富岡八幡宮(深川八幡) / 東京都江東区

神社情報

富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)
深川八幡(ふかがわはちまん)

御祭神:応神天皇
相殿神:神功皇后・仁徳天皇・天照皇大神・常磐社神・武内宿祢命・日本武尊・天児屋根命・竈大神
旧社格:准勅祭社・府社 現:別表神社
例大祭:8月15日(深川八幡祭り/深川祭)
所在地:東京都江東区富岡1-20-3
最寄駅:門前仲町駅・木場駅
公式サイト:http://www.tomiokahachimangu.or.jp/

御由緒

 富岡八幡宮は寛永四年(1627)、菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が霊夢に感じ、当時永代島と呼ばれた小島に創祀したと伝えられます。そして周辺の砂州一帯を埋め立て境内と氏子の居住地を開き、深川発展の基礎が築かれました。
 以来隅田川両岸一帯(深川及び現中央区新川・箱崎地区)の氏子を始め、広く世の崇敬を集め、「深川の八幡さま」として親しまれています。
 徳川将軍家は源氏の流れを汲むとされ、源氏の氏神である八幡宮を殊の外尊崇し、将軍を始め一門しばしば参拝、社殿の造営修理を行うなど手厚く保護しました。また明治維新に際して朝廷は勅使を差し遣わされて幣帛を奉られ、新しい御代の弥栄を祈念されました。
 いっぽう庶民の信仰篤く、八幡宮周辺は江戸・東都随一の門前町として栄えました。そして今も変わる事無く人々の信仰をあつめ、とくに毎月一日・十五日・二十八日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2017/04/13(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/01/20(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:500円
御朱印受付にて。

※以前は初穂料300円だったが、2017年に参拝した際は初穂料500円の掲示あり。
※御由緒書と共にポストカードを頂けるようになった。

[2017/04/13拝受]
(東京十社めぐり御朱印帳)

[2016/01/20拝受]
(東京十社めぐり御朱印帳)

御朱印帳

初穂料:1,200円
御朱印受付にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
青を基調として社殿をデザインしたもの。
東京十社めぐり御朱印帳(紫色)も用意されていた。

公式サイトより)

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

授与品・頒布品

ポストカード
初穂料:─
御朱印受付にて。

※御朱印を拝受した際に一緒に頂ける。

交通安全ステッカー小
初穂料:200円
授与所にて。

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歴史考察

江戸最大の八幡・深川の八幡様

東京都江東区富岡に鎮座する神社。
旧社格は准勅祭社、その後に府社。
現在は神社本庁の別表神社で、東京十社のうちの一社。
「富岡八幡宮」が正式名称であるが、鎮座地から「深川八幡」と称される事も多く、古くから「深川の八幡様」として親しまれた。
例大祭は「深川祭」「深川八幡祭り」「水掛け祭」などと呼ばれ、「神田明神」の「神田祭」・「山王日枝神社」の「山王祭」と共に、「江戸三大祭り」の1つに数えられる。

江戸時代初期に永代島と呼ばれた当地に創建

社伝によると、寛永四年(1624)に創建と伝わる。

創建における伝承は複数残っている。

長盛法師という僧が「われ永代島に鎮座あるへし」と告げる霊夢を数度見たと云う。
この神託により、永代島と呼ばれていた当地に八幡宮を勧請し、創建したとされる。
御神体は、菅原道真の作で、源頼政や太田道灌も崇敬し、下総国にあったものだとされる。
また別説として、長盛法師は、先祖伝来の弘法大師作の八幡菩薩像を常に崇敬しており、霊夢の神託を受け、当時は永代島と呼ばれていた小島であった当地に辿り着く。
永代島には、白羽の矢が1本納められていた小祠があり、ここが霊夢で見た地であるとして、先祖伝来の八幡菩薩像を安置し、八幡宮を勧請したとされる。

いずれの説も「長盛法師という僧が、霊夢によって永代島と呼ばれた当地に八幡宮を勧請」という部分は共通している。
長盛法師は同じ地に別当寺として「永代寺」も建立している。

当宮の勧請元は2説存在。神奈川県横浜市金沢区に鎮座する「富岡八幡宮」から勧請され当宮は分社であるという説。茨城県下妻市に鎮座する関東最古の八幡様「大宝八幡宮」から勧請されたという説。当宮の御由緒には勧請元を記していないため、どこから勧請されたかは不明とするのが正しいように思う。

創建当時は地名から「永代嶋八幡宮」と呼ばれていたとされる。
永代島周辺の砂州を埋め立て開拓した事により、6万坪余りもの広大な社地を有していて、深川地域の発展の基礎を作った。

徳川将軍家からの庇護と深川の発展

深川地域の発展と共に、当宮は江戸東部第一の大社として信仰を集めるようになる。
中でも徳川将軍家からの崇敬は篤く、手厚く庇護を受けた。

徳川将軍家は源氏の流れを汲むとされていたため、源氏の氏神であった八幡神を祀る当宮は、徳川将軍家からの崇敬が篤かったと云う。
歴代将軍の参詣や社殿の造営が行われた。

明暦三年(1657)に「明暦の大火」(別名:振袖火事)と云う、当時の江戸の大半を消失するに至った江戸時代最大の大火災が発生。江戸郊外であった当地は類焼を免れているが、復興を目指す幕府は復興開発事業の地として本所や深川といった町を新興居住区域として指定。当宮はそうした江戸の新しい街づくりにおいて重要な神社として崇敬された要素も強い。

当宮や別当寺「永代寺」を中心に町屋が開かれ、幕府が深川を新興居住区域としていた事もあり人口も爆発的に増え、永代寺門前町・永代寺門前仲町・永代寺門前山本町・永代寺門前東仲町といった町屋に発展していく。
これが現在の門前仲町である。

干拓地が沖合いに延びるにつれ商業施設も多く立ち並び、江戸でも人気の観光地となっていく。
江戸町民からは「深川の八幡様」として大いに崇敬を集め、「江戸八所八幡」の一社に数えられた。

富岡の名は聖徳太子による伝承と伝わる

天和二年(1682)、「天和の大火」という大火事が発生。
当宮や別当寺「永代寺」も火災の被害にあっている。

貞享二年(1685)、再建された別当寺「永代寺」の客殿に、不思議な児童が現れる。
聖徳太子にまつわる話と「富賀岡(とみがおか)」という名を告げたという伝承が残っており、「富岡」の名は聖徳太子から口授されたものと伝えられている。

こうした伝承から当宮には現在も境内社に「聖徳太子社」が残る。
当宮に「富岡」の名を授けたとされる聖徳太子がお祀りされている。

以後、「永代嶋八幡宮」ではなく、「富岡八幡宮」を名乗る事となる。
江戸時代の史料には「富賀岡八幡宮」「富ヶ岡八幡宮」と記されている事が多い。

現在は「とみおか」と呼んでいるが、古くは「とみがおか」と呼んでいた。

江戸切絵図から見る当宮と水路の多い深川

当宮の鎮座地は江戸の切絵図からも見て取れる。

(深川絵図)

こちらは江戸後期の深川周辺の切絵図。
当宮は図の左下に描かれている。

(深川絵図)

当宮周辺を拡大したものが上図。
赤円で囲ったのが当宮で、「富ヶ岡八幡宮」と記されており、古くは「とみがおか」と呼んでいた事が伝わる。

当宮を中心に門前町が開かれており、これが現在の門前仲町。
多くの水路を見る事ができるように、当時の深川は水路が非常に多い事が分かる。

江戸を訪れた外国人が江戸を「東洋のヴェニス」と称したという逸話が残っているように、深川は水路の多い美しく発展した水郷であった。

右上には多くの木置場(木場)を見る事ができる。
木材を運び込む場所であり、火災の多い江戸では木材需要は非常に高く、関東だけでなく紀州などから大量に木材が運び込まれ、こうした木場からも当宮は大いに崇敬を集めている。

江戸名所図会に描かれた当宮・門前茶屋では忠臣蔵の逸話も

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「富岡八幡宮」として6ページに渡り描かれている。
大変広大な社地を有していた事が分かり、実に見事な境内であった。
当宮の門前町は観光地として発展し、茶屋なども多く建ち並ぶ。

(江戸名所図会)

社殿を中心に境内を拡大したものが上図。
実に見事な社殿や立派に整備された境内が分かる。
江戸東部随一の大社であり、徳川将軍家や江戸庶民から大いに崇敬を集めた。

また当宮境内や門前町は江戸有数の盛り場であり、観光地としても栄えた。
ここに見えるだけでも、茶屋の姿を多く見る事ができる。

こうした当宮門前の茶屋には「忠臣蔵」の逸話も残っている。
元禄十五年(1702)、大石良雄率いる赤穂浪士が吉良義央邸に討ち入った事件が発生。
一行は当宮の前の茶屋で最終的な打ち合わせのための会議を開いたと伝えられる。

浮世絵に描かれた深川八幡

このように江戸有数の盛り場として人気となった当宮は、浮世絵などの題材にも多く取り上げられている。

(歌川広重・江都名所)

こちらは歌川広重による『江都名所』で、題名は「深川富岡八幡」とある。
当宮の境内を描いており鳥居の扁額には「富ヶ岡八幡宮」の文字。
右手に描かれているのが「ソテツ」の植物であり、蘇鉄とも記された。

(歌川広重・江戸名所)

同じく広重によって描かれた『江戸名所』の「深川八幡宮」。
桜が咲き春の様子を描いている。
右手の提灯は茶屋。

(二代歌川広重・東都三十六景)

こちらは二代広重による『東都三十六景』の「深川八まん」。
桜の他に描いているのが鳩。
八幡信仰の神使は鳩であり、鳩も大切にされた。

(歌川広重・江戸高名会亭尽)

(歌川広重・江戸高名会亭尽)

こちらも歌川広重による『江戸高名会亭尽』に描かれた2枚。
『江戸高名会亭尽』は有名料理茶屋を描いたシリーズものの錦絵。
当宮の境内に多くの料理茶屋があった事が分かり、江戸でも有名な店であった。
門前ではなく境内の様子を描いており、境内にこうして料理茶屋が並ぶという、正に盛り場であったと云えるだろう。

(歌川広重・名所江戸百景)

こちらも広重による『名所江戸百景』の「深川八幡山開き」。
春に半月の間「山開き」として別当寺「永代寺」の庭園を一般公開している。
広く美麗な庭園は江戸でも人気の名所であった。

こうした浮世絵・錦絵からも当宮が江戸庶民から崇敬を集め、人気の盛り場だった事が伺えるであろう。

明治以降の歩み・古写真で見る当宮

明治になり神仏分離。
明治元年(1868)、准勅祭社に列する。

准勅祭社に指定された十二社のうち、東京23区内の神社十社が現在の「東京十社」となる。
神仏分離で別当寺「永代寺」は廃寺となる。現在の「永代寺」は明治二十九年(1896)に再建されたもの。江戸時代に「永代寺」があった跡地は、現在の深川公園や「深川不動堂(成田山東京別院)」になっている。

明治二年(1869)、社号を「富岡八幡神社」に改称。
明治三年(1870)、准勅祭社が廃止。
明治六年(1873)、府社に列した。

(東京府史蹟)

こちらは大正八年(1919)に刊行された『東京府史蹟』に掲載されている当宮。
江戸時代の浮世絵に描かれた社殿がこちらであり、戦災で消失前の様子が分かる貴重な一枚。

大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
当宮の社殿も損壊し修復された。
この時に江戸時代から伝わる総金張りの神輿三基が焼失している。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿が焼失。
境内の殆どを焼失してしまっている。

昭和三十二年(1957)、社殿が再建。
これが現在の社殿となっている。
その後も境内整備も進み現在に至っている。

江戸三大祭りに数えられる深川八幡祭り

当宮の例大祭は「深川祭」「深川八幡祭り」「水掛け祭」などと呼ばれ、毎年8月15日を中心に行われ、3年に1度八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼ばれる。

神田明神」の「神田祭」。
山王日枝神社」の「山王祭」。
「富岡八幡宮」の「深川祭」。
この3つの祭りは「江戸三大祭り」と呼ばれた。
東京十社・江戸総鎮守。天下祭と呼ばれた江戸随一の神田祭。『ラブライブ!』の聖地・コラボも。将門塚(大手町)の祟りを鎮めるために将門公を祀る。江戸設計を指導した天海・徳川幕府によって江戸総鎮守とされる。浮世絵に描かれた当社。御朱印。御朱印帳。
東京十社・皇城を守る山王さま。徳川将軍家からの篤い崇敬・徳川歴朝の産土神。浮世絵に描かれた当社。天下祭と呼ばれた山王祭。山王信仰を伝える山王鳥居・神使の猿像。境内社・猿田彦神社と庚申の日。国宝刀剣の展示もある宝物殿は無料。御朱印。御朱印帳。

寛永十九年(1642)、三代将軍・徳川家光が、長男の家綱の世継ぎ祝賀を行ったのが始まりとされている。

元禄年間(1688年-1704年)、豪商・紀伊国屋文左衛門によって総金張りの神輿三基が奉納。
「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と唄われたように、「深川祭」と言えば「神輿」として大いに賑わったと伝わる。

永代橋に多数の人が押し入ったことにより、永代橋を崩落させたほどの人気であった。

(東京風景)

こちらは明治四十四年(1911)に出版された『東京風景』に掲載された当宮の神輿渡御の様子。
大勢の人で賑わう中に、三基の神輿を見る事ができる。
しかしながら、大正十二年(1923)の関東大震災でこれらの神輿は焼失してしまう。

平成三年(1991)、日本一の大きさと豪華さを誇る黄金の宮神輿が再興。
平成九年(1997)、本社二の宮神輿も再興されている。

現在は3年に1度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼び、大小あわせて120数基の町神輿が担がれる。
その内大神輿ばかり54基が勢揃いして連合渡御する様は正に圧巻。

また沿道の観衆からバケツや放水によって担ぎ手や神輿に水が浴びせられる事から「水掛け祭」とも呼ばれる。

平成二十九年(2017)は、3年に1度の本祭の年となっている。
その他、当宮では毎月催し物が行われるのが特徴で、大いに人気を集めている。
毎月1日・15日・28日は、縁日として祭典「月次祭」が行われ露店も建ち並ぶ。
毎月第1第2日曜は、「骨董市」が開催。
毎月15日・28日は、「フリーマーケット」が開催。

境内案内

戦後に再建された立派な社殿と進む境内整備

永代通りに面して大きな一之鳥居が立つ。
参拝日は参道整備工事のため参道の立ち入りが禁止されていた。
以前は社号碑が左に置かれていたが、右に配置換えが行われている。

今回の参道整備工事によって参道入口は、参道幅を広げて敷石を敷き直し、LED電球による夜間照明も設置。4月中旬に竣工しているとの事なので、現在は参道を通る事ができるようだ。

鳥居を潜ってすぐ左手に伊能忠敬像。
伊能忠敬は深川界隈に居住しており、測量に出かける際は当宮に必ず参拝に来ていたと伝わる事から、平成十三年(2001)に銅像が建立された。

広く立派な参道を進むと左手に手水舎。
手水舎も2017年に新たに改修工事が行われたばかり。
水盤も一新され黄金の鳳凰型の吐水口からはセンサーで自動に給水されている。
旧水盤は享和三年(1827)奉納の江東区指定有形文化財であり、当宮資料館に収蔵展示される事となった。

その先に実に見事な社殿。
戦災によって旧社殿は焼失し、昭和三十二年(1957)に再建された社殿。
鉄筋コンクリート造による社殿で、周囲はスロープ化され参拝者の事を考えた整備が行われている。
重層社殿になっているのが特徴的。
扁額には「萬世泰平」の文字が掲げられる。

御朱印は社殿の右側に設置された御朱印受付にて。
以前は初穂料が300円だったが、現在は500円となっている。
オリジナルの御朱印帳や東京十社巡り専用の御朱印帳も用意。

多くの境内社・弁天池や深川七福神の恵比寿さま

広い境内には多くの境内社が鎮座。

社殿の左手には境内社が並ぶ一角。
鳥居に先に大鳥神社・鹿島神社・恵比寿社・大国主社・金刀比羅社・富士浅間社と並ぶ。
中でも中央に鎮座しる恵比寿社は「深川七福神」の恵比寿さまを担っている。

境内社近くの西鳥居に面した手水舎。
撮影していると、鳩が飛んでちょこんと止まった。
八幡信仰の神使である鳩が歓迎してくれているようで何だか嬉しい。

社殿の右手、東参道の奥には弁天池。
奥に鎮座するのは「七渡神社」。
七渡弁天と親しまれており、当宮が創建される前から鎮座していた地主神。
美しく整備された弁天池で、神橋で繋がった左手にも境内社が並ぶ。
車折社・客神社・野見宿禰神社(相撲の始祖である野見宿禰を祀る)・住吉社・聖徳太子社(富岡の名を授けた聖徳太子を祀る)・天満天神社・祖霊社・花本社(深川に縁深い松尾芭蕉を祀る)の相殿。
その隣には朱色の奉納鳥居が並ぶ永昌五社稲荷神社が鎮座している。

江戸勧進相撲の発祥の地・横綱力士碑

当宮は「江戸勧進相撲の発祥の地」として知られる。

貞享元年(1684)、寺社奉行の許しを得て勧進相撲を行った。
これが江戸勧進相撲の始まりである。

勧進相撲(かんじんずもう)とは、寺社の造営・修復に要する費用を捻出するため開催した相撲のこと。江戸時代以前も全国各地で行われていたが、17世紀の中頃に社会の風紀を乱すなどの理由から幕府によって相撲興行が禁止される。そうした中、当宮が貞享元年(1684)に寺社奉行から許されて復活した事で「江戸勧進相撲」として発展し、幕府も勧進相撲を認めるように転換していく事となる。

深川の「富岡八幡宮」・両国の「回向院」・蔵前の「石清水八幡宮(現・蔵前神社)」と共に三大拠点として栄え、しばしば境内で本場所も行われ大いに賑わった。

そのため当宮境内には相撲に関する石碑が多く残されている。
中でも有名なのが「横綱力士碑」。
明治三十三年(1900)に建立された大きな碑で、歴代の横綱力士と強豪大関雷電爲右エ門を顕彰している。
初代横綱・明石志賀之助以降の横綱力士が彫られ、現在の歴代横綱表はこの碑に基くもの。
千代の富士や若貴なども並び、その裏面が最新の横綱の名が並ぶ。
2017年4月現在では第71代横綱・鶴竜までの名が彫られている。

第72第横綱・稀勢の里の刻名式
2017年6月9日(金)に開催予定
午前10時20分 参進
午前10時30分 刻名奉告祭
午前11時 刻名式
午前11時30分頃 奉納土俵入り
詳細は公式サイトにて。

「横綱力士碑」の左手前には「超五十連勝力士碑」。
50連勝以上した力士の名を刻んでいる。

表参道の右手には「大関力士碑」。
明治三十一年(1898)に歌舞伎界の九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎が寄進したもので、横綱に昇進していない歴代大関の名を刻んでいる。

他にも境内には力石が多く置かれていたりと相撲にまつわる奉納物が多い。
力比べに使ったとされる力石が多く並ぶ。

所感

江戸時代初期に創建され、徳川将軍家からの庇護や深川の発展を受け、江戸最大の八幡様として多大な信仰を集めた当宮は、現在も都内最大の八幡様として崇敬を集めている。
日頃から多くの参拝者で賑わうだけでなく、毎月縁日になると露店が多く出る姿を見る事ができるし、毎月骨董市やフリーマーケットも開催されていたりと、常に賑わう境内は、江戸時代に盛り場として栄えた姿を引き継いでいるとも云えるだろう。
広く綺麗に整備された境内は相撲関係を始め、見どころが多数あり、飽きる事がない。
今も人気と崇敬を集める「深川の八幡さま」は、東京を代表する一社であり、オススメできる良社である。

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神社画像

[ 大鳥居・社号碑 ]


[ 大鳥居 ]

[ 参道(整備工事中) ]

[ 手水舎 ]


[ 狛犬 ]


[ 拝殿 ]







[ 本殿 ]

[ 御朱印受付 ]

[ 西参道鳥居 ]

[ 資料館 ]

[ 力石・石碑 ]

[ 西鳥居 ]

[ 手水舎 ]

[ 境内社鳥居 ]

[ 境内社 ]

[ 御籤掛・絵馬掛 ]

[ 横綱力士碑 ]




[ 超五十連勝力士碑 ]

[ 百度石 ]

[ 授与所 ]

[ 社務所 ]

[ 神輿庫 ]



[ 伊能忠敬像 ]


[ 大関力士碑 ]


[ 釈迦ヶ嶽等身碑 ]


[ 神馬像 ]

[ 石碑 ]



[ 七渡弁天社 ]

[ 弁天池 ]




[ 七渡神社 ]


[ 庚申塔 ]

[ 境内社 ]

[ 永昌五社稲荷神社 ]


[ 婚儀殿 ]

[ 東参道鳥居 ]

[ 境内案内図 ]

Google Maps