧島講東京支部

当社社殿の右手奥には太道教本部。
神前幕には菊紋。
「太道教本部」の木札。
「霧島神宮」から勧請された天孫こと瓊瓊杵尊を祀る。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
『古事記』『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する神。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫である事から天孫(てんそん)と称される。
天照大御神から授かった三種の神器をたずさえ、葦原中国(あしはらのなかつくに=日本の国土)を統治するため高天原(たかあまはら)から地上に降りた神。
霧島神宮(きりしまじんぐう)
鹿児島県霧島市に鎮座する神社。
式内社であり、旧社格は官幣大社、南九州最大の神宮と称される。
天孫降臨で瓊瓊杵尊が降臨した霊峰・高千穂峰(たかちほのみね)に古くから鎮座していたと伝わり、高千穂峰を有する霧島山一帯を境内としていた。
瓊瓊杵尊を主祭神として祀る。
霧島神宮 – 南九州最大の神宮「霧島神宮」の公式サイトです。

太道教本部は霧島講東京支部を担う。
天孫降臨顕彰會本部の木札が掛かり、太道教の信者の他、霧島講の信仰者からも崇敬を集める。

霧島講とは「霧島神宮」を崇敬する崇敬会(講社)のこと。
崇敬会ご案内 – 霧島神宮

太道教本部の裏手には御神水も

太道教本部の手前右手に境内社。
紀水宮とあり、井戸の神として祀られていると云う。

紀水宮の対象となる井戸は太道教本部の裏手にある。
太道教本部の右手の細い道を進むとその先に御神水所。
こちらにも紀水宮の小さい祠が置かれお水取りをする事が可能。
手押しポンプが置かれレバーを下げると御神水を頂く事ができる。

飲料水として使う場合は要煮沸とのこと。

御朱印は猿田彦神社と太道教の2種類

御朱印は授与所にて。
平成二十七年(2015)に新しくなった授与所で、以降は御朱印の対応もして頂けるようになった。

正月など時期によっては限定御朱印も授与。

現在の御朱印は「太道教」の御朱印と、「猿田彦神社」の御朱印の2種類。
太道教には霧島講東京支部、猿田彦神社には導きの神の文字。
こちらは2020年に頂いた御朱印で、やはり「導きの神」と「霧島講東京支部」の文字。
こちらは2024年に頂いた御朱印。

御朱印を頂く際に、授与品を授与して頂ける場合がある。2015年参拝時にはかわらけを頂き、2019年参拝時には栞を頂いた。とても丁寧に対応して頂き有り難い。

天孫降臨の御朱印帳

オリジナルの御朱印帳も用意。
右がオリジナル御朱印帳。
瓊瓊杵尊を猿田彦大神が出迎える天孫降臨をデザインしたもの。

授与品も豊富に用意しているのでお受けするのもよいだろう。
当社の神札の他、神宮大麻(神社本庁による伊勢神宮の神札)を扱っている事からも、神社本庁に属した一般的な神社な事が分かる。

所感

初参拝した際は住宅街に入る細い路地でたまたま発見。
太道教という教団が管理していて色々と謎が多かったのだが、お話を聞いたり色々と調べるうちに中々と興味深い部分が見えてくる。
形としては教団色は殆ど出ておらず一般的な神社と変わらなく、そもそも猿田彦神社は神社本庁に属している一般的な神社である。
天孫降臨にまつわる瓊瓊杵尊を主祭神とする教団、その瓊瓊杵尊を導いた猿田彦大神を御祭神とする「猿田彦神社」の組み合わせは、人を良い方向に導くと云う気持ちが伝わる。
境内はかなり狭いが、境内はとても綺麗に整備されており、氏子を持たない神社がこうして小さいながらも維持できているのは、崇敬されているからこそなのだろう。
当社の崇敬会への案内も置かれていて、そうした崇敬者たちから大切に維持されているのが伝わる良い神社だと思う。

御朱印画像一覧・御朱印情報

御朱印

初穂料:300円
授与所にて。

※「猿田彦神社」と「太道教」の御朱印を頂ける。
※正月など限定御朱印あり。

御朱印帳

オリジナル御朱印帳
初穂料:2,500円
授与所にて。

オリジナル御朱印帳を用意。
天孫降臨の様子をデザインした御朱印帳。
瓊瓊杵尊を猿田彦大神が出迎える様子を描いている。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

授与品・頒布品

交通安全ステッカー
初穂料:500円
授与所にて。

シール式ではなく裏面マグネット式。
黒と白の2色あり。

しおり
初穂料:─
授与所にて。

2019年と2020年に御朱印を拝受した際に頂いたもの。
通常は初穂料100円で授与あり。

かわらけ
初穂料:─
授与所にて。

2015年に御朱印を拝受した際に頂いたもの。
中にはかわらけが入っており五七の桐の紋入り。

参拝情報

参拝日:2024/03/22(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2020/05/26(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2019/03/20(御朱印拝受)
参拝日:2016/10/13(御朱印拝受)
参拝日:2015/07/18(御朱印拝受)

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