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概要
戦後に二社が合祀・麻布十番のお稲荷様
東京都港区麻布十番に鎮座する神社。
旧麻布坂下町に鎮座していてがま池伝説ゆかりの「末廣神社」・旧麻布永坂町に鎮座していた「竹長稲荷神社」の両社が戦災で焼失したため、戦後に現在地へ隣接する形で遷座して再建。
後に両社を合祀し、現在の「十番稲荷神社」となった。
旧社格は「末廣神社」が村社で、「竹長稲荷神社」が無格社。
現在は麻布十番の鎮守の一社で、「港七福神めぐり」の宝船を担っている。
神社情報
十番稲荷神社(じゅうばんいなりじんじゃ)
御祭神:倉稲魂命
相殿神:日本武尊・市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命
社格等:村社
例大祭:9月中旬の土・日曜
所在地:東京都港区麻布十番1-4-6
最寄駅:麻布十番駅
公式サイト:https://www.jubaninari.or.jp/
御由緒
十番稲荷神社御由緒
十番稲荷神社は、もと末廣神社(旧坂下町鎮座)及び竹長稲荷神社(旧永坂町鎮座)である。昭和二十年四月十五日、空襲により両神社は焼失してしまったが、昭和二十五年六月、復興土地区画整理により両社境内地を現在地に換地、隣接指定された。その後両社は合併し十番稲荷神社と改称、平成九年三月二十九日に現社殿に建て替え、遷座祭が斎行された。
末廣神社御由緒
慶長年間(1596〜1615)に創建され元禄四年(1691)には坂下東方雑式に鎮座していたが、同六年坂下四一の社域に遷座された。
往古より境内に多数の柳があり「青柳稲荷」と称されていたが、後にその中の一樹の枝が繁茂し、扇の形を成していたことから「末廣の柳」と呼ばれるようになり、社名に冠され「末廣稲荷」と称された。その後、明治二十年四月に「末廣神社」と改称された。
竹長稲荷神社由緒
創建は一説に和銅五年(712)あるいは弘仁十三年(822)に慈覚大師所縁の八咫の神鏡を以て武蔵国豊島郡竹千代丘(今の鳥居坂上)へ稲荷大神を勧請したと伝えられている。延喜式内社の稗田神社と目される古社である。その後、弘安二年(1279)に鳥羽氏が社殿を再建、そして寛永元年(1624)三月に永坂町に遷座された。
現存はしていないが社宝に広重作の宝船の絵があり、戦前は宝船の巡拝所としても有名であった。 (頒布のリーフレットより)
歴史考察
麻布坂下町鎮守の末廣神社
「末廣神社」は、慶長年間(1596年-1615年)の創建と伝えられている。
稲荷信仰の神社で古くは「青柳稲荷」と称されたと云う。
かつては境内に多くの柳の木があったことから「青柳稲荷」と称された。
その柳の木の枝が繁茂して扇の形になっていた事から「末広の柳」と呼ばれるようになり、いつしか当社も「末廣稲荷」と称されるようになったと云う。
当時は現在よりもやや南西の坂下町(麻布坂下町)に鎮座。
現在の麻布十番商店街の通り沿いで100円ショップキャンドゥの付近。
現在は閉店してしまったが以前はハラストアーというスーパーがあった。
坂下町は古くは阿左布村(あざぶむら)の百姓長屋であった。
正徳三年(1713)、町方支配の坂下町(麻布坂下町)となり、当社はその鎮守として崇敬を集めた。
麻布永坂町鎮守の竹長稲荷神社
「竹長稲荷神社」は、創建年代は不詳。
弘仁十三年(822)説では、慈覚大師(円仁)が、武蔵国豊島郡竹千代ヶ丘(現・鳥居坂上の東洋英和付近)に稲荷大神を勧請したと伝えられている。
第三代天台座主。
遣唐使で渡海した入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の1人で、帰国後は目黒不動尊として知られる「瀧泉寺」など、関東や東北といった東日本に円仁伝承が残る寺社が多く存在しており、後に円仁派は山門派と称された。
竹千代ヶ丘に鎮座していたため、「竹千代稲荷」と称されていたと云う。
何れも伝承の域の言い伝えであるが、古くは現在の麻布・鳥居坂上に鎮座していた。
弘安二年(1279)、鳥羽氏が社殿を再建。
寛永元年(1634)、永坂町(麻布永坂町)に遷座。
現在の麻布図書館のやや南側付近。
この頃、三代将軍・徳川家光への配慮から「竹千代稲荷」から「竹長(たけちょう)稲荷」へ社号を改称。
正徳三年(1713)、永坂町が麻布永坂町と飯倉永坂町に分離。
当社は麻布永坂町の鎮守として崇敬を集めた。
江戸切絵図で見る2つの稲荷社
麻布坂下町と麻布永坂町の鎮守として崇敬された両社。
いずれも現在の麻布十番の区域にあたり、当時の様子は江戸の切絵図からも見て取れる。
こちらは江戸後期の麻布や現在の六本木周辺の切絵図。
左が北の切絵図となっており、両社は図の中央やや左上に描かれている。
赤円で囲ったのが現社地。
緑円で囲ったのが「末廣イナリ」と記された「末廣神社」。
橙円で囲ったのが「イナリ」とのみ記された「竹長稲荷」。
このように両社は近い位置に鎮座しており、どちらも現在の麻布十番周辺から崇敬を集めた稲荷信仰の神社であった。
明治以降の歩み・戦火による焼失
明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、「末廣稲荷神社」が村社に列する。
明治二十年(1887)、「末廣稲荷神社」から「末廣神社」へ改称。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の両社の位置関係を確認する事ができる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲ったの現在の「十番稲荷神社」の鎮座地で、当時は神社の姿を見えない。
緑円で囲ったのが「末廣神社」で、橙円で囲ったのが「竹長稲荷神社」。
いずれも現在の麻布十番の区域に鎮座していた事が分かる。
昭和二十年(1945)、東京大空襲によって両社が焼失。
両社共に悉く灰燼に帰したと云う。
戦後の再建と合祀・昭和の古写真
昭和二十五年(1950)、復興土地区画整理により両社が現在地に遷座して再建。
両社は隣り合う形で鎮座していたが、合祀される事となり現在の「十番稲荷神社」と改称。
上画像は昭和二十七年(1952)に「末廣神社」の狛犬が移された時のもの。
麻布十番出身の歌手・音丸による寄進で、戦火を免れこの狛犬は現存。
簡易な社殿と鳥居が設けられていて、戦後復興の様子が窺える。
当社の裏手は裏山になっていて木々が鬱蒼としていた。
昭和三十四年(1959)、社殿と鳥居が造営。
喜劇俳優のエノケンこと榎本健一が寄進した鳥居であった。
第二次世界大戦期前後の日本で活躍した俳優・歌手・コメディアン。
麻布十番出身で、エノケンの愛称で広く知られ「日本の喜劇王」とも呼ばれた。
上画像は同年の社殿と鳥居の竣工記念時のもの。
檜造りの立派な社殿で、石垣も設けられている。
昭和の当社を偲ぶ貴重な写真。
昭和三十七年(1962)、住居表示の実施に伴い、麻布坂下町の全域や麻布永坂町の一部など当地周辺が「麻布十番」と云う地名に改称。
当社は「麻布氷川神社」と共に麻布十番鎮守の一社となった。
平成九年(1997)、現在の社殿を新築造営。
平成二十八年(2016)、境内整備が行われ、宝船やかえる像などが通りに面する場所に移された。
現在は「港七福神めぐり」の宝船を担っている。
境内案内
麻布十番駅近く・都道319号線に面した小さな神社
最寄駅の麻布十番駅からはすぐの距離、六本木ヒルズに向かう都道319号線に面して鎮座。
大変こぢんまりとした小さな神社であるが、人通りの多い場所柄、日頃から参拝者が多い。
通りに面して鳥居と社号碑。
2019年6月参拝時は「集財祭」開催中で、境内が紫陽花で彩られていた。
鳥居の先に石段が続く。
石段を上ってすぐ右手に手水舎。
正面が社殿という大変こぢんまりとした空間。
平成に造営された鉄筋コンクリート造の社殿
社殿は平成九年(1997)に造営されたもの。
鉄筋コンクリート造の小さな社殿。
地下鉄12号線(現・都営地下鉄大江戸線)の建築に伴い社地が狭くなる形で造営。
狭い社地を利用しぎゅっと詰まった社殿だが綺麗に管理されている。
末廣神社に置かれていた戦前の狛犬
石段の上にある一対の狛犬は、かつて「末廣神社」に置かれていたもの。昭和十二年(1937)に、麻布十番出身の歌手・音丸が寄進したもの。
青銅の狛犬で、狛犬は戦火を免れ昭和二十七年(1952)に当地に移され現存。
港七福神めぐりの宝船
通りに面して石段を挟む形で左右に「宝船の石像」と「かえるの石像」が置かれている。
左手にあるのが宝船。
現在は「港七福神めぐり」の宝船を担う。
それに因んだ宝船の石像。
かつて「竹長稲荷神社」には、社宝として歌川広重による宝船の絵があったと云う。
戦災によって現存していないものの、こうした縁によって「竹長稲荷神社」は戦前の「麻布稲荷七福神詣」から宝船の札所と指定されていた。
そのため合祀された当社も「港七福神めぐり」の宝船を担っている。
がま池伝説・かえるの石像と火防の信仰を集めた伝承
右手にあるのがかえるの石像。
地域からは「かえるさん」と呼ばれ親しまれていたかえる像で、江戸時代からの伝承が残っている。
文政四年(1821)、麻布古川あたりより始まった大火で、当地周辺はほとんどが焼けてしまう中、山崎主税助の屋敷のみが類焼を免れたと云う。
山崎主税助の屋敷のみ免れたのは、屋敷の池(がま池)に住んでいた大蛙が水を吹きかけて猛火を退けたからであると評判が立ち、山崎家に御札を求める人々が後を絶たなくなった。
そこで山崎家では、「上」(じょう)という一字が書かれた御札を万人に授けるようになり、この御札は「上の字様」と称され、防火・火傷のお守りとして信仰を集めたと云う。
その後「末廣神社」が授与するようになったと伝わっている。
こうした由緒にちなみ、昭和五十年(1975)に置かれたのが、かえるの石像。
石像が設置された時は、石段の右奥に置かれていて、水掛けができるようになっていた。
上画像は平成二十七年(2015)に撮影した時の様子で、このように隣に水鉢と柄杓が置かれ、かえるの石像に水を掛けてあげる事ができた。
平成二十八年(2016)秋に、通りに面する形に整備され、現在は水掛けができなくなっている。
代わりに鈴を設置しているので鈴を鳴らして欲しいとの事。
このかえる像が設置された昭和五十年(1975)には、「かえるのお守り」を授与するようになり、防火・火傷のお守りとしてだけでなく、「かえる」の語音から旅行や入院の際に無事かえる、遺失物がかえる、若がえる等の御利益があるとされ信仰されている。
さらに平成二十年(2008)には、上述の「上の字様」を基にした「上の字御守」も授与するようになったりと、豊富な授与品が魅力。
祭事に置かれる金箔で黄金のかえる・満願成就のかえるさん
例大祭や酉の市、正月三が日など祭事の際には拝殿前に黄金のかえる像を設置。(平時は置かれていない)
満願成就のかえるさん。
開運招福を願い崇敬者が1人1人金箔を貼ったかえる。
願掛け御札を頂き願掛けや縁結びをする事ができる。
干支が押印された御朱印・港七福神めぐりの寶船
御朱印は丸印に「奉拝 十番稲荷神社 港区麻布十番鎮座」。
現在は左上に参拝年の干支のスタンプが押印されている。
書き置きの場合は特製のクリアファイルで頂ける場合も。
金色で縁起の良い賑やかな御朱印帳
オリジナルの御朱印帳も用意。
金色を貴重とした賑やかな御朱印帳で、人気も高く品切れになっている事も多い。
2015年に御朱印帳を頂いた時の御朱印で、御朱印帳限定として別紙にて狐と蛙が乗る宝船が印刷された御朱印も頂いた。(現在は終了)
2015年に御朱印帳を頂いた際に下さった可愛らしいちびかえる。
手に入れたい物を獲得・期間限定の獲得の御守
当社には様々な授与品が用意されている。
中でも期間限定の「獲得の御守」は人気が高い。
手に入れたい「物・もの・モノ」を獲得するための特別な御守。
特別祈願が施され、所有者の信仰と徳に応じて願うものを与えると云う。
授与日は正月(元日から成人の日まで)、午の日、酉の市の期間限定。
獲得の御守は袋と小判が置かれた短冊の組み合わせ。
中の短冊を引き抜いて欲しいモノを1つだけ記し御守の袋にしまう。
短冊は決して他人に見せずに、御守は常時携帯し受けてから1年を目安に神社に納める。
初午から限定授与・家内安全商売繁盛・宝珠の神符
初午から旧初午にかけては宝珠の神符を授与。
期間限定授与の特別な御神札。
2月最初の午の日。
稲荷信仰の総本社である京都「伏見稲荷神社」の御祭神が伊奈利山へ降りた日が初午であった事から、全国の稲荷信仰の神社では縁日とされる。
当社でも午の日を特別な日として初午から旧初午まで「宝珠の神符」を授与し、午の日には上述の「獲得の御守」を授与する。
御朱印サイズではなくかなり大きな神符。
神棚に納めるか、神棚がない場合は高い位置の大切な場所に納める。
稲荷信仰の神使である狐と宝珠が描かれた御神札で、家内安全・商売繁盛の御神徳。
令和より金運財運上昇の集財祭(あじさいまつり)を開催
令和元年(2019)より当社の新しい祭りとして「集財祭(あじさいまつり)」を開催。
「あじさい」の字を「集財」に充てて「金運・財運上昇のお祭り」として斎行。
5月11日-6月16日 各日10時-17時
境内には鉢植の紫陽花が多数展示。
様々な品種の紫陽花が境内を彩る。
各あじさいには品種や説明書きも。
またアジサイ豆知識の掲示も行っていて、色々と見て回るのが楽しい。
集財祭の文字と吊し紫陽花。
集財祭限定で様々な授与品も用意。
集財金貨。
吊し集財守。
金運財運上昇の御利益を願って頂くのもよいだろう。
集財祭期間中は限定御朱印も用意。
集財祭と記された朱印が押される。
さらに先着で集財祭参拝証を授与。(数に限りあり)
カード型になっているので財布やカードケースに入れておくのもよいだろう。
2022年に頂いた際はクリアファイル付き。
2023年に頂いた御朱印と集財金貨。
2024年に頂いた御朱印。
11月の酉の市・2024年は百周年酉の市
当社の例大祭は9月中旬の土日に斎行。
氏子の各町内会ではお神酒所が設けられ、町会毎にお神輿が練り歩く。
3年に1度、宮神輿の渡御も行われる。(次回は2026年)
11月酉の日には酉の市が開催。(画像は2024年の酉の市)
酉の市らしく熊手商も。
熊手を頂く人で大賑わい。
限定の御朱印や授与品も授与される。
例年11月の酉の日に行われる祭。
日本武尊を御祭神とする大鳥信仰系の神社で行われる事が多い特殊神事。
「花畑大鷲神社」(足立区花畑)が発祥とされ、江戸時代から現在にかけては吉原遊廓に隣接していた「浅草鷲神社」の酉の市が日本最大の酉の市として知られる。
そんな当社の酉の市は令和六年(2024)が百周年。
麻布十番酉の市祭百周年として記念の御朱印も。
金ピカの用紙の百周年御朱印は酉の市の当日のみの特別授与。(用紙違いの百周年御朱印は酉の市以外でも11月末まで頂ける)
記念すべき酉の市を大いに楽しんだ。
一の酉:11月5日(火)
二の酉:11月17日(日)
三の酉:11月29日(金)
麻布十番納涼まつりは商店街主催イベント
8月下旬に行われる麻布十番で有名な「麻布十番納涼まつり」は麻布十番商店街振興組合が主催するイベント。
当社が由来のものではないものの開催日には当社も十番囃子のお披露目があったりと氏子地域の一画でもある商店街と共に地域を盛り上げている。
所感
麻布十番の鎮守の一社として崇敬を集める当社。
かつては「末廣稲荷」「竹長稲荷」と云う別々のお稲荷様で、そのいずれも現在の鎮座地から近い麻布十番エリアに鎮座していた。
戦災によって焼失後、戦後の復興にあたって区画整理され現在の社地となり、発展する麻布十番界隈の中でこぢんまりとした境内となってしまっているが、豊富な授与品など様々な取り組みを行っている。
人通りの多い通りに面していて日頃から参拝に立ち寄る人々を多く見られ、地域に根付いているのが窺える。
麻布十番には欠かせない良い神社である。
御朱印画像一覧・御朱印情報
御朱印
初穂料:500円
社務所にて。
※毎年元旦-成人の日に開催される「港七福神めぐり」で寶船御朱印を用意。
※祭事に応じて限定御朱印を用意する場合あり。
※以前は初穂料300円だったが現在は500円に変更。
11月5日・17日・29日は「酉の市百周年記念御朱印 当日限定版」「酉の市限定御朱印」
※酉の市の当日限定。書き置きのみ。(当日限定版は下記とは紙質が違う)詳細は公式サイトにて。
10月1日-11月30日まで「酉の市百周年記念御朱印」
※今年は麻布十番酉の市100周年。書き置きのみ。酉の市当日を除く)
御朱印帳
初穂料:2,000円(御朱印代込)
社務所にて。
オリジナルの御朱印帳を用意。
金を基調とした派手な御朱印帳。
お稲荷さんの他に、御由緒にもある蛙や宝船、さらには珊瑚や打ち出の小槌、青海波模様など、御利益や金運が上がりそうな造形が盛り込まれている。
2015年に御朱印帳を頂いた際には貼り付け用の限定御朱印や授与品のちびがえるも頂けた。(2016年に終了済)
授与品・頒布品
寶小判
初穂料:500円
社務所にて。
酉の市限定の授与品。
集財金貨
初穂料:500円
社務所にて。
集財祭限定の授与品。
吊し集財守
初穂料:500円
社務所にて。
集財祭限定の授与品。
獲得の御守
初穂料:2,000円
社務所にて。
元日-成人の日・酉の市・午の日限定の特別な御守。
宝珠の神符
初穂料:500円
社務所にて。
初午-旧初午限定で授与される家内安全・商売繁盛の御神札。
参拝証
初穂料:─
社務所にて。
酉の市限定御朱印や集財祭限定御朱印を頂いた際に頂けたカード型の参拝証。
クリアファイル
初穂料:─
社務所にて。
書き置き御朱印を頂いた際に頂けたクリアファイル。
ちびかえる
初穂料:─
社務所にて。
2015年に御朱印帳を頂いた際に下さった陶器製の1cm程の小さな蛙。
参拝情報
参拝日:2024/11/05(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2024/08/25(御朱印拝受)
参拝日:2024/05/14(御朱印拝受)
参拝日:2023/11/23(御朱印拝受)
参拝日:2023/05/25(御朱印拝受)
参拝日:2022/05/24(御朱印拝受)
参拝日:2021/02/03(御朱印拝受)
参拝日:2019/06/14(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2018/08/25(御朱印拝受)
参拝日:2017/01/20(御朱印拝受)
参拝日:2015/04/30(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
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