渋谷氷川神社 / 東京都渋谷区

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神社情報

渋谷氷川神社(しぶやひかわじんしゃ)

御祭神:素盞鳴尊・稲田姫命・大己貴尊・天照皇大神
社格等:村社
例大祭:9月16日
所在地:東京都渋谷区東2-5-6
最寄駅:渋谷駅
公式サイト:─

御由緒

 創始は非常に古く、慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとある。境内には江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡がある。東京都神社庁より)

参拝情報

参拝日:2016/05/11

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

渋谷氷川神社-1

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歴史考察

渋谷区南端一帯の鎮守

渋谷区東にある神社。
旧社格は村社で、旧下渋谷村・旧下豊澤村(現在の渋谷区南端一帯)の鎮守。
正式名称は「氷川神社」だが、他との区別のため「渋谷氷川神社」とさせて頂く。
かつては境内で「金王相撲」と呼ばれる大相撲が奉納されていたため、江戸郊外三大相撲として知られていた。

渋谷最古とされる神社

御創建は不詳ではあるのだが、渋谷最古の神社として伝えられている。

慶長十年(1605)に別当寺「宝泉寺」の住職貿園の記した「氷川大明神並宝泉寺縁起」を社伝としており、それによると日本武尊が東征の際に、当地に素蓋鳴尊を勧請したとある。
その後、弘仁年中(810年-824年)に、慈覚大師(円仁)が「宝泉寺」を開基し、それより「宝泉寺」が当社が別当となったとされている。

正徳三年(1712)に幕府に出した書上には「起立の年数知れ不申候」と見えている。
そのため、不詳ながらも江戸時代以前より当地に鎮座していた古社なのは間違いないと思われる。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、源頼朝や渋谷金王丸の伝説について触れられているが、そちらでは社伝が消失しているため詳細は不詳との注意書きがあり、後世に作られた伝承と見るのがよいかもしれない。

いずれにせよ、下渋谷村および下豊澤村の鎮守として崇敬を集めていたようだ。
この下渋谷村・下豊澤村というのは、現在の渋谷区南端一帯の地域であり、現在も広い範囲の氏子をもつ渋谷区を代表する一社であるだろう。
江戸時代には江戸七氷川のうちの一社に数えられている。

江戸名所図会に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

渋谷氷川神社国立国会図書館デジタルコレクションより)

「渋谷氷川明神社」と描かれた当社。
当時のこの一帯の風景が伺えるのだが、当時の渋谷は林や畑の多い、全く開けていない土地なのが分かる。
境内の前に流れるのは渋谷川であり、茂った森林の中にある社だったのが見て取れる。
現在とは社殿の向きが違うのが興味深い。

そして境内の左手には「土俵」の文字があり、絵としても土俵が描かれている。
これがいわゆる「金王相撲」として伝わる当社の相撲場である。

江戸郊外三大相撲である金王相撲

江戸時代の頃には、例祭日になると奉納相撲が行われていた。
上述の『江戸名所図会』にも描かれている、参道脇の土俵で大相撲が行われ、「金王相撲」と呼ばれ、江戸から様々な見物人が多く集まったという。

「金王」は、渋谷金王丸の伝説によるものだろう。
渋谷金玉丸とはお隣の氏子区域に鎮座する「金王八幡宮」の社名由来にもなった人物。
渋谷の地名由来となった渋谷氏の流れを汲む人物でやや謎が多い人物でもある。
他にも「鳩森八幡神社」など、渋谷地区では御由緒として登場する事が多く、当社の相撲もそこから「金王相撲」と呼ばれたものと思われる。

世田谷八幡宮」「大井鹿嶋神社」と共に、江戸郊外三大相撲として知られていた。

世田谷総鎮守。江戸郊外三大相撲の一社。境内の土俵や力石・奉納相撲。源義家(八幡太郎)による創建。世田谷城主・吉良頼康による再興。世田谷村の鎮守として発展。江戸時代に描かれた当宮。広く立派な境内・荘厳な社殿・綺麗な弁天池。御朱印。
大井村総鎮守。江戸郊外三大相撲。境外社に水神を祀るパワースポットの水神社。精巧な鎌倉彫の旧社殿が現存。鹿島立ち・交通安全の神。御朱印。

その名残で、現在も境内には土俵が置かれている。
参道脇が「氷川の杜公園」として整備されている児童公園になっているのだが、その一角に相撲場跡として土俵が存在している。image位置関係としては、『江戸名所図会』の土俵があった位置にあり、保存という観点でも素晴らしい事ではないだろうか。

神仏分離と戦後

明治になり神仏分離。
別当寺の「宝泉寺」とは分離し、当社は村社に列した。

昭和十三年(1938)に社殿を氏子の寄付によって正遷座。
第二次世界大戦の戦火を逃れたため、この社殿が現存している。
なお、旧社殿は江戸時代の建築であったのだが、現在の社殿が造営される際に「東玉川神社」に譲る形で移されており、そちらも現存している社殿となっている。

現在では渋谷区南端一帯の鎮守として崇敬を集めている。
ちなみに、恵比寿駅近くにある「恵比寿神社」は当社の境外末社(兼務社)という形になっている。

恵比寿の産土神。かつては天津神社・第六天と呼ばれた神社。恵比寿の地名由来はヱビスビール・区画整理により遷座と改称。恵比寿べったら市の起源。べったら市・福富くじ。「渋谷氷川神社」の境外末社。御朱印。

戦火を逃れた立派な社殿

渋谷駅からやや歩いた一角に鎮座する当社。image氏子地域には國學院大学があるため、学生が参道を通って通学する姿をよく見かける。
少し残念なのが通学路としての利用のため、参拝しないで素通りされる学生が大半だという事だろうか。

一の鳥居を潜り参道を通っていくと、左手は上述した金王相撲跡の土俵のある氷川の杜公園になっているのだが、真っ直ぐ参道を突き進むと石段の先には二の鳥居。
image上述の『江戸名所図会』にも一の鳥居と、石段の上に二の鳥居を見る事ができ、この辺の配置は江戸時代当時のままと言う事ができそうだ。

二の鳥居を潜って左手に90度曲がる形で社殿が見えてくる。
image参道から真っ直ぐ向いている訳ではなく横向きになっているのは、『江戸名所図会』とは違うところ。
昭和十三年(1938)に現在の社殿を正遷座した際に、この辺の配置転換があったものと思われる。
戦火を逃れた社殿は、重厚感のある立派な造りで素晴らしい。

境内社は社殿の右手に八幡神社と秋葉神社。
image『江戸名所図会』で見る位置関係的に元々はこの辺に社殿があったものと思われる。
さらに社殿と向かい合う形で厳島神社と稲荷神社が鎮座。
imageこの一角は現在工事中であったので、いずれ何か出来るのかもしれない。

御朱印は社務所にて。
女性の神職さんが対応して下さった。

所感

渋谷区南端一帯の鎮守である当社。
かつての渋谷は大変のどかな場所であり、町家などがほぼない一帯であった。
その後の渋谷地域の発展により、市街地や商業地、さらに國學院大學など様々な色を持つ氏子地域となっており、地域の鎮守として崇敬を集めている。
こうしてこの地に立派で広めの境内が維持できるのは、素晴らしい事だろう。
参道脇には土俵がありそちらは児童公園のような公園になっているため、そちらで過ごす家族連れや学生の姿なども見る事ができ、渋谷にありながらも、地域の鎮守としての懐かしさも残しており、良い神社だと思う。

神社画像

[ 社号碑・一の鳥居 ]
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[ 一の鳥居 ]
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[ 旧鳥居土台 ]
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[ 参道 ]
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[ 二の鳥居 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 社殿 ]
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[ 神楽殿 ]
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[ 社務所 ]
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[ 八幡神社・秋葉神社 ]
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[ 厳島神社・稲荷神社 ]
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[ 神輿庫 ]
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[ 北側鳥居 ]
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[ 西側鳥居 ]
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[ 神輿庫 ]
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[ 金王相撲跡・土俵 ]
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Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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