鎮守氷川神社 / 埼玉県川口市

川口市

概要

文化的な面も知られる青木鎮守の氷川さま

埼玉県川口市青木に鎮座する神社
旧社格は村社で、旧青木村(下青木村)の鎮守。
市内に数多く存在する氷川信仰「氷川神社」のうちの一社。
地名から「青木氷川神社」と呼ばれる事もあったが、現在は公式に「鎮守氷川神社」としている。
横尾忠則作の『自立の炎』、はせがわいさお作『鎮守鎮守氷川神社の原風景の輝き』といった絵画が奉納されてたり、多くのミュージシャンがツアーの安全・成功祈願を行っていたりと、文化的な面でも知られる。
近年は御朱印にも力を入れている他、毎月15日頒布の横尾忠則コラボ御朱印帳も人気が高い。

神社情報

鎮守氷川神社(ちんじゅひかわじんじゃ)

御祭神:素盞鳴命・櫛稲田姫命
相殿神:天照皇大神・倉稲魂命・手力乎命・保食命・大国主命・菅原道真公・惶根命・面足命・建御名方命
社格等:村社
例大祭:10月20日
所在地:埼玉県川口市青木5-18-48
最寄駅:西川口駅・南鳩ヶ谷駅
公式サイト:https://chinjyu-hikawa.or.jp/

御由緒

都会の喧騒を抜けると
七百年の鎮守の森に包まれた古社がある──

鎮守氷川神社は室町時代(700余年前)の初期(応永年間)の創建にかかる地方(武蔵国)の古社で古来より時代時代に幾度か社殿が修復され再建されて来たが、明治17年に本殿、拝殿が再建された。
大正12年の大震災により拝殿、鳥居が倒壊した為、昭和天皇の御即位の御大典を記念し、昭和2年拝殿・鳥居等を再建し、昭和61年5月25日氏子崇敬者の御奉賛により、新社殿御造営大事業が成された。
御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神の御子である素盞鳴命を又、夫婦神として櫛稲田姫命を主祭神としてお祀りしている。
素盞鳴命が八俣の大蛇を退治したことから、厄祓い・厄除けの霊験あらたかであり、主祭神が夫婦神であることから縁結び、夫婦和合、そして子育ての御神徳がある神として崇敬されて今日に至る。
配祀神としては、日本で一番尊く皇室のご先祖である天照大神をはじめ、衣食住はもとより諸々の産業の開運の神々が鎮座されている。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2020/10/12(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2019/10/20(御朱印拝受)
参拝日:2018/04/10(御朱印拝受)
参拝日:2018/01/31(御朱印拝受)
参拝日:2015/08/26(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:500円(通常)・800円(例大祭限定)
社務所にて。

※時期によって御祭神の素盞鳴尊の印影の色が変わり、全4色集めると金色の印影を押して頂ける。
※祭事に合わせて数量限定の「御朱印符」と呼ばれる書き置き御朱印あり。
※月日の数字が揃った日(6月6日/7月7日など)はクシナダヒメの印の御朱印が頂ける。
※案内はないが兼務社「上青木氷川神社」の御朱印も頂ける。

素盞鳴尊印の色
紫色:1月15日-3月末まで
緑色:4月1日-6月下旬まで
青色:7月2日-9月末まで
赤色:10月1日-12月下旬まで
御朱印の受付時間は9:00-16:30まで。(日によって14:00-16:30まで)

御朱印帳

初穂料:1,300円・2,500円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
石見神楽と素盞鳴尊がデザインされた御朱印帳。(1,300円)
横尾忠則作のポスターをモチーフにした御朱印帳。(2,500円)

御朱印帳情報
横尾忠則コラボ御朱印帳は毎月15日に100冊限定での頒布。
※15日朝7時より整理券配布。緊急事態宣言を受け未定。

公式サイトより)

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

授与品・頒布品

バイク自転車用ステッカー
初穂料:300円
社務所にて。

※2015年に頂いた際は200円だったが2020年は300円に変更。

歴史考察

室町時代に創建・青木村の鎮守

創建については不詳。
社伝によると、室町時代初期の応永年間(1394年-1427年)に創建と伝わる。

氷川神社が多い川口市
川口市には、氷川信仰の総本社「武蔵一宮氷川神社」(さいたま市大宮区高鼻町)の祭祀圏の中にあり、「武蔵一宮氷川神社」から勧請の氷川信仰の神社が大変数多く鎮座。
特に室町時代に創建した氷川神社が多い。
いずれも開拓の神として知られる氷川神を、村の開拓にあたり鎮守としたと推測される。
武蔵一宮氷川神社 / 埼玉県さいたま市
武蔵国一之宮。氷川神社総本社。氷川の由来・大宮の地名由来。埼玉や東京に点在する氷川信仰。見沼の水神を祀る太古の信仰。出雲族の移住と出雲の神。明治天皇が関東の神社で最初に行幸。約2kmの氷川参道。国費で改築・楼門や社殿。限定御朱印。御朱印帳。

当社も氷川信仰の神社で「氷川社」と称され、足立郡芝郷青木村の鎮守として崇敬を集めた。

創建から江戸時代にかけて、幾度かの社殿造営が行われたと云う。

江戸時代に幾度も社殿造営された記録

江戸時代に入ってからも多くの社殿造営の記録が残る。

慶長十二年(1607)、社殿造営。
寛永四年(1627)、拝殿と本殿を建立。
宝永八年(1711)、拝殿と幣殿を建立。

定期的に社殿の造営が行われている事から、氏子崇敬者より信仰を集めていた事が窺える。

万延元年(1860)、境内に富士塚を造営。
現在の富士塚はこれを再整備したものとなっている。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(下青木村)
氷川社
村の鎮守なり。勧請年代は知らざれど、社頭に掛たる鰐口に依先之鰐口中絶求之也とあり。此慶安二年のものなれば、其以前造立の社なる事知るべし。
随身門。
石鳥居。
鐘楼。元禄十三年新造の鐘をかく。
末社。稲荷社。弁天社。
別當般若院
本山修験中尾村玉林院配下。栗崎山薬師寺と号す。本尊不動を安ぜり。

下青木村の「氷川社」と記されているのが当社。
青木村は上青木村・下青木村に分村していて、「村の鎮守なり。」とあるように当社は下青木村の鎮守であった。

上青木村鎮守は、現在は当社の兼務社「上青木氷川神社」。そちらの社伝によると文明二年(1470)に創建と伝わる事から、この頃に青木村が上下に分村したと見られる。
上青木氷川神社 / 埼玉県川口市
上青木鎮守の氷川さま。芝川近くに鎮座する静かな境内。樹齢350年の御神木しいの木。室町時代中期に創建の伝承・青木村の分村。江戸時代・新編武蔵風土記稿に記された当社。神仏習合時代の名残である不動尊堂。本務社は「鎮守氷川神社」。御朱印。

創建年代は不詳ながら、社頭の鰐口(社殿や仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種)が慶安二年(1649)のものであるため、それ以前の建立と記してある。
随神門や鐘楼が整備され、神仏習合の元、中々に立派な境内だったようだ。

別当寺の般若院
別当寺は「般若院」(現・廃寺)。
足立百不動尊の第88番に数えられる寺院であった。
現在は不動尊堂として当社の境内にその面影が残る。

明治以降の歩み・多くの神社を合祀

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、村社に列した。

明治七年(1874)、別当寺であった「般若院」は廃寺。「般若院」の僧が復飾して当社の社家として祭祀を司ったと云う。

明治十七年(1884)、拝殿・本殿を再建。

明治二十二年(1889)、町村制が施行され上青木村・下青木村・前川村が合併し、青木村が成立。
当社は青木村鎮守の一社として崇敬を集めた。

明治四十年(1907)、近隣の「天神社」「稲荷社」「諏訪社」を合祀。

これらは当時の合祀政策の影響を強く受けたものであろう。

明治三十九年(1906)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、今も昔も変わらない。
青木村の下青木の地名が残る他、当社周辺は宮前という文字が残っており、鎮守である当社の前と云う意味で宮前と呼ばれていたのであろう。
橙円で囲ったのは当社の兼務社で上青木村鎮守「上青木氷川神社」。

上青木氷川神社 / 埼玉県川口市
上青木鎮守の氷川さま。芝川近くに鎮座する静かな境内。樹齢350年の御神木しいの木。室町時代中期に創建の伝承・青木村の分村。江戸時代・新編武蔵風土記稿に記された当社。神仏習合時代の名残である不動尊堂。本務社は「鎮守氷川神社」。御朱印。
川口オートレース場を始め周辺の多くは田畑であり、大変のどかな農村だった事が分かる。

大正十二年(1923)、関東大震災によって拝殿・鳥居が倒壊。
昭和二年(1927)、拝殿・鳥居を再建している。

戦後になり境内整備が行われていく。

昭和六十一年(1986)、社殿を造営。
これが現在の社殿として綺麗に整備。

平成二十七年(2015)、富士塚を再建。
その後も多くの境内整備が行われ現在に至る。

境内案内

川口オートレース場近くに鎮座

最寄駅は西川口駅もしくは南鳩ヶ谷駅だが、どちらかも徒歩15分程とやや距離がある。
川口オートレース場とオートレース通りを挟んだ先に鎮座。
南向きに表参道があり、綺麗に整備された境内が続く。
新しくなったばかりの社号碑には「鎮守氷川神社」の文字。

川口オートレース場も当社の氏子地域となる。
川口オートレース|Kawaguchi Autorace Official Website
埼玉県川口市にあるオートレース場。レーストピック、イベント情報、施設ガイド、競走車の特徴紹介など。
川口オートレース場がすぐ近くにありながらも静かな空間を保っているが、オートレース場の開催中や練習中は流石にバイクの轟音が響く。

鳥居を潜りすぐ左手に氷川太神の石碑。
氷川太神の文字の下に神代文字が記してある。

神代文字(じんだいもじ/かみよもじ)
漢字伝来以前に古代日本で使用されたとされる多様な文字の総称。
真贋が議論の対象となる事が多く、贋作とされるものも多い。
ヲシテ、筑紫文字、阿比留草文字など多くの種類がある。

石碑に記されている神代文字を現代語に訳すと以下の通り。

やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを
(八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を)

御祭神である素盞鳴尊(すさのおのみこと)が詠んだ日本初の和歌。

綺麗に整備された境内・幕末の石灯籠

綺麗に整備された参道が続く。
境内は久しぶりに参拝するとどこかしら再整備されていたりと次々と魅力的に。

境内に入ってすぐ右手に厄割石。
厄落としに使われる石。
投げつける厄割玉は社務所で授与している。

参道途中右手に手水舎。
綺麗に手入れされた境内。

手水舎近くにある一対の石灯籠が古い。
慶應三年(1867)の奉納で幕末のものが現存。

参道途中にある「縁結びの木」・三対の狛犬

参道途中、左手に立派な御神木。
椋(むく)の木で、2本の椋の木が根元で1つに結ばれている。
この事から「縁結びの木」として崇敬を集める。

当社の御祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)・櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)の夫婦神。縁結びの御神徳があるとも云われる。

参道には三対の狛犬。
鳥居前に置かれた狛犬は最も新しい。
少し個性的な表情をした岡崎現代型。

参道途中、縁結びの木の近くにも狛犬。
狛犬は大正十五年(1926)に奉納されたもの。
こちらはズシンと存在感がある。

拝殿前の狛犬が最も古い。
嘉永四年(1851)に奉納された狛犬。
江戸後期のものであるが中期頃のような特徴的な狛犬。
良い状態で維持されている。

拝殿前には古い百度石。
江戸時代最後の年である慶應四年(1868)に奉納された百度石。

戦後に再建された権現造りの社殿

社殿は昭和六十一年(1986)に造営されたもの。
創建以来、幾度も社殿の造営が行われた歴史をもつ。
関東大震災で倒壊した拝殿は戦前に再建、戦災を免れたものの老朽化によって現在のものに造替。
扁額には「鎮守氷川神社」の文字。
権現造りの社殿。
綺麗に維持されており氏子崇敬者の想いが伝わる。

拝殿前の左手にある木は桜で、筆者は桜の季節に参拝した事がないのだが、桜の季節になると境内を美しく彩ると云う。

綺麗に整備された富士塚・安産の撫で犬

鳥居を潜って参道左手に富士塚が整備。
もともと氏子の富士講によって万延元年(1860)に造営された富士塚があったと云う。
戦前の昭和初期より手入れされておらず状態が悪かった富士塚を、平成二十七年(2015)に再建。
年中登拝する事が可能となった。

富士塚(ふじづか)
富士信仰(浅間信仰)に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚。
本物の富士山に登拝するのは困難でも富士塚に登って富士を拝めば霊験あらたかとされ、江戸を中心に関東圏には数多くの富士塚が築山される事となった。

浅間信仰(富士信仰)である浅間神社は富士塚の麓に鎮座。
富士塚を登った頂上には奥宮。
奥宮の隣には撫で犬が置かれている。
安産・子育て・家内安全で撫でると良いと云う。

犬は安産の守り神
犬は沢山の子を産み、お産が軽い事から「安産の守り神」として古くから崇敬を集めた。
「戌の日(いぬのひ)」の安産祈願などがその最たるもの。
また、浅間信仰の御祭神・木花咲耶姫(このはなのさくやびめ)は、火の中で皇子を出産したと云う故事から子宝・安産の御神徳として知られている。
こうした故事から富士塚の上に撫で犬が置かれたものと思われる。

抱きつくと力を貰える「元気の木」大欅

社殿の裏手に御神木である大欅。
通称「元気の木」と呼ばれる御神木で、樹齢400年以上。
生き生きとした姿から、木に抱きつくと「大いなる力を頂ける」と伝えられている。
冬は葉が落ちるが春になると力強い緑となる。
御神木の隣に案内板が掲げられているので参考にするとよいだろう。

御神木の力をいただく作法
①御神木に向かい軽く一礼をして両手を大きく広げ抱きつきます。
②目を閉じ、心を穏やかにして約一分間深呼吸します。
③一歩下がって、感謝の気持ちを込めて深く一礼して下さい。

多くの境内社・中には不動尊堂も

社殿の裏手には多くの境内社が鎮座。
朱色の鳥居が連なる先に稲荷神社。
小さな神狐像が数多く置かれている。
信仰の篤さが窺える。

その右手に古峰神社。
日本武尊を祀る。

社殿裏手の左手にも境内社が並ぶ。
元気の木の左手に三峰神社。

更に左手に天神様こと天神社。
学業の神様として信仰を集めている。
この一画には学業の神に願う合格祈願絵馬。

更に不動尊堂。
これがかつて当社の別当寺「般若院」(現・廃寺)に祀られていた不動明王。
足立百不動尊の第88番に数えられる寺院であったが廃寺となり、当社に神仏習合時代の面影が残る。

手前に磯前神社。
大黒様と習合した大己貴命を祀る。

更に弁天社。
江戸時代の地誌に末社として稲荷社・弁天社が記されていたので、古くから祀られていた末社。

境内に隠された七福神像

境内には小さな七福神像が置かれている。
このように案内板が置かれているのでこれを目印にできる。
中には隠されるように置かれている像もあるので境内をじっくりと見ながら散策するのをオススメ。

稲荷神社の鳥居近くに毘沙門天像。
本殿の裏手付近に恵比寿像。
本殿左手に大黒天像。
弁天社の奥に弁財天像。
縁結びの木に寿老人像。
参道左にある石碑の上に福禄寿像。
富士塚の一画に隠れるように布袋尊像。
幾つか見つけにくい場所があるものの境内散策をしながら楽しくお参りができる。

横尾忠則作絵画の奉納やミュージシャンのツアー祈願など文化的な側面

当社には宝物として、横尾忠則作『自立の炎』という絵画が奉納されている。
平成六年(1994)の社務所新築に合わせて奉納されたもの。

更に『吉兆』『スサノオ』という作品を残していて、中でも『スサノオ』は当社の御朱印帳のデザインにも採用。
横尾忠則(よこおただのり)
日本の著名なグラフィックデザイナー。
1960年代から革新的なポスターデザインやアルバムのジャケットイラストを多く手がけ、様々な賞を受賞。
国際的に高い評価を受ける。

他にもはせがわいさお作『鎮守鎮守氷川神社の原風景の輝き』と云う絵画が奉納。

いずれも公式サイトで見る事ができる。2015年に参拝時は参拝した際は社務所にて声をかけると見せて頂く事ができた。
ご由緒・宝物 |
鎮守氷川神社は室町時代(700余年前)の初期(応永年間)の創建にかかる地方(武蔵国)の古社で古来より時代時代に幾度か社殿が修復され再建されて来たが、明治17年に本殿、拝殿が再建された。 大正12年の大震災により拝殿、鳥居が倒壊した為、昭和天

また、多くのミュージシャン(森山直太朗・YUKI・Superfly・SCANDAL・BABY METAL・ウルフルズ・Perfumeなど)がツアーの安全・成功祈願を行っている事でも知られる。

このように文化的な活動も多く行っており、宮司によると「神社は文化伝統の宝庫であるとともに、未来を映す”鏡”的な役割を果たさなくてはならない。」公式サイトより)というコンセプトのもと活動を行っている。

スサノオの印影が特徴的な御朱印

御朱印は参道右手の社務所にて。
授与品も豊富に用意している。

案内はないが兼務社「上青木氷川神社」の御朱印も頂ける。
上青木氷川神社 / 埼玉県川口市
上青木鎮守の氷川さま。芝川近くに鎮座する静かな境内。樹齢350年の御神木しいの木。室町時代中期に創建の伝承・青木村の分村。江戸時代・新編武蔵風土記稿に記された当社。神仏習合時代の名残である不動尊堂。本務社は「鎮守氷川神社」。御朱印。

当社の御朱印で特徴的なのは御祭神の素盞鳴尊(すさのおのみこと)の印影。
時期によって御祭神の素盞鳴尊の印影の色が変わる。
全4色集めると金色の印影を押して頂ける。

素盞鳴尊印の色
紫色:1月15日-3月末まで
緑色:4月1日-6月24日まで
青色:7月2日-9月末まで
赤色:10月1日-12月24日まで

例大祭限定御朱印符・令和より神話シリーズを開始

他にも祭事に合わせて数量限定の「御朱印符」と呼ばれる書き置き御朱印を用意。

中でも例大祭限定御朱印は「神話シリーズ」としてストーリー仕立てになっていて個性的。
令和元年(2019)の例大祭限定御朱印符。
令和二年(2020)の例大祭限定御朱印符。

例大祭御朱印・神話シリーズ
令和の御代を祝して、令和元年の例大祭限定御朱印より「神話シリーズ」を開始。
令和元年は『八岐大蛇退治の序』。
令和二年は『八岐大蛇退治 其の弐』。
神社によると6-7年かけて例大祭限定御朱印で、御祭神の素盞鳴命と櫛稲田姫命が結ばれるまでの神話を描くとの事。
※第一弾の令和元年例大祭御朱印は同年10月14日-20日まで授与。第二弾の令和二年例大祭御朱印は同年10月12日-25日まで授与。

石見神楽と横尾忠則コラボ御朱印帳

オリジナルの御朱印帳も用意。
当社が「氷川神社」の中では最初にオリジナルの御朱印帳を用意したと云う。

公式サイトより)

中でも平成二十八年(2016)より頒布を開始した「鎮守氷川神社×横尾忠則」の御朱印帳は頒布開始当時から人気で話題を呼んだ。

御朱印帳情報
横尾忠則コラボ御朱印帳は毎月15日に100冊限定での頒布。
※15日朝7時より整理券配布。

所感

川口市の青木鎮守である当社。
周辺には数多く氷川信仰の神社が鎮座しており、当社もそうした氷川信仰の一社。
川口オートレース場のほぼ隣といってよい立地に鎮座しているものの、整備された境内は清々しく静けさを感じる空間なのが素晴らしい。
文化的な側面の他、御朱印などにも力を入れており、人気を博している。
色々努力されているのが伝わる神社で、そうした努力の結果いつも賑わう神社となっている。
参拝者の事を考えた心遣いなども随所に見られ、対応も心地よく、気持ちよく参拝できる良社である。

Google Maps

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