戸部杉山神社 / 神奈川県横浜市

神社情報

戸部杉山神社(とべすぎやまじんじゃ)

御祭神:大己貴命
社格等:延喜式内社(小社論社)・村社
例大祭:8月20日
所在地:神奈川県横浜市西区中央1-13-1
最寄駅:戸部駅・平沼橋駅
公式サイト(Facebook):https://www.facebook.com/tobesugiyamajinja/

御由緒

 当神社は、白鳳三年弥生二十日、出雲大社の御分霊を勧請す。武相の地杉山神社多きも、延喜式内の杉山神社は当社なりと云伝ふ。当神社の効顕の著しきを以て各近隣に杉山社の名称多くなれとも云ふ。古くより武蔵国戸部村の鎮守にして当地開拓の祖神なり。
 歴代の国守、地頭、代官等の尊信甚だ厚く、幕府よりは、御朱印を附与しあり。御祭神は天孫降臨以前に己に国土開拓経営に威霊を発揮せられ給ふ。即ち日本最初の神社祭神なり。貧賤病弱を救癒し産業を授けて富益を増し、医薬の道を興して氏族の繁栄の基を計り、剣争を用ひずして温和の中に諸事泰平の国本を培養せられ、国治家斎の法を授け給ふ。知謀悟道の祖を開き、国利民福を念とし、自を苦反し以て他を憐み給ふ。即ち当地開拓の先哲達人先ず此の大神を奉祀し、鎮護祈願せんため勧請せしなり。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2017/01/06

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※「南太田杉山神社(横浜水天宮)」の兼務社で、普段は神職がいらっしゃらない事も多い。

授与品・頒布品

御守
初穂料:800円
社務所にて。


歴史考察

旧戸部村鎮守の杉山神社

神奈川県横浜市西区中央に鎮座する神社。
『延喜式神名帳』に記載された式内社「杉山神社」論社の一社。
旧社格は村社で、旧戸部村(戸部町)の鎮守。
正式名称は「杉山神社」であるが、他との区別から「戸部杉山神社」とさせて頂く。
現在は「南太田杉山神社(横浜水天宮)」の兼務社となっている。

出雲一族によって開拓され創建

社伝によると、白雉三年(652)に戸部地方を開拓した一族が、祖神として「出雲大社」の分霊を勧請し創建と伝わる。

この事から出雲一族が当地に移り住み、出雲一族によって創建されたと云えるだろう。
そのため御祭神は「出雲大社」の御祭神・大己貴命(大国主命)となっている。

歴代の歴代の国守、地頭、代官等から崇敬を集めたと云う。
さらに当社が「杉山神社」と称された事で、地域には「杉山」の社号の神社が増えたとされている。

但し「杉山神社」については謎が多いため、あくまで伝承と見るのがよい。

当社の境内からは古墳が発見されており、古くから人の生活や祭祀圏だった事が伺える。
そうした古い土地に創建された古社であると推測できる。

一部区域のみに見られる杉山神社の謎

「杉山神社」は、横浜市・川崎市など一部区域のみに見られる神社。

特に鶴見川流域に散在しており、鶴見川流域に広がった信仰なのが分かる。
東側は多摩川を超えると一切見られなくなるのが特徴。

当社の近くには帷子川水系の石崎川が流れており、帷子川流域にも杉山神社を多く見る事ができる。

上のマップ上に記したのが帷子川流域に鎮座する「杉山神社」「杉山社」の一覧。
いくつかの神社は創建から遷座していたり、河川の形が当時とは違うといった事もあるだろうが、こうして見ても河川沿いに点在しているのが分かる。
当社の近くを流れる石崎川も帷子川水系である。

さらに南に大岡川があり、こちらの流域にも「杉山神社」がいくつか点在する。
これがほぼ境と云え、これより先には見る事ができない。

こうした特定の川の流域に沿って信仰が広まる神社は意外と多く、関東圏だと、荒川流域には氷川信仰の「氷川神社」、元荒川流域には久伊豆信仰の「久伊豆神社」、利根川流域には香取信仰の「香取神社」と、ほぼ境界を侵すことなく祀られている例がある。

よって「杉山神社」は杉山信仰として武蔵国南側に流れる鶴見川・帷子川・大岡川流域に浸透し、土着の神としてお祀りされたものと推測できる。

江戸時代の頃には「杉山神社」が72社あるとの記述が残っているが、現在は40社ほど。
現在は、五十猛神や日本武尊を主祭神とする神社が多い。

その中で当社のように出雲神である大己貴命(大国主命)をお祀りする「杉山神社」は珍しく、他には北新羽(港北区新羽町)の「杉山神社」くらいであろうか。

新羽総鎮守。新羽郷(新羽村)の歴史。日本武尊の伝説。鶴見川流域に散財する謎多き杉山神社。神仏分離と合祀政策。兼務社の北新羽杉山神社・狛鼠のいる神社。御朱印。

このように「杉山」の社号を持っていても御祭神がバラバラとなっているのも謎を深める理由である。

式内社としての杉山神社

こうした「杉山神社」の名は、古い書物に見る事ができる。

貞観十一年(869)に編纂された『続日本後紀』では「枌山神社」と記載。

延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』では、小社に列格する「都筑郡一座 小 杉山神社」と記載されており、これにより「杉山神社」は、延喜式内社(式内社)とされる。

しかしながら、この「杉山神社」がどの神社であったのか、未だに分かっておらず、どの神社が式内社であるかが不明となっているのが謎を深める要因ともなっている。
未だに多くの論社が存在し、いくつか有力とされる神社もあるのだが、確証が得られない限り、現在も「杉山神社」として残るものは、どれもが式内論社と云える事ができるだろう。

その中で当社も式内社であったと称しており、論社の一社に挙げられる。
拝殿扁額にも「武州式内」の文字があり、式内社であるとしている。

なお、「杉山神社」は、武蔵国六之宮として、府中にある武蔵国総社「大國魂神社(六所宮)」にお祀りされているのだが、そちらでは、横浜市緑区西八朔町の「杉山神社」が六之宮としてお祀りされている。

武蔵国六之宮。武蔵国総社「大國魂神社」との関係。式内社「杉山神社」の有力論社。鶴見川流域に散在する杉山神社の謎。菊紋の社殿。現在は「武州柿生琴平神社」の兼務社。御朱印。

いずれにせよ、「杉山神社」は現在も大変に謎に満ちた神社であり、当社もその一社である。

江戸時代の当社・宮神輿の伝承

江戸時代に入ると、徳川幕府より朱印地を賜っている。
当社がある戸部村は江戸幕府直轄領となっていた。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当宮についてこう書かれている。

(戸部村)
杉山明神社
除地五畝十二歩。西の方にあり。小社南向、上屋二間に三間、拝殿二間に四間。本地や櫛を神體とす。村の鎮守。例祭九月廿日。村内願成寺持。
社宮司社
除地二畝餘。

戸部村の「杉山明神社」と記されているのが当社。
村の鎮守だった事が記されており、別当寺は「願成寺」(西区西戸部町)であった。

「社宮司社」は現在は当社の境内末社であり、古来「おしゃもじさま」と言われ、元々近くにあるくらやみ坂に鎮座していた。

こちらには記載されていないが、当社の例祭は盛んであったと伝えられる。
上述したように当社には古墳があったのだが、ある例祭で神輿渡御中に、古墳の前で神輿が動かなくなったため、古墳の中に神輿を埋葬して神輿塚と称したと云う伝承が残っている。
それ以来、当社は宮神輿を有しておらず、それは現在も続いていると云う。

安政六年(1859)、横浜港が開港によって周辺が急速に発展する事となる。
戸部村内にも町屋が形成され、戸部町と改称し、当社は戸部町の鎮守となった。

明治以降の歩み・戦前の古写真・戦後の再建

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、村社に列した。

明治初期には、横浜の市街地拡大と共に、戸部町から宮崎町・伊勢町・老松町・月岡町などが分離、さらに埋立地は桜木町となっていく。
当社はこうした一帯の鎮守として崇敬を集めた。

明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され、横浜市戸部町となる。
明治四十年(1907)、社殿を改修し、神饌幣帛料供進社に指定。

大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
当社も震災の被害を受け、社殿など多くを焼失。
例祭に使われていた山車、神輿なども焼失してしまったと云う。

その後は社殿の再建はされず、仮殿のままであった。

(神奈川県神社写真帖)

上の写真は昭和十三年(1938)に万朝報横浜支局が発行した『神奈川県神社写真帖』。
黒く潰れてしまっているものの、かなり簡素な境内と社殿になっているのが分かる。
これは関東大震災から再建されずに仮殿のままでいた事によるもので、画像にあるのは仮殿であったのだろう。

昭和二十年(1945)、横浜大空襲によってこの一帯は多大な被害を受ける。
しかしながら当社は、炎上する熱気によって境内の樹木が水蒸気を吹き出したため、境内を無傷で守ったとされている。
そのため、戦後は火伏の御神徳もあると崇敬されている。

昭和三十一年(1956)、鉄筋コンクリート造の社殿が再建。
関東大震災以来、仮殿であった当社の社殿がこうして再建に至った。

平成十四年(2002)、創建1350年を記念して、狛鼠が建立。
他にも境内整備が進み当地一帯の鎮守として崇敬を集めている。

現在は「南太田杉山神社(横浜水天宮)」の兼務社となっている。

境内案内

戦後に再建された社殿・境内社

最寄駅の戸部駅からは徒歩数分で、横浜市西区役所のやや北側に鎮座している。
この日は正月であったため多くの奉納提灯が掲げられていた。

鳥居を潜るとすぐ左手に御神木。
横浜大空襲の際は、境内の樹木が当社を守ったと伝わっており、割れた木肌からも生命力の強さを感じさせてくれる。

参道にはまだ茅の輪が設置されたままとなっていた。
参道の左手に手水舎。
正面に社殿となっている。

社殿は昭和三十一年(1956)に鉄筋コンクリート造で再建されたもの。
関東大震災以来、仮殿の状態が続いていたため、この再建は氏子にとっての念願だったのであろう。
状態もよく維持されており、再建時は神奈川県建築コンクール第一部に入賞したと云う。

社殿の右手に境内社が並ぶ。
但し普段はフェンスがあり門が閉じられている事が多いため、その場合は参拝する際には申し出る必要がある。

本殿のすぐ右に鎮座するのが五社殿。
「おしゃもじさま」と呼ばれた社宮祠社の他、天神社・稲荷社・山王社・厳島社・浅間社・三峯社を祀っており、数は合わないのだが五社殿とされている。
いずれも当社周辺に鎮座していた神社が境内に遷座され合祀された。

その右隣には聖徳太子殿。
いわゆる六角堂になっており、太子講が構成されており氏子崇敬者によって造営された。

回転する狛鼠・黒沢年雄氏が奉納した大黒天像

当社の特徴として、狛鼠(こまねずみ)が置かれている事にある。
狛犬も別途置かれているのだが、狛鼠というのは珍しい。

平成十四年(2002)に創建1350年を記念して建立されたもの。
右側がオス、左側がメスとなっており、台座が回転式となっていて回るのが特徴。
それぞれの性別の狛鼠を、内側にゆっくり一回転させて願掛けするとよいとの事。
御祭神である大己貴命(大国主命)の神使は鼠であり、こうして狛鼠が奉納された。
授与品も鼠にまつわるものが豊富で個性的となっている。

なお、同様の回転する狛鼠は北新羽(港北区新羽町)の「杉山神社」でも見る事ができる。
当社と同様に大己貴命を祀っており、同時期に狛鼠が建立されている事から、繋がりが深いのだろう。
新羽総鎮守。新羽郷(新羽村)の歴史。日本武尊の伝説。鶴見川流域に散財する謎多き杉山神社。神仏分離と合祀政策。兼務社の北新羽杉山神社・狛鼠のいる神社。御朱印。

また境内の一角には大黒天像が置かれている。
これは俳優の黒沢年雄氏が奉納したもので、出身地が当地周辺だと云う。

当社の御祭神である大己貴命(大国主命)は、七福神の大黒天と習合した神であるため、こうして大黒天像が奉納されたのであろう。

御朱印は社務所にて。
とても丁寧に対応して頂いた。
この日は正月であったため対応して頂けたが、現在は「南太田杉山神社(横浜水天宮)」の兼務社で、普段は神職がいらっしゃらない事も多いため、その点は注意が必要。

所感

旧戸部村の鎮守として崇敬を集めた当社。
謎多き「杉山神社」の中でも、出雲神を祀る珍しい神社であり、やはり杉山信仰は謎めいている。
現在は兼務社となっており神職の常駐がない神社であるが、地域からの崇敬は篤い。
更に御祭神の神使として狛鼠が奉納されており、くるくると回転する仕組みがとてもユニーク。
この日も近くの保育園の子供たちや、ご年配の老夫婦など多くの方が参拝に訪れており、設置された狛鼠を楽しそうに回す姿が印象的であった。
地域に親しまれる鎮守であり、狛鼠という個性的な魅力もある良い神社である。

神社画像

[ 鳥居 ]

[ 茅の輪 ]

[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]





[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 狛鼠 ]



[ 大黒天像 ]

[ 五社殿 ]

[ 聖徳太子殿 ]


[ 神輿庫 ]

[ 絵馬掛・御籤掛 ]

[ 御神木 ]

[ 石碑 ]

[ 社務所 ]

[ 案内碑 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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