山王日枝神社 / 東京都千代田区

神社情報

日枝神社(ひえじんじゃ)
赤坂日枝神社(あかさかひえじんじゃ)
山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)

御祭神:大山咋神
相殿神:国常立神・伊弉冉神・足仲彦尊
社格等:官幣大社・准勅祭社・別表神社
例大祭:6月7-17日(山王祭)(隔年・神幸祭)
所在地:東京都千代田区永田町2-10-5
最寄駅:溜池山王駅・国会議事堂前駅・赤坂見附駅・赤坂駅・永田町駅
公式サイト:http://www.hiejinja.net/

御由緒

 鎌倉の初期、秩父氏の流れ重継は江戸太郎を名乗りその館の中に日吉の大神を勧請した。降って文明年間(1478年ごろ)足利の宰相太田道灌持資が城内に、更に天正十八年徳川家康が入府し江戸城内の紅葉山に新社殿を造営した。
徳川三代家光は、一般市民の参拝の便を企るため半蔵門外に遷座、朱印地を六百石に加増、四代家綱の代、萬冶二年振袖火事のため、永田町溜池に臨む景勝の星ヶ岡に遷座、現在に至る。
 歴代の将軍世子の社参絶えることなく、都度、神馬・太刀(国宝)等を献じた。(宝物殿に出陳中)
 日枝神社の山王まつりは、神田まつりと共に天下祭・御用祭として華麗豪壮、正に天下随一と称えられた。
 明治維新、遷都により江戸城は明治天王・皇居(宮城)となり、当神社は皇城の鎮守神として官幣の大社に列した。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2017/02/08(ブログ内画像撮影)
参拝日:2017/02/02(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/12/29(御朱印拝受)
参拝日:2015/08/02(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:500円
授与所・宝物殿にて。(宝物殿と社務所のどちらでもお受けする事が可能)

※御朱印と共にオリジナルのしおり(複数種類あり)と木札ストラップを頂ける。
※庚申の日限定で境内社「猿田彦神社」の御朱印も頂ける。

[2017/02/02拝受]
(東京十社めぐり御朱印帳)

[2017/02/02拝受]
(猿田彦神社/庚申の日限定)

[2015/12/29拝受]
(東京十社めぐり御朱印帳)

[2015/08/02拝受]
(山王日枝神社)

御朱印帳

初穂料:1,500円
御朱印所・宝物殿にて。(宝物殿と社務所のどちらでもお受けする事が可能)

オリジナルの御朱印帳を用意している。
御神木になっている大銀杏(港区天然記念物)の葉をあしらったもの。
水色、ピンク、緑の3色用意されていた。
東京十社めぐり御朱印帳(通常版・木製版)も用意。

東京十社めぐり御朱印帳
初穂料:1,500円
御朱印所にて。

オリジナルの御朱印帳を複数用意している。
神使である猿をデザインしたものなど用意。
詳細は公式サイトに掲載されているのでそちらを参照。

授与品(朱印帳)の案内。ご祈願やお参りになら赤坂にある日枝神社へ。厄除け・七五三詣・お宮参り・安産など年中無休で受付けております。

[表面]

[裏面]

授与品・頒布品

しおり・木札ストラップ
初穂料:─
御朱印所にて。

※「山王日枝神社」の御朱印を拝受すると一緒に頂ける。

交通安全ステッカー
初穂料:300円
授与所にて。

庚申の日限定てぬぐひ
初穂料:800円
授与所にて。



歴史考察

東京十社・皇城を守る山王さま

東京都千代田区永田町に鎮座する神社。
旧社格は准勅祭社、その後、官幣大社まで昇格。
現在は神社庁の別表神社で、東京十社のうちの一社、東京五社の一社にも数えられる。
江戸城(皇居・皇城)の裏鬼門に位置し、明治以降は「皇城之鎮」として崇敬を集めている。
正式名称は「日枝神社」だが、区別から「山王日枝神社」とさせて頂く。
古くは「山王大権現」と称され、現在も「山王さま」と呼称する崇敬者が多い。
当社の例大祭は江戸三大祭の一つ「山王祭」として知られる。

江戸氏による創建・江戸城を築城した太田道灌による勧請

社伝によると、平安時代末期に江戸郷を開拓した江戸氏によって創建。
「山王宮」として祀られたと伝わる。

江戸氏の初代当主・平重継は、平安時代末期に武蔵江戸郷を領地として江戸氏を称し、江戸を開拓した人物として知られる。

文明十年(1478)、太田道灌が江戸城を築城。
その際に江戸城の鎮守として当社に「川越山王日枝神社」の御分霊を勧請したと伝わる。
当時は、江戸城内に祀られていた。

「川越山王日枝神社」は、慈覚大師・円仁が川越の星野山「無量寿寺」(現・喜多院中院)を建立した際、鎮守として山王信仰の総本社である近江国「日吉山王権現(現・日吉大社)」の御分霊を勧請したと伝わる神社で、太田道灌は江戸城だけでなく、埼玉県川越市の河越城も築城しているため、そうした川越との繋がりで勧請したものと見られる。

徳川将軍家からの篤い崇敬・徳川歴朝の産土神

天正十八年(1590)、関東移封によって江戸入りした徳川家康は、江戸城を居城とする。
当社は江戸城内の紅葉山に新社殿を造営の上で遷座し、「城内鎮守の社」として崇敬を集めた。

第二代将軍・徳川秀忠の代になると、天下普請によって江戸城の拡張や大改造が行われる。
その際に社地を江戸城外の麹町隼町(現・国立劇場付近)に遷座。

これまでは江戸城内にあったため庶民の参拝が許されていなかったが、城外に遷座した事で庶民の参拝もできるようにする意図があったとされる。

徳川将軍家からは、「徳川歴朝の産土神」として崇敬を集めた。

家康から5石の朱印地。
元和三年(1617)、秀忠により100石の朱印地。
寛永十二年(1635)、第三代将軍・家光からの寄進も含め計600石の社地を領していた。
この家康や家光からの朱印状は、宝物殿に展示されていて見る事ができる。

明暦の大火によって焼失・現在地へ遷座

明暦三年(1657)、明暦の大火により社殿を焼失。

明暦の大火は、当時の江戸の大半を焼失するに至った大火災で、延焼面積・死者共に江戸時代最大・日本史上最大の火災(戦禍・震災を除く)、明和の大火・文化の大火と共に江戸三大大火の一つと云われる。

万治二年(1659)、第四代将軍・徳川家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて遷座。
天下奉平、万民和楽の都を守護する祈願所として崇敬したと云う。
これが現在の鎮座地となっている。

この地は江戸城から見て裏鬼門に位置するため、江戸城鎮守という役割は変わらず担っていた事が分かる。

江戸切絵図から見る当社

当社の鎮座地は江戸の切絵図からも見て取れる。

(外桜田永田町絵図)

こちらは江戸後期の桜田門外の切絵図。
左上が北の切絵図となっており、当社は図の右下に描かれている。

(外桜田永田町絵図)

当社周辺を拡大したものが上図になる。
「日吉山王大権現社」と記され、広い社地、参道にも鳥居が多く記されている。
隣接する「観理院」が別当寺であり、その下に10坊が置かれていた。

左にある赤坂御門がいわゆる赤坂見附であり、当社は外濠の中に鎮座していた。

見附とは外敵の侵攻、侵入を発見するために設けられた警備のための城門のこと。

江戸名所図会や浮世絵に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「日吉山王神社」として、見開きで描かれている。
境内の規模は現在とそう変わらない見事なものだが、仁王門・随神門があり社殿も大変立派であったのが伺え、現在以上に華やかで立派な境内だった事が伝わる。
神仏習合の様子がよく分かり興味深い。

当社は浮世絵にも多く描かれている。
特に歌川広重が当社を好んで描いている。

(歌川広重・銀世界東十二景)

歌川広重が描いた『銀世界東十二景』から「赤坂山王」としての綺麗な1枚。

(歌川広重・東都三十六景)

『東都三十六景』では「山王権現雪中」としてやはり雪景色を描いている。
広重にとって当社の雪景色は、白と赤の対比が見事で非常に印象的だったのではないだろうか。

(二代歌川広重・江戸名勝図会)

こちらは二代歌川広重によるもの。
境内の賑わいと人の様子が伺える。
説明書きには「江戸第一の大社」との記載も見られ、江戸を代表する大社であった。

天下祭と呼ばれた江戸随一の山王祭

当社の例祭は「山王祭」と呼ばれ、「江戸三大祭り」の1つに数えられた大祭であった。

江戸三大祭りは、他に「神田明神」の「神田祭」と、「富岡八幡宮」の「深川祭」。
東京十社・江戸総鎮守。天下祭と呼ばれた江戸随一の神田祭。『ラブライブ!』の聖地・コラボも。将門塚(大手町)の祟りを鎮めるために将門公を祀る。江戸設計を指導した天海・徳川幕府によって江戸総鎮守とされる。浮世絵に描かれた当社。御朱印。御朱印帳。
東京十社・深川の八幡様。江戸三大祭りに数えられる深川八幡祭り。江戸勧進相撲の発祥の地・横綱力士碑。徳川将軍家からの庇護と深川の発展。戦後に再建された立派な社殿と進む境内整備。浮世絵に描かれた深川八幡。江戸屈指の盛り場深川。御朱印。御朱印帳。

その中でも、特に「神田明神」の「神田祭」と、当社の「山王祭」は、江戸を代表する大祭で、隔年で交互に行われ両祭りは「天下祭」と称された。
この両社は江戸を守護する神社として、徳川将軍家から特に崇敬を集めたため、祭りの際には山車が江戸城に入って将軍に拝謁する事が許されていた。

天下の徳川将軍に拝謁できるため「天下祭」。

そうした山王祭の様子も『江戸名所図会』には大きく描かれている。

(江戸名所図会)

見開きにて見事な山車の姿が描かれ「天下まつり」と記されている。
次ページには4ページに渡り祭りの様子を描いている。
大変な規模の祭りであった事が分かり、隆盛を極めた江戸を代表する祭りであった。

現在も「神田明神」の「神田祭」と交互に神幸祭が行われている。
現在は電線などのため山車ではなく神輿となっているが、大いに盛り上がる。

日枝神社がおくる日本三大祭の山王祭公式サイト。山王祭の詳細情報を提供しています。

明治以降の歩み・官幣大社へ昇格・戦後の再建

明治になり神仏分離。
江戸城が徳川将軍の居城から、天皇の皇城となる事で「皇城之鎮」として崇敬された。

明治元年(1868)、准勅祭社に列する。

准勅祭社に指定された十二社のうち、東京23区内の神社十社が現在の「東京十社」となる。

明治三年(1870)、准勅祭社は廃止となる。
明治五年(1972)、府社に列格。
明治十五年(1882)、官幣中社に昇格。
大正元年(1912)、最高位である官幣大社に昇格した。

これは当社が「皇城」の鎮守であったため、格式が上がっていったものと思われる。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿が焼失。
焼失してしまった旧社殿は当時の国宝認定されていた建造物であった。

昭和三十三年(1958)、現社地御鎮座三百年祭として社殿を再建。
これが現在の社殿となっている。
同年、神門・廻廊・参集殿が完成。

昭和五十三年(1978)、式年大祭が行われ宝物殿の建築や社殿の修繕などが行われた。
その後も境内整備が進み、現在に至っている。

境内案内

複数ある参道・山王信仰を伝える山王鳥居

最寄駅は溜池山王駅で、駅名の山王は当社が由来。
鳥居や参道は複数あり、東側にあるのが社殿正面の表参道となる。
この石段が男坂と呼ばれ、左から迂回する坂は車の出入りも可能で女坂と呼ばれる。

南に面して、外堀通りの山王下(日枝神社入口)交差点近くには、南参道(山王橋参道)。
こちらには巨大な山王鳥居があり、赤坂駅からはこちらの参道が最も近い。
エスカレーターが設置されているため、足腰が弱い方でも参拝しやすいのがこちら。

さらに北側にも裏参道がある。
こちらは山王鳥居を潜ると境内社・山王稲荷神社の奉納鳥居が並び、稲荷参道とも呼ばれる。
こちらは赤坂見附駅から近い。

こうした当社の参道入口にある鳥居はいずれも山王鳥居である。
山王信仰の総本社「日吉大社」(滋賀県大津市)で発祥となった鳥居であり、主に山王信仰の神社に見る事ができる。

山王鳥居は、明神鳥居の上部に三角形の破風が乗った形の鳥居で、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされ、神仏習合色が強かった山王信仰ならではの形と云える。

再建された立派な神門や社殿

いずれの参道から石段を上ると、神門の近くに手水舎。
そして表参道の前に立派な神門となる。

神門は、昭和三十三年(1958)に社殿が再建された後に再建されたもの。
外側から見ると左右には神域を守る左大臣と右大臣。
内側から見ると、山王信仰の神使である猿像が置かれている。
内側の扁額には皇城の鎮守を表す「皇城之鎮」の文字。
江戸時代の当社には仁王門・随神門があり、当時の姿を戻すべく再建された。

神門を潜ると立派な社殿となる。
昭和三十三年(1958)に再建された社殿。
空襲で焼失してしまった旧社殿は当時の国宝であったが、現在の社殿もとても立派なもの。
周辺の高いビルとの対比も、都心の大社ならではだろう。
社殿の右手には山王夢御殿、さらに藤棚なども用意されている。

こうした広い境内では様々な催しが行われる。
こちらは節分の前日で、撒豆台が設置されている様子。
節分になると大相撲力士や著名人が豆を投げる姿は恒例となっている。

山王信仰の神使は猿

神道において神の使者である動物を「神使(しんし)」と呼ぶ。
それぞれの神に神使がいる事が多く、山王信仰では猿が神使とされる。

山王信仰の総本社である「日吉大社」は、比叡山(ひえいざん/ひえのやま)の地主神であり、比叡山に多く生息する猿を魔除けの象徴として扱うようになった。
神使の猿で「神猿」、これを「日吉大社」では「まさる」と呼ぶのだが、これも「魔が去る」「勝る」といった意味を込めて呼ぶようになったとされている。

神使が猿であるため、当社には狛犬ではなく神猿像が置かれている。
拝殿左手には子を抱えた雌の猿像。
拝殿右手には雄の猿像となっている。

更に上述した神門も内側には同様に雌雄の木造神猿像。
子を抱いた雌の猿像。
こちらは雄の猿像。

当社の授与品・御朱印帳なども猿をデザインしたものが多い。
神使である猿を大切にしているのが伝わる。

境内社の猿田彦神社と庚申の日

社殿の右手に境内社が並ぶ。
山王稲荷神社・八坂神社・猿田彦神社となっている。

猿田彦神社の御祭神である猿田彦(さるたひこ)は、「導きの神」として知られる。
日本神話にて、天孫降臨の際に天照大神より遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した神である事から「導きの神」として篤く信仰されており、当社には「猿」の繋がりもあって祀られているのだろう。

猿田彦は中世以降には、民間で篤く信仰された「庚申信仰」と結びついた。
これは「猿」の字が「庚申」の「申」に通じた事によるもの。

そのため、60日に1回訪れる「庚申の日」は、当社でも「庚申祭/庚申さま詣」が行われる。
この日のみの授与品なども多い。
御朱印も庚申の日のみ「猿田彦神社」の御朱印を拝受でき、同社の御朱印帳の頒布も行われる。

平成二十九年(2017)の「庚申の日」は以下の通り。
2月2日(木)・4月3日(月)・6月2日(金)・8月1日(火)・9月30日(土)・11月29日(水)
庚申祭の案内。ご祈願やお参りになら赤坂にある日枝神社へ。厄除け・七五三詣・安産などのほか、日本三大祭りの山王祭も見物です。
各地の残る「庚申塔」と呼ばれるものは、こうした庚申信仰によるものであり、60日に1度訪れる庚申の日に、徹夜で神仏を祀る「庚申待」を3年18回続けた記念に建立されたものである。

徳川将軍による朱印状や国宝刀剣の展示もある宝物殿は無料

神門の手前左手には宝物殿が置かれている。
昭和五十三年(1978)の式年大祭の際に造られたもので、御朱印は御朱印所以外にこちらでも頂ける。

この宝物殿は入場料無料で拝観する事ができる。
こちらは入ってすぐにある太田道灌の像で、中には当社の歴史を伝える貴重な品々が飾られている。

中でも注目すべきは徳川将軍より送られた当社への朱印状。
右が徳川家康による江戸城内5石の朱印状で、左が徳川家光による600石の朱印状。

更に当社に奉納された刀剣などの展示もある。
国宝の太刀「則宗」は、一般的には「菊一文字」「菊一文字則宗」の名で知られる。

則宗は福岡一文字派の祖で備前国の刀工。
後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めた事から、皇位の紋である16弁の菊紋を銘に入れることを許され、一文字派は銘を「一」とだけ彫り、更に菊の紋を彫ったので「菊一文字」と称するようになった。

当社に、現在保存されている刀剣は31口。
そのうち国宝1口・重要文化財14口・ 重要美術品1口となっている。
時期によって展示は変わるが、国宝や重文の刀剣をその目で見る事ができる。

他にも多くの文化財や歴史を伝える貴重な品々が展示されていて、徳川将軍家による崇敬の賜物による貴重な数々が、無料で見れるのでぜひこちらにも足を伸ばしたい。

火曜・金曜は定休日で、開館時間は10:00-16:00まで。

可愛らしい猿の御朱印帳・東京十社めぐり御朱印帳も用意

御朱印は時期によって違う事が多いが、最近は神門の内側右手に御朱印所が設けられている事が多い。
上述した宝物殿でも対応して頂けるので、混雑状況に応じて変えるのもよいだろう。

御朱印帳も複数用意している。
神使である猿をデザインした御朱印帳が多く、いずれも可愛らしいデザイン。
御朱印の初穂料は500円であるが、しおり(複数ありランダム)とストラップが付いてくる。
また、御朱印帳を一緒に授与された場合は御朱印の初穂料込みとなる。
上述したように「庚申の日」限定で、境内社「猿田彦神社」の御朱印も拝受できる。

東京十社めぐりの専用御朱印帳も用意。
従来の紫の表紙のみ用意されていた。(木製タイプは早々に品切れになったとの事)
東京十社の各社専用のページが用意されていて、右側に御由緒、左側に御朱印を拝受するようになっている。

詳しくは当ブログの「東京十社 御朱印一覧」記事にて。

東京十社の「東京十社めぐり御朱印帳」と御朱印画像一覧です。東京十社についての歴史など詳しい説明も掲載しています。

所感

江戸城(皇居・皇城)の鎮守として崇敬を集めた当社。
江戸時代は徳川将軍家より篤く崇敬され、江戸を代表する大社であった。
明治以降は「皇城之鎮」として崇敬を集め、最終的な旧社格は最高位である官幣大社に列していた事からも、その重要性が分かるというもの。
現在も別表神社として、一等地にありながら大社の規模を維持しているのも崇敬の賜物であろう。
周囲の現代的ビルと当社の組み合わせは都心ならではの光景。
今もなお「山王さま」として多くの崇敬を集め、いつ参拝しても多くの人で賑わう境内は、正に東京を代表する一社である。

神社画像

[ 大鳥居(山王橋参道) ]






[ 社号碑・鳥居(表参道) ]


[ 手水舎 ]

[ 神門 ]



[ 神門(内側) ]




[ 拝殿 ]






[ 本殿 ]

[ 神猿像 ]


[ 青銅灯籠 ]

[ 山王夢御殿 ]

[ 藤棚 ]

[ 授与所 ]

[ 御朱印所 ]

[ 山王稲荷神社・八坂神社・猿田彦神社 ]






[ 庚申祭案内 ]

[ 狛犬(境内社) ]


[ 奉納鳥居 ]


[ 車祓所 ]

[ 山車庫 ]

[ 宝物殿 ]

[ 太田道灌像 ]

[ 徳川家朱印状 ]

[ 太田道灌履歴 ]

[ 旧扁額 ]

[ 国宝・太刀銘則宗 ]

[ 社務所 ]

[ 山王茶寮・日枝あかさか ]
別表神社
[ 境内案内図 ]

[ 案内板 ]

Google Maps