西守稲荷神社 / 東京都大田区

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大田区

神社情報

西守稲荷神社(にしもりいなりじんじゃ)

御祭神:宇迦之御魂神
社格等:─
例大祭:2月の初午(初午祭)
所在地:東京都大田区田園調布1-26
最寄駅:多摩川駅・雪が谷大塚駅
公式サイト:https://www.facebook.com/西守稲荷神社-1503638573270733/

御由緒

 この西守稲荷神社の創建は不詳だが、大正十四年二月に近隣他地より当地に遷され祭祀された。
 そして、昭和四年に現在の京都伏見稲荷大社より、神璽(みたま)を正式に勧請した。
 大正期頃、当地域(現在の田園調布一丁目清交会の辺りの地域)は、西山谷と云う集落であり家二十数軒が点在しており、その西山谷地域の中央にお祀りされて西山谷地域を守る稲荷神社との趣旨で、「西守稲荷神社」と称された。
 何時の頃からか、西守稲荷講が地域住民により組織され西守稲荷神社の祭祀が行われていたが、平成二十年代になり講員の減少と高齢化が進み講の維持が困難となり西守稲荷講は解散した。
 現在は、田園調布一丁目清交会の地域交流部が中心となり西守稲荷神社を維持しており、西守稲荷神社境内は田園調布一丁目清交会の各種行事やイベントにも利用したり、災害時の一時避難場所にも指定されている。また地域住民の交流と憩いの場所ともなっている。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2019/05/16

御朱印

初穂料:100円
社殿に掛けられた箱にて。

※社殿に御朱印が入った箱があり初穂料は賽銭箱へ。
※日付は入っていないのでセルフで記入。

歴史考察

西山谷と呼ばれた集落のお稲荷様

東京都大田区田園調布に鎮座する神社。
旧社格は無格社で、旧下沼部村の西山谷と呼ばれた集落(現・田園調布1丁目の一部)の鎮守。
田園調布の住宅街に鎮座する大変小さなお稲荷様。
以前は西守稲荷講によって祭祀が行われていたが既に解散しているため、現在は田園調布一丁目清交会の地域交流部が中心となり神社を維持していて、清交会館が隣接する形となっている。

沼部村と呼ばれた田園調布・下沼部村の西山谷

社伝によると、創建年代は不詳。
その他古い由来なども不詳となっている。

現在の田園調布は、かつては沼部村と云う村であった。
江戸時代初期、沼部村が上沼部村・下沼部村に分村し、当地は下沼部村の一画となる。

下沼部村(しもぬまべむら)
沼部の由来は、多摩川の影響で水が豊富で沼地帯だったことに由来すると推測される。
主に北側が上沼部村とされ、南側が下沼部村とされた。
これら上沼部村・下沼部村の一帯が後に田園調布と呼ばれる一画となる。
下沼部村の鎮守は「多摩川浅間神社」が担った。
多摩川浅間神社 / 東京都大田区
田園調布鎮守。都内唯一の浅間造社殿。月替りのカラフル御朱印。『シン・ゴジラ』『大恋愛』のロケ地。富士山を眺望できる展望スポット。富士登山を模した溶岩参道。田園調布の歴史と由来。古墳の上に鎮座。北条政子にまつわる創建の伝承。旧下沼部村の鎮守。

各村の中には小名(こな)と呼ばれる、村内や町内を小分けした地名があり、当地は西山谷と呼ばれていた事が、文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』に記されている。

江戸時代の下沼部村の小名
向河原・長久保・東原・堀廻・中丸・東山谷・西山谷

現在の田園調布1丁目の一部は西山谷と呼ばれた地で、小さな集落があったと云う。
当社はそうした集落に祀られていたお稲荷様であった。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(下沼部村)
稲荷社
西山谷にあり。小祠。東向なり。東光院持。

下沼部村の「稲荷社」として記されている。
西山谷と呼ばれた地にあり、小さな祠だった事が窺える。
別当寺は「多摩川浅間神社」と同じく「東光院」(現・大田区田園調布本町35)であった。

西山谷と云う地区にあったものの、当時は現在よりやや違う場所に鎮座していたとみられている。

明治以降の下沼部村の歩み

明治になり神仏分離。
当社は無格社であった。

明治二十二年(1889)、市制町村制によって、上沼部村・下沼部村・嶺村・鵜ノ木村が合併し、調布村が成立。
当地は調布村下沼部の一画となった。

明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、この一帯がかつて西山谷と呼ばれた地であったと思われる。
神社の地図記号を見る事はできないが、この周辺に小さなお稲荷様があったのであろう。
調布村や下沼部という地名を見る事ができる。

周辺に出山や丸山といった地名を見る事ができ、当地はそうした高台の谷になった地であったのだろう。
丸子の渡し
丸子橋も存在しておらず、昭和初期に丸子橋が架けられるまでは「丸子の渡し」と呼ばれる渡し舟で多摩川を渡っていた。

大正時代以降に田園調布が誕生・当社が現在地に遷座

大正七年(1918)、渋沢栄一を中心として立ち上げられた「田園都市株式会社」によって、旧上沼部村と旧下沼部村の周辺は「理想的な住宅地である田園都市の開発」が行われる。

渋沢栄一(しぶさわえいいち)
幕末から大正時代にかけての武士・官僚・実業家。
第一国立銀行など多くの銀行の設立を指導した他、東京証券取引所、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙、田園都市(現・東急)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、大日本製糖、明治製糖など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上と云われていている。
この事から「日本資本主義の父」とも称される他、「私利を追わず公益を図る」の理念を貫き通したため、財閥を作らなかった事でも知られる。

大正十二年(1923)、田園都市株式会社が開発した当地を「田園都市多摩川台」として分譲を始める事となり、同年には目蒲線が開通し「調布駅」が開業。

大正十四年(1925)、近隣に鎮座していた当社が現在地に遷座。

田園都市株式会社が開発したための区画整備の影響や、2年前に発生した関東大震災の影響などもあり、現在地に遷座したものと思われる。この頃の西山谷には20数軒の家が点在していたと云う。

大正十五年(1926)、田園都市の意味合いを持たせるために調布駅を「田園調布駅」へ改名。

この「田園調布駅」の駅名が、次第に地域名として使用されるようになり、日本有数の高級住宅街である田園調布が成立。

昭和三年(1928)、町制を施行して調布村は東調布町となる。

昭和四年(1929)、「伏見稲荷大社」より正式に勧請。
西山谷と呼ばれた地の鎮守であった事から「西守稲荷神社」と称された。

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)
京都府京都市伏見区に鎮座する神社。
式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社、旧社格は官幣大社。
全国の稲荷神社の総本社として知られ、千本鳥居などが有名。
伏見稲荷大社
1300年にわたって、人々の信仰を集め続ける「お稲荷さん」の総本宮 伏見稲荷大社の公式ホームページ
この頃には当社を崇敬する西守稲荷講が地域住民によって組織され、祭祀を行っていたと云う。

昭和七年(1932)、東調布町・大森町・入新井町・馬込町・池上町が合併して大森区が誕生。
これを境に、東調布町(旧上沼部村と旧下沼部村)の一画は田園調布という地名となった。

田園調布一丁目清交会
かつては「上沼部村」「下沼部村」であった地が、明治以後に周辺の村と合併し「調布村(後に東調布町)」となり、都市開発の事業名と駅名から「田園調布」という名で浸透。
大森区が誕生した際に、旧上沼部村と旧下沼部村のエリアは田園調布と云う地名になった。
かつて西山谷と呼ばれた一帯は田園調布一丁目の一画で、自治会(町会)として現在は「田園調布一丁目清交会」が地域交流や自治の役割を担っている。

平成二十年(2008)、この頃より西守稲荷講の講員の減少と高齢化が進み、講の維持が困難となったため西守稲荷講は解散。
以後、自治会(町内会)である「田園調布一丁目清交会」の地域交流部が中心となり神社を維持し、現在に至っている。

境内案内

田園調布一丁目の住宅街に鎮座

多摩川駅から徒歩で5分程の距離、田園調布一丁目の住宅街に鎮座。
西側へ一方通行の路地に面して小さな境内が設けられている。

小さな境内だが石物の多くは戦前のもの。
昭和十一年(1936)に整備された玉垣。
鳥居は大正十四年(1925)建立のもので、当社が当地に遷座した際に建立されたものが現存。
「正一位西守稲荷」の文字で、鳥居を潜ると小さな境内となる。

鳥居を潜ったすぐ先に社殿。
参道の途中に水盤。
使用する事はできないがお稲荷様らしい宝珠の社紋。
大正十四年(1925)に奉納されたもので、鳥居と同様に当地に遷座した際に奉納されたもの。

小さな社殿のお稲荷様・神狐像

僅かな石段がありその上に社殿。
小さいながらも年季の入った木造社殿。
銅板葺きの屋根で綺麗に維持されている。
既に講は解散していると云うが、地域の人々(清交会)によって維持されているのが伝わる。
宝珠を彫った彫刻も。

社殿の前には一対の神狐像。
巻物と宝珠を咥えた現代的な造形の狐様。
平成二十七年(2015)に新調したばかりで、御魂入れの際には近くの「多摩川浅間神社」の宮司が奉仕したと云う。

多摩川浅間神社 / 東京都大田区
田園調布鎮守。都内唯一の浅間造社殿。月替りのカラフル御朱印。『シン・ゴジラ』『大恋愛』のロケ地。富士山を眺望できる展望スポット。富士登山を模した溶岩参道。田園調布の歴史と由来。古墳の上に鎮座。北条政子にまつわる創建の伝承。旧下沼部村の鎮守。
講が解散した後も境内の整備だけでなく、神狐像を新調したりと地域からの崇敬が篤い事が窺える。

お隣には清交会館・地域の憩いの場

境内の一画には滑り台。
児童遊園とは言えないが、境内で子どもたちが遊べるような形。
隣には田園調布一丁目清交会のテント。

社殿の裏手には清交会館。
自治会(町会)である田園調布一丁目清交会の会館。
現在は清交会の地域交流部が中心となり当社を維持していて、当社を含め地域交流や憩いの場として利用されている。

各種行事やイベントにも利用したり、災害時の一時避難場所にも指定されている。

御朱印は社殿に書き置きを用意・日付はセルフ式

御朱印は社殿に御朱印が入った箱があり、その中に用意。
初穂料は100円で、賽銭箱の中に入れておく形。

御朱印は「西守稲荷神社」の朱印や社紋が押されたもの。
日付などは自分で記入する形になっている。

常に用意されている訳ではないようなので、御朱印が置かれていた場合は有り難く頂きたい。

所感

かつて西山谷と呼ばれた地の守り神であったお稲荷様。
現在の田園調布一丁目の一部区域にあたる。
江戸時代は各地にお稲荷様があり、江戸の町(現在の田園調布は江戸の郊外ではあるが)の至る所で見かけられるものとして「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」などと呼ばれるくらいであったが、そうしたお稲荷様も多くは合祀や遷座、廃社などで数少なくはなっている。
大正時代以降に開拓された田園調布は、現在は日本有数の高級住宅街、そうした地にありながら、現在も大切に維持され残されているのは、清交会など地域の方々による崇敬と努力の賜物であろう。
町中で見かける小さなお稲荷様にも、人々の思いや歴史が詰まっている、そう感じさせてくれる良い神社だと思う。

神社画像

[ 鳥居 ]



[ 参道 ]


[ 水盤 ]


[ 社殿 ]




[ 御朱印 ]

[ 掲示 ]


[ 神狐像 ]


[ 滑り台 ]

[ 町会テント ]

[ 清交会館 ]

[ 掲示 ]


Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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