恵比寿神社 / 東京都渋谷区

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神社情報

恵比寿神社(えびすじんじゃ)

御祭神:国常立神・豊雲野神・角杙神・意富斗能地神・伊邪那岐命・伊邪那美命・事代主命
社格等:─
例大祭:4月19日・20日(春季大祭)、10月19日・20日(秋季大祭/恵比寿べったら市)
所在地:東京都渋谷区恵比寿西1-11
最寄駅:恵比寿駅
公式サイト:─

御由緒

 恵比寿神社は渋谷区恵比寿地区の産土の神です。古伝によると、景行天皇の時代(約二千年前)、古代の英雄・日本武尊が東国平定の折に、この恵比寿の地に憩い、神世七代の中の六天神を祭ったと伝えられています。
 ヤマトタケルノ尊は『古事記』『日本書紀』によると、大和(奈良県)より、焼津、走水より、海路をとり、千葉に至りました。海で暴風雨のため遭難しかけた時、妃のオトタチバナヒメノ命が海中に身を投げて、海神の怒りを鎮めたという伝説は広く知られるところです。
 そして、ヤマトヤケルノ尊は大和への帰り道に関東をながめ、オトタチバナヒメを思い、三度嘆息して、「吾妻(あづま)はや」といわれました。これが関東(あづま)の謂れだとされています。
 その後、土地の民が尊の徳を称え、代々、天神を祭祀しました。これが恵比寿神社の前身である「天津神社」で、第六天とも呼ばれていました。ご神体は六角形の面にそれぞれの面に六柱の神々の御名が彫られた石柱で、現在も、恵比寿神社に祭られています。
 昭和三四年、さらなる街の発展を願い、恵比寿(古代はこの辺りが海岸線でした)という地名に因んで、鯛を抱かれた福徳の神《えびす様》である事代主命を合祀して恵比寿神社と改称しました。その際、えびす様の総本社である西宮神社(兵庫県神戸市)からご神像のミタマ入れをしていただきました。
 現在、恵比寿神社は恵比寿地区の発展とともに、ますますご神威が輝いております。(頒布の資料より)

参拝情報

参拝日:2016/10/27(ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/10/20(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/12/15(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
恵比寿商店街会館(通常)・昇殿(恵比寿べったら市)にて。

※普段は神職が常駐していない神社のため、参道入口(駒沢通り沿い)の恵比寿商店街会館にて、印刷のものを頂ける。
※恵比寿べったら市開催日は本務社の「渋谷氷川神社」の神職が来られるため、御朱印帳に直接拝受できる。

[2016/10/20拝受]
(恵比寿べったら市)

[2015/12/15拝受]
(通常印刷御朱印)

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歴史考察

恵比寿の産土神

東京都渋谷区恵比寿西に鎮座する神社。
恵比寿地区の産土神であり、かつては「天津神社」として創建し、戦後になってから恵比寿神を合祀して「恵比寿神社」となった。
古くから現在も「渋谷氷川神社」の境外末社という扱いになっている。
えびす講である10月19日・20日は、日本橋本町の「寶田恵比寿神社(宝田神社)」の「日本橋べったら市」を模して、「恵比寿べったら市」が開催され賑わう。

天津神社・第六天と呼ばれた神社

創建年代は不明とされている。

社伝には、日本武尊の伝承がある。
景行天皇の時代(71-130)に、日本武尊が東国平定の折に恵比寿で休み、その際に
神世七代の中の六天神を祀ったと伝えられている。

かつては「天津神社(あまつじんじゃ)」という名で創建。
現在の恵比寿駅前に鎮座していた。

社伝に伝わるように御祭神が六天神(国常立神・豊雲野神・角杙神・意富斗能地神・伊邪那岐命・伊邪那美命)であったため、「第六天」とも「第六様」とも呼ばれ、親しまれていたと伝えられている。

神社の「天津」の由来は、高天原の神を「天津神」と総称する事からきているのだろう。
但し、「天津神社」時代の資料がほぼ残っておらず、これらは伝承の面も強い。
古くから現在の恵比寿地区の産土神として村民によって大切にされていたようだ。

なお、現在の恵比寿地区は、江戸時代の頃は下渋谷村・三田村の一角であった。
当社周辺は下渋谷村の外れの農村であり、そうした地域から崇敬を集めた。

明治以降の史料から見る当社

明治になり神仏分離。
当社はまだ田舎の農村であった現在の恵比寿地区で、細々と維持されていたようだ。

当社について文献で確認できるのが、明治十七年(1884)に東京府社寺課に提出した書類。

武蔵国豊島郡下渋谷村鎮座
無格社
社殿間口三尺、奥行四尺
鎮座年月不詳、氏子無、信徒三人
社地官有地、壱畝拾六歩

無格社であり、氏子はなく信徒が3人のみの小さな神社った事が分かる。
地域の村民によって細々と維持されていたのであろう。

また、大正五年(1916)に発行された『豊多摩郡誌』には、「渋谷氷川神社」の境外末社と記載されている。

渋谷氷川神社」は恵比寿のこの一帯も含めた氏神であり、この地域の住民は「渋谷氷川神社」の氏子となる。
この事から、「渋谷氷川神社」の氏子によって、維持し崇敬されてきた末社の1社であった事が分かる。

渋谷区南端一帯(旧下渋谷村・旧下豊澤村)の総鎮守。江戸氷川七社の一社。渋谷最古とされる神社。江戸郊外三大相撲である金王相撲。常盤御前の伝説が残る御神木の常盤松。江戸切絵図や江戸名所図会に描かれた当社。戦火を免れた立派な社殿。御朱印。

当時の恵比寿周辺は大層な田舎であったので、村民から家内安全・無病息災・五穀豊穣を願ってお祀りされていたのではないだろうか。

恵比寿の地名由来はヱビスビール・区画整理により遷座と改称

明治二十年(1887)、日本麦酒醸造会社(サッポロビールの前身)が、当地周辺に工場建設用地を取得。
明治二十三年(1890)、「恵比寿麦酒(現在のヱビスビール)」と命名されたビールが発売された。

このビールの由来であるが、当初は七福神「大黒天」から命名しようとしていたが、既に「大黒ビール」が存在したために、同じく七福神から「恵比寿」を採用したとされる。
このビールの商品名「恵比寿麦酒(ヱビスビール)」が、現在の「恵比寿」の地名由来である。

明治二十四年(1891)、日本鉄道のビール出荷専用の貨物駅が開業し「恵比寿停留所」と命名された。
明治三十九年(1906)、貨物駅の隣に旅客駅も置かれ、駅だけでなく駅周辺がいつしか「恵比寿」と呼ばれるようになり、この呼名が定着していく。

公式に恵比寿が地名として使用されたのは、昭和三年(1928)の事。
当時は恵比寿通りという地名が付けられ、さらに恵比寿という地名が浸透していく。

昭和三十四年(1959)、区画整理によって恵比寿駅前に鎮座していた当社が、現在の場所へ社殿を新築し遷座。
これを機に「恵比寿」という地名、そしてその「恵比寿」の町名の由来にもなったサッポロビールの「ヱビスビール」にあやかり「恵比寿神社」へと改称。
さらに、えびす神社の総本社とも云われる兵庫県西宮市の「西宮神社」から、事代主命(恵比寿神)を勧請して現在に至る。

昭和三十五年(1960)から住居表示法施行に先立って順次町名整理が行われる。
こうして現在の「恵比寿」地区の地名が誕生する事となった。

なお、恵比寿の地名由来となったビール工場は、昭和六十三年(1988)に千葉県に移転、その跡地が現在の「恵比寿ガーデンプレイス」となっている。
「恵比寿ガーデンプレイス」内にも小さな「恵比寿神社」があり、そちらは企業内神社となっている。
東京都渋谷区および目黒区に跨る複合施設、恵比寿ガーデンプレイスの公式ホームページです。JR山手線地下鉄日比谷線恵比寿駅徒歩5分。緑あふれる施設内ではレストラン、映画、写真美術館、ビール博物館、ショッピングが楽しめます。

狭い境内でも参拝者多数

恵比寿駅からもほど近い場所に鎮座する当社。
駒沢通りから入った路地裏が当社への参道。
img_2055この先に小さな境内となる。
img_2057玉垣に囲まれた境内で、鳥居があり、その右手に手水舎。
img_2059小さな神社であるが常に水が張られていて、清める事ができるのは有り難い。

社殿は昭和三十四年(1959)に当地へ遷座の際に新築されたもの。
img_2058無人の神社ながら状態よく整備されているのは、崇敬者による管理の賜物であろう。

こうした小さな神社ながら参拝する方の姿が大変多い。
恵比寿に馴染んだ神社であり、道行く方や崇敬者が気軽に参拝していく姿は、とても素晴らしい。

左手には社務所があるのだが、そちらは普段は無人となっている。
普段の御朱印は駒沢通り沿い(参道入口)にある恵比寿商店街会館にて印刷のものを拝受できる。
%e5%95%86%e5%ba%97%e4%bc%9a%e9%a4%a8当社はこうして恵比寿商店街の方々から崇敬を集め、大切に管理されている神社である。
なお、例大祭である「べったら市」の開催日は「渋谷氷川神社」の神職が来られるので、御朱印帳に直接頂ける。

恵比寿べったら市の起源は日本橋べったら市

当社の例祭は「恵比寿べったら市」として10月19日・20日に開催される。
現在ではお洒落な街の代表格にもなった恵比寿で、賑わいを見せるお祭りとなる。img_1745当社の「べったら市」の歴史は古いものではなく近年始まったもの。
寶田恵比寿神社(宝田神社)」で行われる「日本橋べったら市」を模して開催されるようになった。

べったら市の起源は、「えびす講」と呼ばれる例祭。

旧暦10月は神無月と呼ばれ「出雲大社」に全国の神が集まるため、出雲以外に神がいない事から神無月。
これは後に広められた民間語源であるが、こうした語源が広まった事で、全ての神が出雲へ出向いてしまっては、その地域を鎮護する神がいなくなってしまうという事から、「留守神」と呼ばれる留守番をする神も考え出されるようになり、この留守神にあてられたのが恵比寿神。
そのため旧暦10月には、恵比寿神へ、1年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁、商売繁盛を祈願する「えびす講」と呼ばれる例祭が10月20日に行われるようになる。

ebisukou(喜多川歌麿・恵比寿講ゑびすこふ)

寶田恵比寿神社(宝田神社)」でも、そうした「えびす講」が行われるようになり、えびす講の前日である19日に、恵比寿様へお供えするものを売る市が立ち、魚や野菜、神棚などが売られるようになったのが起源とされている。
そしてべったら漬がよく売られるようになったため、いつしか「べったら市」。

「べったら漬」とは、大根の麹漬の一種で、東京を代表する名産品。
べったら漬の由来は、若者が混雑を利用し、参詣の婦人に「べったらだーべったらだー」と呼びながら着物の袖につけ婦人たちをからかったことから、べったらの呼名になったと伝えられている。
いつしか「福がべったり付く」という縁起物としても評判となっていく。

こうした「べったら市」についての詳細は、「寶田恵比寿神社(宝田神社)」の記事をご覧頂きたい。

「日本橋べったら市」で有名な恵比寿様。べったら市とえびす講。べったら漬の由来・東京の名産品。江戸を代表する町として尊重された大伝馬町。浮世絵で描かれた当社周辺。元は稲荷信仰の神社。普段は無人の小さな社。御朱印。

年々盛り上がる恵比寿べったら市・福富くじ

そんな「べったら市」であるが、当社でも恵比寿の名にちなんで行われるようになった。
当社に恵比寿神が祀られたのが、当地に遷座した昭和三十四年(1959)であるので、それ以降に始まった新しい祭りである。
img_1741参道には多くの露店が立ち並び、年々規模も大きくなっている。

境内では商店街や崇敬者の方々によって様々なイベントが催されている。
img_1744特に注目すべきは「福富くじ」というくじ。
恵比寿駅前商店街に加盟しているお店で商品を購入すると「福富くじ」が貰え、現金が当たるという内容となっており、正に商店街を挙げてのイベント。
朝に当社に参拝すると、「福富くじ」を貰う事もできて、参拝者も嬉しい仕組み。

御朱印もべったら市開催日は、「渋谷氷川神社」の神職が来られるので、御朱印帳に直接頂ける。
昇殿した上で拝受できるのでとても有り難い。

本家である「日本橋べったら市」ほどの規模ではないが、商店街や崇敬者が盛り上げようと努力されているのが伝わるお祭りであり、とても素敵なお祭りとなっている。

所感

恵比寿の産土神として祀られていた当社。
元々規模の小さな社であり、細々と維持されていたのであろう。
明治以降、そして戦後の恵比寿の発展と共に、歩んできたとも云える。
恵比寿は比較的新しい街であるが、そうした恵比寿という街の中心地の一角に鎮座し、こうして管理され維持されているのは、近隣の崇敬の篤さがあるからこそ。
氏子をもたない末社(兼務社)という扱いだが、特に恵比寿商店街の方々が維持に尽力しているのが伝わる。
また人通りの多い恵比寿において、普段から恵比寿に訪れた方や職場がある方など、途絶える事なく参拝している姿を見る事ができる。
小さいながらもこうしてこの地で維持できるのは、とても素晴らしい事に思う。
そして例祭である「恵比寿べったら市」は近年始まったお祭りではあるが、崇敬者の努力が感じられ、新らしい街・恵比寿らしさのある素敵なお祭りである。

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神社画像

[ 参道 ]
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[ 鳥居 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 拝殿・本殿 ]
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[ 社務所 ]
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[ 絵馬掛 ]
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[ 玉垣 ]
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[ 案内板 ]
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[ 恵比寿べったら市 ]
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Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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