神社情報
朝日氷川神社(あさひひかわじんじゃ)
御祭神:素盞鳴命・櫛稲田姫命
相殿神:大国主命・稲荷様
社格等:村社
例大祭:10月20日
所在地:埼玉県川口市朝日1-3-15
最寄駅:南鳩ヶ谷駅・川口元郷駅
公式サイト:http://asahi-hikawa.jp/
御由緒
当社創建は、天正年中(1573〜室町末期)に今の地に再建されたとあり、約五百年間と推定される。「明細帳」によると、1907年(明治四十年)6月14日、大字十二月田、大字二軒在家にあった「稲荷社」が合祀されている。
大正十二年の関東大震災で社殿が倒壊するも、昭和十三年七月二十五日に再建。その後老朽化した建物すべてを、「平成の大造営」と称し、氏子の総意を以て平成十五年五月、新社殿・社務所が木の香清しく完成となった。
氏子は「風土記稿」によると、樋爪村・十二月田村・前田村・二軒在家村四村の鎮守とあり、現在の十二月田を含む朝日町全域となっている。(頒布のリーフレットより)
参拝情報
参拝日:2018/04/10
御朱印
初穂料:500円
社務所にて。
※「鎮守氷川神社」の兼務社であるが、御朱印は当社の社務所が開いている時のみ頂ける。
授与品・頒布品
交通安全ステッカー(ペット用/ピンク)
初穂料:300円
社務所にて。
※通常の交通安全ステッカーの他にペット用の交通安全ステッカーを用意している。
歴史考察
川口市朝日一帯鎮守の氷川さま
埼玉県川口市朝日に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧橋爪村・旧十二月田村・旧前田村・旧二軒在家村の鎮守。
現在の住居表示で朝日や末広にあたり、こうした周辺一帯の鎮守とされる。
境内には大きな銀杏の御神木があり当社のシンボルとなっている。
現在は「鎮守氷川神社」の兼務社となっているが、基本的に神職の常駐がある神社。
室町時代後期に創建・樋爪村に鎮座
社伝によると、室町時代後期の天正年間(1573年-1593年)に創建と伝わる。

当地は樋爪村(ひのつめむら)と呼び、古くは二十九日村(ひのつめむら)とも書いた。
当社は「氷川社」と称され、樋爪村(二十九日村)の鎮守として崇敬を集めた。
新編武蔵風土記稿に記された当社・近隣4村の鎮守
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(樋爪村)
氷川社
当村及び十二月田・前田・二軒在家の三村の鎮守とせり。薬林寺の持。
樋爪村の「氷川社」と記されているのが当社。
樋爪村だけでなく、近隣の十二月田村(しわすだむら)・前田村・二軒在家村の鎮守も兼ねていた事が記してあり、近隣4村の鎮守として崇敬を集めた事が分かる。
別当寺は「薬林寺」(現・川口市朝日1丁目)が担っていた。
薬師堂にある「岡の薬師」と呼ばれた薬師如来は、領家村「光音寺」・慈林村「宝厳院」の薬師と共に川口の三薬師と呼ばれていた。
日光道中絵図に描かれた当社と樋爪村
江戸時代初期の『日光道中絵図』に小渕村や当社が記されている。
(国立公文書館デジタルアーカイブ/日光道中絵図)
樋爪村と、手前に「氷川社」(当社)と「薬林寺」(別当寺)を見る事ができる。
絵図の右手が十二月田村で左手が二軒在家村となっていて、当社はこうした地域一帯の鎮守であった。
大変のどかな農村だった事が窺える。
明治以降の歩み・戦前の再建と平成の大造営
明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。
明治二十二年(1889)、町村制が施行され元郷村・平柳領領家村・新井方村・十二月田村・樋爪村・二軒在家村・弥兵衛新田の7ヶ村が合併し、南平柳村が成立。
当地は南平柳村樋爪となり地域からの崇敬を集めた。
明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、今も昔も変わらない。
南平柳村の地名が残り、当地の樋爪の他、十二月田・二軒在家・前田といった地名も残る。
当社はこれら一帯の鎮守であった。
明治四十年(1907)、十二月田の村社「稲荷社」、二軒在家の無格社「稲荷社」を当社に合祀。
大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
社殿が倒壊し、暫く本殿のみの状態が続いた。
昭和十二年(1937)、樋爪や二軒在家の一部が朝日町(現在の朝日)となる。
当社は朝日町の鎮守とされた。
昭和十三年(1938)、氏子の総意によって社殿が再建。
その後の戦災は免れ戦後を迎えた。
平成十五年(2003)、「平成の大造営」によって老朽化した建物を再建。現在の社殿の他、社務所も新築された。
その後も境内整備が行われ現在に至る。
現在は「鎮守氷川神社」の兼務社となっている。

境内案内
朝日中央公園の隣に鎮座
最寄駅は南鳩ヶ谷駅・川口元郷駅だが、どちらからも徒歩20分以上と距離がある。
朝日中央公園に隣接する形で鎮座。
北の道路に面して社頭。社号碑は北に面して置かれている。
「朝日氷川神社」の文字と綺麗な玉垣が並ぶ。
鳥居は東を向く。鳥居は平成十四年(2002)に建立されたもので、いずれも「平成の大造営」によって整備された。
鳥居を潜ると左手に手水舎。水が張られていて使用する事が可能。
両脇には古い手水石が置かれていて、新しく整備された境内の中に、かつての面影を残す。
平成の大造営で再建された社殿
参道の正面に社殿。旧社殿は関東大震災の後、昭和十三年(1938)に再建され戦火を免れたが、老朽化によって建て替え。
平成十五年(2003)に「平成の大造営」を行い、現在の社殿となった。
氏子の総意によって建て替えられた社殿は、兼務社ながらとてもよい出来。
今なお、地域からの崇敬を集めている事が伝わる。
拝殿まではバリアフリーになっているのも特徴的。再建にあたり氏子の事を考えた境内整備が行われた。
拝殿前には一対の狛犬。子持ちと球持ちの阿吽の狛犬で、社殿と同時期に奉納され、まだ新しさを感じる。
撫で大黒天・絵馬トンネル・境内社
拝殿前に、撫で大黒天が置かれている。七福神で知られる大黒天で、撫でるとご利益があると云う。
撫でる部位によってご利益が違い、こちらも平成の大造営で整備された。
社殿の右手には絵馬トンネル。奉納された絵馬が鳥居形のトンネルになって掲げられる。
見た目も華やかでこうした境内整備は喜ぶ方も多いだろう。
乳銀杏とも呼ばれる御神木・朝日の大銀杏
社殿の裏手に御神木の大銀杏。御神木の前には鳥居が置かれ整備されている。
推定樹齢は不明ではあるが、おそらく数百年になる立派な銀杏の木。
朝日の「大銀杏」として、参拝者が抱きつけるよう整備されている。
抱きつく事で御神木の力を頂けると云う。
①御神木に向かい軽く一礼して両手を大きく広げ抱きつきます。
②目を閉じ、心を穏やかにして約1分間深呼吸します。
③一歩下がって、感謝の気持ちをこめて深く一礼して下さい。
またこの大銀杏は、幹から根の一種である気根(コブ)が多数垂れているのが特徴的。こうした銀杏は各地で見る事ができるが、いずれも乳銀杏と呼ばれ崇敬を集めている事が多い。
乳房に似ている事から、子授け・安産・母乳が出るようになど、当社の乳銀杏も古くから信仰を集めている。
御朱印は社務所にて・ペットのお祓い・授与品も
近年はペットのお祓いを行っており、ペットの無病息災・長寿の御祈祷を求める方も多い。
授与品も色々と用意されており、中にはペット向けの授与品も。交通安全ステッカーもペット仕様のものを用意しているのが珍しい。
近年はペットも家族の一員として大切にする方も多く、そうした人には嬉しい対応であろう。
所感
川口市朝日周辺の鎮守である当社。
周辺には数多く氷川信仰の神社が鎮座しており、当社もそうした氷川信仰の一社。
古くは当地周辺4村の鎮守として崇敬を集め、おそらく地域の開拓と共に鎮守として創建したのであろう。
現在は「鎮守氷川神社」の兼務社となっているものの、神職の常駐もあり、平成の大造営によって綺麗に整備された境内など、大切に維持されているのが伝わる神社。
本務社の「鎮守氷川神社」が色々と努力されている神社であり、その良い影響がこちらまで届いているのだろう。
隣の朝日中央公園では多くの子供達やご家族が遊んでいて、子供の笑い声が届く、地域と密着した良い鎮守であると思う。
神社画像
[ 鳥居・社号碑 ]
[ 鳥居 ]
[ 手水舎 ]
[ 拝殿 ]
[ 本殿 ]
[ 狛犬 ]
[ 撫で大黒天 ]
[ 案内板 ]
[ 境内風景 ]
[ 厄割石 ]
[ 案内板 ]
[ 絵馬掛 ]
[ 境内社 ]
[ 大国神社 ]
[ 須賀神社 ]
[ 出世稲荷神社 ]
[ 御神木(大銀杏) ]
[ 社務所 ]
[ 石碑 ]
[ 案内板 ]
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