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概要
羽黒神社と八坂神社が合祀・柏鎮守の柏神社
千葉県柏市柏に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧柏村の鎮守。
明治になり、出羽三山信仰「羽黒神社」と、天王様と称された祇園信仰「八坂神社」が合祀。
現在の正式名称は宗教法人「羽黒神社」であるが、戦後に通称を「柏神社」と改称しているため、一般的に「柏神社」と称される。
本務社の「柏諏訪神社」神社と共に地域の中核神社として信仰を集める神社。
近年は月替りの御朱印にも力を入れていて人気を博している。
神社情報
柏神社(かしわじんじゃ)
御祭神:月讀尊・大山祇命・大己貴命・少彦名命・稲倉魂命・伊氏波神・素戔嗚尊・稲田姫命
社格等:村社
例大祭:7月17・18日(夏季例祭)・9月19・20日(秋季例祭)
所在地:千葉県柏市柏3-2-2
最寄駅:柏駅
公式サイト:https://www.kashiwajinja.com/
御由緒
柏神社は山形県の出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)にそれぞれ祀られる神々を羽黒山に合祭し、三神合祭殿と称して鎮座する出羽神社と、京都・祇園に鎮座する八坂神社の合祀社で、正式名称は宗教法人羽黒神社である。
御祭神は月山神社の月讀尊、湯殿山神社の大山祇命、大己貴命、少彦名命、羽黒山出羽神社の伊氏波神、稲倉魂命、八坂神社の素戔嗚尊とその妃・稲田姫命が祀られている。
出羽三山に祀られる神々がこの地の近くに迎い祀られたのは、万治三年(1660年頃)と言い伝えられている。そこに祀られていた羽黒神社、その他、この地域に祀られていた神々が現在のこの境内に移されたのは明治二十一年(1880年)となる。
一方、八坂神社は万治四年〜寛文元年(1661年頃)当時流行した病より人々の命を守るため、この境内に祀られた。
その昔は天王様と呼ばれこの地域の人々に信仰されていた。
古より出羽三山は一山として信仰され、羽黒山は現世利益を、月山は死後の平安を、湯殿山は生まれ変わりを約束する山として参られてきた。
生まれ変わりの旅、明日のわたしにあえる場所、柏神社。(境内の掲示より)
歴史考察
江戸時代に水戸街道が整備・柏村が成立
当社の創建は江戸時代に入ってからの事で、柏村の成立と時期をほぼ同じとする。
江戸時代に入ると、水戸街道が整備。
柏には宿場町は設けられなかったが、街道沿いに集落ができ柏村と呼ばれた。
江戸川の千住宿と水戸藩の城下町である水戸を繋いだ街道。
五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)と同様に道中奉行の管轄に置かれた。
千住宿の後は、新宿・松戸宿・小金宿・我孫子宿・取手宿〜と続き、柏村は小金宿と我孫子宿の間に位置していた。
当時の柏村は大変小さな集落であった。
当社の創建もこの柏村の成立前後と見られていて、水戸街道沿いに創建している。
江戸時代に出羽三山より勧請された羽黒神社
「羽黒神社」の創建は、万治三年(1660)と伝わる。
出羽三山の「羽黒神社(現・出羽神社)」を勧請して創建。
山形県の月山(がっさん)・羽黒山(はぐろさん)・湯殿山(ゆどのさん)の総称。
古くから修験道など山岳信仰の場として信仰を集め続ける霊山。
三山それぞれの山頂に神社(月山神社・出羽神社・湯殿山神社)があり、これらを総称して「出羽三山神社」と称する。
山形県の羽黒山山頂に鎮座する神社。
三山それぞれの山頂に神社が鎮座しているが、「出羽神社」には出羽三山のそれぞれの神を祀る三神合祭殿が置かれている。
出羽三山の根源神と考えられる神を祀り、出羽三山の中核に位置するとみられている。
羽黒山五重塔は国宝に指定。
当社はこうした出羽三山信仰によって創建され「羽黒神社」と称された。
現在地ではなく近隣の羽黒台と呼ばれた地に創建されたと云う。
厄除けとして創建された天王社(八坂神社)
「八坂神社」の創建は、万治四年/寛文元年(1661)と伝わる。
疫病が流行したため、厄除けとして京都の「祇園神社(現・八坂神社)」を勧請して創建。
牛頭天王を祀ったため「天王社」と称された。
日本における神仏習合の神。
釈迦の生誕地に因む祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神とされたため、牛頭天王を祀る信仰を祇園信仰(ぎおんしんこう)と称する。
総本社は祇園祭でも知られる京都の「八坂神社」で、全国の「八坂神社」「天王社」「須賀神社」などに祇園信仰の神として祀られた。
神道ではスサノオと習合したため、明治の神仏分離後の神社では、御祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)に改められたところが多い。
現在地に創建されたため、元々当地に鎮座していたのは「天王社(八坂神社)」と云う事になる。
柏村の人々からは「天王様」と呼ばれ崇敬を集めた。
明治に入り2社を合祀・鉄道と共に発展した柏
明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。
明治二十一年(1888)、「羽黒神社」が「八坂神社」(現在地)の境内に遷された。
明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、柏村・戸張村・篠籠田村・松ヶ崎村・高田村などが合併し千代田村が成立、千代田村・豊四季村組合を結成。
明治二十九年(1896)、柏駅が開業。
明治三十九年(1906)、鉄道が国有化され柏駅周辺は鉄道と共に発展を遂げていく。
明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、今も昔も変わらない。
「八坂社」と記してあるように、当地の目印になるような地域の鎮守であった。
千代田村という当時の村名、柏という地名、既に開業している柏駅を見る事ができる。
橙色で囲ってある「諏訪社」は現在の本務社「柏諏訪神社」。
明治四十年(1907)、「羽黒神社」を「八坂神社」へ合祀。
大正十五年(1926)、町制を施行し千代田村は柏町に改称。(これが柏市の基礎となる)
戦時中は、陸軍の軍都としての色彩を強め、市内には陸軍関連施設が多く建設されている。
昭和四十九年(1974)、現在の社殿を造営。
これを機に通称を「柏神社」へ改称。
現在は本務社の「柏諏訪神社」と共に、多くの兼務社を抱える地域の中核神社として崇敬を集めている。
境内案内
柏駅近く繁華街の一画に鎮座
最寄駅の柏駅の東口を出てレイソルロードを徒歩5分程の距離に鎮座。
旧水戸街道沿いに鳥居があり、周囲は発展した柏の商業施設が並ぶ繁華街。
平成二十三年(2011)に建立された鳥居。
柏鎮守の一社として「柏神社」の扁額。
鳥居を潜ってすぐに一対の狛犬。
岡崎現代型の狛犬。
球持ちと子持ち。
鳥居を潜ると左手に手水舎。
綺麗に整備され身を清めることができる。
戦後に造営された朱色の社殿
参道の正面に朱色の社殿。
社殿は昭和四十九年(1974)に造営されたもの。
社殿の造営を機に「柏神社」へと改称。
鉄筋コンクリート造による社殿。
繁華街の中でもこうして綺麗に整備された社殿が維持されている。
拝殿前にも一対の狛犬。
大正八年(1919)に奉納された狛犬。
状態はあまりよくはないが子持ちと球持ち。
利根川流域に見られる安産祈願の侍道講・侍道さま
鳥居を潜っての右手には末社として侍道大権現(まちどうだいごんげん)が祀られている。
他ではあまり見る事が少ない安産祈願の民間信仰の神。
侍道講と云う利根川流域で見る事ができる民間信仰である。
柏・我孫子・鎌ヶ谷・流山・野田・取手・松戸といった利根川流域に見られる女人講(女性同士が集まる信仰の場)で、各地に小祠が残っており、当社の境内社もその一つ。
我孫子市岡発戸の「待道神社」が発祥と云われ、安産祈願の神として女性に信仰された民間信仰で、江戸時代中期に利根川流域に広まったものと見られる。
当社では「待道さま」として信仰を集める。
待道(まちどう)の名には以下のような伝承が伝えられている。
ある夫婦がいて、妊娠してお腹が大きい嫁と、その旦那が待ち合わせをしたものの、どこでどう間違えたか別々の場所で待ち続けてしまう。
妊娠した嫁は待っている間に産気づき道端で子供を生んで死んでしまった。
それで道で待ということから、待道と云われるようになり、祀られたと云う。
信仰を伝える古い祠・石碑・庚申塔
境内の右手には末社が数多く祀られた一画。
当地周辺に祀られていた小祠が当社に遷された。
社殿の左手にも小祠と石碑。
古くからの当地周辺の信仰を伝える。
鳥居近くには数多くの庚申塔(青面金剛)が並ぶ。
多くが駒形の同型。
青面金剛の文字からも庚申塔なのが分かる。
庚申信仰に基づいて建てられた石塔。
60日に1度巡ってくる庚申の日に眠ると、人の体内にいると考えられていた三尸(さんし)という虫が、体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ寿命を縮めると言い伝えられていた事から、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われ、集まって行ったものを庚申講(こうしんこう)と呼んだ。
庚申講を3年18回続けた記念に庚申塔が建立されることが多いが、中でも100塔を目指し建てられたものを百庚申(ひゃくこうしん)と呼ぶ。
仏教では庚申の本尊は青面金剛とされる事から青面金剛を彫ったもの、申は干支で猿に例えられるから「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿を彫ったものが多い。
豊富な種類の月替り御朱印・限定御朱印帳
御朱印は社務所にて頂ける。
月替りで大変数多くの御朱印を用意しているのが特徴。
現在は月替りの御朱印を用意。
こちらは通年授与している通常御朱印で、御祭神が記されているのが特徴的。
こちらは2020年4月の月替り御朱印で見開きのもの。
書き置きのみの授与となるが、再開して頂けた事は有り難い。
オリジナル御朱印帳も用意。
(公式サイトより)
京都滝和紙店謹製のオリジナル御朱印帳で、200部限定。
所感
柏鎮守の一社として崇敬を集める当社。
江戸時代の柏はまだ大変小さな集落であったが、水戸街道沿いに天王社と羽黒神社が創建され、いずれも柏の人々にとって大切な存在であったのであろう。
明治になり両社が合祀され現在の当社へとなっていく。
明治に入り柏駅が開業した事で、市街地が形成され、その後は駅周辺を中心に発展を遂げ、当社は柏駅近くに鎮座している事もあり、「柏神社」と称するようになる。
以前は御朱印の授与をやめていたが、近年は御朱印を再開し月替り御朱印にかなり力を入れるようになっている。
本務社である「柏諏訪神社」と共に、柏を訪れたら参拝したい一社である。
御朱印画像一覧・御朱印情報
御朱印
初穂料:300円・500円(見開き)
社務所にて。
※現在は月替りの御朱印(別紙)を授与。
※暫くの間、御朱印の授与をやめていたが2018年より再開。
※本務社である「柏諏訪神社」の御朱印も当社で頂ける。
御朱印帳
初穂料:2,500円
社務所にて。
オリジナルの御朱印帳を用意。
京都滝和紙店謹製のオリジナル御朱印帳。
200部限定。
※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。
参拝情報
参拝日:2020/04/02
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