麻布氷川神社 / 東京都港区

神社情報

麻布氷川神社(あざぶひかわじんじゃ)

御祭神:素盞鳴尊・日本武尊
旧社格:郷社
例大祭:9月17日(17日に近い土・日曜)
所在地:東京都港区元麻布1-4-23
最寄駅:麻布十番駅・広尾駅
公式サイト:http://www.azabuhikawa.or.jp/

御由緒

麻布総鎮守、麻布七福神“毘沙門天”、末社 應恭・高尾稲荷神社
 天慶五年(938)源経基東征の時、麻布一本松付近に勧請しました。文明年間太田道灌ともいわれます。万治二年(1659)に現在地に遷座し、麻布の総鎮守で、江戸氷川七社の一つとして崇敬されてきました。東京都神社庁より)

参拝情報

参拝日:2017/01/20(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/05/01(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※2017年より御朱印の印が変更になった。
※1月1-9日に開催される「港七福神めぐり」で毘沙門天の御朱印あり。

[2017/01/20拝受]
(新御朱印)

[2015/05/01拝受]
(旧御朱印)

スポンサーリンク

考察

麻布総鎮守の氷川さま

東京都港区元麻布に鎮座する神社。
旧社格は郷社で、麻布一帯の総鎮守。
正式名称は「氷川神社」であるが、他との区別から「麻布氷川神社」とさせて頂く。
現在は「港七福神めぐり」の毘沙門天を担っている。
アニメ『美少女戦士セーラームーン』で、メインキャラの1人でもあるセーラーマーズ・火野レイが巫女をしている神社のモデルとしても有名。

源経基により麻布一本松に勧請

社伝によると、天慶五年(938)に源経基(みなもとのつねもと)による創建と伝えられる。

源経基が平将門の乱を平定するため東征。
その際に武蔵国豊島郡谷盛浅布冠の松(現・麻布一本松)に創建したとされる。

源経基は清和源氏の祖とされる人物。
子孫は鎌倉幕府の源氏将軍や室町幕府の足利将軍家となり武家政権を支配している。

別の説として、文明年間(1469年-1486年)に太田道灌が勧請したという説も残る。

太田道灌は江戸城を築城した武将として名が知られ、寺社への信仰も篤い人物であった。
氷川信仰へ対する信仰も篤かったとされ、道灌による創建説も根強い。

かつては麻布一本松を御神木とし、暗闇坂と狸坂を挟んだ2,000坪余りの境内を有していたと云う。

浮世絵などにも描かれた麻布一本松

麻布の地には古くから「一本松」と呼ばれる松の木があり、当社の御神木であった。
これは現在も植え継ぎで残されており、現在のは戦後に植え継ぎされたもので、三代目とも、もっと代を重ねているとも伝わる。

暗闇坂、大黒坂、狸坂を登り切った合流点にある松の木が一本松。
この一本松から上の緩やかな坂を古くから一本松坂と云い、この一本松坂を上った先に当社が鎮座する。
江戸時代初期まではこの一本松の付近に広い社地を持っていたのが当社である。

かつては古い街道筋であり、この一本松には多くの伝承が残っている。
その1つが、源経基が近く民家に宿を取り、翌朝一本松に装束をかけ、麻の狩衣に着替えたと云うもの。
当社の源経基が創建したという御由緒と関わりの深い伝承。

他にも「呪いの松」「首塚」「秋月の羽衣」など色々な伝説が残されている。
こうした伝説が残るように古来より地域から大切にされていた松だった事が伺える。

(江戸の花名勝會)

こちらは三代・歌川豊国が描いた『江戸の花名勝會』の麻布。
いわゆる「張交絵」と呼ばれる浮世絵の様式で、一枚の版画に様々な種類の絵をいくつも配置しており、歌舞伎役者である嵐雛助を六孫王経基(源経基)として描いている。
左に描かれたのが麻布一本松である。

(江戸名所図会)

こちらは『江戸名所図会』に描かれた「麻布一本松」。
既にこの頃には当社も現在地に遷座しており、この一本松も植え継ぎされた二代目(もしくはそれ以上)になっていたものではあるが、かつてはこの一帯が当社の境内であったと思われる。

こうした古くから様々な伝承が残る麻布一本松に創建し、地域からの崇敬を集めた。

江戸時代に現在地へ遷座・徳川将軍家からの庇護

江戸時代に入ると徳川将軍家からも崇敬を集めた。

二代将軍・徳川秀忠の正室である浅井江(崇源院)が当社に安産祈願。
この時生まれたのが、後の三代将軍・徳川家光であり、家光の守護神と伝わっている。

浅井江は、2011年NHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』の主人公として知られる。

萬治二年(1659)、創建の地である一本松周辺が「増上寺」の隠居所となる事が決まる。
この影響で現在の鎮座地に遷座している。

この事で、徳川将軍家からの崇敬が更に高まる事となった。

「増上寺」は徳川将軍家の菩提寺である。

五代将軍・徳川綱吉も「増上寺」隠居所に訪れる際には必ず当社を参詣したと云う。
また綱吉の生母・桂昌院も崇敬篤く、奉幣や祈願をされている。

当社は麻布の総鎮守として徳川将軍家からも大いに崇敬を集めた。

江戸切絵図から見る当社・江戸氷川七社の一社に数えられる

麻布周辺は早くから町奉行管轄地となっていた。

当社の創建の地を基準として膝元を「宮村町」と呼び、他にも「宮下町」という町名も当社からの位置で麻布の町名は付けられた。
当社が麻布の中心であった事が伺える。

現在はこれらの町名は消滅しているが、現在も当社氏子の町会などにその名が残っている。

そうした様子は江戸の切絵図からも見て取れる。

(麻布絵図)

こちらは江戸後期の麻布周辺の切絵図。
左が北の切絵図となっており、当社は図の中央に描かれている。

(麻布絵図)

図を時計回りに90度回転(北を上に)させ、当社周辺を拡大したものが上図になる。
赤円で囲ったのが「氷川明神」と書いてある当社。
「氷川明神」と共に「徳乗寺」が一緒に描かれており、これが当社の別当寺であった。
橙円で囲った「イナリ」が後の当社の境内社となる稲荷社である。

かつて当社があった一本松近くが宮村町であり、これらは後の麻布十番周辺である。
こうした麻布一帯の総鎮守が当社であった。

また、江戸時代の筆者不詳の古随筆『望海毎談』には「江戸氷川七社の一」と記されている。
江戸に鎮座する「氷川神社」を代表する「江戸氷川七社」のうちの一社だったと云う。

不明な点も多いものの当社の他に「赤坂氷川神社」「渋谷氷川神社」などが挙げられる。

赤坂氷川神社 / 東京都港区
東京十社・赤坂鎮守の氷川さま。徳川吉宗が造営した社殿が現存。江戸時代の情景が残る境内。浮世絵など江戸時代に描かれた当社。忠臣蔵との繋がり深い地。勝海舟が名付けた四合(しあわせ)稲荷。都内で2番目に古い狛犬・御神木の大銀杏。御朱印。御朱印帳。
渋谷氷川神社 / 東京都渋谷区
渋谷区南端一帯の鎮守。金王相撲・江戸郊外三大相撲。江戸七氷川。江戸名所図会に描かれた江戸時代の当社と渋谷。御朱印。

江戸名所図会に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「七佛薬師」「氷川明神」の項目で描かれている。
右下が「七佛薬師」(現・廃寺)で、中央上に描かれたのが「氷川明神」こと当社。
周辺は麻布周辺の町家を見る事ができ、下の通りが仙台坂である。

(江戸名所図会)

当社周辺を拡大したのが上絵となる。
当地に遷座してからは規模も小さくなり、現在とほぼ変わらない社地だった事が伺える。
但し参道の正面に社殿があったりと、現在とは境内の配置が色々と違う。
神楽殿はこの頃のものが現存している。
一本松坂も多くの人々が行き交う道であったようだ。

明治以降の歩み・戦後の再建

明治になり神仏分離。
明治四年(1871)、郷社に列した。
「氷川明神」と呼ばれていた社号も「氷川神社」に改称している。

明治十一年(1878)、郡区町村編制法施行により東京府麻布区が置かれる。
当社は麻布区の総鎮守として崇敬を集めた。

現在の港区は、昭和二十二年(1947)、麻布区・芝区・赤坂区が合併してできた区である。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿などが焼失。
神楽殿・神輿庫・手水舎は焼失を免れている。

昭和二十三年(1948)、現在の社殿が再建。
その後も社務所の建設など整備が行われた。

昭和四十一年(1966)頃から、住居表示の実施に伴い、麻布宮村町・麻布宮下町・麻布一本松町など当社を元に付けられた麻布周辺の町名の多くが「麻布十番」「元麻布」「六本木」と云う地名となった。
当社はこうした麻布周辺の広い地域の鎮守として現在に至っている。

更に現在は「港七福神めぐり」の毘沙門天を担っている。

港七福神めぐり 長寿と福徳をもたらすといわれている七福神巡りはいかがでしょうか。 港区では七福神のほかに十番稲荷神社には全国でもめずらしい「宝船」があるので八ケ所をまわります。 港七福神めぐりは、七福神を祀る神社、寺院に宝船の巡拝所を加え、6社・2寺で構成されています。 このご朱印の専用色紙と巡拝用の地図

また現在は、宮神輿巡行復興及び境内諸整備改修事業の奉賛を募集している。
かつて当社の例祭では、大きな宮神輿を牛二頭に引かせて巡行し荘厳だったと伝わっているが、戦前の昭和十五年(1940)を最後に行われておらず、こうした宮神輿巡行復興へ向けて歩んでいる。

戦後に再建された朱色の社殿・江戸時代の神楽殿や神輿庫

最寄駅は麻布十番駅か広尾駅で、徒歩10分ほどの距離。
昭和四年(1929)に建てられた社号碑には「郷社」の文字。
この社号碑は尾張徳川家第十九代・徳川義親筆だという。

鳥居を潜ると左手に手水舎。
参道のやや左前に社殿となっている。

社殿は昭和二十三年(1948)に再建されたもの。
鉄筋コンクリート造になっており、朱色が鮮やかな社殿となっている。
社殿の後ろには元麻布ヒルズフォレストタワーがそびえ立ち、麻布らしい都会の神社。

境内社は手水舎の後ろあたりに稲荷社。
上述の江戸切絵図に「イナリ」と記載されていた神社で、松平陸奥守仙台藩下屋敷内に祀られていた。
昭和初期から当社境内に遷座し境内社として祀られている。

鳥居を潜ってすぐ右手に神楽殿。
その右手に神輿庫と並ぶ。
これらは江戸時代のものが戦火を免れて現存している。
老朽化が進んでいるため、上述したように現在は改修事業の奉賛を募集している。

境内には無造作に置かれた狛犬が二対。
こちらはいわゆる「かっぱ狛犬」と呼ばれる頭が凹んだものとなっている。
創建年代は不明であるが、これらの狛犬は江戸中期から後期に見る事ができるので、その時代のものであろうか。

御朱印は社務所にて。
丁寧に対応して頂いた。
なお、2017年より御朱印の印が変更になっている。

セーラームーンに登場する神社のモデル

当社はアニメ『美少女戦士セーラームーン』で、「火川神社」の名で登場する。

主要キャラクターであるセーラーマーズ・火野レイが巫女をしている神社が当社。
この事から1990年代の放送当時には多くのファンが押しかけた。

現在はアニメ作品で登場した舞台を「聖地」と呼び、「聖地巡礼」がブームとなっている。
火付け役の作品などは多くあるが、こうした「聖地巡礼」の先駆けとなったのが、当社とセーラームーンと云えるかもしれない。

『美少女戦士セーラームーン』25周年プロジェクトの公式サイトです。

これは作者の武内直子氏が執筆当時に麻布十番周辺に住んでいた事による。

当時はかなり迷惑を被ったという話で話題になったものだが、現在の「聖地巡礼」という言葉が浸透した中では、神社とアニメのコラボも面白いものだろうし、何か展開があると面白いかもしれない。

所感

麻布の総鎮守として崇敬を集める当社。
かつては一本松周辺に広大な社地を有しており、一本松と共に崇敬を集めた。
「増上寺」との兼ね合いによって当地に遷座し社地は削られたものの、徳川将軍家より篤く崇敬を集めたおり、明治になってからも郷社に列するなど、麻布の総鎮守として崇敬を集めたのが分かる。
現在は小さな鎮守といった雰囲気になってはいるのだが、宮神輿巡行を復興しようと試みており、こうした先人から伝えられてきた伝統を継承しようという気持ちはとても素晴らしいと思う。
また1990年代には『セーラームーン』の聖地として話題になっており、現在ブームとなっている「聖地巡礼」の先駆けとも云える神社であると云え、こういう点でも色々な試みができるのではないだろうか。
麻布という一等地に、今もこうして鎮座しているのは貴重であり、よい神社である。

スポンサーリンク

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]

[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]




[ 本殿 ]

[ 稲荷社 ]

[ 狛犬 ]


[ 神楽殿 ]

[ 神輿庫 ]


[ 御籤掛 ]

[ 社務所 ]

[ 案内板 ]

Google Maps