神社情報
元郷氷川神社(もとごうひかわじんじゃ)
御祭神:素盞鳴命・市杵島姫命
相殿神:倉稲魂命・菅原道眞公・大山咋命・火産霊命・奥津比古命・奥津比賣命
社格等:村社
例大祭:10月第3日曜
所在地:埼玉県川口市元郷1-30-2
最寄駅:川口元郷駅
公式サイト:http://www.motogo-hikawajinja.com/
御由緒
当社は室町後期に当地を治めていた岩槻方の武将、平柳蔵人により武蔵國一宮氷川神社を勧請し創建されました。平柳氏の領する地は、平柳領十五ヶ村(元郷村、弥兵衛新田村、領家村、新井方村、十二月田村、樋爪村、二軒在家村、上新田村、中居村、小淵村、辻村、前田村、川口村、飯塚村、浮間村)と呼ばれ、元郷はその本村であり、平柳蔵人は自身が治める地域の安寧を祈願し、館を構える元郷に社を建てたのです。そして鎭座以来数百年間に亘り、地域の鎮守神として氏子に崇敬されてきました。
主祭神は、素盞嗚尊ならびに市杵島姫命の二柱の神様です。この二柱の神様は父と娘の間柄であることから、子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神として信仰を集めております。
「子は全ての宝物にも勝る何よりの宝」であり、子孫繁栄は家の幸せの象徴でもあります。その子宝(子授け)成就・子孫繁栄に霊験灼たかな社であることから「しあわせの宮」と称されております。(頒布の資料より)
参拝情報
参拝日:2018/01/31
御朱印
初穂料:400円
社務所にて。
※季節を感じる事ができるよう植物の印が月替りで変更となる。
※2017年6月より初穂料を400円に変更し、境内整備に充てるとの掲示あり。
歴史考察
しあわせの宮と称される元郷鎮守の氷川様
埼玉県川口市元郷に鎮座する神社
旧社格は村社で、旧元郷村の鎮守。
平柳領十五ヶ村の本村であった元郷村鎮守として崇敬を集め、かつては「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていたと云う。
この地域に数多く存在する氷川信仰の神社で、地名から「元郷氷川神社」と呼ばれる。
主祭神として素盞鳴命・市杵島姫命の父娘を祀る事から、子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神とされており、現在は「しあわせの宮」と称され信仰を集めている。
室町時代後期に領主・平柳蔵人によって創建
社伝によると、室町時代後期に創建と伝わる。
当地を治めていた平柳高綱(平柳蔵人)が、霊夢により「武蔵一宮氷川神社」を勧請したと云う。
岩槻城(現・さいたま市岩槻区)城主であった太田資正(おおたすけまさ)の家臣で、南平地域を中心に活躍。
官職から平柳蔵人(くらんど)と称される事が多い。
平柳高綱は、永禄七年(1564)の後北条氏との戦い「国府台合戦(現・千葉県市川市国府台)」で討死したと伝えられているため、当社はそれまでに創建していたと推測できる。
平柳領十五ヶ村の本村であった元郷村
平柳高綱が所領する地は「平柳領十五ヶ村」と呼ばれた。
中でも高綱が館を構えた元郷村は15もの村の中でも本村であった。
当社はそうした元郷村の鎮守として創建。
創建当時はもっと荒川沿いに鎮座していたと伝わる。
以後、高綱の死後も一帯は武蔵国足立郡平柳領と呼ばれ続ける事となり、当社は元郷村の鎮守として崇敬を集めた。
四ノ宮と称された江戸時代・新編武蔵風土記稿に記された当社
元和八年(1622)、現在の地に遷座。
荒川の度重なる水難を避けるために遷されたと云う。
この頃の当社は「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていた。
そのため扁額には「四ノ宮 氷川大明神」の文字が残る。
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(元郷村)
氷川社
村の鎮守なり。四郎の宮と称す。其故を知らず。昔平柳蔵人霊夢の告によりて大宮町の氷川を勧請せしと云、本地正観音は蔵人が守護佛にて運慶の作なりと云。當社は荒川の堤際にありしを元和八年九月水難を避て今の地へ移せしと云。
末社。稲荷社。疱瘡神社。牛頭天王社。
別當仙學院(以下略)
元郷村の「氷川社」と記されているのが当社。
村の鎮守と書かれており、「四郎の宮」と称していたとある。
但し、「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていた由緒は不詳とある。
本地仏として領主・平柳高綱(平柳蔵人)の守護仏が祀られていて、運慶作と伝わっていた。
また上述のように荒川沿いに鎮座していたが、水難を避けるために遷座した旨も記されている。
別当寺は「仙學院」(現・廃寺)が担っていた。
明治以降の歩み・南平地区の経緯
明治になり神仏分離。
当社は元郷村の鎮守として村社に列した。
明治二十二年(1889)、町村制が施行され元郷村・平柳領領家村・新井方村・十二月田村・樋爪村・二軒在家村・弥兵衛新田の7ヶ村が合併し、南平柳村が成立。
当地は南平柳村元郷となり地域からの崇敬を集めた。
明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、今も昔も変わらない。
氷川社と記されているように当地の目印になるような神社であった。
南平柳村と元郷の地名が残る。
周辺の多くは田畑であり、大変のどかな農村だった事が分かる。
明治から大正にかけて、近隣の神社が数多く合祀される。
戦後になり境内整備が行われていく。
父娘の神を祀る事から、子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神として信仰を集め、「しあわせの宮」と称され現在に至る。
平成二十九年(2017)11月より、川口市内の9社による御朱印巡り「川口九社詣 勾玉巡り」が開始。
当社はそのうちの一社となっている。
境内案内
住宅街に鎮座・幕末に再建された鳥居
最寄駅の川口元郷駅から東へ数分の距離に鎮座。
住宅街の一画に細い参道が設けてあり、幟が出ている。
路地のような参道を抜けるとその先に鳥居。
安政二年(1855)の文字を見る事ができ、当時の鳥居が現存しているのだろう。
鳥居には保護される形で扁額が掲げられており、格子状になっているので分かりにくいが、石製で「氷川社」と記され二匹の龍の彫刻を見る事ができ、かなり見事なものに見受けられる。
鳥居を潜ると左手に手水舎。
綺麗に整備されていて清める事ができる。
朱色の社殿・四ノ宮と記された扁額・立派な天水桶
参道の正面に朱色の社殿。
昭和四十五年(1970)に竣功したもので、今も状態よく維持されている。
拝殿に掲げられている扁額には「四ノ宮 氷川大明神」の文字。
『新編武蔵風土記稿』にも由来は不詳と記されているが、当社が古くは「四ノ宮」「四郎ノ宮」と呼ばれていた歴史を伝える。
本殿は覆殿に保護される形で鎮座。
拝殿前には一対の立派な天水桶。
古くから歴史ある川口の特産・鋳物で作られた天水桶には「奉納氷川神社」の文字や神紋を見る事ができる。
子宝成就や子孫繁栄の神・安産に霊験がある狛犬
当社の主祭神は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の二柱。
父と娘の関係にあたる事から、「子宝成就・子孫繁栄の神」として信仰を集めている。
そうした中で、宗像三女神の一柱であり弁財天と習合した市杵島姫命が、素盞鳴尊と共に主祭神として祀られる事は比較的珍しい。
夫婦ではなく父娘で祀る珍しい氷川神社と云える。
社殿の前にある一対の狛犬は古くから安産に霊験があるとされる。
そのため狛犬を撫でる方が多いと云う。
台座には天保十二年(1841)の文字。
古くから当社を見守っている狛犬である。
社殿横にある多くの境内社や石碑
参道の左手には境内社が多く鎮座。
『新編武蔵風土記稿』には末社として稲荷社・疱瘡神社・牛頭天王社が記載されている。
明治から大正にかけて近隣に祀られていた神社が合祀・遷座されたものが多い。
一番奥は「天満宮」で、江戸時代の頃、別当寺「仙學院」持ちの天神社があったようなのでそれであろうか。
他にも一画には多くの石碑が置かれている。
当地周辺の富士講によるものか、富士登山記念碑や参拝記念碑などが並び、戦前のものが多く当地の歴史を伝える。
季節を感じさせる月替りの御朱印・男女一対の子守勾玉
当社の御朱印は月替りの御朱印。
季節を感じる事ができるよう植物の印が月替りで変更となる。
1月に頂いた際は福寿草で、「しあわせの宮」と称される当社らしく、中には「幸」の文字が隠れていた。(挟み紙も切り絵風のものなど用意しているとのこと)
毎月の御朱印については公式ブログに情報が出ているのでそちらをご覧頂きたい。
また、2017年11月より、川口市内の9社による御朱印巡り「川口九社詣 勾玉巡り」が開始され、当社はそのうちの一社となっている。
更に授与品として「子宝勾玉」というものを用意しているのが特徴的。
緑と桃の2種類の天然石(翡翠)の勾玉で、男女一対で夫婦で持つ御守。
子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神とされる当社らしい御守となっている。
所感
川口市の元郷鎮守である当社。
室町時代に当地の領主であった平柳蔵人によって創建された歴史を持つ。
領地を平柳領十五ヶ村と呼び、元郷村はその本村とされ中心であり、そうした地の鎮守として崇敬を集めた。
平柳領は江戸時代以降も武蔵国足立郡平柳領と呼ばれ、明治になり村の合併で南平柳村が成立、これが現在も周辺を南平地区と呼ぶ事に繋がるなど、今も僅かにその名を残している。
当社の歴史を見てもかつて「四ノ宮」「四郎ノ宮」と呼ばれた謎や、氷川信仰にしては珍しい夫婦神ではなく父娘神を祀る事など、色々と興味深い。
御朱印など色々な努力も伝わり、現在は「しあわせの宮」と称される良社である。
神社画像
[ 参道 ]
[ 鳥居 ]
[ 参道 ]
[ 手水舎 ]
[ 拝殿 ]
[ 本殿 ]
[ 天水桶 ]
[ 狛犬 ]
[ 社務所 ]
[ 御籤掛 ]
[ 境内風景 ]
[ 石碑 ]
[ 境内社 ]
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