鳥越神社 / 東京都台東区

鳥越神社(とりこえじんじゃ)

御祭神:日本武尊
相殿神:天児屋根命・東照宮公
旧社格:郷社
例大祭:6月9日に近い土・日曜日
所在地:東京都台東区鳥越2-4-1
最寄駅:蔵前駅・浅草橋駅
公式サイト:http://www004.upp.so-net.ne.jp/kab_ra/

御由緒

 当神社は、白雉二年(651)の創建。日本武尊、天児屋根命、徳川家康を合祀している。
社伝によると、日本武尊が、東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源とする。後、永承年間(1046-52)、奥州の安部貞任らの乱(前九年の役)鎮定のため、この地を通った源頼義・義家父子は、名も知らぬ鳥が越えるのを見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ったということから鳥越大明神と名づけた。以後、神社名には鳥越の名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ばれるようになった。天児屋根命は、武蔵の国司になった藤原氏がその祖神として祀ったものとされる。また、徳川家康を祀っていた松平神社(現、蔵前四丁目十六番付近)は、関東大震災で焼失したため大正十四年に当社に合祀された。
例大祭は、毎年六月九日前後の日曜。千貫神輿といわれる大神輿の渡御する「鳥越の夜祭」は盛大に賑わい、また正月八日に正月の片付け物を燃やす行事「とんど焼き」も有名である。

(※境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/04/06

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。
鳥越神社

御朱印帳

初穂料:1,300円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
神紋の七曜紋と月星紋が入った御朱印帳。

※展示されていた下記の物がかなり古びて変色しているが、実際はもっと深い色合いとデザインがある。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。
スポンサーリンク


歴史考察

御創建1300年以上の古社

台東区鳥越にある神社。
旧社格は郷社で、社伝では創建から1300年以上の古社と伝わる。
例大祭(鳥越祭)に出る千貫神輿は都内最大級を誇る事で有名。
なお、正しい読み方は濁点のつかない「とりこえじんじゃ」になる。

日本武尊と鳥越の地名由来

日本武尊が東国平定の途中、その当時は白鳥村と呼ばれていた当地に滞在。
後に日本武尊の威徳を偲び、村民が「白鳥明神」として奉祀したことを起源としている。
社伝では、白雉二年(652)の創建とされている。

永承年間(1046年-1052年)、源頼義・義家の親子が前九年の役鎮圧のために東北へ向かう途中、当地に立ち寄り、大川(隅田川)越えを試みた。
すると、白鳥が飛来し大川を渡っていったため、そこが浅瀬である事を知り、源頼義・義家の親子の群前は無事に大川を渡る事ができた。

これは当社の御神徳として、鳥が越えた由来から当社を「鳥越大明神」と名付けた。

以後、当社は「鳥越大明神」とも「鳥越神社」とも呼ばれるようになる。
これまでは白鳥村だった当地も、いつしか鳥越と呼ばれるようになり、これが地名由来にもなっている。

広大な境内を有した鳥越三所明神

かつての境内はとても広大だったと伝えられている。
江戸時代までは約2万坪もの敷地を有しており、当社は鳥越山と呼ばれた丘の上に鎮座していた。

鳥越には、当社の他に「熱田神社(現在の今戸熱田神社)」「榊神社(現在の第六天榊神社)」があり、これらの三社合わせて「鳥越三所明神」と呼ばれ、大いに崇敬を集めた。

江戸時代に規模縮小

江戸時代になると幕府により鳥越の地の再開発が進むようになる。

元和六年(1620)、全国の天領からの米を収蔵するため、隅田川沿いに浅草御蔵を造営。
埋め立てに必要な土の確保のため、当社が鎮座していた鳥越山を切り崩す事となる。
そのため広大だった敷地の多くを幕府に徴収されるという形に。
さらに北側にあった姫ヶ池も埋め立てられ、これらは旗本や大名屋敷などの御用地とされた。

そのため広大な敷地を有した三社の「鳥越三所明神」は移転を余儀なくされてしまう。
「鳥越三所明神」のうち「熱田神社(現在の今戸熱田神社)」は今戸へ遷座、「榊神社(現在の第六天榊神社)」は森田町(現在の蔵前)に遷座させられた。
結局、「鳥越三所明神」のうち鳥越に残ったのは当社のみであり、規模をかなり縮小されたまま現在に至っている。

神仏分離・松平神社の合祀

明治になり神仏分離。
旧社格では後に郷社となっている。

大正十二年(1923)に関東大震災が発生。
近くの蔵前に鎮座していた「松平神社」が焼失してしまう。
この「松平神社」は江戸城の鬼門除けのひとつでもあり、徳川家康をお祀りしている。
将軍家光によって建てられたもので、格式の高い神社であった。

大正十四年(1925)、その焼失した「松平神社」が当社に合祀される事となる。
そのため、当社は旧社格で郷社という、規模の割には村社よりも格式高い神社となった経緯がある。

平将門との噂と考察

当社には御由緒にない伝承があると噂される。
特に平将門について調べている方に噂される事が多い。
それは平将門にまつわる話。

正直なところ神社側は将門公との関係を否定している。
御祭神に平将門はお祀りしていないし、御由緒にもそういった事は一切書かれていない。
いくつか挙げて考察してみよう。

  • 当社は将門公の首が飛び越していったので「鳥越(=飛び越え)」という地名となった説

江戸時代よりこういった噂話は伝えられていたようである。
事の発端はおそらく江戸っ子の洒落によるものだろう。

当時は「神田明神」が江戸総鎮守として崇敬を集めていた時代。
御祭神であった平将門も江戸庶民には崇敬された。

その神田には将門の胴体があり「からだ」が訛って「かんだ」となったと言われることも。
そこで「鳥越」は「飛び越え」という言葉遊びを使い、将門の首を飛び越していったので「鳥越」なんて洒落を言うようになった。(将門公の首は「将門塚/首塚」にあるとされている)

そのうち「鳥越で 食えば神田で 腹が減り」なんて川柳も詠われるように。
これは寛政八年(1796)の「古今前句集」にも載っている。
意味合いとしては「首が鳥越にあって、胴体は神田にあるので、いくら食べても腹が減る」というトンチの効いた洒落川柳。
こういった言葉遊びは江戸庶民の洒落として色々と流行したもので、俗信といえるもの。

以上のように、江戸時代の頃より当社は将門伝説を噂されるようになったのが分かるが、言葉遊びによる洒落と受け取るべきであって、信ぴょう性はかなり薄い。

  • 将門の身体はバラバラにされて江戸各地に埋められたが、この鳥越神社には手が埋められた説

当社には将門の手が埋められた、なんて噂は完全に後世の創作である。

平成になって出版された、加門七海氏の「将門は神になれたか」「平将門魔法陣(文庫版)」にて将門にまつわると噂される神社の配置と北斗七星をオカルト的に結びつけている。(将門と北斗七星についてはこれが初出だろう)
そこからいつしか各社に身体の部位が埋められていると噂されるようになり、当社には手が埋められているとこじづけたというのが正直なところ。

  • 御神紋が七曜紋なので、九曜紋を使った将門公との関係が深い説

御神紋の七曜紋は、当社の宮司(鏑木氏)が千葉氏の系譜という事から使われている。

鏑木家という千葉氏の中でも重宝された家系であり、千葉氏は妙見信仰であり九曜紋系の御神紋を好んで使ったため、その流れで当社の御神紋も七曜紋となっている。
実際に千葉氏と繋がりの深い神社では、こうした九曜紋系の御神紋を使用している事が多い。
平将門は妙見を信仰したとされ、千葉氏祖先と近い筋ではあるが、当社と直接の関連性はない。

以上の事から、当社にまつわる平将門の噂話は「洒落の効いた噂話」といったところ。
こういったオカルト的な要素は、面白さもあり興味深いものではあるが、実際は都市伝説だと理解した上で楽しむのがよいと思う。

御神紋は七曜紋・月星紋

社殿は戦後の昭和二十一年(1946)に再建されたもの。

上述したように御神紋として七曜紋が至るところにあしらわれている。
これは千葉氏の流れを汲むという事だろう。境内社に福寿神社。

御祭神に倉稲魂命(稲荷神)・大黒天神・恵比寿神・菅原道真公をお祀りしている。
他に志志岐神社という珍しい境内社も。

対馬の「志々伎神社」から勧請されたという珍しい境内社で、安産の守護神とされている。
他に祖霊社が鎮座している。

少し面白いのが狛犬だろうか。

中々リアルな造形の狛犬なのだが、二対とも性器が精巧に造形されている。
両方とも雄のようで、性器まで精巧に造形された狛犬はちょっと珍しい。

御朱印は社務所にて。
オリジナルの御朱印帳も用意されていた。

所感

今は規模としては小さい部類なのだが、大変歴史のある古社。
江戸時代までは大変広大な敷地を有しており、この地で崇敬を集めたのだろう。
かつては鳥越山という丘になっていたようだが、江戸時代に埋め立て用に使われたため、現在はその姿を知る事はできない。
規模が小さくなっても、鳥越の地に残されたのは、それだけ当社がこの地にとって大事な鎮守だったからこそ。
現在も崇敬篤く、特に例大祭の鳥越祭でその様子を伺う事ができる。
鳥越祭で出る本社神輿は都内最大級の神輿で、お祭りも大変活気のあり、夜祭でも知られる。
下町らしさを感じる事のできる神社だと思う。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]

[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]



[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 福寿神社 ]

[ 祖霊社 ]

[ 志志岐神社 ]


[ 神楽殿 ]

[ 神輿庫 ]

[ 社務所 ]

[ 北側鳥居 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
スポンサーリンク
御朱印ブログランキング
投票する

にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ

フォローする

オススメ記事 by Google