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概要
神楽坂や若宮町の鎮守・若宮八幡神社
東京都新宿区若宮町に鎮座する神社。
旧社格は村社で、神楽坂の一部区域や若宮町の鎮守。
源頼朝によって建立された伝承を持つ神社で、江戸城を築城した太田道灌によって再興された。
現在はとても小さな神社となっているが、古くは大社として広く立派な境内を有していた。
戦災によって社殿が焼失し、その後の再建復興で現在の規模となっている。
神社情報
神楽坂若宮八幡神社(かぐらざかわかみやはちまんじんじゃ)
御祭神:仁徳天皇・応神天皇
社格等:村社
例大祭:9月15日
所在地:東京都新宿区若宮町18
最寄駅:飯田橋駅・牛込神楽坂駅
公式サイト:─
御由緒
若宮八幡神社は鎌倉時代に源頼朝公により建立された由緒ある御社で
御祭神 仁徳天皇 応神天皇
当社の御由来は
若宮八幡宮は若宮坂の上若宮町にあり(或は若宮小路ともいへり)別当は天台宗普門院と号す 傅ふに文治五年の秋右大将源頼朝公奥州の藤原泰衡を征伐せんが為に発向す其の時当所にて下馬宿願あり後奥州平治の後当社を営鎌倉鶴岡の若宮八幡宮を移し奉ると云へり(若宮は仁徳天皇なり後に応仁天皇に改め祭ると云ふ)文明年間太田道灌江戸城鎮護の為当社を再興し社殿を江戸城に相対せしむるなり当社は文明の頃迄は大社にして神領等あり美れいなりしという
神域は黒板塀の神垣南に黒門あり門内十歩狛犬一対(明和八年卯年八月奉納とあり)右に天水釜あり拝殿は南に面する瓦葺破風造梁間桁行三間向拝あり松に鷹象頭に虎を彫る『若宮八幡神社』の横額源正哥謹書とあり揚蔀にて殿内格天井を組み毎格花卉を描く神鏡晶然として銅鋼深く鎮せり以て幣殿本社に通ず本社は土蔵造りなり
本殿東南に神楽殿あり瓦葺梁間二間桁行二間半勾欄付『神楽殿』の三字を扁し樵石敬書と読まる背景墨画の龍あり落款梧堂とあり境内に銀杏の老樹あり
明治二年神佛混淆の禁令あるや別当光明山善門院(山州男山に同じ)復飾して神職となる
例大祭は九月十五日(中祭五月十五日 小祭一月十五日)に行われ社務所は本社の東に在り
現在氏子は若宮町神楽坂一丁目二丁目三丁目の四ヶ町なり(境内の掲示より)
歴史考察
源頼朝によって創建・若宮と仁徳天皇
社伝によると、文治五年(1189)に創建と伝わる。
同年、源頼朝が奥州合戦に向かう際、当地で下馬し宿願の戦勝祈願を行った。
奥州平定の後、当地に社殿を建立し「鶴岡八幡宮」の「若宮八幡宮」を勧請したと云う。
源頼朝が三代100年に渡って奥州を支配していた奥州藤原氏を滅ぼした戦い。
奥州藤原氏は鎌倉方からの圧力に屈して、匿っていた源義経を自害に追い込み首を渡したものの、これまで義経を匿ってきた罪は反逆以上のものとして追討が行われた。
この戦役により頼朝による武家政権・鎌倉幕府が確立したと云える。
創建当初は仁徳天皇を祀っていたが、後に応神天皇(八幡神)が祀られるようになったとされる。
第16代天皇で、諱(いみな/死後に尊んで贈る称号)は大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)。
八幡神とされる応神天皇(誉田別尊)の御子であり次代の天皇となった人物。
「皇族の御子」を表す言葉。
当宮は八幡神(応神天皇)の御子である仁徳天皇をお祀りするので「若宮八幡」と称される。
そのため現在は仁徳天皇(若宮)・応神天皇(八幡神)の二柱が当社に祀られている。
太田道灌が江戸城の鎮護として再興
文明年間(1469年-1487年)、江戸城を築城した太田道灌により再興。
江戸城の鎮護の一社とて社殿を江戸城に相対させたと伝わる。
武蔵守護代・扇谷上杉家の下で活躍した武将。
江戸城を築城した事で広く知られ、江戸城の城主であり、江戸周辺の領主でもあった。
武将としても学者としても一流と評されるが、道灌の絶大なる力を恐れた扇谷上杉家や山内家によって暗殺されてしまったため、悲劇の武将としても知られる。
道灌によって再興された文明年間(1469年-1487年)は大社で実に見事な境内だったと云う。
赤く囲った箇所に「若宮八幡宮」とあり、これが当社について記した箇所。
文明の頃は大社で神領も有していて立派な神社であった事が記してある。
江戸切絵図から見る若宮八幡宮
江戸の大社として崇敬を集めた様子は、江戸の切絵図からも見て取れる。
江戸後期の市ヶ谷・牛込周辺の切絵図。
右下が北の切絵図となっており、当社は図の左下に描かれている。
左下に見えるのが江戸城へ繋がる牛込御門。
赤円で囲ったように「若宮八幡宮」とあるのが当社。
現在は大変小さな神社であるが、当時は中々の社地を有していた事が分かる。
当社から見て北東に「神楽坂」と記してある。
牛込御門からの坂を神楽坂と呼び周辺は当社の氏子地域であった。
当社の前には「シンサカ」と記された坂がある。
これが当社を由来とした「若宮坂」とも、「庾嶺坂(ゆれいざか)」とも呼ばれた坂。
「庾嶺坂」の由来は江戸初期に坂のあたりが美しい梅林であったため、二代将軍・徳川秀忠が中国江西省の梅の名所「大庾嶺(だいゆうれい)」にちなみ命名したと伝えられる。
江戸名所図会に描かれた当社・神楽坂とその由来
天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。
「松源寺 行元寺 若宮八幡宮」として描かれているページ。
左下に描かれているのが当社。
「八まん」と記されたのが当社で、立派な社殿を有していたのが分かる。
社地も今よりかなり広く崇敬を集めた一社であった。
境内に置かれていた別当寺は「光明山普門院」。
また神楽坂周辺についても『江戸名所図会』には描かれている。
「牛込神楽坂」として描かれた当時の神楽坂。
古くは揚場坂(あげばざか)とも呼んだ坂で、江戸城牛込門の先のエリア。
名称の由来は諸説あり上述の『江戸名所図会』に記されている。
・坂の右側に「穴八幡宮」の旅所があり祭礼で神輿が通る際に神楽を奏した事が由来。
・「築土神社」が「筑土八幡神社」に遷座した際に神楽を奏したのが鳴り響いた事が由来。
・「神楽坂若宮八幡神社」(当社)の神楽の音が坂まで鳴り響いた事が由来。
いずれにせよ近くの神社の神楽が由来となっている。
明治以降の歩み・戦後の再建
明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
若宮町・神楽町といった地名も見る事ができる。
当社はこの一帯の鎮守として崇敬を集めた。
大正十二年(1923)に発生した関東大震災以後は、神楽坂周辺に日本橋・銀座方面より店などが流入し夜店が盛んになり「山の手銀座」とも云われるようになっていき、神楽坂は花街として隆盛を誇った。
当社はそうした花街の鎮守の一社であった。
昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿を焼失。
昭和二十二年(1947)、仮殿にて再建。
昭和三十七年(1962)、社殿を造営し再建を果たした。
平成十一年(1999)、旧社殿の老朽化につき新しい社殿を造営。
これが現在の社殿で境内整備もこの時に行われている。
その後も境内整備が行われ現在に至る。
境内案内
庾嶺坂の上に鎮座する小さな神社
最寄駅の飯田橋駅からは徒歩5分ほどの距離で、外堀通りから庾嶺坂と云う坂を上った先に鎮座。
「庾嶺坂」の由来は江戸初期に坂のあたりが美しい梅林であったため、二代将軍・徳川秀忠が中国江西省の梅の名所「大庾嶺(だいゆうれい)」にちなみ命名したと伝えられる。
当社の前にある坂である事から「若宮坂」とも呼ばれる。
庾嶺坂を上った若宮町の住宅街に鎮座。
細い路地の一画に玉垣で囲われた境内。
現在の社地はかなり小さくなっている。
社号碑には「神楽坂若宮八幡神社」の文字。
平成になって造営された社殿
参道の正面に社殿。
戦災によって社殿が焼失し、昭和三十七年(1962)に再建されたのが旧社殿。
現在の社殿は平成十一年(1999)に造営されたもの。
鉄筋コンクリート造による社殿でやや紫がかった色合いが特徴的。
扁額には「神楽坂若宮八幡神社」。
社殿造営に合わせて境内も大々的に再整備されていて、旧社地にマンションが建築され現在のような境内となった。
境内社の稲荷神社・狛犬
参道の右手に稲荷神社。
こちらも社殿と同様に平成十一年(1999)に整備された境内社。
本社と同様の色合いでまとめられている。
鳥居を潜ってすぐ一対の狛犬。
平成十年(1998)に奉納された狛犬。
どこか現代的なデフォルメ要素の強い狛犬。
神楽坂若宮八幡神社の御朱印
御朱印は社殿の右側にある社務所にて。
隣接するマンションの1F部分が社務所となっている。
御朱印は「神楽坂若宮八幡神社」の朱印、三つ巴紋。
「神楽坂」の文字からも当社が神楽坂の鎮守である事が窺える。
所感
神楽坂の一部区域や若宮町の鎮守として崇敬を集める当社。
「若宮」の名の通り、かつては仁徳天皇を祀った若宮八幡神社であったが、後に応神天皇も祀られる事で八幡信仰の神社として、現在は二柱を祀る。
太田道灌による再興で大社とされた歴史を持ち、江戸時代以降もそれなりの社地を有していた。
諸説あるものの「神楽坂」の地名由来は、当社の神楽の音が坂まで鳴り響いた事によるともされ、まさに神楽坂の歴史を見守ってきた神社と云えるだろう。
現在の社殿が造営されるにあたり境内が一新され、社地にはマンションが建築。
神社の規模はかなり小さくなってしまったものの、現代の都心での神社存続のための施策だったと云える。
かつて花街として栄え、現在も独特な雰囲気が残る神楽坂の歴史を伝える一社である。
御朱印画像一覧・御朱印情報
御朱印
初穂料:300円
社務所にて。
参拝情報
参拝日:2020/09/08
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