神田神社(神田明神) / 東京都千代田区

千代田区
  1. 神社情報
  2. 御由緒
  3. 参拝情報
  4. 御朱印
  5. 御朱印帳
  6. 授与品・頒布品
  7. 歴史考察
    1. 江戸総鎮守・神田明神
    2. 現在の大手町周辺に大己貴命を祀り創建
    3. 創建地近くに平将門の首塚(将門塚)が築かれる
    4. 将門の祟りを鎮めるために将門公を祀る
    5. 勝負の神として東国武将から崇敬を集める
    6. 徳川幕府によって現在地へ遷座・江戸総鎮守とされる
    7. 江戸設計を指導した天海・将門公に江戸を守護させる
    8. 江戸切絵図から見る当社
    9. 江戸名所図会に描かれた当社
    10. 数多くの浮世絵の題材となった神田明神
    11. 天下祭と呼ばれた江戸随一の神田祭
    12. 明治以降の歩み・政府が将門公を問題視
    13. 戦後の歩み・昭和後期に将門公が御祭神に復帰
  8. 境内案内
    1. 戦前の銅鳥居と再建された楼門
    2. 空襲を耐え抜いた鉄筋コンクリート造の社殿
    3. 御祭神であるだいこく様尊像・えびす様尊像
    4. 三天王と呼ばれた三社
    5. 数多くの境内社・古い奉納物
    6. 狛犬・獅子山や銭形平次の碑・国学発祥の碑など
    7. 御神馬あかりちゃん
    8. 多目的ホール・物販・飲食などを備えた文化交流館EDOCCO
    9. 地下道を通って向かう貴重な資料館
    10. 印刷と印判による見開き御朱印
    11. 御朱印帳・ラブライブやごちうさコラボ御朱印帳
    12. アニメ『ラブライブ!』の聖地・様々なアニメとのコラボも
    13. 江戸三大祭・隔年で神幸祭の「神田祭」
    14. 将門公の祟り・大手町にある将門塚
    15. 所感
  9. 神社画像
  10. Google Maps

神社情報

神田神社(かんだじんしゃ)
神田明神(かんだみょうじん)

御祭神:大己貴命・少彦名命・平将門命
社格等:准勅祭社・府社・別表神社
例大祭:5月15日に近い土曜(神田祭/隔年神幸祭)
所在地:東京都千代田区外神田2-16-2
最寄駅:秋葉原駅・御茶ノ水駅・末広町駅
公式サイト:https://www.kandamyoujin.or.jp/

御由緒

江戸東京で最も歴史のある神社
 社伝によると、天平二年(730)に御創建とあり、約1300年の歴史を持つ江戸東京の神社の中で最も古い神社の一つです。はじめは現在の千代田大手町の将門塚周辺に鎮座していました。その後、延慶二年(1309)に平将門公をご祭神としてお祀りいたしました。
 慶長八年(1603)、徳川家康公が江戸城に幕府を開き拡張する際、当社は社地を江戸城から裏鬼門の位置にあたる現在の地へ遷し幕府より御社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として幕府はもちろんのこと江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬を受けました。
 明治時代に入ると準勅祭社、東京府社として皇居・東京の守護神と仰がれました。明治七年(1874)、茨城県・大洗磯前神社より少彦名命をお迎えいたしました。さらに同年、明治天皇が親しくご参拝されました。
 平将門命は明治七年に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、その後、神職及び氏子総代をはじめとする氏子崇敬者の懇願により、昭和五十九年、再び神田明神の三の宮ご祭神に復座されました。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2019/05/09(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2019/02/14(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2018/02/14(御朱印拝受)
参拝日:2017/02/14(御朱印拝受)
参拝日:2016/01/25(御朱印拝受)
参拝日:2015/05/28(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2015/05/10(神田祭御輿宮入)
他多数

御朱印

初穂料:300円
文化交流館の授与所にて。

※2018年より印刷されたものを右に貼り、左に印を押す形に変更。(混雑時はどちらも別紙)
※以前は社名は墨書きだったが、2016年頃より印判での対応となった。

[2018/05/09拝受]
(令和奉祝神田祭)

[2018/02/14拝受]
(現御朱印)

[2018/02/14拝受]
(旧御朱印)

[2017/02/14拝受]
(東京十社めぐり御朱印帳)

[2016/01/25拝受]
(東京十社めぐり御朱印帳)

[2015/08/02拝受]
(旧御朱印)

御朱印帳

オリジナル御朱印帳
初穂料:1,000円
文化交流館の授与所にて。

オリジナルの御朱印帳を複数用意。
現在は紺色と赤色の2色展開。
筆者が授与して頂いた淡い水色と淡いピンクの2種類は廃盤。
東京十社専用の御朱印帳(1,500円)も用意。

[表面]

[裏面]

[表面]

[裏面]

[ 授与所掲示 ]

コラボ御朱印帳
初穂料:2,000円
特設授与所にて。

『ラブライブ!』『ご注文はうさぎですか??』コラボの御朱印帳(2,000円)も頒布。

[ 境内掲示 ]

授与品・頒布品

令和奉祝神田祭 手ぬぐい
初穂料:1,000円
特設授与所にて。


交通安全守護
初穂料:1,000円
文化交流館の授与所にて。

※交通安全用の御守やステッカーが一式セットになったもの。

歴史考察

江戸総鎮守・神田明神

東京都千代田区外神田に鎮座する神社。
旧社格は准勅祭社、その後に府社。
現在は神社庁の別表神社で、東京十社のうちの一社に数えられる。
江戸時代には徳川幕府より江戸総鎮守とされ崇敬を集めた。
正式名称は「神田神社」であるが、現在も古くからの「神田明神」と呼称する方が多く、当社も「神田明神」を称する事が多い。
当社の例大祭は江戸三大祭の一つ「神田祭」として大いに賑わう。
また近年ではTVアニメ『ラブライブ!』の聖地としても知られるだけでなく、秋葉原が氏子地域という事もあり、様々なアニメ作品とコラボを行っている事でも知られている。

現在の大手町周辺に大己貴命を祀り創建

社伝によると、天平二年(730)に創建と伝わる。

出雲系の氏族・真神田臣(まかんだおみ)が、武蔵国豊島郡芝崎村(現・千代田区大手町)に大己貴命を祖神として祀ったと云う。

大己貴命(おほなむちのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)の名でも知られる。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の使者に国譲りを要請され、武力交渉の末に、天津神に国土を献上した事から「国譲りの神」とも呼ばれる神。
国津神(天孫降臨以前より国土を治めていた土着の神)の最高神ともされ、古くから「出雲大社」の御祭神として知られる。
民間信仰によって「大国」が「だいこく」と読める事から、七福神でもある「大黒天(大黒様)」と習合していった。

当地周辺を開拓した出雲系氏族によって、出雲の神である大己貴命を祀り創建したとみられる。
現在も境内には大己貴命と習合した「大黒天(大黒様)」の像が置かれている。

創建当時は、現在の大手町にある「将門塚(平将門の首塚)」の近くに鎮座。
現在も「将門塚」には「神田明神旧蹟地」の幟旗があり、当社の旧鎮座地であった事が窺える。

創建地近くに平将門の首塚(将門塚)が築かれる

天慶三年(940)、承平天慶の乱(平将門の乱)にて平将門が討死。
朝敵として討たれた将門の首は平安京へ運ばれ、晒し首とされた。

平将門(たいらのまさかど)
平安時代中期の関東の豪族・桓武天皇の五世子孫。
下総国・常陸国で伯父の平国香・平良兼ら一族と将門との争いが発生し、一族の争いが、やがては関東諸国を巻き込む争いへ発展する事になり「平将門の乱」が勃発。
争いの延長でやむを得ず将門は国府を襲撃して印綬を没収、関東一円を手中に収め京の朝廷・朱雀天皇に対抗して「新皇(しんのう)」を自称し、独自に岩井(現・茨城県坂東市)に政庁を置いて東国(坂東)の独立を標榜した。
朝廷は将門を朝敵とみなし討伐軍を結成、天慶三年(940)2月14日、藤原秀郷・平貞盛らとの戦いで、飛んできた矢が将門の額に命中し討死。
将門の首は平安京へ運ばれ、晒し首にされた。獄門(晒し首)を歴史上で確認できる最も古く確実な例が将門である。

(芳年武者旡類 相模次郎平将門)

幕末から明治前期に活躍した浮世絵師・月岡芳年の「芳年武者旡類 相模次郎平将門」。相模次郎は将門が称した「名相馬小次郎」をもじったもの。将門の勇猛な戦いぶりを描いた。

その後の将門の首については様々な伝説が残る。
将門の首が平安京より持ち去られ、創建当時の当社近くに葬られたと伝わる。
これが現在も大手町に置かれている「将門塚(平将門の首塚)」であると云う。

将門の首塚伝説
古くから、将門の首は胴体を求めて白光を放って、将門が治めた関東を目指して空高く飛び去った、と云う伝説が残る。
飛び去った首は途中で力尽きて地上に落下したとされていて、各地に残る「将門の首塚伝説」はこうしたものによる。

この「将門塚」は、現在も東京都の旧跡として残されている。(詳しくは後述)
かつては盛土があり内部に石室があったため、将門の古墳であったとされている。

(江戸傅説)

上画像は大正十五年(1926)に刊行された佐藤隆三著『江戸傅説』より「将門塚」の写真。

盛土があり、古墳として崇敬されていた様子が伝わる。
この首塚は東国武将から崇敬を集めた。

この他、将門塚の近くには将門公を祀った「築土神社」が創建されている。
築土神社 / 東京都千代田区
平将門を祀る築土明神。日本武道館の氏神。正月期間限定の勝守。将門公に因んだ九曜紋や繋ぎ馬の神紋。平将門の首を祀り将門塚近くに創建。幾度も遷座を繰り返し、江戸時代は「筑土八幡神社」と並び立つ形に。江戸名所図会に描かれた当社。御朱印。

将門の祟りを鎮めるために将門公を祀る

将門塚が築かれた後、芝崎村では天変地異が頻発、疫病が広がったと云う。
そのため、芝崎村の人々は将門の祟りによるものと畏怖し続けた。

嘉元年間(1303年-1305年)、時宗の遊行僧・真教上人が当地を訪れた。
真教上人が、手厚く将門公の御霊を慰める供養を行うと、厄災が治まったとされる。

延慶二年(1309)、真教上人は近くにあった当社に将門公を祀り相殿神とした。
真教上人は、喜び感謝した村人の勧めもあって近くの「日輪寺」に住む事になり、天台宗「日輪寺」を時宗に改め念仏道場「芝崎道場」として、「日輪寺」は当社の別当寺を担った。

「日輪寺」は江戸時代以降は転々としており、現在は当社とは離れた台東区西浅草3丁目にある。

以後、当社は「神田明神」と称され崇敬を集めた。

神田の由来
「神田」の由来は諸説伝わっているため、代表的なのを以下に列挙。
・「伊勢神宮」に奉納する初穂を作る神の田圃「神田」から名づけられたという説。
・神社を創建した真神田氏の名から「神田」とした説。
・平将門の「からだ」がなまって「神田」、「からだの明神」が「神田明神」となったと云う説。
中でも平将門の「からだ」については、将門が本拠とした現・茨城県坂東市岩井の「延命院」の裏にある「胴塚」が由来とされている。首をはねられた将門の胴体は、「延命院」胴塚まで運ばれ埋められたと云い、この塚を「神田山」「将門山」と呼んだ。この岩井の神田山から「神田明神」が由来したとも伝わる。
延命院と胴塚 | 坂東市公式ホームページ
なお、茨城県坂東市岩井には将門終焉の地に、平将門の三女・如蔵尼が将門を祀った「國王神社(国王神社)」が鎮座しており、現在も当社と繋がりが大変深い。
國王神社(国王神社) / 茨城県坂東市
平将門終焉の地。県指定文化財・江戸時代に造営された茅葺屋根の社殿。御朱印は特別な日のみ授与。新皇を自称し朝敵となった平将門。将門の三女が33回忌で将門終焉の地に創建。坂東市の秋の風物詩・岩井将門まつり。平将門の史跡が多い坂東市岩井。九曜紋。

勝負の神として東国武将から崇敬を集める

中世には、将門公に勝利祈願をすると勝負に勝つと信仰され、東国武将からの崇敬を集めた。

将門は東国の英雄
平将門は、東国(関東)で「新皇」を自称し、東国の独立を標榜した「朝敵」として討伐された豪族であるが、関東では将門を英雄視する地域も多く、これは朝廷から重い負担を強いられ続けた東国の人々の代弁者として、将門を英雄視したのものとみられる。

戦国時代には、太田道潅や北条氏綱が深く崇敬したと云う。

太田道灌(おおたどうかん)
武蔵守護代・扇谷上杉家の下で活躍した武将。
江戸城を築城した事で広く知られ、江戸城の城主であり、江戸周辺の領主でもあった。
武将としても学者としても一流と評されるが、道灌の絶大なる力を恐れた扇谷上杉家や山内家によって暗殺されてしまったため、悲劇の武将としても知られる。
北条氏綱(ほうじょううじつな)
後北条氏第2代当主。
伊豆国・相模国を平定した北条早雲(伊勢盛時)の後を継ぎ、領国を武蔵国の半分・下総国の一部そして駿河国の半分にまで拡大させ、後北条氏の隆盛時代を作った武将。
「勝って兜の緒を締めよ」の遺言でも知られる。

こうした武将からの信仰は、徳川の世になるとより顕著となっていく。

徳川幕府によって現在地へ遷座・江戸総鎮守とされる

天正十八年(1590)、関東移封によって徳川家康が江戸入り。
慶長五年(1600)、家康は関ヶ原の戦いへ出陣する前に、当社に戦勝祈願を行っている。
以後、徳川将軍家より篤く庇護される事となる。

慶長八年(1603)、江戸城増築に伴い神田台(駿河台)へ遷座。

元和二年(1616)、現在の鎮座地へ遷座した。
当地は江戸城の鬼門にあたり、鬼門守護の神社として幕府によって社殿が造営。

鬼門(きもん)
艮(うしとら)の方角であり、すなわち北東の方角。
江戸城から見て当社は北東の方位にあったため、鬼門鎮護の神社、即ち江戸総鎮守の役割を担った。

以後、「江戸総鎮守」として徳川将軍家や江戸庶民から篤い崇敬を集めた。

江戸設計を指導した天海・将門公に江戸を守護させる

当社が江戸城の鬼門守護として当地に遷座されたのには、天海という僧が深く関与している。

天海(てんかい)
天台宗の僧であり、南光坊天海や智楽院とも呼ばれる。
江戸幕府初期の宗教政策に深く関与し、初代将軍・徳川家康から三代将軍・徳川家光の代まで側近として活躍した。

江戸設計の多くは彼が指導したものと云われている。
特に天海は鬼門との守護を重要視しており、江戸城の鬼門をいかに鎮護するかと考え、寺社を配置し、江戸を設計していった。

天海が建立した寛永寺
天海が鬼門を重要視した有名な話として、上野に「寛永寺」(徳川将軍家の菩提寺)を建立し、住職となったのだが、「寛永寺」は正に江戸の鬼門を守る存在であった。
京都の鬼門を守護する比叡山「延暦寺」に倣ったとされるため、東叡山「寛永寺」と名付けられた事からも、その役割が窺える。

当社の遷座もこの鬼門を鎮護するという考えから行われたものであり、裏鬼門の鎮護には当社同様に徳川将軍家が篤く庇護した「山王日枝神社」を配置したりと、天海が鬼門・裏鬼門の鎮護を非常に重視していたことが窺える。

山王日枝神社 / 東京都千代田区
皇城之鎮・皇居を鎮護する山王さま。東京十社。令和記念の復刻御朱印。可愛らしい猿の御朱印帳。徳川将軍家からの篤い崇敬・徳川歴朝の産土神。天下祭と呼ばれた山王祭。山王信仰の山王鳥居・神使の猿像。国宝刀剣の展示もある宝物殿。庚申の日。稲荷参道。

何故、当社を鬼門の位置に遷座させたのか。
他の数多くある神社ではなく「神田明神」が選ばれたのか。

それは当社が平将門が祀られている事と密接な繋がりがあると推測されている。
すなわち将門公の御霊に江戸を守護させていたと見る事ができる。

古来、朝廷に歯向かった朝敵とされていた将門公であるが、三代将軍・徳川家光の時代(天海はまだ側近として健在であった)に、勅使として江戸に下向した大納言烏丸光広が、幕府から将門公について色々と聞かされた結果、「将門は朝敵に非ず」との奏上を行っており、この事からも徳川幕府において将門公の御霊が大変重要な役割を担っていた事が窺える。

ここからは天海の宗教政策への推測になるが、朝廷に歯向かった将門公を江戸総鎮守に据える事で、江戸の幕政に朝廷を関与させない決意の現れだったのではなかろうか。

明暦三年(1657)、明暦の大火(振袖火事)で社殿が焼失。
寛文元年(1661)、第四代将軍・徳川家綱によって社殿を再建。

元禄十六年(1703)、火災で焼失も、すぐに徳川将軍家によって再建。
明和九年(1772)、明和の大火でも焼失するが、やはり徳川将軍家によって再建。

徳川将軍家が江戸総鎮守として当社を大変重要視していた事が窺える。

江戸切絵図から見る当社

当社の鎮座地は江戸の切絵図からも見て取れる。

(本郷湯島絵図)

こちらは江戸後期の本郷や湯島の切絵図。
右上が北の切絵図となっており、当社は図の左下に描かれている。

(本郷湯島絵図)

北が上になるように回転させ、当社周辺を拡大したものが上図。

「神田明神社」と記され、現在とあまり変わらない境内配置だった事が窺える。
周辺にも「湯島聖堂」や「妻恋稲荷」などが鎮座しており、現在も大切に維持されている。
明神下より下側の一画が現在の秋葉原電気街。

当社の北西に青円で囲った「藤堂秉之丞」という文字を見る事ができるが、これは後に新選組八番隊隊長となる藤堂平助の父とされる人物。藤堂平助は当社のすぐ近くが出生地だったと思われる。

江戸名所図会に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「神田明神社」として、見開きで描かれている。
境内の規模は現在とそう変わらない見事なもの。
描かれている楼門、社殿などは現存しておらず、現在あるのは戦後に再建したものにはなっているが、その配置などは当時も現在もそう変わらないのが特徴的。

(江戸名所図会)

境内を拡大したのが上図で、特に見晴らしのよかった男坂側に茶屋が立ち並び、境内には楊弓(ようきゅう)と記された一画が多くあった事が分かる。
楊弓とは小さな弓を使った的当ての遊戯場であり、境内が観光地としても大いに栄えていた様子が伝わってくる。

楊弓場には、矢を拾ったり客の応対をしたりする美人の「矢取り女」と呼ばれる女がおり、客の人気を集め、裏では娼婦の役目を果たす女が多かった。

数多くの浮世絵の題材となった神田明神

また、当社は浮世絵にも多く描かれている。

(名所江戸百景)

歌川広重による『名所江戸百景』の「神田明神」。

やや高台に位置している当社の東側からの景色で、日の出を描いている。
見晴らしが境内に茶屋や席などがあった事がよく分かる。

(東都名所)

同じく広重による『東都名所』に描かれた「神田明神」。

やはり裏門である男坂側の見晴らしがよく、多くの茶店が出ている。
常に賑わい江戸総鎮守として観光地としても人気であった。

歌川広重(うたがわひろしげ)
江戸後期を代表する浮世絵師。
『東海道五十三次』『名所江戸百景』などの代表作がある。
ゴッホやモネなどの印象派画家に影響を与え、世界的に著名な画家として知られる。

(江戸名勝図会)

二代歌川広重による『江戸名勝図会』。

やや引きで境内の様子がよく分かる一枚。
構図としては初代広重が描いたものを踏襲している。
参道に物売りの姿も見える。

(東都三十六景)

同じく二代広重による『東都三十六景』。

こちらは雪景色の境内を描いており、とても風流。
雪かきをする人々、傘をさす参拝者、当時の姿が目に浮かぶ。

二代目歌川広重(にだいめうたがわひろしげ)
『東海道五十三次』『名所江戸百景』などで代表される歌川広重(初代)の門人。
はじめは重宣(しげのぶ)と称していたが、安政五年(1858)に初代が没すると、広重の養女お辰の婿になり、二代目広重を襲名した。
広重の晩年の作品『名所江戸百景』にも参加し、一部は二代目の作とされている。

他にも多くの浮世絵が残されており、江戸総鎮守として江戸庶民からも崇敬を集めた当社は、江戸の名所であった。

天下祭と呼ばれた江戸随一の神田祭

当社の例祭は「神田祭」と呼ばれ、「江戸三大祭り」の1つに数えられた大祭。

江戸三大祭り
「神田明神」の「神田祭」
山王日枝神社」の「山王祭」
富岡八幡宮」の「深川祭」
山王日枝神社 / 東京都千代田区
皇城之鎮・皇居を鎮護する山王さま。東京十社。令和記念の復刻御朱印。可愛らしい猿の御朱印帳。徳川将軍家からの篤い崇敬・徳川歴朝の産土神。天下祭と呼ばれた山王祭。山王信仰の山王鳥居・神使の猿像。国宝刀剣の展示もある宝物殿。庚申の日。稲荷参道。
富岡八幡宮(深川八幡) / 東京都江東区
東京十社・深川の八幡様。江戸三大祭りに数えられる深川八幡祭り。江戸勧進相撲の発祥の地・横綱力士碑。徳川将軍家からの庇護と深川の発展。戦後に再建された立派な社殿と進む境内整備。浮世絵に描かれた深川八幡。江戸屈指の盛り場深川。御朱印。御朱印帳。

中でも、当社の「神田祭」と、「山王日枝神社」の「山王祭」は、江戸を代表する大祭で、隔年で交互に行われ両祭りは「天下祭」と称された。
この両社は江戸を守護する神社として、徳川将軍家から特に崇敬を集めたため、祭りの際には山車が江戸城に入って将軍に拝謁する事が許されていた。

天下の徳川将軍に拝謁できるため「天下祭」。

そうした神田祭の様子も『江戸名所図会』には大きく描かれている。


(江戸名所図会)

当時は隔年9月15日に行われていた神田祭。
見開きにて見事な山車の姿が描かれ「其名高く最も美観なり」と記されている。
8ページに渡り祭りの様子を描いている。
多くの山車が出て牛車の姿も見る事ができる。
大変な規模の祭りであった事が分かり、隆盛を極めた江戸を代表する祭りであった。

歌川広重が描いたと云う『絵本江戸土産』にも神田祭は描かれている。

(絵本江戸土産)

『絵本江戸土産』は広重の『江戸名所百景』の下絵にもなったと云われる作品。

色付けされており、神田祭の様子を俯瞰で見る事ができる。
立派な山車が出て、当時の活気をよく描いている。

こうした山車の一部は、当社の資料館にも保存。
こちらは神武天皇の山車。

明治以降の歩み・政府が将門公を問題視

明治になり神仏分離。
明治元年(1868)、准勅祭社に列する。

准勅祭社に指定された十二社のうち、東京23区内の神社十社が現在の「東京十社」となる。
東京十社 御朱印一覧
東京十社の「東京十社めぐり御朱印帳」と御朱印画像一覧です。専用の御朱印帳も紹介。東京十社についての歴史など詳しい説明も掲載しています。東京十社とは、昭和五十年に定められた東京23区内の10の神社。東京十社めぐりの参考になりましたら幸いです。

明治三年(1870)、准勅祭社は廃止。
明治五年(1972)、府社に列する。
同年、神仏分離の影響で「神田神社」へ改称。

明神というのは神仏習合の色合いが強いため改称されたが、今も「神田明神」と呼ぶ崇敬者のほうが多い。

明治七年(1874)、「神田明神」へ明治天皇の行幸が決定。
明治政府が天皇が参拝する神社に朝敵である平将門が祀られている事を問題視したため、将門公は「神田明神」の御祭神から外されてしまう。
代わりに少彦名命(えびす様)が茨城県の「大洗磯前神社」から勧請され、以後、将門公の御神霊は境内摂社に遷されたままとなっていた。

大洗磯前神社
大洗磯前神社

大正八年(1919)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
既に「神田神社」が正式名称であったが、当時の地図にも「神田明神」と記されているように、改称以後も「神田明神」として信仰を集めた。

戦前の当社の様子は古写真にも残されている。

(東京府史蹟)

大正八年(1919)に東京府によって刊行された『東京府史蹟』に掲載されている当社。

江戸時代の浮世絵に描かれた社殿がこちらであり、関東大震災で焼失前の様子が分かる貴重な一枚。

(東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖)

大正十一年(1922)に東京市公園課が出版した『東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖』。

この翌年に関東大震災で焼失してしまう社殿で、旧社殿と鬱蒼と生い茂った境内を見る事ができる。

大正十二年(1923)、関東大震災により当時の社殿が焼失。
昭和九年(1934)、鉄筋コンクリート造で再建。
戦時中は鉄筋コンクリートだった事で焼失を免れており、現存する社殿はこの時に再建されたもの。

戦後の歩み・昭和後期に将門公が御祭神に復帰

昭和二十年(1945)、東京大空襲により境内の多くが焼失。
しかしながら、鉄筋コンクリート造で再建された社殿は、僅かな損傷で焼失を免れた。

戦後になり境内整備が進み多くの建造物が再建。

昭和五十年(1975)、檜木造の随神門が再建。
『江戸名所図会』にも描かれていた楼門にかなり近い形で再建となった。

昭和五十九年(1984)、平将門公が本社の御祭神に復帰。
三之宮という形ではあるが、現在は本社の御祭神として祀られている。

将門公が復帰となったのは、昭和五十一年(1976)に将門公を主人公としたNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』が放映された事もあって、復帰への機運が高まった事による。

将門公を崇敬する人にとっては、当社の御祭神に復帰する事は念願であった。

平成十七年(2005)、神札授与所・参拝者控え所・休憩所を兼ね備えた鳳凰殿が建立。

平成三十年(2018)12月15日、鳳凰殿を建替し、授与所や多目的ホール・物販・飲食スペースなどを備えた「文化交流館EDOCCO」が境内に開館。

EDOCCO 神田明神文化交流館
神田明神創建千三百年記念事業 神田明神文化交流館 「EDOCCO」

境内案内

戦前の銅鳥居と再建された楼門

最寄駅は秋葉原駅で、秋葉原らしい町並みを抜けた先、徒歩数分の距離に鎮座。
表参道は「湯島聖堂」のほぼ向かいにあり、立派な銅鳥居は昭和五年(1930)に再建されたもの。
扁額と社号碑には「神田神社」の文字。
参道には美味しい甘酒を出す「天野屋」などお店が立ち並ぶ。

天野屋は、甘酒屋の老舗です。米と糀だけを使った手作り甘酒です。
弘化3年(江戸後期)から営業を続けている老舗&#123...

銅鳥居を潜った先には見事な檜木造の随神門。
昭和五十年(1975)、昭和天皇御即位50年の記念として建立されたもの。
江戸時代の頃の楼門に負けぬくらい立派なものとなっている。

随神門の手前、左手に手水舎。
随神門を潜る前にこちらで清める。

かつては随神門を潜った先に手水舎があったが、文化交流館建設のため現在の場所に移動した。

空襲を耐え抜いた鉄筋コンクリート造の社殿

社殿は昭和九年(1934)に再建されたものが現存。
鉄筋コンクリート造の社殿としては戦前の古いもの。
戦時中は境内に焼夷弾が落ちたにも関わらず戦火を免れた。
往年の社殿も朱塗であったため、現在も総朱漆塗の社殿。
権現造の社殿で、「平成の御造替事業」で塗り替えや修復が行われた。
戦前の社殿が現在も状態よく保存され続けている。

なお、境内の一画からは東京スカイツリーと共に見る事もできる。
またライトアップされた夜景も素敵なので、夜の参拝もオススメ。

神田祭に合わせて将門様御神像奉安
社殿内左にて平田篤胤が祀った平将門公の御尊像を特別に奉安。
2019年5月3日-期間限定(拝観時間:10時-16時)
神田祭特設サイト|イベント情報詳細
江戸三大祭および日本三大祭りの一つに数えられる、神田祭。二年に一度の開催で期間中は一帯の氏子町会や都心の企業や観光客も大いに盛り上がります。

御祭神であるだいこく様尊像・えびす様尊像

境内の左手には、だいこく様尊像。
石造りとしては日本一のだいこく像として建立されたもの。

当社の一之宮に祀られる大己貴命(おほなむちのみこと)は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の名でも知られ、「大国」が「だいこく」と読める事から「大黒天(大黒様)」と習合していった。

その右手奥には、えびす様尊像。
東京藝術大学学長・宮田亮平氏によって鍛金工芸技術で造られたもので、文化交流館の建立にあたって現在地に移動し、背景を松井守男氏の青をベースとした抽象画でコラボしている。

当社の二之宮に祀られる少彦名命は、恵比寿神と習合したところもあり、当社にえびす様尊像として建立された。(明治に将門公を御祭神から外した代わりに祀られた神である。)

三天王と呼ばれた三社

社殿の左手から裏手にかけては大変多くの境内社が並ぶ。
いずれも石鳥居と社殿が用意されており立派な造り。

それぞれに案内板が置かれ、御由緒なども記されているので、確認の上参拝するのがよい。

社殿の左手には「三天王」と呼ばれる建速須佐之男命(神仏習合時代は牛頭天王)を祀る三社。
江戸神社は、大宝二年(702年)に江戸に創建された「江戸最古の地主神」。
江戸を開拓した江戸氏の氏神として崇敬を集めた。
内部には千貫神輿と親しまれる神輿が置かれている。

江戸神社の一画には力石。
他にも句碑などが置かれる。

江戸神社の左手に大伝馬町八雲神社。
大伝馬町の御仮屋へ神輿を渡御していた。
小舟町八雲神社は、元は江戸城内にあり、小舟町の御仮屋へ神輿を渡御していた。

かつての牛頭天王社
三天王の天王とはかつての御祭神である「牛頭天王」に由来し、いずれも「牛頭天王社」と呼ばれていた。
当社が徳川幕府によって当地に遷座してくるより前に祀られていた地主神である。
牛頭天王はいわゆる八坂信仰と呼ばれる信仰であり、神仏習合の神であったが、明治以降は同一神とされたスサノオに置換えられた。

三天王の例祭は歌川広重の『絵本江戸土産』にも描かれている。

(絵本江戸土産)

『絵本江戸土産』は広重の『江戸名所百景』の下絵にもなったと云われる作品。

色付けされており、俯瞰で見る事ができる。
祇園御祭禮の幟が立ち、大変な賑わいであった。

(絵本江戸土産)

同じく『絵本江戸土産』に描かれた例祭の様子。
立派な神輿は江戸神社の社殿内にある千貫神輿。
このように祇園信仰である天王社は、「神田明神」と変わらぬくらい崇敬を集めた。

こうした境内社には古い天水桶などが残る。
小舟町の天水桶。
大伝馬町の天水桶など、いずれも江戸時代後期の奉納で歴史を伝える。

数多くの境内社・古い奉納物

三天王の左手に、魚河岸水神社。
日本橋に魚市場があった頃に市場の守護神・大市場交易神として当社境内に祀られたと云う。

社殿の裏手左に浦安稲荷神社。
その隣に鳳輦神輿奉安殿。
さらに右手に三宿・金刀比羅神社。
三宿稲荷神社と金刀比羅神社の合祀殿。
一画にある水盤は文化二年(1805)に奉納、安政三年(1856)に再建されたもので、千代田区指定有形民俗文化財。

さらに右手に末廣稲荷神社。
その右隣に日本画家・水野年方を顕彰碑。
その奥が裏参道となっている。
かつて女坂と呼ばれていた裏参道。

さらに右手に合祀殿。
籠祖神社・八幡神社・富士神社・天神社・大鳥神社・天祖神社・諏訪神社を合祀。
その隣が祖霊社となっている。

狛犬・獅子山や銭形平次の碑・国学発祥の碑など

拝殿前に一対の狛犬。
昭和八年(1933)に奉納された狛犬。
正面を向き睨みを効かせた力強い狛犬。

拝殿前右手に鉄製の天水桶。
弘化四年(1847)に奉納され、当時から知られていた川口鋳物(埼玉県川口市)によるもので、千代田区指定有形民俗文化財。

社殿の右手前には再建された立派な獅子山。
獅子山に乗る石獅子は、名工・石切藤兵衛が生涯で3つしか造らなかったものの中の1つ。
そのため幕末に関東三大獅子として奉献されたものとされている。
今上天皇陛下の御即位を奉祝してこうして獅子山として再建され、石獅子は千代田区指定有形民俗文化財。

社殿右手には、銭形平次の碑というものも置かれている。
野村胡堂による『銭形平次捕物控』の主人公である銭形平次が、当社界隈を舞台にしていた事によるもので、昭和四十五年(1970)に日本作家クラブが建立した。

銭形平次は架空の人物である。あくまで作中で当社界隈を舞台にしていた事を記念する碑。

その近くには国学発祥の碑。
国学の四大人の一人にも数えられる荷田春満が、初めて国学の教場を開いたのが、当社社家芝崎邸内であった事に由来する。

境内の右手には男坂。
浮世絵などで描かれる事が多かった。

御神馬あかりちゃん

境内には御神馬の姿も見る事ができる。
神幸号「あかりちゃん」と名付けられた御神馬。
当社のマスコット的存在として愛されている。
境内で散歩する姿も見る事ができ愛らしい。

なお、2016年には脱走して少し話題になった事も。
神田明神の御神馬「あかりちゃん」か? 東京都心をお馬さんが疾走する珍事がツイートされ話題に
ラブライバーもアイカツおじさんも騒然。

多目的ホール・物販・飲食などを備えた文化交流館EDOCCO

境内の左手には立派な文化交流館。
平成三十年(2018)12月15日に完成したばかり。
授与所や多目的ホール・物販・飲食スペースなどを備えた「文化交流館EDOCCO」としてオープン。

物販・飲食スペースには様々なものを販売。
「神社声援」でジャンジャーエール。
神田明神とこうじょう雅之氏コラボの「武人画 平将門Tシャツ」など様々なものを販売するだけでなく、多目的ホールやスタジオなども完備している。

EDOCCO 神田明神文化交流館
神田明神創建千三百年記念事業 神田明神文化交流館 「EDOCCO」

2019年4月20日-5月12日までは「文化交流館EDOCCO」にて『鈴木敏夫とジブリ展』を開催。
整理券配布など連日行列のできる人気展に。
様々な文化的な交流や展示会として今後も使用される。

スタジオジブリ約3年ぶりの東京展覧会が開催!「鈴木敏夫とジブリ展」
スタジオジブリ約3年ぶりの東京展覧会が開催! 鈴木敏夫とジブリ展。神田明神 文化交流館「EDOCCO」内 神田明神ホール 2019.4.20(土) ~2019.5.12(日) 開催!

地下道を通って向かう貴重な資料館

社殿左手には資料館。
平成十年(1998)に造られ、神田祭の資料や、当社の神宝なども展示している。

資料館
開館時間:10時-16時
拝観料:大人300円、学生200円、中学生以下無料

現在、この資料館に向かうには、文化交流館EDOCCOの地下から向かう必要がある。(拝観料は御朱印受付所で支払い)
地下へ向かうとスタジオやレンタル着物屋。
その奥に資料館への道のり。
奥が暗いが入ると自動的に照明がつく仕組み。

この奥がこれまで立ち入る事ができなかった地下通路。
昭和九年(1934)に現在の社殿が再建された際に地下通路も造られたそうで、それを再利用。
地下通路には当社を描いた浮世絵の数々。
眺めながら歩くだけでも楽しい。
拝殿近くの地下には松井守男氏の絵画が飾られている。
フランス政府より芸術文化勲章やレジオンドヌール勲章を受章した洋画家で、当社の文化交流館へ作品を奉納。

地下道の先は再び階段を上る。
ここからは本殿の脇を通るようにして資料館へ向かう。
普段は見ることができない当社の本殿のすぐ脇を通る事ができるのは有り難い。

資料館は主に2Fと3Fに展示物。
2F入ってすぐのところに、平将門公が崇敬をした妙見像。
将門公手彫りの像と伝えられている。

神田祭を再現したジオラマ。
現代の神田祭。
江戸時代の神田祭。

さらに『ラブライブ!』の聖地としても知られる当社だが、当社らしい数々のアニメ作品やゲーム作品とのコラボ歴史も展示。
『シュタインズ・ゲート』。
『えとたま』『ソードアート・オンライン』など、アニメファンでも楽しめるコーナー。

3Fにも貴重な品々。
NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』で使用された大鎧。
三宅蘭崖『平新皇将門公御真影』など、将門に関する資料も数多く展示。

貴重な地下道、多くの資料を楽しむ事ができるので、ぜひ資料館も利用してもらいたい。

印刷と印判による見開き御朱印

御朱印は文化交流館EDOCCO内の授与所にて。
EDOCCO内の1F右手が授与所になっていて御朱印の受付をして頂ける。

現在の御朱印は、印刷されたものを右に貼り、左に印を押す形。
印刷された紙には社殿の様子が写っており「神田大明神」の文字と個性的な形に。
こちらは令和奉祝(2019年)の神田祭の前後に授与された御朱印。

御朱印も色々と変化
当社の御朱印は基礎となる朱印部分は変わらぬものの、それ以外に色々と変化が見られる。
2015年当時は社名は墨書き(右下)だったが、2016年頃より印判(上)での対応となり、2018年には印刷(この時は社殿内部)と印判による見開きへと変更となっている。(いずれも現在は授与していない)

御朱印帳・ラブライブやごちうさコラボ御朱印帳

オリジナルの御朱印帳も用意。
筆者が頂いたのは淡い水色と桃色のものであったが、現在は紺色と赤色の頒布となる。
東京十社めぐりの御朱印帳も用意している。

東京十社」については下記を参照。
東京十社 御朱印一覧
東京十社の「東京十社めぐり御朱印帳」と御朱印画像一覧です。専用の御朱印帳も紹介。東京十社についての歴史など詳しい説明も掲載しています。東京十社とは、昭和五十年に定められた東京23区内の10の神社。東京十社めぐりの参考になりましたら幸いです。

アニメ作品とのコラボ御朱印帳も用意。
『ラブライブ!』とコラボした当社限定の御朱印帳。
『ご注文はうさぎですか?』とコラボした当社限定の御朱印帳。

アニメ『ラブライブ!』の聖地・様々なアニメとのコラボも

当社は秋葉原を氏子区域としている事もあり、アニメ作品などに登場する事が多い。
また神社側もそうした文化に対して大変柔軟な姿勢を持っている事もあって、若者からの人気も高い神社となっている。

特に有名なのが、TVアニメ『ラブライブ!』の舞台として登場した事であろう。
そのため、当社へ聖地巡礼するファンも多い。

ラブライブ!Official Web Site
サンライズ×ランティス×G'sマガジンが送り出す、新世代アイドルプロジェクト「ラブライブ!」の公式Webサイト。彼女たちの活動状況や、最新情報などはここでチェック!

当社もアニメ作品とコラボをしたりと積極的に取り組んでおり、平成二十七年(2015)の神田祭ではコラボ企画も開催。
当時は境内にこうしたポスターなどを見る事ができる。
2019年参拝時は『ラブライブ!サンシャイン!」劇場版の大ヒット祈願絵馬も。

平成二十九年(2017)の神田祭では『ソードアート・オンライン』とのコラボも実施。
こうした過去にコラボした作品などは、上述の資料館にも展示されている。

TVアニメ「ソードアート・オンライン」オフィシャルサイト
TVアニメ「ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld」2019年10月放送開始!

現在では多くのアニメ作品とのコラボを行っている。
『ご注文はうさぎですか?』コラボポスター。

検索結果
喫茶ラビットハウスにやってきたココア。実は、そこが彼女が住み込むことになっていた喫茶店で…。お店で出会う女の子たちも、クールでちっちゃいチノ、軍人気質なリゼ、おっとり和風な千夜、気品あふれる庶民派シャロと全方位からかわいさと笑いが炸裂!

令和元年(2019)の神田祭では『BanG Dream!(バンドリ!)』とコラボ。
こうして様々なアニメ作品などとのコラボで盛り上げる。

BanG Dream!(バンドリ!)公式サイト
アニメ、ゲーム、コミック、声優によるリアルライブなど様々なメディアミックスを展開する次世代ガールズバンドプロジェクトBanG Dream!(バンドリ!)公式サイト

境内の一画にはそうした幟やグッズ販売も多く見られる。
境内左手は、そうしたコラボグッズの販売所になっている。

当社の絵馬掛には、いわゆる「痛絵馬」と呼ばれる絵馬が多く掛けられている。
イラスト付きの絵馬が多く奉納されていて、こうしたアニメファンの聖地にもなっているのが特徴的。

こうした姿勢は賛否両論あるかもしれないが、個人的には神社らしさの一線を残したままであるのならば、新たな層を開拓するのは大賛成であり、当社はその一線を守ったまま、こうしたコラボや新しい層の開拓を積極的にやられていると感じる。

江戸三大祭・隔年で神幸祭の「神田祭」

当社の例祭は「神田祭」と呼ばれ、「江戸三大祭り」の1つに数えられた大祭であった。

江戸三大祭り
「神田明神」の「神田祭」
山王日枝神社」の「山王祭」
富岡八幡宮」の「深川祭」
山王日枝神社 / 東京都千代田区
皇城之鎮・皇居を鎮護する山王さま。東京十社。令和記念の復刻御朱印。可愛らしい猿の御朱印帳。徳川将軍家からの篤い崇敬・徳川歴朝の産土神。天下祭と呼ばれた山王祭。山王信仰の山王鳥居・神使の猿像。国宝刀剣の展示もある宝物殿。庚申の日。稲荷参道。
富岡八幡宮(深川八幡) / 東京都江東区
東京十社・深川の八幡様。江戸三大祭りに数えられる深川八幡祭り。江戸勧進相撲の発祥の地・横綱力士碑。徳川将軍家からの庇護と深川の発展。戦後に再建された立派な社殿と進む境内整備。浮世絵に描かれた深川八幡。江戸屈指の盛り場深川。御朱印。御朱印帳。

中でも、当社の「神田祭」と、「山王日枝神社」の「山王祭」は、江戸を代表する大祭で、隔年で交互に行われ両祭りは「天下祭」と称された。
この両社は江戸を守護する神社として、徳川将軍家から特に崇敬を集めたため、祭りの際には山車が江戸城に入って将軍に拝謁する事が許されていた。

天下の徳川将軍に拝謁できるため「天下祭」。

現在も「山王日枝神社」の「山王祭」と交互に神幸祭が行われている。
秋葉原の街などに神輿が威勢よく出る姿は壮観。
こちらは平成二十七年(2015)の神田祭の様子。
遷座400年奉祝を記念する神田祭とあって実に盛り上がっていた。

神田祭特設サイト|Home
「天下祭」として知られる神田祭は、元和年中までは船渡御であったと言われている。延宝年中までは毎年斎行されていたが、山王祭(千代田区・日枝神社)と隔年で斎行することになり、以後今日までに2年に一度斎行されることが恒例となった。
神田祭は奇数年
西暦の奇数年が神田祭の神幸祭と覚えておくとよい。
当社の神田祭は、京都「八坂神社」の祇園祭、大阪「大阪天満宮」の天神祭と共に「日本三大祭り」にも数えられる。

上述したように「神田祭」はアニメとのコラボも行われており、2015年は『ラブライブ!』、2017年は『ソードアート・オンライン』、2019年は『BanG Dream!(バンドリ!)』とコラボが行われた。

令和元年(2019)
天皇陛下御即位奉祝記念神田祭
5月9日(木) 19時 鳳輦神輿遷座祭
5月10日(金) 夕刻 氏子町会神輿神霊入れ
5月11日(土) 終日 神幸祭(神田、日本橋、大手・丸の内、秋葉原巡行)
5月11日(土) 15時 附け祭
5月11日(土) 16時 神幸祭神輿宮入
5月12日(日) 終日 神輿宮入
5月14日(火) 11時 献茶式表千家家元奉仕
5月14日(火) 18時 明神能・幽玄の花(金剛流薪能)
5月15日(水) 14時 例大祭
5月11日の神幸祭と、12日の神輿宮入が非常に盛り上がる。

将門公の祟り・大手町にある将門塚

当社の境外になり、当社からもやや距離があるものの、大変関係の深い「将門塚(まさかどづか/しょうもんづか)」についても当記事内で紹介させて頂きたい。

御由緒にあるように、当社の創建の地の近くに、平将門の首塚(将門塚)が築かれた。
現在の千代田区大手町1-2-1あたりとなる。
かつては盛土があり内部に石室があったため、将門の古墳であったとされている。

(江戸傅説)

「神田祭」の際には、将門塚に御神輿渡御や首塚奉幣の儀が行われ、当社や旧別当寺「日輪寺」、将門塚保存会が維持しており、当社と大変繋がりの深い史跡となっている。

古くから尊崇と畏怖とが入り混じった崇敬を受け続けてきており、「不敬な行為に及べば祟りがある」という伝承は、今も信じられている非常に有名な伝承。
現代においてもそういったエピソードはいくつも伝わっている。

  • 関東大震災後、将門塚の跡地に大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、早速整爾大臣の相次ぐ不審死が起こった事で、将門の祟りが噂されることとなり、仮庁舎を取り壊した。
  • 第二次世界大戦後、GHQが周辺の区画整理のため将門塚を破壊しようとした際、不審な事故が相次いだため計画を取り止めた。

このように将門塚を取り壊すような事態になると、関連する人々の中に死傷者が多く出る事件が起き、その度に将門公の祟りだと畏れられてきた経緯がある。
そのため実際に慰霊祭が行われたり、将門塚が残されるように陳情が繰り返された。

他にも多くの伝承が残るが、これらの多くはあくまで俗説ではあるものの、人々が将門公を畏怖して信仰してきた事を伝える証であろう。
現在も三井物産と三井不動産が、大手町の三井物産本社ビルなど3棟の再開発計画「大手町1丁目2地区計画」の概要を発表し再開発を行っているが、敷地の一画にある「将門塚」は計画に含めず、周囲は緑地にすると発表をしている。

2019年2月時の将門塚の様子。
周囲は再開発によって工事中。
しかし、将門塚はこうして大切に保護され維持されている。
工事期間中は屋根で保護する形になっていて、今でも周囲の人々に尊崇と畏怖が入り混じった崇敬を受け続けている事が伝わる。

今も多くの人々が将門塚に立ち寄る。
将門公を崇敬する人はもちろん、そうでなくても何かしらの気持ちを持って、訪れる人が後を絶たない。

将門塚の敷地内には蛙の置物が多く奉納されている。
将門の首が京から飛んで帰ったという逸話から「蛙=帰る」という言葉遊びから来たもの。
無事に帰ってこれるように、そんな願いを込めてお供えをされた蛙像。

将門塚の参拝方法
将門塚を参拝する際に、どういった作法で参拝するべきなのか悩まれる方も多いと思うが、当社によると、基本的には二礼二拍一礼の神社の作法で問題ないとの事。
もちろん仏式の合掌でも構わないようなので、各自崇敬の念をもって好きに参拝されるとよい。

将門公を崇敬する人にとっては欠かせぬ重要な地「将門塚」。
当社に参拝の折は、こちらまで足を伸ばしてみる事をオススメしたい。

維持には「史蹟将門塚保存会」が活動されているので、詳細は下記の公式サイトへ。

平将門公|将門塚保存会 |東京都千代田区大手町1-2-1
将門塚保存会は平将門公を顕彰し、公の神霊を慰め奉り、且つ将門首塚の保存を目的とする会です。将門首塚(将門塚)は、東京・大手町の三井物産ビルの東側にございます。千代田区大手町1-2-1 地下鉄大手町駅C5出口すぐ
なお、将門公を崇敬する当社を含めた一部氏子には、「成田山新勝寺へ参詣してはいけない」という禁忌が代々伝わっている。これは成田山「新勝寺」は、平将門の乱鎮圧のために建立されたという起源をもつ事からで、これは当社に関わらず、将門伝説の残る地には伝わっている事が多い。

所感

江戸総鎮守として崇敬を集め、今も人気の高い当社。
江戸時代に入ると、江戸総鎮守として幕府や江戸庶民から篤い崇敬を集めており、神田祭を始め、今も多くの史料にその名を見る事ができる。
いつ参拝に訪れても多くの参拝者で賑わう境内からは、今も昔も変わらぬ人気の高さを知る事ができる。
新しい層の開拓としてアニメとのコラボなども、うまくバランスを取ってやっているように思うし、秋葉原という地の利を活かした事で、素晴らしい事だと感じる。
氏子崇敬者はもちろんの事、アニメファンなども含め、それぞれの参拝者が楽しむ事ができるよう柔軟な姿勢で展開しており、幅広く崇敬を集める東京を代表する神社の一社。
現代の文化と融合を図る姿勢には頭が下がる。
また、現在の将門塚の近くに鎮座していた当社は、平将門公を祀る神社の代表的な一社としても崇敬を集めている。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]




[ 参道 ]


[ 随神門 ]



[ 手水舎 ]


[ 拝殿 ]








[ 本殿 ]



[ 狛犬 ]


[ 鉄製天水桶 ]


[ 記念碑 ]

[ 獅子山 ]





[ だいこく様尊像 ]

[ えびす様尊像 ]



[ 御神馬 ]





[ 絵馬掛 ]


[ 御籤掛 ]


[ 神楽殿 ]

[ 祭務所]

[ 石碑 ]

[ 魚河岸水神社 ]

[ 小舟町八雲神社]




[ 大伝馬町八雲神社]




[ 資料館 ]

[ 江戸神社 ]




[ 力石 ]


[ 句碑 ]


[ 鳳輦神輿奉安殿]

[ 浦安稲荷神社 ]

[ 三宿稲荷神社・金刀比羅神社 ]



[ 末広稲荷神社 ]


[ 顕彰碑 ]


[ 裏参道 ]


[ 氏子神輿庫 ]

[ 三之宮鳳輦奉安殿]

[ 石碑 ]


[ 合祀殿 ]


[ 祖霊社 ]

[ 古札納所 ]

[ 国学発祥の碑 ]

[ 銭形平次碑 ]




[ 明神会館 ]

[ 明神男坂 ]



[ さざれ石 ]


[ 大公孫樹 ]



[ 文化交流館EDOCCO ]



[ 案内板 ]


[ 銭形平次パネル ]

[ アニメコラボ ]





[ 将門塚(千代田区大手町) ]



















Google Maps

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