靖國神社(靖国神社) / 東京都千代田区

5
千代田区

神社情報

靖國神社/靖国神社(やすくにじんじゃ)

御祭神:対外事変や戦争に際して国を守るために亡くなられた神霊246万6千余柱
社格等:別格官幣社・勅祭社・単立神社
例大祭:4月21-23日(春季例大祭)・7月13-16日(みたままつり)・10月17-20日(秋季例大祭)
所在地:東京都千代田区九段北3-1-1
最寄駅:九段下駅
公式サイト:https://www.yasukuni.or.jp/

御由緒

靖國神社は、明治2年6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年に「靖國神社」と改称されて今日に至っています。靖國神社は、国家のために尊い命を捧げられた人々の「みたま(神霊)」を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖國」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2019/08/15(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2017/08/11(御朱印拝受/御朱印帳拝受/ブログ内画像撮影)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※「みたままつり」「みらいとてらす」など期間中に限定御朱印あり。

最新の御朱印情報
令和元年-年末まで「御創立百五十年記念限定御朱印」
※御朱印帳への直書きと書き置きの2種類
※書き置きはエンボス加工(浮き出し模様加工)の桜柄が押された特別仕様
※詳細は公式サイトにて。

[2019/08/15拝受]
(御創立百五十年記念/書き置き)

[2019/08/15拝受]
(御創立百五十年記念)

[2017/08/11拝受]
(通常)

御朱印帳

初穂料:1,000円(通常)・1,500円(御創立150年記念)
授与所にて。

オリジナルの御朱印帳を複数用意。
通常のものは白色(社紋・桜柄)、紺色(社紋・霞文様)の2種類。
2019年が御創立150年のため、記念御朱印帳が用意されている。
空色を基調としエンボス加工された桜や鳩がデザインされたもの。

最新の御朱印帳情報
令和元年の年末まで「御創立百五十年記念限定御朱印帳」
※2017年より頒布していたが令和元年で品切れとなり6月まで一時頒布停止の後再開となった。
※詳細は公式サイトにて。

[ 表面 ]

[ 裏面 ]

授与品・頒布品

こすずまもり
初穂料:1,000円
授与所にて。

御創立150年記念(限定)のお守り。


歴史考察

護国の英霊を祀る靖國神社

東京都千代田区九段北に鎮座する神社。
旧社格は旧別格官幣社で、現在は祭礼に際して天皇により勅使が遣わされる勅祭社。
神社本庁に属さない単立神社であり、歴史的に氏子地域は有していない。
護国の英霊を祀り、古くは「東京招魂社」と呼ばれ、後に現在の「靖國神社」へ改称。
正式には「靖國神社」と表記するが、新字体の「靖国神社」を使用される事も多い。
桜の名所としても知られ、東京都の「桜の開花宣言」は当社境内の標準木が咲いた時に行われる。

東京招魂社として創建・明治天皇による命名

明治二年(1869)、明治天皇の勅許を受けて「東京招魂社」として創建。

「東京招魂社」が創建されたのは時代の機運によるものが大きい。

明治維新となり戊辰戦争が終戦すると、戦死者や戦没者を慰霊・顕彰する動きが活発となる。
戦死者や戦没者を慰霊・顕彰するための施設である「招魂社」が全国各地で創立。
こうした社会背景の中で、大村益次郎が東京に招魂社を創立する事を献策、明治天皇の勅許を受けて現在地に「東京招魂社」が創建された。

大村益次郎(おおむらますじろう)
維新の十傑の一人に数えられる人物。
長州征伐と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、明治維新後も軍務を統括、事実上の日本陸軍の創始者とされる。
明治二年(1869)、不平を抱く士族たちによって暗殺。
当社の参道に大村益次郎の像が置かれているのもこうした理由による。

当時はまだ仮神殿の状態であった。

政府軍側のみを祀った招魂社
創建時は幕末から明治維新にかけて勲功のあった志士を祀る招魂社であった。
新政府軍側の戦死者のみを祀っており、現在も旧幕府軍や新選組・彰義隊・奥羽越列藩同盟軍など旧幕府側に与した戦死者は対象外となっている。
また、後の西南戦争の際にも政府軍側のみを対象としたため、西郷隆盛など薩摩軍は対象外となっている。

明治五年(1872)、本殿が竣工。
これが修繕されつつ現存している。

(靖國神社記念寫眞寳典)

上画像は昭和十五年(1940)に出版された『靖國神社記念寫眞寳典』に掲載の本殿の写真で、大規模な神明造の社殿となっているのが分かる。

明治七年(1874)、明治天皇が行幸。
「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製を賜った。

明治十二年(1879)、「靖國神社」に改称。
別格官幣社に列せられた。

「靖國神社」は明治天皇による命名
「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」といった願いが込められていると云う。

参道の外側には日本人の手による国内初の洋式競馬場

明治三年(1870)、「招魂社競馬場」として参道の外側に1周約900mの競馬場が開場。

日本人の手による国内初の洋式競馬場であった。

陸軍による主催で例大祭の際に興行が行われ、大変な人気を博したと云う。

当時、例大祭の余興として競馬・相撲・花火などが行われていた。

(東京招魂社内外人競馬図)

幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・月岡芳年が描いた『東京招魂社内外人競馬図』。

辛未と記されているため、明治四年(1871)九月に行われた競馬興行。
満員の観客の中で、競馬が行われているのが分かり、大変な人気であった。

(東京滑稽名所)

三代目歌川広重による『東京滑稽名所』の「靖国神社競馬の名人」。

明治十六年(1883)の競馬で、落馬する様子を描いている。
狭い馬場で急コーナーであったため、落馬が多かったと云う。

明治三十一年(1898)、競馬が中止となる。
明治三十四年(1901)、馬場も廃止となった。

競馬場の周囲には桜
「招魂社競馬場」の周囲には桜が数十本植えられていたと云う。
現在名所とされている当社の桜の起源とも云える。

戦前の社史と当時の古写真

明治二十年(1887)、青銅大鳥居が建立。
この鳥居は第二鳥居として現存。

明治二十六年(1893)、大村益次郎銅像が竣工。
日本初の本格的西洋式銅像とされていて、現存している。

(東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖)

上画像は大正十一年(1922)に出版された『東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖』より。

当社境内を写した古写真。
現在も残る大村益次郎の銅像、奥には青銅大鳥居(現・第二鳥居)を見る事ができる。

明治三十四年(1901)、拝殿が竣工。
この拝殿が修繕されつつ現存。

(靖國神社記念寫眞寳典)

上画像は昭和十五年(1940)に出版された『靖國神社記念寫眞寳典』より。

戦前の拝殿を写した写真。
これが現存している拝殿で、今と変わらぬ造りなのが窺える。

大正八年(1919)、鎮座五十年記念祭を斎行。
大正天皇が行幸、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が行啓されている。

大正十年(1921)、第一鳥居が竣工。
「日本一の大鳥居」として建立され、当社のシンボルの1つであった。

(靖國神社記念寫眞寳典)

上画像は昭和十五年(1940)に出版された『靖國神社記念寫眞寳典』より。

戦前の第一鳥居の写真。
当時、日本一の大鳥居として建立されたが、昭和十八年(1943)に雨風による損傷を理由に撤去されている。
既にこの頃には損傷が激しく補修跡が目立つ。

現在の第一鳥居は昭和四十九年(1974)に再建されたもの。

大正十二年(1923)、関東大震災によって拝殿や遊就館に甚大な被害が発生。

昭和七年(1932)、臨時大祭が斎行される。
昭和天皇・香淳皇后行幸啓されている。

昭和九年(1934)、神門竣工。
この神門が現存している。

(靖國神社記念寫眞寳典)

上画像は昭和十五年(1940)に出版された『靖國神社記念寫眞寳典』より。

戦前の神門の写真。
現存している神門で今と変わらぬ造りであり、中央間の扉には花紋章が付けられている。

国家神道の代表的な施設だった当社
戦前の当社は、神社を総括した内務省が職員の人事権を有した。
それでいて陸軍省と海軍省によって共同管理され、特に財政を担った陸軍省が運営の主導権を握っていた。
神社としては特殊な存在であり、政府が推し進めた国家神道の代表的な施設であった。

(靖國神社記念寫眞寳典)

上画像は昭和十五年(1940)に出版された『靖國神社記念寫眞寳典』より。

戦前の陸軍部隊代表の参拝の様子。
陸軍省と海軍省によって共同管理された当社が、軍人にとって特別な存在となるのは想像に難くない。

靖国で会おう
戦場に赴く軍人は「靖国で会おう」と云う言葉を残して祖国に殉じていった。
当社は戦死した魂・英霊が集う聖地と云える。

戦後の歩み・2019年は御創立150年

昭和二十年(1945)、8月終戦。
同年11月、臨時大招魂祭が斎行され、昭和天皇が行幸されている。
同年12月、GHQが神道指令を発令。

戦前は国家神道の代表的な施設で軍との結びつきも強かった当社が、戦後も存続した事については、カトリック教会の神父らの尽力があったと伝わっている。

「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。」(ブルーノ・ビッテル神父)

実際は複雑な経緯があったと思われるが、こうしたカトリック教会の神父らの進言によって、当社は国家管理を離れ宗教法人となり存続し、現在に至っている。

昭和二十二年(1947)、「みたままつり」が開始。
東京の夏の風物詩として今も続けられている。

祭事のご案内|祭事・境内のご案内|靖國神社
明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦歿した軍人らを祀る神社。概要、年表、拝観案内。

昭和四十四年(1969)、御創立百年記念大祭が斎行。
昭和天皇・香淳皇后が行幸啓されている。

昭和四十七年(1972)、本殿の後方に霊璽簿奉安殿を造営。
霊璽簿(神霊名簿)を保管している。

昭和五十年(1975)、8月15日に三木武夫内閣総理大臣が参拝。
終戦記念日に首相が初めて参拝。
同年、11月に昭和天皇・香淳皇后が行幸啓。

この年を最後に現在に至るまで、天皇陛下による「靖国神社」への行幸は行われていない。

平成十四年(2002)、現在の遊就館が落成。
その後も境内整備が進み現在に至っている。

令和元年(2019)、御創立百五十年を迎える。
御創立百五十年を迎えるにあたり、平成二十八年(2016)より様々な事業が行われた。

靖國神社
明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦歿した軍人らを祀る神社。概要、年表、拝観案内。

境内案内

外苑・巨大な第一鳥居と大村益次郎銅像

最寄駅の九段下駅から徒歩すぐ靖国通り沿いに鎮座。
写真は令和元年(2019)終戦の日(8月15日)の第一鳥居。
令和元年(2019)に御創立百五十年を迎えるにあたり整備された参道周辺。
第一鳥居も綺麗に改修され輝いている。

改修前の第一鳥居
以下は2017年に参拝した時の様子。
かつての第一鳥居は「日本一の大鳥居」として大正十年(1921)に建立されたものであるが、昭和十八年(1943)に風雨による損傷のため撤去され、仮鳥居となっていた。
昭和四十九年(1974)、銅鳥居として再建され、高さが約25m、笠木が約34m、重量は100トンの巨大な鳥居。
右手には「靖國神社」の社号碑で、正式な表記は「靖」の「青」の下部が「月」でなく「円」となっている事が分かる。

第一鳥居を潜ると広々とした参道。
御創立150年記念事業で外苑工事が行われていたが、令和元年(2019)を迎えるにあたり整備が色々と竣工している。

参拝当日は「終戦の日」であったため、大変な混雑など含め撮影を遠慮したので、当日の画像はあまりないのでご理解頂きたい。改めて平時に参拝した際に色々と撮影して掲載したい。

参道途中に大村益次郎の銅像。
明治二十六年(1893)に建立された日本初の西洋式銅像で、当社の前進となった「東京招魂社」の建立に奔走した人物。

大村益次郎(おおむらますじろう)
維新の十傑の一人に数えられる人物。
長州征伐と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、明治維新後も軍務を統括、事実上の日本陸軍の創始者とされる。
明治二年(1869)、不平を抱く士族たちによって暗殺。
第一鳥居から第二鳥居までの長い参道の一帯は「外苑」という形になる。

明治の青銅製第二鳥居と戦前の神門

長い参道が続き、その先に巨大な第二鳥居が見えてくる。
明治二十年(1887)に建立された青銅製の大鳥居。
現存する当社の鳥居としては最古のもの。

第二鳥居を潜ると左手に手水舎。
昭和十五年(1940)に奉納された大きな手水舎となっている。(画像は2017年撮影時のもの)

参道正面には立派な神門。
昭和九年(1934)に竣工した檜造りの神門が現存。
中央間の扉には直径1.5メートルの菊花紋章が取り付けられている。(画像は2017年撮影時のもの)

内苑
神門より先が内苑と呼ばれる。
開門時間:6時開門
閉門時間:1-2月と11-12月は17時閉門・3月-10月は18時閉門

檜製の中門鳥居・明治の社殿

神門を潜るとその先に中門鳥居と社殿。
中門鳥居は平成十八年(2006)に建て替えられた木造鳥居。
国産檜の大鳥居となっている。

中門鳥居の先に立派な社殿。
拝殿は明治三十四年(1901)に造営されたもので、幾度かの改修を経て現存。

本殿は明治五年(1872)に造営されたものが現存。
神明造の本殿になっており、平成元年(1989)に修築が竣工。

以下、撮影禁止区域内になるため撮影はしていない。
本殿の後方には霊璽簿奉安殿が鎮座
昭和四十七年(1972)に建立された霊璽簿奉安殿。
神霊を合祀する際に用いる霊璽簿を納めており、霊璽簿には合祀される神霊(英霊)の氏名が記されている。
元宮と鎮霊社
本殿の左手の廻廊外に元宮と鎮霊社が並ぶ形で鎮座。
元宮は幕末期に京都で造られた小祠を遷したもので、鎮霊社は本殿に合祀対象外となった国内および諸外国の戦没者を慰霊するために昭和四十年(1965)に建立された。

東京の桜の標準木となる桜の名所と神雷桜

ここより以下の画像は2017年8月参拝時に撮影したもの。

当社の境内は桜の名所として有名。
特に神門を潜った先に桜が多く植えられており「靖國の桜」として知られる。
気象庁は当社境内にある3本のソメイヨシノを東京都の標準木として指定いるため、東京都の「桜の開花宣言」は当社境内の標準木が咲いた時に行われる。

画像は8月参拝時に撮影したものなので、いずれも葉桜となっている。

こうした桜は、明治三年(1870)に当社参道の外側に開場した「招魂社競馬場」の周囲に植えられた桜が起源となっている。

神門を潜りすぐ右にあるのは「神雷桜」と呼ばれる桜。
海軍神雷部隊戦友会と記されているのを見る事ができる。

神雷部隊(じんらいぶたい)
第七二一海軍航空隊の通称。
特攻兵器「桜花」の実験訓練部隊として編成され、太平洋戦争終盤に特攻を行い、終戦まで合計829名が戦没している。
「靖国神社の神門を入って二本目の桜の木で会おう」と約束し、特攻へ飛び立ったと云われている。

桜の名所として知られる当社の境内であるが、当社らしいエピソードが様々残る、そうした名所である。

社殿の裏手に広がる神池庭園

社殿の右手より奥に向かうと神池庭園が広がる。
平成十一年(1999)に復元工事で整備された。
回遊式の美しい庭園になっており、滝も流れている。
あまりこちらまで足を運ぶ人は少ないため、空いている事も多く良い雰囲気。

神池庭園の周囲には、行雲亭・洗心亭・靖泉亭といった茶室が並ぶ。
更に相撲場と啓照館といった支度部屋も整備。
相撲場では、春の例大祭に全力士による奉納相撲が執り行われる。

幕末江戸三大道場の練兵館が置かれた地

中門鳥居の手前から左手に行くと南門。
この南門の手前に石碑が置かれている。
石碑には「神道無念流練兵館跡」の文字。
当地は当社が創立するまで「練兵館」という剣術道場が置かれた地であった。

練兵館(れんぺいかん)
幕末に斎藤弥九郎によって開かれた神道無念流の剣術道場。
「技の千葉」(北辰一刀流・玄武館)、「位の桃井」(鏡新明智流・士学館)、「力の斎藤」(神道無念流・練兵館)と称され、後に幕末江戸三大道場の一つに数えられる名門であった。
門下から明治維新の志士を多く輩出しており、桂小五郎・高杉晋作・伊藤博文・品川弥二郎などが門下生として知られる。
明治維新後、当社の創立によって立ち退きを余儀なくされ、明治四年(1871)に牛込見附内に移転している。

博物館となっている遊就館

境内の右手には遊就館と呼ばれる博物館。
右手にある近代的な建物が入り口。
内部は博物館や売店・茶房などが入っている。
一部区域のみ撮影可能で、展示室などは撮影不可。
博物館には、遺品や資料、戦争で使用された兵器などが展示されている。

遊就館|靖國神社
明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦歿した軍人らを祀る神社。概要、年表、拝観案内。
拝観料
大人800円/大学生500円/中学・高校生300円/小学生無料(夏休み期間は高校生以下無料)

遊就館の近くには、戦場で死んだ軍犬の霊を慰撫する軍犬慰霊像。
その隣に戦場で死んだ軍馬の霊を慰撫する戦没馬慰霊像。
さらに戦場で使われた伝書鳩を慰撫する鳩魂塔と並ぶ。

他にも周囲には多くの像などが置かれている。

遊就館の隣には靖國会館。
かつて国防館とされていた建物で、現在は休憩所と図書館(靖國偕行文庫)として使用されている。

御創立百五十年記念御朱印などの御朱印

御朱印は社殿右手にある朱印・神札墨書所にて。
案内の看板が出ているので分かりやすい。

御朱印は「靖國神社」の朱印。
墨書きも正式な「靖國神社」の字体となっている。

令和元年の年末まで御創立百五十年記念限定御朱印も授与。
右が帳面に書いて頂いたものでスタンプが押されており、左が書き置きのもの。
書き置きのものはエンボス加工(浮き出し模様加工)の桜柄が押された特別仕様。

最新の御朱印情報
令和元年-年末まで「御創立百五十年記念限定御朱印」
※御朱印帳への直書きと書き置きの2種類
※書き置きはエンボス加工(浮き出し模様加工)の桜柄が押された特別仕様
※詳細は公式サイトにて。

御創立百五十年記念御朱印帳などの御朱印帳

オリジナルの御朱印帳を複数用意。

公式サイトより)

通常のものは白色(社紋・桜柄)、紺色(社紋・霞文様)の2種類。

2019年に御創立百五十年を迎えるため、記念御朱印帳も用意。
空色を基調としエンボス加工された桜や鳩がデザインされたもので、2019年年末までの頒布を予定している。

最新の御朱印帳情報
令和元年の年末まで「御創立百五十年記念限定御朱印帳」
※2017年より頒布していたが令和元年で品切れとなり6月まで一時頒布停止の後再開となった。
※詳細は公式サイトにて。

また御創立百五十年を記念して限定のお守りも授与。
「こすずまもり」と云うお守りで青・赤の2色。
かなり落ち着いた音色で癒やされる。

所感

東京招魂社として創建した当社。
戦前は国家神道の代表的施設として崇敬を集め、複雑な経緯を経て現在に至る。
英霊と呼ばれる人々を祀り、今も特殊な存在の神社であると思う。
物々しい雰囲気、警備員や警察官が多くいるのは当社ならではの光景とも云えるだろう。
特に終戦の日である8月15日は、一段と雰囲気の違う境内となる。
九段周辺を通る際は参拝するようにしているのだが、たまに正式参拝もしている神社。
様々な思惑が重なる地であるため、なるべく客観的な記事としたが、改めて平和を願い日々の感謝を実感する、そうした神社である。

神社画像

[ 第一鳥居・社号碑 ]




[ 大村益次郎銅像 ]


[ 第二鳥居 ]


[ 神門 ]


[ 中門鳥居 ]

[ 拝殿 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

コメント

タイトルとURLをコピーしました