西八朔杉山神社 / 神奈川県横浜市

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神社情報

西八朔杉山神社(にしはっさくすぎやまじんじゃ)

御祭神:五十猛命
相殿神:大日孁貴命・素盞嗚命・大田命
旧社格:武蔵国六之宮・延喜式内社(小社論社)・郷社
例大祭:10月1日
所在地:神奈川県横浜市緑区西八朔町字宮前208
最寄駅:十日市場駅
公式サイト:─

御由緒

杉山神社の分布
杉山神社は現在の横浜市・川崎市を中心に多数ある神社の名前です。ほかには町田市・稲城市にも数社ありますがいづれも鶴見川とその支流域に多く分布しています。
 しかも全国的に見てもこの地域にしか存在しないのが杉山神社です。かつて武蔵国(今の東京都、埼玉県、神奈川県の大半がその範囲)のなかで横浜の都筑郡・橘樹郡・久良郡とよばれていた地域です。
 神社の数は江戸時代末期に編集された『新編武蔵風土記稿』によると七十二社ですが、その後の合社や名称変更などで、現在は四十余りの杉山神社があるようですが緑区西八朔の杉山神社はその中でも代表的な杉山神社の一つです。
杉山神社の歴史
その歴史は古く、すくなくとも千二百年ほど遡ることが出来ます。平安時代の公的な歴史書『続日本後記』の承和五年(834年)二月二十二日条に、武蔵野国都筑郡杉山神社が霊験により官幣(神への公的な献納物)にあずかったという記事があります。
 同じく嘉祥元年に(848年)五月二十二日条には位のなかった杉山神社に従五位下を授けたという記事があります。
 また、延長五年(927年)編集の『延喜式』には国家的な祭祀にあずかる神社の一覧表(これに掲載する神社のことを式内社とよびます)がありますが武蔵国四十三社のなかに都筑郡の杉山神社の名前が見えます。
 橘樹郡・久良郡には式内社がありませんので、杉山神社は三郡を代表し、国家的にも知られた重要な神社だったことがわかります。祭神は、大和武尊や五十猛とされていますが、確かなことは不明で、もとは杉の生い茂った山そのものを祀った神社だったのかもしれません。
杉山神社の本社
 数ある杉山神社、平安時代の歴史書に載る杉山神社はどこなのか。古くからいろいろな説が出されてきましたが、なかなか結論は出ません。
横浜市都筑区中川町、同区勝田町、港北区新吉田町などに所在する杉山神社が候補として挙げられている中、西八朔の杉山神社は最も有力な一社です。八朔が平安時代の『和名類聚抄』に出てくる「都筑郡針斫郷」や鎌倉時代の古文書にある国衙領(武蔵国府の直営地)の「八佐古」に通じる古地名であることなどが根拠とされているのです。
杉山神社と府中六所宮(大國魂神社)
 大國魂神社と杉山神社は当初から深い関係にあり、大國魂神社に祀られている八神の一つ六之宮の杉山大神は、西八朔の杉山神社の祭神だとされています。
 これは江戸時代末の六所宮の神主だった猿渡盛章の調査によって定められ、以来西八朔の杉山神社と大國魂神社との関係は今に続いています。
 五月五日の大國魂神社例大祭「くらやみ祭り」の祭には杉山神社宮司と氏子会の代表が神事に参列し十月一日の杉山神社の例大祭には府中の大國魂神社から神職と六之宮や五六宮太鼓を受け持つ町内の人たちが参列します。
 古くは杉山神社のみこしが府中六所宮まで担がれていったという伝承もあります。
 武蔵国にあっては格段の由緒を持つ杉山神社と府中六所宮とは、地域の人たちの深い繋がりによって伝統がささえられているのです。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2016/06/22

御朱印

初穂料:300円
武州柿生琴平神社」社務所にて。

※神職の常駐はないため、本務社である「武州柿生琴平神社」にて頂ける。

西八朔杉山神社

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考察

武蔵国六之宮・杉山神社

神奈川県横浜市緑区西八朔町に鎮座する神社。
延喜式内社「杉山神社」の有力論社の一社とされ、旧社格は郷社で、西八朔の鎮守。
府中にある武蔵国総社「大國魂神社(六所宮)」では、当社が六之宮として祀られている。
正式名称は「杉山神社」であるが、他との区別のため「西八朔杉山神社」とさせて頂く。

鶴見川流域に見られる杉山神社

当社の創建年代は不詳とされている。
かなり古い年代からある土着の信仰による神社だと推測される。

「杉山神社」というのは、中々に謎に満ちた神社である。
これまで幾つかの「杉山神社」に参詣しているが、いずれも創建年代が不詳のところが多い。

「杉山神社」と称する神社は、全国でも横浜市と川崎市に多く見る事ができる神社。
特に鶴見川流域に散在しており、鶴見川流域に広がった土着の信仰なのが分かる。
多摩川を超えると一切見られなくなるのが特徴。

こうした特定の川の流域に沿って信仰が広まる神社は意外と多く、関東圏だと、荒川流域には氷川信仰の「氷川神社」、元荒川流域には久伊豆信仰の「久伊豆神社」、利根川流域には香取信仰の「香取神社」と、ほぼ境界を侵すことなく祀られている例がある。
「杉山神社」は杉山信仰として鶴見川流域に浸透し、土着の神としてお祀りされたものと思われる。

江戸時代の頃には「杉山神社」が72社あるとの記述が残っているが、現在は40社ほどとなっている。
現在は、「杉山大明神」として、五十猛神(スサノオの子)や日本武尊を主祭神とする神社が多いが、社号から元々は杉の生い茂った山そのものを祀った神社だったとも推測される。
当社も正にその「杉山神社」の一社であり、御祭神は五十猛神で、鶴見川流域に鎮座している。

式内社としての杉山神社

そんな「杉山神社」の名は、延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』では、小社に列格する「都筑郡一座 小 杉山神社」と記載されている。
近隣の橘樹郡・久良郡には式内社が存在していないため、杉山神社は三郡を代表する規模を誇り、朝廷にも名の知れた神社だった事が分かる。

これにより「杉山神社」は、延喜式内社(式内社)とされている。

しかしながら、この「杉山神社」は未だに比定されておらず、どの神社が式内社として記された神社なのかが不明となっているのが謎を深める要因ともなっている。
未だに多くの論社が存在し、いくつか有力とされる神社もあるのだが、現在も「杉山神社」として残るものは、どれもが式内論社と云える事ができるだろう。

現在その中でも有力な式内論社とされているのが4社ある。
緑区西八朔町(当社)、港北区新吉田町、都筑区茅ケ崎中央、都筑区中川に鎮座する4社。
いずれも現在は神職が常駐しておらず、別神社の兼務社となっているが、江戸時代以前より有力な論社として論じられていた神社である。

その中でも特に当社は有力とされており、それは府中にある武蔵国総社「大國魂神社」で、当社が武蔵国六之宮として祀られている事にある。

武蔵国六之宮として祀られる当社

上述の通り、当社は府中にある武蔵国総社「大國魂神社」で、武州六大明神の六之宮として祀られている。
大國魂神社」では武蔵国の一之宮から六之宮までを「武州六大明神」としてお祀りしており、当社がその六之宮として祀られ、「大國魂神社」の例祭である「くらやみ祭り」にも、当社の宮司や氏子総代が参列している。
imageこうした関係性により、拝殿の扁額も「延喜式内社」「武蔵総社六之宮」と記されており、これは「大國魂神社」宮司による謹書である。

このように当社が式内社として有力であると説かれるようになったのは幕末の事。
その頃は「六所宮」と呼ばれていた現在の「大國魂神社」によるものである。
幕末の頃の「大國魂神社」宮司・猿渡盛章は、式内社「杉山神社」の比定調査を行った結果、当社を式内社と比定する事によって、現在の当社と「大國魂神社」の繋がりができたと云える。

根拠として挙げられるのが、「八朔(はっさく)」という地名にある。
この「八朔」という地名が平安時代の「和名類聚抄」に出てくる「都筑郡針斫郷」や鎌倉時代の古文書にある国衙領の「八佐古」に通じる古地名である事から、当社が式内社に比定したとされている。

やや根拠としては弱い気もするのだが、古くから記録された地名という事は、当時からその地に人が定住し、何らかの信仰が確立していたとも云え、それ故に当地にある当社を比定としたのであろう。

いずれにせよ江戸時代の頃より「大國魂神社」の宮司によって式内社とされ、現在は武蔵国六之宮としてお祀りされている事で、謎多き「杉山神社」の中でも当社は有力な式内論社であると云える。

大國魂神社(六所宮) / 東京都府中市
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江戸時代の史料に見る当社

創建年代は不詳であるが、江戸時代の頃にはいくつか史料が残っている。

棟札や、現在も隣にある当時の別当寺「極楽寺」の墓碑年号などより、当社は延宝年間(1673年-1681年)に現在地へ遷座したものと推測できる。
現在地に遷座する前は、今から西北方300mの山麓に鎮座していたとされる。

当社から北西は現在も、さつきが丘、しらとり台、つつじヶ丘、梅ヶ丘といった地名になっているように高台となっており、かつてはこのあたりが小さな山であったと思われる。
その山麓に鎮座していた当社は、杉の生い茂った山そのものを祀った神社だったのではないだろうか。

延宝年間(1673年-1681年)に現在地へ遷座してからは、西八朔村や周辺の鎮守として崇敬を集めたようだ。
慶安二年(1649)には徳川幕府より朱印状と朱印領5石6斗が与えられている。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(西八朔村)
杉山社
村の東方にあり、上屋三間四方、内に小祠を置南向なり、社前に鳥居を立、昔は西北兩村の鎮守なりしが、今は當村のみなりと云、北八朔村の小名に鳥居など云所あり、元此社の一の鳥居其所にありしといへば、西北一村なることは自ら知べし、村内にて五石六斗の社領を附せらる、例祭年々八月朔日、此日を用るは村名によれりなど云、さもあるべし、神體は不動の立像にて長一尺許。別當極楽寺。

西八朔村の鎮守であり、かつては北八朔村の鎮守でもあったとされる。
北八朔村に鳥居という地名があったようで、そこに当社の鳥居があったとも推測されており、八朔の西北に広大な神域を領していたと思われる。
こうした史料からも当社が式内社へと比定されていったのであろう。
別当寺は現在も隣接する「極楽寺」。

幕末になり「大國魂神社」の宮司によって、式内社に比定されたのは上述の通りである。

神仏分離と合祀政策

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、郷社に列した。

明治四十三年(1910)、同村にあった無格社「神明社」など四社を合祀。
これは当時の政府の合祀政策(一村一社を指導)の影響であろう。
大正九年(1920)、神饌幣帛料供進社に指定されている。

戦後になり旧社格が廃止。
宗教法人として現在に至る。
現在は神職が常駐しておらず「武州柿生琴平神社」の兼務社という扱いになっている。

武蔵総社六之宮の文字・菊紋が特徴的な社殿

西八朔町の住宅街の奥まったところに鎮座する当社。
当社の周辺は立派な鎮守の杜となっており、鬱蒼とした境内となっている。

当社前には2つの社号碑。
image手前にあるのが崩れかけている社号碑であるが大正年間に建てられたもののようだ。
imageその奥の県道140号側には新しい社号碑があり「延喜式内社武蔵総社六之宮」の文字が見える。

住宅街の参道を抜けると石段と鳥居が見えてくる。
image左手には手水舎があり、こうした兼務社となっている神社ではあるが、平日でも水が出るようになっているのは、地域の方々の崇敬の篤さによるものなのであろう。

鳥居を潜るともう少し石段が続く。
image石段などは古さを感じるが定期的に手入れされているのが伝わる。

石段を上り切ると正面に中々立派な社殿の姿。
image改築記念碑が建っているが、それによると昭和五十七年(1982)に改築されたものとある。
特徴的なのが社殿の至る所に見られる神紋であろう。
image菊紋(十六八重菊)をあちらこちらに見る事ができ、これは「大國魂神社」との繋がりによるものであろう。
大國魂神社」の神紋が正にこの菊紋であり、当社は「大國魂神社」に六之宮として祀られている事から、この菊紋を使うようになったのだと思われる。
また上述したように拝殿の扁額も「延喜式内社」「武蔵総社六之宮」と記されており、これは「大國魂神社」宮司による謹書である。

社殿の右手には境内社の「稲荷神社」。
imageこちらまで足を運ぶ方があまりいないらしく、道のりは蜘蛛の巣が多く大変であった。

他に境内には力石も。
image江戸時代中期から明治にかけて、氏子である若者がこの力石を担ぐことで力を競い合ったという。

境内の外には庚申塔が置かれていたりと当地の古い信仰を垣間見る事もできる。
image更に小さな児童公園が神輿庫と隣接していたり、地域に密着した鎮守なのが伝わる。

御朱印は本務社である「武州柿生琴平神社」の社務所にて。
掲示などはされていないので、尋ねると対応して下さる。
武蔵国六之宮の印も押されていた。

武州柿生琴平神社 / 神奈川県川崎市
柿生のこんぴらさん。神明社として創建、後に琴平社を合祀。徳川将軍家と繋がりの深い王禅寺村。急勾配の石段の上に鎮座する本殿・がまんさん。立派な大鳥居・バリアフリー化された儀式殿。御朱印。御朱印帳。

所感

西八朔町の鎮守である当社。
幕末の頃より「大國魂神社」との繋がりが深く、当社は六之宮として祀られている事も、当社が最有力な式内論社となる根拠にもなっているのだろう。
境内は鬱蒼と茂った鎮守の杜であり、氏子など地域の方からの崇敬を集めているのが伝わる。
それでいて社号碑や扁額、社殿の菊紋などから「大國魂神社」との繋がりを強く感じさせてくれる境内となっている。
これまでブログに掲載していない神社も含めて鶴見川流域に散在する「杉山神社」をいくつも参詣してきたのだが、その中でもやはり雰囲気のある神社である。
謎多き「杉山神社」において、有力な式内論社であり、「杉山神社」を調べていく上でも重要な一社なのは間違いない。

神社画像

[ 参道・旧社号碑 ]
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[ 参道・社号碑 ]
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[ 手水舎・石段・鳥居 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 鳥居 ]
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[ 石段 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿 ]
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[ 稲荷神社 ]
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[ 力石 ]
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[ 改築記念碑 ]
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[ 境内の紫陽花 ]
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[ 庚申塔 ]
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[ 記念碑 ]
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[ 神輿庫 ]
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[ 案内板 ]
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Google Maps

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    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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