代々木八幡宮 / 東京都渋谷区

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神社情報

代々木八幡宮(よよぎはちまんぐう)

御祭神:応神天皇
旧社格:村社
例大祭:9月22・23日
所在地:東京都渋谷区代々木5-1-1
最寄駅:代々木八幡駅・代々木公園駅
公式サイト:http://www.yoyogihachimangu.or.jp/

御由緒

鎌倉時代の建暦二年(1212)九月二十五日に創建。二代将軍・源頼家が修善寺で暗殺されたことを悼み、家来の一人であった荒井外記(げき)智明(ともあきら)が出家し、名を宗祐(そうゆう)と改めて菩提を弔っていたところ、ある夜、霊夢の中でご神鏡を授かったことから八幡宮の創始を発起し、代々木の地に祠を建てたのが神社の始まりとされる。(頒布の用紙より)

参拝情報

参拝日:2016/11/10

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

御朱印帳

初穂料:2,000円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
木製の御朱印帳で人気が高い。
表紙には『御成敗式目』の中の一文が彫られている。

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※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

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歴史考察

代々木鎮守の八幡さま

東京都渋谷区代々木に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧代々木村の鎮守。
境内からは縄文時代の住居跡などが発見されており、「代々木八幡遺跡」として渋谷区の史跡に指定されている。
近年ではパワースポットの地としても注目を集めている。

鶴岡八幡宮からの勧請で創建

社伝によると、建暦二年(1212)に創建とある。

元久元年(1204)、伊豆国「修禅寺」に幽閉されていた鎌倉二代将軍・源頼家が、北条氏の手によって暗殺される。
頼家には近藤三郎是茂という側近がおり、その家来であった荒井外記智明という人物が、頼家が暗殺された後、代々木野(現在の当社や「明治神宮」の一帯)に隠遁し名を宗祐と改めて主君の冥福を祈っていたという。

建暦二年(1212)の夜、宗祐が霊夢の中で八幡大神の託宣と宝珠の鏡を感得。
そこで同年9月23日、元八幡の地に小祠を建て、鎌倉「鶴岡八幡宮」より勧請して創建と伝わる。

なお、元八幡とは現在の鎮座地より西に500mほど行った地域で、現在の元代々木町と西原の間付近の地域であり、当社が創建された地なので元八幡と呼ばれていたようだ。
現在も例祭は、創建日とされる9月23日に行われる。

二代将軍・源頼家の家臣による創建であるため、源氏の氏神である八幡神を祀ったのは自然な事であろう。
それから長い間、元八幡の地で社僧の手によって管理されていた。

江戸時代に入り遷座し代々木村の鎮守に・代々木の由来

正保元年(1644)、当社を管理していた別当寺「福泉寺」の伝養律師が、中興開山として浄土宗から天台宗に改宗。
その後の二世乗正律師の時には社殿などを再建している。

寛文十一年(1671)、三世長秀法印の時に元八幡から現在地へ遷座。

これは別当寺「福泉寺」の長秀法印が、大和国岩掛城主・山田政秀の第六女で紀州藩主・徳川頼宣の側室であった延寿院殿の甥であった事によるもの。
延寿院殿との関係があった事で、社地6,000坪の寄進など数々の寄進が行われ遷座となった。

こうして当社は広大な社地を有する神社として再建され、この頃には代々木村の鎮守となっていたようだ。

なお、代々木村は戦国時代の書状に名を見る事ができるので、それ以前には成立していたと見られている。

代々木の地名由来は、現在の「明治神宮」境内の御苑東門(旧・井伊家下屋敷)近くに代々樅(モミ)の巨木があったことに由来する。
代々樅の大木が育ちつ事から「代々木」と呼ばれ、村が成立して代々木村となり、江戸時代に入ってから当社が村の鎮守となったのであろう。
明治神宮公式ウェブサイト

江戸時代の史料から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(代々木村)
八幡社
村の鎮守なり。建歴二年壬申荒井宗裕と云もの起立すと傳ふ。事蹟詳ならず。福泉寺持。
神楽殿。
末社。天神。稲荷。
神明社
千駄ヶ谷村瑞圓寺持。寛永十九年の勧請と云。
白山社
村持。

代々木村の「八幡社」として記されているのが当社。
代々木村の鎮守であり、当時から建暦二年(1212)と伝えられていた事が分かる。
上述しているように別当寺は現在も隣接する「福泉寺」であった。
同村にあった「神明社」「白山社」は、明治以降に当社に合祀されている。

江戸時代に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

%e6%b1%9f%e6%88%b8%e5%90%8d%e6%89%80%e5%9b%b3%e4%bc%9a国立国会図書館デジタルコレクションより)

こちらでは「代々木八幡宮」として描かれており、現在と同じ社号で呼ばれていた事が分かる。
石段の上に神門、左手には神楽殿、立派な社殿を有していたのが見て取れる。
当時は大変のどかな地であった代々木の様子と、別当寺「福泉寺」と共に神仏習合の元、代々木村の鎮守として崇敬を集めていたのが伝わる。

神仏分離とその後の歩み

明治になり神仏分離。
当社は代々木村の鎮守として村社に列した。
明治五年(1872)、本殿が再建されており、これが現存している。

明治二十二年(1889)、市制町村制の施行により、代々木村は幡ヶ谷村と合併し、代々幡村が誕生。

明治三十三年(1900)、現在の拝殿を新築造営。
img_2523この時、代々木村にあった神明社(天祖社)、白山社を当社に合祀。
さらに現在の境内社である稲荷社、天神社、榛名社を末社として祀る。

昭和七年(1932)、代々幡町は渋谷町、千駄ヶ谷町と合併し、東京市渋谷区となる。
当地は渋谷区代々木として現在に至っており、代々木の鎮守として崇敬を集めている。

戦後の昭和二十五年(1950)、境内の発掘調査が行われ、縄文時代の住居跡などが発見される。
以後も崇敬を集め、境内整備などが行われている。

平成二十三年(2011)、八百年祭が開催。
氏子崇敬者の奉賛によって本殿や社務所の改修なども行われた。

山手通り沿いにある緑に囲まれた社叢

代々木八幡駅から山手通りに出て北上すると、山手通り沿いに鳥居と社号碑が見える。
img_2486大通り沿い、渋谷区にありながらも広く緑豊かな鎮守の杜となっているのが特徴。

石段を上り鳥居を潜ると長い参道が続く。
img_2491正面にはかつての別当寺であった「福泉寺」があり、左手に当社の参道が続く。
img_2493二之鳥居を潜り社殿近くまで進むと、左手に手水舎。
img_2501正面に社殿となる。

戦火を免れた社殿・金魚まつり・パワースポットとして人気の出世稲荷

社殿は拝殿・本殿共に明治に建てられたものが現存している。
img_2500拝殿は、明治三十三年(1900)に造営されたもので、状態もよく管理されている。
img_2529本殿は明治五年(1872)に造営されたものであるが、こちらに見えるのは鉄筋コンクリート造の覆殿となっていて、この中に本殿が置かれている形となっている。
いずれも第二次世界大戦の戦火を免れ現存している。

社殿の右手に境内社が三社並ぶ。
img_2528稲荷社・天神社・榛名社で、明治三十三年(1900)に当地に遷座した。
同年、本殿に合祀された神明社・白山社と共に、合わせて五社と称される。

これら五社の祭礼を正式には「五社宮祭」と称し、これが現在も5月下旬に行われる通称「金魚まつり」である。

金魚を飼う事が流行した時代であり、天秤棒を担いだ物売りが盛んに商いに来たと伝わり、明治から大正にかけては5月6日に行われていた。
5月5日には府中にて武蔵国総社「大国魂神社」の「くらやみ祭」があったため、それに参加した露天商が甲州街道を引きあげる途中、当社の「五社宮祭」で残り荷をさばいて大変賑わったという。

大正初期に途絶えたものの、平成十五年(2003)地元崇敬者により復活を果たした。

その右手に出世稲荷社。
img_2531第二次世界大戦の空襲で焼失し、祀られなくなった氏子地域の稲荷社を集め、境内に合せ祀ったもの。
img_2533この出世稲荷が近年ではパワースポットと紹介される事が多く人気を博している。

さらに右手に富士登山記念碑。
img_2536小さな富士塚のようになっており、富士講によるものであろう。

訣別の碑・縄文時代の遺跡・秒速5センチメートルの舞台にも

参道途中、手水舎の近くには「訣別の碑」が置かれている。
img_2502明治四十二年(1909)に当社の近く(現在の代々木公園付近)に代々木練兵場が造られる事となり、立ち退きを余儀なくされた氏子の住民が別れを惜しんで奉納した石碑。
この灯籠の竿石部分がその碑となっている。

境内の左手には復元された竪穴式住居も置かれている。
img_2514昭和二十五年(1950)に境内の発掘調査が行われ、縄文時代の住居跡などが発見されたため、復元したもの。
同様に境内右手には出土品陳列館も整備。
img_2542これらは「代々木八幡遺跡」として渋谷区の史跡に指定されている。

他にも多くの石碑や、神楽殿、額堂、神輿庫など境内が整備されており見どころも豊富。

御朱印は社務所にて。
img_2520オリジナルの御朱印帳も用意しており、木製の御朱印帳は人気が高い。

余談になるが、劇場アニメ『君の名は。』で一躍時の人となった新海誠監督。
彼の出世作とも云える2007年公開の劇場アニメ『秒速5センチメートル』では、桜のシーンなどで当社が作中に数カット描かれているので、注目してみるのも面白い。

所感

代々木の鎮守として崇敬を集める当社。
江戸時代に入り現在地に遷座してから、今のような立派な境内となり、代々木村の鎮守として崇敬を集めた事が分かり、今もなお多くの氏子崇敬者が訪れる。
大通りの山手通り沿い、渋谷区にありながら、こうした静かで広い鎮守の杜を維持できているのも、そうした崇敬の賜物であろう。
境内社の出世稲荷はパワースポットとして有名になった事もあり、参拝者も多い。
知名度も含め、渋谷区を代表する一社である。

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神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 参道 ]
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[ 二之鳥居 ]
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[ 石碑 ]
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[ 参道 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿(覆殿) ]
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[ 回廊 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 境内社鳥居 ]
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[ 境内社参道 ]
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[ 案内板 ]
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[ 稲荷社・天神社・榛名社 ]
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[ 出世稲荷社 ]
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[ 富士登山記念碑(富士塚) ]
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[ 訣別の碑]
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[ 歌碑 ]
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[ 臨時授与所 ]
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[ 神楽殿 ]
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[ 神輿庫 ]
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[ 代々木八幡遺跡出土品陳列館 ]
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[ 社務所 ]
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[ 参集殿 ]
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[ 御神木 ]
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[ 記念碑 ]
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[ 表忠碑 ]
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[ 臼田亜浪の碑]
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[ 代々木八幡遺跡(復元竪穴式住居) ]
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[ 案内図 ]
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Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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