奥澤神社 / 東京都世田谷区

世田谷区

神社情報

奥澤神社(おくさわじんじゃ)

御祭神:誉田別命・宇賀魂命
社格等:村社
例大祭:9月第2土・日曜
所在地:東京都世田谷区奥沢5-22-1
最寄駅:奥沢駅・自由が丘駅
公式サイト:─

御由緒

世田谷城主吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築くにあたり守護神として勧請したと伝えられる。
例祭の9月14日・15日に、江戸中期より伝えられている「厄除の大蛇」の特殊神事が行われ、境内の「八幡小学校発祥之地」の碑は、かつて八幡小学校校舎があったからである。
社殿は昭和15年に完成し、尾州檜材を用い、室町期の様式を採用したもので、都内においても他に類を見ない。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2019/06/19(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/09/29(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:500円
社務所にて。

※現在は書き置きのみの授与。
※以前は初穂料300円だったが2019年参拝時は初穂料500円に変更。

[2019/06/19拝受]

[2015/09/29拝受]

歴史考察

大蛇お練り行事で知られる奥沢鎮守

東京都世田谷区奥沢に鎮座する神社。
旧社格は村社で、奥沢の鎮守。
奥沢城が築城された際に世田谷郷東部の守護神として創建。
古くは八幡神社と呼ばれたが、明治に稲荷神社が合祀された際に「奥澤神社」へ改称。
例祭には「大蛇お練り行事」が行われる事でも知られている。

奥沢城の築城・世田谷郷東部の守護神として創建

社伝によると、室町時代に創建と伝えられている。
当社の創建には、室町時代に奥沢に築城された「奥沢城」が深く関わってくる。

奥沢城(おくさわじょう)
現在の「九品仏浄真寺」がある場所に築城された平城。
天文-永禄年間(1532年-1570年)に、世田谷城主・吉良頼康により築かれた。
世田谷城の出城(国境などの要害の地に築いた城)として用いられたと伝わる。
天正十八年(1590)の小田原征伐の後に廃城となり、延宝六年(1678)に奥沢城址に現在の「九品仏浄真寺」が開かれた。
九品山 唯在念佛院 浄真寺
「九品仏」の名で親しまれております当山の正式名称は「九品山唯在念佛院浄真寺」と号し、浄土宗に属する寺院でございます。延宝六年(1678)、奥沢城跡であったこの地を賜り創建致しました。数多くの災害や戦火を逃れ、創建当時を現在も残しております。
吉良頼康(きらよりやす)
世田谷城に居を構えたため「世田谷御所」「世田谷殿」とも呼ばれた武将。
小田原城の後北条氏に従ったが、鎌倉公方と同じ足利氏の流れを汲む一族として別格の扱いを受け、「足利御一家衆」「無御盃衆」と称され、家臣ではなく食客として扱われた。
世田谷一帯の領主であり、現在の奥沢周辺も吉良氏の領地であった。

吉良頼康によって築城された奥沢城は、家臣の大平氏(おおひらし)が守ったと伝わる。
奥沢城を築城の際、大平氏によって世田谷郷東部の守護神として当社が創建。
八幡神を祀る「八幡社」と称された。

吉良氏の氏神は清和源氏足利氏の流れを汲むため、源氏の氏神と同様の八幡神であった。

江戸時代に入り奥沢が開墾・奥澤新田村の鎮守へ

天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐によって後北条氏は滅亡。
後北条氏に従っていた吉良氏の城である奥沢城も廃城となる。

同年、関東移封により徳川家康が江戸入り。
奥沢周辺は徳川家の直轄領となり、荏原郡世田谷領奥澤村として成立。

江戸時代以降は奥沢周辺の開墾が進む。

寛文九年(1669)、奥澤新田村が新たに成立。
当社は新たに開墾された奥澤新田村の鎮守となる。

奥澤新田村は、現在の奥沢4丁目-8丁目にかけてのエリア。
従来の奥澤村は奥澤本村とも称され、明治に当社へ合祀される事になる「子安稲荷神社」が鎮守であった。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(奥澤新田村)
八幡社
除地五段余、内社地一段、畑地四段余。村の東の方にあり。本社三間半に一間。拝殿二間に三間。前に鳥居を建つ。本社の右に四間に二間の寮あり。社を護るものここに居れり。祭礼九月十五日、村民うちよりて神楽を奏す。下沼部村密蔵院の持。末社。
稲荷社。本社の西にあり。
犬神社。本社の後に在。
薬師堂。本社の右にあり。二間四方本尊は石像なり。

奥澤新田村の「八幡社」と記されたのが当社。
本社の右にある社寮に当社を管理していた人物が住んでいたという事も記されている。
祭礼については詳細はないものの、9月15日に行われていたとあり神楽が奉納されたと云う。
これが江戸時代から現在も伝わる「大蛇お練り行事」である。

「密蔵院」(現・田園調布南24)が別当寺であった。
真言宗智山派 密蔵院 大田区
密蔵院は東京都大田区の歴史のある寺院で、玉川八十八ヶ所霊場56番札所です。

(奥澤村)
稲荷社
除地一畝十八歩。村の中ほどにあり。村内の鎮守なり。社二間に三間。前に鳥居を建。祭禮毎年九月廿四日。村内大音寺の持。

更に明治に合祀される「子安稲荷神社」についても触れておきたい。
奥澤村の「稲荷社」と記されていて、「村内の鎮守なり」とあるように奥澤村(奥澤本村)の鎮守はこの稲荷社であった。

明治になって、奥澤新田村の鎮守であった八幡社と、奥澤本村の鎮守であった稲荷社が合祀される事になる。

江戸時代中期から続く大蛇お練り行事

当社の例祭に行われる「大蛇お練り行事」は、江戸時代中期から続く行事。
この行事にはこんな伝承が残っている。

大蛇お練り行事の伝承
江戸時代中期に奥沢の地で疫病が流行。
ある夜に名主の夢枕に八幡神が現われ「藁で作った大蛇を村人が担いで村内を巡行させよ」と名主に告げたため、名主はその夢に従って新藁で大きな蛇を作り村内を巡行させたところ、疫病は程なくして治まった。

以後、藁の大蛇は厄除けの守護神として崇められ、厄除として藁で作った大蛇を携えて練り歩く行事が行われるようになり、これが現在も続く「奥沢神社の大蛇お練り行事」。
当社の鳥居には、前年の大蛇お練り神事で使用された藁製の大蛇が巻き付いている。

戦前から戦後にかけては中断されていたが、昭和三十三年(1958)に復活。
平成五年(1933)には世田谷区指定無形民俗文化財にも指定された。

当社の社寮で学問を教える

幕末になると当社の社寮で子弟を集め学問を教えるようになる。

上述の『新編武蔵風土記稿』に「本社の右に4間に2間の寮あり。社を護るものここに居れり。」との一文があるように、この社寮で学問を教えていた。

明治になると池田孝一郎という人物が「池田学校」という名で学問を教えるようになり、後に当社の社名から「八幡小学校(やはたしょうがっこう)」に改称。(後に移転)

これが現在の世田谷区立八幡小学校。
境内には八幡小学校発祥之地という記念碑が置かれている。

世田谷区立八幡小学校

明治以降の歩み・奥澤神社への改称

明治になり神仏分離。
明治七年(1874)、村社に列した。

明治十一年(1878)、奥澤本村と奥澤新田村が合併し奥沢村が成立。

明治二十二年(1889)、市制町村制によって奥沢村・等々力村・小山村・上野毛村・下野毛村・野良田村・瀬田村・用賀村が合併し玉川村が成立。
当社は玉川村奥沢鎮守の「八幡神社」であった。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、現在も変わらない。
当時の地図に「八幡神社」と記してあるように当地の目印にもなる神社であった。
当社周辺は当社を由来として「八幡前」と称されていた事も分かる。

当社より南東に奥澤本村の地名を見る事ができ、橙円で囲った箇所がもう奥澤本村の鎮守であった「子安稲荷神社」である。

同年、奥澤本村鎮守であった「子安稲荷神社」が当社に合祀。
これを機に「八幡神社」から現在の「奥澤神社」と改称。

奥澤本村鎮守「子安稲荷神社」が奥澤新田村鎮守「八幡神社」に合祀された事で、正に奥澤一帯の鎮守となった当社は、地名から「奥澤神社」に改称された。そのため現在も御祭神に誉田別命(八幡神)・宇賀魂命(稲荷神)の二柱を祀る。
旧「子安稲荷神社」の社地は現在の「奥沢子安公園」付近。

明治四十五年(1912)、江戸時代の本殿を「九品仏浄真寺」に移築。
これが改修されて「九品仏浄真寺」の観音堂となっている。

真言宗智山派 密蔵院 大田区
密蔵院は東京都大田区の歴史のある寺院で、玉川八十八ヶ所霊場56番札所です。

大正二年(1913)、社殿を建立。
この本殿も後に「九品仏浄真寺」に移築され五社として祀られている。

当社の旧別当寺は「密蔵院」で、「九品仏浄真寺」とは特別な関係があった訳ではないが、こうして2回も当社の本殿が「九品仏浄真寺」に移築されたのは、何とも不思議である。当社の創建由来となった奥沢城であるが、廃城した後の江戸時代に入って、奥澤城址に「九品仏浄真寺」が開山しているため縁があったのであろう。

戦後になり境内整備が進む。

昭和二十五年(1950)、南の奥沢弁天池に鎮座していた弁天社が当社境内に遷座。
昭和四十五年(1970)、社殿が再建。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

鳥居に巻き付く藁の大蛇・大蛇お練り行事

奥沢駅と自由が丘駅の中間あたり、自由通り沿いに鎮座。
商業施設も多く、商店街・住宅街も密集する地域。
そうした中でも緑に囲まれた立派な鎮守の杜となっている。

鳥居は昭和十四年(1939)に建立。
鳥居には当社のシンボルでもある藁製の大蛇が巻き付いているのが特徴。
前年の「大蛇お練り行事」で使用された大蛇がこうして鳥居に巻き付いている。
中々にインパクトのある姿で、江戸中期より伝わる神事の一端を日頃から伝えている。
厄除けの大蛇として地域を見守る。

大蛇お練り行事
江戸時代中期に奥沢の地で疫病が流行。
ある夜に名主の夢枕に八幡神が現われ「藁で作った大蛇を村人が担いで村内を巡行させよ」と名主に告げたため、名主はその夢に従って新藁で大きな蛇を作り村内を巡行させたところ、疫病は程なくして治まった。
以後、藁の大蛇は厄除けの守護神として崇められ、厄除として藁で作った大蛇を携えて練り歩く行事が行われるようになり、現在も9月の例大祭になると行われ、拝殿内にその年の大蛇を、鳥居には前年の大蛇が巻かれる。
東京都指定無形民俗文化財。
奥澤神社の大蛇お練り行事 | 世田谷区
世田谷区指定無形民俗文化財 奥澤神社の大蛇お練り行事の紹介

緑溢れる境内・狛犬・手水舎

鳥居を潜った先に一対の狛犬。
凛々しい表情の狛犬。
昭和三十七年(1962)に奉納されたもので、現代的な意匠。

正面に手水舎。
水も流れ身を清める事ができる。

境内は緑に囲まれ清々しい。
自由が丘からも徒歩圏内の奥沢において、こうした緑に囲まれた境内を有するのは、地域からの崇敬の賜物であろう。

戦後に再建された社殿・拝殿にも藁製大蛇の姿

手水舎から右に折れる形で南向きに社殿。
当社の社殿は過去に2度、「九品仏浄真寺」へ移築されていて、現在の社殿は昭和四十五年(1970)に再建されたもの。
室町時代の建築様式を再現したと云う檜造りの社殿。
戦後の再建とは思えぬ程のよい造り。
こうした立派な社殿で再建されたのも氏子崇敬者からの崇敬が篤いからこそだろう。
本殿も同様で状態も良い。

拝殿内には直近の「大蛇お練り行事」で使われた大蛇が1年間安置。
次の年になるとこの大蛇が鳥居に巻かれる事になる。
賽銭箱の上には神楽鈴が置かれており、こちらを鳴らして参拝する形。

拝殿で熟睡する猫
2019年6月に参拝時は拝殿に猫の姿。
ぐっすりと熟睡していて近づいてみると更にもう1匹。
神社と猫はよく見かける光景だが、ここまで安心しきって熟睡している姿も中々ない。
参拝中もぐっすりでなんとも癒やされる姿であった。

緑と水の奥沢弁天社・歴史を伝える境内

社殿の左手奥は「べんてん道」として整備。
境内社の奥沢弁天社へ続く道となっている。

この先は中々の雰囲気のあるエリアとなっており、歴史を感じさせるものも多い。
境内社の奥沢弁天社は奥に鎮座していて、岩によって築山された形。
かつては奥沢駅の南側に奥沢弁天池と呼ばれた池に鎮座していた弁天社。
昭和二十五年(1950)に当社境内に遷座。
昭和四十七年(1972)に築山され現在の形になっている。
僅かながら水場があり、時期によってはメダカの姿も見る事ができ、都内にありながら懐かしい光景。

奥沢弁天池には白蛇伝説も伝わっていたが、現在はその池は残っていない。

この一画に上述した「八幡小学校発祥之地」の碑。
さらに左手には、奥沢の古い信仰を伝える地蔵尊の姿も。
享保二十年(1735)に奉納された子育延命地蔵尊で、神仏習合の名残を感じる。

その向かいには庚申塔の姿も。
享保三年(1718)、文政三年(1803)の文字も見え、奥沢の信仰の歴史が詰まったエリアと云えるだろう。

庚申塔(こうしんとう)
庚申信仰に基づいて建てられた石塔。
60日に1度巡ってくる庚申の日に眠ると、人の体内にいると考えられていた三尸(さんし)と云う虫が、体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ寿命を縮めると言い伝えられていた事から、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われ、集まって行ったものを庚申講(こうしんこう)と呼んだ。
庚申講を3年18回続けた記念に庚申塔が建立されることが多いが、中でも100塔を目指し建てられたものを百庚申と呼ぶ。
仏教では庚申の本尊は青面金剛(しょうめんこんごう)とされる事から青面金剛を彫ったもの、申は干支で猿に例えられるから「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿を彫ったものが多い。

御朱印は書き置きのみ・魚板を鳴らす

御朱印は社務所にて。
呼び鈴がなく魚板をカーンと鳴らして呼ぶ面白い仕組み。
中々に良い音を鳴らしてくれる。
丁寧に対応して下さった。

御朱印は書き置きのみで初穂料500円。(掲示あり)

御朱印「奥澤神社」の朱印に、「武州世田谷 災厄除の神」の印。
左が2015年に頂いたもので、右が2019年に頂いたものだが、基本的に変わりはない。

所感

奥沢の鎮守として地域からの崇敬を集める当社。
奥沢城の築城と共に創建し、奥沢村の成立など、奥沢の地を長年鎮守してきた神社であり、今もその境内には奥沢の歴史が詰まっている。
早朝に参拝すると、氏子が数人集まって掃除をしていたりと、地域からの崇敬の篤さも伝わる。
そして「大蛇お練り行事」と、鳥居に巻きつけられた藁製の大蛇はインパクトがあり、当社らしい個性と氏子の気持ちが伝わってくる。
緑に囲まれた境内は大変清々しい空気に満ちていて、自由が丘からもほど近いこの地にこうした境内が維持されているのは実に素晴らしく、素敵な良社である。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]


[ 鳥居・大蛇 ]





[ 道標 ]
image
[ 狛犬 ]


[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]








[ 賽銭箱・神楽鈴 ]

[ 本殿 ]


[ 神楽殿 ]

[ 御神木・御籤掛 ]


[ 社務所 ]


[ 南側鳥居 ]


[ 力石 ]

[ べんてん道 ]


[ 奥沢弁天社 ]





[ 石灯籠 ]

[ 八幡小学校発祥之地碑 ]

[ 築岩 ]

[ 地蔵尊 ]

[ 庚申塔 ]

[ 狛犬・扁額 ]


[ 水盤 ]

[ 石碑 ]


[ 案内板 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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