赤城神社 / 東京都新宿区

神社情報

赤城神社(あかぎじんじゃ)

御祭神:磐筒雄命・赤城姫命
旧社格:郷社
例大祭:9月19日
所在地:東京都新宿区赤城元町1-10
最寄駅:神楽坂駅・牛込神楽坂駅
公式サイト:http://www.akagi-jinja.jp/

御由緒

後伏見帝の正安二年九月、上野国赤城山なる赤城神社の分霊を今の早稲田弦巻町の森中に小祠を勧請。其後百六十余年を経て寛政元年大田道灌持資が牛込毫へ遷座。其後大胡宮内小輔重行が神威を尊び今の地に、始めて「赤城大明神」と称えるようになった。かくて天和三年幕府は命じて江戸大社の列に加え、牛込の総鎮守となる。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/12/14

御朱印

初穂料:300円
授与所にて。

※境内社「蛍雪天神」の御朱印も拝受できる。

御朱印帳

初穂料:1,000円
授与所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
うさぎ柄、古典柄、市松梅柄の3種類。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

授与品・頒布品

オリジナルあかぎこまいぬ
初穂料:2,000円
授与所にて。

当社の個性的な狛犬のミニチュア版となっている。

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考察

再生プロジェクトで新しくなった牛込総鎮守

東京都新宿区赤城元町に鎮座する神社。
旧社格は郷社で、「穴八幡宮」と共に牛込の総鎮守。
かつては「赤城大明神」と呼ばれていた。
江戸時代には幕府より江戸大社に列しており、戦災や再建などを経て、平成二十二年(2010)「赤城神社再生プロジェクト」にて、境内を一新する建て替えが行われ、近代的な境内となったのが特徴。

上野国出身の豪族により勧請・赤城信仰とは

社伝によると、正安二年(1300)に創建と伝わる。

上野国(現・群馬県)の赤城山の麓にある大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が、牛込の地に移住した際、本国の総鎮守である赤城大明神の御分霊を勧請して創建。
当時は、牛込早稲田の田島村に創建しており、創建の地(現・新宿区早稲田鶴巻町)には今も「元赤城神社」が鎮座している。

「赤城神社」は、群馬県の赤城山を神体山として祀る神社。
赤城山そのものに対する山岳信仰であり、関東を中心に約300社ほど見る事ができる。
里宮として「二宮赤城神社」、赤城山腹の「三夜沢赤城神社」、赤城山頂の「大洞赤城神社」が総本宮と推定されている。
赤城神社《公式ホームページ》清らかな頂きから流れる水は、生物に命を与え、田畑の稔りをもたらす。また、勇壮なる山なみは力強さを、四季折々の景色は優しさと美しさを表し、その山容と景観、神秘的なたたずまいは、仰ぎ見る人々の心を捉えてきました。関東平野の北端に位置する赤城山は、古来、神住む山として崇められ、また、山自体も神格化...

こうした赤城山に対する山岳信仰の地を出身とした豪族が、当地周辺の牛込に移住した際に、産土神であった赤城信仰の神社を勧請したのは自然な事であろう。

以後、赤城信仰の中心である上野国(現・群馬県)以外では、最も著名な赤城神社として崇敬を集める事となる。

大胡氏末裔の牛込氏によって現在地へ遷座

寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台(現・牛込見付附近)に遷座。
太田道灌は江戸城を築城する際に、多くの神社を創建、または遷座させていた信仰の篤い人物でもあり、当社もそうした一環で遷座させたのであろう。

弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に遷座。
この大胡宮内少輔は、創建に関わった大胡氏(おおごし)の末裔とされており、地名から牛込氏を名乗っていた。

大胡氏(おおごし)とは、上述したように上野国大胡城を拠点とした一族。
当社の御由緒とは齟齬があるものの、南北朝時代に没落し、一族の大胡重行が後北条氏の北条氏康の招きを受け、大胡城から武蔵国牛込に移住し、以降は後北条氏の配下として牛込氏を称するようになっている。

先祖が創建した氏神である当社を遷座させ、社殿造営など境内整備を行う事で崇敬を高めたのであろう。

牛込総鎮守として江戸幕府より江戸大社に列せられる

天和三年(1683)、江戸幕府によって江戸大社に列せられる。

牛込の総鎮守として「山王日枝神社」「神田明神」とともに江戸の三社と称されたという。
この三社は、祭礼の際における山車・練物等が、江戸城の竹橋から内堀に入り半蔵門に出る事を許されてた。

東京十社・皇城を守る山王さま。徳川将軍家からの篤い崇敬・徳川歴朝の産土神。浮世絵に描かれた当社。天下祭と呼ばれた山王祭。山王信仰を伝える山王鳥居・神使の猿像。境内社・猿田彦神社と庚申の日。国宝刀剣の展示もある宝物殿は無料。御朱印。御朱印帳。
神田神社(神田明神) / 東京都千代田区
東京十社・江戸総鎮守。天下祭と呼ばれた江戸随一の神田祭。『ラブライブ!』の聖地・コラボも。将門塚(大手町)の祟りを鎮めるために将門公を祀る。江戸設計を指導した天海・徳川幕府によって江戸総鎮守とされる。浮世絵に描かれた当社。御朱印。御朱印帳。

なお、徳川将軍家の祈願所として庇護された「穴八幡宮」も、牛込の総鎮守であった。
そのため牛込地区の町内の多くは、当社と「穴八幡宮」のどちらの氏子でもあり、両社の祭礼に奉仕していたと伝えられている。

穴八幡宮 / 東京都新宿区
牛込総鎮守。冬至から節分まで期間限定の一陽来復(いちようらいふく)御守。金銀融通の御利益。一陽来復の意味と御守の祀り方。穴より神像が出現したため穴八幡宮。徳川将軍家からの庇護・徳川吉宗奉納の流鏑馬。再建された随神門・社殿。御朱印。御朱印帳。

以後、牛込総鎮守として江戸幕府や江戸庶民からも大いに崇敬を集めた。

江戸切絵図から見る赤城神社

江戸の大社として崇敬を集めた様子は、江戸の切絵図からも見て取れる。

(小日向絵図)

こちらは江戸後期の牛込・磔川周辺の切絵図。
右下が北の切絵図となっており、当社は図の中央上に描かれている。
左に見えるのが江戸城へ繋がる牛込御門である。

(大久保切絵図)

当社周辺を拡大したものが上図になる。
右下に「赤城明神」「等覚寺」とあるのが当社で、「等覚寺」は当社の別当寺であった。
門前町の文字が見えるように、当社を中心に茶店や町が形成されていた事も分かる。
当社周辺は幕臣の屋敷の他、寺社も多く、左上に見える「善國寺」は神楽坂毘沙門として江戸町民からも崇敬を集めている。

善国寺(ぜんこくじ)は、文禄4年(1595年)に創建された日蓮宗の寺院です。本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、新宿山ノ手七福神の一つに数えられています。

この一帯が現在の神楽坂であり、こうした地の総鎮守として崇敬を集めたのが伝わる。

江戸名所図会に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

国立国会図書館デジタルコレクションより)

「赤城明神社」として描かれている。
広く整備された境内は、鳥居の他、神門も見る事ができ、社殿もかなり立派なものである。
境内の周囲には茶屋も見れるように、多くの参拝者が訪れる地であった。
当社を中心とした門前町、現在の神楽坂周辺を見る事ができ、とても興味深い。

右上に描かれているのが別当寺の「等覚寺」。
明治の神仏分離・廃仏毀釈によって廃寺となってしまっている。

この後の天保十三年(1842)、火災によって社殿が全焼。
慶応元年(1865)に壮麗な社殿が再建されている。

明治以降と戦後の再建

明治になり神仏分離。
これによって「赤城大明神」から現在の「赤城神社」へ改称。
明治六年(1873)、牛込の総鎮守として郷社に列した。

明治九年(1876)、近くにあった「北野神社(朝日天満宮)」が境内に遷座。

明治十一年(1878)、郡区町村編制法により、東京府牛込区が発足。
当社は牛込区(後に合併で新宿区となる)の総鎮守となり、大いに崇敬を集めた。

大正時代には当社周辺の神楽坂が花街として隆盛を誇る事となる。
大正十二年(1923)に発生した関東大震災以後は、日本橋・銀座方面より店などが流入し夜店が盛んになり、山の手銀座とも云われるようになっていく。
こうした花街にある神社としても人気であった。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿など多くを焼失。

昭和二十六年(1951)、本殿を再建。
昭和三十四年(1959)、拝殿・幣殿を再建し、鉄筋コンクリート造の社殿となった。
昭和三十七年(1962)、境内社の出世稲荷神社を再建。

こうして戦後の再建が行われていく事となり、これらが旧社殿や旧境内となる。
当時は神社運営の赤城幼稚園が併設していたりと、地域の鎮守といった佇まいであった。

平成十七年(2005)、戦災で焼失していた境内社の北野神社を「蛍雪天神」として再建。
平成二十年(2008)、境内に併設していた「赤城幼稚園」が閉園。
平成二十二年(2010)、「赤城神社再生プロジェクト」として社殿の建て替えなど境内整備が行われた。

赤城神社再生プロジェクトとは

「赤城神社再生プロジェクト」は、三井不動産レジデンシャルと共に推進された、神社とマンション建設による再生プロジェクト。

これはまだこの先も続く、約70年もの長期プロジェクトとなっている。
昨今の神社運営の厳しさなども含んだ事情と、先を見据えた興味深い内容となっている。

往古から牛込の総鎮守と尊信されます当赤城神社、御祭神は岩筒雄命、正安2年に早稲田鶴巻町の元赤城神社に鎮座。その後この地で地域を見守り続けています。

まずプロジェクトの発端は、下記のような事情が挙げられる。

昭和三十四年(1959)に造営された社殿(旧社殿)が老朽化によって、耐震性能を向上した新しい社殿を建築する必要性。
資金面で神社を支えてた赤城幼稚園が少子化により閉園。
奉納や寄付も減少するといった運営上の諸課題。

これらを一挙に解決するため、三井不動産レジデンシャルが提案し、当社と共に押し進めたのが「赤城神社再生プロジェクト」である。

閉園となった赤城幼稚園の跡地に、等価交換による70年の定期借地権を設定して、神社の建て替えと共に分譲マンションを建設。
神楽坂に在住していた氏子である世界的建築家・隈研吾氏が境内デザインなどの設計監修を担当。
分譲マンションの地代や賃貸による収入を神社の運営に充て、借地権の期限終了後は、土地の所有権を神社に戻しマンションを解体して、「赤城の杜」として復活させるという、大変長期的な事業。

こうして平成二十二年(2010)に、デザインの新しい社殿や境内が完成。
定期借地権付き分譲マンション「パークコート神楽坂」も竣工された。

工事は全て完了したが、70年の定期借地権で分譲マンションを建設しているため、70年後の2080年には当社に所有権が戻り、マンションは解体される予定となっている。
その後は、緑多い鎮守の杜として再生していく、大変長期的なプロジェクト。

こうした試みはとても興味深い。
神社の運営が厳しく再建も難しい神社も多い中、こうして不動産業者と共に地域を活性化させるための試み、神社運営の安定化を図り、再生させていく。
現代において維持していくための素晴らしい手法であろう。
こうした形は都心においていくつか見られるようになってきた。

近代的な境内と社殿や蛍雪天神・個性的な狛犬

神楽坂駅よりもほど近い場所に鎮座している当社。
北東に向かうと朱色の大鳥居が見えてくる。

大鳥居を潜ると左手に手水舎。
その先の参道は大きく開けた場所となる。
かつての境内とは全く違う、近代的で人工的な美しさを感じる整備された境内。
石段を上ると正面に社殿となる。

社殿は人工美を感じる神明造。
まだ新しさを感じる拝殿で、どこか透明感を感じるデザイン。
こうした社殿を含む境内は、平成二十三年(2011)にグッドデザイン賞を受賞している。

参道の左手に境内社である「蛍雪天神(けいせつてんじん)」。
戦災で焼失した境内社の北野神社(旧・朝日天満宮)を旺文社の寄付により再興した事から、旺文社発行の大学受験生向け雑誌「螢雪時代」に由来し「蛍雪天神」と名付けられた。
形からも分かるように神楽殿も担っている境内社であり、こうしたデザインもとても面白い。

石段を下りて、参道の左側から「蛍雪天神」の下を潜ると、境内社の合祀殿がある。
葵神社(東照宮)・出世稲荷神社(当地の地主神)・八耳神社(聖徳太子を祀る)となっている。

社殿の前に新たに置かれた狛犬も特徴的。
かなりデフォルメされた個性的なデザインとなっていて可愛らしい。
おかっぱ頭でどこかスフィンクスのような姿をした狛犬は、「白山狛犬」と呼ばれるタイプのものに近く、白山の周辺によく見られるもの。
その白山狛犬の中でもよりデフォルメされて可愛らしくなっている。

ゲゲゲの鬼太郎御守など豊富な授与品・カフェも併設

御朱印は社殿の右側にある授与所にて。
境内社「蛍雪天神」の御朱印も用意しており、オリジナル御朱印帳も3種類用意。

さらに豊富な授与品も特徴的。
上述した個性的な狛犬はミニチュア版となり「あかぎこまいぬ」として授与して頂ける。
筆者も授与して頂いたが、狛犬の授与品というのは比較的珍しい。

公式サイトより)

こちらは「ゲゲゲの鬼太郎」御守。
TVや映画のアニメ化がされる際に当社へヒット・安全祈願に来た水木しげる氏デザインによるもの。

他にも縁結び、合格祈願、交通安全、ペット御守など豊富な授与品が特徴的。

また授与所の隣には「あかぎカフェ」が併設されている。
店内はとてもお洒落な空間なのだが、一角は当社の古い社号碑が置かれていたりと面白い。
参拝後や神楽坂散策の休憩場所として使われる事が多い。

赤城神社境内にある、イタリアンカフェ、あかぎカフェです。

所感

牛込の総鎮守である当社。
群馬県以外の赤城神社としては最も知名度を誇る神社となっている。
江戸時代には江戸の大社とされ、大いに崇敬を集めた。
戦後の再建、そして平成の「赤城神社再生プロジェクト」によって新しくなった境内は、とても近代的で人工美を感じる空間となっている。
かつての子供たちの声が聞こえた旧境内も、地域の鎮守としてとても好きな空間ではあったのだが、こうして再生されたのも現代において1つの素晴らしい手法であろう。
カフェの併設の他「あかぎ寄席」といった寄席も定期的に開催しており、こうした試みも素敵な事だと思う。
牛込総鎮守として氏子からの崇敬だけでなく、こうした新しい試みで幅広く参拝者が訪れており、そうした努力と共に、長期プロジェクトが今後どうなるのかも楽しみな神社である。

伝統芸能の地・神楽坂「赤城神社」で毎月開催! 落語と講談の精鋭若手たちの真剣勝負。
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神社画像

[ 社号碑・鳥居 ]

[ 手水舎 ]

[ 参道 ]


[ 社殿 ]



[ 狛犬 ]


[ 蛍雪天神(神楽殿) ]


[ 絵馬掛 ]

[ 授与所 ]


[ あかぎカフェ ]


[ 葵神社・出世稲荷神社・八耳神社 ]

[ 案内板 ]

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