碑文谷八幡宮 / 東京都目黒区

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神社情報

碑文谷八幡宮(ひもんやはちまんぐう)

御祭神:誉田別命(応神天皇)
旧社格:村社
例大祭:9月中旬の土・日曜
所在地:東京都目黒区碑文谷3-7-3
最寄駅:都立大学駅・西小山駅
公式サイト:─

御由緒

碑文谷八幡宮の創建年月は、はっきりしていないが、一つの言い伝えがあり、鎌倉時代の武将で源頼朝に仕えて戦功と人望のあった畠山重忠(1164〜1205)の守護神を、二俣川にて北条義時の軍に討たれた後、その臣榛沢六郎より交付して宮野佐近がこれを奉祀したといわれている。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2016/10/27(ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/07/28(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※社名部分は墨書きではなく印版によるもの。

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考察

碑文谷の鎮守

東京都目黒区碑文谷に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧碑文谷村の鎮守。
「碑文谷」の地名由来とも云われる、碑文石が置かれている。
桜の時期には、一之鳥居から二之鳥居までの参道が桜並木で美しい。

坂東武士の鑑と称された畠山重忠

創建年代は不詳とされている。
社伝によると、鎌倉時代に源頼朝の家臣・畠山重忠の守護神を、その家臣筋で当地に住んでいた宮野左近という人物が祀ったのが始まりであると言われている。

畠山重忠は源頼朝の御家人として知勇兼備の武将とされた人物。

「源平盛衰記」によると、源頼朝の挙兵にあたり当初敵対し、後に帰伏する際、「平家は一旦の恩、源氏は重代の恩」と述べて、先祖・平武綱が八幡太郎義家より賜った白旗・白弓袋を差し上げて頼朝の陣営に赴き、先陣を命じられて進軍したと伝わる。
他にも、頼朝の大倉御所への移転や、鶴岡八幡宮の参詣の警護などといった件で『吾妻鏡』内に名を見る事ができる。

清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された程であったが、頼朝が没した後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって、謀反の疑いをかけられ「畠山重忠の乱」としてに討たれてしまう。

推測になるが、重忠が討たれた後に、家臣が偲び創建したのではないだろうか。
頼朝に付き従った事と、先祖も源義家(八幡太郎)に従った人物であったため、源氏の氏神である八幡神を崇敬したと思われ、当社も八幡信仰の神社として創建されたのであろう。
重秀の家臣で当社を創建を命じた榛沢六郎は、当社の稲荷社に祀られている。

碑文谷村と碑文石

当地周辺は、古くから荏原郡碑文谷郷として人の定住が見られた。
江戸時代には碑文谷村として名を見る事ができる。

碑文谷村の地名は、当社に置かれている「碑文石」に由来すると伝わる。
img_2087現在は暗渠化されているものの、当社近くを流れていた呑川の川床の石が材料。
この碑文石には中央に「大日」、左右に「勢至」「観音」の梵字が刻まれている。
室町時代の頃の作であるという。

江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』や『江戸名所図会』には、村内の鎌倉街道の傍らに梵字を刻んだ碑があったが、祟りのため土中に埋めたと記されており、これが碑文石である。

この碑文を彫った石がある里(谷)という事から、「碑文谷」と呼ばれるようになったと云われる。
他にも「碑文谷」の由来は諸説あるのだが、一般的に通説となっている。

江戸時代の史料から見る当社

このように成立した碑文谷村の鎮守として崇敬を集めた。

社殿の造営は記録として、永正八年(1511)、寛永八年(1631)、宝永元年(1704)に残っている。
当社の案内板には延宝二年(1674)に建てられたとも記されている。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(碑文谷村)
八幡社
除地1595坪。西北の方にあり。銅像のよし云傳ふれど、秘してたやすく扉を開くことを許さず。相傳ふ畠山重忠の守本尊にして軍陣に臨むときは冑の立物に付し像なりと。後に其家人宮野友右衛門と云ものに預け置しを重忠討死の後此地に勧請して八幡に祀りしとぞ。其年代は詳ならず。本社2間四方、拝殿も同じ大さなり。社前2町半許を隔て石階9級あり。此間に鳥居2基をたつ。両柱の間ともに2間。
末社
稲荷疱瘡神弁天合社。本社に向て右にあり。小祠なり。
第六天社二。一は本社の前にあり。一は本社の側にあり。ともに小祠。

碑文谷村の「八幡社」と記されている。
これによると畠山重忠が常に戦に行く時は持ち歩いていた像を後に預け、討ち死にした後に当地に勧請して八幡神社としてお祀りしたとある。

当時は常に生死と隣合わせだった武将たちは、念持仏を持ち歩くのが一般的であり、畠山重忠が持ち歩いていた念持仏を八幡様としてお祀りしたものと推測できる。
御由緒にある守護神というのが、この念持仏の事なのだろう。

当時は近辺にある「円融寺」が別当寺であった。
神仏習合の時代であり「円融寺」の子院である神宮院が当社に置かれていた。

明治維新後の碑文谷と当社の歩み

明治になり神仏分離。
当社は碑文谷村の鎮守として村社に列した。

明治五年(1872)、社殿を再建。
明治二十年(1887)、社殿を改築しており、これが現存する社殿となっている。

明治二十二年(1889)、町村制の施行に伴い、碑文谷村の全域と衾村の一部が合併して碑衾村(ひぶすまむら)が発足し、旧碑文谷村は碑衾村碑文谷となる。
昭和二年(1927)、町制施行して碑衾町碑文谷となり、昭和七年(1932)に目黒区が成立した後は目黒区碑衾町となる。

昭和四十年(1965)、当社の社号が「八幡神社」から「碑文谷八幡宮」に改称。
img_2053一之鳥居の隣にある社号碑には改称記念の文字が刻まれている。

昭和四十一年(1966)、住居表示が実施され碑衾町は廃止。
旧碑文谷村の区画は、碑文谷・中央町・目黒本町・原町・洗足・南といった住所に分けられたが、当社中心は目黒区碑文谷となり現在に至っている。
碑文谷の地名が当てられたのは、碑文谷の鎮守として崇敬を集めたからであろう。

桜並木が美しい参道・広い境内

最寄駅は都立大学駅になるが、徒歩20分ほどの距離がある。
環七通り沿いの大岡山小前の交差点から住宅街に入っていくと一之鳥居が見えてくる。
img_2054この一之鳥居は玉砂利で整備され、両脇に並ぶ木は全て桜となっている。
桜の時期になると中々に見事な桜並木となり名勝とも云えるだろう。

この参道が100mほど続き、その先に二之鳥居。
img_2016二之鳥居の先もまだ先が続き、長い参道が特徴的。

石段のやや上に三之鳥居。
img_2017この右手には石碑や社号碑なども置かれている。

三之鳥居の先に手水舎がある。
img_2022その手水舎の隣には手押しポンプが置かれている。
img_2038このポンプは普通に使用が可能で、地域の子どもたちがこちらで遊んでいる姿も見る事ができる。

境内は広く左手奥には児童公園も置かれている。
img_2046当社の境内では、こうして地域の子供達が遊ぶ様子をよく見かける事ができ、近くの保育園などでも当社まで散歩をする事も多く、正に地域に愛される鎮守であろう。

明治に再建された社殿・社宝の碑文石

手水舎で手を清めさらに先に進むと石段の上に社殿が見えてくる。
img_2023玉垣と緑の木々に囲まれており、ここから更に空気が引き締まる。

社殿は明治五年(1872)に再建され、明治二十年(1887)に改築されたもの。
img_2029第二次世界大戦の戦火を免れて現存しており、昭和五十六年(1981)にも増改築された。
img_2027大きさとしては比較的小さめではあるが、江戸後期から明治にかけての作風の彫刻がよい出来となっている。

社殿の右手には、上述した「碑文石」が置かれる。
img_2032碑文谷の地名由来にもなったと伝わっている碑文石。
img_2033ガラス張りの小さな保存庫に納められており、いつでも見る事が可能となっている。
こうした社宝が境内に置かれて常時公開されているのは有り難い。

その右手には境内社の稲荷社。
img_2035稲荷信仰の境内社であるが、畠山重秀の家臣で当社を創建を命じた榛沢六郎も祀られていると伝えられている。

他にも多くの石碑や神楽殿など見どころも多い。
上述したように児童公園も併設されており、正に地域に親しまれる鎮守であろう。

御朱印は参道途中右手にある社務所にて。
img_20512015年に新築改葬された社務所となっている。

所感

碑文谷の鎮守として崇敬を集めている当社。
碑文谷の地名由来との説がある碑文石など、碑文谷村の中心として崇敬を集めており、それは今も変わらない。
駅からは距離のある当地ではあるが、旧ダイエー碑文谷店(今年末にイオンにリニューアル予定)やサレジオ教会なども近く、立地の良い住宅街に鎮座している。
そうした中に広い境内を維持し、清々しくも地域に愛される境内となっているのが素晴らしい。
子どもたちが神社で遊ぶ光景というのは個人的にはとても好きな光景である。
この日も七五三やお宮参りなど、地域の方々が次々と参拝に訪れていた。
桜の季節になると参道の桜並木が中々に見事であるし、9月の例大祭は屋台も多く出ていつも盛り上がっており、子供の頃に何度も通った記憶が懐かしい。

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神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]
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[ 参道(桜並木) ]
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[ 二之鳥居 ]
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[ 三之鳥居 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 参道 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 手押しポンプ ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿・拝殿 ]
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[ 本殿 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 碑文石 ]
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[ 稲荷社 ]
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[ 神楽殿 ]
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[ 神輿庫 ]
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[ 境内風景 ]
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[ 石碑 ]
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[ 社務所 ]
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[ 児童公園 ]
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[ 案内板 ]
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