戸部杉山神社 / 神奈川県横浜市

5.0
横浜市

神社情報

戸部杉山神社(とべすぎやまじんじゃ)

御祭神:大己貴命
社格等:延喜式内社(小社論社)・村社
例大祭:8月20日
所在地:神奈川県横浜市西区中央1-13-1
最寄駅:戸部駅・平沼橋駅
公式サイト(Instagram):https://www.instagram.com/tobe_sugiyamajinja/

御由緒

 当神社は、白鳳三年弥生二十日、出雲大社の御分霊を勧請す。武相の地杉山神社多きも、延喜式内の杉山神社は当社なりと云伝ふ。当神社の効顕の著しきを以て各近隣に杉山社の名称多くなれとも云ふ。古くより武蔵国戸部村の鎮守にして当地開拓の祖神なり。
 歴代の国守、地頭、代官等の尊信甚だ厚く、幕府よりは、御朱印を附与しあり。御祭神は天孫降臨以前に己に国土開拓経営に威霊を発揮せられ給ふ。即ち日本最初の神社祭神なり。貧賤病弱を救癒し産業を授けて富益を増し、医薬の道を興して氏族の繁栄の基を計り、剣争を用ひずして温和の中に諸事泰平の国本を培養せられ、国治家斎の法を授け給ふ。知謀悟道の祖を開き、国利民福を念とし、自を苦反し以て他を憐み給ふ。即ち当地開拓の先哲達人先ず此の大神を奉祀し、鎮護祈願せんため勧請せしなり。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2019/12/28(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2017/01/06(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

最新の御朱印情報
令和二年(2020)1月1日より「庚子歳限定御朱印」
※狛ねずみを銀色で押印。(下記公式Instagram参照)
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[2019/12/28拝受]
(通常)

[2017/01/06拝受]
(通常)

授与品・頒布品

御守
初穂料:800円
社務所にて。

歴史考察

狛ねずみが置かれたハマのだいこく様

神奈川県横浜市西区中央に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧戸部村(戸部町)の鎮守。
『延喜式神名帳』に記載された式内社「杉山神社」論社の一社。
横浜市・川崎市など一部区域に広がる「杉山神社」の信仰を伝える。
正式名称は「杉山神社」であるが、他との区別から「戸部杉山神社」とさせて頂く。
大黒天と習合した大己貴命(大国主命)を祀るため、「ハマのだいこく様」とも称される。
境内に狛犬ならぬ「狛ねずみ」が置かれているのが特徴的で親しまれている。

出雲一族によって開拓され創建された古社

社伝によると、白雉三年(652)に創建と伝わる。
戸部地方を開拓した一族が「出雲大社」の分霊を勧請し創建と伝わる。

御由緒書きには白鳳三年とされているが白鳳は白雉(はくち)の別称だと思われる。
この事から出雲一族が当地に移り住み、出雲一族によって創建されたと推測できる。
そのため御祭神は「出雲大社」の御祭神・大己貴命(大国主命)となっている。
大己貴命(おおなむちのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)の名でも知られる出雲の神。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の使者に国譲りを要請され、武力交渉の末に、天津神に国土を献上した事から「国譲りの神」とも呼ばれる。
国津神(天孫降臨以前より国土を治めていた土着の神)の最高神ともされ、古くから「出雲大社」の御祭神として知られる。
民間信仰によって「大国」が「だいこく」と読める事から、七福神でもある「大黒天(大黒様)」と習合していった。
縁結びの神・福の神として名高い出雲大社(いづもおおやしろ)の公式ウェブサイト。 御祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)で、広く「だいこくさま」として慕われ、日本全国でお示しになられた様々な御神徳は数多くの御神名によって称えられています。
出雲大社

「杉山明神社」と称され、歴代の国守・地頭・代官等から崇敬を集めたと云う。
当地の開拓神・鎮守として崇敬を集めた。

当社が「杉山明神社」と称された事で、地域には「杉山」の社号の神社が増えたとしている。
また、当社の境内からは古墳が発見されており、古くから人の生活があった事が窺える。

一部区域のみに見られる杉山神社の謎

「杉山神社」は、横浜市・川崎市など一部区域のみに見られる神社。

特に鶴見川流域に散在しており、鶴見川流域に広がった信仰なのが分かる。
東側は多摩川を超えると一切見られなくなるのが特徴。

当社の近くには帷子川水系の石崎川が流れており、帷子川流域にも杉山神社を多く見る事ができる。

上のマップ上に記したのが帷子川流域に鎮座する「杉山神社」「杉山社」の一覧。
いくつかの神社は創建から遷座していたり、河川の形が当時とは違うといった事もあるだろうが、こうして見ても河川沿いに点在しているのが分かる。

さらに南に大岡川があり、こちらの流域にも「杉山神社」がいくつか点在する。
これがほぼ境と云え、これより先には見る事ができない。

こうした特定の川の流域に沿って信仰が広まる神社は意外と多く、関東圏だと、荒川流域には氷川信仰の「氷川神社」、元荒川流域には久伊豆信仰の「久伊豆神社」、利根川流域には香取信仰の「香取神社」と、ほぼ境界を侵すことなく祀られている例がある。

よって「杉山神社」は杉山信仰として武蔵国南側に流れる鶴見川・帷子川・大岡川流域に浸透し、土着の神としてお祀りされたものと推測できる。

江戸時代の頃には「杉山神社」が72社あるとの記述が残っているが、現在は40社ほど。
現在は、五十猛神や日本武尊を主祭神とする神社が多い。

その中で当社のように出雲神である大己貴命(大国主命)をお祀りする「杉山神社」は珍しく、他には北新羽(港北区新羽町)の「杉山神社」くらいであろうか。
新羽杉山神社 / 神奈川県横浜市
新羽総鎮守。新羽郷(新羽村)の歴史。日本武尊の伝説。鶴見川流域に散財する謎多き杉山神社。神仏分離と合祀政策。兼務社の北新羽杉山神社・狛鼠のいる神社。御朱印。

このように「杉山」の社号を持っていても御祭神がバラバラとなっているのも謎を深める理由である。

式内社としての杉山神社と論社

こうした「杉山神社」の名は、古い書物に見る事ができる。

貞観十一年(869)に編纂された『続日本後紀』では「枌山神社」と記載。
延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』では小社に列格する「都筑郡一座 小 杉山神社」と記載。
これにより「杉山神社」は、延喜式内社(式内社)とされる。

延喜式内社(えんぎしきないしゃ)
『延喜式神名帳』に記載された神社を、延喜式内社(式内社)と云う。

しかしながら、この「杉山神社」がどの神社であったのかは不詳。
どの「杉山神社」が式内社であるかが不明となっているのが謎を深める要因ともなっている。

未だに多くの論社が存在し、いくつか有力とされる神社もあるが、確証が得られない限り現在も「杉山神社」として残るものはどれもが論社と云える事ができる。

その中で当社も式内社であったと称しており、論社の一社に挙げられる。
拝殿扁額にも「武州式内」の文字があり、式内社であるとしている。

府中にある武蔵国総社「大國魂神社(六所宮)」には、武蔵国六之宮として「杉山神社」が祀られている。「大國魂神社」では、横浜市緑区西八朔町の「杉山神社」が六之宮として祀られている。
西八朔杉山神社 / 神奈川県横浜市
武蔵国六之宮。武蔵国総社「大國魂神社」との関係。式内社「杉山神社」の有力論社。鶴見川流域に散在する杉山神社の謎。菊紋の社殿。現在は「武州柿生琴平神社」の兼務社。御朱印。

いずれにせよ「杉山神社」は現在も大変に謎に満ちた神社であり、当社もその一社である。

徳川将軍家より朱印地を賜る・神輿塚の伝承

江戸時代に入ると、徳川将軍家より朱印地を賜る。

朱印地(しゅいんち)
幕府などから寺社の領地として安堵(領有権の承認・確認)された土地のこと。
朱色の印(朱印)が押された朱印状により、所領の安堵がなされた事に由来する。

当社は戸部村の鎮守として崇敬を集めた。

当時の戸部村は天領(幕府直轄領)であった。

江戸時代の当社の例祭は盛んであったと伝えられる。
但し宮神輿は代々有しておらず、それにはこのような伝承が残る。

古墳に神輿を埋葬した伝承
当社の境内には古くから古墳があったと伝わる。(境内から実際に古墳が発見されている)
ある年の祭礼で神輿渡御中に、古墳の前で神輿が動かなくなったと云う。
そのため古墳の中に神輿を埋葬して「神輿塚」と称した。
それ以来、当社は宮神輿を有しておらず、それは現在も続いている。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(戸部村)
杉山明神社
除地五畝十二歩。西の方にあり。小社南向、上屋二間に三間、拝殿二間に四間。本地や櫛を神體とす。村の鎮守。例祭九月廿日。村内願成寺持。
社宮司社
除地二畝餘。

戸部村の「杉山明神社」と記されているのが当社。
「村の鎮守」と記されていて戸部村の鎮守であったのが分かる。

「社宮司社」は現在は当社の境内末社であり、古来「おしゃもじさま」と言われ、元々近くにあるくらやみ坂に鎮座していた。

別当寺は「願成寺」(現・西区西戸部町)であった。

「願成寺」も明治までは当社近く、くらやみ坂の下(現・西区役所付近)に置かれていた。

横浜開港・戸部町として発展・戸部町の鎮守

安政五年(1858)、江戸幕府がアメリカ合衆国と日米修好通商条約(安政五カ国条約)を締結。
これにより神奈川の開港が定められたものの、幕府は国防の面から東海道に直結する神奈川宿・神奈川湊を避け、対岸の寂れた漁村であった横浜村に開港場を新設することを決定。

神奈川宿(かながわしゅく)
東海道五十三次の3番目の宿場。
現在の神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町付近。
近くには神奈川湊(かながわみなと)と呼ばれる港があった。

安政六年(1859)、横浜港が開港され貿易を開始。

横浜市は同年を開港年、6月2日を開港記念日に制定している。

(横浜交易西洋人荷物運送之図)

文久元年(1861)に歌川貞秀が描いた『横浜交易西洋人荷物運送之図』。(「横浜市立図書館」より引用)

横浜絵の第一人者と呼ばれた歌川貞秀の作品。
多くの外国の商船が往来している横浜を描いている。
古くは寂れた漁村であった横浜が開港場となり、貿易の街として急速に発展していく。

横浜絵(よこはまえ)
江戸時代から明治時代にかけて描かれた浮世絵の様式。
横浜港、商館風建物、異国人の風俗などが描かれているのが特徴。

横浜港が開港した事で、横浜周辺が急速に発展。
横浜道が村内に開削され、横浜港を管轄するための神奈川奉行所、役宅、監獄(横浜刑務所の起源)など官庁機構が戸部の地に集中して置かれた。
戸部村内にも町屋が形成され、戸部町と改称し、当社は戸部町の鎮守となった。

明治以降の歩み・戦前の古写真・戦後の再建

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、村社に列した。

明治初期には、横浜の市街地拡大と共に、戸部町から宮崎町・伊勢町・老松町・月岡町などが分離、さらに埋立地は桜木町となっていく。当社はこうした一帯の鎮守として崇敬を集めた。

明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され、横浜市戸部町となる。

明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
戸部町の地名を見ることもでき、一帯がかなり発展しているのが窺える。
横浜開港によって官庁機関が集中し、戸部町は大いに栄えた。

明治四十年(1907)、社殿を改修し神饌幣帛料供進社に指定。

大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
当社も震災の被害を受け、社殿など多くを焼失。

例祭に使われていた山車、神輿なども焼失してしまったと云う。

その後は社殿の再建はされず、仮殿のままであった。

(神奈川県神社写真帖)

上写真は昭和十三年(1938)に万朝報横浜支局が発行した『神奈川県神社写真帖』。

黒く潰れてしまっているものの、かなり簡素な境内と社殿になっているのが分かる。
これは関東大震災から再建されずに仮殿のままでいた事によるもので、画像にあるのは仮殿であったのだろう。

昭和二十年(1945)、横浜大空襲によってこの一帯は多大な被害を受ける。
しかしながら当社は、炎上する熱気によって境内の樹木が水蒸気を吹き出したため、境内を無傷で守ったとされている。

こうした事から戦後は「火伏せ」の御神徳もあると崇敬されている。

昭和三十一年(1956)、鉄筋コンクリート造の社殿が再建。
関東大震災以来、仮殿であった当社の社殿がこうして再建に至った。

平成十四年(2002)、創建1350年を記念して、狛ねずみを建立。
他にも境内整備が進み当地一帯の鎮守として崇敬を集めている。

境内案内

横浜市西区役所近くに鎮座

最寄駅の戸部駅からは徒歩数分。
横浜市西区役所のやや北側に鎮座。

西区役所の基本情報、交通アクセス

鳥居を潜るとすぐ左手に御神木。
横浜大空襲の際は、境内の樹木が当社を守ったと伝わっており、割れた木肌からも生命力の強さを感じさせてくれる。

参道途中に当社の特徴である狛ねずみが置かれているが後述。

参道の左手に手水舎。
水が張られ身を清める事ができる。

戦後に再建された社殿・予定される社殿改修事業

参道の正面に社殿。
昭和三十一年(1956)に鉄筋コンクリート造で再建されたもの。
関東大震災以来、仮殿の状態が続いていたため再建は氏子にとっての念願だったのであろう。
再建時は神奈川県建築コンクール第一部に入賞したと云う。
御祭神は大己貴命(大国主命)で、大黒様と習合した神であるため、拝殿前には打ち出の小槌が掲げられている。
本殿も同様に鉄筋コンクリート造によるもの。

打ち出の小槌は大黒様の持ち物とされる。
現在は社殿改修事業の奉賛を募集中
社殿の老朽化によって2019年より3年を予定して改修の奉賛を募集している。
社殿の屋根葺き替え工事・社殿の大規模改修・塗り直しを予定。
完成予定図として朱色の社殿が掲示されている。

境内社の五社殿・聖徳太子殿

社殿の右手に境内社が並ぶ。

フェンスがあり門が閉じられている事もあるため、その場合は参拝する際には申し出る必要がある。

本殿のすぐ右に鎮座するのが五社殿。
「おしゃもじさま」と呼ばれた社宮祠社の他、天神社・稲荷社・山王社・厳島社・浅間社・三峯社を祀っており、数は合わないが五社殿と称されている。
いずれも当社周辺に鎮座していた神社が境内に遷座され合祀された。

その右隣には聖徳太子殿。
いわゆる六角堂の形状。
太子講が構成されており氏子崇敬者によって造営された。

狛犬ならぬ「狛ねずみ」・回転させて祈願

当社の特徴として狛犬ならぬ「狛ねずみ」が置かれている事にある。

狛犬も拝殿前に置かれている。

平成十四年(2002)に創建1350年を記念して建立されたもの。
右側がオス、左側がメスとなっており、台座が回転式となっていて回るのが特徴。
それぞれの性別の狛鼠を、内側にゆっくり一回転させて願掛けをする。
打ち出の小槌を持った狛ねずみが、くるくると回転する姿は可愛らしい。
御祭神である大己貴命(大国主命)の神使はねずみであるため、こうして奉納された。

回転する様子は筆者のTwitterにて動画で少し公開。

同様の回転する狛ねずみは北新羽(港北区新羽町)の「杉山神社」でも見る事ができる。当社と同様に大己貴命を祀っている。
新羽杉山神社 / 神奈川県横浜市
新羽総鎮守。新羽郷(新羽村)の歴史。日本武尊の伝説。鶴見川流域に散財する謎多き杉山神社。神仏分離と合祀政策。兼務社の北新羽杉山神社・狛鼠のいる神社。御朱印。

黒沢年雄氏が奉納した大黒天像

また境内の一画には大黒天像が置かれている。
これは俳優の黒沢年雄氏が奉納したもの。
出身地が当地周辺だと云う。

当社の御祭神である大己貴命(大国主命)は、七福神の大黒天と習合した神であるため、こうして大黒天像が奉納された。

御朱印・令和二年は狛ねずみの限定御朱印を授与

御朱印は社務所にて。
とても丁寧に対応して頂いた。

御朱印は「戸部杉山神社」の朱印、打ち出の小槌の印。
左が2017年に頂いたもので、右が2019年に頂いたもの。

令和二年(2020)は子年(ねどし)のため、狛ねずみが置かれた当社では限定御朱印を用意。
最新の御朱印情報
令和二年(2020)1月1日より「庚子歳限定御朱印」
※狛ねずみを銀色で押印。(下記公式Instagram参照)
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他にもねずみ系の授与品が数多く用意されているので頂くのもよいだろう。

所感

旧戸部村の鎮守として崇敬を集めた当社。
謎多き「杉山神社」の中でも、出雲神を祀る珍しい神社で、やはり杉山信仰は謎めいている。
御祭神の神使として狛ねずみが奉納されていて、くるくると回転する仕組みがとてもユニーク。
令和二年(2020)は子年のため、かなり注目を浴びるのではないだろうか。
平日に参拝すると、近くの保育園の子供たちや、ご年配の老夫婦など多くの方が参拝に訪れており、設置された狛ねずみを楽しそうに回す姿が印象的であった。
地域に親しまれる鎮守であり、狛ねずみという個性的な魅力もある良い神社である。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]


[ 茅の輪台(設置前) ]

[ 手水舎 ]


[ 拝殿 ]






[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 狛鼠 ]







[ 大黒天像 ]

[ 五社殿 ]


[ 聖徳太子殿 ]


[ 神輿庫・神楽殿 ]

[ 絵馬掛 ]

[ 石碑 ]

[ 社務所 ]

[ 案内板 ]


Google Maps

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