弦巻神社 / 東京都世田谷区

世田谷区
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神社情報

弦巻神社(つるまきじんじゃ)

御祭神:宇迦之御魂神・応神天皇・菅原道真公
社格等:─
例大祭:10月第3日曜
所在地:東京都世田谷区弦巻3-18-22
最寄駅:桜新町駅・上町駅
公式サイト:─

御由緒

弦巻神社は三柱が合祀されております。
古えの弦巻の各村落にはそれぞれ、村人が崇敬し祭った社がありました。
「新編武蔵風土記稿」(天保元年刊行)に、「それぞれ小さな祠で、村民の持ちである。そのはじまりは、年月不詳である。」と記されています。
明治四十一年の小社合祀の法により現在地に祀られていた稲荷社に向天神社(弦巻1-1)と八幡社(弦巻4-33)を併せ、弦巻神社として大正五年十一月十五日遷座祭を営修し、弦巻の地を鎮め守る氏神として、弦巻在住の皆様の崇敬をいただいております。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2019/03/01

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

歴史考察

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弦巻鎮座の3社が合祀された弦巻鎮守

東京都世田谷区弦巻に鎮座する神社。
旧社格は無格社で、弦巻一帯の鎮守。
明治時代に稲荷社・八幡社・天神社が合祀されて「弦巻神社」となり、弦巻の鎮守として創建。
大正時代に遷座祭が行われた。
境内には鳥居が三基あり、これは三社が合祀された事に由来する。

中世の弦巻・弦巻の地名由来

社伝によると、明治四十一年(1908)に創建と伝わる。
当地に鎮座していた「稲荷社」に、弦巻鎮座の「天神社」「八幡社」が合祀され、「弦巻神社」とされた歴史を持つ。

まずは中世から江戸時代の弦巻の歴史を振り返りたい。

弦巻は比較的古い地名で、永和二年(1376)の寄進状に「絃巻」の字を見る事ができる。

弦巻(つるまき)の地名由来
・源義家が奥州征伐の際に当地で弓の弦を巻いたとも外したとも伝わり、弓矢の弦を意味すると云う説。
・村を横切っていた蛇崩川が度々氾濫したため、水流(つる)が渦巻く場所という説。
・「つる」は古代朝鮮語の野原の意味で、「まき」は牧場を表していて、古くは牧場だったと云う説。
他にも諸説あるがいずれも決め手には欠ける。

中世には世田谷周辺を支配した吉良氏(世田谷城主)によって弦巻一帯は「鶴岡八幡宮」(現・神奈川県鎌倉市)に寄進され、「鶴岡八幡宮」の荘園であったと云う。

鶴岡八幡宮 / 神奈川県鎌倉市
相模国一之宮格。鎌倉武士の守護神。源頼朝により現在地に遷座・上下両宮に整備。静御前が舞った若宮廻廊(現・舞殿)。源実朝の落命の地。江戸幕府による庇護。源平池・再建された旗上弁財天社。倒伏した大銀杏。表参道の段葛・若宮大路。御朱印。御朱印帳。

江戸時代の弦巻村・新編武蔵風土記稿に記された当社

江戸時代初期、荏原郡弦巻村として成立。
村の鎮守として幾つかの神社(小祠)も建立された。

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(弦巻村)
八幡社
三段五畝除地。小名山谷にあり。わづかなる祠なり。鎮座の年月を詳にせざれども、古へ鶴ヶ岡八幡社領なりしゆへ、それらのことにより此社を建しにや。
天神社
除地八段。小名向にありわづかなる小祠なり。
稲荷社
除地一畝十五歩。同じあたりにあり。是も小祠。
稲荷社
除地一段五畝。小名本村にあり是もわづかなる祠なり。以上の四祠いづれも村民の持。

弦巻村の項目に4社の神社が記載されている。
「八幡社」「天神社」「稲荷社2社」で、これらが明治に合祀され当社となった。

稲荷社が2社あるがどちらも後に合祀されたと思われる。

いずれも創建年は不詳ながら、「八幡社」の項目には古くは当地が「鶴岡八幡宮」領であったため創建された旨が記してあり、「鶴岡八幡宮」に寄進された中世より創建されていたと推測できる。

当社の起源の1社であり、起源を辿ると当社は中世以前の創建と云える。

いずれも小祠と記してあり、小さな祠のみの神社であった事が窺える。
そして全て村民によって管理されていた。

明治に稲荷社・八幡社・天神社が合祀され弦巻神社が創建

明治になり神仏分離。
弦巻村に鎮座していた神社は、いずれも無格社であった。

明治二十二年(1889)、市制町村制によって上馬引沢村・下馬引沢村・野沢村・深沢村・世田ヶ谷村新町・弦巻村が合併し駒沢村が成立。
当地は駒沢村弦巻となる。

明治四十一年(1908)、弦巻にあった「稲荷社」「八幡社」「天神社」を合祀。
村の中央に鎮座していた「稲荷社」に「八幡社」「天神社」を併せ祀る形となり「弦巻神社」と称した。

これらは当時の政府が推進した合祀政策の影響を受けたもの。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が現在の鎮座地。
明治の古地図には神社の地図記号を見る事ができないが、これは当時は小祠のみの神社であった事によるもので、地図に記載されるほどの規模ではなかったと見られる。
弦巻といった地名は当時から確認する事ができる。

大正五年(1916)、社殿を造営。
遷座祭が行われ、弦巻一帯の鎮守として崇敬を集めた。

昭和四年(1929)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が現在の鎮座地。
明治の古地図には見る事ができなかった神社の地図記号が、戦前の古地図で見る事ができる。
既に社殿が造営され遷座祭も行われており、現在の規模になっていた事が窺える。

戦後に入り境内整備が進む。
社殿も幾度かの補修などがされ現在に至る。

境内案内

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弦巻の住宅街に鎮座・三基の鳥居

最寄駅の桜新町駅からは徒歩10分ほどの距離。
弦巻通りの弦巻神社前交差点近くの奥まった場所に鎮座。

当社に隣接するように「弦巻ゴルフ練習場」があるため、打ちっぱなしの音が聞こえることも多い。

社頭には三基の鳥居が並ぶ。
鳥居が三基あるのは、三社(稲荷社・八幡社・天神社)が合祀されて創建した事に由来し、三基を設ける形で整備したとのこと。

御祭神は宇迦之御魂神(稲荷社)・応神天皇(八幡社)・菅原道真公(天神社)の三柱。

「弦巻神社」の扁額が掲げられた一之鳥居。
石段がありその先に二之鳥居。
更に石段があり三之鳥居。
右手には女坂になっている緩やかな坂も整備。

三之鳥居を潜ってすぐ左手に手水舎。
小さな神社ながら水が流れ綺麗に整備されている。

大正時代の社殿が改修されつつ現存

参道の正面に社殿。
大正五年(1916)に造営された拝殿が、幾度か改修されつつ現存。
規模としては小さなものであるが、地域の鎮守といった雰囲気が良い。
大切に維持され地域から崇敬を集めているのが伝わる。
木鼻などにも彫刻が施されている。
造りとしては簡素ながらも拝殿・幣殿・本殿の権現造り。

大正時代の狛犬・神楽殿・境内社

拝殿前、参道途中に一対の狛犬。
大正十年(1921)に奉納された狛犬。
石工・原峰吉によるもので、玉持ちと子持ち。

社殿の右手には神楽殿。
中々立派な神楽殿。
左手の一画は絵馬殿のようにもなっていて、奉納された絵画や扁額などが掲げられている。
神楽殿の正面には狛犬の彫刻。
躍動感のある狛犬が踊る。

手水舎の裏手に境内社。
小祠が2社並ぶ。
いずれも小祠であった稲荷社に八幡社と天神社を合わせ祀ったのが当社である事から、当時の小祠がそのまま境内に遷されて末社とされたものであろう。

境内の一画には梅なども植樹。
奥が打ちっぱなしのゴルフ場になっているのはご愛嬌。
当社には天神さまも祀るため、梅との相性もよい。

2017年から御朱印の授与も開始

御朱印は社務所にて。
ご不在の事も多いが、いらっしゃる時は丁寧に対応して頂き、色々とお話も聞かせて下さる。

御朱印は「弦巻神社」の朱印と墨書き。
近年まで御朱印をやられていなかった神社であるが、問い合わせが多かった事から、2017年夏頃より御朱印の授与も始めたとの事。

御朱印ブームのおかげでこうして対応を開始する神社もあれば、逆にマナーの悪い方が多くやめてしまう神社もある。御朱印の授与を開始して下さった事は有り難い。

所感

弦巻の鎮守である当社。
江戸時代の頃の弦巻村には村民持ちの小さな祠が幾つか存在。
それらの小祠が明治の合祀政策によって合祀され、「弦巻神社」とされた。
大正になって社殿を造営し、弦巻の鎮守として地域から崇敬を集めた。
古くからの地域の鎮守といった雰囲気で、どこか昔懐かしさを感じる。
お隣がゴルフの打ちっぱなし場になっているため、時折乾いた音が響くものの、基本的に静かな境内となっていて、ひっそりと弦巻の歴史を伝えている。

神社画像

[ 一之鳥居 ]



[ 二之鳥居・社号碑 ]



[ 三之鳥居 ]


[ 女坂 ]


[ 手水舎 ]


[ 拝殿 ]








[ 本殿 ]


[ 狛犬 ]



[ 神楽殿 ]




[ 社務所 ]

[ 境内社 ]


[ 境内風景 ]







[ 神輿 ]

[ 石碑 ]

[ 格納庫 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

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