神社情報
前川神社(まえかわじんじゃ)
御祭神:勢貴大明神(多岐都比売命・多紀理毘売命・狭依毘売命)
相殿神:大日靈尊・猿田彦命・菅原道真公
社格等:延喜式内小社(論社)・村社
例大祭:10月17日
所在地:埼玉県川口市前川3-49-1
最寄駅:蕨駅・西川口駅・新井宿駅
公式サイト:https://www.maekawajinja.com/
御由緒
当神社は「勢貴大明神(せきだいみょうじん)」と申し上げる三柱の女神様を主祭神としてお祀りしております。
創建の由来は、永正九年(1512年)の落雷により社殿、縁起等古文書も焼失した為明らかではありません。
宝永七年(1710年)に別当東福寺盛覚が記した『縁起』(当社蔵)によると、当神社御祭神は延喜式神名帳武蔵国足立郡四座の内の「多気比売命(たけひめのみこと)」であると伝えております。
文政十三年(1830年)に完成した『新編武蔵風土記稿』によると、祭神は「多気津姫命」としており、長い歴史を経て「多気比売」が「多気津姫」、「多岐都比売」へ。また、「女神」「水徳の神」という共通項から現在の御祭神に変遷していったことが推察されます。
また、『縁起』には永正九年の雷火によって縁起、証文等を焼失した為、京都の吉田家を訪ね、神祇管領長上従二位侍従卜部朝臣兼敬より正一位勢貴大明神の宗源宣旨、宗源祝詞(共に当社蔵)を頂戴した旨が記載されており、これを機にそれまで堰社・関社(せきしゃ)と称していた当神社名を勢貴社(せきしゃ)と改めたとされております。
当神社は古代入間川(現荒川)の自然堤防上に水難守護の為に奉斎され、低地にあった当地域を洪水よりお護り頂いたとされています。大神様は荒振る河川を鎮め、洪水を塞ぎ止めた御神徳から厄災難・障害を塞ぎ(防ぎ)止め、心願を成就させる「塞神(さいじん、ふせぎがみ)」と称えられて参りました。「ふせぎ」とは一般的に「禦(ふせ)ぎ」「防(ふせ)ぎ」と表しますが、当神社では「厄災難を塞いで、防ぐ」御神徳より「塞(ふさ)ぎ」を「ふせぎ」とお読みしております。
当神社随神に「狛狗(はっく)」とお呼びする御獅子様がお祀りされております。この狛狗が渡御する神事を「塞祭(ふせぎまつり)」と呼び、戦前まで氏子地域の厄災難を祓う神事として斎行されておりました。
当神社の御朱印は、勢貴大明神と狛狗の両神様が厄災難の流入を塞ぎ止め、当地を守護してこられました御神徳をお称えし、厄災難除けの御印として塞神「前川神社」神印と「狛狗」の神印を押印しております。
明治六年四月、村社に列格。昭和四十年五月十五日、勢貴社を前川神社に改称。
※道祖神等の「塞神(さえのかみ)」とは由来の異なる別の神様です。
※当神社は氷川神社ではございません。(頒布の資料より)
参拝情報
参拝日:2018/10/02
御朱印
初穂料:500円
社務所にて。
※「前川神社」と「勢貴社印」の2種類あり。
※以前は初穂料300円だったが2019年9月より初穂料500円に変更。
御朱印帳
初穂料:1,300円
授与所にて。
オリジナルの御朱印帳を用意している。
当社の御朱印にも押印されている狛狗(おししさま)がデザインされたもの。
黒を基調とした格子柄。
※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。
授与品・頒布品
おししさまステッカー
初穂料:500円
社務所にて。
歴史考察
前川鎮守・災厄難除けの塞神・勢貴大明神
埼玉県川口市前川に鎮座する神社。
『延喜式神名帳』に記載された式内社(小社)「多気比売神社」に比定される論社の一社。
旧社格は村社で、旧前川村・旧文蔵村の鎮守。
戦前まで塞祭で使用されていた狛狗(おししさま)が、当社の象徴として、授与品など至るところにデザイン。
古くから現在に至るまで、災厄難除けの塞神として信仰を集めている。
水難守護の為に祀られた塞神
創建年代は不詳。
縁起によるとかなりの古社であったと伝わる。
古くは入間川(現・荒川)の自然堤防上に水難守護の為に奉斎。
低地にあった当地域を洪水より守護し、前川村の鎮守であったと云う。
村の前方に入間川(現・荒川)と云う大きな川が流れていた事に由来。
入間川は江戸時代に行われた荒川の西遷工事により現在の荒川へ掛けかえられ、前川村の入間川は途絶える事となったため、現在近くを流れる芝川は別の流れとなっている。
河川を鎮め、洪水を塞ぎ止める御神徳から、厄災難・障害を塞ぎ(防ぎ)止め、心願を成就させる「塞神(さいじん/ふせぎがみ)」と称された。
塞神として一般的なのは「塞の神(さえのかみ)」として知られる道祖神。
村や部落の境にあって、他から侵入するものを防ぐ神である。
但し、当社の塞神は、この「塞の神(さえのかみ)」とは由来が異なる別の神だと云う。
勢貴大明神を号した由来・正一位の神位を拝受
当地付近は入江で堰があったが、利き目があまりなかったため不利の堰と呼ばれた。
洪水の時には数度に及びこの地に被害をもたらしたため、水難守護の為に当社が創建。
「塞神(さいじん/ふせぎがみ)」と呼ばれた当社であるが、こうした伝承から「関の社」とも称し、これが後に「勢貴社(せきしゃ)」に転訛したと見られている。
永正九年(1512)、落雷によって社殿と共に縁起等古文書が焼失。
神祇官吉田家から宗源宣旨により正一位の神位を拝受。
これを機に「勢貴社(せきしゃ)」に改めたと云う。
神社における神階の最高位。
江戸時代の神社は、吉田神道の吉田家が、神道本所として全国の神社・神職をその支配下に置いており、地方の神社に神位を授ける権限を与えられていた。
そのため、古くからこの塞神を「勢貴大明神(せきだいみょうじん)」と称し崇敬を集めた。
現在は「多岐都比売命・多紀理毘売命・狭依毘売命」(いわゆる宗像三女神)を祀る。
「宗像大社」(福岡県宗像市)を総本宮として、日本全国各地に祀られている三柱の女神の総称で、航海の安全や交通安全などを祈願する神様として知られる。
式内社「多気比売神社」の論社とされる縁起
延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』では、小社に列格する「武蔵国足立郡 多気比売(たけひめの)神社」と記載されている神社が、当社であると伝えられる。
これにより当社は延喜式内社(式内社)の論社とされる。
『延喜式神名帳』に記載された神社を、延喜式内社(式内社)と云う。
また該当する神社に比定される神社を論社と云う。
当社の縁起によると、式内社「多気比売(たけひめの)」が、長い歴史を経て現在の御祭神になったと伝わる。
現在はこうした縁起から当社の御朱印には本宮神印として「勢貴社印」を授与。
「延喜式内 多気比売命」の墨書きが添えられる。
文蔵村の御神像が洪水で流され3度も辿り着いた伝承
当社に残る『神社日記』(年不詳)によると、文蔵村(現・さいたま市南区文蔵)と前川村(現在の当地)の伝承が残る。
十祖神の御神像は、洪水の度に流されて前川の堰(せき)に漂着。
2度は文蔵村に返却したものの、再び漂着。
3度も漂着したのであれば、よほど前川に留まりたいのであろうと拝察。
当社内に奉斎したと云う。
当初はこの十祖神は別殿であったが、社殿の老朽化により宝暦年間(1751年-1764年)に、当社本殿に合祀。
そのため当社は前川村の鎮守だけでなく、文蔵村の半分を鎮守とした。
前川村と文蔵村の鎮守とされるのはこのためである。
新編武蔵風土記稿から見る当社
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(前川村)
勢貴明神社
祭神は多気津姫命。當村及び文蔵村の鎮守とす。相傳ふ古此地川に添たる故、屡洪水ありしかば水災守護のために勧請し、洪水を堰留るの心にてかく號すと云。一説に始は文蔵村に勧請せしが水の時流れ来りし故是に祀れりと云。
末社。稲荷社。住に神社。辨天社。
別當東福寺
新義真言宗。慈林村寶厳院門徒。本尊金剛界大日を安置せり。
前川村の「勢貴明神社」として記されているのが当社。
御祭神は多気津姫命と記してあり、現在の多岐都比売であろう。
御由緒にある通り、水災守護のために勧請された事、前川村と文蔵村の鎮守と云う事と、文蔵村から流れてきたといった故事も記してある。
別当寺は「宝厳院慈林寺」(川口市安行慈林)が担った。
天平十三年(741)、聖武天皇の勅願によって行基が薬師堂として創建。
寛永十九年(1642)、徳川幕府より寺領30石の朱印地を薬師堂領として拝領。
中本寺として周辺に数多くの末寺を擁していた。
明治以降の歩み・勢貴社から前川神社へ改称
明治になり神仏分離。
「勢貴明神社」から「勢貴社」に改称。
明治六年(1873)、村社に列した。
明治三十九年(1906)に測図された古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲っているのが当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
現在も残る前川と云う地名もあり、このあたりが前川村であった。
明治四十年(1907)、「字関下神社」「字島在家神明社」「山王社」を合祀。
大正十四年(1925)、社殿を改築。
旧社殿は祖霊社として使用される事となった。
昭和四十年(1965)、「勢貴社」から現在の「前川神社」へ改称。
その後も境内整備が進み現在に至る。
昭和五十二年(1977)、現在の社殿に造替。
この際に祖霊社殿として使用していた旧本殿を改めて当社の本殿に遷された。
平成二十八年(2016)、前川の区画整理事業によって住居表示変更。
前川町の地名がなくなり前川と本前川に変更。
境内案内
前川に鎮座・三之鳥居まである参道
最寄駅からはいずれもかなり距離があるため、公共交通機関を使用する場合は蕨駅もしくは西川口駅より国際興業バスを利用するのが望ましい。
また、参拝者専用駐車場(13台)も設けられている。
通りに面して立派な一之鳥居。
平成六年(1994)に建立されたもの。
社号碑には「前川神社」の文字。
一之鳥居を潜ると正面に境内社が一社。
持田稲荷と云うお稲荷様。
北に参道が続き、二之鳥居。
その奥に木製で保護された三之鳥居。
三之鳥居の扁額には正一位勢貴大明神の文字。
鉄筋コンクリート造の社殿・内本殿は川口市最古
三之鳥居を潜るとまっすぐ伸びた参道。
正面に朱色が鮮やかな拝殿。
昭和五十二年(1977)に鉄筋コンクリート造で造替。
状態もよく維持されている。
本殿も同様に造替されたもの。
但し、この内側に内本殿があり、これが大変古いもので川口市最古とも云われる。
大正十四年(1925)に社殿を改築した際に、旧社殿は祖霊社として使用。
昭和五十二年(1977)の社殿造替の際に調査すると、永正九年(1512)の落雷で社殿が焼失後に建てられたものであった事が判明。
現在は再び内本殿として本殿に置かれている。
川口市指定文化財、さらに川口市西湖の建造物とされている。
祖霊社の狛犬は江戸中期のもの・八坂神社
境内社は社殿の左裏手に祖霊社。
祖霊社の社殿の前に小さな狛犬が一対。
享保五年(1721)に奉納されたもので、ユニークな表情の狛犬。
更に参道途中の右手に八坂神社。
中には神輿が納められていて、神輿庫の役割も果たしている。
こちらも社殿前に小さくて可愛らしい一対の狛犬。
塞の象徴である獅子様(狛狗)・塞ぎ絵馬
当社の随神として勢貴大明神を守護する「獅子様(狛狗)」がある。
戦前まで続いていた毎年4月20日の「塞祭(ふせぎまつり)」で使用され、氏子地域を巡行し魔を払ったと伝わる獅子の面。
現在は当社のシンボルの1つになっていて、御神札や御朱印・御朱印帳の他、授与品などにも姿を見る事ができる。
おししさまと称され、親しまれている。
また絵馬掛けには塞の文字。
当社が河川を鎮め洪水を塞ぎ止める御神徳から、厄災難・障害を塞ぎ(防ぎ)止め、心願を成就させる「塞神(さいじん/ふせぎがみ)」と称された事に因む。
多くの絵馬が掛けられ崇敬の篤さが伝わる。
御朱印は前川神社と勢貴社印の2種類
「前川神社」「獅子様(狛狗)」の朱印と「塞神勢貴大明神」の墨書きが書かれたもの。
式内社論社の伝承から「勢貴社印」の朱印と「延喜式内多気比売命」の墨書きが書かれたものの2種類。
オリジナルの御朱印帳も用意。
こちらにも当社のシンボルである獅子様がデザインされている。
また、2017年11月より、川口市内の9社による御朱印巡り「川口九社詣 勾玉巡り」が開始され、当社はそのうちの一社となっている。
所感
前川鎮守として、地域からの崇敬を集めてきた当社。
永正九年(1512)の落雷によって縁起等古文書が焼失されてしまい詳細は明らかではないものの、古くから当地の水難守護のために創建されたのは間違いない。
堰から「堰社」「関社」などと呼ばれ、それが「勢貴社」となり、現在も「勢貴大明神」として祀られ、古くから「塞神」として信仰を集めた。
また「塞神」と云うと道祖神である「塞の神(さえのかみ)」が知られるが、当社は洪水を塞ぎ止めたという由来から来ており、「塞の神(さえのかみ)」とは由来を別にする神というのも面白い。
それだけ当地が洪水に悩まされたという歴史を伝えているとも云え、こうした伝承を含め、前川の歴史を伝える良い神社である。
神社画像
[ 社号碑・一之鳥居 ]
[ 持田稲荷 ]
[ 手水舎 ]
[ 二之鳥居 ]
[ 三之鳥居 ]
[ 参道 ]
[ 拝殿 ]
[ 本殿 ]
[ 案内板 ]
[ 狛犬 ]
[ 天水桶 ]
[ 絵馬掛 ]
[ 祖霊社 ]
[ 参集殿 ]
[ 社務所 ]
[ 休憩所 ]
[ 八坂神社 ]
[ 神楽殿 ]
[ 御神木 ]
[ 案内板 ]
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