愛宕神社 / 東京都港区

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神社情報

愛宕神社(あたごじんじゃ)

御祭神:火産霊命
相殿神:罔象女命・大山祇命・日本武尊・将軍地蔵尊・普賢大菩薩
旧社格:村社
例大祭:9月24日(大祭式)・9月22日-24日(隔年)(出世の石段祭)
所在地:東京都港区愛宕1-5-3
最寄駅:虎ノ門駅・神谷町駅・御成門駅
公式サイト:http://www.atago-jinja.com/

御由緒

当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。幕府の崇敬篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、祭礼等でもその都度下附金の拝領を得ておりました。また徳川家康公のご持仏「勝軍地蔵菩薩」(行基作)も特別に祀られております。(非公開)
江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に焼失しましたが現存のご社殿は昭和33年再建されました。寛永十一年三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆け上り、お社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ、「出世の石段」の名も全国に広まりました。万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でもありました。(ご社殿内に額縁寄贈)
海抜二十六メートルは都内随一の高さを誇り、桜と見晴らしの名所として江戸庶民に愛され数多くの浮世絵にもその姿を残しています。明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、江戸城無血開城へと導きました。鉄道唱歌にもその名が残り春は桜、夏の蝉しぐれ、秋の紅葉、そして冬景色と四季折々の顔を持つ風光明媚な愛宕山として大変貴重な存在となっております。
ほおづき市・羽子板市は浅草の市の先駆け、発祥の地として江戸時代の書「東都歳時記」にもその賑わいは記され、現在は六月の千日詣り、羽子板絵馬にてその名残りをとどめています。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/06/02(ブログ内の画像撮影)
参拝日:2015/05/18(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

愛宕神社

御朱印帳

初穂料:1,300円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
紺を基調として出世の石段がデザインされたもの。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

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考察

愛宕山山頂に鎮座

東京都港区愛宕に鎮座する神社。
旧社格は村社。
標高26mの自然に形成された山である愛宕山山頂に鎮座。
出世の石段と呼ばれる男坂で有名な愛宕信仰の神社。

徳川家康の命により創建

社伝によると、慶長八年(1603)、徳川家康の命によって創建。
家康が信仰した愛宕権現(勝軍地蔵菩薩)を勧請したとされ、当社の本地仏として別当寺「円福寺」に祀ったことにはじまる。

愛宕信仰の神社であり、京都の「愛宕神社」が総本社。
当時は神仏習合の時代であり、愛宕信仰も神仏習合の色合いが濃い信仰であった。
愛宕権現とは愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号であり、イザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏としている。

当社は全国に約900社を数える愛宕神社の総本宮として京都市の愛宕山上に鎮座します。 古くより火伏・防火に霊験のある神社として知られています。

また、京都の「愛宕神社」は火伏せ・防火に霊験のある神社として知られており、各地でもそうした信仰の元に創建される事が多い。
当社は家康によって江戸の防火・防災のために創建されたと見る事ができる。
そのため、現在でも当社は防火・防災に霊験があるとして知られている。

家康の命による創建のため、徳川将軍家との縁も深い神社であった。
慶長十五年(1610)には、社殿を始め仁王門、坂下総門等などが寄進されている。

出世の石段の伝説

寛永十一年(1634)、三代将軍・徳川家光が、二代将軍・徳川秀忠の三回忌として「増上寺」参拝の帰り、山上にある梅が咲いているのを見て「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったと伝わる。
すると讃岐国丸亀藩の家臣(曲垣平九郎盛澄)が正面男坂(八十六段)を駆け上り、当社に国家安寧の祈願をした上で、境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上。
この事により曲垣平九郎盛澄は、日本一の馬術の名人として名を馳せるようになり「出世の石段」の名も全国に広まる事となった。

当社のシンボルとなっているのが男坂。
imageこの石段を馬で駆け上がったというのだから凄まじいエピソードであろう。

家光に献上したとされる梅は現在も「将軍梅」として境内に残っている。
imageこの梅を手折り献上したとされている。

江戸の人気観光名所

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

95f02373国立国会図書館デジタルコレクションより)

3ページに渡り描かれているのが愛宕山周辺。
右手は現在もある「真福寺」。
ちなみに「真福寺」は当社の別当寺ではなく、別当寺は「円福寺」というお寺であった。
別当寺だった「円福寺」は明治の神仏分離、そして廃仏毀釈によって廃寺となっている。

左手と真ん中に描かれているのが当社の坂下。
当時から急な勾配の男坂、緩やかな勾配の女坂があるのが分かる。
絵で見ても相当な角度になっているのが伝わってきて、当時から名所の1つだったのが分かる。

さらに愛宕山を登った境内は別ページにて描かれている。

e5419d05国立国会図書館デジタルコレクションより)

敷地は現在とあまり変わっていないのだが、江戸期にあった大火や関東大震災、空襲などで社殿は何度も焼失しているため、現在と当時では配置なども結構変わっているのが分かる。
注目すべきは境内を取り囲むように見られる「茶屋」の文字。
ここからも江戸の中にある観光名所になっていたのが伝わってくる。

浮世絵に描かれた当社

そんな徳川将軍家からの崇敬も篤く、江戸庶民からの人気も高かった当社。
江戸の人気観光名所であり、多くの茶屋が並ぶ事からも、浮世絵・錦絵の題材としてよく取り上げられている。

新板浮絵芝愛宕山遠見之図(葛飾北斎・新板浮絵芝愛宕山遠見之図)

こちらは葛飾北斎による「新板浮絵芝愛宕山遠見之図」。
当時の当社の素晴らしい造りがよく分かる一枚となっている。
社殿や当時の仁王門などの造りがとても素晴らしく、また愛宕山から江戸市中を一望できるように茶屋が多く設置されているのが見て取れる。

芝愛宕山上見晴之図(歌川広重・東都名所)

こちらは歌川広重による「東都名所」に描かれた「芝愛宕山上見晴之図」。
愛宕山から芝浦の海まで見えた事が分かり、素晴らしい絶景であったのだろう。
より細かい描写となっており江戸市中の町並み、そして海と描かれている。
出世の石段である男坂ではなく、女坂を使って行き来する女性や老人、子供の姿も分かる。
広重は他にも数点当社を描いている。

愛宕山毘沙門ノ使(二代歌川広重・歌川国貞・江戸自慢三十六興)

二代目歌川広重と、初代歌川国貞による「江戸自慢三十六興」。
こちらでは「愛宕山毘沙門ノ使」として出世の石段が描かれている。

他にも数多くの浮世絵が残っており、こんなにも浮世絵の題材として取り上げられた神社も数少なく、それだけ当社が江戸の中でも有名な名所であった証拠とも云える。

桜田門外の変の集合場所・江戸城無血開城の逸話

江戸の人気スポットでもあった当社・愛宕山は、幕末においても様々な逸話を残している。

万延元年(1860)には水戸の浪士が当社に集合。
当社で祈念した後に桜田門へ出向き大老井伊直弼を討つという「桜田門外の変」が発生。
当社が集合場所であったとされている。

また、明治元年(1868)戊辰戦争の時に、江戸市中での武力衝突の緊張が高まる中、勝海舟と西郷隆盛が、愛宕山頂で江戸市中を見渡したとされている。
その後会談して、江戸城無血開城へ繋がったという逸話もある。
愛宕山から江戸市中を見渡す事ができて色々思う事があったのであろう。

神仏分離と震災・戦災からの再建

明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。

別当寺であった「円福寺」は廃仏毀釈の影響を受け廃寺となっている。
勝軍地蔵菩薩像は近くの「真福寺」に移された。

大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
当社も震災により社殿が焼失。

その後再建されたものの、昭和二十年(1945)、東京大空襲の戦災によって再度焼失。
戦後の昭和三十三年(1958)に、現在の社殿が再建された。

当社のシンボル・出世の石段

標高26mと低いながらも、23区内では珍しい天然山(愛宕山)の頂上にある当社。
そんな当社のシンボルとなっているのが、上述でも説明した「出世の石段」。
image男坂が急勾配となっており、上った先から下を見ると中々の眺めとなっている。
この右手には女坂があり、そちらは緩やかな石段となっているので、好きなほうを上るのがよいだろう。
image江戸時代の浮世絵でも、女性や子供などは女坂を上っている様子が描かれている。

男坂を上ると左手に手水舎、すぐ正面に丹塗りの門がある。
image江戸時代の頃には、男坂を上ってすぐ(現在の鳥居)の位置に、見事な仁王門が建てられていたものの、そちらは既に焼失しており、その代わりにこうして社殿前に門がある。

この門の先に社殿。
image震災や戦災など度重なる焼失と再建を繰り返しており、こちらは昭和三十三年(1958)に再建されたものとなる。

この社殿の左手前に「招き石」とされる石。
imageこの石をなでると福が身につくとされている。
また、丹塗り門の外側左手には、上述もした将軍梅が植えられている。

「櫻田烈士愛宕山遺蹟碑」といった石碑の姿が見える。
image上述したように桜田門外の変で井伊直弼を襲った水戸藩の浪士達もここで成功を祈願してから江戸城へ向かったと言う逸話がある事から。

境内社は社殿の右手に太郎坊社・福寿稲荷社・大黒天社。
さらに見事な神池があり、そちら側に弁財天社が鎮座している。
imageこの日は紫陽花が綺麗に咲いていた。
鯉が数多く泳いでいるのだが、この鯉の餌は100円で社務所にて販売している。
餌やりをするとかなりの勢いで鯉が襲ってくるので驚く。

御朱印は社務所にて。
オリジナルの御朱印帳も用意している。

出世の石段を馬で上った事例

実際に当社を訪れた人は、その急すぎる勾配の石段に驚き、ここを馬で駆け上がったという逸話を作り話だと思う人もいるかもしれない。
imageこうして上から見るとその勾配に恐怖すら覚える。

しかし、その後も実際に石段を馬で登った事例が存在し、知られているだけで3つ存在。
そのため出世の石段伝説ともなっている逸話は作り話ではなく実話と見るのが正しいだろう。

1例目は旧仙台藩で馬術指南役を務めていた事がある石川清馬という人物。
師の四戸三平が挑んだ過去があったようだが果たせなかったらしく、師の果たせなかった出世の石段登頂を明治十五年(1882)に成功させ、これにより石川家は徳川慶喜より葵の紋の使用を許された。
2例目は参謀本部馬丁の岩木利夫という人物。
大正十四年(1925)愛馬平形の引退記念として挑戦し、観衆が見守る中成功させた。
上りは1分ほどで駆け上がったが、下りは45分を要したそうだ。
この模様は山頂の東京放送局によって中継され(日本初の生中継とされる)、昭和天皇の耳にも入り、結局平形は陸軍騎兵学校の将校用乗馬として使われ続ける事に。
3例目は馬術のスタントマン、渡辺隆馬という人物。
昭和五十七年(1982)、日本テレビの特別番組「史実に挑戦」において、安全網や命綱などの安全策を施した上ではあったが32秒で登頂した映像が残っている。

ちなみに当社の例大祭である「出世の石段祭」は隔年で行われるのだが、この出世の石段を使った大変勇壮なお祭りになっている。
この急勾配な出世の石段を提灯を付けた御神輿が登っていく姿は圧倒されるので、機会がある時は訪れるとよいだろう。
西暦だと偶数年に開催されると覚えておくのがよい。

最近、一部界隈で出世の階段(男坂)を上ったら、出世の階段を使って下りてはいけない(運気が落ちる)、といった謎めいたルールを言う方を見かける。
そもそも伝承の元になった曲垣平九郎盛澄の逸話は、馬で駆け上がり下りてきているものであるし、上述のようにその後達成した人々も下りるまで行って達成としている。
江戸時代の史料を見ても下りている人々の様子を描かれているし、当社の大祭である「出世の石段祭り」でも、神輿が男坂を上り下りするものであるように、出世の石段を下りてはいけないという事は一切ない。
急勾配のため、下りるのが怖い場合は女坂などを使うのがよいが、下りてはいけないという事は絶対ないので安心して上り下りして欲しいし、むしろ下りてこそ「この出世の石段を馬で上り下りした」という伝承の凄さや例祭の凄さを実感できると思うので、気にせず男坂を下りて欲しい。(そもそも氏子でそういう事を言う人を見たことはない。)

所感

徳川家康により創建され、徳川将軍家に庇護された当社。
天然山である愛宕山山頂にある事で当初から名所の一つになっていた当社。
江戸町民からも人気の名所となっており、多くの浮世絵の題材になっている事からも、その人気が分かるというもの。
現在も語り継がれる男坂「出世の石段」は、いま見ても凄さを感じる。
周囲に高い建物も立ち、愛宕山から江戸市中を見渡すといった事はできなくなったが、現在も虎ノ門などビジネス街にあり、多くの方の憩いの場として崇敬篤いのが伝わってくる。
いつ行っても参拝される方が多く、崇敬の篤い良社であろう。

神社画像

[ 大鳥居・出世の石段・社号碑 ]
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[ 大鳥居・出世の石段(男坂) ]
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[ 狛犬 ]
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[出世の石段(男坂)]
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[ 女坂 ]
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[ 鳥居 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 丹塗りの門 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿 ]
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[ 招き石 ]
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[ 将軍梅 ]
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[ 石碑 ]
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[ 太郎坊社 ]
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[ 福寿稲荷社・大黒天社 ]
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[ 神池 ]
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[ 弁財天社 ]
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[ 三角点・奉納銘石 ]
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[ 顔出しパネル ]
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[ 社務所 ]
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[ 案内板 ]
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