新羽杉山神社 / 神奈川県横浜市

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神社情報

新羽杉山神社(にっぱすぎやまじんじゃ)

御祭神:日本武尊
相殿神:火産霊神・澳津彦神・伊弉冊命・速玉男命・事解男命・天照皇大神
旧社格:村社
例大祭:10月6日
所在地:神奈川県横浜市港北区新羽町2576
最寄駅:新羽駅
公式サイト:http://www.yokohama21.net/sugiyamajinjya/

御由緒

 杉山神社の史籍に於ける初見は延喜式神明帳に(今より1,070余年前)武蔵国都筑郡杉山神社とあり、当社の由緒は明らかでないが、口碑に伝えるに其の創立は上古根古屋の庄荷場の郷と唱う水郷一帯の時代、景行天皇の御代四十年東方十二国御平定の折、日本武尊、此の地方を御通過され、尊崩御の後、村民其の御徳を慕い奉いて祠を造り奉斎したと云う。
 明治六年村社に列格、同四十一年村内の無格社荒神社、熊野社、皇大神宮を合併し、大正九年神饌幣帛料供進社に指定された。
 戦後、宗教法人として今日に至る。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/06/15

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

新羽杉山神社

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考察

新羽の総鎮守

神奈川県横浜市港北区新羽町に鎮座する神社。
旧社格は村社で、新羽の総鎮守。
正式名称は「杉山神社」であるが、他との区別のため「新羽杉山神社」とさせて頂く。

当地に伝わる日本武尊の伝説

社伝によると、創建年代は不詳とされている。
御由緒は明らかでないとあるが、口伝では古社であると伝えられる。

景行天皇四十年(110)、日本武尊が東方十二国を平定した際に当地を通過。
日本武尊が崩御された後に、当地の村民達が御徳を慕い、日本武尊をお祀りしたとされる。

日本武尊が崩御されたのが景行天皇四十三年(113)とされているので、それ以降の創建という事になるであろう。
一説では約800年前ともされており、そちらでは鎌倉時代の創建という事になるであろうか。

新羽の歴史

現在は港北ニュータウンの一端でもあり再開発されつつある地区ではあるが、当地(新羽郷)周辺には大変古くから人々が生活していた事が分かっている。
当社近くに「貝塚」という住所があるように、新羽貝塚が発見されている事からも、古くからこの地に人の生活圏があった事は間違いない。
また隣町でもある新吉田エリアにも古墳などが多く発掘されている。

史料に「新羽」の名が現れるものとして、鎌倉時代の正応三年(1290)に、「武州新羽郷」の文字が見るのが初見。
それ以前より当地に人が生活していたのであろう。
村(郷)が出来た時に創建したと見るのならば、やはり鎌倉時代以前になるであろうか。

地理を見ると、新羽は東端から南端にかけて鶴見川が流れる沖積平野。
鶴見川の流域を利用した人々の生活圏があったと推測できる。

そして鶴見川の流域のみに広がる信仰が「杉山神社」の特徴。
当社もそのうちの一社となる。

鶴見川流域に見られる杉山神社

「杉山神社」というのは、中々に謎に満ちた神社である。

「杉山神社」と称する神社は、全国でも横浜市と川崎市に多く見る事ができる神社。
特に鶴見川流域に散在しており、鶴見川流域に広がった土着の信仰なのが分かる。
多摩川を超えると一切見られなくなるのが特徴。

こうした特定の川の流域に沿って信仰が広まる神社は意外と多く、関東圏だと、荒川流域には氷川信仰の「氷川神社」、元荒川流域には久伊豆信仰の「久伊豆神社」、利根川流域には香取信仰の「香取神社」と、ほぼ境界を侵すことなく祀られている例がある。
「杉山神社」は杉山信仰として鶴見川流域に浸透し、土着の神としてお祀りされたものと思われる。

江戸時代の頃には「杉山神社」が72社あるとの記述が残っているが、現在は40社ほどとなっている。
現在は、「杉山大明神」として、五十猛神(スサノオの子)や日本武尊を主祭神とする神社が多い。

当社も正にその「杉山神社」の一社であり、鶴見川流域に鎮座している。
当社では五十猛神ではなく、日本武尊が主祭神となっているのが特徴であろう。

式内社としての杉山神社

そんな「杉山神社」の名は、延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』では、小社に列格する「都筑郡一座 小 杉山神社」と記載されている。
これにより「杉山神社」は、延喜式内社(式内社)とされている。

しかしながら、この「杉山神社」は未だに比定されておらず、どの神社が式内社として記された神社なのかが不明となっているのが謎を深める要因ともなっている。
未だに多くの論社が存在し、いくつか有力とされる神社もあるのだが、現在も「杉山神社」として残るものは、どれもが式内論社と云える事ができるだろう。

ちなみに当社からも近い新吉田町の「杉山神社」は有力論社の一社とされている。
なお、「杉山神社」は、武蔵国六之宮として、府中にある武蔵国総社「大國魂神社(六所宮)」にお祀りされているのだが、そちらでは、横浜市緑区西八朔町の「杉山神社」が六之宮としてお祀りされている。

西八朔杉山神社 / 神奈川県横浜市
武蔵国六之宮。武蔵国総社「大國魂神社」との関係。式内社「杉山神社」の有力論社。鶴見川流域に散在する杉山神社の謎。菊紋の社殿。現在は「武州柿生琴平神社」の兼務社。御朱印。

いずれにせよ、「杉山神社」は現在も大変に謎に満ちた神社であり、当社もその一社である。

江戸時代の史料に見る当社

江戸時代の当地は都筑郡新羽村であり、天領や複数人の旗本領に分割されていた。
そんな新羽村で崇敬を集めたのが当社である。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(新羽村)
杉山社
除地、一段、字三谷にあり、又此邊を八朔堂ともいへり、神體は木の立像長一尺許、其形菅神の像に似たり、されど近来の作にして、昔本地と號せしは石像の不動にて、長二尺ばかり、これも立像の由傳へり、石階七間程を登りて、社前に至る、本社二間四方、拝殿三間に二間東向なり、石の鳥居をたつ、西方寺の持、以下四社も同寺の持。
熊野社
除地、一段四畝、字中の久保にあり、本社三間に三間、拝殿三間に二間巽に向ふ、神體本地彌陀の石像にて長一尺許、例祭は七月二十三日。
神明社
除地、一段、村の南にあり、一間半に二間坤向なり
太神宮
除地、三畝、東の方おい塚と云地にあり。
荒神社
村の西字大嶽にあり、神體は木の立像にて長一尺ばかり、例祭は年々二月十九日、石階四間許を登りて社前に至る、二間半に三間の社にて西向に建り、村の總鎮守なり。
三嶽社
見捨地、荒神社の邊にあり。

これらが新羽村に鎮座していた神社の数々。
その中で鎮守であったのが「杉山社」こと当社である。
当時は「荒神社」が村の総鎮守であったようだが、後に新羽村に鎮座していたこられの神社は当社に合祀される事となったため、当社のほうが規模も大きく結果的に総鎮守となった事が分かる。
別当寺は現在も近くにある「西方寺」であった。

神仏分離と合祀政策

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)村社に列した。

明治四十一年(1908)、新羽村内にあった無格社の荒神社、熊野社、皇大神宮を合祀。
新羽村の総鎮守として崇敬を集める。
これは当時の政府の合祀政策(一村一社を指導)の影響であろう。
大正九年(1920)、神饌幣帛料供進社に指定された。

戦後になり旧社格が廃止。
宗教法人として現在に至る。

かつての信仰を感じる境内

新羽駅からやや西側、住宅街の奥に鎮座する当社。
image武州新羽郷総鎮守の社号碑が掲げられている。

参道の先には緩めの石段があり、やや高台に鎮座する形。
imageこの石段の途中、右手には神馬像が置かれている。
image比較的新しめな奉納物であり、御祭神の日本武尊との繋がりであろうか。
菊紋が施されているのが特徴的。

石段を上り二の鳥居を潜ると左手に手水、正面に社殿が鎮座。
image中々立派な造りの社殿で、後ろは舗装された崖となっている。
社殿の建築年代は不明なのだが、造りからして恐らく戦後の再建ではないだろうか。

社殿の右手に境内社の合祀殿。
こちらは古い信仰を感じさせるものとなっている。
image扁額には「不動明王・御嶽社・金比羅社」の文字が見る事ができる。
新羽村周辺にあった小さな神社や祠を、明治以降にこちらに遷座したものと思われるが、内部を覗いてみると不動明王像が置かれており、神仏習合の名残が見られる。

右手にも江戸時代の祠がいくつか置かれていたり、お稲荷様の姿も見えたりと、かつての当地の信仰の様子を伺える。
imageさらに左手には本殿に合祀された「熊野神社」の旧扁額、さらには仏像の姿も。
image-203この境内社の一角は、正に江戸時代以前の新羽村の信仰を伝えるものであり、明治以降の神仏分離・廃仏毀釈・合祀政策などの中、こうして片隅にでも残されている事が貴重に感じる。

御朱印は社務所にて。
参道右手に授与所兼宮司様宅があるのだが、この日は社殿に連なる左手にいらしたので、声をかけたところ快く対応して下さった。
imageなお、兼務社である「北新羽杉山神社」についてもお伺いしたのだが、あちらは基本無人であり御朱印の用意はないとの事。

兼務社である北新羽鎮守の杉山神社・狛鼠がいる神社

当社からやや北西に北新羽鎮守とされる「北新羽杉山神社」が鎮座している。
鎮座地:神奈川県横浜市港北区新羽町3918
image普段は神職が常駐していない神社だが、当社の兼務社なのでこちらで少し触れたい。

同じ「杉山神社」であるが、御祭神は出雲神である大己貴命。
大国主として大黒様と習合している神である。
創建は、大和国一之宮「大神神社」(奈良県)の三輪明神を勧請したとの事で興味深い。
image「杉山神社」は、上述したように五十猛神や日本武尊を御祭神とされる事が多いのだが、こちらは大和国一之宮「大神神社」(奈良県)の三輪明神を勧請となっており、どういった経緯があったのかが謎である。
杉山信仰としてではなく、鶴見川流域の神社は御祭神や信仰に関係なく「杉山神社」と名付けられる事が多かったのか、それとも周辺の「杉山神社」からの勧請もあったのか。
やはり謎めいた部分が多い。

こちらで目を惹くのが社殿前に置かれた狛犬ならぬ狛鼠の存在である。
image右手にあるのが雄鼠。
image左手にあるのが雌鼠。
台座が丸くなっているのが特徴的で、この狛鼠は台座が回転する仕組みになっている。
image男性は雄の鼠を、女性は雌の鼠を1回転しながら願い事をするように、との事。
image平成になって奉納された新しいものであるが、御祭神の神使が鼠であり、鼠との逸話が残っている事から、こうして狛鼠が奉納されたのであろう。

社殿も中々立派。
imageこの社殿の右手には大黒様の像が奉納されている。
image小さな鼠が置かれており、こちらでも神使の鼠の姿を見る事ができる。

境内に社務所はあるのだが基本的には無人。
御朱印も用意していないとの事。

北新羽のこの地は中々に自然の残ったところであり、少し辺鄙な場所になるのだが、こうして奉納物などが新しく置かれている事からも、当社への崇敬を感じる。
新羽総鎮守である当社と共に、こちらの北新羽の「杉山神社」も参詣してみるのもオススメ。

北新羽杉山神社の鎮座地:神奈川県横浜市港北区新羽町3918

所感

新羽の総鎮守である当社。
謎多き「杉山神社」の一社であり、やはり鶴見川流域に鎮座している事も興味深い。
かつてはかなりの農村であった当地であるが、戦後になり住宅も増え、最近は再開発もされ駅周辺が整備されている。
そんな新羽において総鎮守として崇敬を集めており、新羽村にあったほとんどの神社は当社に合祀された事からも、当社が当地における重要な役割を果たしていたのであろう。
戦後になって整備されたと思われる境内には、ところどころに江戸時代以前の神仏習合の様子や、合祀される前の祠や扁額などが置かれており、当時の信仰の様子を伺う事ができるのが貴重に思う。
現在も地域からの崇敬を感じる事ができる鎮守であった。
合わせて北新羽鎮守の兼務社も参詣してみると面白いかもしれない。

神社画像

[ 社号碑・一の鳥居 ]
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[ 参道 ]
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[ 石段 ]
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[ 神馬像 ]
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[ 二の鳥居 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 境内社(不動明王・御嶽社・金比羅社) ]
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[ 古祠 ]
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[ 扁額・仏像 ]
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[ 神輿庫 ]
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[ 納札所 ]
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[ 石碑 ]
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[ 慰霊碑 ]
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[ 社務所・宮司様宅 ]
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[ 案内板 ]
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