渋谷氷川神社 / 東京都渋谷区

神社情報

渋谷氷川神社(しぶやひかわじんしゃ)

御祭神:素盞鳴尊・稲田姫命・大己貴尊・天照皇大神
社格等:村社
例大祭:9月16日
所在地:東京都渋谷区東2-5-6
最寄駅:渋谷駅
公式サイト:─

御由緒

 創始は非常に古く、慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとある。境内には江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡がある。東京都神社庁より)

参拝情報

参拝日:2016/09/21
参拝日:2016/05/11

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

[2017/09/21拝受]

[2016/05/11拝受]

歴史考察

渋谷区南端一帯の総鎮守

東京都渋谷区東に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧下渋谷村・旧下豊澤村(現在の渋谷区南端一帯)の鎮守。
正式名称は「氷川神社」だが、他との区別のため「渋谷氷川神社」と呼ばれる事が多い。
渋谷最古の神社と伝えられており、江戸時代は「江戸氷川七社」のうちの一社に数えられた。
かつては境内で「金王相撲」と呼ばれる相撲が奉納されていたため、江戸郊外三大相撲の一社として知られていた。

渋谷最古とされる神社

社伝によると、景行天皇の御代(71年-130年)に創建とある。
日本武尊が東征の際、当地に素蓋鳴尊を勧請したと伝えられている。

当社の社伝は、慶長十年(1605)に、別当寺「宝泉寺」住職が記した『氷川大明神並宝泉寺縁起』を基としており、そちらに記されている。

弘仁年間(810年-824年)、慈覚大師(円仁)が「宝泉寺」を開基。
「宝泉寺」が当社の別当寺になったと云う。

この事から「渋谷最古の神社」とされている。

江戸時代の古い史料を見ると、当社の創建については他にも説が残る。

正徳三年(1712)に幕府に出した書上には「起立の年数知れ不申候」とある。
文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、源頼朝による創建との記述もある。

いずれにせよ、古社であったのは間違いない。

下渋谷村・下豊澤村の鎮守

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(下豊澤村)
氷川社
下渋谷村及当村の鎮守なり。神体木の立像にて本地は慈覚大師作の薬師、釈迦、阿弥陀、弁天、地蔵、大日、不動、十一面観音、毘沙門、各長一尺三寸なるを安す。当社は渋谷金王丸振興せし旧社なりと、或は右大将頼朝の勧請の社なりと云説あれど、今社傳を失ひたれば詳ならず。例祭は九月二十九日神輿を昇て両村を渡し、又角力を興行す。東叡山五世公弁法親王の筆、氷川大明神の五字一幅を社寶とす。
末社
太神宮山王天満宮稲荷疱瘡神合社。弁財天社。当社を正五九月三度の神事には仮に神楽殿とす。
常盤松(中略)
別當寶泉寺

下豊澤村の「氷川社」として記されているのが当社。
下渋谷村と下豊澤村の鎮守だった事が記されている。
これらは現在の渋谷区南端一帯であり、総鎮守として崇敬を集めた。
御神体は慈覚大師(円仁)作の木の立像と伝えられている。

更に、渋谷金王丸の伝承も残るとされる。
渋谷金王丸については、当社からも程近くその名が記された「金王八幡宮」に詳しい。

渋谷・青山の総鎮守。江戸時代に造営された社殿・神門。江戸三名桜の1つ金王桜。算額など無料展示している宝物館。時代小説『天地明察』の舞台。渋谷氏と渋谷城。渋谷の地名由来。社名由来の渋谷金王丸伝説。浮世絵に描かれた金王丸。御朱印。御朱印帳。

源頼朝による勧請説も記してあるが、いずれも社伝は失っているため、不明とある。

また、例祭になると「角力を興行す」と記されており、これが江戸郊外三大相撲と呼ばれた金王相撲であった。
当時は「常盤松」と呼ばれた立派な御神木があり、かなり詳しく記されている。こちらについては後述で詳しく触れたい。

江戸切絵図から見る当社・江戸氷川七社の一社に数えられる

下渋谷村と下豊澤村の鎮守であった当社であるが、当時の渋谷は、まだのどかな農村であった。

そうした様子は江戸の切絵図からも見て取れる。

(青山渋谷絵図)

こちらは江戸後期の渋谷・青山周辺の切絵図。
右上が北の切絵図となっており、当社は図の左下に描かれている。

(青山渋谷絵図)

図を回転(北を上に)させ、当社周辺を拡大したものが上図になる。
赤円で囲ったのが「氷川宮」と書いてある当社。
当社と共に「寶泉寺」が一緒に描かれており、これが当社の別当寺。

周囲が田畑・百姓地で囲まれており、のどかな農村だった事が伺える。

当社の北西にある「松平美濃守」は、徳川五代将軍・綱吉に寵愛された柳沢吉保の系譜である柳沢家の屋敷。

この頃には、江戸に鎮座する「氷川神社」を代表する「江戸氷川七社」のうちの一社に数えられた。

筆者不詳の古随筆『望海毎談』には「江戸氷川七社の一」と記されている事による。

不明な点も多いものの当社の他に「赤坂氷川神社」「麻布氷川神社」などが挙げられる。

東京十社・赤坂鎮守の氷川さま。徳川吉宗が造営した社殿が現存。江戸時代の情景が残る境内。浮世絵など江戸時代に描かれた当社。忠臣蔵との繋がり深い地。勝海舟が名付けた四合(しあわせ)稲荷。都内で2番目に古い狛犬・御神木の大銀杏。御朱印。御朱印帳。
麻布総鎮守。江戸氷川七社の一社。月替りの御朱印。浮世絵にも描かれた麻布一本松。徳川将軍家からの庇護。江戸時代の当社。セーラームーンに登場神社のモデル。コンクリート博士による現社殿。江戸時代の神楽殿や神輿庫。港七福神めぐり・毘沙門天。御朱印。

江戸名所図会に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「渋谷氷川明神社」と描かれた当社。
当時のこの一帯の風景が伺えるのだが、当時の渋谷は林や畑の多い、全く開けていない土地なのが分かる。
境内の前に流れるのは渋谷川であり、茂った森林の中にある社だったのが見て取れる。

(江戸名所図会)

当社境内を中心に拡大したのが上図。
現在とは社殿の向きが違うのが興味深い。

境内の左手には「土俵」の文字があり、絵としても土俵が描かれている。
これがいわゆる「金王相撲」として伝わる当社の相撲場である。

江戸郊外三大相撲である金王相撲

江戸時代の頃には、例祭になると奉納相撲が行われていた。

『江戸名所図会』にも描かれている、参道脇の土俵で行われた相撲は「金王相撲」と呼ばれ、江戸から様々な見物人が多く集まったと云う。

「金王」は、渋谷金王丸に由来する。渋谷金玉丸はお隣の氏子区域に鎮座する「金王八幡宮」の社名由来にもなった人物。他にも渋谷地区では御由緒に登場する事が多く、当社の相撲もそこから「金王相撲」と呼ばれたものと思われる。
渋谷・青山の総鎮守。江戸時代に造営された社殿・神門。江戸三名桜の1つ金王桜。算額など無料展示している宝物館。時代小説『天地明察』の舞台。渋谷氏と渋谷城。渋谷の地名由来。社名由来の渋谷金王丸伝説。浮世絵に描かれた金王丸。御朱印。御朱印帳。

世田谷八幡宮」「大井鹿嶋神社」と共に、江戸郊外三大相撲として知られていた。

世田谷総鎮守。江戸郊外三大相撲の一社。境内の土俵や力石・奉納相撲。源義家(八幡太郎)による創建。世田谷城主・吉良頼康による再興。世田谷村の鎮守として発展。江戸時代に描かれた当宮。広く立派な境内・荘厳な社殿・綺麗な弁天池。御朱印。
大井村総鎮守。江戸郊外三大相撲。境外社に水神を祀るパワースポットの水神社。精巧な鎌倉彫の旧社殿が現存。鹿島立ち・交通安全の神。御朱印。

その名残で、現在も境内には土俵が置かれている。
参道脇が「氷川の杜公園」として整備されている児童公園になっているのだが、その一角に相撲場跡として土俵が存在。

『江戸名所図会』の土俵があった位置と同じ位置に残されており、保存という観点でも素晴らしい。

常盤御前の伝説が残る御神木の常盤松

当社には古くから「常盤松」と呼ばれた御神木があり、名所であった。
そうした様子は『新編武蔵風土記稿』や『江戸名所図会』にも記されている。

以下に、『新編武蔵風土記稿』の常盤松の項目を詳しく記す。

(下豊澤村)
氷川社
(中略)
常盤松
廻一丈二尺余。傳へ云、左馬頭義朝の妾常盤の植し所にて、其色紙別当寶泉寺什寶として今に蔵す。計下に出せり。是よりして常盤の松と呼ならはせりと云。按に義朝か妾当国に下りしこと未所見なし。永禄の頃世田谷の城主吉良左兵衛頼康の妾に常盤と呼しものあり。衆妾に妬まれ、遂に世田谷村小橋の邊にて自殺せしかは、其橋を今に常盤橋と呼。又同郡馬引澤村八幡社、及若林村香林寺、弦巻村常在寺等にも此人のことを傳たり。且世田谷より当所は程近き所なれば、此松を植しは頼康か妾常盤なるへし。然るを義朝か妾の旧名なるを以てかく誤り傳へしならん。此樹下に萬代石と刻したる石あり。浪人斎藤定易建る所にて九十年程に及ふ。其子孫今松平備前守藩士なり。

当社の項目に付随して「常盤松(ときわまつ)」と記されており、これが当社の御神木であった。
常盤御前が植えたと伝承が残る松であったと云う。

常盤御前(ときわごぜん)は、源義朝(頼朝・義経の父)が寵愛した側室。
其の子に牛若がおり、後の源義経であり、義経の実母として知られる。

但し、『新編武蔵風土記稿』では、常盤御前が当地を訪れた記録がないため、永禄年間(1558年-1570年)の世田谷城主・吉良頼康の側室である常盤が植えたものであり、後世になって誤って伝えられものだと記している。

渋谷に縁の深い渋谷金王丸が、義朝の死を常盤御前に伝えた人物であると云う伝承が残っており、こうした事から常盤御前に繋がったのかもしれない。

(江戸名所図会)

『江戸名所図会』を見てみると、参道左手に「神木」「守武萬代石」の文字が見える。
これが常盤松の跡であり、現在の境内では神楽殿の後ろあたりになる。

既に常盤松は枯れていたようで、その傍らに「守武萬代石」と呼ばれる石と古株が残っていたと云う。
そのため描かれている御神木は、後に植えられたものであろう。

こうした当社の御神木としての伝承を持つ常盤松であるが、安政大地震以後に当社近くに移転してきた薩摩藩下屋敷にも立派な松の古木があり、「千両の値打ちが付くほどの銘木」と賞賛され、これも「常盤松」と呼ぶようになった。
戦時中に枯木となってしまったが、常磐松町という地名の由来となり、現在は常陸宮邸(常盤松御用邸)となっている。
当社の境内にあったと云う、常盤松が元祖である。

明治維新以後と戦後の歩み

明治になり神仏分離。
明治五年(1872)、村社に列した。

明治十二年(1879)、下豊澤村が下渋谷村に編入。
両村とも当社の氏子区域であり、当社は下渋谷村の鎮守として崇敬を集めた。

明治二十二年(1889)、市制町村制によって上渋谷村・中渋谷村・下渋谷村、麻布区の一部、赤坂区の一部が合併して渋谷村が成立。
当地は渋谷村下渋谷となる。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
下渋谷という地名や、常盤松という地名を見る事もできる。
こうした一帯の総鎮守として崇敬を集めた。

昭和十三年(1938)、社殿を改築。
第二次世界大戦の戦火を逃れたため、この社殿が現存している。

旧社殿は江戸時代の建築であったのだが、現在の社殿が造営される際に「東玉川神社」に譲る形で移されており、そちらも現存している社殿となっている。
東玉川鎮守。諏訪分・東玉川の歴史。渋谷氷川神社より移築された江戸初期の社殿。天井絵の火焔龍神像。親子龍の彫刻。御朱印。

現在では渋谷区南端一帯の鎮守として崇敬を集めている。
なお、恵比寿駅近くにある「恵比寿神社」は当社の境外末社(兼務社)という形になっている。

恵比寿の産土神。かつては天津神社・第六天と呼ばれた神社。恵比寿の地名由来はヱビスビール・区画整理により遷座と改称。恵比寿べったら市の起源。べったら市・福富くじ。「渋谷氷川神社」の境外末社。御朱印。

境内案内

緑豊かな境内・人の往来の多い参道

最寄駅である渋谷駅からやや歩いた一角に鎮座する当社。
渋谷区の立地にありながら約4,000坪の緑豊かな境内を維持しており、境内全域が渋谷区の保存樹林となっている。

当社の境内の裏手には國學院大学があるため、学生が参道を通って通学する姿をよく見かける。
そのため通学路として参道を利用する学生が多いため、人の往来の多い参道なのが特徴。

社号碑の奥に一之鳥居。
現在の一之鳥居の手前に、古い鳥居土台跡があるため、かつては現在よりも手前に鳥居があったようだ。
一之鳥居には「氷川神社」と記された古い扁額がかかる。

真っ直ぐ参道を突き進むと石段。
石段の先には二之鳥居。
『江戸名所図会』にも一之鳥居と、石段の上に二之鳥居を見る事ができ、この辺の配置は江戸時代当時のままと云えるであろう。

二の鳥居を潜って左手に90度曲がる形で手水舎。
その奥に社殿となる。

戦火を免れた立派な社殿

参道から左手に90度曲がった先に社殿。
昭和十三年(1938)に改築された社殿。
戦火を免れており、その後も改修されつつ状態よく維持されているのが伺える。
立派で重厚感のある社殿で、氏子崇敬者の気持ちが伝わる。

かつては、参道の正面に社殿が置かれていたが、現在の社殿を正遷座した際に、この辺の配置転換。
参道正面には「本殿御敷地旧趾」の石碑が残っていて、かつてはこの位置に社殿が置かれていた事が分かる。

4つの境内社や神楽殿など

境内社は社殿の右手に秋葉神社。
その隣に八幡神社。
『江戸名所図会』で見る位置関係的に元々はこの辺に社殿があったものと思われる。

さらに社殿と向かい合う形で稲荷神社。
その隣に厳島神社。
江戸時代の頃に弁財天社と記されていたのがこちら。

江戸時代の頃は、現在の神楽殿の位置に鎮座しており、例祭になると仮の神楽殿の役割を果たしたと云う。

社殿の手前左手には神楽殿。
現在はないものの、かつてはこの神楽殿の奥に、御神木である常盤松があったとされている。

御朱印は社務所にて。
いつも丁寧に対応して下さる。

参道脇の氷川の杜公園には金王相撲跡の土俵

参道の左手には金王相撲跡の土俵のある氷川の杜公園。
この公園内にかつての金王相撲跡を残す土俵が置かれている。
江戸時代の頃に土俵があった位置と同じ位置に整備されているのが喜ばしい。

氷川の杜公園の開園時間
4月-10月:8時-18時
11月-3月:8時-17時

児童公園になっているため、小さなお子様と親で訪れている姿をよく見かけ、地域の方々に親しまれている。

所感

渋谷区南端一帯の総鎮守である当社。
かつての渋谷は大変のどかな農村であり、現在とはかなり様相の違う光景であった。
その後の渋谷地域の発展により、市街地や商業地、さらに國學院大學など様々な色を持つ氏子地域となっており、地域の鎮守として崇敬を集めている。
こうしてこの地に立派で広い境内が維持できるのは、素晴らしい事だろう。
金王相撲や常盤松の伝承など、古くからの当地の歴史を伝える境内。
参道脇の氷川の杜公園では家族連れが遊んでおり、参道は通学路として利用する学生の姿も多い。
渋谷にありながらも、地域の鎮守としての懐かしさも残しており、良い神社だと思う。

神社画像

[ 社号碑・一の鳥居 ]

[ 一之鳥居 ]



[ 旧鳥居土台 ]
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[ 参道 ]



[ 二之鳥居 ]


[ 狛犬 ]


[ 手水舎 ]


[ 拝殿 ]






[ 本殿 ]

[ 神楽殿 ]

[ 社務所 ]

[ 蔵 ]

[ 秋葉神社 ]

[ 八幡神社 ]

[ 石碑 ]

[ 厳島神社 ]

[ 稲荷神社 ]


[ 神輿庫 ]

[ 北側鳥居 ]

[ 案内板 ]

[ 西側鳥居 ]

[ 狛犬 ]


[ 金王相撲跡・土俵 ]

Google Maps

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