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概要
銀座4丁目の路地裏にひっそり佇むお稲荷様
東京都中央区銀座に鎮座する神社。
旧社格は無格社、現在の銀座4丁目の鎮守。
江戸時代に弥左衛門町と呼ばれた一画(現・銀座4丁目)の町名由来となった弥左衛門と云う人物によって祀られたお稲荷様で、「宝童」の名の通り子供の健やかな成長を守る神様として信仰を集めた。
「G4 BRICKS BLD.」(旧・名古屋商工会館)の横に細い参道があり路地裏にひっそりと佇む。
銀座4丁目の守り神として商店など地域の人々によって大切に維持管理されている。
現在は「銀座八丁神社めぐり」の一社に数えられている。
神社情報
宝童稲荷神社(ほうどういなりじんじゃ)
御祭神:倉稲魂命
社格等:─
例大祭:10月下旬
所在地:東京都中央区銀座4-3-14(宝童稲荷小路沿い)
最寄駅:銀座駅・銀座一丁目駅・有楽町駅・東銀座駅
公式サイト:─
御由緒
宝童稲荷という小さなお社が祀られた四丁目三番の通り抜け路地は、稲荷小路と呼ばれておりました。
この宝童稲荷は、稲荷信仰がたいへん盛んであった江戸時代にもとは将軍家の跡継ぎの成長を守るために江戸城内に祀られていた神社でした。
この稲荷が、防災にたいへん霊験あらたかであったので、堂守りの弥左衛門という人が、神霊の分神を受けて現並木通りの角に建立したのが、四丁目の宝童稲荷のはじまりといわれています。
宝童稲荷は、士商の分け隔てなく、守り本尊となり、弥左衛門も、居をここに定め、生涯稲荷のお守りをしたのでこのあたりを弥左衛門町と呼ぶようになりました。
宝童の名前にあるように、このお稲荷様は子供の健やかな成長を守る神様です。また、弥左衛門町を発祥の地とする名だたる企業が多いことから、商売繁盛の神様としてお参りする方が引きも切りません。
子宝、商売繁盛を祈願とし、よきご縁を授ける社として今日でも厚い信仰を集めております。(おみくじクリアフォルダ内の宝童稲荷縁起より)
歴史考察
江戸時代の名主である弥左衛門・弥左衛門町のお稲荷様
社伝によると、江戸時代初期の創建と見られている。
弥左衛門町と呼ばれた当地の名主・弥左衛門と云う人物によって祀られたと云う。
町名は名主であった弥左衛門に因む。
昭和五年(1930)に廃止されるまで存続していた町名。
かつて江戸城内に将軍家の跡継ぎの成長を守る「宝童稲荷」と云うお稲荷様があったと云う。
防災に霊験あらたかであった事から、名主の弥左衛門が分霊を祀ったのが始まりと伝わる。
弥左衛門は当地に居を定めて当社の宮守となったとされる。
以後、弥左衛門町の鎮守として崇敬を集めた。
江戸切絵図から見る弥左衛門町
江戸時代の弥左衛門町は江戸切絵図を見ると位置関係が分かりやすい。
こちらは江戸後期の築地・銀座・八丁堀・日本橋の切絵図。
右が北の切絵図になっていて、現在の当地周辺は上側に位置している。
赤円で囲った箇所に弥左衛門町の文字が見える。
現在の銀座4丁目、現在の当社があるあたりで、当社は一帯の鎮守として崇敬を集めた。
青円で囲った箇所が現在の銀座4丁目交差点。(銀座のシンボルでもある和光がある交差点)
橙円で囲った箇所には尾張町の文字が見え、弥左衛門町に隣接する町で老舗呉服屋が並び賑わった。
江戸名所図会に描かれた隣町の尾張町
天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。
「尾張町」として描かれているのが現在の銀座5丁目あたり。
弥左衛門町と呼ばれた当地に隣接する町で、当地の町並みも何となく推測しやすい。
町名の由来は不明だが、町の造成を担当した大名の国名(尾張国)に由来すると推測される。
毎年春の節句前に1丁目に立った雛人形市が有名で賑わった。
並んで描かれているのが老舗の呉服屋である布袋屋・亀屋・恵比寿屋。
隣町である弥左衛門町も似たように町屋敷となり賑わっていた事が推測できる。
明治以降の銀座の歩み・煉瓦街から繁華街へ
明治になり神仏分離。
当社は以後も弥左衛門町の人々によって崇敬を集めた。
明治維新後の明治五年(1872)に銀座で大火が発生し銀座一円が焼失。
東京府知事・由利公正の主導で大規模な区画整理、トーマス・ウォートルス設計によるジョージアン様式の銀座煉瓦街の建設が行われ、明治六年(1873)に銀座通り沿いに煉瓦街が完成し、明治十年(1877)までに全街区の建設が行われた。
西洋都市を手本とし火災対策のために建造された煉瓦建築。
その後の銀座はハイカラな街として東京随一の繁華街として発展していく事となる。
弥左衛門はそうした銀座に面した一画として発展した。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲っているのが当社の鎮座地。
当時の地図上には「弥左衛門町」の文字は見えないが、一帯はまだ弥左衛門町と呼ばれていた。
隣町の尾張町などは地図上に記してあり、銀座と記してある一画が当時は煉瓦街であった。
注目すべきはその区画で、現在と当時の区画が殆ど変わっておらず、碁盤の目になった通りが現在も引き継がれているのが分かる。
弥左衛門町と呼ばれた当地(現・銀座4丁目)からは後の大企業が誕生。
「味の素」の創業者である二代鈴木三郎助は、明治三十四年(1901)に弥左衛門町の松崎煎餅屋から広さ6坪の貸家を借り、ここで事業を始め東京事務所兼住居とし、鈴木製薬所を設立、これが後の味の素である。
更に同年、同じ場所で光永星郎によって日本広告が創業、これが後の「電通」である。
大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
銀座一帯は大半が焼失し壊滅的な被害を受けた。
昭和五年(1930)、帝都復興計画の一環で弥左衛門町は銀座西4丁目に編入。
こうして弥左衛門町の町名は廃止となった。
同年、名古屋商工会館が竣工。
当社はこの名古屋商工会館の裏手に鎮座していた。
昭和二十五年(1945)、東京大空襲で銀座は壊滅的な被害を受ける。
戦後は復興され建物の高層化なども進む。
平成二十七年(2015)、当社に隣接する名古屋商工会館が解体。
平成二十八年(2016)、現在のG4 BRICKS BLD.が竣工。
現在は「銀座八丁神社めぐり」の1社となっている。
また現在は「山王日枝神社」の兼務社となっている。
日々の清掃や整備などは銀座4丁目の商店の人々によって大切に維持されている。
境内案内
ビル横で猿が出迎えるアートな猿結参道
最寄駅は銀座駅などで銀座のシンボル和光などがある銀座4丁目に鎮座。
銀座レンガ通り沿いにある「G4 BRICKS BLD.」は、イッセイミヤケやプロダクション尾木などが入るビルで、そのビルの脇に当社の参道が設けられている。
当社の参道の目印として、ユニークな造形の猿が出迎えてくれる。
動物をモチーフにした作品を手掛ける彫刻家・渡辺元佳氏による作品。
この横に細い当社の参道。
名古屋商工会館(現在のG4 BRICKS BLD.)がビルを立て直した際に寄進した土地。
途中にはこうした狐の像も。
参道を抜ける途中には金属製の鳥居が設けられていて、こちらも渡辺元佳氏によるデザイン。
参道を通ると正面に当社となるが、振り返ると2匹の猿像。
参道入口の猿と合わせて3匹の猿が当社の参道を見守る。
ビルが竣工した平成二十八年(2016)は申年だった事、山王信仰や浅間信仰などで魔除けの神使として知られる猿をアートとして置いている。
参道入口の猿像、出口の2匹の猿像で結ばれる当社の参道は「猿結参道」と命名。
猿(えん)を縁結びに通じ子育てと縁結びを見守るシンボルとして整備された。
路地に佇む小さなお稲荷様・子供の健やかな成長を守る神様
猿結参道の先に小さなお稲荷様の社殿。
稲荷信仰らしい朱色の鳥居。
周囲には多くの旗幟。
天賞堂など銀座4丁目の商店などからの奉納で、地域からの信仰が篤い。
当社は江戸城に鎮座していた将軍家の跡継ぎの成長を守るお稲荷様から勧請されたと云う。
そのため当社も子供の健やかな成長を守る神様として信仰を集めた。
「宝童」と云う社号からもそうした御神徳が伝わる。
また現在では商売繁盛・縁結びの神様としても信仰を集めている。
御朱印入りの紙幣ケース「ふくろのきつね」
御朱印など授与品は社殿前にて。
賽銭箱が置かれているので、頂いた分はしっかりと初穂料として納めること。
御朱印は参拝朱印入り紙幣ケース「ふくろのきつね」として授与。
稲荷信仰の神使である狐の形をした蓋の紙幣ケースになっている。
中を開けると細型の御朱印とサンプルの紙幣用紙。
しっかりと墨書きされた御朱印には「宝童稲荷」の朱印。
サンプル紙幣が入ったものだが、こうした形で紙幣ケースとして使用する事ができ、商売繁盛の神様としても信仰を集める当社の御神徳にあやかりたい。
おみくじクリアフォルダ・1日3本限定!恋にヨクキクツガイペン
参拝朱印入り紙幣ケース「ふくろのきつね」の他にもユニークな授与品が置かれている。
こちらはおみくじクリアフォルダ。
奥の木箱の中に入っていてセルフで引く形。
銀座のシンボルである和光本店が描かれた銀座4丁目交差点のイラスト。
裏には当社の社殿が描かれている。
中には当社の縁起や銀座4丁目のお話の他、こうした運気を記した御神籤となっている。
切り離せばクリアファイルとして使用可能で面白い仕組み。
他にも「恋にヨクキク ツガイペン」。
1日3本限定の授与品。
ご縁を祈念したペンで縁結びの授与品と云える。
青と赤の2色ペンで東京小猫商会によるアイテム。
銀座八丁神社めぐり
また「銀座八丁神社めぐり」の1社として、開催期間中は賑わう。
毎年11月1日-3日に開催される神社めぐり。
銀座の路地やビルの屋上などに祀られている神社を巡る。
2019年の参加神社は12社。
所感
銀座4丁目の路地に鎮座する小さなお稲荷様。
弥左衛門と云う名主によって創建された当社は、かつて弥左衛門町と呼ばれた当地周辺の鎮守として崇敬を集め、今もなお銀座4丁目の人々から大切に維持されている。
銀座には多くの小さな神社が点在しているが、その多くはビルの屋上や屋内に遷され祀られている中、当社は屋外に整備され残されている事からも、地域の方々に大切にされていたのがよく分かる。
名古屋商工会館からの参道の寄付、アートな参道として整備された事、日々の清掃、授与品などからも地域からの崇敬の念が伝わり、そうした気持ちを感じ取る事ができて何だか嬉しくなってしまう。
何より都心のビルの間の路地を通ると小さな神社がある、それだけで不思議とワクワクしてくる。
知っていると銀ブラが楽しくなる、そんな良い神社だと思う。
御朱印画像一覧・御朱印情報
御朱印
初穂料:500円(賽銭箱へ)
社殿前にてセルフ式。
※参拝朱印入り紙幣ケース「ふくろのきつね」内に書き置きの御朱印が入っている。
授与品・頒布品
参拝朱印入り紙幣ケース「ふくろのきつね」
初穂料:500円(賽銭箱へ)
社殿前にてセルフ式。
※蓋部分が狐様を形どった紙幣ケースになっていて中に書き置きの御朱印が入っている。
恋にヨクキク ツガイペン
初穂料:500円(賽銭箱へ)
社殿前にてセルフ式。
※1日限定3本の赤青2色ペン。
おみくじクリアフォルダ
初穂料:300円(賽銭箱へ)
社殿前にてセルフ式。
※クリアフォルダとして使用可能なおみくじで中には縁起なども記された紙入り。
参拝情報
参拝日:2020/03/30
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