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猿江神社 / 東京都江東区

5.0
江東区

神社情報

猿江神社(さるえじんじゃ)

御祭神:天照大御神・宇迦之御魂命・猿藤太
社格等:村社
例大祭:8月14日
所在地:東京都江東区猿江2-2-17
最寄駅:住吉駅
公式サイト:http://sarue-jinjya.o.oo7.jp/

御由緒

源頼義・義家(八幡太郎義家)父子による奥州遠征(前九年の役)において、数々の奉勝を立てた家臣に『猿藤太』(さるのとうた)という武将がいた。 武勇の士と讃えられた人物であったが、此の地の入江で力尽きてしまった。
これを知った地元の漁師達が手厚く葬り、当社の境内に塚を建て葬った。 此に因んで猿藤太の「猿」と入江の「江」の字を取り結び「猿江」の社名になったと伝えられる。
神社としての正確な創立年代は不詳であるが、康平年中(1058)頃には近在の信仰を集め、稲荷社として境内地三百余坪を有した。築八十余年を迎える、都内でも最古級の鉄筋コンクリート造りの御社殿は、旧社殿が関東大震災にて焼失後、昭和六年に再建された。東京大空襲にて、近隣一帯が灰燼に帰した時も奇跡的に難を免れ、錦糸町の駅からは一面の焼け野原に建つ御社殿のみが望めたという。
昭和二十一年に伊勢大御神を合祀し、社名を猿江稲荷神社より改称。
一千年以上の歴史をもつとされる由緒深き神社である。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2020/08/20(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2018/05/25(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2016/01/28(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:各500円
社務所にて。

※正月・祭事・月限定など時期に応じて限定御朱印あり。
※本社以外に境内社「馬頭観音社」「藤森稲荷神社」の御朱印(書き置き)あり。

最新の御朱印情報
5月1日-12月31日まで「猿の藤太(鍾馗/疫病退散)」
通年で「通常御朱印」「馬頭観音社」「藤森稲荷神社」
※最新・過去の御朱印については公式サイトにて。

御朱印帳

初穂料:2,500円(通常御朱印代込)
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
黒と金を基調として、猿が波に乗るというポップな御朱印帳。
最初のページに通常御朱印が最初から揮毫してある形での頒布となる。

歴史考察

深川猿江の鎮守・猿江神社

東京都江東区猿江に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧猿江村の鎮守。
深川猿江と称される地域の鎮守社で、古くは稲荷信仰の「猿江稲荷」と称された。
戦後になり天照大御神を合祀し、現在の「猿江神社」に改称。
猿藤太と云う武将の伝説が残る神社で、これが猿江の地名由来にもなっている。
近年では御朱印にも力を入れており人気を博している。

稲荷社として創建・猿藤太の伝説と猿江の地名由来

社伝によると、創建年代は不詳。
康平年間(1058年-1065年)には「稲荷社」として地域の信仰を集めていたと云う。

平安時代以前より「稲荷社」として当地の鎮守であったと思われる。

当社の社伝には猿藤太と云う人物の伝説が残る。

猿藤太(さるのとうた)の伝説
康平年間(1058年-1065年)、当地周辺の入江に、鎧を着た遺体が漂着。
鎧には「源頼義の臣・猿藤太」と記されており、懐中より一部一巻の法華経が出てくる。
不思議な事に遺体から毎夜光明を発したため、この地の村民が手厚く葬った。
当社の境内に塚を建てて祀ったところ、豊漁が続き村民は喜んだという。

既に「稲荷社」として地域の鎮守であった当社の境内に塚を建てて祀った事が分かる。

猿藤太という武将については、当社など猿江近辺の史料でしか見かける事ができないため詳細は不明であるが、前九年の役で源頼義・義家(八幡太郎)父子の家臣として仕えていたものと見られる。社伝には武勇の士と讃えられた人物であったと伝わる。

この猿藤太の伝承が「猿江」の地名由来となる。
2018年5月限定の御朱印では初めて猿藤太に因んだ御朱印が授与された。

猿江(さるえ)の地名由来
村民が猿藤太を手厚く葬ったところ、豊漁が続いたため、猿藤太の「猿」 と入江の「江」の字を結び「猿江」。

当地は古くは深川村に属していたが、後に猿江村として分村。
猿江村の鎮守であった当社は「猿江稲荷」と称された。

新編武蔵風土記稿で見る猿江村と当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(猿江村)
猿江村は村内鎮守稲荷の社傳に據ば、古へ爰に入江ありて、康平年中猿藤太と云もの溺死せしより猿江の名起り、其後村名にもおはせりといへり。されど古は深川村の内に属せしにや、正保改定の國圖及び其頃のものに此村名を載せず、元禄年中の國圖郷帳等に始て高百五十八石一斗七合猿江村と載たれば、一村となりし年代推て知らる。
猿江稲荷社除地
深川猿江裏町に對す。一段七歩餘。

猿江村の鎮守「稲荷」として、猿江村を説明する際に書かれているのが当社。
また「猿江稲荷社」と呼ばれていた事と、当社の除地であった地を記している。

元禄年間(1688年-1704年)の元禄郷帳に「猿江村」の名を見る事ができると記してあり、その頃に深川村から猿江村として分村したものと見られる。

古くは「住善寺」という寺が別当寺であったが廃寺。
寛文年間(1661年-1673年)に谷中から移転してきた「妙寿寺」(現・世田谷区北烏山)が別当寺となり、当社は「妙寿寺」と隣接して鎮座。

古くは近くに池があったと云う
この他に『新編武蔵風土記稿』には、「妙寿寺」の西南に「池」がある事を記していて、これが村名の起こりとなった入江の名残だったと云う。
御由緒にあるように猿藤太の遺体があった地なのであろう。

江戸切絵図や江戸名所図会から見る猿江村と当社

江戸時代の猿江村は江戸切絵図を見ると位置関係が分かりやすい。

(深川絵図)

こちらは江戸後期の本所・深川周辺の切絵図。
猿江村や当社は図の右上に描かれている。

(深川絵図)

当社周辺を拡大したものが上図。

赤円で囲ったのが当社で「猿江稲荷社」「妙寿寺」の文字が見える。
現在も近くにある「乗願寺」とも隣接していたように、現在の鎮座地よりやや北に鎮座していた事が分かる。

現在の裏参道から通りを挟んで向かい側、「妙寿寺猿江別院」のあたりが当時の鎮座地であった。

緑円で囲ったのが「猿江御材木蔵」で、現在の「猿江恩賜公園」。
当時は幕府の貯木場であった。

現在当社の境内社になっている「藤森稲荷社」はこの「猿江御材木蔵」に祀られていたと云う。
猿江恩賜公園
新大橋通りをはさんで野球場、庭園のある落ち着いた雰囲気の南園とテニスコート、広場、遊具のある開放的な北園に分か…

青円で囲ったのが「五本松」と呼ばれた猿江の名所。
天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

当社の南を流れる小名木川にあった五本松。
松尾芭蕉がこの五本松に船をさして「川上と この川下や 月の友」と詠んだとして描かれている。

橙円で囲った「摩利支天」とあるのが、現在の「日先神社(摩利支天尊)」(現・猿江1丁目)で、こちらも『江戸名所図会』で描かれている名所であった。

明治以降の歩み・関東大震災後の再建・猿江神社へ改称

明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。

明治十七年(1884)、現在地へ遷座。

旧鎮座地から通りを挟んで南に遷座した。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
橙円で囲った箇所に神社の地図記号があり、これが現在の境内社「藤森稲荷社」と思われる。
当社を中心にして猿江町という地名、その北西に猿江裏町という地名を見る事ができる。

深川猿江町・深川猿江裏町と呼ばれ、現在の猿江一帯となっている。

大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
猿江一帯は壊滅的な打撃を受け、当社も焼失。

旧別当寺「妙寿寺」も焼失。「妙寿寺」はこれを機に現在の世田谷区北烏山に移転。

昭和六年(1931)、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りとして再建。
この時の社殿が現存。

昭和二十年(1945)、東京大空襲で猿江の地は灰燼と化す。
戦中の猿江は工場地帯であったため、米軍の標的の中心となった場所としても知られているが、鉄筋コンクリート造りの当社の社殿は焼けずに残った。

錦糸町の駅からは、一面の焼け野原に建つ当社の社殿のみが望めた状態だったと云う。

昭和二十一年(1946)、伊勢大御神(天照大御神)を合祀。
「猿江稲荷神社」から、現在の「猿江神社」へ改称。

平成十三年(2001)、「藤森稲荷社」が当社境内へ遷座。
その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

社号碑には稲荷神社の文字・裏参道の石灯籠

最寄駅の住吉駅から徒歩数分の距離に鎮座。
駅からは北側の裏参道が近いが、表参道は南に面している。
南向きで鳥居と社号碑。
社号碑には「稲荷神社」の文字。

かつては猿江稲荷と称された
当社は古くから稲荷信仰の神社で「猿江稲荷」「稲荷神社」と称された。
昭和二十一年(1946)、伊勢大御神(天照大御神)を合祀した事で、「猿江稲荷神社」から、現在の「猿江神社」へ改称した歴史を持つため、戦前のものには「稲荷神社」の文字が残る。

鳥居を潜り右手に手水舎。
平成二十八年(2016)に竣工した手水舎で新しさが残る。

一方で裏参道には大きな石灯籠。
江東区有形文化財に指定された古いもの。
「猿江稲荷神社」の文字が残り、やはり「猿江稲荷」と呼ばれていた頃を偲ぶ。

都内最古級の鉄筋コンクリート造社殿

参道の正面に社殿。
白(クリーム色)を基調とした社殿。
関東大震災で焼失した社殿を昭和六年(1931)に再建。
当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の社殿での再建であった。
東京大空襲では、工場地帯であった猿江一帯は米軍の標的となったため灰燼と化す。
鉄筋コンクリート造の当社の社殿は焼けずに残り、こうして現存している。
東京大空襲後、錦糸町の駅からは一面の焼け野原に建つ当社の社殿のみが望めた状態だったと云う。
戦前の鉄筋コンクリート造の社殿が残っているのは珍しく、都内最古級の鉄筋コンクリート造社殿となっている。

都内で戦前の鉄筋コンクリート造り社殿として有名なのは、「神田神社(神田明神)」の社殿。「神田神社(神田明神)」は昭和九年(1934)に造営された社殿なので、それよりも古い事になる。
神田神社(神田明神) / 東京都千代田区
江戸総鎮守・神田明神。東京十社。天下祭と呼ばれた神田祭。将門塚の祟り・平将門公を合祀。徳川幕府によって江戸総鎮守とされる。神社声援。『ラブライブ!』など様々なアニメとコラボ。だいこく様とえびす様。文化交流館EDOCCO。御朱印。御朱印帳。

藤森稲荷神社・馬頭観音社などの境内社

鳥居を潜ってすぐ右手に、境内社の藤森稲荷神社。
かつて「猿江御材木蔵」(現・猿江恩賜公園)に祀られていた稲荷社が当社に遷座。
古くより木材の守護神として崇敬されている、商売繁昌・工事作業安全の御神徳があると云う。

藤森稲荷神社の歴史
古くは本所横綱町の幕府御用材木蔵に祀られていたが、享保十九年(1734)に御用材木蔵が「猿江御材木蔵」(現・猿江恩賜公園)に移転した際に共に遷座。
藤の木が社殿を囲み、藤の花が咲く頃に祭りが行われた事から「藤森」と称された。
昭和五十二年(1977)、猿江貯木場の移転に伴って潮見駅前に遷座。
平成十三年(2001)、当社の境内社として整備され、猿江の地に戻ってきた。

社殿の右手には馬頭観音社。
扉が閉まっているので中は見えにくいが、馬頭観世音の刻印の上より「馬」の絵を彫り、「馬方」の絵の石と併わせた大小1対の珍しい碑が祀られている。
旅行・交通安全の御神徳、さらには競走馬関係の参拝も多い。

馬頭観音(ばとうかんのん)
観音菩薩の変化身の1つであり、「六観音」の一尊にも数えられている。
馬頭の名称から「馬」に結び付けられ、身近な民間信仰として信仰を集めた。

その右手には多くの小さな神狐像。
当社は「稲荷神社」「猿江稲荷」と呼ばれた稲荷信仰の神社だった歴史を伝える。
小さな祠なども置かれている。

裏参道から出て、社殿の裏手にも鳥居と祠。
通行人が当社を参拝できるように裏手に整備されたものであろう。

向かいには妙寿寺猿江別院も
裏参道から通りを挟んで向かいに、「妙寿寺猿江別院」。
ここが当社の旧鎮座地であり、現在は「猿江稲荷社」として整備された一画となっている。

拝殿前の狛犬・参道には可愛らしい神猿像も

拝殿前には一対の狛犬。
昭和六年(1931)に奉納された狛犬で、社殿と同年に造られたもの。
江東区有形文化財。

鳥居を潜ってすぐ左手に神猿像。
平成三十年(2018)に奉納された像。
「猿江」の地名と社号から奉納された猿の像で、凛々しい狛犬とは対照的にマスコット的な可愛らしい姿をしている。

深川の文字が特徴的な御朱印・限定御朱印

御朱印は社務所にて。
丁寧に対応して下さった。

最新の御朱印情報
5月1日-12月31日まで「猿の藤太(鍾馗/疫病退散)」
通年で「通常御朱印」「馬頭観音社」「藤森稲荷神社」
※最新・過去の御朱印については公式サイトにて。
猿江神社

通常御朱印(左)は枠が大きく立派な印で、そこに流れるような「深川」の文字が美しい。
右は2016年正月限定の丙申御朱印。

2016年は申年という事で猿江の社号・地名の相性も踏まえ「丙申御朱印」を正月限定で授与していて、これが当社初の限定御朱印だったと思う。

以後、正月・祭事・月限定など時期に応じて限定御朱印を授与するように。
右は2018年の通常御朱印、画像左は2018年5月限定で猿江由来となった「猿藤太」の御朱印。
右は2020年8月の例大祭御朱印(偶数日)で、左は2020年5月より年内授与の疫病退散(猿藤太/鍾馗)御朱印。

猿が波に乗るポップな御朱印帳

オリジナル御朱印帳も用意。
猿が波に乗るポップなデザインが個性的な御朱印帳。

猿江(さるえ)をポップに表現
村民が猿藤太を手厚く葬ったところ、豊漁が続いたため、猿藤太の「猿」 と入江の「江」の字を結び「猿江」となったのが地名由来。
御朱印帳には猿(猿藤太)と波(入江)をポップにデザインしていて猿江の由来を伝えているとも云える。
通常御朱印が既に書かれている状態での頒布となる。

所感

猿藤太の伝説と共に猿江の地名の由来となった当社。
古くは稲荷信仰の神社であり、「猿江稲荷」と称され崇敬を集めた。
現在も社号碑や石灯籠など「猿江稲荷」と呼ばれていた頃の名残が多く見られる。
関東大震災後に再建された、都内最古級の鉄筋コンクリート造り社殿が現存しており、戦時中は集中的に米軍から狙われた地でありながら、戦火を免れたのもこの社殿だからこそ。
現在も境内整備が行われており、氏子など崇敬者からの崇敬が篤いのが伝わる。
近年は御朱印にも力を入れるようになっていて、色々努力されているのが伝わる良い神社である。

神社画像

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