磐井神社 / 東京都大田区

神社情報

磐井神社(いわいじんじゃ)

御祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・姫大神・大己貴命
社格等:延喜式内社(小社)・郷社
例大祭:8月第1金・土・日曜
所在地:東京都大田区大森北2-20-8
最寄駅:大森海岸駅・平和島駅
公式サイト:─

御由緒

 式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社である。『三代実録』によれば貞観元年(859)「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」とあり、この神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたといわれ、また平安時代(十世紀)に編纂された『延喜式』の神名帳に記載されている。
 別名、鈴森八幡宮とも呼ばれ、当社の由緒書によれば、江戸時代には、徳川家の将軍も参詣したことが記されている。
 万葉集の「草陰の荒蘭の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ」の歌にある笠島とは、ここの笠島弁天を指したものという説もある。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2017/06/26(御朱印拝受)
参拝日:2017/06/17(御朱印拝受)
参拝日:2017/05/15(御朱印拝受)
参拝日:2017/05/04(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/08/05(御朱印拝受)
ほぼ月詣

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※2017年5月よりカラフルな御朱印を用意するようになった。

御朱印情報
毎月月替りの御朱印を授与
1日・15日限定で月詣り御朱印を授与
様々な柄の和紙を使った書き置き御朱印を用意している(種類を選択可)
最新御朱印情報
6月24日まで水無月限定御朱印
6月25日-7月2日まで夏越大祓御朱印

[2017/06/17拝受]
(夏越大祓御朱印)

[2017/06/17拝受]
(水無月限定御朱印)

[2017/05/15拝受]
(和紙書き置き御朱印)

[2017/05/15拝受]
(月詣り御朱印)

[2017/05/04拝受]
(皐月限定御朱印)

[2015/08/05拝受]磐井神社(旧御朱印)

歴史考察

式内社の格式を持つ古社

東京都大田区大森北に鎮座する神社。
延喜式内社の小社とされる古社であり、旧社格は郷社。
武蔵国における総社八幡宮であったとされ「武蔵國八幡總社」を称する。
かつては「鈴ヶ森八幡宮」とも呼ばれ崇敬を集めた。
現在は東海七福神の弁財天も担っている。

武蔵国八幡総社に定められる

創建年代は不詳。
古い社伝では、敏達天皇二年(573年)に創建と伝えられている。

当社は八幡信仰の神社であるが、上述の創建年代が事実であるのならば、八幡信仰の総本社である豊前国一之宮「宇佐神宮」(大分県宇佐市)の創建年代より古いため、創建当時は八幡信仰ではなく、土着の信仰による神社であったと推測できる。

社伝には、聖武天皇の御代(701年-756年)に、武蔵国国司・石川年足朝臣が「宇佐八幡宮(宇佐神宮)」に奉幣した際、神告によって当社の神宝の「鈴石」が授けられ、その嫡孫・中納言豊人卿が当社に納めたと伝えられている。

この鈴石が旧地名「鈴ヶ森」の地名由来となる。

貞観元年(859)、当社は武蔵国の八幡社の総社に定められたと伝わる。
現在も拝殿の扁額には「武蔵國八幡總社」の文字が記されている。

正史に残る古社・式内社としての格式

平安時代に編纂された歴史書『日本三代実録』には当社の記録が残る。

貞観元年(859)、「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」と記されている。
この事から朝廷より神階を授けられ官社に列したことが分かる。

このように官社に列し、武蔵国の八幡神社の総社であった事からも、古くから朝廷に名が知れており、武蔵国で大いに崇敬を集めた神社であった。

日本三代実録(にほんさんだいじつろく)は、日本の正史とされる六国史(りっこくし)の第六にあたる歴史書。平安時代に編纂され、編者は藤原時平・菅原道真・大蔵善行・三統理平とされる。

延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』では、小社に列格する「武蔵国荏原郡 磐井神社」と記載。
これにより当社は延喜式内社(式内社)とされる。

『延喜式神名帳』に記載された神社を、延喜式内社(式内社)と云う。

創建時は土着の信仰があり、古代において武蔵国における八幡信仰の重要拠点となり、当時は大変に規模の大きな神社であったのだろう。
かつては広大な敷地を有し、当社の鳥居は沖合に三基もあったとも云われている。

戦国時代に入り戦火による荒廃

中世以降は、立派な境内が残り繁栄していたとされる。
広大な神田を持ち、貢納を免除された不入権をもつ免租地であった。

その事から当地周辺は「不入斗村(いりやまずむら)」と呼ばれるようになる。

しかしながら、戦国時代になり後北条氏(小田原北条氏)が勢力を伸ばすと、当地周辺でも度々戦いが生じ、戦火に巻き込まれてしまう。
そのため、この頃の記録は一時的に途絶え、ほぼ残っていない。

永正年間(1504年-1520年)、戦火により社殿など灰燼に帰してしまう。
天文年間(1532年-1555年)、再び戦火によって社殿が焼失。

その後も度重なる戦火により荒廃していく事となり衰微していく。
さらに海岸線も侵食され、沖合にあったと伝わる鳥居三基のうち二基は、海中で朽ちてしまったという。
広大な社地も縮小し、社が残るのみの荒廃した姿となっていた。

このまま江戸時代になるまで再興する事はなかった。

江戸時代になり再興・徳川将軍家よる崇敬

天正十八年(1590)に、徳川家康が関東移封によって江戸入り。
当社に参拝したと伝えられている。
以後、徳川将軍家による参詣や庇護があったとされる。

寛文年間(1661年-1673年)、社殿を再建と伝わる。
当地周辺を「鈴ヶ森」と呼んだ事から「鈴森八幡」と称された。

東海道が海岸線の侵食によって、文禄・慶長年間(1593年-1615年)に崩れており、西に移された東海道もさらに侵食され崩れたため、寛文三年(1663)に石垣にて防波堤を築き、その後は崩れる事なく東海道が定まった。
この頃に別当寺「密厳院」によって社殿が再建されたと云う。

享保十年(1725)、八代将軍・徳川吉宗の命により、本社・拝殿・末社などが再造営。

このように当社は再興され、社地も拡大。
門前には門前町が形成され、地域からも大いに崇敬を集めた。

新編武蔵風土記稿から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(不入斗村)
鈴森八幡社
除地六段五畝七歩。小名すなはち鈴森にあり、古の磐井神社是なり。社傅を閲するに人皇三十一代敏達天皇二年八月鎮座あり。祭神正面は應神天皇、左は大己貴神仲哀天皇、右は神功皇后姫大神なり。それよりはるかに星霜をへてのち貞観元年、八幡大神宇佐宮より山城國岩清水に鎮座のとき六十六州州ことに総社八幡宮を定めたまひしに、當國にては此神社を総社とはきはめ給ひき、これは此年の九月風雨の災なからんことを諸國の神社に祈りたまひしときも、此社に奉幣使をそくたてられたりきしかして後、萬民有年の験を得たりとてやがて官社に列せられけると三代実録に載たり。その條によるに、其頃は己に従五位下の神位なりしと見ゆ。されとその神位を賜はりしはいつの頃にかありけんしるべからず。されは其頃より神田ありしことは論をまたざること、村名の條下にも出せり。或古記に圭田三十六束と云々これ當所の神田より収むる所の数なるか。この後数百年の間のことは戦争にて兵火の災など蒙りしかば、記録をもことごとく失ひすへて、傅はらす小田原北条家分國の頃にや内國周防とかいひし人、神主たりと云。傅ふ御當代に至り検地ありて、門前の地を御寄付あり。その頃は門前の地もひろかりしならん。元禄年中、神主森田勝明が記せし社前懸革の圜を閲るに、元亀天正のころまでは、社より六十間餘西の方に第二の鳥居あり、又八十間餘を隔てて第一の鳥居ありしと、これらによれば今海中となりし処も餘程廣平の地ありて、當社に附せられしならん。その後次第に海中へかけ入て、又海中となりしにより、ふるき海道は往還の廣さにならひ、西へうつされたりしかと、猶年をおひてかけ入しかは、正保元年よりは又海道を西へうつされたり。それも年をへて又崩れいりしにより、その頃の代官などはからひて、このままにては如何になりゆかんもはかりがたしとて、寛文三年今の処へ海道を定められ、海岸へはたかく石垣をきづかれしにより、今に至るまで崩るることなし。されどかくのごとくしは々々その地を失ひたれば、社地も古へにくらふれば甚威れり。此にいふ海道は往古の処とはもとよりことなるべし。その舊蹟は荒井宿村に云ごとし。此所は一懸せしよりのことなり。有徳院殿の御代にをおわせし時しはしは當所へ御遊戯のころ當社へも御立寄ありあるとき、社地へわたらせたまひし次社傳を御尋ありしに、時の神主一巻の縁起をとり出して台閲にそなへけるとそ、又同し御時享保十一年に宮社御造営ありしにより、いよいよ繁栄に及びしといへり。按に社傅によれば、八幡大神の社ありてより後、その社を磐井の神社ともいはひしにや、此事分明ならざるに似たり。往古此所に磐井の神社ありてその神社の祭神も、さたかならずされば、後に八幡の社にあかめしにはあらずや。是らのことも記録等に明文なければしりがたし。
鳥居。海道の西にあり。磐井神社の字を扁す。これは吉田兼隆卿の筆なり。第二第三の鳥居はいまはなしされど、海中に舊基朽残りたるもの今に存せりといひつとふ。
拝殿。鳥居の内にあり。四間に三間。
本社。二間四面宮作なり。古は幣殿拝殿ともに本社にたてつつきて、社内も廣かりしかと、近き頃再造のときより古のさまをうしなへりといふ。
神宝。鈴石一顆。(中略)。薬水。拝殿の側にある磐井なり。これ社號の起ることの縁なりといふ。(中略)。
末社。稲荷。猿田彦命。一色靈神。大國主神。宇賀娘命(中略)。天満宮。豊宇賀娘命。猿田彦命。鹿島大明神。淡島大明神。菊理姫命(中略)。鹿島社(中略)。鳥石(中略)。
笠島。(中略)
御成御殿蹟。(中略)

かなり長くなってしまうため、一部は中略とさせて頂いた。

不入斗村(いりやまずむら)の「鈴森八幡社」と記されているのが当社。
上述したような御由緒をかなり詳しく記している。

当地が不入斗村の中の鈴森と呼ばれた一角であったため、「鈴森八幡」と称された。
しかしながら鳥居には「磐井神社」の扁額が掲げられていたと云い、当時から『日本三代実録』『延喜式神名帳』に載る「磐井神社」の号も残っていたようだ。

末社の数も大変多く、再興され再び立派な境内になっていた事が伺える。

鈴ヶ森八幡宮と呼ばれた江戸時代に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会より)

「鈴の森八幡宮」として描かれているのが当社。
当時は「鈴ヶ森八幡」といった名称で呼ばれている事が多く、これは当地が「鈴ヶ森」と呼ばれていた事にちなむ。

当社には「鈴石」という神宝の石が存在し(現存しているものの現在は非公開)、「宇佐神宮」より授けられたという神功皇后ゆかりの石とされている神宝である。これを打つと鈴のような音がしたことから「鈴ヶ森」の地名の由来になったと伝えられている。

境内には鳥居より手前左手に井戸を見る事ができ、これが「磐井の井戸」とされる。
「磐井神社」の社名由来となった井戸である。
境内左手には現在も残る笠島の弁天池や、現在は社宝となっている鳥石も記されている。

当社の前の街道は東海道。
主要街道である東海道沿いに鎮座し、人々の往来の多い当地で、自然と崇敬を集めたのであろう。

(江戸名所図会より)

こちらは江戸後期の「鈴ヶ森」と東海道の様子。
玉垣が築かれ保護されているのが伝わる。

余談になるが、この頃の鈴ヶ森には当社の他に「鈴ヶ森刑場」が有名である。

鈴ヶ森刑場(すずがもりけいじょう)とは、江戸の北の入口(日光街道)沿いに設置されていた小塚原刑場とともに、南の入口(東海道)沿いに設置されていた刑場。死罪となった罪人を処刑する刑場であり、八百屋お七などが処刑された。

明治以降と戦後の再建

明治になり神仏分離。
これを機に「鈴ヶ森八幡宮」から、創建時の社号である「磐井神社」に戻し、村社に列した。

明治元年(1868)、明治天皇東行の際は、神祇官判事・平田延胤が代参を行っている。

明治三十九年(1906)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、現在も変わらない。
不入斗の地名も残っており、当地周辺は当社がある事から八幡と呼ばれていたようだ。
当社前には東海道があり、その先は海であったため、現在とは風景は随分と違ったのであろう。

かつての東海道は、現在の第一京浜/国道15号(旧・1號國道)となり、第一京浜の拡張と共に社地も削られていく事となる。さらに境内の裏手には京浜急行が通るようになったため、国道と鉄道に挟まれる形で、境内は縮小し、現在の規模となっていった。

昭和九年(1934)、郷社に昇格。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿が焼失。
昭和二十九年(1954)、再建された。
その後も境内整備が進み現在に至る。

現在は東海七福神の弁財天も担っている。

境内案内

戦後に再建された立派な社殿

最寄駅の大森海岸駅や平和島駅からは徒歩数分で、第一京浜(国道15号)沿いに鎮座。
周囲にはマンションなどが立ち並ぶ中に鎮座している。
社号碑には「延喜式内」の文字。

鳥居の先には右手に手水舎。
そして正面に社殿となる。

社殿は戦後の昭和二十九年(1954)に再建されたもの。
大きく突き出した破風が実に立派で重厚感を感じさせる。
扁額には上述したように「武蔵國八幡總社」の文字。
当社の裏手には京急の高架線が通る。

境内には立派な銀杏の木。
歴史を紡ぐ大木となっている。

境内社や石碑群・非公開の鈴石と鳥石

境内社は社殿の右手に海豊稲荷神社。
小さなお稲荷さんだが地域からの崇敬が篤い。
古い玉垣には、かつての大井・大森海岸花柳界を代表する芸妓屋や料亭の名前が刻まれていて、かつて当地の様子を偲ばせる。

社殿の右手後方には多くの石碑が残る。
当社には江戸時代の書家、松下鳥石が寄進した鳥の模様のある珍しい自然石「鳥石」があるものの「鈴ヶ森」の地名由来ともなった「鈴石」と共に非公開となっている。
しかしながら、鳥石を記した鳥石碑(1741年奉納)をはじめ、江戸時代の文化人達の筆塚や書学碑が置かれており、当社の歴史を伝える一角。

東海七福神の笠島弁天社は万葉集に載る古社の伝承

境内の左手に笠島弁天社が鎮座。
境内左手に緑で囲まれる社地があり、その先に小さな弁天橋が存在。
小さいながら周囲を池で囲まれた中に鎮座している。
こちらが東海七福神の弁財天である。

古くから当地に鎮座していたとされ、上述の『江戸名所図会』にも同じ位置に弁天池と弁天社を見る事ができ、当地には現在非公開の「鳥石」も置かれていたようだ。

『万葉集』の「草陰の 荒藺の崎の 笠島を 見つつか君が 山路越ゆらむ」の笠島とは、この笠島弁天社の事だと伝えられており、当社同様に古社であったとされる。

磐井の名の由来となった磐井の井戸

正史や延喜式に記されているように、古代より「磐井神社」と呼ばれていた当社。
その磐井の由来となったのは「磐井の井戸」と呼ばれた井戸。

現在も当社の前、第一京浜沿いに置かれている井戸がそれになる。
古くから地域の方に利用され、東海道往来の旅人に利用されたとされる井戸。
この水を飲む時は、心正しければ清水で、邪心があれば塩水になるという伝承がある。

「磐井神社」の社号由来になっているように、古代よりずっと存在していた井戸なのだろう。こうした井戸や水にまつわる土着の信仰が創建時にはあったのかもしれない。

『江戸名所図会』でも鳥居の右手前に描かれているように、元は当社の境内にあったものの、第一京浜の道路拡張の影響で当社が縮小。
その際にこうして境外の歩道上に残される形となってしまう。
切り離された形となっているが、史跡として現存しているのが有り難い。
境外にあるので見落とさずに確認したい。

カラフルな月替り御朱印や月詣り御朱印

御朱印は社務所にて。
丁寧に対応して頂いた。

2017年5月より御朱印が変更。
カラフルな御朱印を用意するようになった。

御朱印情報
毎月月替りの御朱印を授与
1日・15日限定で月詣り御朱印を授与
様々な柄の和紙を使った書き置き御朱印を用意している(種類を選択可)
最新御朱印情報
6月24日まで水無月限定御朱印
6月25日-7月2日まで夏越大祓限定御朱印

左から、月替り(皐月)御朱印、和紙書き置き御朱印、月詣り御朱印。
書き置き御朱印の和紙は様々な柄を用意しているので用意している中から選ぶことができる。

挟み紙にはその月の由来や行事などを記してあり、その月に対する理解を深める事できる。御朱印ブームの中、こうした施策を行う事で、月詣する参拝者を増やすという事にも繋がるため、神社側の良い努力だと思う。
神職さんは以前「多摩川浅間神社」に奉仕されていたそうで、墨書きも「多摩川浅間神社」宮司様の筆さばきに似て達筆。月替りの御朱印もそうしたノウハウを活用したものであろう。
田園調布(旧下沼部村)鎮守。都内唯一の浅間造社殿。月替りのカラフル御朱印。『シン・ゴジラ』のロケ地。富士山を眺望できる展望スポット。富士登山を模した溶岩参道。田園調布の歴史と由来。古墳の上に鎮座。北条政子にまつわる創建の伝承。夏詣。御朱印。

御朱印だけでなく、境内も季節や神事に合わせた整備を行っている。
夏越大祓に合わせた茅の輪や、季節に合わせた旬な草花が置かれる。
夏には風鈴が音色を奏でる一角も整備され、こうした季節と共にある境内というのは素晴らしい。

所感

正史にもその名を見る事ができ、式内社として歴史と格式を持つ当社。
かつては武蔵国の総社八幡宮として、朝廷まで知られた神社であった。
戦乱の世の兵火によって荒廃したものの、江戸時代には再興。
明治以降は社地も削られる事もあったが、現在もとても清々しい空気の境内を維持できているのは、地域からの崇敬によるものであろう。
境内には当地の歴史を感じさせる石碑群の他、非公開ながら「鈴ヶ森」の地名由来になった鈴石や、『万葉集』に載るという伝承を持つ境内社の「笠島弁天社」、さらに磐井の由来となった境外に残された「磐井の井戸」など、当地の歴史が多く残った良社。
最近は御朱印にも力を入れ、努力されている姿が伝わる神社である。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]

[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]






[ 拝殿・幣殿・本殿 ]

[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 海豊稲荷神社 ]




[ 神楽殿 ]

[ 石碑群 ]




[ 御神木 ]




[ 社務所 ]

[ 笠島弁天社 ]





[ 案内板 ]

[ 磐井の井戸 ]



Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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