移動全面解禁。今後も対策をした上で参拝していきましょう。依然として各神社も御朱印対応が変更の可能性有。

朝日神社 / 東京都港区

5.0
港区

神社情報

朝日神社(あさひじんじゃ)

御祭神:倉稲魂大神・市杵嶋姫大神・大国主大神・大山祇大神・北野天神
社格等:─
例大祭:9月第3日曜
所在地:東京都港区六本木6-7-14
最寄駅:六本木駅
公式サイト:http://www.asahi-jinjya.com/

御由緒

 朝日神社は、旧記によれば天慶年中(西暦940年)草創と伝えられております。
 はじめ、市杵島姫大神を祀り当地の鎮守の社として広く庶民に尊信されて居りました。その後、伝うところによれば織田信長の室朝日姫(清心尼)様が、渋谷から長者ヶ丸(現青山辺)を過ぎる途中、草むらに光輝くものを見つけ、近づき旭陽の白露に映ずるが如く凝視してみたところ、稲荷の神像と観音の像を見つけました。草むらより持ち帰った観音像は専称寺に贈り、稲荷の神像は当社に祀られ、市杵島姫大神と倉稲魂大神を合祀して日ヶ窪稲荷と呼ばれるようになりました。
 その後、明和年間に朝日稲荷と改称され、益々尊敬する人々多くなり、隆昌を極め明治二十八年朝日神社と改称し現在に至ります。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2018/12/28

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※2020年より月替りの御朱印・毎月1日/15日/22日限定の御朱印を用意。(詳細は公式サイトにて)

歴史考察

旧北日ヶ窪町鎮守・六本木鎮座のお稲荷様

東京都港区六本木に鎮座する神社。
旧社格は無格社で、旧北日下窪町(北日ヶ窪町)の鎮守。
古くは弁財天を祀っていたが、後に稲荷神を合祀し、地名の日ヶ窪(現・六本木)から「日ヶ窪稲荷」と称され、江戸時代中期には現在の社号にも繋がる「朝日稲荷」と呼ばれたように、お稲荷様として崇敬を集めた。
近年は7月上旬の「ほおずき市」でも知られる。

平安時代に弁財天を祀り創建

社伝によると、天慶年間(938年-947年)に草創と伝わる。

青山公園の『麻布台懐古碑』にも記されている。

当時は、市杵島姫大神(弁財天)を祀り当地の鎮守として、庶民より崇敬を集めたと云う。

市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)が行った誓約(うけい)で生まれた宗像三女神の一柱。
宗像三女神を祀る神社の総本社「宗像大社」(福岡県宗像市)の御祭神で知られる。
神仏習合では弁財天と習合し、同一神として崇敬された。

古くは弁天様を祀る鎮守であったことが分かる。

弁財天は元来インドの河神で、ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれ日本に伝来し、神仏習合によって神道にも取り込まれ、様々な日本的変容を遂げた神。そのため平安初期から水に関する箇所に数多く祀られた。当地にも水に関する信仰があったと推測できる。

江戸時代に稲荷神が合祀・日ヶ窪稲荷と称される

江戸時代初期、「専称寺」の開基・三光院清心尼によって稲荷神が合祀。

三光院清心尼(さんこういんせいしんに)
大和国郡山城主で戦国大名・筒井順慶の姪で、朝日姫と称された。
筒井順慶は織田信長に臣従したため、朝日姫は信長の侍女(室)となった。
信長の死後は、剃髪して出家し「増上寺」第16世深誉上人の弟子となった。
「専称寺」(港区元麻布3)を開基したと云う。
「専称寺」は、新選組一番隊組長・沖田総司の墓がある寺院として知られる。

清心尼が、渋谷から長者ヶ丸(現・青山周辺)を過ぎる途中、草むらに光輝くものを見つけたため近付くと、稲荷の神像と観音像であったと云う。
観音像は「専称寺」に安置され、稲荷の神像は当社に祀られ、弁天様と稲荷様を合祀したと伝わる。

稲荷信仰の神社となり、当時の日ヶ窪と云う地名から「日ヶ窪稲荷」と称された。

日ヶ窪(ひがくぼ)
現在の当地周辺の地名で、日ヶ窪町と呼ばれ、中でも当社周辺を麻布北日ヶ窪町(現・六本木6丁目の一部)と呼び、当社は一帯の鎮守であった。
方角的に日当たりが良かったので日南窪と呼ばれたのが転訛して日ヶ窪となったと見られている。

明和年間に朝日稲荷に改称・麻布氷川神社の兼務社

明和年間(1764年-1772年)、「朝日稲荷」に改称。
これが現在の「朝日神社」に繋がる。

当社に稲荷神を合祀した三光院清心尼が、朝日姫と呼ばれていた事に由来。

また、江戸時代は「麻布氷川神社」の兼務社であったと云う。

『江戸砂子』に「日ヶ窪より六本木へ上る坂なり。坂下に稲荷の社あり。麻布氷川の持也。」との記載がある。
麻布氷川神社 / 東京都港区
麻布総鎮守。江戸七氷川の一社。月替りの御朱印・宮神輿巡行の御朱印帳。浮世絵にも描かれた麻布一本松。徳川将軍家からの庇護。セーラームーンに登場神社のモデル。コンクリート博士による社殿。神楽殿や神輿庫。向かい合う狛犬。港七福神めぐり・毘沙門天。

麻布町域の北日ヶ窪町の鎮守として地域から崇敬を集めた。

江戸切絵図から見る朝日稲荷

江戸時代の当社は江戸切絵図を見ると位置関係が分かりやすい。

(麻布絵図)

こちらは江戸後期の麻布周辺の切絵図。
当社は図の左下に描かれている。

(麻布絵図)

北が上にくるように回転させ当社周辺を拡大したものが上図。

赤円で囲ったのが当社で、「朝日イナリ」の文字。
当社の南東には北日ヶ窪町が見え、当社はこの一帯の鎮守であった。
隣接する六本木町も見ることができ、現在は一帯が六本木となっている。

明治以降の当社の歩み・戦後の再建

明治になり神仏分離。
当社は無格社であった。

明治初年、「朝日稲荷」から「稲荷神社」に改称。
明治二十八年(1895)、「朝日神社」へ改称。
これが現在の社号となっている。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
今は地名として存在しない日下窪町を見ることができ、当社はこの北側・北日下窪町の鎮守であった。

ほぼ隣接するように六本木町があり、こうした地名は上述した『江戸切絵図』と変わらない。

大正十二年(1923)、関東大震災が発生し、当社の社殿などが焼失。
昭和二十年(1945)、東京大空襲で再び社殿が焼失。

昭和二十九年(1954)、社殿が再建。
昭和四十二年(1967)、住居表示の実施によって北日下窪町(北日ヶ窪町)など周辺の多くの地名が六本木に統一したため、町名から日下窪(日ヶ窪)といった古い地名は消滅。

現在は旧地名を残す区画はほぼ消失している。

平成五年(1993)、旧社殿の老朽化に伴い、社殿を造営。
これが現在の社殿となる。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

六本木駅からすぐ芋洗坂の小さな神社

最寄駅の六本木駅からは徒歩すぐの距離。
芋洗坂の途中に社頭があり、繁華街・六本木で注意していないと見逃しそうな立地。

芋洗坂(いもあらいざか)
大正六年(1917)出版の『新編江戸志』には、「芋洗坂。日ヶ窪より六本木へ上る坂。坂下稲荷社あり。麻布氷川の持也。毎年秋、近在より芋を馬にてはこび来り、稲荷宮の辺にて日毎に市あり、ゆへに名付けるかと江戸砂子に見ゆ。」との記載。
朝日稲荷と呼ばれた当社の前で、芋が売られていたために名付けられたと紹介されている。

鳥居と社号碑。
その先に細い参道が続き境内となる。
細く短い参道。
右手に手水舎があり、小さいながらも水が出るので身を清めることができる。

鉄筋コンクリート造の社殿・後方には六本木ヒルズも

社殿は平成五年(1993)に造営されたもの。
関東大震災、戦災と社殿は焼失し、戦後に再建された木造社殿も老朽化のため建て替え。
鉄筋コンクリート造にて造営。
社地が狭いため裏手の本殿を望むことができないが、本殿も神明造り。

社殿の裏手には六本木ヒルズ森タワーの姿も。
六本木ヒルズの一部は旧北日ヶ窪町の範囲であり、当社の鎮守する区域であった。

更に社殿の右手奥には小さな稲荷神社の境内社が置かれている。

御朱印・ほおずき市などの限定御朱印もあり

御朱印は参道途中にある社務所にて。
とても丁寧に対応して頂いた。

2020年より月替りの御朱印・毎月1日/15日/22日限定の御朱印を用意。(詳細は公式サイトにて)

御朱印は堂々とした墨書きと朱印の構成。
2018年末に参拝時は「天皇陛下御即位三十年」のスタンプも押して下さった。

ほおずき市、夏詣などに限定御朱印が用意されている。

境内が朱一色で彩られる7月のほおずき市

とても小さな神社であるが、年中行事は盛んに行われている。

例大祭や大祓の他にも、6月の御田植神事、7月のほおずき市など、様々な行事で参拝者が訪れる。
中でもほおずき市は六本木のちょっとした名物に。

ほおずき市
毎年7月に当社境内で開催される行事で、境内には多くのほおずきが並び、境内が朱一色で彩られる。
面白いのが宮崎県日之影町が主催となっている事。
日之影町の名産品であるほおずきを六本木という街で、都会と田舎の交流をテーマに催される。
平成30年度 六本木 朝日神社ほおずき市 開催概要
2018年は「ほおずき市」開催の2日間限定で限定御朱印を用意。

他にも縁日やバザーなど様々な催しをしており、繁華街の小さな神社ながら地域交流を窺える。

所感

六本木に鎮座する小さな神社。
かつては弁天様を祀る神社で、江戸時代に入って稲荷様が祀られた。
稲荷信仰の神社として「日ヶ窪稲荷」「朝日稲荷」などと称され、地域の崇敬を集めた。
氏子地域は北日ヶ窪町と呼ばれた町で、今はその旧地名を偲ぶものも見ることができないが、当社の南側から六本木ヒルズの一部も、古くはそうした町名の一画であった。
境内には古いものはほぼ残っていないものの、六本木という地において、狭いながらも神社としての体裁を整えて維持されているのは素晴らしい事だと思うし、境内では季節に応じて様々な行事が行われていて、六本木という地でも地域交流がある事が素敵に思う。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]



[ 石碑 ]

[ 参道 ]



[ 手水舎 ]


[ 社殿 ]





[ 稲荷神社 ]

[ 社務所 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

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