磐井神社 / 東京都大田区

大田区

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概要

武蔵国八幡総社とされた磐井神社

東京都大田区大森北に鎮座する神社。
延喜式内社の小社とされる古社で、旧社格は郷社。
武蔵国における総社八幡宮であったとされ「武蔵國八幡總社」を称する。
かつては「鈴ヶ森八幡宮」とも呼ばれ崇敬を集めた。
現在は境内社「笠島弁天社」が東海七福神の弁財天を担う。
境内の狛犬は「子宝」の象徴として親しまれており、最近はキャラクター化したこまちゃんも人気。
月替りでカラフルな御朱印も授与するようになり人気を博している。

神社情報

磐井神社(いわいじんじゃ)

御祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・姫大神・大己貴命
社格等:延喜式内社(小社)・郷社
例大祭:8月第1金・土・日曜
所在地:東京都大田区大森北2-20-8
最寄駅:大森海岸駅・平和島駅
公式サイト:https://iwaijinja.tokyo/

御由緒

 式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社である。『三代実録』によれば貞観元年(859)「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」とあり、この神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたといわれ、また平安時代(十世紀)に編纂された『延喜式』の神名帳に記載されている。
 別名、鈴森八幡宮とも呼ばれ、当社の由緒書によれば、江戸時代には、徳川家の将軍も参詣したことが記されている。
 万葉集の「草陰の荒蘭の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ」の歌にある笠島とは、ここの笠島弁天を指したものという説もある。(境内の掲示より)

歴史考察

宇佐八幡より授けられた神宝の鈴石

社伝では、敏達天皇二年(573)に創建と伝える。

創建年代からして、創建当時は土着の信仰があったと思われる。

聖武天皇の御代(701年-756年)、武蔵国国司・石川年足朝臣が「宇佐八幡宮(現・宇佐神宮)」に奉幣した際、神告によって当社の神宝の「鈴石」が授けられた。
その嫡孫・中納言豊人卿が当社に鈴石を納めたと云う。

宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)
現在の「宇佐神宮(うさじんぐう)」(大分県宇佐市)。
豊前国一之宮で、全国にある八幡信仰の神社の総本社。
宇佐八幡と呼ばれ崇敬を集めている。
八幡総本宮 宇佐神宮
宇佐神宮公式ホームページ。宇佐神宮は全国に4万社あまりある八幡様の総本宮です。八幡大神(応神天皇)・比売大神・神功皇后をご祭神にお祀りし、神亀2年に創建されました。
当社に納められた神宝の「鈴石」が、旧地名「鈴ヶ森」の由来となる。

古くは土着の信仰があった当社だが、こうした伝承により八幡信仰の神社となったと推測される。

武蔵国八幡総社に定められる

貞観元年(859)、当社は武蔵国の総社八幡宮に定められた。

総社八幡宮(そうじゃはちまんぐう)
貞観元年(859)に「宇佐八幡宮(現・宇佐神宮)」(大分県宇佐市)から山城国に八幡神が勧請し、「男山八幡宮(現・石清水八幡宮)」(京都府八幡市)が創建される際、六十六州ごとに定めた八幡社の総社のことを云う。
当社は武蔵国の総社八幡宮に選定された。

現在も拝殿の扁額には「武蔵國八幡總社」の文字が記されている。
この頃には既に広く知れ渡る八幡社の一社だった事が窺える。

一般的に「総社(そうじゃ)」とは、律令制において各国内の神社の祭神を集めて祀った神社の事を云う。武蔵国の総社は「大國魂神社(六所宮)」(東京都府中市)。総社八幡宮とは別なので留意したい。
大國魂神社 / 東京都府中市
武蔵国総社の六所宮。武蔵国そのものを神格化・大國魂大神。武蔵国府が設置・武蔵国総社。一之宮から六之宮を祀る。鎌倉幕府や江戸幕府からの庇護。GWに開催・関東三大奇祭・くらやみ祭り。すもも祭。馬場大門のケヤキ並木。御朱印。全国総社会御朱印帳。

正史に残る古社・式内社としての格式

平安時代に編纂された歴史書『日本三代実録』には当社の記録が残る。

貞観元年(859)、「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」と記されている。
この事から朝廷より神階を授けられ官社に列したことが分かる。

日本三代実録(にほんさんだいじつろく)
日本の正史とされる六国史(りっこくし)の第六にあたる歴史書。
平安時代に編纂され、編者は藤原時平・菅原道真・大蔵善行・三統理平とされる。
官社に列し武蔵国の八幡神社の総社であった事からも、古くから朝廷に名が知られていて、武蔵国で大いに崇敬を集めた神社であった事が窺える。

延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』では、小社に列格する「武蔵国荏原郡 磐井神社」と記載。
これにより当社は延喜式内社(式内社)とされる。

延喜式内社(えんぎしきないしゃ)
『延喜式神名帳』に記載された神社を、延喜式内社(式内社)と云う。

創建時は土着の信仰があり、古代において武蔵国における八幡信仰の重要拠点となり、当時は大変に規模の大きな神社であったのだろう。

かつては広大な敷地を有し、当社の鳥居は沖合に三基もあったとも云われている。

戦国時代に入り戦火による荒廃

中世以降は、立派な境内が残り繁栄していたとされる。
広大な神田を持ち、貢納を免除された不入権(ふにゅうけん)をもつ免租地であった。

その事から当地周辺は「不入斗村(いりやまずむら)」と呼ばれるようになる。
戦乱の世による荒廃
中世の繁栄の後、戦国時代になり後北条氏(小田原北条氏)が勢力を伸ばすと、当地周辺でも度々戦いが生じ、戦火に巻き込まれてしまう。
そのため、この頃の記録は一時的に途絶え、ほぼ残っていない。

永正年間(1504年-1520年)、戦火により社殿など灰燼に帰してしまう。
天文年間(1532年-1555年)、再び戦火によって社殿が焼失。

その後も度重なる戦火により荒廃していく事となり衰微していく。
さらに海岸線も侵食され、沖合にあったと伝わる鳥居三基のうち二基は、海中で朽ちてしまったと云う。
広大な社地も縮小し、社が残るのみの荒廃した姿となっていた。

このまま江戸時代になるまで再興は困難であった。

江戸時代になり再興・徳川将軍家よる崇敬

天正十八年(1590)、徳川家康が関東移封によって江戸入り。
当社に参拝したと伝えられている。
以後、徳川将軍家による参詣や庇護があったとされる。

寛文年間(1661年-1673年)、社殿を再建。
当地周辺を「鈴ヶ森」と呼んだ事から「鈴森八幡」と称された。

東海道が定まった頃に社殿再建
東海道が海岸線の侵食によって、文禄・慶長年間(1593年-1615年)に崩壊。
西に移された東海道もさらに侵食され崩壊したため、寛文三年(1663)に石垣にて防波堤を築き、その後は崩れる事なく東海道が定まった。
この頃に別当寺「密厳院」によって社殿が再建されたと云う。

享保十年(1725)、徳川第八代将軍・徳川吉宗の命により、本社・拝殿・末社などが再造営。

このように当社は再興され、社地も拡大。
門前には門前町が形成され、地域からも大いに崇敬を集めた。

新編武蔵風土記稿から見る当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(不入斗村)
鈴森八幡社
除地六段五畝七歩。小名すなはち鈴森にあり、古の磐井神社是なり。社傅を閲するに人皇三十一代敏達天皇二年八月鎮座あり。祭神正面は應神天皇、左は大己貴神仲哀天皇、右は神功皇后姫大神なり。それよりはるかに星霜をへてのち貞観元年、八幡大神宇佐宮より山城國岩清水に鎮座のとき六十六州州ことに総社八幡宮を定めたまひしに、當國にては此神社を総社とはきはめ給ひき、これは此年の九月風雨の災なからんことを諸國の神社に祈りたまひしときも、此社に奉幣使をそくたてられたりきしかして後、萬民有年の験を得たりとてやがて官社に列せられけると三代実録に載たり。その條によるに、其頃は己に従五位下の神位なりしと見ゆ。されとその神位を賜はりしはいつの頃にかありけんしるべからず。されは其頃より神田ありしことは論をまたざること、村名の條下にも出せり。或古記に圭田三十六束と云々これ當所の神田より収むる所の数なるか。この後数百年の間のことは戦争にて兵火の災など蒙りしかば、記録をもことごとく失ひすへて、傅はらす小田原北条家分國の頃にや内國周防とかいひし人、神主たりと云。傅ふ御當代に至り検地ありて、門前の地を御寄付あり。その頃は門前の地もひろかりしならん。元禄年中、神主森田勝明が記せし社前懸革の圜を閲るに、元亀天正のころまでは、社より六十間餘西の方に第二の鳥居あり、又八十間餘を隔てて第一の鳥居ありしと、これらによれば今海中となりし処も餘程廣平の地ありて、當社に附せられしならん。その後次第に海中へかけ入て、又海中となりしにより、ふるき海道は往還の廣さにならひ、西へうつされたりしかと、猶年をおひてかけ入しかは、正保元年よりは又海道を西へうつされたり。それも年をへて又崩れいりしにより、その頃の代官などはからひて、このままにては如何になりゆかんもはかりがたしとて、寛文三年今の処へ海道を定められ、海岸へはたかく石垣をきづかれしにより、今に至るまで崩るることなし。されどかくのごとくしは々々その地を失ひたれば、社地も古へにくらふれば甚威れり。此にいふ海道は往古の処とはもとよりことなるべし。その舊蹟は荒井宿村に云ごとし。此所は一懸せしよりのことなり。有徳院殿の御代にをおわせし時しはしは當所へ御遊戯のころ當社へも御立寄ありあるとき、社地へわたらせたまひし次社傳を御尋ありしに、時の神主一巻の縁起をとり出して台閲にそなへけるとそ、又同し御時享保十一年に宮社御造営ありしにより、いよいよ繁栄に及びしといへり。按に社傅によれば、八幡大神の社ありてより後、その社を磐井の神社ともいはひしにや、此事分明ならざるに似たり。往古此所に磐井の神社ありてその神社の祭神も、さたかならずされば、後に八幡の社にあかめしにはあらずや。是らのことも記録等に明文なければしりがたし。
鳥居。海道の西にあり。磐井神社の字を扁す。これは吉田兼隆卿の筆なり。第二第三の鳥居はいまはなしされど、海中に舊基朽残りたるもの今に存せりといひつとふ。
拝殿。鳥居の内にあり。四間に三間。
本社。二間四面宮作なり。古は幣殿拝殿ともに本社にたてつつきて、社内も廣かりしかと、近き頃再造のときより古のさまをうしなへりといふ。
神宝。鈴石一顆。(中略)。薬水。拝殿の側にある磐井なり。これ社號の起ることの縁なりといふ。(中略)。
末社。稲荷。猿田彦命。一色靈神。大國主神。宇賀娘命(中略)。天満宮。豊宇賀娘命。猿田彦命。鹿島大明神。淡島大明神。菊理姫命(中略)。鹿島社(中略)。烏石(中略)。
笠島。(中略)
御成御殿蹟。(中略)

かなり長くなってしまうため、一部は中略とさせて頂いた。

不入斗村(いりやまずむら)の「鈴森八幡社」と記されているのが当社。
上述したような御由緒をかなり詳しく記している。

当地が不入斗村の中の鈴森と呼ばれた一画であったため、「鈴森八幡」と称された。

鳥居には「磐井神社」の扁額が掲げられていたと云い、当時から『日本三代実録』『延喜式神名帳』に載る「磐井神社」の号も残っていたようだ。

末社の数も大変多く、再興され再び立派な境内になっていた事が窺える。
別当寺は「密厳院」が担った。

鈴ヶ森八幡宮と称された江戸時代の当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「鈴の森八幡宮」として描かれているのが当社。
当時は「鈴ヶ森八幡」といった名称で呼ばれている事が多く、これは当地が「鈴ヶ森」と呼ばれていた事にちなむ。

鈴ヶ森の地名由来
上述したように当社には「鈴石」という神宝の石が存在し(現存しているものの現在は非公開)、「宇佐神宮」より授けられたという神功皇后ゆかりの石とされている神宝。
これを打つと鈴のような音がしたことから「鈴ヶ森」の地名の由来になったと伝えられている。

当社の前の街道は東海道。
主要街道である東海道沿いに鎮座し、人々の往来の多い当地で、自然と崇敬を集めたのであろう。

(江戸名所図会)

当社の社殿を中心に拡大したのが上図。

立派な茅葺屋根による拝殿と本殿。
境内には鳥居より手前右手に井戸らしきものを見る事ができ、これが「磐井の井戸」と思われ、「磐井神社」の社名由来となった井戸である。
境内左手には現在も残る笠島の弁天池や、現在は社宝となっている烏石も記されている。
烏石は大切に祀られていた事が窺える。

(江戸名所図会)

こちらは江戸後期の「鈴ヶ森」と東海道の様子。
石垣が築かれ東海道が保護されているのが伝わる。
今と海岸線が違っていて江戸湾(東京湾)はもっと近く、当社はこうした海沿いに鎮座する神社であったのだろう。

余談になるが、この頃の鈴ヶ森には当社の他に「鈴ヶ森刑場」が有名。
鈴ヶ森刑場(すずがもりけいじょう)
江戸の北の入口(日光街道)沿いに設置されていた小塚原刑場とともに、南の入口(東海道)沿いに設置されていた刑場。
死罪となった罪人を処刑する刑場であり、八百屋お七などが処刑された。

明治以降の歩み・戦後の再建

明治になり神仏分離。
これを機に「鈴ヶ森八幡宮」から、創建時の社号である「磐井神社」に戻し、村社に列した。

後に郷社に昇格。

明治元年(1868)、明治天皇東行の際は、神祇官判事・平田延胤が代参を行っている。

明治二十二年(1889)、市制町村制によって不入斗村・新井宿村が合併、入新井村が成立。
当地は入新井村不入斗となり、一帯の鎮守を担った。

明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、現在も変わらない。
入新井村や不入斗の地名も残っており、当地周辺は当社がある事から八幡と呼ばれていた。

社頭は東海道・その先は海
当社前には東海道があり、その先は海であり、平和島などの埋立地はまだできる前。
社頭から東海道と海が見えたと思われ、現在とは風景は随分と違ったのであろう。
かつての東海道は、現在の第一京浜/国道15号(旧・1號國道)となり、第一京浜の拡張と共に社地も削られていく事となる。さらに境内の裏手には京浜急行が通るようになったため、国道と鉄道に挟まれる形で、境内は縮小し、現在の規模となっていった。

昭和九年(1934)、郷社に昇格。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿が焼失。
昭和二十九年(1954)、社殿が再建。
その後も境内整備が進み現在に至る。

現在は東海七福神の弁財天も担っている。

東海七福神|品川区

境内案内

第一京浜沿いに鎮座・延喜式内の文字が掲げられた社号碑

最寄駅の大森海岸駅や平和島駅からは徒歩数分で、第一京浜(国道15号)沿いに鎮座。
周囲にはマンションなどが立ち並ぶ一画で、現在は第一京浜沿いだが、古くは東海道、そしてその先はすぐ海であった。

鳥居前は季節に応じて彩られる。
6月には茅の輪などが設置される。(画像は年末のため正月飾り)

鳥居横には社号碑。
社号碑には「延喜式内」の文字で、当社が式内社(延喜式内社)である事を伝える。

延喜式内社(えんぎしきないしゃ)
延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』に記載された神社を、延喜式内社(式内社)と云う。

鳥居を潜ると右手に手水舎。
水が張られ身を清める事ができる。

戦後に再建された社殿・扁額には武蔵国八幡総社の文字

社殿は戦後の昭和二十九年(1954)に再建されたもの。
大きく突き出した破風が実に立派で重厚感を感じさせる。
状態もよく維持。
武蔵国を代表する古社は現在も崇敬を集める。
扁額には「武蔵國八幡總社」の文字。
貞観元年(859)に武蔵国の八幡社の総社に定められたと云う伝承に因むもの。
本殿の裏手には京急の高架線が通る。

第一京浜の拡張と共に社地も削られていく事となったため、現在は国道と鉄道に挟まれる形で、現在の規模になった。

子宝の象徴で子沢山な狛犬・キャラ化されたこまちゃん

社殿前には一対の狛犬。
古くから子宝の象徴として信仰を集めている。
左右共に子持ちの阿狛犬で、中々に珍しい子沢山の狛犬。
背中にも乗る子など可愛らしい。
左右で計6匹の子を抱える。
明治十四年(1881)に奉納されたもの。

子宝の象徴・安産の御神徳
子沢山なことから「子宝」の象徴として親しまれていて、安産・子宝の御神徳があるとされる。

平成三十年(2018)より、この狛犬がキャラクター化。
可愛らしいキャラクターで、1日・15日限定の月詣り御朱印にも採用されている。
こまちゃんのオリジナル御朱印帳の頒布も行われている。(白は既に頒布終了)

東海七福神の笠嶋弁財天は万葉集に載る古社の伝承

境内の左手に笠嶋弁天社が鎮座。
境内左手に緑で囲まれる社地があり、その先に小さな弁天橋。
小さいながら周囲を池で囲まれた中に鎮座。
石碑には「かさしま辯才天」の文字。
古くから当地に鎮座していたとされ、上述の『江戸名所図会』にも同じ位置に弁天池と弁天社を見る事ができ、当地には現在非公開の「烏石」も置かれていたようだ。
2021年9月に新しくなったばかりの新社殿。

旧社殿
社殿の老朽化につき2021年春より9月にかけて新社殿を造営。
こちらは旧社殿の様子。
万葉集に載る古社の説
『万葉集』の「草陰の 荒藺の崎の 笠島を 見つつか君が 山路越ゆらむ」の笠島とは、この笠嶋弁財天の事だと伝えられており、当社同様に古社であったとされる。

この当社の弁財天が現在は「東海七福神」の弁財天。

東海道七福神巡り
1月1日から15日まで行われる七福神巡り。
当社は弁財天を担う。
七福神巡りが開催される正月は社頭にも案内板が出る。
東海七福神|品川区
2022年より御朱印の授与も
2021年末に社殿改修が行われた笠嶋弁財天では2022年正月より御朱印授与も開始。
可愛らしい弁天様の御朱印でこちらは通年で書き置きのみの授与。
一番右が2023年4月に頂いた笠島辨財天社の御朱印。
2024年1月に頂いた御朱印。

大井大森海岸の歴史を伝える海豊稲荷神社

境内社は社殿の右手に海豊稲荷神社。
小さなお稲荷さんだが地域からの崇敬が篤い。
漁師町だった氏子地域の歴史を伝えるお稲荷様。
五月祭や例大祭などは社殿が開かれている事がある。
古い玉垣には、かつての大井・大森海岸花柳界を代表する芸妓屋や料亭の名前。
かつて漁師町・花柳界であった当地周辺の様子を偲ぶ。

期間限定御朱印も授与
定期的に期間限定で海豊稲荷神社の御朱印を用意。
限定の授与だったため通常時はお受けできないが貴重なお稲荷様の御朱印。
稲荷神社の隣に大森海岸八幡睦会の氏子と共に協力して御朱印が授与された。
こちらは2021年2月6日・7日に授与された御朱印。
こちらは2022年2月5日・6日限定で授与された御朱印。

その左手には神楽殿。
その左手に古い石碑などが置かれている。

石碑群・非公開の鈴石と烏石

社殿の右手後方には多くの石碑が残る。
当社には江戸時代の書家、松下烏石が寄進した鳥の模様のある珍しい自然石「烏石」があるものの「鈴ヶ森」の地名由来ともなった「鈴石」と共に、現在は非公開となっている。
しかしながら、烏石を記した烏石碑(1741年奉納)なども置かれる。
江戸時代の文化人達の筆塚や書学碑。
当社の歴史を伝える一画。
その他、力石。
古い狛犬なども残る。

境内には立派な銀杏の木。
歴史を紡ぐ大木。
『江戸名所図会』にも同じ位置に御神木が描かれている。
それがこうして成長したものであろう。

季節を感じる境内・紫陽花の名所・磐井の新緑

境内は近年になって少しずつ整備が行われている。
境内の色々な箇所にチューリップが植えられていて3月下旬-4月上旬には見頃を迎える。
多くのチューリップで彩られた美しい境内。(画像は2023年3月撮影)
チューリップとこいのぼり。(2024年4月撮影)
境内社・笠嶋弁天社のソメイヨシノ。

5月・6月は「磐井の新緑」として美しい境内に。
2023年5月中旬に撮影した花菖蒲と鯉のぼり。
花菖蒲はまだ見頃前だったが美しい。
色とりどりの鯉のぼりとともに。

2024年5月下旬に撮影した見頃になった花菖蒲。
参道に並べられた花菖蒲。
見頃はとても美しい。

境内には多くの紫陽花。
美しく咲き誇る紫陽花。
年々その数が増えていてちょっとした紫陽花の名所と云える。
新緑の季節の当社は特にオススメ。
弁天池の奥では花菖蒲と紫陽花の共演。
ハート型に見える紫陽花も発見。

開花の様子などは2022年に開設された公式X(Twitter)でも公開している。
x.com

磐井の名の由来となった磐井の井戸

正史や延喜式に記されているように、古代より「磐井神社」と呼ばれていた当社。

磐井の由来
磐井の由来となったのは「磐井の井戸」と呼ばれた井戸。

現在も当社の前、第一京浜沿いに置かれている井戸がそれになる。
古くから地域の方に利用され、東海道往来の旅人に利用されたとされる井戸。
『江戸名所図会』でも鳥居の右手前に描かれているように、元は当社の境内にあった。

磐井の井戸の伝承
この水を飲む時は、心正しければ清水で、邪心があれば塩水になるという伝承がある。
「磐井神社」の社号由来になっているように、古代よりずっと存在していた井戸なのだろう。こうした井戸や水にまつわる土着の信仰が創建時にはあったのかもしれない。

第一京浜の道路拡張の影響で当社が縮小したため、こうして境外の歩道上に残される形に。
切り離された形となっているが、史跡として現存しているのが有り難い。
境外にあるので見落とさずに確認したい。

カラフルな月替り御朱印や月詣り御朱印

御朱印は社務所にて。
いつも丁寧に対応して下さる。

令和二年より東海七福神の各寺社と合わせるため初穂料500円に変更予定。
御朱印の受付時間は9:30-16:30まで。

左から、月替り(2017年皐月)御朱印、友禅紙御朱印、月詣り御朱印(2017年のもの)。

友禅紙は時期によって様々な柄を用意している。
毎月1日・15日限定の月詣り御朱印
毎月1日・15日限定で月詣り御朱印を授与。
上は2018年5月-2019年4月まで頂けた社殿と狛犬(こまちゃん)の2種類。
上は2019年5月-2020年4月まで頂けた鈴と狛犬(こまちゃん)の2種類。
上は2020年5月-2021年4月まで頂けた神具と狛犬(こまちゃん)の御朱印。
上は2021年5月-2022年4月まで頂ける鳥居と狛犬(こまちゃん)の御朱印。

他にも祭事に応じて限定御朱印を用意。
こちらは2018年8月の例大祭御朱印と葉月御朱印。
こちらは2019年例大祭御朱印で、例大祭期間中に授与。

2021年7月には磐井神社も夏詣に参画。
夏詣の御朱印も授与。

夏詣 | 新しい日本の風習 夏詣
平成26年(2014)に浅草神社から提唱された「夏詣」。浅草から台東区、そして東京から全国津々浦々の神社・仏閣へ広がりを見せています。過ぎし半年の罪穢れを祓い清め、来たる“残り半年のはじまりの日”として、その節目を大切に想う我が国の新しい風...

2021年夏は七夕や風鈴飾りに合わせて短冊セットの御朱印も授与。
磐井神社初の見開き御朱印(別紙)で短冊とセットになったもの。
一緒に頂ける大きな短冊。
願いを込めて風鈴飾りの下の段に飾る。

2021年12月には幸先詣御朱印と御守をセットにして授与。
コロナ禍における分散参拝を推奨したもので限定300体。

2022年の夏詣御朱印は書き置き見開き(短冊付き)と片面(直書き)の2種類。
更に2022年から京急夏詣にも参画している。

夏詣 2022 | 京浜急行電鉄(KEIKYU)
夏詣 2022。京浜急行電鉄のオフィシャルサイトでは運行状況やご利用案内の他、周辺地域の観光情報を掲載しています。

2022年12月には昨年に引き続き幸先詣御朱印と御守をセットにして授与。
昨年とはデザインが違うもの。

2023年7月に頂いた夏詣御朱印と短冊のセット。
風鈴棚は年々パワーアップ。
社殿横の他、笠島弁天社参道にも設置された。

2023年12月には恒例となりつつある幸先詣御朱印と御守をセットにして授与。
毎年デザインは違う。

2024年の夏詣御朱印(短冊セット)。
さらに風鈴棚はパワーアップ。
拝殿前にも多数の風鈴。

一粒万倍日限定の開運招福御朱印

2024年2月より一粒万倍日限定(不成就日除く)で御朱印を授与。
磐井神社と笠嶋辨才天の見開き御朱印。
開運招福の御朱印として授与。

一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)
「一粒の籾が万倍にも実り立派な稲穂になる」事に由来する吉日。
何事を始めるにも良い開運日とされる。

狛犬や社殿をデザインしたオリジナル御朱印帳

2023年8月より新しいデザインのオリジナル御朱印帳を頒布。
当社の狛犬をマスコット化したこまちゃんの御朱印帳。
最初のページには御守が貼られていて御朱印帳限定御朱印付き。
他に狛犬と社殿をデザインした御朱印帳も用意。

2020年に頒布していたオリジナル御朱印帳
2020年より頒布していたオリジナル御朱印帳。(現在頒布終了)
ピンクをベースに可愛らしいこまちゃんの御朱印帳。
御守とオリジナル御朱印帳のみ限定御朱印入り。(他にもう1種類頒布していた)
2019年に頒布していたオリジナル御朱印帳
2019年1月16日よりオリジナル御朱印帳の頒布を開始。(現在頒布終了)
どちらも大サイズの御朱印帳。
筆者はこまちゃんの御朱印帳を頂いた。
最初のページには御守が貼られていて、オリジナル御朱印帳のみ限定で特別御朱印を頂けた。

8月-10月開催!都内三社を巡る「開運三社巡り」

2023年8月1日-10月31日にかけて「開運三社巡り」を開催。
2024年も同期間で開催。

令和五年が御鎮座記念年となった都内の三社による合同企画。
2024年開運三社巡り
■開催期間:2024年8月1日-10月31日
磐井神社(大田区大森北)
大塚天祖神社(豊島区南大塚)
上目黒氷川神社(目黒区大橋)
各社専用の限定御朱印を用意。
頒布のリーフレットを持参の上で限定御朱印を頂く。
満願成就で記念品の手拭いと満願御朱印を頂ける。
2023年開運三社巡り
■開催期間:2023年8月1日-10月31日(当初は9月末までだったが10月末まで延長)
磐井神社(大田区大森北)
大塚天祖神社(豊島区南大塚)
上目黒氷川神社(目黒区大橋)
各社専用の限定御朱印を用意。
頒布のリーフレットを持参の上で限定御朱印を頂く。
満願成就で記念品の手拭いと満願御朱印を頂ける。

https://jinjamemo.com/archives/iwaijinja.html

大塚天祖神社 / 東京都豊島区
旧巣鴨村の総鎮守。大塚駅前に鎮座。2024年8月-10月開催「開運三社巡り」。幕末奉納の子育て狛犬。夫婦和合の夫婦銀杏。富士塚・富士神社。鎌倉時代に豊島氏によって創建。江戸時代に流行した鬼子母神信仰・十羅刹女を祀る。都電神社めぐり。御朱印帳。
上目黒氷川神社 / 東京都目黒区
上目黒鎮守の氷川さま。3社の御朱印・目黒川桜御朱印帳。看板犬は黒柴のかえでちゃん。小石川大神宮コラボ黒柴御朱印。2024年開運三社巡り。歌川広重が描いた目黒元富士。天正年間創建。疫病知らずの氏子。目黒富士浅間神社。稲荷神社。江戸時代の狛犬。
上目黒氷川神社 / 東京都目黒区
上目黒鎮守の氷川さま。3社の御朱印・目黒川桜御朱印帳。看板犬は黒柴のかえでちゃん。小石川大神宮コラボ黒柴御朱印。2024年開運三社巡り。歌川広重が描いた目黒元富士。天正年間創建。疫病知らずの氏子。目黒富士浅間神社。稲荷神社。江戸時代の狛犬。

各社見開きの専用御朱印を用意。
こちらは2024年の当社専用御朱印。
頒布のリーフレットを持参の上巡る形。
参拝するとシールを貼って下さる(もしくは自分で貼る)ので三社巡ると満願と云う流れ。

こちらは2023年の御朱印。
2023年は御鎮座1450年の記念年であった。

やや距離はあるが三社とも23区内で比較的巡りやすい。人によっては1日で満願達成する方もいる様子。
満願して頂いた手拭いと御朱印
筆者は8月2日に満願を達成。(2023年)
満願達成で頂いた満願御朱印と限定の手拭い。
こちらは2024年8月6日に満願して頂いた御朱印と手拭い。

所感

正史にもその名を見る事ができ、式内社として歴史と格式を持つ当社。
かつては武蔵国の総社八幡宮として、朝廷まで知られた神社であった。
戦乱の世の兵火によって荒廃したものの、江戸時代には再興。
明治以降は社地も削られる事もあったが、現在もとても清々しい空気の境内を維持できているのは、地域からの崇敬によるものであろう。
境内には当地の歴史を感じさせる石碑群の他、非公開ながら「鈴ヶ森」の地名由来になった鈴石や、『万葉集』に載るという伝承を持つ境内社の「笠島弁天社」、さらに磐井の由来となった境外に残された「磐井の井戸」など、当地の歴史が多く残った良社。
最近は御朱印にも力を入れ、境内整備も行い努力されている姿が伝わる神社である。

御朱印画像一覧・御朱印情報

御朱印

初穂料:500円・1,000円(一部限定)
社務所にて。

※毎月月替りの御朱印や祭事に応じた御朱印を用意。
※1日・15日限定で月詣り御朱印を用意。
※様々な柄の友禅和紙を使った書き置き御朱印を用意。
※1月1日-15日まで東海七福神・弁財天の御朱印あり。
※令和二年より東海七福神の各寺社と合わせるため初穂料500円に変更。

最新の御朱印情報
12月14日・25日・26日は「一粒万倍日御朱印」
※一粒万倍日限定。(不成就日除く)
12月2日-14日・16日-31日まで「月替り御朱印」(2種類)「笠嶋弁財天月替わり御朱印」(書き置きのみ)
12月1日-31日まで「幸先詣御朱印」
※見開きの書置きのみ。幸先守付き。数量限定500体。
12月1日・15日は「月詣り御朱印」(2種類)
※毎月1日と15日は「月詣り御朱印」(月詣り、狛犬の2種類)のみ授与。御朱印の最新情報は公式サイトにて。
御朱印の受付時間は9:30-16:30まで。

御朱印帳

オリジナル御朱印帳
初穂料:2,000円(特別御朱印込)
社務所にて。

2023年8月より頒布開始した新しいデザインの御朱印帳。
狛犬をキャラクター化した「こまちゃん」の可愛らしい御朱印帳、社殿と狛犬をデザインした御朱印帳の2種類。
どちらも通常の御朱印帳より大きな12cm×18cmの大サイズ。
最初のページの右側には御札が貼られていて、オリジナル御朱印帳のみの特別御朱印付き。
撮影時に取り外したが防水カバーも付いてくる。

旧オリジナル御朱印帳
初穂料:2,000円(特別御朱印込/頒布終了)
社務所にて。

2020年より頒布開始したオリジナル御朱印帳。
当社の境内にある狛犬をデザインした御朱印帳で、ピンクを基調とし狛犬をキャラクター化した「こまちゃん」の可愛らしい御朱印帳、鈴と社紋がデザインされた御朱印帳の2種類。
どちらも通常の御朱印帳より大きな12cm×18cmの大サイズ。
最初のページの右側には御札が貼られていて、オリジナル御朱印帳のみの特別御朱印付き。
名札シールと、撮影時に取り外したが防水カバーも付いてくる。

既に頒布終了で現在は頂けない。

旧オリジナル御朱印帳
初穂料:2,000円(特別御朱印込/頒布終了)
社務所にて。

2019年1月16日よりオリジナルの御朱印帳を用意。
当社の境内にある狛犬をデザインした御朱印帳で、狛犬をキャラクター化した「こまちゃん」の可愛らしい御朱印帳、狛犬と社殿を写実的に描いた御朱印帳の2種類。
どちらも通常の御朱印帳より大きな12cm×18cmの大サイズ。
最初のページの右側には御札が貼られていて、オリジナル御朱印帳のみ限定で特別御朱印を頂ける。
撮影時に取り外したが防水カバーも付いてくる。

既に頒布終了で現在は頂けない。

授与品・頒布品

開運三社巡り満願手拭い・御朱印
初穂料:─
社務所にて。

2023年8月1日-10月31日・2024年8月1日-10月31日まで開催の「開運三社巡り」満願で頂いた手拭いと御朱印。

幸先詣御守
初穂料:1,000円(幸先詣御朱印セット)
社務所にて。

毎年12月に頒布の幸先詣御朱印と御守がセットになった授与品。

参拝記念クリアファイル
初穂料:─
社務所にて。

2020年6月に御朱印を頂いた際に頂いた。

参拝記念シール
初穂料:─
社務所にて。

2020年1月に御朱印を頂いた際に頂いた。

参拝情報

参拝日:2024/10/02(御朱印拝受)
参拝日:2024/08/02(御朱印拝受)
参拝日:2024/07/08(御朱印拝受)
参拝日:2024/06/03(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2024/05/21(御朱印拝受)
参拝日:2024/04/16(御朱印拝受)
参拝日:2024/02/24(御朱印拝受)
参拝日:2024/01/17(御朱印拝受)
参拝日:2023/12/06(御朱印拝受)
参拝日:2023/10/21(御朱印拝受)
参拝日:2023/09/24(御朱印拝受)
参拝日:2023/08/01(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2023/07/10(御朱印拝受)
参拝日:2023/06/03(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2023/05/12(御朱印拝受)
参拝日:2023/04/09(御朱印拝受)
参拝日:2023/03/19(御朱印拝受)
参拝日:2023/02/20(御朱印拝受)
参拝日:2023/01/17(御朱印拝受)
参拝日:2022/12/18(御朱印拝受)
参拝日:2022/11/18(御朱印拝受)
参拝日:2022/10/14(御朱印拝受)
参拝日:2022/09/14(御朱印拝受)
参拝日:2022/08/05(御朱印拝受)
参拝日:2022/07/20(御朱印拝受)
参拝日:2022/06/02(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2022/05/07(御朱印拝受)
参拝日:2022/04/16(御朱印拝受)
参拝日:2022/03/28(御朱印拝受)
参拝日:2022/02/05(御朱印拝受)
参拝日:2022/01/21(御朱印拝受)
参拝日:2021/12/14(御朱印拝受)
参拝日:2021/09/15(御朱印拝受)
参拝日:2021/08/11(御朱印拝受)
参拝日:2021/07/03(御朱印拝受)
参拝日:2021/03/25(御朱印拝受)
参拝日:2021/02/07(御朱印拝受)
参拝日:2021/01/20(御朱印拝受)
参拝日:2020/11/30(御朱印拝受)
参拝日:2020/10/28(御朱印拝受)
参拝日:2020/07/22(御朱印拝受)
参拝日:2020/06/01(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2020/01/17(御朱印拝受)
参拝日:2019/12/24(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2019/11/30(御朱印拝受)
参拝日:2019/10/28(御朱印拝受)
参拝日:2019/09/17(御朱印拝受)
参拝日:2019/08/31(御朱印拝受)
参拝日:2019/08/01(御朱印拝受)
参拝日:2019/07/10(御朱印拝受)
参拝日:2019/06/25(御朱印拝受)
参拝日:2019/06/11(御朱印拝受)
参拝日:2019/05/24(御朱印拝受)
参拝日:2019/05/03(御朱印拝受)
参拝日:2019/04/18(御朱印拝受)
参拝日:2019/03/26(御朱印拝受)
参拝日:2019/02/08(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2019/01/08(御朱印拝受)
参拝日:2018/11/22(御朱印拝受)
参拝日:2018/11/01(御朱印拝受)
参拝日:2018/09/21(御朱印拝受)
参拝日:2018/08/05(御朱印拝受)
参拝日:2018/07/14(御朱印拝受)
参拝日:2018/01/12(御朱印拝受)
参拝日:2017/06/26(御朱印拝受)
参拝日:2017/06/17(御朱印拝受)
参拝日:2017/05/15(御朱印拝受)
参拝日:2017/05/04(御朱印拝受)
参拝日:2015/08/05(御朱印拝受)
ほぼ月詣

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