小山八幡神社 / 東京都品川区

品川区

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概要

小山の地名由来となった八幡さま

東京都品川区荏原に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧小山村の鎮守。
正式名称は「八幡神社」だが「小山八幡神社」と呼ばれる事が多い。
武蔵小山や西小山などにつく「小山」の地名由来となった神社。
武蔵小山総鎮守の「三谷八幡神社」は当社の分祀という形で、江戸の頃には氏子間で宗教上の軋轢があったとされるものの、現在は両社合同で例大祭「小山両社祭」が行われる。
また「荏原七福神」の大黒天を担っている。
令和六年(2024)12月には社殿引渡式や境内整備が行われ新しい境内に生まれ変わった。

神社情報

小山八幡神社(こやまはちまんじんじゃ)

御祭神:誉田別命
社格等:村社
例大祭:9月6日に近い土曜・日曜(小山両社祭)
所在地:東京都品川区荏原7-5-14
最寄駅:西小山駅・洗足駅・旗の台駅
公式サイト:https://koyamahatiman.jp/

御由緒

 創立年月は不詳。口伝によれば長元三年(1030年)に源頼信公がこの地に誉田別尊を氏神として奉祀したのが当社の起源とされる。
 その後、旧小山村本村の氏神として広く崇敬を集めてきた。
 境内は小高い丘(古墳跡ともいわれている)の上に位置し、「小山」の地名の由来となっている。
 また品川区内随一の高台であり、標高35メートルを有し、品川百景にも選定されている。
 さらに、荏原七福神の一つである大國天を祀る神社としても知られる。
 令和十二年(2023年)には、ご創建1000年を迎える。(境内の掲示より)

歴史考察

平安時代に源頼信によって創建の伝承

創建年代は不詳。
口伝では長元三年(1030)に創建と伝わる。
源頼信が当地に誉田別尊(八幡神)を氏神として祀ったのが始まりだと云う。

源頼信(みなもとのよりのぶ)
平安時代中期の武将で、河内源氏の祖。
藤原道長に仕えた「道長四天王」と称された人物の1人。
武勇に優れ、長元四年(1031)には平忠常の乱を平定。
その後、坂東の武士と主従関係を結ぶようになり、「武家の棟梁」とも称された河内源氏による東国支配の基礎を作っている。
頼信の嫡男が河内源氏二代目棟梁の源頼義(みなもとのよりよし)で、前九年の役で活躍。更にその嫡男が「八幡太郎」と称した事で知られる源義家(みなもとよしいえ)。義家は鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏の祖先に当たる。

河内源氏の祖とされる源頼信の伝承が残る当社。
関東圏の八幡神社には、源頼義・義家(八幡太郎)父子による創建の神社は多いが、その祖である頼信の伝承が残るのは比較的珍しい。

比較的近いエリアだと「旗の台」の地名由来となった「旗岡八幡神社」が、当社と同様に源頼信による創建と伝わっている。
旗岡八幡神社 / 東京都品川区
旧中延村鎮守。源氏ゆかりの八幡さま。桜が美しい境内。国登録有形文化財の絵馬殿。源頼信によって創建・旗の台の地名由来。領主荏原氏による社殿造営。武家や大奥からの崇敬・弓の競射と甘酒。江戸時代の狛犬や石灯籠。朱色の大鳥居。八幡造の本殿。御朱印。

小山の地名由来の神社・小山村の鎮守

当社は現在も小高い丘(標高35m)に鎮座。
立地から当社は「小山八幡」と称された。

この丘は古墳跡とも伝わっていて古くから神聖な地であったと推測されている。
小山(武蔵小山・西小山など)の地名由来
当社が小高い丘の上に鎮座していたため「小山八幡」と称される。
そこから当地周辺が小山と呼ばれるようになり、村落として小山村が成立。
現在の小山(武蔵小山・西小山など)の地名は当社が由来となっている。

当社は小山村全域の鎮守として崇敬を集めた。

現在では境内がしながわ百景に選ばれている。
小高い丘にあった境内からは小山村を見渡せたのであろう。

しながわ百景の紹介 | 区制70周年記念しながわ百景〜魅力ある品川の風景

江戸時代に入り妙見菩薩を合祀・妙見八幡宮

江戸時代に入る妙見菩薩(妙見神)を合祀。

妙見信仰(みょうけんしんこう)
北極星(北辰)または北斗七星を神格化した妙見菩薩(みょうけんぼさつ)に対する信仰。
神仏分離後は妙見菩薩と同一と見なされている天御中主神を御祭神とする。
平将門の一族である平良文の子孫・千葉氏は妙見菩薩(妙見神)を一族の守り神としていた事が有名で、氏神とされた「千葉神社」は「妙見本宮」を称している事で知られる。
また千葉氏が日蓮宗の中山門流の檀越だったため、妙見菩薩は日蓮宗寺院に祀られる事が多い。
千葉神社 / 千葉県千葉市
妙見信仰の中心・妙見本宮。楼門型分霊社・尊星殿。国内初の重層社殿。ツキを呼び星を拾う境内社・千葉天神。千葉氏の守護神・妙見様。寺院として創建。妙見寺と呼ばれた江戸時代。神仏分離で千葉神社に改称。妙見大祭。月星紋と九曜紋。御朱印。御朱印帳。

当社の別当寺が日蓮宗「摩耶寺」(現在も隣接)。
日蓮宗は妙見信仰(妙見菩薩)との繋がりが深かったため、別当の影響を受けて妙見菩薩が祀られ妙見信仰の力が強くなったものと思われる。

創建当初は八幡神を祀る八幡信仰の神社であったが、江戸時代には妙見信仰の影響が強くなり「八幡社」ではなく「妙見社」の要素が強かった。

「妙見八幡宮」と称され崇敬を集めたと云う。

新編武蔵風土記稿に記された当社・妙見社と記される

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(小山村)
妙見社
除地三段五畝。字瀧の原にあり。社は丘の上にあり。三間に四間。妙見八幡宮の五字を扁す。是によれば元は八幡を相殿とするにや。祭礼は年々九月二十八日。神楽を社前に奏す。鳥居あり。両柱の間九尺。前に石階十二級あり。当村摩耶寺の持。
末社。稲荷社。第六天社。以上共に小祠。

小山村の「妙見社」として記されているのが当社。
扁額には「妙見八幡宮」と掲げられていて、妙見信仰と八幡信仰が相殿されていた事が分かる。

社号として「妙見社」と記されているように、当時は既に妙見信仰がメインの神社とみなされていた事が窺える。これは後述する「三谷八幡神社」との軋轢が原因であろう。

別当寺は「摩耶寺」。
神仏習合の時代で日蓮宗による影響が強かった事が推測できる。

「摩耶寺」は寛文年間(1661年-1673年)に開山された日蓮宗寺院。それ以降に当社へ妙見菩薩が合祀されたものと思われる。
摩耶寺 | しながわ観光協会

これが結果的に氏子間の軋轢を生む事になり、当社から「三谷八幡神社」が分離する事となる。

宗教上の軋轢が原因で三谷八幡神社が分離

延宝・元禄年間(1673年-1704年)、当社の氏子間で宗教上の軋轢が発生。

軋轢が原因で、三谷地区の名主・石井助太夫が当社の八幡神像を屋敷内に遷す。
その後に三谷地区に古くから鎮座していた「出世稲荷大明神」の境内に八幡神像を遷したと云う。
これが当社から分祀されたとされる現在の武蔵小山総鎮守の「三谷八幡神社」。

当社はそれまで小山村全域の鎮守であったが、以後は小山村三谷地区の鎮守は「三谷八幡神社」が担う事となった。
三谷八幡神社 / 東京都品川区
武蔵小山総鎮守の八幡さま。例大祭は小山八幡神社と合同の小山両社祭。鳩文字の新しい御朱印。江戸時代に小山八幡神社から分祀・宗教上の軋轢の原因で分離。筍の産地だった武蔵小山。八幡通り沿いに鎮座。戦後に再建された木造社殿。地主神の稲荷神社。
宗教上の軋轢の原因
宗教上の軋轢とは、八幡神のみ祀っていた当社に別当寺「摩耶寺」の影響もあり妙見菩薩(妙見神)を祀るようになった事が原因だと推測できる。
いわば氏子間での争いで分離したと云える。
『新編武蔵風土記稿』には当社が「妙見社」と記されていた事からも、本来の八幡信仰よりも妙見信仰の要素が大変強くなっていた事が分かり、八幡神像は「三谷八幡神社」へ遷されていたため、「妙見社」と記されていたのだろう。

三谷地区を除く小山鎮守の鎮守として「妙見八幡宮」と称され崇敬を集めた。
他にも当地の旧名から「池ノ谷八幡」とも称されたと伝わる。

明治以降の歩み・神仏分離によって再び八幡神社へ

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、村社に列した。

妙見菩薩は摩耶寺に移される
妙見信仰は仏教色が強いため当社からは分離される事となる。
当社に江戸時代に合祀された妙見菩薩は別当寺であった「摩耶寺」に移された。
神仏分離を経て創建時の八幡信仰の神社に復する事となった。

明治二十二年(1889)、市制町村制によって小山村・中延村・戸越村・上蛇窪村・下蛇窪村と谷山村飛地が合併して平塚村が成立。
当地は平塚村小山となり、当社は三谷地区(現・武蔵小山一帯)を除く小山一帯の鎮守を担った。

平塚村は後に平塚町となり昭和二年(1927)には荏原町へ改称。昭和七年(1932)には荏原区となり戦後に品川区と合併している。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、現在も変わらない。
緑円で囲っているのが当社と関連の深い「三谷八幡神社」で、これら一帯が旧小山村。
当社の近くには「小山向井」の文字を見る事ができ、「三谷八幡神社」近くには「小山山谷(三谷)」を見ることができる。
当社は旧小山村の中でも三谷地区を除く一帯の鎮守であった。

昭和三年(1928)、西小山駅が開業。

旧小山村のうち、武蔵小山一帯は「三谷八幡神社」が鎮守となり、それより西の西小山一帯が当社が鎮守する形となっている。
三谷八幡神社 / 東京都品川区
武蔵小山総鎮守の八幡さま。例大祭は小山八幡神社と合同の小山両社祭。鳩文字の新しい御朱印。江戸時代に小山八幡神社から分祀・宗教上の軋轢の原因で分離。筍の産地だった武蔵小山。八幡通り沿いに鎮座。戦後に再建された木造社殿。地主神の稲荷神社。

昭和十三年(1938)、社殿を造営。
この社殿が改修されつつ現存。

当社は東京大空襲の被害を免れたため戦前の雰囲気を残す境内となっていた。

境内社の「甲子神社」には大国主(大黒様)を祀っている事もあり、現在は「荏原七福神」の大黒天を担っている。

荏原七福神めぐり公式ホームページ
東京の品川を中心に歩いてめぐれる、荏原七福神めぐりについての公式ホームページです。

境内整備・定期転借地権付きマンションを建設

令和五年(2023)、東急不動産と共に境内整備が発表される。
神社が所有する土地を約70年間貸し出す「定期転借地権付き」マンションを建設するプロジェクト。

費用捻出のための施策
このプロジェクトは老朽化した社殿の修繕費用の捻出と、2,030年の「千年祭」に向けた境内整備を目的とした神社再生事業の一環としての施策であった。
社殿の老朽化が深刻化して改修には約2.3億-3.45億円が必要に。
また氏子減少により寄付だけで賄うことが現実的に不可能だったため、東急不動産の提案を受けて境内の一部を70年間の定期借地として貸し出す決断が下された。
70年の定期借地権で分譲マンションを建設しているため70年後には当社に所有権が戻りマンションは解体される予定となっている。その後は、緑多い鎮守の杜として再生していく大変長期的なプロジェクト。
一部氏子とのトラブル
このプロジェクトについて2023年5月に説明会が行われるまで多くの氏子には詳細が知らされていなかった。
当初の看板には「境内整備」とのみ記され「マンション建設」の文字がなかった事も不信感を強める要因となり、氏子たちによる反対運動・署名活動が始まった。
反対の主な理由は、樹齢200年を超える大木を含む鎮守の杜の伐採が計画された事、また「しながわ百景」に選ばれた場所であり、環境破壊を危惧した氏子たちが反対署名運動を展開。
結果的に反対運動の中、2023年後半には境内整備とマンション建設工事が着工し現在に至っている。
2026年8月にはマンション「ブランズ西小山」が竣工予定。
≪公式≫ブランズ西小山|品川区 新築分譲マンション|東急不動産の住まい[BRANZ(ブランズ)]
「ブランズ西小山」公式ホームページ。東急目黒線「西小山」駅・「洗足」駅徒歩7分。東急不動産の住まい[BRANZ(ブランズ)]

令和六年(2024)、曳家技術を使い社殿を移動し12月に竣工。
老朽化していた社殿は資金調達ができたため改修されつつ残された。
令和八年(2026)8月にはマンション「ブランズ西小山」が竣工し引き渡しが行われる。

プロジェクトについての私見
神社や不動産会社側の説明不足もあり氏子との対立が表面化した今回のプロジェクト。
この神社の敷地内に定期転借地権付きマンションを建設して再建を図るという手法は、実は都内の幾つかの神社では既に行われていて、今回とは別会社となるが三井不動産による神社の再興は知られている。
神楽坂の「赤城神社」、西新宿の「成子天神社」がまさに定期転借地権付きマンションを建設して再興された例と云える。
この両社も様々な意見はあったが結果的に大成功の例とも云え、神社は美しく蘇り人も多く参拝するようになった。
当社についても同様で色々な感情や意見もあるとは思うが、現実的に神社を維持する資金捻出と云う問題はどうしてもついて回る。
そうした中でこうして再興を果たすのは個人的には未来を見据えた一つの良い案ではないかなと思う。
実際に整備後の境内に参拝してみてコンパクトになった部分はあるものの、雰囲気が明るくなり参拝しやすくなっていた。
赤城神社 / 東京都新宿区
牛込総鎮守。赤城神社再生プロジェクトによって再興。神楽坂駅近くに鎮座。隈研吾氏監修のオシャレな境内。あかぎカフェが併設。水木しげる氏デザインのゲゲゲの鬼太郎御守。撮影安全ヒット祈願。蛍雪天神。幕府より江戸大社に列せられる。御朱印。御朱印帳。
成子天神社 / 東京都新宿区
めぐり天神・旧柏木成子町の鎮守。菅原道真の家臣による創建。成子天神社再整備プロジェクト。再整備された朱色の鳥居や神門・マゼンタカラーに近い社殿。パワースポットとされる富士塚。一社で出来る七福神巡り。珍しいマトリョーシカ鷽。御朱印。御朱印帳。
筆者宛にも当時は氏子さんから相談の連絡が届いていたのだが、上記のような成功例を伝えて、1つの案として前向きにといった事を言った記憶がある。いずれにせよ、地域とともに大切に歩み続けて欲しい。

境内案内

小高い丘に鎮座する境内

西小山駅から徒歩数分の距離に鎮座する当社。
少し入り組んだ住宅街の奥にあり石段が続く高台に鎮座。
西小山や武蔵小山など「小山」の地名の由来になった小高い丘。
標高35mの丘で、かつての小山村の鎮守として地域を見渡せる位置に鎮座する。

昭和十三年(1938)に建立された鳥居。
扁額には「八幡神社」の文字。

参道の左手に手水舎。
昭和十三年(1938)に建立された手水舎が境内整備後も残されている。
2026年4月時点ではまだ右手にマンションを建設中。

戦前に造営された立派な木造社殿

参道の左手に社殿。
かつては参道の斜め右手に社殿があったが、2024年の境内整備によって曳家で移された。
老朽化が進んでいた社殿だがマンション建設プロジェクトによって資金の捻出が出来て改修も行われている。
昭和十三年(1938)に造営された木造社殿。
拝殿内には八幡大神の扁額。
本殿も同様に木造で、拝殿・幣殿・本殿からなる権現造り。

旧境内の様子
境内整備が行われる前の様子も記録として残す。(2020年撮影)
広々とした境内。
老朽化が危惧されていた当時の社殿。
当時の境内には多くの樹木があり立派な鎮守の杜を形成。
その中でも2本の椎の大木は品川区指定文化財。
推定樹齢はどちらも約200年。

荏原七福神の大黒天を祀る甲子神社

拝殿前には一対の狛犬。
昭和十三年(1938)奉納の狛犬。
岡崎現代型で社殿と同じ時期に奉納されたのが分かる。

社殿の左手に境内社が並ぶ。
手前にあるのが稲荷社。
こちらも境内整備で移されたが社殿などは当時のものをそのまま利用。(一部の神狐像は新しくなっている)

その隣にあるのが甲子神社(きのえねじんじゃ)。
大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る。
扁額にも「大國主大神」の文字。
大国主は大黒天と習合したため「甲子大國天」の文字も。
当社は「荏原七福神」の大黒天となっている。

荏原七福神めぐり公式ホームページ
東京の品川を中心に歩いてめぐれる、荏原七福神めぐりについての公式ホームページです。
大国主命(おおくにぬしのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の使者に国譲りを要請され、武力交渉の末に天津神に国土を献上した事から「国譲りの神」とも呼ばれる。
国津神(天孫降臨以前より国土を治めていた土着の神)の最高神ともされ、古くから「出雲大社」の御祭神として知られる。
民間信仰によって「大国」が「だいこく」と読める事から七福神でもある「大黒天(大黒様)」と習合していった。
甲子(きのえねまつり)の日は大黒天の縁日として各地に風習が伝わっていた。社号の「甲子神社」もそれが由来。
旧境内の様子
境内整備が行われる前の様子も記録として残す。(2020年撮影)
鳥居と屋根で保護された稲荷社。
古い神狐像も置かれていたが現在は老朽化激しかった神狐像は新しくなっている。こちらがかつての甲子神社(きのえねじんじゃ
その多くは再利用されている。

例大祭は三谷八幡神社と合同の小山両社祭

小山村鎮守であった当社。
江戸時代に氏子間での宗教上の軋轢が原因で当社から分離する形で「三谷八幡神社」が創建。
その後は小山村の三谷地区を除く鎮守として創建された歴史を有する。

三谷八幡神社 / 東京都品川区
武蔵小山総鎮守の八幡さま。例大祭は小山八幡神社と合同の小山両社祭。鳩文字の新しい御朱印。江戸時代に小山八幡神社から分祀・宗教上の軋轢の原因で分離。筍の産地だった武蔵小山。八幡通り沿いに鎮座。戦後に再建された木造社殿。地主神の稲荷神社。

江戸時代に妙見菩薩を合祀した当社の歴史を見ても氏子間の対立があった事が窺える。
そうした当社と「三谷八幡神社」の両社であるが、現在は大変良好な関係を築いている。
毎年例大祭は両社が合同で「小山両社祭」を行うのがその証拠とも云えるだろう。

小山両社祭(こやまりょうじゃさい)
毎年9月第1週の土曜・日曜に開催される例大祭。
「小山八幡神社」「三谷八幡神社」の両社の例大祭となる。
付近の町会から7基の大神輿や山車が繰り出し賑わう。
小山両社祭について - 武蔵小山商店街パルム公式サイト
小山両社祭は毎年9月第一週に開催される小山八幡神社・三谷八幡神社の例大祭です。 日曜日の夕方には両神社の氏子町会が有する神輿7基が武蔵小山駅前に集結し、西小山駅までの約1kmを連合渡御を行っております。なお、小山両社祭連合渡御は「しながわ百...
両社の氏子町会神輿7基が武蔵小山駅前に集結。パルム商店街を経て西小山立会道路まで練り歩く神輿連合渡御は毎年壮観で「しながわ百景」にも選ばれている。
しながわ百景の紹介 | 区制70周年記念しながわ百景〜魅力ある品川の風景

御朱印・荏原七福神大黒天の御朱印も頂ける

御朱印は社務所にて。
境内整備で新しくなった社務所。

御朱印は「小山八幡神社之印」の丸印。
左上には社紋の三つ巴紋、左下には「小山八幡神社」の角印。
2026年4月参拝時に掲示されていた御朱印。

通年で荏原七福神「大黒天」の御朱印も頂ける。
荏原七福神めぐり公式ホームページ
東京の品川を中心に歩いてめぐれる、荏原七福神めぐりについての公式ホームページです。

こちらは東急線花御朱印巡りで頂いた御朱印。
頂くには東急線主要駅などに販売している参加キット(1,500円)が必要となる。

東急線花御朱印巡りについての詳細は公式サイトにて。
東急線花御朱印巡り
「東急線花御朱印巡り第2弾」は、2023年9月16日(土)~2024年5月6日(月・祝)の期間中に、東急線・東急バス沿線の全59のお寺・神社で、専用御朱印帳への「特別 花御朱印」の授与と、ロスフラワーで彩る「奉納 花手水」を楽しむことが出来...
東急線花御朱印巡り
「東急線花御朱印巡り第2弾」は、2023年9月16日(土)~2024年5月6日(月・祝)の期間中に、東急線・東急バス沿線の全59のお寺・神社で、専用御朱印帳への「特別 花御朱印」の授与と、ロスフラワーで彩る「奉納 花手水」を楽しむことが出来...

境内のどんぐりを使って手作りのどんぐりストラップ

2026年4月参拝時に頂いた可愛らしい授与品。
その名も「どんぐりストラップ」。
境内のどんぐりを使って手作りで手間暇かけて作られたもの。
どんぐりに色を付けているので色は1つずつ違う仕様。
その年のどんぶつの分だけとの事で限定50体。

所感

旧小山村の鎮守として崇敬を集めた当社。
現在は旧小山村の中でも武蔵小山一帯の鎮守が「三谷八幡神社」で、当社は西小山一帯の鎮守とも云えるだろう。
氏子間の宗教上の軋轢によって分離した「三谷八幡神社」とは、現在は良好な関係で共に「小山両社祭」を行っているのは喜ばしい。
境内整備前は比較的広々とした境内で樹木が生い茂った鎮守の杜となっていた。
境内整備とマンション建設については一部氏子たちとのトラブルとなったが、個人的には改めて参拝してみて境内整備をしてよかったのではないかなと思う。
確かにコンパクトに狭くはなってしまったが全体的に明るくなり参拝しやすくなった。
以前はカラストラップなど少し眉をひそめるような箇所があり中々に足が向きにくい神社だったが、今の明るい境内ならとても良いのではないだろうか。
実際にこの日も多くの氏子さんが参拝に訪れていた。
鎮座する高台からは今も住宅街を眺める事ができ、かつてはここから遠くまで一望できたのであろう。
小山の地名由来にもなった当社はこれからも地域と共に歩んで欲しいと切に願う。

御朱印画像一覧・御朱印情報

御朱印

初穂料:500円
社務所にて。

※通年で荏原七福神「大黒天」の御朱印も頂ける。
※以前は初穂料300円だったが、2026年現在は初穂料500円に変更。

最新の御朱印情報
4月25日-2027年3月31日まで「東急線花御朱印巡り限定御朱印」
※東急線の一部駅などで手に入る参加キット(1,500円)に入っている参加者カード必須。参加者カードを提示する事で御朱印を頂ける。参加キット販売駅や頂き方などの詳細は東急線花御朱印巡り公式サイトにて。

授与品・頒布品

どんぐりストラップ
初穂料:800円
社務所にて。

境内のどんぐりを使った手作りストラップ。
50体限定。

参拝情報

参拝日:2026/04/25(御朱印拝受/ブログ内の画像撮影)
参拝日:2020/12/18(御朱印拝受/ブログ内の画像撮影)
参拝日:2015/05/08(御朱印拝受)

Google Maps

コメント

  1. 青の柊 より:

    小山神社は、源氏頼信が平忠常討伐の長元3年(1030年)多摩川を越え武蔵野国荏原に入った時、この地で宿営し旗揚げをし地元豪族を集め、戦勝祈願を旗岡八幡神社で行い、目の前の中原街道と立会川を渡り小高い山の上にある神社迄、来たと言う口承のみが残っています。
    この小山神社からは目黒、芝公園、五反田、大井町方面と大森海岸まで一望できここで初めて入る武蔵野の地形を把握したのでしょう(今はビルで目黒や芝公園や東京タワーも隠れて見えなくなりました、朝日に輝く微かな波がビルの隙間から見え大森の海の位置を実感できます、 旗の台駅、西小山駅はこの地名から由来しています)

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