猿楽神社 / 東京都渋谷区

渋谷区

概要

代官山ヒルサイドテラスの猿楽塚に鎮座

東京都渋谷区猿楽町に鎮座する神社。
神社本庁に属さない単立神社。
代官山の複合施設・代官山ヒルサイドテラス内に鎮座。
鎮座地は古墳時代末期の円墳の上にあり古墳は「猿楽塚」と称され、これが猿楽町の地名由来。
大正時代に一帯の地主であった朝倉家が古墳の一部を壊し庭園整備を進めたところ、当主と棟梁が原因不明の病に伏したため、古墳の上に社を建立して猿楽様として祀り創建。
朝倉家によってヒルサイドテラスが建設された後も古墳や当社は残され、現在も朝倉家一族や近隣の人々によって崇敬を集めている。
2021年10月よりアートプロジェクト「KAMIZU(かみづ)」の授与品頒布を開始。

神社情報

猿楽神社(さるがくじんじゃ)

御祭神:天照皇大神・素戔嗚尊・猿楽大明神・水神・笠森稲荷
社格等:─
例大祭:2月18日・11月18日
所在地:東京都渋谷区猿楽町29-9
最寄駅:代官山駅・中目黒駅
公式サイト:─

御由緒

 古よりこの地に南北に並ぶ二基の古墳があり。北側に位置する大型墳を猿楽塚と呼称している。この名称は、江戸時代の文献「江戸砂子」「江戸名所図会」等にも見られ、我苦を去るという意味から、別名を去我苦塚と称したとも言われている。六~七世紀の古墳時代末期の円墳と推定され、都市化その他の理由により渋谷区内の高塚古墳がほとんど煙滅したなかで、唯一現存する大変貴重な存在であり、昭和五十一年三月十六日に渋谷区指定文化財第五号に指定された。
 この地に移住する朝倉家は戦国時代からの旧家であり、遠祖は甲州の武田家に臣属し、後に武蔵に移り、中代より渋谷に住み、代々、無比の敬神家として、渋谷金王八幡宮と氷川神社の両鎮守への参拝を常とし、また氷川神社改建の折にも尽力している。
 朝倉家では、大正年間に塚上に社を建立し、現在、天照皇大神、素戔嗚尊、猿楽大明神、水神、笠森稲荷を祀り、二月十八日、十一月十八日を祭礼日と定めて、建立以来、一族をはじめ、近隣在郷の信仰を集めている。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2021/12/07

御朱印

初穂料:─
ヒルサイドテラスE棟1階管理事務室にて。

※アートプロジェクト「KAMIZU(かみづ)」の参拝記念スタンプ。
※御朱印帳にご自由にセルフで押印する形。

授与品・頒布品

お守り
初穂料:500円
ヒルサイドテラスE棟1階管理事務室にて。

※アートプロジェクト「KAMIZU(かみづ)」の授与品を複数用意。(詳細は公式サイトにて)

歴史考察

古墳時代末期の円墳・猿楽塚

社伝によると、大正九年(1920)に創建したと云う。
「猿楽塚」と称された古墳時代末期の円墳の上に社を建立し「猿楽様」として創建された。

猿楽塚(さるがくづか)
古墳時代末期・6-7世紀の円墳。
当時の権力者を埋葬した円墳と推定されている。
2基の築山が並んでいて、このうち高さ5mほどの大型のものを 「猿楽塚」と称した。
渋谷区内に残る唯一の高塚古墳で渋谷区指定文化財となっている。
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/bunka/spot/meisho/kubunka.html#sarugakuzuka
当地を含む代官山周辺の町名「猿楽町」の地名はこの猿楽塚に由来。
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/kusei/ku/uraig.html

我が苦を去るで去我苦塚・江戸名所図会にも記載

当社が鎮座する「猿楽塚」は「去我苦塚(さるがくつか)」とも記された。
天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』にその旨が記されている。

(江戸名所図会)

赤く囲った箇所が「猿楽塚」についての記載。
「去我苦塚」と記してある事が分かる。

我が苦を去る塚
渋谷の長者がこの近辺の人々と語らいこの塚で酒宴を催したと云う。
すると苦しい事が去った事から「去我苦塚」と称した。
「去我苦塚」が転じて「猿楽塚」になったものと見られる。

渋谷の長者とはおそらく当地の地主であった朝倉家の事であろう。

敬神家だった大地主の朝倉家

当地の地主となったのは朝倉家。
戦国時代からの旧家で甲州の武田家に仕えた武士であったと云う。
後に当地へ移り住み一帯の地主となった。

江戸時代末期には水車も所有。朝倉徳次郎の代になると米穀問屋・精米業を営み、明治にかけて多くの利益を上げた。朝倉家は周辺の土地を買い集め大地主となったとされる。

明治三十七年(1904)、朝倉徳次郎の養子となった朝倉虎治郎は渋谷町会議員に推挙される。
後に東京府会議員にも選出され、東京府会郡部会議長・同府会議長・渋谷区会議長等を歴任。

朝倉家は代々敬神家として知られ「金王八幡宮」「渋谷氷川神社」への参拝を常とした。

金王八幡宮 / 東京都渋谷区
渋谷・青山の総鎮守。社名由来となった渋谷金王丸の伝説。春日局からの崇敬。江戸時代に造営された社殿・神門。江戸三名桜の1つ金王桜・満開の金王桜。『天地明察』の舞台。算額など無料展示の宝物館。渋谷地名由来。御鎮座930年切り絵御朱印。御朱印帳。
渋谷氷川神社 / 東京都渋谷区
渋谷区南端一帯の総鎮守。毎月15日はいいご縁の日・縁結び御朱印・縁結び祈願祭。縁結び御朱印帳・縁むすび書き置き御朱印帳。細工御朱印。江戸七氷川の一。渋谷最古の神社。江戸郊外三大相撲の金王相撲と土俵。戦前の社殿。江戸時代の狛犬。広い境内。
金王八幡宮」は渋谷・青山の総鎮守。「渋谷氷川神社」は旧下渋谷村・旧下豊澤村(現在の渋谷区南端一帯)の鎮守。両鎮守へ崇敬篤く「渋谷氷川神社」の社殿改築の際にも尽力している。

「猿楽塚」を含む猿楽町一帯の大地主が朝倉家であった。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲ったのが当社(猿楽塚)のある場所。
当時はまだ田畑も多かった代官山周辺の地図。
猿楽の地名も見る事ができ、これが現在の猿楽町となっている。

猿楽町の由来は猿楽塚。

大正時代に旧朝倉家住宅が建造される

大正八年(1919)、朝倉虎治郎によって当地に旧朝倉家住宅が建造される。
この建造物は現存していて国の重要文化財に指定。

お探しのページは見つかりません | 渋谷区ポータル
旧朝倉家住宅(きゅうあさくらけじゅうたく)
宅地北側に木造2階建ての主屋が建ち、西に土蔵、東に庭門や附属屋(車庫)を有する。
主屋は明治時代から昭和三十年頃までに建設された大きな邸宅の特徴を顕著に残しており、国の重要文化財に指定。(現在は文部科学省が所有)
また庭園は崖線という地形を取り入れた回遊式庭園となっている。

この旧朝倉家住宅の建造が当社の建立に深く関わってくる。

猿楽塚を壊し原因不明の病に・塚の上に当社を創建

大正九年(1920)、朝倉家の庭園を造営する際に古墳の一部を壊したと云う。
すると当主である朝倉虎治郎と工事を請け負った棟梁が原因不明の病に伏してしまう。

壊した塚からは多くの武具などが出たきたとされる。

そこで出土したものを供養し、猿楽塚の上に社を建立し「猿楽様」として祀った。
現在も猿楽塚の上に社殿が建つ。

こうした事で当主も棟梁も病が回復したと云う。

これが当社の創建の由来となる。
以後は朝倉家によって大切に維持管理された。

塚を壊した事で祟りがあると信仰されたもので代表的なのは大手町の「将門塚」が挙げられる。
神田神社(神田明神) / 東京都千代田区
江戸総鎮守・神田明神。東京十社。天下祭と呼ばれた神田祭。将門塚の祟り・平将門公を合祀。徳川幕府によって江戸総鎮守へ。EDOCCO。神社声援。『ラブライブ!』『ホロライブ』『にじさんじ』などのコラボ。だいこく様とえびす様。御朱印。御朱印帳。

代官山にヒルサイドテラスが建設・猿楽塚も残される

昭和四十四年(1969)、代官山(渋谷区猿楽町・鉢山町)に代官山ヒルサイドテラスが建設。
その後も平成十年(1998)まで約30年近くかけて建設が進められた。

ヒルサイドテラス
渋谷区猿楽町・鉢山町の旧山手通り沿いに集合住宅・店舗・オフィスなどから成る複合施設。
建築家の槇文彦などにより設計。
第1期が竣工した1969年から1998年まで約30年近く建設が続いた。
第1期部分は2003年に「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選出。
管理者は朝倉不動産(朝倉家)。
HILLSIDE TERRACE
代官山にある集合住宅、店舗、オフィスなどから成る複合施設、ヒルサイドテラスのサイトです
HILLSIDE TERRACE
代官山にある集合住宅、店舗、オフィスなどから成る複合施設、ヒルサイドテラスのサイトです

令和三年(2021)、10月よりアートプロジェクト「KAMIZU(かみづ)」の授与品頒布を開始。

境内案内

代官山ヒルサイドテラス内にある猿楽塚

最寄駅の代官山からはほど近く・旧山手通り沿いの代官山ヒルサイドテラス内に鎮座。
ヒルサイドテラスは多くの棟があるがC棟とD棟の間にあるのが猿楽塚。
整備された緑のある墳丘。
入り口には鳥居が建てられていて、この墳丘が猿楽塚。
6-7世紀の円墳と推定されていて「猿楽塚」と称される。
渋谷区内に残る唯一の高塚古墳で渋谷区指定文化財となっている。

猿楽塚の頂上に社殿が鎮座

猿楽塚の入り口には木造鳥居。
手前には小さいながらも水盤も。
身を清める事ができる。

鳥居を潜ると猿楽塚を上る事ができる。
参道として整備された一角で、代官山の中にある都会のオアシス。
途中には石灯籠なども。
頂上には木造の社殿。
扁額には猿楽神社の文字。

「猿楽様」として祀ったと云う。現在の御祭神は天照皇大神・素戔嗚尊・猿楽大明神・水神・笠森稲荷。

社殿横には小祠や石碑も

社殿の左手には小祠も。
御由緒不明ながら石造りの小祠。
その隣にはお題目が記された石碑。

いずれも朝倉家関連の祠や石碑だと云う。

近くには絵馬掛。
こうした小さな単立神社だが多くの絵馬が掛けられている。

アートプロジェクト「KAMIZU(かみづ)」の授与品・セルフ御朱印

御朱印(参拝記念スタンプ)はヒルサイドテラスE棟1階管理事務室にて。
この奥にあるのが管理事務室(授与所)。

管理事務室ではアートプロジェクト「KAMIZU(かみづ)」の授与品も授与。
かなり個性的な授与品が揃う。

KAMIZU(かみづ)
日本で古くから受け継がれてきた文化・精神性から創造された「神さまのつかい」を描き、「多様性」や「自然との共生」を願い今の時代へと発信していくアートプロジェクト。
京都の「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」「貴船神社」「平安神宮」「松尾大社」といった古くから信仰を集める大社で開始されたプロジェクトで、都内の神社第1号として2021年6月より「穏田神社」での授与を開始。
KAMIZU
KAMIZUは、日本特有の文化・精神から生まれた、ポップでアバンギャルドなジャパニーズアート。世界のあらゆる場所で、さまざまな表現を通して日本文化を発信します。

参拝記念の「かみづスタンプ」も用意。
御朱印帳に押印して良いとの事で参拝記念のセルフ御朱印として使用してもOK。(右はお守り)
「KAMIZU(かみづ)」のキャラクター「かみづまさるさん・かみづかがみさん」の印と「猿楽神社之印」の朱印。

KAMIZU
KAMIZUは、日本特有の文化・精神から生まれた、ポップでアバンギャルドなジャパニーズアート。世界のあらゆる場所で、さまざまな表現を通して日本文化を発信します。
これまで御朱印の用意はなかったが「KAMIZU(かみづ)」授与品を用意する事でこうして参拝記念スタンプを用意してくれるようになった。

重要文化財の旧朝倉家住宅はツツジや紅葉の名所

猿楽塚(当社)からほど近い場所にあるのが「旧朝倉家住宅」。(現在は文部科学省が管理)
重要文化財の貴重な建築物や回遊式庭園を楽しむ事ができる。

お探しのページは見つかりません | 渋谷区ポータル
観覧料
一般100円・小中学生50円・年間観覧料500円
休館日
月曜(祝日の場合は直後の平日)・年末年始(12月29日-1月3日)

崖線という地形を取り入れた回遊式庭園は春はツツジ・秋は紅葉の名所に。
画像は2021年12月上旬に撮影。
美しい紅葉と重要文化財の主屋。
代官山エリアで楽しめる都会のオアシス。
僅か100円の観覧料で楽しめるのでオススメ。
穴場的スポットになっているため紅葉シーズンなどでもガラガラな事が殆ど。

庭園から猿楽塚(当社)へ向かうこともできる。
あくまで1つの出口として向かう事ができるので逆走はしないこと。(ここから入るのは禁止)
この旧朝倉家住宅が建造された事で猿楽塚に当社が建立されたため、当社とも大変深い関わりを持っている。

所感

代官山周辺の住所である猿楽町。
そんな猿楽町の地名由来となったのが古墳時代末期の円墳・猿楽塚。
発展する渋谷区において古墳が残るのは珍しく高塚古墳としては唯一現存。
当地も代官山ヒルサイドテラスが建造され、いわゆるオシャレタウンとして発展した代官山において、こうして残されているのも地主であった朝倉家の尽力によるものだろう。
現在のヒルサイドテラスも朝倉家が管理しているもので、こうして猿楽塚や当社が残されて整備された。
重要文化財の旧朝倉家住宅を始め、発展する代官山において都会のオアシスとも云える場所が残っているのは実に喜ばしい。
小さな単立神社にも歴史があり信仰がある、そうした事を再認識させてくれる良い神社である。

Google Maps

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