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概要
『君の名は。』の聖地・四谷総鎮守の須賀神社
東京都新宿区須賀町に鎮座する神社。
旧社格は郷社で、四谷の総鎮守。
元は稲荷信仰の神社であるが、江戸時代には牛頭天王を合祀したため、四谷鎮守の天王様として「稲荷天王合社」「四谷天王社」と呼ばれ信仰を集めた。
相殿に「大鳥神社」も祀られており、11月の酉の日には「四谷酉の市」が開催される。
正式名称は「須賀神社」であるが、他との区別から「四谷須賀神社」とさせて頂く。
また当社参道の男坂石段が劇場アニメ『君の名は。』の舞台としても知られ、作品が大ヒットしたことでアニメ関係者からの崇敬も篤く、『鬼滅の刃』『呪術廻戦』など数多くの制作関係者が作品のヒット祈願に訪れる。
神社情報
四谷須賀神社(よつやすがじんじゃ)
御祭神:須佐之男命(須賀大神)・宇迦能御魂命(稲荷大神)
社格等:郷社
例大祭:6月上旬(例大祭)・11月酉の日(四谷酉の市)
所在地:東京都新宿区須賀町5
最寄駅:四谷三丁目駅・四ツ谷駅・信濃町駅
公式サイト:https://sugajinjya.or.jp/
御由緒
今の須賀神社はもと稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝受し、移し奉ったものと伝えられています。
須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在の四谷の中心一円の地を拝受したのを機会に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってありました日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、御両社として祀る様になり、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来ました。明治元年に須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、旧社格は撤廃されました。
社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。
往古の御社殿はつまびらかではありますが、戦災前の御社殿は、文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をついやして文政十一年十二月に竣工したものです。大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。昭和二十年五月二十四年の東京大空襲の折り、御本殿並びに御内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失いましたが、戦後、氏子崇拝者の赤誠(せきせい)に依って 今日の復興を見ることが出来ました。
当社の本殿御内陣は文政二年に造営されたものでありますが、先の戦災の折り、辛うじて焼失を免れたものの極度に老朽化が進み、この儘では保存に支障をきたすとして、この度その大修復工事が行われ、昭和六十三年秋に着工、平成元年五月九日に落成し、同月十八日に遷座祭が執行されました。
今では都内の神社中数少ない金色燦然と輝き、荘厳華麗を極めた建築物であります。造営以来約百七十年目の大修復工事がなされました。
御内陣宮殿 文政二已卯年四月四谷伝馬町二丁目住人 大工 吉見氏(頒布のリーフレットより)
歴史考察
一ツ木村鎮守であった稲荷社が起源
社伝によると、創建年代は不詳。
一ツ木村(赤坂)の清水谷にあった鎮守「稲荷社」が起源であると伝わる。
江戸時代の赤坂一ツ木町は、現在の港区赤坂4-5丁目周辺。
麹町台地の南、赤坂溜池の周辺に位置(現・赤坂御用地あたり)。
それ以前の一ツ木村はもっと広い範囲で麹町や紀尾井町あたりも含めており、当社はいわゆる麹町地区にあたり一帯の鎮守であった。
旧鎮座地は現在の社地よりも離れた麹町地区の一ツ木村。
当社は一ツ木村鎮守の「稲荷社」で、別当寺は「稲荷山宝蔵院」(現・廃寺)であった。
江戸城の外濠普請のため四谷に遷座
寛永十一年(1634)、江戸城に外濠を設置することになる。
江戸城の堀のうちの外側の堀の総称。
江戸城の拡張と大改造が行われる度に、水路で江戸城を取り囲むように広げられていった。
一ツ木村を含む麹町地区のエリアが、江戸城の外濠普請の対象となった。
対象範囲の寺社は立ち退きを余儀なくされ、別当寺「宝蔵院」が当地に遷ったのを機に、当社も「宝蔵院」境内に遷座。
四谷一帯は外濠普請によって移転した人々と共に発展した地区とも云えるであろう。
牛頭天王を合祀・四谷天王社として崇敬を集める
寛永十四年(1637)、日本橋大伝馬町の名主・馬込勘解由が、島原の乱において兵站伝馬の御用を勤めた功績により、四谷一帯を賜る。
日本橋大伝馬町で代々伝馬役・名主役を務めた馬込家当主が代々名乗った名前。
初代当主は幼少より徳川家康に仕え兵站を担っていた。
寛永十八年(1641)、「神田明神」境内に祀られていた大伝馬町の産土神であった牛頭天王を、四谷のお仮屋横丁付近に小祠を造り祀ったと云う。
寛永二十一年(1644)、参拝者が余りに多かったため、寺社奉行に願い出て「宝蔵院」境内にあった「稲荷社」(当社)と合祀。
「稲荷社」に「天王社」が合祀されたため「稲荷天王合社」と呼ばれた。
とりわけ牛頭天王への信仰が強かった事で「四谷天王社」と呼ばれる事も多かった。
日本における神仏習合の神。
釈迦の生誕地に因む祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神とされたため、牛頭天王を祀る信仰を祇園信仰(ぎおんしんこう)と称する。
総本社は祇園祭でも知られる京都の「八坂神社」で、全国の「八坂神社」「天王社」「須賀神社」などに祇園信仰の神として祀られた。
神道ではスサノオと習合したため、明治の神仏分離後の神社では、御祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)に改められたところが多い。
江戸切絵図から見る当社と四谷
寛永十三年(1636)、外濠が完成し、堀の岸は石垣で築かれ四谷見附(警備のための城門)が設けられた。
立ち退きを余儀なくされた麹町地区の殆どの寺社は四谷に集団移転したため、当時から四谷には多くの寺社が存在し、門前には町屋や店が軒を並べた。
それまでは江戸郊外であった四谷も、江戸市中に組み込まれる事となり、江戸の都市部へと発展していく事となる。
こちらは江戸時代後期の四谷周辺の切絵図である。
北が左となっている切絵図で、下にあるのが内藤新宿(現・新宿付近)、上にあるのが四谷御門という地理関係になっている。
当社はそのうちの寺社が密集している中央地帯に見る事ができる。
当社があった一帯は南寺町と呼ばれた。
中央に「稲荷山宝蔵院天王社」とあり、これが当社。
別当寺であった「宝蔵院」と一帯となっていた事が分かり、神仏習合の時代を伝えている。
当社は四谷一帯の鎮守として崇敬を集めた。
江戸名所図会に描かれた当社
天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。
「四谷牛頭天王社」として描かれている。
現在同様に参道は坂になっており、境内には大変立派な社殿や多くの境内社を見る事ができる。
実に立派な社殿が描かれている。
社殿は文化十一年(1814)に起工し文政十一年(1828)に竣工したもの。
約15年近くもの歳月を費やして造営された立派なものとなっている。
左手にあるのが別当寺「宝蔵院」。
こうして見ると四谷の鎮守として「四谷牛頭天王社」が境内のメインとなっており、四谷周辺より大変な崇敬を集めていた事が伝わってくる。
明治維新で須賀神社へ改称・戦後の再建
明治になり神仏分離。
明治元年(1868)、当社は「須賀神社」に改称。
主祭神を須佐之男命(須賀大神)と、宇迦能御魂命(稲荷大神)に改めている。
社号の「須賀」とは、御祭神の須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲国の簸の川の上流でヤマタノオロチを退治した際に「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と述べ、宮居を創立したという故事に基づき名付けられた。
明治五年(1872)、郷社に列した。
明治十一年(1878)、郡区町村編制法により、東京府四谷区が発足。
当地は四谷南寺町と呼ばれ、当社は四谷区の総鎮守とされた。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、今も当時も変わらない。
「須賀神社」と記されていて、地図上の目印になる規模の神社であった。
周囲には須賀町、四谷区の地名も見える。
大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
当社も社殿などが被災している。
昭和二十年(1945)、東京大空襲によって、本殿・御内陣と摂社天白稲荷社を残し、それ以外の建物が全て焼失。
戦後になり氏子崇敬者によって再建を果たした。
現在では劇場アニメ『君の名は。』の舞台としても知られている。
『君の名は。』の大ヒットにより、アニメ関係者からの崇敬が篤い。
境内案内
『君の名は。』の聖地・舞台となった男坂の石段
最寄駅は四谷三丁目駅、四ツ谷駅や信濃町駅からもそう変わらない距離で、いずれも徒歩10分ほど。
新宿通りか外苑東通りから住宅街に入っていく事になるが、表参道の男坂を上るには新宿通りから四谷二丁目信号手前の路地を南に向かうのが良い。
そのまま道なりで男坂が見えてくる。
やや急な石段があり、これが男坂。
今ではすっかり人気となった一画。
キービジュアルや作中での印象的なシーンの舞台となった男坂。
いわゆる聖地巡礼で訪れる方も多く、未だに写真を撮る人の姿を多く見かける。
(公式サイトより)
須賀の杜・朱色の鳥居・女坂など
男坂を上ると右手に参道が続く。
一部が神社関係者の駐車場。
右手には境内にある賃貸住宅「須賀の杜 hare terrace」。
その先に朱色の鳥居。
平成二年(1990)に建立された鳥居で、扁額には「須賀神社」の文字。
鳥居の右手には女坂。
『君の名は。』の舞台となった男坂が人気だが、こちらからも参拝可能。
多くの神を合祀する社殿・酉の市も
参道正面に社殿。
旧社殿は戦災によって焼失。
社殿は戦後に氏子崇敬者によって再建されたもの。
立派な鉄筋コンクリート造の社殿。
氏子崇敬者からの崇敬の篤さが伝わる。
状態もよく維持されている。
主祭神は、須佐之男命(須賀大神)・宇迦能御魂命(稲荷大神)の二柱。
左右に五男神(天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・熊野樟日命・活津彦根命)・三女神(多紀理姫命・市杵島姫命・多岐都姫命)を祀っている。
さらに大鳥神社(日本武命・大鳥連祖神)も合殿となっていて、多くの神を祀る社殿である。
例年11月の酉の日に行われる祭。
日本武尊を御祭神とする大鳥信仰系の神社で行われる事が多い特殊神事。
「花畑大鷲神社」(足立区花畑)が発祥とされ、江戸時代から現在にかけては吉原遊廓に隣接していた「浅草鷲神社」の酉の市が日本最大の酉の市として知られる。
金色燦然と輝く御内陣・三十六歌仙絵・大國社
社殿内の本殿御内陣は、文政二年(1819)に造営されたものが現存。
平成元年(1989)に大修復工事が行われた。
(公式サイトより)
都内の神社ではあまり見ない、金色燦然と輝き荘厳華麗を極めた建築物となっている。
また本殿内には「三十六歌仙絵」が置かれており、境内にもその旨の案内板がある。
この絵は天保七年(1836)に大岡雲峰の絵と千種有功の書により製作、奉納されたもので、新宿区指定有形文化財に指定されている。
江戸時代後期の旗本で文人画家。
四谷大番町に住み、山水画・花鳥画を得意とした。
谷文晁の門人となった他、二宮尊徳の画の師としても知られる。
拝殿の左手には大國社が併設。
大国主(大黒様)の木像が置かれている。
四谷大國社として崇敬を集めている。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の使者に国譲りを要請され、武力交渉の末に、天津神に国土を献上した事から「国譲りの神」とも呼ばれる神。
国津神(天孫降臨以前より国土を治めていた土着の神)の最高神ともされ、古くから「出雲大社」の御祭神として知られる。
民間信仰によって「大国」が「だいこく」と読める事から、七福神でもある「大黒天(大黒様)」と習合していった。
戦火を免れた天白稲荷神社・梯子塚など
社殿の左手には境内社の天白稲荷神社が鎮座。
境内は東京大空襲によって、本殿御内陣を除く殆どが焼失。
しかし、この天白稲荷神社は無事であった。
大変多くの御祭神が相殿神として祀られており、『江戸名所図会』に数多く描かれていた境内社の多くが、こちらに合祀されたという形になる。
手水舎の左手に梯子塚。
江戸時代の火消し五番組「く組」の梯子塚となっている。
「く組」は四谷の火消しで装束は四谷に駒形であった。
『鬼滅の刃』『呪術廻戦』などアニメスタッフのヒット祈願絵馬
上述した通り男坂が『君の名は。』の舞台となった当社。
聖地巡礼に訪れるファンも多い中、作品が記録的大ヒットとなったことでアニメ関係者からの崇敬も大変篤いものとなった。
その様子を窺い知る事ができるのが拝殿前の絵馬掛。
絵馬掛にはファンの方々の絵馬の奉納だけでなく、アニメ関係者の奉納が大変多い。
その多くが『君の名は。』の大ヒットにあやかったヒット祈願によるもの。
近年では漫画がアニメ化され大ヒットとなった『鬼滅の刃』。
アニメーターによる直筆イラスト付きの絵馬。(2020年撮影)
TVアニメのヒット祈願として、制作会社や声優などの名が並ぶ。
劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』の絵馬も。(2021年撮影)
スタッフやキャスト一同からの絵馬。
煉獄杏寿郎のイラスト付き。
更にヒットした『呪術廻戦』の絵馬。
スタッフ一同より大ヒット祈願絵馬が奉納。
2021年8月参拝時には12月公開予定の『劇場版 呪術廻戦0』の大ヒット祈願絵馬も。
他にも数々のアニメ関係者からの絵馬。(2020年撮影)
『マギアレコード』。
『3月のライオン』の作者・羽海野チカ氏による奉納。
『おそ松さん』製作委員会によるヒット祈願など。
『劇場版ソードアート・オンライン プログレッシブ』の声優さんの絵馬。(2023年撮影)
須賀神社と大國社の御朱印
2020年6月現在の御朱印は書き置きのみ。
見開きサイズで「須賀神社」と「大國社」の御朱印を頂く事ができる。
「大國社」の御祭神は「出雲大社」の御祭神としても知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)。古くから縁結びの神様として信仰が篤く、御朱印にも「幸縁天神」と記されている。
『君の名は・』の聖地・男坂の金箔押し御朱印
2023年8月から数量限定の男坂御朱印を授与。
金の箔押しの豪華仕様。
『君の名は。』のラストシーンで有名になった男坂の限定御朱印。
作品のファンにも嬉しい御朱印と云える。
通年授与の茅の輪守り・蘇民将来の説話
授与所には豊富な授与品を用意。
御祭神に由来する茅の輪守りは通年授与している。
蘇民将来とは日本各地に伝わる説話。
旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうのかみ)を裕福な弟の巨旦将来は拒否。
一方で貧しい兄の蘇民将来は粗末ながら旅人をもてなした。
後に再訪した武塔神は、「真心に感銘した」と言い、蘇民の娘に茅の輪を授けた。
すると蘇民の娘を除いて、拒否した弟の一族を皆殺しにして滅ぼした。
武塔神は自分は「スサノオ」であると正体を名乗り、以後、「この茅の輪を祀れば子孫を疫病、そして災いから守る」と言った。
当社は古くはスサノオと習合した牛頭天王を祀り、茅の輪守りは御祭神に即した授与品。
「蘇民将来子孫也」は上述した故事によるもので、茅の輪守は、玄関の外・もしくは中の柱か壁に止める等して祀る。(向きは外に向けること)
他にも酉の市の日には「開運熊手守」、冬至から節分迄は「穴八幡宮」の授与品でも知られる「一陽来福守」を当社でも授与している。
所感
四谷の総鎮守として崇敬を集める当社。
稲荷神社として創建し、四谷に遷座してから牛頭天王が合祀された事で、江戸時代は「四谷牛頭天王社」と称され、天王様として親しまれていた。
明治の神仏分離にて別当寺は廃寺となり、当社は四谷の総鎮守となるのだが、東京大空襲によってかつての社殿などは焼失してしまう。
それでも現在の立派な社殿に再建され、大変多くの神を祀る当社は、正に四谷周辺の信仰を一堂に介した総鎮守と云う事ができるだろう。
近年は『君の名は。』の舞台となったことで、アニメ関係者やファンの方々からの崇敬も篤く、絵馬掛けは見ているだけでも楽しい。
地域に親しまれ崇敬を集める実に良い神社である。
御朱印画像一覧・御朱印情報
御朱印
初穂料:500円(通常)・1,000円(箔押し)
社務所にて。
※以前は初穂料300円だったが現在は500円に変更。(書き置きで須賀神社と大國社の見開き御朱印)
授与品・頒布品
交通安全ステッカー
初穂料:800円
社務所にて。
茅の輪守り
初穂料:1,000円
社務所にて。
夏越の大祓・年越の大祓の時期だけでなく通年で授与している。
参拝情報
参拝日:2021/08/23(御朱印拝受)
参拝日:2021/02/18(御朱印拝受)
参拝日:2020/06/23(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/11/10(御朱印拝受)
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