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概要
富士山を眺望できる多摩川沿いの浅間神社
東京都大田区田園調布に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧下沼部村(現在の田園調布周辺)の鎮守。
正式名称は「浅間神社」だが、他との区別のため「多摩川浅間神社」とさせて頂く。
参道が富士塚のように富士登山を模しており、社殿は都内唯一の浅間造となっているのが特徴。
また当地は古墳が発掘されており、古墳の上に鎮座する神社である。
境内に展望スポットがありそこから富士山を眺望できるのが特徴的。
近年では月替りのカラフルな御朱印も人気。
また『シン・ゴジラ』や『大恋愛』など映画やドラマのロケ地としても知られる。
神社情報
多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)
御祭神:木花咲耶姫命
相殿神:伊佐那岐ノ命・菊理姫命・伊佐那美ノ命・速玉之男命・事解之男命
社格等:村社
例大祭:6月1日
所在地:東京都大田区田園調布1-55-12
最寄駅:多摩川駅
公式サイト:https://www.sengenjinja.info/
御由緒
当社は今から八百年前の創建と伝えられ、鎌倉時代の文治年間(1185〜90)右大将源頼朝は、豊島郡滝野川松崎に出陣しました。
夫の身を案じた妻政子は後を追いましたが、わらじの傷が痛み出し、やむなく多摩川畔で傷の治療をする事になりました。
逗留中に亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると、富士山が実に鮮やかに見えました。
富士吉田には、自分の守り本尊である「浅間神社」があります。
政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身に着けていた「正観世音像」をこの丘に建て、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、長く尊崇しました。
これが「多摩川浅間神社」のおこりです。
承応元年(1652)5月、浅間神社表坂の土どめ工事の際、九合目辺りから唐銅製の正観世音の立像が発掘されました。
多摩川で泥を洗い落としてみると、片足がありません。そこで足を鋳造してお祀りし、6月1日に神事を行いました。
以来、ご祭礼は6月に行っております。(頒布の資料より)
歴史考察
北条政子にまつわる創建の伝承
社伝によると、文治年間(1185年-1190年)に創建と伝わる。
当社には北条政子にまつわる伝承が残っている。
鎌倉幕府の初代征夷大将軍・源頼朝の正室で、伊豆国の豪族・北条時政の長女。
頼朝が鎌倉幕府を樹立すると「御台所」と呼ばれ、夫の死後に落飾して「尼御台」と呼ばれた他、幕政の実権を握ったため「尼将軍」とも称された。
源頼朝が豊島郡滝野川松崎(現在の北区滝野川付近)に出陣。
夫の身を案じ後を追って多摩川までやってきた北条政子だが、わらじの傷が痛み出し、やむなく当地で傷の治療をする事となった。
その際に当地近くの亀甲山へ登ってみると、自分の守り本尊の「浅間神社」がある富士山が鮮やかに見えた事で、頼朝の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てた。
それ以来、村人たちは政子が建てた正観世音像を「富士浅間大菩薩」と呼び崇めたと云う。
これが当社の起こりとされている。
古墳の上に鎮座・多くの古墳群
当社を含めた当地は「荏原台古墳群」と呼ばれる古墳群の一画となっている。
多摩川によって作られた標高30-40mの河岸段丘上に50基あまりの古墳が分布しており、これらを「荏原台古墳群」と呼ぶ。
特に多摩川台公園付近は「多摩川台古墳群」として、大きな古墳群が造られた。
当社に隣接する多摩川台公園にそれらの古墳群が多く存在。
地域最古の古墳(4世紀頃)「宝莱山古墳」や、地域最大の古墳「亀甲山古墳」などがある。
当社の鎮座地にも「浅間神社古墳」と云う古墳が存在。
6世紀前半に築造されたと見られる前方後円墳が発掘されている。
後円部は削平されて社殿が造られた事が窺え、当社は古墳の上に鎮座している神社となっている。
下沼部村の鎮守・江戸時代に正観世音像が発掘される
江戸時代初期、沼部村が上沼部村・下沼部村に分村。
当社は下沼部村の鎮守とされた。
沼部の由来は、多摩川の影響で水が豊富で沼地帯だったことに由来すると推測される。
主に北側が上沼部村とされ、南側が下沼部村とされた。
これら上沼部村・下沼部村の一帯が後に田園調布と呼ばれる一画となる。
承応元年(1652)、当社表坂の土留め工事をしていた際、九合目辺りから唐銅製の正観世音像が発掘された。
多摩川で泥を洗い落としてみると片足が欠けていたため、足を鋳造してお祀りし、6月1日に神事を行った。
以来、当社の例大祭は6月1日に行われるようになったと云う。
現在も6月第1日曜に例大祭を開催。
新編武蔵風土記稿に記された当社
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(下沼部村)
浅間社
除地。小名堀廻しの西の方二十四五歩ばかりの山上にあり。勧請の年暦等も詳ならず。祭礼は六月朔日なり。東光院のもちなりと云。
石龕。山の上中央の所にあり。一尺五寸四方、高さ三尺東向なり。本尊正観音は銅佛立像にて長八寸許。相傳此像は古佛にして此所へ垂跡ありし年代も詳ならず。一年洪水ありし時風雨ことに烈しくして社内も破壊せしかば、尊像の所在を失ふ。これに因て土人新に前立の木像を作りて安置せり。長八寸許。其後「今より七十年前を云」此所の大木の松樹かれしかば、別当より百姓等に課せて其根をほらしむるに、その邊より一体の尊像をほり出す。此時鍬にてかきしとて右のかひなを失ふ。されどそのままにありしかば、文化六年土人相はかりて冶工に命じて右の手を修理して是を安置す。その尊像及び前立の木佛共に今は別当寺におさめり。
華表。山の中腹にあり。幅七尺巽の方に向ふ。
下沼部村の「浅間社」として記されている。
下沼部村の鎮守であり、別当寺は「東光院」(現・大田区田園調布本町35)であった。
祭礼は6月朔日(1日)とあり、これは現在と変わらない。
こちらによると勧請年代は不詳とあり、北条政子の伝承などは記されていない。
但し、境内にあった「石龕(せきがん)」の項目に正観世音像の詳細が記されている。
山頂の中央に石龕があり、古くから正観世音像を本尊として祀っていたとあるが、この正観世音像は多摩川の洪水によって失ってしまい、新たに前立の木像を安置したとある。
その後、村民が一体の尊像を掘り出してみるものの、尊像の右手を失ってしまったため、文化六年(1809)に右腕を修理して、別当寺「東光院」に安置したという旨が記されている。
中腹には華表(鳥居のこと)が設けられていた事も分かる。
明治以降の当社と下沼部村の歩み
明治になり神仏分離。
下沼部村鎮守として、村社に列した。
明治二十二年(1889)、市制町村制によって、上沼部村・下沼部村・嶺村・鵜ノ木村が合併し、調布村が成立。
当社は調布村下沼部の鎮守とされた。
明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、当時も現在も鎮座地は変わらない。
調布村や下沼部という地名を見る事ができ、当社はこの一帯の鎮守であった。
当社に隣接するように「亀甲山」の文字が見え、現在の「多摩川台公園」は、当社の御由緒にある通り「亀甲山」と呼ばれていたのが分かる。
丸子橋も存在しておらず、昭和初期に丸子橋が架けられるまでは「丸子の渡し」と呼ばれる渡し舟で多摩川を渡っていた。
明治四十年(1907)、近隣にあった「赤城神社」「熊野神社」を当社に合祀。
大正時代以降に田園調布が誕生・戦後に社殿が造営
大正七年(1918)、渋沢栄一を中心として立ち上げられた「田園都市株式会社」によって、旧上沼部村と旧下沼部村の周辺は「理想的な住宅地である田園都市の開発」が行われる。
幕末から大正時代にかけての武士・官僚・実業家。
第一国立銀行など多くの銀行の設立を指導した他、東京証券取引所、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙、田園都市(現・東急)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、大日本製糖、明治製糖など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上と云われていている。
この事から「日本資本主義の父」とも称される他、「私利を追わず公益を図る」の理念を貫き通したため、財閥を作らなかった事でも知られる。
2024年度より発行予定の新一万円札の図柄に採用されたことでも注目を集めている。
大正十二年(1923)、田園都市株式会社が開発した当地を「田園都市多摩川台」として分譲を始める事となり、同年には目蒲線が開通し「調布駅」が開業。
大正十五年(1926)、田園都市の意味合いを持たせるために調布駅を「田園調布駅」へ改名。
昭和三年(1928)、町制を施行して調布村は東調布町となる。
昭和四年(1929)改修の古地図を見ると当時の当地周辺の地理関係を確認する事ができる。
(今昔マップ on the webより)
田園調布駅が開業し、地名としても田園調布の名が浸透しつつある時期。
東調布町や上沼部、下沼部といった地名は残っていた。
昭和七年(1932)、東調布町・大森町・入新井町・馬込町・池上町が合併して大森区が誕生。
これを境に、東調布町(旧上沼部村と旧下沼部村)の一画は田園調布という地名となった。
かつては「上沼部村」「下沼部村」であった地が、明治以後に周辺の村と合併し「調布村(後に東調布町)」となり、都市開発の事業名と駅名から「田園調布」という名で浸透。
大森区が誕生した際に、旧上沼部村と旧下沼部村のエリアは田園調布と云う地名になった。
こうした経緯があるため、下沼部村の鎮守であった当社は、現在も田園調布の一部地域を氏子地域としている。
昭和四十八年(1973)、現在の社殿が造営される。
詳しくは後述するが、都内唯一の浅間造の社殿として造営。
以後、多くの境内整備が行われ現在に至る。
境内案内
多摩川沿いの高台に鎮座
多摩川駅から徒歩すぐ、多摩川沿いの高台に鎮座。
交通の要所でもある丸子橋からも当社が見えるので、見たことがある方も多いだろう。
社号碑には「村社浅間神社」の文字。
社頭には桜が植えられ、桜の季節になると綺麗に咲く。
当社に隣接する「多摩川台公園」も桜の名所として知られる。
当社から多摩川台公園にかけては多くの古墳群が多く存在。
地域最古の古墳(4世紀頃)「宝莱山古墳」や、地域最大の古墳「亀甲山古墳」などがある。
石段の手前には大祓詞のモニュメント。
平成二十八年(2016)に奉納されたもの。
南側が表参道になるが、車が入れる女坂が東側にも存在。
こちらも桜の季節になると綺麗に咲く。
石段を上り一之鳥居を潜ると、社務所や駐車場。
その先に二之鳥居や駐車場スペースとなっている。
富士塚のような参道・食行身禄之碑
二之鳥居の先の石段が大変特徴的。
二之鳥居の先は、多数の溶岩が置かれた石段となっている。
富士登山を模したものであり、いわゆる「富士塚」に近い形態の参道。
途中には平成三十年(2018)に奉納された「白糸の滝」。
富士信仰(浅間信仰)に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚。
本物の富士山に登拝するのは困難でも富士塚に登って富士を拝めば霊験あらたかとされ、江戸を中心に関東圏には数多くの富士塚が築山される事となった。
石段を更に上ると富士講による石碑や小祠。
浅間信仰への篤さを感じさせる。
まるで富士塚のような石段。
参道を上り切る手前右手に食行身禄之碑。
明治十五年(1882)に氏子の富士講が33回目の登山を記念して建てたもので、石碑の字を書いたのは勝海舟。
江戸中期に活動した富士講の指導者。
貧しい庶民に信仰を広めた事から「乞食身禄」とも呼ばれた。
富士講の開祖・角行と共に、富士講信者から崇敬を集め救世主・教祖的な存在であった。
富士講中興の祖とされ、後にこうした富士講が発展し、江戸周辺に多くの富士塚が築かれる事となる。
幕末の幕臣で、明治維新後は政治家としても活躍。
万延元年(1860)に咸臨丸で渡米し、帰国後に軍艦奉行並として神戸海軍操練所を開設。
この頃には坂本龍馬を弟子にしていた事でも知られる。
戊辰戦争時には幕府軍の軍事総裁となり、江戸城無血開城を実現。
明治維新後は初代海軍卿などを歴任し、伯爵に叙せられた。
2024年に新しくなった富士山型の手水舎
鳥居を潜った左手に手水舎。
以前は龍の吐水口が用意されていたが2024年に改装。
現在はとても珍しい富士山型の吐水口に。
富士山から水が流れて身を清めることができる。
富士山を信仰する浅間神社らしい改装。
都内唯一の壮観な浅間造社殿
社殿は戦後に再建された壮観な造り。
昭和四十八年(1973)に造営された社殿。
本殿の建築様式は浅間造。
浅間信仰の総本社「富士山本宮浅間大社」に代表される特殊な建築様式。
浅間造の社殿は、1300社以上ある「浅間神社」の中で全国で4社のみ。
都内では唯一の浅間造社殿となる。
都内でこの建築美を見る事ができるのは素晴らしい。
狛犬・境内社・夫婦銀杏・子産石
拝殿前に一対の狛犬。大正三年(1914)に奉納された狛犬。
丁寧な造りで子持ちの阿では、子が玉を咥えている遊び心も。
参道右手には、境内社が並ぶ。
小御岳神社・稲荷神社・三峯神社・阿夫利神社。
稲荷神社以外は山岳信仰の境内社である事からも、浅間信仰同様に当地には山岳信仰が広まっていた事が窺える。
平成二十八年(2016)に参道整備が行われ、屋根付きの合祀殿という形になった。
参道右手には神楽殿。
その左には御神木。
夫婦銀杏と呼ばれ、夫婦和合の御神徳として崇敬を集めている。
参道左手には子産石(子宝石)。
「火防の神」「子宝の上」「安産の神」「子育ての神」として信仰されている。
快晴の日は富士山を眺望できる展望スポット
参道の左手(手水舎の奥)が社務所の屋上となっていて、展望スポットとして知られる。
多摩川台の小高い丘にある当社から多摩川・川崎方面、さらには富士山方面を一望する事ができる。
右手には東横線の線路、その奥が富士山方面。
快晴時には本物の富士山を望む事ができ、現代の都内の「浅間神社」でこうして直接富士山を望む事ができるのはとても有り難い。
冬のよく晴れた日の朝がオススメで、富士山を遠目に見る事ができる事が多い。(画像は2020年1月に撮影)
こちらは2020年11月の昼下がりに撮影。
2021年の11月に撮影。
2022年1月に撮影。
2024年1月に撮影。
左手には武蔵小杉・川崎方面を望む事ができる。
丸子橋、そして川崎や武蔵小杉のビル群。
例え富士山を見る事ができなくてもとてもよい展望スポット。
夜景も綺麗なので夜間参拝もオススメ。(画像は2018年10月の深夜にiPhone撮影)
『シン・ゴジラ』のロケ地として使用
この展望場所は、映画『シン・ゴジラ』の撮影でも使用された場所。
劇中内でも同じ構図からのシーンが登場する。
丸子橋と武蔵小杉のビル群。
劇中では自衛隊がゴジラの侵攻を阻止するため、多摩川の河川敷を絶対防衛ラインとする「タバ作戦」を展開。
その前衛指揮所となったのが、当社の展望スポットとなっている。
劇場公開中は、聖地巡礼として訪れるファンも多かった。
現在は『シン・ゴジラ』のコラボ授与品がある他、境内の自販機も『シン・ゴジラ』デザインに。
『シン・ゴジラ』コラボ授与品・手ぬぐいや絵馬&御守
2020年より『シン・ゴジラ』とのコラボ授与品も用意。
当社オリジナルのコラボ授与品で「御守り&絵馬セット」「手ぬぐい」の2種類。
筆者は手ぬぐいを頂いた。
ゴジラと多摩川浅間神社のコラボ品。
劇場でも登場した明朝体系の書体で「多摩川浅間神社」とあり、実に格好良い。
『レンアイ漫画家』『大恋愛』などドラマのロケ地にも
見晴らしのよい展望スポットを有する当社は恋愛系ドラマのロケ地としてもよく登場。
2021年放送のフジテレビ系ドラマ『レンアイ漫画家』(原作は山崎紗也夏による漫画)のロケ地としても使用。
ドラマ内では展望スポットからの景色が印象的なシーンで度々使用されている。
2018年に放送されたTBSドラマ『大恋愛〜僕を忘れる君と』のロケ地としても使用。
重要シーンで度々使用されている。
こちらもロケ地、夜景が綺麗な場所として多くのファンが訪れた。
地域を盛り上げる6月の例大祭
毎年6月1日に例祭、6月土曜・日曜に例大祭が行われる。
こちらは2024年の例大祭ポスター。
例大祭では多摩川駅から当社までずらりと露店。
地域の人々で賑わう。
参道や境内にも露店は並ぶ。
神楽などの奉納も。
田園調布の鎮守の1社として地域に愛された例大祭。
月替りのカラフルな限定御朱印
御朱印は授与所にて。
以前は社務所にて受付していたが、新たに社殿右手に授与所が設置される形となった。
快く対応して頂ける。
2016年9月より月替りでカラフルな御朱印を用意するようになった。
これまでの御朱印にカラフルなスタンプを押した形。
2019年以降の御朱印は日本画家の山下まゆみ氏によるデザイン。
猫をモチーフにした作品が多いため御朱印にも猫の姿が。
令和元年最初の御朱印は奉祝の文字と、6月に行われる例大祭(神幸祭)の宮神輿スタンプ入り。
令和二年正月は富士山に鶴、干支のネズミと縁起のよいデザイン。
2020年7月には夏詣の印も。
2020年11月の御朱印は縦型(社殿)のスタンプも使用。
2023年10月は展望台で富士山とお月見をするうさぎの姿。
所感
田園調布の一部区域の鎮守である当社。
大変居心地のよい神社であり、筆者も丸子橋を通る際はよく参拝をしているのだが、貴重な浅間造の社殿、富士登山を模した溶岩の参道、本物の富士山が見える展望スポットなど、大変見どころのある境内となっており、とても素晴らしい。
古墳の上にある神社である事から、古くから神聖の地とされていたのだろう。
そして現在は、高級住宅街として発展した田園調布の氏神様となっており、そうした地域の氏子崇敬者によって、この立派な境内が維持できているのだと思う。
都内の神社としてはとても身近に富士山を感じる事ができる、正に「浅間神社」らしい良社であり、個人的にもオススメの神社である。
御朱印画像一覧・御朱印情報
御朱印
初穂料:500円
授与所にて。
※2017年4月より初穂料を300円から500円に変更。
※2016年9月より月替りの御朱印を用意するようになった。
授与品・頒布品
シン・ゴジラ手ぬぐい
初穂料:1,200円
授与所にて。
大丈夫守ステッカー
初穂料:300円
授与所にて。
願い叶う成す守
初穂料:600円
授与所にて。
安全安全御守護ステッカー
初穂料:500円
授与所にて。
※緑色を基調にしたステッカーも用意。
参拝情報
参拝日:2024/10/24(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2024/06/01(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2024/01/26(御朱印拝受)
参拝日:2023/12/27(御朱印拝受)
参拝日:2023/10/06(御朱印拝受)
参拝日:2023/07/21(御朱印拝受)
参拝日:2023/05/24(御朱印拝受)
参拝日:2022/12/07(御朱印拝受)
参拝日:2022/08/16(御朱印拝受)
参拝日:2022/06/04(御朱印拝受)
参拝日:2022/03/30(御朱印拝受)
参拝日:2022/01/18(御朱印拝受)
参拝日:2021/11/27(御朱印拝受)
参拝日:2021/04/16(御朱印拝受)
参拝日:2020/12/30(御朱印拝受)
参拝日:2020/11/11(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2020/07/07(御朱印拝受)
参拝日:2020/01/31(御朱印拝受)
参拝日:2019/05/16(御朱印拝受)
参拝日:2019/03/27(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2018/04/20(御朱印拝受)
参拝日:2017/07/06(御朱印拝受)
参拝日:2017/04/12(御朱印拝受)
参拝日:2017/01/13(御朱印拝受)
参拝日:2016/12/02(御朱印拝受)
参拝日:2016/11/29(御朱印拝受)
参拝日:2016/09/06(御朱印拝受)
参拝日:2015/07/15(御朱印拝受)
ほぼ毎月
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niy2a4