幡ヶ谷氷川神社 / 東京都渋谷区

 神社情報


幡ヶ谷氷川神社(はたがやひかわじんじゃ)

御祭神:素盞嗚尊・奇稲田姫命

社格等:村社
例大祭:9月24日

所在地:東京都渋谷区本町5-16-2
最寄駅:幡ヶ谷駅・中野新橋駅・西新宿五丁目駅・初台駅
公式サイト:─

 御由緒

 幡ヶ谷は、その大半以上が幕府直轄の地であったために、宗教取締も厳重に行われていたに相違ない。そのために総ての住民が産土神氷川神社を中心として団結し、村の信仰の一つとして象徴としていた。

(※東京都神社庁より)

 参拝情報

参拝日:2015/10/11

 御朱印

初穂料:300円

社務所にて。

幡ヶ谷氷川神社




 考察

 幡ヶ谷村の総鎮守

渋谷区本町に鎮座する神社。
旧幡ヶ谷村の総鎮守であり、旧社格は村社。

正式名称は「氷川神社」だが、他との区別のため「幡ヶ谷氷川神社」とされる事も多い。

 幡ヶ谷は幕府の直轄地

創建は不詳であるが、永禄年間(1558年-1570年)の小田原北条家文書に記載されている事から、戦国時代には創建されていたものと推測できる。
幡ヶ谷一帯は、戦国時代には小田原北条氏が関東一円を掌握した時期の小田原分限帳であった。
この周辺には「氷川神社」の数が比較的多いため、詳しい記録は残っていないものの、当地に住む人々・北条家家臣などによって氷川信仰の総本社「武蔵一宮 氷川神社(大宮氷川神社)」から勧請されたと見るのが自然であろう。

その後、小田原北条氏が滅ぶと、その領地は徳川家康の領地となる。
そのため小田原北条氏の領地であった幡ヶ谷一帯は、そのまま徳川家に引き継がれる事となる。
江戸幕府が開かれるに当たり幡ヶ谷はその大部分が幕府の直轄地となっていたため、幕府直轄地の幡ヶ谷村総鎮守として崇敬を集めていた。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(幡ヶ谷村)氷川社
村の鎮守なり、荘厳寺持。

記載されている文章はこれだけであるが、この事から旧幡ヶ谷村の総鎮守だった事が分かる。
さらに「幡ヶ谷不動尊」の名でも知られる「荘厳寺」が別当寺となっており、共に幡ヶ谷の信仰の中心地だったのだろう。

明治に入ると神仏分離で別当寺とは分離、村社に列している。
旧幡ヶ谷村の総鎮守として、現在は本町・幡ヶ谷・笹塚といった地域の氏神様となっている。

 戦後再建の社殿

当時の社殿は昭和二十年(1945)の戦災で焼失。
昭和三十一年(1956)に再建され、これが現在の社殿となっている。

境内社は稲荷神社・厳島神社・榛名神社・大鳥神社の四社。

目立たないのだが社殿左奥、駐車場奥の一角に並んでいる。

御朱印は社務所にて。
丁寧に対応して頂いた。

 所感

幡ヶ谷の鎮守として崇敬される当社。
交通の便がそこまで良いとは言えず、特に公共機関を使った場合は、いずれの駅からも徒歩15分前後の距離にある。
さらに細い路地が入り組んだ住宅街に鎮座しているため、土地勘がないと迷う場所だろう。
規模としては地域の氏神神社らしい規模であるが、地域の方に崇敬されているのが伝わってくる。
こういった場所ながら、この日も参拝中に何人もの方が熱心に参拝されており、地域の氏子衆なのが分かる。
幡ヶ谷一帯の信仰を、別当寺だった「荘厳寺(幡ヶ谷不動尊)」と共に集めており、現在もそれがよく分かる氏神神社である。

 Google Maps


 神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]

[ 参道 ]

[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]

[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]

[ 御神木 ]

[ 境内社 ]

[ 神楽殿 ]

[ 社務所 ]

[ 南西側鳥居 ]

 Google Maps


    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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