上野東照宮 / 東京都台東区

5
台東区

神社情報

上野東照宮(うえのとうしょうぐう)

御祭神:徳川家康公・徳川吉宗公・徳川慶喜公
社格等:府社
例大祭:4月17日
所在地:東京都台東区上野公園9-88
最寄駅:上野駅・京成上野駅・根津駅
公式サイト:http://www.uenotoshogu.com/

御由緒

 1627年(寛永四年)、津藩主藤堂高虎と天台宗僧侶天海僧正により、東叡山寛永寺境内に家康公をお祀りする神社として建立され、1646年(正保三年)には正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。
 現存する社殿は1651年(慶安四年)に三代将軍・徳川家光公が造営替えをしたものでございます。
 その後戦争や震災にも倒れることなく、江戸の面影を現在に残す貴重な文化財です。
 東照宮は徳川家康公(東照大権現)をお祀りする神社で、全国各地にございます。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2019/11/06(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2017/02/15(御朱印拝受)
参拝日:2015/08/06(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:500円(通常)・700円(一部限定)
授与所にて。

※祭事や催事に応じて限定御朱印あり。
※ぼたん苑開催期間は牡丹の印、ダリア展開催期間はダリアの印が押される。
※以前は初穂料300円だったが現在は500円に変更。

[2019/11/06拝受]
(夢叶う光の夜)

[2019/11/06拝受]
(通常)

[2017/02/15拝受]
(ぼたん苑)

[2016/01/25拝受]
(通常)

御朱印帳

初穂料:2,000円
授与所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
紺を基調にして御社殿・唐門と昇り龍・降り龍の刺繍を施した御朱印帳。
白を基調としてカラフルな淡色の社紋を散らした刺繍の御朱印帳。
※以前は1,500円だったが現在は2,000円に変更。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

授与品・頒布品

交通安全ステッカー
初穂料:300円
授与所にて。

歴史考察

上野公園内に鎮座する絢爛豪華な東照宮

東京都台東区上野公園に鎮座する神社。
旧社格は府社で、東照大権現(徳川家康)のみならず、徳川吉宗・徳川慶喜も祀る。
正式名称は「東照宮」であるが、他との区別のために「上野東照宮」と称される。
徳川家光が造営した絢爛豪華な社殿や唐門が現存しており、その絢爛豪華さや歴史から「日光東照宮」「久能山東照宮」と共に三大東照宮に数えられる事もある程。
数多くの奉納灯籠を含め、国の重要文化財を多く有する神社となっている。

徳川家康が天海と藤堂高虎に残した遺言

社伝によると、寛永四年(1627)に創建と伝わる。

当宮の創建には徳川家康が残した遺言が深く関わっている。

元和二年(1616)、危篤状態であった徳川家康は、隠居していた駿府城(静岡県静岡市)に天海僧正と藤堂高虎を呼び出し、三人一処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言を残したと云う。

藤堂高虎(とうどうたかとら)
戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将・大名。
今治藩主(愛媛県今治市)、後に津藩(三重県津市)の初代藩主。
宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などなどを築城した築城の名人として知られる。
幾度も主君を変えており、最終的には家康に仕えた。
家康からは多大な信頼を受け「国に大事があるときは、高虎を一番手とせよ」と云うほどであったと云う。
天海(てんかい)
戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍して天台宗の僧。
南光坊天海や智楽院とも呼ばれ、諡号は慈眼大師(じげんだいし)。
家康の側近として、幕府の朝廷政策や宗教政策に深く関与し、江戸設計を主導し、多くの寺社を鬼門や裏鬼門に配置し、創建・遷座させた。
家康を神号を「東照大権現」として祀るようにしたのも天海によるもので、全国に数多くある家康公を祀る「東照宮」の基礎を作った人物とも云える。
家康が2人へ遺言を残した日が同年2月4日。家康は4月17日に薨去(逝去)している。

遺言の内容は、家康自らを信頼する藤堂高虎と天海と共に「三人一処」で祀ってほしいと云うものであった。

「寛永寺」境内に創建・三処権現と称される

寛永二年(1625)、天海が藤堂高虎などの下屋敷を使い「寛永寺」を開山。
京の都の鬼門を守護する「比叡山延暦寺」に対して、江戸の鬼門を守護する「東の比叡山」という意味で、山号を「東叡山寛永寺」とし、徳川将軍家の菩提寺とされた。

寛永寺(かんえいじ)
台東区上野桜木にある天台宗関東総本山の寺院。
徳川家光と天海によって徳川将軍家の祈祷所・菩提寺として創建され、江戸時代には天台宗の本山として強大な権勢を誇った。
現在の上野恩賜公園は殆どが寛永寺の敷地であった。
東叡山 寛永寺 公式ホームページ

寛永四年(1627)、「寛永寺」の整備によって法華堂・常行堂・多宝塔・輪蔵などが建立。
同年、家康から遺言を残された天海と藤堂高虎によって「寛永寺」の境内に当宮が創建。
当宮は「東照社」と称された。

当宮は「寛永寺」の境内に建立された家康公を祀る神社。社地はかつて藤堂高虎の下屋敷であった場所、「寛永寺」を開山したのは天海。このように遺言を残された2人の尽力によって創建された神社という事になる。

正保三年(1646)、朝廷より宮号を授けられて「東照宮」と改称。

三処権現(さんしょごんげん)
家康の遺言に「三人一処に」とあったように当時の御祭神は以下の3柱。
・東照神君(徳川家康)
・天海僧正
・藤堂高虎
そのため「三処権現」とも称された。
現在の御祭神は徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜の3柱に変更となっているが、現在も御朱印には当時の御祭神「東照神君・天海僧正・藤堂高虎」の文字が残されている。

徳川家光による絢爛豪華な社殿の造営

慶安四年(1651)、三代将軍・徳川家光が社殿などを改築。
金箔を多く使い使い絢爛豪華だった事から「金色殿」とも称された。
この社殿は現存していて国の重要文化財に指定。

この造替に際し約250基の灯籠が全国の大名から競うように奉納された。
こうした灯籠の多くも現存しており、中でも銅燈籠50基は国の重要文化財となっている。

徳川将軍家の威光を示した家光
家光は「日光東照宮」「芝東照宮」などの東照宮も絢爛豪華な社殿に造営・改築。
当宮の社殿を絢爛豪華に変えたのも、自分が慕った祖父である家康をより神格化させ徳川将軍家の威光を示すための一環だったように思う。
家光は当宮を改築し正遷宮が行われた数日後に薨去(逝去)しているため、死期が近かった家光に思うところがあったのかもしれない。
日光東照宮 / 栃木県日光市
世界遺産。東照宮総本社。四百年式年大祭。国宝多数の境内。奥宮・鳴龍。三猿・眠り猫。徳川家康。御朱印。御朱印帳。
芝東照宮 / 東京都港区
芝公園の一画に鎮座する芝東照宮。徳川将軍家の菩提寺「増上寺」に造営された安国殿が起源。徳川家光によって豪奢な社殿が造営。神仏分離で増上寺と分離。旧本殿は旧国宝に指定。三代将軍家光が植えた御神木の公孫樹。御朱印・道中安寧守。数多くの御朱印帳。

江戸切絵図から見る当宮と寛永寺

当宮の鎮座地は江戸の切絵図からも見て取れる。

(下谷絵図)

こちらは江戸後期の下谷・上野の切絵図。
右が北の切絵図となっており、「寛永寺」と当宮は図の右上に描かれている。

(下谷絵図)

反時計回りに90度回転(北を上に)して、当宮周辺を拡大したものが上図。

左下の大きな池は不忍池で、この一帯が全て「寛永寺」の境内。
周囲にも大変多くの子院を見る事ができる。
その中でも赤円で囲った「御宮」と記されているのが、「東照宮」の事ですなわち当宮。

文殊楼の左手、時の鐘の奥に当宮が鎮座していた。
当宮のほぼ隣にある「寛永寺」子院の「寒松院」が別当寺を担っていた。

この一帯が現在の「上野恩賜公園(上野公園)」で、上野公園の殆どはかつて「寛永寺」の境内であった。

上野戦争の戦火を奇跡的に免れる

慶應四年(1868)、上野戦争が勃発。

上野戦争(うえのせんそう)
幕末の戊辰戦争の戦いの1つ。
上野で彰義隊ら旧幕府軍と、薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戦い。

この際生じた火災で、「寛永寺」は根本中堂など主要な伽藍を焼失。
上野戦争によって多くの建造物が焼失した「寛永寺」境内において、当宮は戦火を免れている。

(東叡山文殊樓焼討之図)

明治七年(1874)に制作された、月岡芳年の『東叡山文珠樓焼討之図』。

上野戦争を描いており、当宮のすぐ前にあった「寛永寺」文殊楼での戦いを描いている。
こうした中、当宮が戦火を免れ現存しているのは奇跡的とも云えるであろう。

明治以降の歩み・当時の浮世絵と古写真で見る当宮

明治になり神仏分離。
「寛永寺」とは分離し独立した神社となる。

明治六年(1873)、府社に列した。
同年、太政官布達第16号により「上野公園」が東京府公園に指定。

明治維新後は徳川将軍家菩提寺であった「寛永寺」境内地の殆どが没収されていて、これが現在の「上野恩賜公園(上野公園)」となっていく。
上野恩賜公園 Ueno Park 公式ホームページ
上野恩賜公園

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当宮の鎮座地で、今も昔も変わらない。
上野公園や不忍池の文字も見え、既に東京府下一の公園であった上野公園は、今も昔もそう変わらないことも窺える。

明治四十四年(1911)、社殿は旧国宝に指定。

旧国宝(きゅうこくほう)
文化財保護法が施行された昭和二十五年(1950)以前の国宝。
文化財保護法施行以前の旧法では「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財は全て「国宝」と称されていた。(当宮の社殿は現在は重要文化財にあたる)

上野戦争の戦火を免れた当宮は、東京の名所として人気を博した。
明治の浮世絵や写真などでその姿を見る事ができる。

(東京名所圖繪)

明治十一年(1878)に三大歌川広重(初代歌川広重の門人)が描いた『東京名所圖繪』の中での「上野東照宮」を描いた一枚。

現存する金色に輝く唐門や社殿の様子が描かれている。
金色に朱が所々に入っていたようで徳川の葵紋も見る事ができる。

(上野東照宮積雪之図)

明治に活躍した浮世絵師・小林清親が明治十二年(1879)に当宮を描いたもの。

神仏分離後の当宮の参道を描いている。
今もなお現存する多くの灯籠、奥には当時は朱色で描いた唐門の様子が分かる。
これらが現存しているのは実に貴重な事であろう。

小林清親(こばやしきよちか)
月岡芳年、豊原国周と共に明治浮世絵界の三傑の一人に数えられた。
しばしば「最後の浮世絵師」「明治の広重」ととも評される人物。

浮世絵としてだけでなく写真としても残っているのが特徴。
状態によって分かりにくい写真もあるのだが紹介したい。

(実写奠都五十年史)

大正六年(1917)に日本仏教協会が出版した『実写奠都五十年史』に掲載された写真。

明治初年(1868)の「上野東照宮」の写真となっている。
まだ上野戦争直後の様子であると記されていて実に貴重。
黒つぶれしているため全体的に分かりにくいが、上野戦争の後で荒れた様子と、その中でも多くの灯籠や奥に社殿が無事に残っている事が確認できる。

(東京風景)

明治四十四年(1911)に小川一真出版部が出版した『東京風景』に掲載された写真。

現在とそう変わらぬ唐門や社殿の様子や参道の様子が伝わる。
参道を歩く当時の人々の服装からは和装の中にも、洋傘を持ち歩いていたりと、明治らしい文明開化の様子を窺う事もでき、とても貴重な一枚。

(東京府史蹟)

大正八年(1919)に洪洋社が出版した『東京府史蹟』で、東京府自らが編纂。

現在は唐門は閉じているが、かつてはきらびやかな唐門が開き、ここを通り社殿まで参拝できた事が分かり、細かな彫刻や銅燈籠などの姿も把握する事ができる。
その下には当時の拝殿内部の貴重な写真が置かれていて、絢爛豪華な様子が伝わる。

平成の社殿修復工事が行われるまでは、拝殿内部も一般公開されていたのだが、現在は文化財保護の観点から一般公開がされていないため、とても貴重な一枚。

明治以降は、上野戦争の戦火を免れ、徳川の威光を伝え当時の国宝の神社として、浮世絵や写真などの題材になるように、東京の中でも人気の観光地となっていた。

関東大震災や戦災も免れた修復前の姿・平成の修復工事

大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
東京の街が壊滅的な打撃を受ける中、当宮はまたしても焼失を免れている。

昭和二十年(1945)、東京大空襲でも当宮は焼失を免れる。
当宮にも爆弾が打ち込まれたものの、それが不発弾となり、社殿の倒壊は免れた。

江戸で起きた多くの災害、明治維新の上野戦争、大正の関東大震災、昭和の東京大空襲といった多くの災害・戦災を免れ奇跡的とも云える。

平成二十一年(2009)から平成二十五年(2013)まで社殿の修復工事が行われた。
当時の携帯撮りなので画質が悪くて申し訳ないが、こちらは2006年に参拝時の修復前の社殿。

金箔などがかなり剥げていて痛みも激しかった事が分かり、浮世絵などに朱色で描かれていたのは、金箔が剥げた様子であったのだろう。

老朽化していた社殿も、平成の修復工事によって「金色殿」と呼ばれた絢爛豪華な姿が蘇った。
平成二十六年(2014)、一般拝観が再開され現在に至っている。

境内案内

上野公園に鎮座・重要文化財の大石鳥居

かつての「寛永寺」境内を使用し造営された上野公園内に鎮座。
現在も数多くの名所が残る広大な上野公園の一画。
上野動物園のやや南に鎮座している。

上野公園内を進むと立派な石造りの大鳥居。
大鳥居は寛永十年(1633)に酒井忠世による奉納で、関東大震災でも少しも傾かなかった程。
国の重要文化財に指定されている。

酒井忠世(さかいただよ)
江戸時代初期の大名で、江戸幕府の老中や大老を務めた。
那波藩主(群馬県伊勢崎市)、伊勢崎藩主(群馬県伊勢崎市)、厩橋藩(群馬県前橋市)第二代藩主。

鳥居を潜るとここからは多くの石灯籠があり、その先に神門。
神門の先からは神域となり、長い参道と多くの奉納灯籠が並ぶ。

参拝可能時間
10月-2月は9:00-16:30まで。
3月-9月は9:00-17:30まで。
※当宮は拝観時間が決まっており、それ以外は閉門しているので要確認。

多くの石灯籠・重要文化財の銅灯籠・お化け灯籠

神門の手前にも奥にも数多くの石灯籠。
両脇に並ぶ多くの石灯籠は、200基以上。
その殆どが現社殿が造営された慶安四年(1651)に奉納されたもの。
諸大名が徳川将軍家への忠誠のために奉納したと云う事ができるだろう。

数多くの石鳥居の中に銅鳥居も見えてくる。
当宮にある銅鳥居は全48基。
いずれも諸大名からの奉納。
特に唐門両側の6基は紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より2基ずつ寄進されたもの。
これら銅燈籠の全てが国の重要文化財。

徳川御三家(とくがわごさんけ)
江戸時代に徳川氏のうち徳川将軍家に次ぐ地位を持っていた3家。
尾張藩の尾張徳川家・紀州藩の紀州徳川家・水戸藩の水戸徳川家。
いずれも始祖は徳川家康の子。

参道の先に手水舎。
その先が唐門・社殿となる。

参道途中に一対の狛犬。
参道を見下ろす大きな狛犬。
大正三年(1914)に奉納されたもので、酒井八右衛門作。

大鳥居の左手にはお化け灯籠
参道から外れてしまうが、大鳥居の左手には、通称「お化け灯籠」と呼ばれる灯籠がある。
寛永八年(1631)に大名・佐久間勝之が奉納したもので、通常の灯籠よりも数回りも大きく高さ6.8mもある石灯籠で、あまりに巨大な事から「お化け灯籠」と呼ばれるようになった。
「熱田神宮」(愛知県)、「南禅寺」(京都府)の大石灯籠と合わせて「日本三大石灯籠」の1つに数えられる。

絢爛豪華な唐門・左甚五郎の龍の彫刻

社殿の前には絢爛豪華な唐門が立つ。
慶安四年(1651)に造営され、現在は国の重要文化財。
綺羅びやかな金の唐門。
この唐門の柱内外の四額面には左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻がある。
美しい龍の彫刻。

左甚五郎(ひだりじんごろう)
江戸初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人。
日光東照宮」の眠り猫や、「秩父神社」の子宝・子育ての虎・つなぎの龍などが甚五郎作と伝えられている。

ここまでが拝観料無料で参拝できる範囲。
唐門の前に賽銭箱が置かれているので、ここまで参拝して終わる方が殆ど。

拝観料(500円)を支払うと唐門内部まで参拝可能

透塀内の社殿の前(唐門の内部)まで行く事が可能で、拝観料(500円)を支払って入場する形。
唐門の左手に授与所があり、その右手に拝観入口。
入場料を支払って入る形で、機会があればぜひこちらにも参拝して頂きたい。

拝観料と拝観時間
大人500円、団体400円(20名以上)、小学生200円。
10月-2月は9:00-16:00まで。
3月-9月は9:00-17:00まで。

透塀・上野の祖木とも云われる御神木の大楠

これより先は拝観料を払っての入場となる。

拝観料を支払い入ると、その先には美しい透塀(すきべい)と灯籠が続く。
この透塀も国指定重要文化財。
慶安四年(1651)に造営されたもの。
上段には野山の動物と植物、下段には海川の動物の彫刻が施されている。
その精微さはとても素晴らしく、この透塀の先に絢爛豪華な社殿となる。

透塀を潜る手前、左手に御神木である大楠。
樹齢600年以上の御神木。
幹の太さは上野公園一となっており、上野の祖木とも云われる楠。

強運開祖の栄誉権現社・狸を祀るパワースポット

透塀を潜らずに先に行くと境内社・栄誉権現社が鎮座。
御狸様とも呼ばれる境内社。
『松山騒動八百八狸物語』に登場する怪談・講談の四国八百八狸の総帥の刑部狸(ぎょうぶたぬき)を祀るとされる。

災いをもたらした刑部狸(ぎょうぶたぬき)
江戸時代に奉納された大奥で災いをもたらし追放され、その後も大名・旗本諸家を取り潰すような災いをもたらしたと伝えられ、大正時代になって当宮に遷座してから災いがなくなったと云う。
強運開祖の神・パワースポット
現在では「他を抜く(たぬき)」という事から強運開祖の神、さらに受験・就職・必勝の神として信仰を集めている他、パワースポットとして紹介される事も多い。
社殿内にはたぬきを模した姿。

「金色殿」と称された社殿・唐門の裏側

透塀を潜ると実に美しい絢爛豪華な社殿。
慶安四年(1651)に徳川家光によって造営されたものが現存。
旧国宝で現在の重要文化財となっており、正に絢爛豪華な姿。
かつては金箔が剥げたり痛みも激しかったが、平成の改修工事によって往年の姿を取り戻した。
この姿から「金色殿」とも呼ばれた社殿は、徳川の威光を伝えるもの。
豪華で精微な彫刻を至るところに見ることができる。
この社殿は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造り。
本殿や幣殿もご覧の通りの金ぴか仕様で、正に「金色殿」という異名が相応しい。

かつては拝殿が開いていて昇殿させて頂く事もできたのだが、現在は文化財保護の観点から内部は非公開となっている。

また透塀の中に入る事で、外側からしか見れなかった唐門を後ろから眺める事ができる。
外側よりも内側のほうがさらに絢爛豪華な彫刻が施されている事が分かる。
現在は閉門しているが、かつては開門されていてこの唐門を通り社殿にお参りできたと云う。
この唐門を潜る時の感動はいかほどの物であっただろうか。

社殿の右手にはきささげの木。
慶安四年(1651)の社殿造影時に雷除けの願いを込めて植えられたと伝えられており、樹齢は350年以上。

きささげは雷から社殿を守ると信じられていた。
拝観料を支払って拝観がオススメ
拝観料500円が必要であるが、御神木である大楠、強運開祖の栄誉権現社、国指定重要文化財の透塀・社殿・唐門をたっぷりと堪能する事ができる。
拝観料を支払ってまで入る方が殆どいないため、日や時間帯によっては長時間独占する事ができる一画となっており、拝観料を支払うだけの価値がある素晴らしいものとなっている。

ぼたん苑・広島長崎の火・上野動物園内にある五重塔

参道の左手には「ぼたん苑」が整備。(画像はぼたん苑開苑期間のもの)
昭和五十五年(1980)に、日中友好を記念して開苑したもので、500株以上の牡丹が咲き誇る。
「冬ぼたん」と「春ぼたん」の2シーズンに開苑となり、御朱印もぼたん苑開苑期間は、右下に牡丹の印が押される。

冬ぼたん
開苑期間:1月1日-2月下旬
開苑時間:9:00-16:30(入苑締切)
入苑料:大人700円・団体600円(20名以上)・小学生以下無料
春ぼたん
開苑期間:4月上旬-5月上旬
開苑時間:9:00-17:00(入苑締切)
入苑料:大人700円・団体600円(20名以上)・小学生以下無料
上野東照宮公式ホームページ : ぼたん苑
上野東照宮”。徳川家康を祀る神社で、ぼたんが有名で冬と春にぼたん祭が行われています。

参道右手には広島長崎の火。
広島市内に落とされた原爆によって家々が炎に包まれた時の種火を保存し、現在も灯し続けられている。

さらには神楽殿。
明治七年(1874)、深川木場組合が奉納したもの。

当宮境内ではないがその奥に五重塔を見る事ができる。
寛永八年(1631)、当宮の一部として「寛永寺」境内に建立された五重塔。
明治以降の神仏分離によって当宮からは分離され「寛永寺」の管轄となり、その後は東京都に寄付されたため、現在は東京都の管轄となっている。

上野動物園内からも拝観可能
現在は東京都が運営する「上野動物園」の園内に五重塔が現存する形。
上野動物園から綺麗に拝観する事ができる。(画像は上野動物園内からの撮影したもの。)
国の重要文化財に指定されている。

夢叶う光の夜・ライトアップイベント

2018年より秋に公開ライトアップイベント「夢叶う光の夜」が開催。

令和元年(2019)ライトアップイベント
11月2日-10日の間限定で第2回「夢叶う光の夜」が開催。
期間中は限定御朱印の授与も行われた。
以下は2019年の「夢叶う光の夜」の様子を紹介。

重要文化財の大鳥居。
社殿だけでなく鳥居などもライトアップされて美しく彩る。
多くの石灯籠と神門。
参道には数多くの行灯。
行灯にはそれぞれ浮世絵が施されている。
手水舎の水盤も美しくライトアップ。
神楽殿もモニュメントとライトアップ。

参道の先に煌々と輝く唐門と社殿。
綺羅びやかな様子が更に増す。
こうした美しい姿を見る事ができるのは貴重。
ライトアップされる事でさらに雅な印象を受ける唐門。

日中と同様に拝観料500円を支払う事で、唐門・透塀の内部に入ることも可能であった。
拝観料を支払うと頂ける手持ち提灯で、さらにキラキラと輝く。
スモークとライトアップされた御神木の楠。
強運開祖の栄誉権現社。

透塀を潜った先に美しい社殿。
日中も美しい社殿が、ライトアップされる事でより荘厳に。
徳川将軍家の威光を感じ取る事ができる。
こうしたライトアップイベントは貴重な体験なので、今後も継続してくれることを期待したい。

個性的な書体の御朱印・限定御朱印・御朱印帳

御朱印は授与所にて。
いつも丁寧に対応して下さる。

御朱印は中央の朱印に「藤堂高虎 東照神君 天海僧正」の文字。
個性的な崩し字で「上野東照宮」と記されている。

御朱印に記された三柱
家康の遺言に「三人一処に」とあったように当時の御祭神は以下の3柱。
・東照神君(徳川家康)
・天海僧正
・藤堂高虎
そのため「三処権現」とも称された。
現在の御祭神は徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜の3柱に変更となっているが、当時の御祭神の名をこうして御朱印に残している。

ぼたん苑開催期間は牡丹の印、ダリア展開催期間はダリアの印が押される。
こちらはぼたん苑開催期間の御朱印。

祭事や催事に応じて限定御朱印を用意する事もある。
こちらは上述したライトアップイベント「夢叶う光の夜」開催期間中に頂けた限定御朱印。

オリジナル御朱印帳も用意。
紺を基調にして御社殿・唐門と昇り龍・降り龍の刺繍を施した御朱印帳と、白を基調としてカラフルな淡色の社紋を散らした刺繍の御朱印帳の2種類。

所感

上野公園内に鎮座する東照宮。
かつては上野公園の敷地内はほぼ全て「寛永寺」の敷地であり、その「寛永寺」の一部として建立された当宮は、家光が造営させた社殿などが残る貴重な神社となっている。
江戸に数多くあった火災にも見舞われず、戊辰戦争では彰義隊と新政府軍による上野戦争があり、さらに関東大震災、東京大空襲など、上野公園周辺には多くの災厄があったにも関わらず、こうして現存している事は奇跡的とも云え、感激してしまうほど素晴らしいもの。
唐門の前までは無料で参拝できるが、拝観料を支払って是非、社殿を間近でご覧頂きたい。
東京を代表する一社であり、徳川将軍家の歴史を伝える貴重な神社である。

神社画像

[ 参道 ]


[ 大石鳥居 ]


[ 神門 ]


[ 参道・石灯籠 ]



[ 銅燈籠 ]


[ 手水舎 ]


[ 大鈴 ]

[ 銅燈籠 ]

[ 狛犬 ]


[ 唐門・拝殿 ]









[ 銅燈籠・透塀 ]




[ 絵馬掛 ]


[ 広島長崎の火 ]

[ 神楽殿 ]

[ 授与所 ]


[ 透塀 ]



[ 大楠(御神木) ]



[ 栄誉権現社 ]





[ 透塀 ]



[ 拝殿 ]







[ 本殿 ]


[ 唐門(裏側) ]







[ きささげの木 ]


[ お化け灯籠 ]


[ 境内案内図 ]

[ 案内板 ]


[ 五重塔(上野動物園内) ]

Google Maps

上野東照宮 / 東京都台東区

コメント

タイトルとURLをコピーしました