上目黒氷川神社 / 東京都目黒区

目黒区

概要

上目黒鎮守の氷川さま

東京都目黒区大橋に鎮座する神社。
旧社格は村社で、上目黒村の鎮守。
社号碑などには「上目黒氷川神社」とあり、現在は統一してその社号を使っているが、以前は現在の地名から「大橋氷川神社」と称する事も多かった。
かつて歌川広重も描いた事で知られる「目黒元富士」が明治に取り壊される事となり、当社境内に遷座したため、戦後になって新たに当社境内に「目黒富士」が築かれ、小さな登山道が設けられているのが特徴的。

神社情報

上目黒氷川神社(かみめぐろひかわじんじゃ)

御祭神:素盞嗚尊・天照皇大神・菅原道真
社格等:村社
例大祭:8月第4土・日曜
所在地:東京都目黒区大橋2-16-21
最寄駅:池尻大橋駅・神泉駅
公式サイト:http://kamimeguro-hikawajinja.jp/

御由緒

祭神は素盞嗚命を主神とし、天照大御神、菅原道真を合祀しています。旧上目黒村の鎮守で、天正年間(1573-1592)に上目黒村の旧家加藤氏がこの地に迎えたといわれています。
正面の石段は文化13年(1816)に造られましたが、明治38年(1905)に前を通る大山街道(現、玉川通り)を拡張する際に、現在の急勾配な石段に改修されました。境内には、花崗岩造りの4基の鳥居や小松石造りの2対の狛犬があります。
また、石段の下には「武州荏原郡菅刈目黒郷」と刻まれた供養塔や、天保13年(1842)に建てられた大山道の道標があります。大山道は江戸時代、石尊参り(現、神奈川県伊勢原市の大山への参詣)をする多くの人々が利用しました。
境内には、目切坂上(現、上目黒1-8付近)にあった目黒元富士から石碑などが移され、「目黒富士」と称す登山道が築かれています。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2023/03/24(御朱印拝受)
参拝日:2023/01/04(御朱印拝受)
参拝日:2022/11/19(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2022/10/10(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2022/09/23(御朱印拝受)
参拝日:2022/08/27(御朱印拝受)
参拝日:2022/07/05(御朱印拝受)
参拝日:2022/06/16(御朱印拝受)
参拝日:2022/03/24(御朱印拝受)
参拝日:2022/01/14(御朱印拝受)
参拝日:2022/01/07(御朱印拝受)
参拝日:2021/11/22(御朱印拝受)
参拝日:2021/09/21(御朱印拝受)
参拝日:2021/08/21(御朱印拝受)
参拝日:2021/07/06(御朱印拝受)
参拝日:2021/06/01(御朱印拝受)
参拝日:2021/03/22(御朱印拝受)
参拝日:2021/03/09(御朱印拝受)
参拝日:2021/01/11(御朱印拝受)
参拝日:2020/11/22(御朱印拝受)
参拝日:2020/09/29(御朱印拝受)
参拝日:2020/08/24(御朱印拝受)
参拝日:2020/07/27(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2019/10/01(御朱印拝受)
参拝日:2019/08/24(御朱印拝受)
参拝日:2019/05/20(御朱印拝受)
参拝日:2019/03/24(御朱印拝受)
参拝日:2019/03/12(御朱印拝受)
参拝日:2018/07/09(御朱印拝受)
参拝日:2015/11/16(御朱印拝受/御朱印帳拝受)

御朱印

初穂料:500円(通常)・800円(見開き限定)
社務所にて。

※桜の季節や夏詣などに限定御朱印あり。
※2018年7月1日の山開きに合わせて境内社「目黒富士浅間神社」の御朱印も授与開始。
※2019年3月22日の初午祭に合わせて境内社「稲荷神社」の御朱印も授与開始。
※以前は初穂料300円だったが現在は500円に変更。

最新の御朱印情報
6月1日-30日まで「夏越大祓特別御朱印」
※別紙のみ。通常御朱印は直書き可。詳細は公式Twitterにて。
通常時の御朱印の受付時間は9:00-16:30まで。

御朱印帳

御朱印帳&御朱印帳袋 星空特別一式セット
初穂料:5,000円(御朱印帳袋・御朱印代込)
社務所にて。

目黒川の夜桜と美しい星空をデザインした御朱印帳。
御朱印帳袋とセットでの頒布。
初穂料の一部は境内の森林保護に使用される。

オリジナル御朱印帳
初穂料:2,000円(御朱印代込)
社務所にて。

近くを流れる目黒川の桜をモチーフにした御朱印帳。
昼桜版と夜桜版が存在。
期間限定で夕桜版も用意されていた。
※筆者が頂いた2015年は初穂料1,500円だったが現在は2,000円に変更。

授与品・頒布品

桜御守
初穂料:800円
社務所にて。

2022年例大祭より通年頒布となった御朱印帳と同じデザインの御守。
昼桜・夜桜・夕桜・星空の4種類。

新米・銀杏
初穂料:─
社務所にて。

御朱印を頂いた際にくださった新米や境内でとれた銀杏。

例大祭うちわ
初穂料:─
社務所にて。

2021年や2022年に例大祭特別御朱印を頂いた際に下さったうちわ。

お月見マシュマロ
初穂料:─
社務所にて。

2020年や2021年のお月見特別御朱印を頂いた際に下さったマシュマロ。

令和二年例大祭手ぬぐい
初穂料:1,500円
社務所にて。

令和二年(2020)例大祭に頒布された手ぬぐい。
奉納の返礼品として頂ける他、初穂料1,500円での頒布も行われた。

御朱印帳袋(星空特別一式セット)
初穂料:5,000円
社務所にて。

御朱印帳と御朱印帳袋のセット「星空特別一式セット」の御朱印帳袋。

交通安全絆ステッカー
初穂料:500円
社務所にて。

※こちらは「大橋氷川神社」の名になっている。(既に授与終了)

歴史考察

天正年間に加藤氏が勧請して創建

社伝によると、天正年間(1573年-1592年)に創建と伝わる。

甲州武田家の家臣・加藤氏が、甲斐国上野原(現・山梨県)より上目黒村に土着する際、上野原の産土神を勧請したと伝えられている。

上野原(うえのはら)
山梨県の中部最東端に位置し現在は上野原市となっている。
江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』や『江戸名所図会』にもこうした記述が残っている。

加藤氏は、上目黒村石川組の名主となり、当地周辺を開発していく事となる。

なお、古くから当地は稲荷山と称され稲荷社が鎮座。
その稲荷山に氷川神を勧請したため、氷川社が本社となり稲荷社は末社となったと云う。

大正時代の地誌『目黒町誌』では古くから稲荷山に稲荷社が鎮座していて、元和元年(1615)に氷川社が勧請されたと云う説を紹介している。

いずれにせよ、上目黒村石川組の名主・加藤氏の元で崇敬を集め、上目黒の開拓と共に信仰を集めた。

上目黒村石川組の鎮守・新編武蔵風土記稿の当社

江戸時代になると上目黒村石川組の鎮守として崇敬を集める。

江戸時代の上目黒村
当時の上目黒村は村の中に石川組・五本木組・宿山組・上知組と小分けされていて、それぞれの組に鎮守があった独立性の高い村であった。
当社は上目黒村の中の石川組の鎮守とされた。

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(上目黒村)
氷川社
除地一段四畝。村の西北の方駒場道にあり。小名石川組の鎮守なり。天正年中村民定右衛門が先祖当所へ移りし頃彼が持地へ始て移し祀れりと。本社八尺四方、前に拝殿あり、三間四方。正一位氷川大明神と扁す。社地すべて古松老檜生茂れり。前になだれの坂あり。この中腹に鳥居を建、両柱の間八尺。祭礼毎年九月二十九日。村民持。
末社。稲荷社。本社の右にあり。

上目黒村の「氷川社」として記されているのが当社。
小名・石川組の鎮守であり、天正年間(1573年-1592年)に名主である加藤定右衛門の先祖が当地へ勧請したという事が記載されていて、加藤氏の末裔が創建したと云う伝承を伝えている。

「社地すべて古松老檜生茂れり」の一文があるように、当時からしても古めかしい境内であった。
別当寺持ちではなく、村民持ちで管理されていた。

江戸名所図会に記された疫病知らずと云われた氏子

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』にも当社が記されている。

(江戸名所図会)

赤く囲った箇所が当社についてで、「氷川明神祠」として記されている。

氷川明神祠
駒場野官林よりこなたの岡にあり。祭神素盞鳴命一座。天正年間甲州郡内上の原といへる地にありしを加藤氏この地に移り住する頃、産土神なるゆゑにここにこの神を勧請なし奉るといへり。祭礼は毎歳九月二十九日に執行せり。この神の氏子は古へより疫災の患ひをしらずといひ伝ふ。

『新編武蔵風土記稿』と同様に、加藤氏が産土神を祀った事と、更に現在の御由緒にもあるように上野原から移り住んだといった旨も記されている。

厄除の神様
注目すべきは「この神の氏子は古へより疫災の患ひをしらず」の一文。
当社の氏子は疫病にかからなかったと云い、現在も厄除の神様として親しまれている。

歌川広重が描いた目黒元富士

後に当社に遷座する事となる富士塚「目黒元富士」についても触れたい。

富士塚(ふじづか)
富士信仰(浅間信仰)に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚。
本物の富士山に登拝するのは困難でも富士塚に登って富士を拝めば霊験あらたかとされ、江戸を中心に関東圏には数多くの富士塚が築山される事となった。

目黒では「目黒元富士」と「目黒新富士」の2つの富士塚が名を馳せた。
当社に遷座する事になるのは「目黒元富士」。

目黒元富士(めぐろもとふじ)
文化九年(1812)、目黒村(下目黒村・中目黒村・上目黒村)の富士講員たちが築山。
高さは12mほどで、登山道があり山頂には「浅間神社」が祀られていた。
江戸の名所として賑わったと伝わる。
目黒元富士があった場所は、現在の代官山駅と中目黒駅のほぼ中間地点・上目黒1丁目の目切坂上にあった富士塚で、現在は「キングホームズ代官山」という高級マンションが建っているあたり。

この目黒元富士は、歌川広重が描いた事でも知られる。

歌川広重(うたがわひろしげ)
江戸後期を代表する浮世絵師。
『東海道五十三次』『名所江戸百景』などの代表作がある。
ゴッホやモネなどの印象派画家に影響を与え、世界的に著名な画家として知られる。

(名所江戸百景)

歌川広重が『名所江戸百景』に描いた「目黒元不二」。

時期としては秋の紅葉シーズンになるのだろう。
行楽名所としての様子が描かれており、こうして富士塚から本物の富士山を遥拝する事ができた。
手前の風景が中目黒村・上目黒村あたりであり、大変のどかな場所だった事が伝わる。

明治以降と戦後の歩み

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、上目黒村の鎮守として村社に列した。
現在も拝殿内に「上目黒鎮守氷川神社」の扁額が掲げられている。

明治十一年(1878)、目黒元富士の取り壊しが決定。
富士塚の山頂に鎮座していた「浅間神社」を当社境内に遷座。

明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され、上目黒村・中目黒村・下目黒村・三田村が合併して目黒村が成立。
当社は目黒村上目黒の鎮守として崇敬を集めた。

明治三十八年(1905)、当社前の大山道(現・玉川通り)拡張のため石段を改修。
文化十三年(1816)に造られた石段であったが、現在のものに改修整備された。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
「氷川神社」と記してあるように地図にも名前付きで表記される程であった。
目黒村、上目黒といった地名もあり、この上目黒一帯が当社の氏子であった。
目黒川に架かる大橋の文字、またこの近辺は「氷川」と呼ばれていたのも分かる。

西隣の騎兵實施学校
当社の西隣には「騎兵實施学校」の文字が見えるが、これは「陸軍騎兵実施学校」の事で、大正五年(1898)まで当社の境内に隣接するように設けられていた。
駒沢や駒場には練兵場があったように、現在の池尻大橋周辺は軍事施設の多いエリアとして発展していく。

明治四十五年(1912)、同村の「天祖神社」「北野神社」を合祀。

昭和二十年(1945)、東京大空襲で当地周辺は悉く被災。
当社も建物など多くが焼失してしまっている。

上述の通り、池尻方面は軍事地域として発展していく事となったため、戦時中には空襲の標的とされる事が多かった。

戦後になり再建と境内整備が進む。

昭和三十九年(1964)、社殿を再建。
空襲で焼失した境内社「浅間神社」なども再建。

昭和四十四年(1969)、住居表示によって当地周辺の地名が大橋に決定。

大橋の地名は、目黒川に架かる大橋にちなむ。当社も地名から「大橋氷川神社」と称する事もあったが、現在は「上目黒氷川神社」に統一されている。

昭和五十二年(1977)、新たに「目黒富士」が築かれる。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

玉川通り(旧大山道)沿いの急な石段の上に鎮座

大橋ジャンクションや目黒天空庭園の近く、国道246号線(玉川通り)沿いに鎮座。

目黒天空庭園・オーパス夢ひろば 目黒区
所在地 目黒区大橋一丁目9番2号 開園時間 午前7時から午後9時まで 大橋ジャンクションの上に整備された公園です。最も低い部分で地上11メートル、最も高い部分で地上35メートルなので高低差が約24メートルあり、延長距離が約400メートル、平均勾配約6パーセントのループ状の形状になっています。

玉川通りに面して鳥居と社号碑。
社号碑には「上目黒氷川神社」の文字。
急な石段の上に鎮座していて、古くは稲荷山と称された地。
明治三十八年(1905)に大山道拡張のため整備された石段。

鳥居の左手には古い碑が残る。
大山道と記された道標で天保十三年(1842)に建てられたもの。

大山道(おおやまみち)
現在の国道246号は、古くは「大山道」と呼ばれた街道の1つであった。
関東の雨乞い信仰の中心として相模国大山「大山阿夫利神社」(現・神奈川県伊勢原市)への参詣者が通った古道を「大山道」と呼んだ。
大山阿夫利神社
関東総鎮護大山阿夫利神社公式HPです。神奈川県伊勢原市。ご祈願・各種行事・アクセスガイド・大山のハイキングコースなどについてご紹介しております。

表参道は中々に急な石段。
54段の石段となっている。

東側にも参道がありそちらから上る事も可能。
また車椅子やベビーカーなどを利用の場合は社務所へ繋がるエレベーターも用意されているので、そちらから参拝すると良い。

江戸時代の狛犬・御神木・花手水

急な石段を上ると一対の狛犬。
天明年間(1781年-1789年)に奉納された狛犬。
明治十一年(1878)に改修が施された。
江戸尾立ちなど江戸中期に比較的多く見られる作風の狛犬で年代の古さが伝わる。

少し余談になるが2018年7月に参拝した際は、狛犬の台座にセミの姿。
台座にセミの抜け殻があり、狛犬で羽化したものと見られる。

参道右手に手水舎。
以前は御神木の近くにあった手水舎。
令和三年の例大祭に合わせて移動改修工事が行われた。

美しい花手水
手水舎は美しい花手水にも。
2021年11月参拝時も美しい花手水。
2022年1月の花手水。2022年8月の例大祭期間の花手水。
2022年11月の花手水。

手水舎の奥には立派な御神木。
江戸時代に氏子が植えたと伝わる。

社殿前にも一対の狛犬。
こちらは昭和七年(1932)に奉納されたもの。
彫りの深い良い造形で、子持ちの阿と玉持ちの吽。

鉄筋コンクリート造の社殿

社殿は鉄筋コンクリート造で再建されたもの。
軍事施設の多かった当地周辺は戦時中に集中的に攻撃され、当社の社殿も焼失。
昭和三十九年(1964)に頑丈な鉄筋コンクリートによって再建された。
大きな社殿ではないが、綺麗に整備されているのが伝わる。
本殿も同様に鉄筋コンクリート造で再建されたもの。

氷川様より古くから鎮座していた地主神の稲荷神社

社殿の左手に境内社の稲荷神社。
『新編武蔵風土記稿』に末社として記されているもの。
古くは当地を「稲荷山」と呼んだと伝わる伝承が残る。
当社が創建する前より当地に鎮座していたものと推測され、この地の地主神だったと見られている。

当社の境内で一番古いのがお稲荷様
古くから稲荷山と呼ばれた当地に「稲荷社」が鎮座。
御由緒通りであるのならば、天正年間(1573年-1592年)に加藤氏が移り住み当地を開拓する際に氷川神を勧請して「稲荷社」は末社となったと思われる。
別説では元和元年(1615)に農民によって稲荷山に氷川神を勧請したという伝承も残る。

当社の稲荷神社では旧暦に合わせて毎年3月に初午祭(はつうままつり)を開催。(画像は2019年)
商売繁盛・家内安全の御祈願として、赤い幟旗の奉納を受け付けている。

2019年3月22日の初午祭に合わせて同日から稲荷神社の御朱印も授与開始。(通年で頂ける)

目黒富士登山道・当社に遷座した目黒富士浅間神社

当社の急な石段の左手には「目黒富士」への登山道が整備されている。
当社と交番の間の階段がその登山口。
「目黒富士登山口」と記され、昭和五十二年(1977)に新たに整備され造られた目黒富士登山道。

階段を上るとその先に鳥居。
鳥居の手前には一合目の碑。
ここから五合目・八合目といった風に富士を模した小さな登山道。
目黒元富士とは違うものではあるが、富士塚のように整備。
当社の社殿のある高さがいわゆる山頂。
境内に新たに造られた富士塚と云える。

社殿の右手に目黒富士浅間神社が鎮座。
かつて歌川広重が描いた目黒元富士の山頂にあった浅間神社が、明治に目黒元富士が取り壊される際、当社境内に遷座。
東京大空襲によって焼失してしまったものの、昭和三十九年(1964)に再建された。
現在は目黒富士浅間神社と呼ばれている。
水盤は江戸時代後期に奉納されたもの。
文政三年(1823)の銘が残る。
目黒元富士にあった石碑や祠なども境内に移されている。
かなり個性的な形をした狛犬も。
毎年7月1日には山開きの例祭が行われる。

境内を彩る桜・ひまわり・お月見

近くの目黒川は桜の名所として知られるが、境内の裏参道近くにも幾つかのソメイヨシノ。
2019年3月24日参拝時には既にそこそこの咲き具合。
日当たりがよいためか、近くの目黒川よりもやや早めに見頃を迎えることが多い様子。
この時期の境内では特設の茶店も併設。(新型ウイルス蔓延以前)
お抹茶と茶菓子を頂き花見も楽しませて頂いた。

梅雨の季節には登山道山頂付近に紫陽花。
紫陽花と境内。

夏の時期になると社殿横にはひまわりの姿。
2020年7月撮影でまだ梅雨が長く続いている時期。
そうした中でもひまわりを見ると夏を感じさせてくれる。
8月の例大祭ではこのひまわりを使用して花手水が作られた。

十五夜に合わせて夜間参拝も
2020年や2021年は十五夜に合わせて夜間参拝も。
期間中は社務所も20時まで開所し綺麗にライトアップ。
境内でお月見ができるように整備。
神楽殿にも満月があり嬉しい。

生き物の飼育も・ハクビシンに遭遇

社務所の左手奥には生き物を飼育した一画。
自然や生き物を残そうと云う意図で設けられていて、中にはメダカやカブトムシなども。
見学は自由にとの事で中々に癒やされる空間。

2023年3月に参拝時には日中にハクビシンに遭遇。
桜の撮影をしていたら真横をスタスタと歩いてきてびっくり。
そのまま裏参道を下っていったが周辺地域に縄張りがあるのだろう。

境内社を含めた3社の御朱印

御朱印は社務所にて。
いつも丁寧に対応して下さる。

2019年3月22日より、「上目黒氷川神社」「目黒富士浅間神社」「稲荷神社」の3種類の御朱印を頂けるようになった。

御朱印は桜の季節や夏詣などに限定御朱印あり。
こちらは2018年夏詣期間中の限定御朱印。
こちらは目黒富士浅間神社の御朱印が桜の限定御朱印。
上目黒氷川神社が桜の限定御朱印、一番左は2019年3月22日より開始した稲荷神社の御朱印。

季節や祭事に合わせた限定御朱印

季節や祭事に合わせて限定御朱印も授与。
2020年夏詣期間の3社の御朱印。
2020年例大祭に授与された見開きの御朱印。
2020年の十五夜に合わせたお月見特別御朱印と月見団子をイメージしたオリジナルのマシュマロ。
2020年新嘗祭の記念御朱印では新米も頂けた。
2021年の初詣限定御朱印。
2021年の目黒富士浅間神社の桜詣仕様御朱印。
2021年の上目黒氷川神社の桜詣仕様。
2021年6月の夏越大祓特別御朱印は別紙のみで、紫陽花と大祓の茅の輪をデザイン、茅の輪に形どられてカットされているのが特徴的。
2021年7月1日の目黒富士浅間神社例大祭に合わせて7日まで授与された特別御朱印。

2021年8月21日・22日の例大祭に合わせて特別御朱印を授与。
向日葵をデザインした見開きの御朱印。
可愛らしいうちわも一緒に頂いた。

2021年の新嘗祭の記念御朱印でも新米を頂けた。
御朱印は昨年と違い夕焼け仕様になっている。

各地では新嘗祭まで新米を食べないという風習も残る。

2022年1月13日-15日まで3日間限定でどんと焼き特別御朱印を授与。
コロナ禍でお餅焼きは中止となったが御朱印にお餅の姿が見えるのがユニーク。
2022年に頂いた、毎年の定番となっている桜詣御朱印。
2022年の夏越大祓特別御朱印。
2022年の夏詣御朱印と目黒富士浅間神社例大祭御朱印。

2022年8月27日・28日に行われた例大祭当日限定で授与の例大祭御朱印。
2021年同様にうちわも頂いた。

2022年10月に頂いた秋の限定御朱印。
3種の御朱印を頂いた。
2022年の新嘗祭特別御朱印。

2023年の初詣特別御朱印。
令和五年(2023)は御鎮座450年の節目の年。
御朱印には御鎮座450年の提灯の印入。

2023年の桜詣御朱印。
こちらにも御鎮座450年の提灯の印入。

目黒川の桜をデザインした御朱印帳

目黒川の桜をデザインしたオリジナルの御朱印帳も用意。
昼桜版と夜桜版が存在していて、こちらは昼桜版。
夜桜版も人気が高い。

数量限定で夕桜版の授与もされていたが現在は終了している。

美しい御朱印帳と御朱印帳袋・星空特別一式セット

令和二年(2020)元日より「星空特別一式セット」の頒布を開始。
同じデザインの御朱印帳(御朱印代込)と御朱印帳袋のセットで通年頂ける。

目黒川の夜桜と星空をデザイン。
とても美しい御朱印帳。
同デザインの御朱印帳袋と一式セットとなっている。

初穂料の一部は境内の森林保護に使用される。

御朱印帳と同じデザインの桜御守

2022年8月の例大祭より新しい御守を授与。
桜御守と名付けられた可愛らしい御守。
袋の裏面では『江戸名所図会』に記されていた疫病知らずな氏子の伝承。
当社の御朱印帳と同じデザインなのが特徴的。
筆者が頂いた星空の御朱印帳袋・御朱印帳・そして桜御守。

昼桜・夜桜・夕桜・星空の4種類用意している。

おかげマルシェなどのイベントも

また境内では定期的に「おかげマルシェ」と云う青空市場が開催。(画像は2022年10月の様子)
フリマや露店が出てイベントを開催。
賑わう境内。
地域の人々による神楽殿での出し物。
都立駒場高校の学生さんによる野点。
様々な露店が出て地域を盛り上げる楽しいイベント。

イベント | おかげマルシェⓡ | 目黒区
池尻大橋駅から徒歩5分。地域のお店や野菜、手作り小物やスイーツ 、演奏などのんびり楽しい時間をご一緒に。大人も子供も家族も楽しめる地域のステキな物産展。上目黒 氷川神社境内で開催しています。おかげマルシェは4月と10月、ライトアップイベント「境内テラス」は7月に開催です。

所感

上目黒村の鎮守であった当社。
江戸の名所の1つでもあった目黒元富士が取り壊された際も、当社に浅間神社が遷されたように、上目黒周辺の鎮守として崇敬を集めた事が分かる。
地主神であったと思われる稲荷神社、そして名主加藤氏の先祖が創建した氷川神社、さらに遷座された浅間神社など、当地周辺の歴史が詰まった神社となっている。
戦災や地域の発展によって古いものはあまり見かける事はできないが、戦後になっても新たに目黒富士として登山道を築いたりと、地域の鎮守として大切にされているのが伝わる。
現在は大橋ジャンクションや高層マンションなどが立ち並び、車通りの多い国道246号沿いに鎮座しているものの、高台の上に鎮座しているため、境内は静かで清々しい空間となっているのが嬉しい。

神社画像

Google Maps

コメント

  1. KAZU より:

    はじめまして。
    ランキングから来ました。
    私は今年で46になります。
    40超えてからですが、神社・お寺好きですね!
    見てるだけで落ち着きます。

    • 神社メモ神社メモ より:

      はじめまして。
      コメントありがとうございます。
      お返事遅くなりすみません。
      寺社巡りは心が落ち着きますよね。
      これからも色々と参拝してみて下さい。

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