赤城神社 / 東京都新宿区

新宿区

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概要

牛込総鎮守の赤城大明神

東京都新宿区赤城元町に鎮座する神社。
旧社格は郷社で、「穴八幡宮」と共に牛込総鎮守。
かつては「赤城大明神」と称され信仰を集めた。
江戸時代には幕府よって江戸大社に列する一社とされ、「山王日枝神社」「神田明神」と共に「江戸の三社」と称された程であった。
戦災や再建などを経て、平成二十二年(2010)「赤城神社再生プロジェクト」にて、境内を一新する建て替えが行われ、カフェなども有した近代的でオシャレな境内となった。

神社情報

赤城神社(あかぎじんじゃ)

御祭神:磐筒雄命・赤城姫命
社格等:郷社
例大祭:9月19日
所在地:東京都新宿区赤城元町1-10
最寄駅:神楽坂駅・牛込神楽坂駅
公式サイト:https://www.akagi-jinja.jp/

御由緒

後伏見帝の正安二年九月、上野国赤城山なる赤城神社の分霊を今の早稲田弦巻町の森中に小祠を勧請。其後百六十余年を経て寛政元年大田道灌持資が牛込毫へ遷座。其後大胡宮内小輔重行が神威を尊び今の地に、始めて「赤城大明神」と称えるようになった。かくて天和三年幕府は命じて江戸大社の列に加え、牛込の総鎮守となる。(境内の掲示より)

歴史考察

上野国出身豪族の大胡氏によって創建・赤城信仰の神社

社伝によると、正安二年(1300)に創建と伝わる。

上野国(現・群馬県)赤城山麓の大胡(おおご)の豪族・大胡彦太郎重治が牛込に移住。
本国の総鎮守である赤城大明神の御分霊を勧請して創建したと云う。

当時は牛込早稲田の田島村に鎮座していて、創建の地(現・新宿区早稲田鶴巻町)には今も「元赤城神社」が鎮座している。
赤城信仰(あかぎしんこう)
群馬県の赤城山を神体山とする信仰で、赤城山そのものに対する山岳信仰。
関東を中心に「赤城神社」を約300社ほど見る事ができる。
里宮として「二宮赤城神社」、赤城山腹の「赤城神社(三夜沢)」、赤城山頂の「赤城神社(大洞)」が総本宮と推定されている。
赤城神社 - 群馬県赤城山 -

以後、赤城信仰の中心である上野国(現・群馬県)以外では、最も著名な「赤城神社」として崇敬を集める事となる。

大胡氏末裔の牛込氏によって現在地へ遷座

寛正元年(1460)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に遷座。

太田道灌(おおたどうかん)
武蔵守護代・扇谷上杉家の下で活躍した武将。
江戸城を築城した事で広く知られ、江戸城の城主であり、江戸周辺の領主でもあった。
武将としても学者としても一流と評されるが、道灌の絶大なる力を恐れた扇谷上杉家や山内家によって暗殺されてしまったため、悲劇の武将としても知られる。
当時の牛込台は江戸城の牛込見付附近。現在の飯田橋駅の南側あたりになる。

弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に遷座。
創建に関わった大胡氏の末裔とされた人物で、地名から牛込氏を名乗っていた。

牛込氏(うしごめし)
上野国の大胡城を拠点とした一族が大胡氏(おおごし)。
当社の御由緒とは年代的に齟齬があるものの、南北朝時代に没落。
一族の大胡重行が後北条氏の北条氏康の招きを受け、大胡城から武蔵国牛込に移住し、以降は後北条氏の配下として牛込氏を称した。

先祖が創建した氏神である当社を遷座させ、社殿造営など境内整備を行う事で崇敬を高めたのであろう。

牛込総鎮守として江戸幕府より江戸大社に列せられる

天和三年(1683)、江戸幕府によって江戸大社に列せられる。
当社は牛込総鎮守として信仰を集め「江戸の三社」とも称されたと云う。

牛込(うしごめ)
江戸時代は大名や旗本の住む武家屋敷が集中した地域で、伝統ある山の手の住宅街。
古代に牛の牧場があり、牛が多くいたことから、「牛」が「込」(多く集まる)に由来。
牛込は現在の新宿区北東部。神楽坂・市谷・早稲田などの一帯が牛込地区に該当。
江戸の三社(えどのさんしゃ)
当社は「山王日枝神社」「神田明神」と共に江戸の三社と称されたと云う。
この三社は、祭礼の際における山車・練物等が、江戸城の竹橋から内堀に入り半蔵門に出る事を許されてた。
山王日枝神社 / 東京都千代田区
皇城之鎮・皇居を鎮護する山王さま。東京十社。復刻御朱印。数多くの御朱印帳。天下祭と呼ばれた山王祭・象山車も登場。徳川将軍家からの篤い崇敬・徳川歴朝の産土神。山王信仰の山王鳥居・神使の猿像。国宝刀剣の展示もある宝物殿。庚申の日。稲荷参道。
神田神社(神田明神) / 東京都千代田区
江戸総鎮守・神田明神。東京十社。天下祭と呼ばれた神田祭。将門塚の祟り・平将門公を合祀。徳川幕府によって江戸総鎮守へ。EDOCCO。神社声援。『ラブライブ!』『ホロライブ』『にじさんじ』などのコラボ。だいこく様とえびす様。御朱印。御朱印帳。

なお、当社の他に徳川将軍家の祈願所として庇護された「穴八幡宮」も牛込総鎮守の一社とされた。

牛込の氏子と日光社参
牛込には大名や旗本の住む武家屋敷が集中し幕臣が多かったため、徳川将軍家の日光社参(「日光東照宮」への参拝)に供奉する必要があった。
しかし当宮で祀る赤城山の神と日光山の神は仲が悪かったため、赤城大明神の氏子が日光に参拝すると山が荒れるという伝承が伝えられていた。
そのため名目上、当宮以外に「穴八幡宮」を牛込の総鎮守とすることにより、日光社参を行ったと云う。
そのため牛込地区の町内の多くは、当社と「穴八幡宮」のどちらの氏子でもあり、両社の祭礼に奉仕していたと伝えられている。
穴八幡宮 / 東京都新宿区
牛込総鎮守。冬至から節分まで期間限定の一陽来復御守。金銀融通の御利益。2023年-2024年最新版!一陽来復(いちようらいふく)の意味と御守の祀り方。横穴より神像が出現したため穴八幡。徳川将軍家の流鏑馬。御朱印にも一陽来復の文字。御朱印帳。

以後、牛込総鎮守として江戸幕府や江戸庶民からも大いに崇敬を集めた。

江戸切絵図から見る赤城神社

江戸の大社として崇敬を集めた様子は、江戸の切絵図からも見て取れる。

(小日向絵図)

江戸後期の牛込・磔川周辺の切絵図。
右下が北の切絵図となっており、当社は図の中央上に描かれている。
左に見えるのが江戸城へ繋がる牛込御門。

(小日向絵図)

北が上になるように回転し、当社周辺を拡大したものが上図。

「赤城明神」「等覚寺」とあるのが当社で、「等覚寺」は当社の別当寺であった。
赤城門前町の文字が見えるように、当社を中心に門前町が形成されていた事が分かる。

町内東の町屋が「赤城東町」、西の町屋が「赤城西町」と俗称された。

当社周辺は幕臣の屋敷の他、寺社も多かった。
当社の南東に広がる一帯が現在の神楽坂。

江戸名所図会に描かれた当社・神楽坂とその由来

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「赤城明神社」として描かれているのが当社。
広く整備された境内は、鳥居の他、神門も見る事ができる。
境内の周囲には茶屋も見れるように、多くの参拝者が訪れる地であった。
社殿もかなり立派なものだったのが窺える。

描かれた社殿はこの数年後に火災で焼失。

天保十三年(1842)、火災によって社殿が全焼。
慶応元年(1865)、更に壮麗な社殿で再建されたと云う。

右上に描かれているのが別当寺の「等覚寺」。明治の神仏分離で廃寺。

また神楽坂周辺についても『江戸名所図会』には描かれている。

(江戸名所図会)

「牛込神楽坂」として描かれた当時の神楽坂。
古くは揚場坂(あげばざか)とも呼んだ坂で、江戸城牛込門の先のエリア。

当社から南東のエリアを神楽坂と呼んだ。
神楽坂(かぐらざか)の由来
名称の由来は諸説あり上述の『江戸名所図会』に記されている。
・坂の右側に「穴八幡宮」の旅所があり祭礼で神輿が通る際に神楽を奏した事が由来。
・「築土神社」が「筑土八幡神社」に遷座した際に神楽を奏したのが鳴り響いた事が由来。
・「神楽坂若宮八幡神社」の神楽の音が坂まで鳴り響いた事が由来。
いずれにせよ近くの神社の神楽が由来となっている。

明治以降の歩み・壮麗な旧社殿・戦後の再建

明治になり神仏分離。
「赤城大明神」から現在の「赤城神社」へ改称。
明治六年(1873)、郷社に列する。

明治九年(1876)、近くの「北野神社(朝日天満宮)」が境内に遷座。

これが現在の境内社「蛍雪天神」。

明治十一年(1878)、郡区町村編制法により、東京府牛込区が発足。
当社は牛込区(後に合併で新宿区となる)の総鎮守となり、大いに崇敬を集めた。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
「赤城神社」と記してあり目印になる程の神社であった。
牛込、赤城下町、神楽町といった地名を見る事ができる。

(東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖)

上画像は大正十一年(1922)に発行された『東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖』より。

「赤城神社」として、当時の写真が記録されている。
この時の社殿は慶応元年(1865)に再建された社殿。
社殿で実に格式のある壮麗な社殿である。

この社殿は東京大空襲によって焼失。
大正時代に花街として隆盛を誇った神楽坂
大正十二年(1923)に発生した関東大震災以後は、神楽坂周辺に日本橋・銀座方面より店などが流入し夜店が盛んになり「山の手銀座」とも云われるようになっていき、神楽坂は花街として隆盛を誇った。
当社は花街から比較的近い大社として人気であった。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿など多くを焼失。
昭和二十六年(1951)、本殿を再建。
昭和三十四年(1959)、鉄筋コンクリート造にて拝殿・幣殿を再建。
昭和三十七年(1962)、境内社「出世稲荷神社」を再建。

かつての社頭の様子
以下は2005年頃に携帯電話で撮影した際の旧社頭。
当時は神社運営の赤城幼稚園が併設していたりと、地域の鎮守といった佇まいであった。

平成十七年(2005)、戦災で焼失していた境内社の北野神社を「蛍雪天神」として再建。
平成二十年(2008)、境内に併設していた「赤城幼稚園」が閉園。

赤城神社再生プロジェクトによって再興

平成二十二年(2010)、「赤城神社再生プロジェクト」によって神社が再興。
社殿の建て替えなど境内整備が行われ、境内が一新された。

赤城神社再生プロジェクト
三井不動産レジデンシャルと共に推進された、神社と分譲マンションやホールやギャラリーなどを建設すると云う再生プロジェクト。
約70年もの長期プロジェクトで、昨今の神社運営の厳しさなども含んだ事情と、先を見据えた興味深い内容となっている。
ごあいさつ - 牛込総鎮守 赤城神社 - 東京都新宿区神楽坂
往古から牛込の総鎮守と尊信されます当赤城神社、御祭神は岩筒雄命、正安2年に早稲田鶴巻町の元赤城神社に鎮座。その後この地で地域を見守り続けています。

まずプロジェクトの発端は、下記のような事情が挙げられる。

当時の神社運営で抱えた問題
・昭和三十四年(1959)に造営された社殿(旧社殿)が老朽化によって、耐震性能を向上した新しい社殿を建築する必要性。
・資金面で神社を支えてた赤城幼稚園が少子化により閉園。
・奉納や寄付も減少するといった運営上の諸課題。
これらを一挙に解決するため、三井不動産レジデンシャルが提案し、当社と共に押し進めたのが「赤城神社再生プロジェクト」である。

閉園となった赤城幼稚園の跡地に、等価交換による70年の定期借地権を設定して、神社の建て替えと共に分譲マンションを建設。
分譲マンションの地代や賃貸による収入を神社の運営に充て、借地権の期限終了後は、土地の所有権を神社に戻しマンションを解体して、「赤城の杜」として復活させると云う。

神楽坂に在住していた氏子である隈研吾氏が境内デザインなどの設計監修を担当した。

平成二十二年(2010)、「赤城神社再生プロジェクト」によって新しい社殿や境内が完成。
定期借地権付き分譲マンション「パークコート神楽坂」も竣工された。

工事は全て完了したが、70年の定期借地権で分譲マンションを建設しているため、70年後の2080年には当社に所有権が戻り、マンションは解体される予定となっている。その後は、緑多い鎮守の杜として再生していく、大変長期的なプロジェクト。
三井不動産による神社の再興
地域と融合した神社の再興は、三井不動産グループが得意としている。
近年では「成子天神社」(新宿区西新宿)や「福徳神社」(中央区日本橋室町)の再興も三井不動産によるもの。
成子天神社 / 東京都新宿区
めぐり天神・旧柏木成子町の鎮守。菅原道真の家臣による創建。成子天神社再整備プロジェクト。再整備された朱色の鳥居や神門・マゼンタカラーに近い社殿。パワースポットとされる富士塚。一社で出来る七福神巡り。珍しいマトリョーシカ鷽。御朱印。御朱印帳。
福徳神社(芽吹稲荷) / 東京都中央区
日本橋室町東地区の再開発で再興された福徳神社。徳川家康の参詣・秀忠が芽吹稲荷と命名。富籤の興行が許可された一社。宝くじと宝袋・推しへの当選祈願・富籤守り。コレド室町の美しい参道。三井不動産CM。福徳の森。嘉祥祭。SNS映えスポット。御朱印。

境内案内

神楽坂駅近くに鎮座・隈研吾氏監修のオシャレな境内

神楽坂駅から徒歩すぐ北側に鎮座。
駅から北東に向かうと朱色の大鳥居が見えてくる。
「赤城神社再生プロジェクト」によって一新された社頭から境内。
神楽坂に在住していた氏子の隈研吾氏が境内デザインなどの設計監修を担当した。

隈研吾(くまけんご)
木材を使うなど「和(日本)」をイメージしたデザインを得意とした世界的建築家。
近年は2020東京五輪のメインスタジアムである「国立競技場」、山手線の新駅「高輪ゲートウェイ駅」、更には「明治神宮ミュージアム」「角川武蔵野ミュージアム」などのデザインで知られる。
隈 研吾 | Offices
© Designhouse略歴1954年生。1990年、隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。50を超える国々でプロジェクトが進行中。自然と技術と人間の新しい関係を切り開く建築...

大鳥居を潜ると左手に手水舎。
和でいながらどことなくモダンな佇まい。

その先は大きく開けた参道。
かつての境内とは全く違う、近代的で人工的な美しさを感じる整備された境内。
整備前は石段はなかったが、石段が設けられその上に社殿が鎮座する。

美しい社殿・グッドデザイン賞を受賞

石段を上った先に社殿。
社殿は調和された人工美を感じる造り。
平成二十二年(2010)に竣工した社殿。
竣工から10年経つがまだ新しさを感じる拝殿で、どこか透明感を感じるデザイン。
こうした社殿を含む境内は、平成二十三年(2011)にグッドデザイン賞を受賞している。

おかっぱでスフィンクスのような狛犬は授与品にも

社殿の前に新たに置かれた狛犬も特徴的。
スッと伸びた台座の上に置かれた狛犬。
かなりデフォルメされた個性的なデザイン。
綺麗に整備されたモダンな境内に可愛らしい造形の狛犬がユニーク。
おかっぱ頭でどこかスフィンクスのような姿をしているのが特徴的。

同じデザインで小型化した授与品の狛犬
この特徴的な狛犬は授与品にもなっている。
同じデザインで石造りの小さな狛犬は家の守り神にもなってくれる。

境内社の蛍雪天神・下にある合祀殿

社殿手前左手に境内社である蛍雪天神(けいせつてんじん)。
古くは横寺町にあった「朝日天満宮」と称した神社で「江戸二十五社天神」に数えられていた程。
平成十七年(2005)に戦災で焼失した境内社の「北野神社(旧・朝日天満宮)」を旺文社の寄付により再興した事から、旺文社発行の大学受験生向け雑誌「螢雪時代」に由来し「蛍雪天神」と名付けられた。
「赤城神社再生プロジェクト」で建て替えが行われる。
神楽殿を兼ねた境内社となっていて、こうしたデザインもとても面白い。

https://passnavi.evidus.com/keisetsujidai/

石段を下りて、参道の左側にも境内社への道。
「蛍雪天神」の下を潜ると、境内社の合祀殿。
合祀殿には三社が祀られている。
葵神社(東照宮)・出世稲荷神社(当地の地主神)・八耳神社(聖徳太子)となっている。

近くには観音菩薩立像。
慶長十八年(1613)の刻銘があり当社の北にあった「宝蔵院」(現・廃寺)より移された。
他にもモダンな「大百足」のモニュメント。
赤城信仰の対象である赤城山(群馬県)とムカデの伝説に由来したもので、令和二年(2020)に新型コロナウイルス鎮静を願って氏子会長によって寄進された。

ドラマのロケ地・ドラマや映画の撮影安全ヒット祈願

神楽坂と云う立地もあり当社はドラマのロケ地としても数多く使用されている。

篠原涼子主演『ラスト・シンデレラ』(2013)。
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漫画原作で相葉雅紀主演でドラマ化された『僕とシッポと神楽坂』(2018)。
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ドラマや映画などの撮影安全ヒット祈願の神社としてもよく知られる。
絵馬掛けには数多くのドラマや映画の撮影安全ヒット祈願。
当社が映像制作関係者から崇敬篤い証拠とも云えるだろう。
参拝の度にこうした木札が増えていくので眺めるのも楽しい。

境内にはあかぎカフェが併設

社務所の隣にはカフェが併設。
オシャレなカフェでその名も「あかぎカフェ」。
残念ながら参拝日は定休日であったが、2016年に参拝した際は甘味を頂いた。
店内はとてもお洒落な空間なのだが、一画は当社の古い社号碑が置かれていたりと面白い。

営業日と営業時間
営業時間:11:30-20:00(平日・土曜)/11:30-17:00(日曜・祝日)
定休日:毎週火曜日・第2月曜日
【公式】あかぎカフェ / 神楽坂 赤城神社境内にあるカフェ
赤城神社境内にある、イタリアンカフェ、あかぎカフェです。

赤城大明神の印が押された御朱印

御朱印は社殿の右側にある社務所にて。
いつも丁寧に対応して下さる。

御朱印は「赤城大明神」の朱印、「牛込総鎮守」の印。
江戸時代までは「赤城大明神」と称され「牛込総鎮守」とされた歴史を伝える。

新型コロナウイルスの影響で当面の間は書き置きのみの授与。(御朱印帳を新しく頂いた際は帳面に揮毫済の御朱印を頂ける)

可愛らしいうさぎ柄などの御朱印帳

オリジナルの御朱印帳も用意。
基本はうさぎ柄・古典柄・市松梅柄の3種類を用意。
青うさぎは夏季限定の御朱印帳となっている。

御朱印帳の初穂料
御朱印帳のみ:1,000円
御朱印帳+御朱印:1,300円

水木しげる氏デザインのゲゲゲの鬼太郎御守

社務所では上述した狛犬の置物など豊富な授与品を用意。
中でも人気なのが『ゲゲゲの鬼太郎』御守。
「ちゃんちゃんこ御守」「めだまの親父御守」の2種類。
当社へヒット・安全祈願に来た故・水木しげる氏が自らデザインした御守。
筆者は厄除御守である「ちゃんちゃんこ御守」を頂いた。

ゲゲゲの鬼太郎御守
ちゃんちゃんこ御守:あらゆる災いを避ける厄除の御守。
めだまの親父御守:「光の見通しがよくなるように」と云う開運の御守。
「ゲゲゲの鬼太郎」-東映アニメーション
「ゲゲゲ忌2021」11月20日(土)~30日(火)開催決定!

所感

牛込総鎮守として崇敬を集めた当社。
江戸時代には江戸の大社とされ大いに崇敬を集め、現在も群馬県以外の赤城神社としては最も知名度を誇る赤城神社であろう。
戦後の再建、そして平成の「赤城神社再生プロジェクト」によって新しくなった境内は、とてもモダンな和の人工美を感じる空間で、新国立競技場や高輪ゲートウェイ駅のデザインで広く知られるようになった隈研吾氏が設計監修した境内は「日本一オシャレな神社」と称される事もある程。
かつての子供たちの声が聞こえた旧境内も、地域の鎮守としてとても好きな空間ではあったのだが、こうして再生されたのも現代において1つの素晴らしい手法であろう。
牛込総鎮守として氏子からの崇敬だけでなく、こうした新しい試みで幅広く参拝者が訪れており、そうした努力と共に、長期プロジェクトが今後どうなるのかも楽しみな良い神社である。

御朱印画像一覧・御朱印情報

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※境内社「蛍雪天神」の御朱印も頂ける。

御朱印帳

オリジナル御朱印帳
初穂料:1,000円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
うさぎ柄・古典柄・市松梅柄の3種類。
夏季限定御朱印帳「青うさぎ」もあり。(筆者が頂いたもの)

授与品・頒布品

ゲゲゲの鬼太郎 ちゃんちゃんこ御守
初穂料:1,000円
社務所にて。

氏子地域にアニメ制作会社がある繋がりで水木しげる氏自らがデザインされた御守。
ちゃんちゃんこ御守・目玉のおやじ御守の2種類。

オリジナルあかぎこまいぬ
初穂料:2,000円
社務所にて。

当社の境内に置かれた個性的な狛犬のミニチュア版。

参拝情報

参拝日:2020/09/08(御朱印拝受/御朱印帳拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/12/14(御朱印拝受)

Google Maps

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