桜神宮 / 東京都世田谷区

世田谷区

神社情報

桜神宮(さくらじんぐう)

御祭神:天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照大御神・豊受大神・倭姫大神・国常立尊・大国主命・少彦名命・鐃速日命・底筒男命・中筒男命・表筒男命・伊久魂大神・水天宮大神・正一位稲荷大神・菅原大神
社格等:─
例大祭:4月9日(春季大祭)・9月17日(秋季中祭)
所在地:東京都世田谷区新町3-21-3
最寄駅:桜新町駅
公式サイト:http://www.sakura.jingu.net/

御由緒

 桜神宮は明治十五年神田今川小路に創建された天照大御神をはじめ、日本の神々をお祀りする(日本の記紀神話を中心とした神々をお祀りする)神宮です。
 大正四年、速やかに西の方角に移転するよう神託が下り、大正八年から十一年にかけて社殿を現在の世田谷区桜新町の地に移転しました。これにより、関東大震災(大正十二年)の災害、並びに太平洋戦争の戦火からも免れ、火伏せ、災難除けの宮としても崇敬を集めました。
 創建した芳村正秉は大中臣家六十五代の後裔で、明治初期に伊勢神宮筆頭禰宜、神宮支庁東京出張所(東京大神宮の前身)の所長、龍田神宮宮司を歴任し、一位局(中山慶子様)の要請により三年に亘り大正天皇の健康祈願を行い、明治政府の要人、神社界他、多くの人々から信望を集め、神道神職として人々の教化に尽力しました。
 明治十五年には明治天皇の勅許によって教派神道の一派、その名も神宮奉職中に倭姫命から神託によって授かった「神習いの教え」を立てました。このため桜神宮は古式神道の総本山としても全国の人々から崇敬を受けております。
 内務省を通して外務省の紹介により、明治時代には珍しく多くの英米人の参拝がありました。
 また同十六年には関東八州の御嶽先達の強い要望を受け、長野県知事の許可と御嶽神社祠掌(滝・武居・向井の三社家)の承諾を得て、御嶽三神の御分身を相殿に鎮祭、更に多くの人々から信奉を得ました。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2018/03/14

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※境内の河津桜-枝垂桜が見頃になる4月30日まで「桜の時期限定御朱印」を頒布。(この期間中は通常御朱印の頒布は行われない)

(桜の時期限定御朱印)

御朱印帳

初穂料:1,500円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
桜をデザインした美しい御朱印帳。

公式サイトより)

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

歴史考察

神習教本祠・古式神道の桜神宮

東京都世田谷区新町に鎮座する神社。
神道十三派の1つ「神習教」の本祠(教庁・神殿)。
明治の神官教導職分離の時期に組織され神習教は、本来の神道の姿に復することを目的として形成されたため、古式神道の神社とされる。
大正時代に当地へ移転し、関東大震災や戦災を免れた事から、火伏せ・災難除けの御神徳で信仰を集めている。
初代管長が「伊勢神宮」に奉職していて関係が深い事から「世田谷のお伊勢さん」とも称され、境内には河津桜などが植えられ桜の名所としても知られる。

神習教の初代管長である芳村正秉

当宮は、明治十五年(1882)に教派神道十三派の1つ「神習教」の本祠として、神田今川小路に創建したのを起源とする。
創建者は神習教の初代管長である芳村正秉(よしむらまさもち)という人物。

(宇宙之精神)

上画像は明治三十九年(1906)に発行された芳村正秉著『宇宙之精神』に掲載された自像。

芳村正秉は、天保十年(1839)、美作国真庭郡上福田村(現・岡山県真庭市蒜山上福田)に医師・芳村泰治の二男として生まれる。
6歳の誕生日に祖母と鎮守に参拝した際、祖母が「芳村氏は大中臣の後裔にして、神道の家系に属し、異日千載不伝の神道を継ぎ、これを天下に明らかにすべし」との神託を受けたと云う。

大中臣(おおなかとみ)とは、古くから日本の中央政権において祭祀を司った貴族・氏族。中臣鎌足が藤原姓を賜り藤原鎌足となった後に別れ復した中臣姓の流れ。平安時代中期以降は、伊勢祭主や神祇大副を世襲し、地方の有力神社の神職も担った。後に芳村正秉は大中臣氏の65代目の後裔を称するようになる。

幕末は勤王の志士として活動し、安政の大獄では正秉にも幕府の手が及んだと云うが、鞍馬山に逃れ、「由岐神社」の拝殿下に1ヶ月身を隠し生き延びた。
この際、6歳の時に祖母に連れられて鎮守で託宣を受けた光景が、眼前に浮かび、神道家を目指す事が使命であると悟ったと云う。

明治維新後は仕官を固辞していたが、西郷隆盛や伊藤博文の説得により神祇官に勤める。

神祇官(じんぎかん)とは、古代の日本の律令制で設けられた、朝廷の祭祀を司る官庁名。明治維新後は行政機関の筆頭となり、官社を司る最高国家機関であった。明治四年(1871)には神祇省(じんぎしょう)となり、明治五年(1872)には教部省に改組されている。

明治六年(1873)、神仏合同布教のための大教院設立に強く反対。
教部省(旧・神祇官)を辞して「伊勢神宮」に筆頭禰宜として奉職。
「伊勢神宮」では神宮教会・神風講社の設立に尽力している。

結局、大教院は明治八年(1875)には解散となっている。

大教院の解散を予見していた正秉は、神宮司庁東京出張所内に神道事務局を設置するため尽力。

神宮司庁東京出張所は、「伊勢神宮」の事務機関である神宮司庁と、東京の教部省との連絡のための出張所で、正秉は神宮支庁東京出張所の所長も務めた。
この神宮司庁東京出張所は「東京大神宮」の前身としても知られる。
東京大神宮 / 東京都千代田区
東京のお伊勢さま。縁結びの御神徳。神前結婚式発祥の神社。豊富な授与品・御神籤。芸能に縁の深い飯富稲荷。日比谷に創建された「伊勢神宮」の遥拝殿が起源。関東大震災からの再建のため現在地に遷座。戦後になり東京大神宮として再発足。御朱印。御朱印帳。

明治十三年(1880)、式内社であり二十二社の一社「龍田大社」(現・奈良県生駒郡)宮司の辞令が下ったものの、着任せずに「神習教会」を設立した。

神道十三派の1つ神習教・神田今川小路に社殿を建立

明治十五年(1882)、明治天皇の勅許を得て「神道神習派」とされる。
同年、「神習教」と改称した。

「神習教」は、当時の政府が「神社の神官は人を教え導いてはならない」という方針を打ち出したため、危機感を抱いた正秉が明治天皇の勅許を得て設立。
本来の神道の姿に復することを目的としており、神代より脈々と流れる伝統的な神道的価値観を教義の柱としているため古式神道を称する。
造化の神・天御中主神や、「伊勢神宮」の主祭神かつ日本の総氏神・天照大御神など、多くの天津神・国津神を祀り、記紀(古事記・日本書紀)などを所依の教典とする。
明治時代に教派として公認された神道十三派の1つ。
神道神習教公式ページ
明治天皇の勅裁によって明治15年に特立した神道神習教のウェブサイト
「神習教」の由来は、「伊勢神宮」に奉職中、倭姫命(やまとひめのみこと)から「汝が一教を立てる時には神習いの教えとせよ」と託宣が下ったことによる。

明治十七年(1884)、神田今川小路に社殿(神殿)を建立。
中山一位局(明治天皇の生母)より依頼を受け、大正天皇の健康祈願を三百日間に亘って行う。

「伊勢神宮」退任の際に、正秉に信任を寄せる祭主・久邇宮朝彦親王が天照大御神の神霊を御鏡に分霊して授けたと云い、この御鏡を御神体としている。

明治十六年(1883)、関東八州の御嶽先達の要望により、御嶽三神の御分霊を神殿に合祀。

明治四十二年(1909)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが当時、神田今川小路にあった社殿(神殿)の位置。
当時から今川小路と呼ばれた一画だったようだが、戦後にはディープな飲み屋街として知られる一画で、ああいった一画に社殿があった事が興味深い。

今川小路(いまがわこうじ)は、戦後になると線路のガード下にあったディープな飲み屋街と知られた。2017年9月末、JR東日本による耐震補強工事に伴い消滅。

明治後期には、アメリカの天文学者パーシヴァル・ローウェルを始め、外務省や内務省の紹介で多くの外国人が参拝している。

桜新町に移転・関東大震災や戦災を免れ「火伏せ・災難除け」として崇敬を集める

大正四年(1915)、初代管長・芳村正秉が帰幽(死去)すると、速やかに西の方角に移転するよう神託が下る。

大正八年(1919)、現在の鎮座地(桜新町)に教庁と社殿を移転。
大正十一年(1922)、社殿の遷座が完了。

翌年の関東大震災や、第二次世界大戦の戦火からも免れ、現存している。

関東大震災・戦災から免れた事から、「火伏せ・災難除け」の御神徳があるとして崇敬を集めている。

昭和四年(1929)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが当宮で当時の古地図にも「神習教」の文字を見る事ができる。
当地に教庁と社殿を移転し、世田谷一帯から崇敬を集めた。

当時はまだ「桜新町」と云う名称を見る事ができない。
明治後期から大正初期にかけて関東初の高級別荘用地である「新町分譲地」が造成され、開発地の通りにソメイヨシノの並木が設けられた。
この桜並木が評判を呼んだ事から、昭和七年(1932)に駅名が新町から桜新町駅に改称、戦後になると桜新町の名称が定着していく。

当宮は「桜神宮」と称され、地域一帯から崇敬を集め、現在に至る。

境内案内

神習教本祠・世田谷のお伊勢さんとも称される

最寄駅の桜新町駅から徒歩2分ほどの距離に鎮座。
駅から東方向へ旧玉川通り沿いに大きな鳥居が建つ。
右手にある看板には御由緒の上に「世田谷のお伊勢さん 桜神宮」の文字。

当宮は天照大御神のほか、天御中主神など多くの天津神・国津神を祀る。神習教の初代管長である芳村正秉は「伊勢神宮」に奉職し、「伊勢神宮」退任の際に、祭主・久邇宮朝彦親王が天照大御神の神霊を御鏡に分霊して授けたと云い、この御鏡を御神体としている事から、「世田谷のお伊勢さん」とも称される。

鳥居横の碑には「神習教本祠」の文字。
当宮が神習教の本祠(教庁・神殿)である事を記している。

鳥居を潜ると右手に手水舎。
正面に社殿となる。

関東大震災や戦災を免れた社殿・参拝作法は二拝四拍手一拝

社殿は明治十七年(1884)に神田今川小路に建立。
大正八年(1919)から大正十一年(1922)に移築されたもの。
関東大震災や第二次世界大戦の戦災を免れており、「火伏せ・災難除け」の崇敬を集める。
拝殿には明治期に見られる細かく彫りの深い彫刻が施されている。
扁額には「本祠大神」の文字。

当宮では参拝作法が一般的な神社とは異なる。
一般的には「二拝二拍手一拝」であるが、当宮は「二拝四拍手一拝」が参拝の作法。
天津神に対する最敬礼の拝礼を「四拝八拍手一拝」としており、その半分の数を通常の作法としていると云う。

「出雲大社」「宇佐八幡宮」などの古社では、今も当宮と同じ「二拝四拍手一拝」を参拝作法としている事がある。

境内の河津桜は名所として知られる

拝殿前には河津桜が植えられており、桜の名所としても知られる。
河津桜はソメイヨシノよりも開花や見頃が早く、2月中旬から3月中旬に見頃となる事が多い。
画像は2018年3月14日に撮影時のもので、多少葉桜にはなっているものの、まだ見頃であった。
見頃の期間は夜間にライトアップもされていて夜の河津桜も楽しめる。

ライトアップ点灯期間
18:00-22:00頃

河津桜は「えんむすびの木」としての役割も担う。
ピンク色の花帯に願いを込めて、河津桜に結ぶとよいと云う。

桜が綺麗な御朱印帳・桜の時期限定御朱印も頒布

御朱印は境内左手の社務所にて。
とても丁寧に対応して頂いた。

御朱印は期間限定で桜の時期限定御朱印を用意。
こちらが桜の時期限定御朱印となっている。

桜の時期限定御朱印
頒布期間:4月30日まで
受付時間:9:00-17:00
初穂料:300円
※上記期間は、通常御朱印頒布は行われない。

オリジナルの御朱印帳も用意。
桜をデザインした美しい御朱印帳。

公式サイトより)

桜神宮:授与品

他にも色々な授与品が用意されているので、お受けするのもよいだろう。

所感

神習教の本祠である「桜神宮」。
古式神道を称するように、神代より脈々と流れる伝統的な神道的価値観を教義の柱としており、現在も多くの神事が行われている。
一般的な神社と基本の部分は変わらぬ形で参拝すればよいが、参拝作法は二拝四拍手一拝となっていて、こうしたところも特徴的だろう。
世田谷区民など近隣住人から崇敬を集め、最近では九代市川團十郎が神習教を信仰して以降、成田屋市川宗家が信仰していることでも知られる。
境内の河津桜も見事で、隣には幼稚園も併設しており、桜新町という地域に馴染んだよい神社だと思う。

神社画像

[ 鳥居・碑 ]




[ 鳥居 ]

[ 手水舎 ]

[ 参道 ]

[ 拝殿 ]







[ 本殿 ]

[ 河津桜 ]








[ 社務所 ]

[ 絵馬掛 ]

[ 御籤掛 ]

[ 神札授与所 ]

[ 小祠 ]

[ 案内板 ]


Google Maps

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