神社情報
上青木氷川神社(かみあおきひかわじんじゃ)
御祭神:素盞鳴命・櫛稲田姫命
相殿神:大日霊貴命・大山祇命・菅原道真・誉田別命・倉稲魂命
社格等:村社
例大祭:10月15日
所在地:埼玉県川口市上青木2-27-26
最寄駅:鳩ヶ谷駅
公式サイト:─
御由緒
上青木氷川神社は室町時代中期文明二年(皇紀2130年)約550年前の創建にかかる地方(武蔵国)の古社であります。創建245年後の正徳五年乙未年に本殿及び拝殿を再建し、その後、創建より336年後の文化三年甲子年に、拝殿を修繕しました。明治六年四月には旧社格村社に列格されました。
また、斎主として明治初年の神仏分離により、明達院の院主は復飾して土屋喜三郎と名乗り、社掌となるとともに神道大成教訓導として活躍します。その後は下青木村の氷川神社の鈴木力と交替しております。昭和三十年に神社を合祀し、現在に至っています。(境内の掲示より)
参拝情報
参拝日:2018/01/31
御朱印
初穂料:300円
「鎮守氷川神社」社務所にて。
※兼務社のため神職の常駐はなく、本務社である「鎮守氷川神社」にて御朱印を頂ける。
歴史考察
上青木鎮守の氷川さま
埼玉県川口市上青木に鎮座する神社
旧社格は村社で、旧上青木村の鎮守。
青木村が上青木村・下青木村に分村した際に、上青木村の鎮守とされた。
この地域に数多く存在する氷川信仰の神社で、地名から「上青木氷川神社」と称される。
神仏分離などを経て、現在は「鎮守氷川神社」の兼務社となっている。
室町時代中期に創建の伝承・青木村の分村
創建については不詳。
社伝によると、室町時代中期の文明二年(1470)に創建と伝わる。
当地周辺は古くから青木村と呼ばれていた地であった。
青木村の鎮守は「鎮守氷川神社」で、応永年間(1394年-1427年)に創建の御由緒を持つ事から、この頃に村が開拓されたものと見られる。
後述する『新編武蔵風土記稿』によると、そうした青木村が上青木村・下青木村に分村。
分村の際に青木村鎮守であった「鎮守氷川神社」が下青木村鎮守となり、上青木村鎮守として当社が「鎮守氷川神社」より勧請され創建したと記述されている。
江戸時代・新編武蔵風土記稿に記された当社
江戸時代に入ると社殿造営の記録が残る。
正徳五年(1715)、拝殿と本殿を再建。
文化三年(1806)、拝殿を修繕した記録が残る。
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(上青木村)
氷川社
村の鎮守なり。往古は下青木村の氷川明神を鎮守とせしが、上下二村に分村せしときに、當社を勧請せしと云。村内に寛永四年の棟札あれど是も再造の村のものなり。
別當明達院
本山泒の修験中尾村玉林院の配下なり。宮崎山と號す。元禄の水帳にも文殊院と載せしかは當院の事にてしの後、今の院號とに改めし云。
上青木村の「氷川社」と記されているのが当社。
村の鎮守と書かれており、上述したように青木村が上下に分村した際に「鎮守氷川神社」から勧請された旨が記されている。
別当寺は「明達院」(現・廃寺)。
足立百不動尊の第93番に数えられる寺院であった。
現在は大聖不動尊として当社の境内にその面影が残る。
明治以降の歩み・多くの神社を合祀
明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、上青木村の鎮守として村社に列した。
「明達院」の僧が復飾して当社の社家として祭祀を司ったと云う。
明治二十二年(1889)、町村制が施行され上青木村・下青木村・前川村が合併し、青木村が成立。
当地は青木村上青木となり地域からの崇敬を集めた。
明治三十九年(1906)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、今も昔も変わらない。
青木村の上青木の地名が残る。
周辺の多くは田畑であり、大変のどかな農村だった事が分かる。
後に上青木周辺の神社の多くは当社に合祀される事となる。
戦後になり境内整備が行われていく。
昭和三十年(1955)、近隣の神社を合祀。
その後も幾つかの神社が当社に合祀・遷座された。
その後も社殿の再建や鳥居の造営が行われ現在に至る。
現在は「鎮守氷川神社」の兼務社となっている。
境内案内
芝川近くに鎮座する静かな境内
最寄駅は鳩ヶ谷駅だがやや距離があり、芝川を渡った先に鎮座。
住宅街の一画に鎮座しており静かな空間。
一之鳥居は平成九年(1997)に建立されたもの。
社号碑には「鎮守氷川社」の文字。
一之鳥居を潜るとすぐ二之鳥居。
その先に真っ直ぐ社殿となる。
参道の左手に手水舎。
神職の常駐がない兼務社ながら綺麗に管理されており、蛇口から水も出て清める事ができる。
その手前に一対の狛犬。
こうした狛犬や鳥居など近年に奉納され整備されたものも多く、今もなお地域からの崇敬の篤さが伝わる。
鎮守上青木氷川神社の扁額が掲げられた社殿
社殿は戦後に再建されたもの。
立派な構えの社殿で状態よく維持されている。
縦長の扁額には鎮守上青木氷川神社の文字。
現在の本務社や勧請元が「鎮守氷川神社」だった事や、上青木の鎮守である事から、境内の至る所に鎮守の文字を見る事ができる。
静かな境内に映える社殿。
神仏習合時代の名残である不動尊堂・境内社など
参道の左手には不動尊堂が残されている。
別当寺であった「明達院」(現・廃寺)は、足立百不動尊の第93番に数えられる寺院であり、廃寺となった後も当社の境内に当時の面影を僅かに残す。
社殿の左手から裏手にかけて境内社が並ぶ。
比較的立派な社殿を設けられているのが天神社。
昭和五十一年(1976)に上青木1丁目から遷座したと云う。
他に合殿が三社で、いずれも上青木の神社が遷されたと云う。
八幡神社・御嶽神社・神明神社。
八雲神社・琴平神社・稲荷社・三峰神社・熊野神社。
稲荷社・天神社(2社)となっていて、『新編武蔵風土記稿』によると、上青木村には当社の他に八幡社、御嶽社、神明社、天神社、稲荷社などが記してあり、これらが当社に合祀されたり遷座したのであろう。
樹齢350年の御神木しいの木
社殿左手に御神木であるしいの木。
樹齢約350年とされる。
常緑樹であり季節に関係なく青々と力強い生命力。
通称「悩みを救う木」「元気をもらう木」とされ、願い事を唱え両手で抱える事によって大いなる力を頂けると伝わる。
御朱印は本務社の鎮守氷川神社にて
現在の当社は兼務社であり神職の常駐がない。
そのため御朱印は本務社である「鎮守氷川神社」にて対応して頂ける。
御朱印に力を入れている「鎮守氷川神社」であるが、当社の御朱印についての案内は掲示されていないため、お願いしたい場合は口頭で「上青木の氷川様の御朱印もお願いしたい」といった旨を申し付けるとよいだろう。
快く対応して頂ける。
所感
川口市の上青木鎮守である当社。
周辺には数多く氷川信仰の神社が鎮座しており、当社もそうした氷川信仰の一社。
青木村が上下に分村した際に、元の鎮守であった「鎮守氷川神社」より勧請した歴史を持ち、現在も「鎮守氷川神社」の兼務社となっている事からも繋がりが深い。
本務社である「鎮守氷川神社」は、規模はそう大きくないものの、色々努力されているため、いつも境内は賑わう。
当社もそうした管理のもと、神職の常駐がないながらも、綺麗に整備された境内となっている。
静かな空間で、大切にされている地域の鎮守というのが伝わる神社である。
神社画像
[ 一之鳥居 ]
[ 社号碑 ]
[ 二之鳥居 ]
[ 参道 ]
[ 狛犬 ]
[ 手水舎 ]
[ 拝殿 ]
[ 本殿 ]
[ 御籤掛・絵馬掛 ]
[ 不動尊堂 ]
[ 小祠 ]
[ 御神木(しいの木) ]
[ 天神社 ]
[ 境内社 ]
[ 境内風景 ]
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