恵比寿神社 / 東京都渋谷区

渋谷区

概要

商売繁盛に縁結び・恵比寿の産土神

東京都渋谷区恵比寿西に鎮座する神社。
旧社格は無格社で、恵比寿地区の産土神(うぶすながみ)。
古くは「大六天様」と称された神社で、「天津神社」とも呼ばれた。
戦後になり区画整理の際に、地名に因み「西宮神社」(兵庫県西宮市)よりえびす様を合祀して「恵比寿神社」へ改称、商売繁盛に縁結びの神社として崇敬を集めている。
古くは「渋谷氷川神社」の境外末社という扱いで現在も「渋谷氷川神社」が兼務。
えびす講である10月19日・20日は、日本橋本町の「宝田恵比寿神社(宝田神社)」の「日本橋べったら市」を模して、「恵比寿べったら市」が開催され、恵比寿の秋の風物詩として定着している。

神社情報

恵比寿神社(えびすじんじゃ)

御祭神:国常立神・豊雲野神・角杙神・意富斗能地神・伊邪那岐命・伊邪那美命・蛭児大神(えびす様)
社格等:─
例大祭:4月19日・20日(春季大祭)、10月19日・20日(秋季大祭/恵比寿べったら市)
所在地:東京都渋谷区恵比寿西1-11
最寄駅:恵比寿駅
公式サイト(Twitter):https://twitter.com/tokyoebisujinja

御由緒

恵比寿神社は古伝によると景行天皇の時代(約二千年前)古代の英雄・日本武尊が東国平定の折に、この恵比寿の地に憩い、神世七代の中の六天神を祀ったと伝えられています。その後、土地の民が尊の徳を称え、天津神社(大六天様)と称して家内安全、無病息災、五穀豊穣の神々として広く住民に崇め祀られて参りました。戦後、区画整理により記念事業として現在地に社殿を新築し、これを契機に昭和三十四年恵比寿という地名に因んで、兵庫県西宮神社より商売繁盛縁結びの神であるえびす様を合祀し、社名を恵比寿神社に改めました。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2023/10/19(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2022/10/19(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2021/10/19(御朱印拝受)
参拝日:2021/10/05(御朱印拝受)
参拝日:2020/10/20(御朱印拝受)
参拝日:2020/08/28(御朱印拝受/御朱印帳拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/10/20(御朱印拝受)
参拝日:2015/12/15(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:500円
恵比寿商店街会館にて。

※参道入口(駒沢通り沿い)の恵比寿商店街会館にて平日11時-17時の間に別紙のものを頂ける。
※秋季大祭(恵比寿べったら市)開催日は本務社の「渋谷氷川神社」の神職が来るため御朱印帳に直書きを頂ける。(2020年2021年は新型コロナウイルスのため中止)
※以前は初穂料300円だったが現在は500円に変更。

御朱印帳

オリジナル御朱印帳
初穂料:2,500円
恵比寿商店街会館にて。

2019年よりオリジナルの御朱印帳を用意。
恵比寿神社らしく恵比寿様をデザイン。
鳥居や青海波など縁起物が施された賑やかな御朱印帳。
裏面には「人、仕事、縁づくりの福の神」「旧 大六天 天津神社」と旧社号も記してある。

授与品・頒布品

福富くじ
初穂料:─
特設授与所にて。

10月19・20日の秋季大祭で授与品を頂いたり朝に参拝すると頂けるくじ。
現金が当たる商店街をあげてのイベント。

鯛みくじ(西宮神社)
初穂料:500円
特設授与所にて。

2020年以降の例大祭にて特別授与。
えびす宮総本社「西宮神社」(兵庫県西宮市)で正月限定で授与している鯛みくじ。
当社に蛭児大神(えびす様)を勧請した縁から特別に授与された。
大吉の上、大福のおみくじ入り。

歴史考察

古くは大六天様と呼ばれた神社

社伝によると、創建年代は不詳。
古伝として日本武尊の伝承が伝わる。

日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝承
景行天皇の御代(71年-130年)に、日本武尊が東国平定の折に当地(現・恵比寿周辺)で休み、その際に神世七代の中の六天神を祀ったと云う。
神世七代(かみのよななよ)
日本神話において世界が初めて生まれた時のことを天地開闢(てんちかいびゃく)と呼び、その際に生まれた七代の神の総称。
最初に三柱の神が生まれ「造化の三神(ぞうかのさんじん)」と呼ばれる。
次に二柱の神が生まれ「造化の三神」と合わせて「別天津神(ことあまつかみ)」と呼ぶ。
その次に二柱の神、さらに五組十柱の神々が生まれ、これら十二柱を総称して「神世七代(かみのよななよ)」と呼んだ。

当社には神世七代(12柱)の神のうち6柱の神が祀られたと云う。

当社に祀られた御祭神は国常立神(くにのとこたちのかみ)・豊雲野神(とよぐもぬのかみ)・角杙神(つぬぐいのかみ)・意富斗能地神(おおとのぢのかみ)・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の6柱。

そのため古くは「大六天様(漢字は第六天を充てた史料もある)」「大六様」などと称され信仰された。

当社の御神体は六角形の面にそれぞれの面に六柱の神々の御名が彫られた石柱。現在も当社に祀られている。

江戸切絵図から見る現在の恵比寿地区

現在の恵比寿地区は、江戸時代の頃は下渋谷村・三田村の一画であった。

当社周辺は下渋谷村の外れの農村であり、当社は村民によって維持された小さな祠であったと思われる。

当時の恵比寿地区の様子は江戸の切絵図からも見て取れる。

(目黒白金辺図)

こちらは江戸後期の目黒・白金周辺の切絵図。
右が北の地図で、恵比寿地区は図の右上に僅かに描かれている。

(目黒白金辺図)

当社周辺を拡大し北を上にしたものが上図。大まかに当社と恵比寿駅の位置を追記。

青円で囲った箇所に「渋谷廣尾町」の文字が見え、現在の駒沢通りに沿っては渋谷広尾町と云う町家の一画としてやや発展していたものの、その周囲は殆どが畑で百姓地の農村であった。
現在の当社の鎮座地や恵比寿駅周辺も同様に畑であった事が分かる。

当時の当社は現在の恵比寿駅近くに鎮座していた。

橙円で囲った箇所は赤穂藩森家の下屋敷。
赤穂浪士でも知られる赤穂藩だが浅野家は断絶しこの頃は森家が藩主となっていた。

このように百姓地の多い恵比寿地区の産土神として村民によって大切に維持された。

明治に入り天津神社へ改称・当時の史料から見る当社

明治になり神仏分離。
「大六天」と呼ばれていた当社は「天津神社(あまつじんじゃ)」へ改称。

天津神(あまつかみ)
高天原(たかあまはら)の神を「天津神」と総称。
当社に祀られている「神世七代(かみのよななよ)」の神々も天津神に含まれる。
天津神の神世七代のうち6柱を祀る事から「天津神社」へ改称されたと推測できる。

当社について文献で確認できるのが、明治十七年(1884)に東京府社寺課に提出した書類。

武蔵国豊島郡下渋谷村鎮座
無格社
社殿間口三尺、奥行四尺
鎮座年月不詳、氏子無、信徒三人
社地官有地、壱畝拾六歩

無格社で、氏子はなく信徒が3人のみと云う記載。
地域の村民によって細々と維持されていた事が窺える。

大正五年(1916)に発行された『豊多摩郡誌』には、「渋谷氷川神社」の境外末社と記載。

渋谷氷川神社」は現在の恵比寿地区も含めた旧下渋谷村・旧下豊澤村の鎮守であり、この地域の住民は「渋谷氷川神社」の氏子となる。「渋谷氷川神社」の氏子によって、維持し崇敬されてきた末社であった事が窺える。
渋谷氷川神社 / 東京都渋谷区
渋谷区南端一帯の総鎮守。毎月15日はいいご縁の日・縁結び御朱印・縁結び祈願祭。縁結び御朱印帳・縁むすび書き置き御朱印帳。細工御朱印。江戸七氷川の一。渋谷最古の神社。江戸郊外三大相撲の金王相撲と土俵。戦前の社殿。江戸時代の狛犬。広い境内。

恵比寿の地名由来はヱビスビール

明治二十年(1887)、日本麦酒醸造会社(サッポロビールの前身)が、当地周辺に工場建設用地を取得。
明治二十三年(1890)、「恵比寿麦酒(現在のヱビスビール)」と命名されたビールが発売された。

ヱビスビールの由来・恵比寿の地名由来に
ヱビスビールの由来は、当初は七福神「大黒天」から命名しようとしていたものの、既に「大黒ビール」が存在したために、同じく七福神から「恵比寿」を採用したと云う。
ビールの商品名「恵比寿麦酒(ヱビスビール)」が、現在の「恵比寿」の地名由来となる。
https://www.sapporobeer.jp/yebisu/history/

明治二十四年(1891)、日本鉄道のビール出荷専用の貨物駅が開業し「恵比寿停留所」と命名。
明治三十九年(1906)、貨物駅の隣に旅客駅も置かれ「恵比寿駅」となり、駅だけでなく駅周辺がいつしか「恵比寿」と呼ばれるようになり、この呼名が定着していく。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、当時も神社の地図記号があるようにこの地に何かしらの神社の社地があった事が分かるが、当時の当社は橙円で囲った恵比寿駅近くの場所であった。
緑円で囲った箇所が恵比寿駅、黄色で囲った箇所が「恵比寿麦酒製造所」(現在の恵比寿ガーデンプレイス一帯)となっている。

青円で囲った箇所に「渋谷広尾町」の文字が見え、当時はまだ江戸時代同様に渋谷広尾町の一画であった事が窺える。

昭和三年(1928)、公式に恵比寿が町名として採用される。
当時は恵比寿駅の東側から白金に向う一帯に「恵比寿通り」という町名が付けられた。
これによりさらに恵比寿という地名が浸透していく。

遷座・西宮神社よりえびす様を勧請し恵比寿神社へ

昭和三十四年(1959)、区画整理によって恵比寿駅前に鎮座していた当社を現在の鎮座地へ社殿を新築し遷座。
これを機に「恵比寿」という地名、そしてその「恵比寿」の町名の由来にもなったサッポロビールの「ヱビスビール」にあやかり「恵比寿神社」へと改称。
さらに、えびす神社の総本社とも云われる兵庫県西宮市の「西宮神社」から、蛭児大神(えびす様)を勧請して合祀した。

昭和三十五年(1960)、住居表示法施行に先立って順次町名整理が行われる。
こうして現在の「恵比寿」地区の地名が誕生する事となった。

ビール工場は恵比寿ガーデンプレイスに
恵比寿の地名由来となったビール工場は、昭和六十三年(1988)に千葉県に移転、その跡地が現在の「恵比寿ガーデンプレイス」となっている。
なお「恵比寿ガーデンプレイス」内にも小さな「恵比寿神社」があり、そちらは企業内神社となっている。
アクセス制限されました

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

恵比寿駅近くの裏路地に鎮座

恵比寿駅からも徒歩数分の距離に鎮座。
駒沢通りから恵比寿商店街会館がある角を曲がると路地裏が当社への参道。
この先に小さな境内となる。

人気の飲食店なども並ぶ通り。路地裏ながら人通りも多い。

区画整理で遷座した小さな神社

路地が参道になっていて正面に鳥居。
昭和三十五年(1960)に建立された鳥居。
社号碑も同年のもので、昭和三十四年(1959)に当社が遷座された際に建立されたのが分かる。

区画整理によって恵比寿駅前から現在地に遷座した当社。
当社のために社地を用意し、恵比寿駅周辺の区画を整理したのが分かる立地。
当社を楕円形で囲むように玉垣が設けられているのが特徴的で、ここに当社のための社地を用意し、それに沿うように道路を敷いた事が分かる。

恵比寿の産土神として恵比寿地域の発展を願って大切に整備された事が窺える。

鳥居を潜ると参道の右手に手水舎。
身を清める事ができる。

新型コロナウイルス対策で現在は水は張られておらず、代わりにアルコール除菌スプレーが置かれている。

遷座した際に造営された社殿

参道の正面に社殿。
昭和三十四年(1959)に当地へ遷座の際に造営されたもの。
綺麗に維持された木造社殿。
拝殿には心願成就。
美徳天道の文字。
石造りの本殿。

小さな神社ながら参拝する方の姿が大変多い。道行く方や崇敬者が気軽に参拝していく姿はとても素晴らしく、恵比寿で親しまれている神社なのがよく伝わる。

社殿の左手には社務所。
こちらは普段は無人。

御朱印は平日に恵比寿商店街会館にて

普段の御朱印は駒沢通り沿い(参道入口)にある恵比寿商店街会館にて。
中に商店街の方がいらっしゃるので別紙のものを頂ける。

平日11時-17時の間のみ。土日祝日は基本的に開いていない。

御朱印は「恵比寿神社印」の朱印、かつて「大六天様」と称されたため左下は六角形の印。
通常御朱印も恵比寿様が描かれた賑やかな御朱印に。

以前は秋季例大祭・恵比寿べったら市で直書きも
以前は毎年10月開催の秋季例大祭「恵比寿べったら市」の開催日は「渋谷氷川神社」の神職が来られるので、御朱印帳に直接頂けた。(2020年以降は直書きは中止で書き置きのみ)
こちらは2016年の恵比寿べったら市で頂いた直書きの御朱印。
秋季例大祭の限定御朱印
2020年以降は10月19日・20日に「例大祭限定御朱印」の授与が行われている。
別紙のみとなっているが特別な御朱印。
2021年以降も同じデザイン。
また「西宮神社」から鯛みくじも届き授与が行われた。(大吉の上位の大福いり)
以前頂けた旧御朱印
2020年以前に頂けた旧御朱印。
左下の印は、かつて「大六天様」と称されたため六角形の印となっていると思われる。

賑やかな恵比寿様の御朱印帳

令和元年(2019)よりオリジナル御朱印帳も用意。
表面には恵比寿様がデザインされ両面に鳥居や青海波など縁起物が施された賑やかな御朱印帳。
裏面には「人、仕事、ご縁づくりの福の神。」の文字。

「東京 恵比寿神社」の社号の他、旧社号である「大六天」「天津神社」の文字も見る事ができ、当社の歴史を伝えている。

御朱印と同様に平日に恵比寿商店街会館にて頂ける。(在庫がある場合のみ)

恵比寿べったら市の起源は日本橋べったら市

当社の秋季例祭は「恵比寿べったら市」として10月19日・20日に開催。

以下、「恵比寿べったら市」の画像は2022年に撮影したもの。

現在ではお洒落な街の代表格にもなった恵比寿で賑わいを見せるお祭り。当社の「べったら市」の歴史は古いものではなく近年始まったもの。
宝田恵比寿神社(宝田神社)」で行われる「日本橋べったら市」を模して開催されるようになった。

宝田恵比寿神社(宝田神社) / 東京都中央区
「日本橋べったら市」で有名な恵比寿様。10月19日・20日開催「日本橋べったら市」。べったら漬の由来・東京の名産品。宝田村の鎮守・宝田稲荷が起源。江戸城拡張で宝田村が大伝馬町へ移転。江戸を代表する町・大伝馬町。無人の小さな神社。御朱印。

べったら市の起源は「えびす講」と呼ばれる例祭。

恵比寿神と神無月
10月は旧暦で「神無月(かんなづき)」と呼ばれる。
これは「出雲大社」に全国の神が集まるため、出雲以外に神がいない事から神無月。
後に広められた民間語源であるが、こうした語源が広まった事で、全ての神が出雲へ出向いてしまっては、その地域を鎮護する神がいなくなってしまうという事から、「留守神」と呼ばれる留守番をする神も考え出されるようになり、この留守神にあてられたのが恵比寿神である。
10月のえびす講
そのため10月には、恵比寿神へ1年の無事を感謝し、五穀豊穣・大漁・商売繁盛を祈願する「えびす講」と呼ばれる例祭が10月20日に行われるようになった。

ebisukou(恵比寿講ゑびすこふ)

喜多川歌麿が描いた『恵比寿講ゑびすこふ』。

宝田恵比寿神社(宝田神社)」でも、「えびす講」が行われるようになり、えびす講の前日である19日に恵比寿様へお供えするものを売る市が立ち、魚や野菜・神棚などが売られるようになったのが起源とされている。
そしてべったら漬がよく売られるようになったため、いつしか「べったら市」と称された。

べったら漬
大根の麹漬の一種で、東京を代表する名産品。
べったら漬の由来は、若者が混雑を利用し、参詣の婦人に「べったらだーべったらだー」と呼びながら着物の袖につけ婦人たちをからかったことから、べったらの呼名になったと伝えられている。
いつしか「福がべったり付く」という縁起物としても評判となっていく。
当社の「恵比寿べったら市」はこの「日本橋べったら市」を模したもの。

年々盛り上がる恵比寿べったら市・福富くじ

そんな日本橋発祥の「べったら市」。
当社でも恵比寿の名に因み開催されるようになる。

当社に恵比寿神が祀られたのが、当地に遷座した昭和三十四年(1959)であるので、それ以降に始まった比較的新しい祭り。

駒沢通りや参道には多くの露店が立ち並ぶ。
コロナ禍では2020年・2021年と中止となったが2022年に復活。
2022年は3年ぶりに露店も出店。
こちらは制限なく行われた2023年の様子。

境内では商店街や崇敬者の方々によって様々なイベントが催されている。
恒例となっている包丁研ぎ。
1人2丁まで無料で包丁を研いてくれる。
なかなかに珍しい光景。

特に注目すべきは「福富くじ」というくじ。
こちらは4年ぶりに福富くじが再開となった2023年のポスター。

福富くじ
恵比寿駅前商店街に加盟しているお店で商品を購入すると「福富くじ」が貰え現金が当たるという内容となっており、正に商店街を挙げてのイベント。
朝に当社に参拝すると「福富くじ」を貰う事もできて参拝者も嬉しい仕組み。
2022年は3年ぶりに「恵比寿べったら市」は再開されたが、残念ながら「福富くじ」などの一部イベントは中止。2023年からは「新・福富くじ」として再開。

本家である「日本橋べったら市」ほどの規模ではないが、商店街や崇敬者が盛り上げようと努力されているのが伝わるお祭りであり、とても素敵なお祭りとなっている。

所感

恵比寿の産土神として祀られていた当社。
元々規模の小さな祠であったと見られ、村民たちによって細々と維持されていたのであろう。
明治以降、そして戦後の恵比寿の発展で、神社として大切にされ、共に歩んできたとも云える。
恵比寿は比較的新しい街であるが、そうした恵比寿という街の中心地の一画に鎮座し、こうして綺麗に管理され維持されているのは、地域からの崇敬の篤さがあるからこそ。
氏子をもたない末社(兼務社)という扱いだが、特に恵比寿商店街の方々が維持に尽力しているのが伝わる。
人通りの多い恵比寿において、途絶える事なく参拝している姿を見る事ができる良い神社。
そして秋季例大祭の「恵比寿べったら市」はまだ歴史の浅いお祭りではあるが、崇敬者の努力が感じられ、新らしい街・恵比寿らしさのある素敵なお祭りである。

Google Maps

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