磐井神社 / 東京都大田区

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神社情報

磐井神社(いわいじんじゃ)

御祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・姫大神・大己貴命
旧社格:延喜式内社(小社)・郷社
例大祭:8月第1金・土・日曜
所在地:東京都大田区大森北2-20-8
最寄駅:大森海岸駅・平和島駅
公式サイト:─

御由緒

 式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社である。『三代実録』によれば貞観元年(859)「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」とあり、この神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたといわれ、また平安時代(十世紀)に編纂された『延喜式』の神名帳に記載されている。
 別名、鈴森八幡宮とも呼ばれ、当社の由緒書によれば、江戸時代には、徳川家の将軍も参詣したことが記されている。
 万葉集の「草陰の荒蘭の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ」の歌にある笠島とは、ここの笠島弁天を指したものという説もある。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/07/22(ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/08/05(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

磐井神社

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考察

式内社の格式を持つ古社

東京都大田区大森北に鎮座する神社。
古代の社格では延喜式内社の小社であり、旧社格は郷社。
武蔵国における総社八幡宮であったとされ、八幡信仰の神社である。
かつては「鈴ヶ森八幡宮」とも称された。
現在は東海七福神の弁財天も担っている。

武蔵国八幡総社の称号

創建年代は不詳ながら、社伝によると敏達天皇の御代(572年-585年)に創建と伝えられている。

当社は八幡信仰の神社であるが、上述の創建年代が事実であるのならば、八幡信仰の総本社である豊前国一之宮(大分県)「宇佐神宮」の創建年代より古いため、創建当時は八幡信仰ではなく、土着の信仰のある神社であったと推測できる。

社伝には、聖武天皇の御代(701年-756年)に、武蔵国国司・石川年足朝臣が「宇佐八幡宮(宇佐神宮)」に奉幣した際、神告によって当社の神宝の「鈴石」が授けられ、その嫡孫・中納言豊人卿が当社に納めたと伝えられている。
この事から、この時代に八幡信仰の影響を強く受けたのではないだろうか。

正史である六国史『日本三代実録』では、貞観元年(859)の項目に「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」とあり、更に武州八幡社の総社に定められたとされ、これがいわゆる「総社八幡宮」という事になり、この頃には八幡信仰の神社として名を馳せていた事が分かる。
image現在も拝殿の扁額には「武蔵國八幡總社」の文字が記されている。

このように官社に列し、武蔵国の八幡神社の総社であった事からも、古くから朝廷に名が知れており、武蔵国で大いに崇敬を集めた神社であった。

延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』では、小社に列格する「武蔵国荏原郡 磐井神社」と記載されており、これが当社である。
これにより当社は延喜式内社(式内社)とされる。

創建時は土着の信仰があり、古代において武蔵国における八幡信仰の重要拠点となり、当時は大変に規模の大きな神社であったのだろう。
かつては広大な敷地を有し、当社の鳥居は沖合に四基もあったとも云われている。

戦国の世での荒廃

古代は、武蔵国の総社八幡宮として崇敬を集めた当社。
その後、武蔵国にも源氏の影響もあって多くの八幡神社が創建となった事もあり、次第に影響力も弱まっていったものと思われる。

それでも戦国時代までは、大変古い社殿が残り繁栄していたとされる。
しかしながら、永正年中(1504年-1520年)に戦火により社殿など灰燼に帰してしまう。
その後も度重なる戦火により荒廃していく事となり、神社として衰微していく。
沖合にあったと伝わる四基の鳥居も、海中で朽ちてしまったという。

このまま江戸時代になるまで再興する事はなかった。

江戸時代になり再建

寛文年間(1661年-1673年)になり社殿を再建と伝わる。

社伝には、天正十八年(1590)に、関東移封によって江戸入りした徳川家康が当社に参拝したと伝えられているものの、上述のように荒廃してしまっている時期と重なる事から、真偽は定かではない。
以後、徳川将軍家による参詣や庇護があったとされる。

享保十年(1725)には八代将軍・徳川吉宗の命により、本社・拝殿・末社などが再造営。
ここで古社である当社が再興したと見る事ができるだろう。

鈴ヶ森八幡宮と呼ばれた江戸時代

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

鈴の森八幡宮国立国会図書館デジタルコレクションより)

「鈴の森八幡宮」として描かれているのが当社。
当時は「磐井神社」ではなく、「鈴ヶ森八幡宮」といった名称で呼ばれている事がほどんどで、これは当地が「鈴ヶ森」と呼ばれていた事にちなむ。

上述もしたのだが、当社には「鈴石」という神宝の石が存在し(現存しているものの現在は非公開)、「宇佐神宮」より授けられたという神功皇后ゆかりの石とされている神宝である。
これを打つと鈴のような音がしたことから「鈴ヶ森」の地名の由来になったと伝えられている。
余談になるが、この頃の鈴ヶ森には他に「鈴ヶ森刑場」が有名である。

境内は当時のほうが広いのが伺える。
但し配置などは現在もかなり似ている部分があり、特に向かって左手にある弁財天は位置なども変わっていない。
当社の前は現在と変わらず交通量の多い街道なのが分かるが、これは当時の東海道。
主要街道である東海道沿いに鎮座し、大いに繁栄したのだろう。

神仏分離と現在

明治になり神仏分離。
これを機に「鈴ヶ森八幡宮」から、創建時の社号である「磐井神社」に戻している。
昭和九年(1934)には、郷社に列した。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿が焼失。
戦後の昭和二十九年(1954)に再建された。

境内の前には、第一京浜/国道15号(旧・1號國道)が通るようになり、第一京浜の拡張と共に社地も削られていく事となる。
さらに境内の裏手には京浜急行が通り、国道と鉄道に挟まれる形で、現在の規模となっていった。

再建された立派な社殿・歴史を感じさせる石碑群

第一京浜沿いに鎮座する当社。
第一京浜や京浜急行に挟まれ、周囲にはマンションなどが立ち並ぶ中に鎮座している。
image鳥居の先には右手に手水舎、そして正面に社殿となる。

社殿は戦後の昭和二十九年(1954)に再建されたもの。
image大きく突き出した破風が実に立派で重厚感を感じさせる。
扁額には上述したように「武蔵國八幡總社」の文字が記されている。

境内社は社殿の右手に海豊稲荷神社。
image小さなお稲荷さんだが地域からの崇敬が篤い。
古い玉垣には、かつての大井・大森海岸花柳界を代表する芸妓屋や料亭の名前が刻まれている。

社殿の右手後方には多くの石碑が残る。
image当社には江戸時代の書家、松下鳥石が寄進した鳥の模様のある珍しい自然石があるのだが、こちらにはこの鳥石を記した鳥石碑(1741年奉納)をはじめ、江戸時代の文化人達の筆塚や書学碑が置かれており、当社への崇敬の篤さを感じる事ができる。

御朱印は社務所にて。
丁寧に対応して下さった。

東海七福神の笠島弁天社

境内の左手に笠島弁天社が鎮座している。
image境内左手に緑で囲まれる社地があり、その先に小さな弁天橋が存在。
小さいながら周囲を池で囲まれた中に鎮座している。
imageこちらが東海七福神の弁財天である。

古くから当地に鎮座していたとされ、上述の『江戸名所図会』にも同じ位置に弁天池と弁天社がある事が分かる。
一説では、「万葉集」の「草陰の荒藺の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ」の笠島とは、この笠島弁天社の事だと伝えられており、当社同様に古社であったとされる。

磐井の名の由来となった磐井の井戸

正史や延喜式に記されているように、古代より「磐井神社」と呼ばれていた当社。
その磐井の由来となったのは「磐井の井戸」と呼ばれた井戸の存在がある。

現在も当社の前、第一京浜沿いに置かれている井戸がそれになる。
image古くから地域の方に利用され、東海道往来の旅人に利用されたとされる井戸。
この水を飲む時は、心正しければ清水で、邪心があれば塩水になるという伝承がある。

「磐井神社」の社号由来になっているように、古代よりずっと存在していた井戸なのだろう。
こうした井戸や水にまつわる土着の信仰が創建時にはあったのかもしれない。

元は当社の境内にあったものなのだが、第一京浜の建設・道路拡張の影響で当社が縮小。
その際にこうして境外の歩道上に残される形となってしまう。
切り離された形となっているが、史跡として現存しているのが嬉しい。
境外にあるので見落とさずに確認したい。

所感

正史にもその名を見る事ができ、式内社として歴史と格式を持つ当社。
かつては武蔵国の総社八幡宮として、朝廷まで知られた神社であった。
一時は荒廃したものの江戸時代には再興し、現在に至っている。
明治以降は社地も削られる事もあったものの、現在もとても清々しい空気の境内を維持できているのは、地域からの崇敬によるものであろう。
境内には当地の歴史を感じさせる石碑群の他、非公開ながら「鈴ヶ森」の地名由来になった鈴石や、「万葉集」に載る説を持つ境内社の笠島弁天社、さらに磐井の由来となった境外に残された「磐井の井戸」など、当地の歴史が多く残った良社である。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 海豊稲荷神社 ]
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[ 神楽殿 ]
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[ 石碑群 ]
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[ 御神木 ]
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[ 社務所 ]
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[ 笠島弁天社 ]
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[ 御神木 ]
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[ 案内板 ]
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[ 磐井の井戸 ]
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