久が原西部八幡神社 / 東京都大田区

大田区

神社情報

久が原西部八幡神社(くがはらせいぶはちまんじんじゃ)

御祭神:誉田別命
社格等:村社
例大祭:9月15日前後の週末
所在地:東京都大田区久が原4-2-7
最寄駅:久が原駅
公式サイト:http://tokumochi-jinja.tokyo-jinjacho.or.jp/keidai00.html

御由緒

 神護元年九月(765年)豊前の国、宇佐八幡宮の御分霊を勧請。武蔵の南端久が原台地(弥生時代の集落地)の住民の鎮守として、尊崇せられ、徳川入国以来久我原は二分され、当社は六郷領鎮守となり、明治六年(1873)村社に指定された。旧社殿(銅萱葺権現造)52、89平方米は、文化七年七月約百七十年(1810)前の御造営にして、長年月を経しにより、諸所に朽損の箇所多く、今度氏子の奉賛により新しく社殿が御造営され、且つ篤志家の奉納により、手水舎をはじめ境内工作物、殿内調度備品等一切が完備した。「社殿は地鎮祭、昭和五十二年十一月二日。上棟祭、昭和五十三年七月二十八日。正遷座祭、昭和五十四年九月十三日にそれぞれ斉行した。九月十四日より十六日迄竣工奉祝祭例大祭が執行され、奉祝稚児行列、御神輿の渡御、奉納演舞、演芸等、神賑が盛大に行われた。」(境内の石碑より)

参拝情報

参拝日:2017/05/29

御朱印

初穂料:300円
徳持神社」社務所にて。

※社名部分は墨書きではなく印版によるもの。
※普段は神職が常駐していないため、本務社「徳持神社」にて拝受できる。

歴史考察

旧六郷領久ヶ原村の鎮守

東京都大田区久が原に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧六郷領久ヶ原村の鎮守。
正式名称は「八幡神社」だが、他との区別から「久が原西部八幡神社」とさせて頂く。
旧久ヶ原村が馬込領と六郷領に二分された際に、馬込領久ヶ原村の鎮守となったのが「久が原東部八幡神社」で、六郷領久ヶ原村の鎮守となったのが当社である。
神職は常駐しておらず「徳持神社」の兼務社となっている。

弥生時代に大集落があった久が原

社伝によると、神護元年(765)の創建とされる。
八幡信仰総本社であり豊前国一之宮「宇佐神宮」より勧請された。

久ヶ原の一番の高所に創建したとされるため、当初の鎮座地は当社と関わりの深い「久が原東部八幡神社」であったと推測される。

当社が鎮座する「久が原(くがはら)」一帯は、大変古くから人々の定住があった事で知られる。

昭和二年(1927)に「久が原遺跡」(久が原4-6丁目周辺)から竪穴式住居跡と弥生土器が発見されて以来、幾度も調査が行われ、弥生時代後期に大集落があった事が分かっている。
1,000軒以上もの住居跡が存在していたと推測されており、「久が原遺跡」は南関東後期弥生文化の標式遺跡(基準となる遺跡の事)に指定されている。
久ヶ原遺跡

そうした古い地である久が原の鎮守として崇敬を集めた。

徳川家康の江戸入りで久が原が二分される

天正十八年(1590)、関東移封によって徳川家康が江戸入り。

久が原は、東側の馬込領久ヶ原村と、西側の六郷領久ヶ原村に二分される。
鎮守である「八幡社」も二分する事となり、当社は六郷領久ヶ原村の鎮守となる。

元々は東側の「久が原東部八幡神社」が創建の地であったと思われ、村が二分された事によって、西側の六郷領にも鎮守を置く必要が出てきたため、当社が新たに当地に遷座されたものだと推測できる。
久が原東部八幡神社 / 東京都大田区
旧馬込領久ヶ原村の鎮守。彫刻が見事な大田区有形文化財の社殿。弥生時代に大集落があった久が原。徳川家康の江戸入りで久が原が二分される。新編武蔵風土記稿から見る当社。江戸時代後期に社殿が造営。明治維新後の歩み。本務社は「徳持神社」。御朱印。

別当寺は近くの「安祥寺」(現・大田区久が原4丁目)が担っていた。

文化七年(1810)、社殿が造営。
昭和後期まで現存していた。

新編武蔵風土記稿から見る当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(久ヶ原村)
八幡社
除地六畝二八歩。村の中央にあり。本社二間四方。拝殿二間に二間半。前に鳥居あり、両柱の間一丈。村の鎮守。祭礼九月十四日十五日両日なり。社地の外八幡免とて畑二段八歩。小名南台にあり。安詳寺持。
稲荷社。本社に向ひて右にあり。

六郷領久ヶ原村の「八幡社」として記されている。
久ヶ原村の鎮守という事と、「安祥寺」が別当寺だった事が記されている。
境内社として現在もある稲荷社が鎮座しており、本社の右にあったという事から、現在と変わらぬ配置だったのであろう。

安政四年(1857)、境内社稲荷社の鳥居が再建。
現存しており、寛政十一年(1799)と安政四年(1857)の銘が残る。

明治維新後の歩み・戦後の整備

明治になり神仏分離。

明治五年(1872)、馬込領久ヶ原村と六郷領久ヶ原村が合併し久ヶ原村が成立。
江戸時代は二分されていた久ヶ原村が再び1つに戻った。

明治六年(1873)、当社は村社に列した。
久ヶ原村の原(元六郷領側)と呼ばれた地域一帯の鎮守であった。

明治十二年(1879)、本殿が改築。
これが現在は境内社稲荷社の社殿として利用されている。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行によって、池上村・石川村・雪ヶ谷村・市野倉村・桐ヶ谷村・堤方村・下池上村・徳持村・久ヶ原村・道々橋村の10村が合併して池上村が成立。
当地は池上村久ヶ原と呼ばれた。

明治四十二年(1909)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

当社の鎮座地は今も昔も変わらない。
赤円が当社の鎮座地で、橙円が「久が原東部八幡神社」の鎮座地。
池上村の中にも「久原」という文字と「原」という字が残る。

池上村久ヶ原の中でも原と呼ばれた一画が当社の氏子地域、一方で向と呼ばれた一画が「久が原東部八幡神社」の氏子地域であった。

戦後になり境内整備が進む。

昭和五十四年(1979)、旧社殿老朽化につき社殿が再造営。
これが現在の社殿となっている。

現在は、神職は常駐しておらず「徳持神社」の兼務社となっている。

徳持神社 / 東京都大田区
旧徳持村鎮守。元は八幡信仰の神社。宇佐神宮より勧請・御旗山八幡宮と称される。池上競馬場建設のため現在地への遷座。合祀によって徳持神社へ改称。戦後に再建された社殿とユニークな健康歩道。徳持という旧地名の保存。兼務社5社の御朱印。御朱印。

境内案内

児童公園が隣接する境内

最寄り駅の久が原駅からは徒歩で東へ数分の閑静な住宅街に鎮座。
向かいには旧別当寺「安祥寺」があり、そのすぐ近くにはミッション系の「天使幼稚園」があるため、子どもたちの声が聞こえる賑やかな境内となっている。
石段がありその上に鳥居。
鳥居を潜ると境内となるが、左手は児童公園として整備されている。
幼稚園も近くにあるため、地域の児童などに愛される境内であろう。

鳥居を潜ってすぐ右手に手水舎。
普段は神職の常駐がない神社であるが、氏子によって綺麗にされており、手水舎にも水が張られている。

再建された現社殿・力石や三等三角点

社殿は戦後に再造営されたもの。
文化七年(1810)造営の旧社殿が老朽化につき、昭和五十四年(1979)に再建。
鉄筋コンクリート造で朱色が特徴的な社殿となっている。

社殿の手前左手には力石。
力比べに使われたものであるが、この力石に触れると病を防ぐと云われている。

その左手に三等三角点。
頭だけ出た形となっているが、盤石で補強された三角点で、今も大切にされている。

三角点とは、三角測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる点。三等三角点は約4kmの設置間隔で置かれ、全国に約32,000点設置されている。

旧本殿を使用した境内社の稲荷神社

社殿の右手に境内社の稲荷神社。
御祭神は宇迦之魂大神で、相殿として東照宮(徳川家康公)を祀る。
鳥居には寛政十一年(1799)に建立され、安政四年(1857)に再建された事が彫られている。
稲荷神社用お手水舎も用意されており(水は張られていない)、地域からの崇敬が伝わる。

稲荷神社の社殿は、当社の旧本殿が遷されたもので、周りが金網で囲われて保護されている。
文化七年(1810)造営の社殿を、明治十二年(1879)に改築されたもの。
鉄筋コンクリートの本社社殿とは対照的に、彫りの深い彫刻が特徴的な年季を感じさせる社殿。

『新編武蔵風土記稿』に、境内社稲荷社が本社右にあると記されていたため、古くから当地で信仰を集めたお稲荷様であったのだろう。

社殿の左手には本社社殿と同様に朱色に塗られた神楽殿。
その隣に朱色の社務所。
神職の常駐がない兼務社のため、御朱印は本務社の「徳持神社」にて。

徳持神社 / 東京都大田区
旧徳持村鎮守。元は八幡信仰の神社。宇佐神宮より勧請・御旗山八幡宮と称される。池上競馬場建設のため現在地への遷座。合祀によって徳持神社へ改称。戦後に再建された社殿とユニークな健康歩道。徳持という旧地名の保存。兼務社5社の御朱印。御朱印。

所感

久が原西部の鎮守として崇敬を集めた当社。
大変古い地である久が原の鎮守として、八幡社が創建され、家康の江戸入り後に久が原が、六郷領と馬込領に別れたため、鎮守も分けられ、当社は六郷領側に新たに勧請されたものだと思われる。
こうした歴史を持つため、現在も「久が原西部八幡神社」と「久が原東部八幡神社」が近い位置に鎮座しており、かつては同村・同神社だった歴史を伝えている。
現在は兼務社という扱いで神職の常住がないが、再建された社殿は綺麗に保たれており、氏子が境内を掃除している姿などもよく見かける事ができ、地域から大切にされているのが伝わる。
境内に児童公園があり、近くには幼稚園もあるため、子供の声が聞こえる地域に親しまれる良い神社である。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]

[ 鳥居 ]

[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]





[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]

[ 力石 ]


[ 三等三角点 ]


[ 稲荷神社 ]





[ 神楽殿 ]

[ 社務所 ]

[ 神輿庫 ]

[ 東参道 ]

[ 狛犬 ]


[ 石碑 ]

Google Maps

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