神社情報
朝日稲荷神社(あさひいなりじんじゃ)
御祭神:倉稲魂命
社格等:─
例大祭:2月の初午
所在地:東京都中央区銀座3-8-12
最寄駅:銀座駅・東銀座駅・銀座一丁目駅・有楽町駅
公式サイト:https://www.asahiinari.com/
御由緒
朝日稲荷神社は古来より当地に鎮座し、守護神として厚く奉斎され、遠近の崇敬を集めていた。しかしながら、安政の大地震により社殿倒壊し、三十間堀に幽没して以来、社地は荒廃し浮浪の徒付近に散集して見るかげもなかった。
大正六年、銀座を襲った大海嘯によって、三十間堀より霊体が顕れ、建築業館岡其が当地に奉安したが、関東大震災により転地を余儀なくされ、神社は銀座三丁目町会の奉斎するところとなった。町内崇敬者一同神威を畏み奉り、町内守護神として奉斎しようとしたが、当時社地は東京市有地に編入され、東京市の管理化にあった。三丁目崇敬者は時の東京市助役を訪ね、社地の下附を懇請したが叶わなかった。しかしながら、土地使用黙許の許可を得、社殿が建立され、社地は整えられた。初午が盛大に祝われ、縁日は四丁目の出世地蔵尊のそれと伍して多くの人々を集めた。こうした、町内守護神として広大な神徳を顕わすにいたったが、戦災のため社殿はことごとく烏有に帰した。
戦後社殿を再建し、昭和二十七年宗教法人朝日稲荷神社となる。以後三丁目町内会によって厚く奉斎され、その神威はいや増して広大、信心する者にあまねく守護を及ぼしている。
昭和五十八年、隣地の大広ビル改築にともない、共同ビルを建築するにいたった。ビル一部の一・二階を吹抜け拝殿とし、本殿を屋上に安置したが、パイプにより大地につながり、拝殿での参拝が本殿に届くよう工夫されている。時代に先駆ける銀座の地にふさわしい神社となった。
毎年初午に盛大に祭を催し、また、大銀座まつりの際は銀座八丁神社巡りの札所として、銀座三丁目にとどまらず、多くの人々の崇敬を集めている。
商業の神として商売繁盛はもとより、当地に鎮座して以来火災なく、また、縁結び、家内円満にもその神威はとどまるところを知らない。(境内の掲示より)
参拝情報
参拝日:2020/01/09
御朱印
初穂料:500円
ビル8F社務所にて。
※御朱印(書き置きのみ)と共に御守も頂ける。
授与品・頒布品
御守
初穂料:─
ビル8F社務所にて。
※御朱印をお受けした際に頂いた。(2人で参拝したので2体下さった)
歴史考察
銀座のビルに鎮座するお稲荷様
東京都中央区銀座に鎮座する神社。
旧社格は無格社。
古くから鎮座していたお稲荷様であったが、安政の大地震で倒壊して三十間堀に没し、大正時代に三十間堀より霊体が顕れたことで復興された。
その後、銀座三丁目町会の守護神として信仰を集めている。
現在は大広朝日ビルの1F・2F部分吹き抜けで拝殿、ビル屋上に本殿が鎮座。
ビル屋上の本殿は、新海誠監督による劇場アニメ『天気の子』に登場する神社のモデルの1つに推測される事もあるため、作品の聖地巡礼で訪れるファンも多い。
現在は「銀座八丁神社めぐり」の一社に数えられている。
江戸時代に造られた三十間堀・地域の守護神
社伝によると、創建年代は不詳。
古くから三十間堀沿いの当地に鎮座し、地域の守護神として信仰を集めたと云う。
江戸の舟入堀を整備するため、江戸幕府が慶長十七年(1612)に西国の大名たちに工事を命じて開削された堀川。
幅が約30間(約55m)あったために三十間堀と呼ばれた。
現在の中央通りと昭和通りの間を流れていた。
天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。
「三ツ橋」として描かれているのが三十間堀の一部。
当地よりやや北東、現在の「京橋JCT」あたりの様子で、楓川・桜川・京橋川の合流地点より分流していたのが三十間堀であった。
こうした三十間堀沿いの小さなお稲荷様であったとみられる。
江戸切絵図から見る三十間堀
江戸時代の三十間堀は江戸切絵図を見ると位置関係が分かりやすい。
こちらは江戸後期の築地・銀座・八丁堀・日本橋の切絵図。
右が北の切絵図になっていて、現在の当地周辺はやや左上に位置している。
赤円で囲ったのが現在の当社があるあたり。
その横にある川が三十間堀、青円で囲っているところに三十間堀町とあり町名にもなっていた。
緑円で囲ったあたりが、上述した『江戸名所図会』で「三ツ橋」として描かれていたあたり。
安政の大地震で倒壊・三十間堀に沈む
安政二年(1855)、安政の大地震が発生。
江戸の被害は甚大で、地震と火災によって壊滅的な打撃を受けた。
安政年間(1855年-1860年)に日本各地で連発した大地震。
とりわけ安政二年(1855)に発生した安政江戸地震は、M7クラスの大地震で江戸の被害は甚大であった。
地震直後には至る所から出火、旗本・御家人らの屋敷は約80%が焼失したと云う。
小石川の水戸藩藩邸も倒壊、水戸藩主の腹心で「水戸の両田」と呼ばれた程の2人の指導者、戸田忠太夫と藤田東湖が死亡している。
安政江戸地震の様子を描いた1枚。
建物は倒壊し、火災によって多大な被害を受けた。
こちらは安政江戸地震によって発生した火災の場所の一部を記した1枚。
当地はやや左あたりで火災などの被害もそれなりにあったとみられる。
この大地震によって当社の社殿も倒壊、三十間堀に沈んだと云う。
以後、当社は再建される事なく、社地は荒廃し続けた。
大正時代に三十間堀より霊体が顕れ再建
明治になり神仏分離。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、当時はまだ再建されていない。
地図上に「三十間堀」といった文字を見る事ができ、まだ三十間堀は残っていた。
緑円で囲ったあたりに橋が見えるが、これが朝日橋(現・廃橋)。
大正六年(1917)、銀座を襲った大海嘯によって三十間堀より霊体が顕れたと云う。
建築業館岡其が当地に奉安して再建となった。
安政江戸地震以降、68年ぶりに再建を果たす事となった。
関東大震災や戦災・銀座三丁目町会による崇敬
大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
再び被災した当社は、移転を余儀なくされ、銀座三丁目町会が奉斎する事となった。
銀座三丁目町会によって当地に社殿が建立。
社地が整い、再び再建を果たした。
お稲荷様の例祭である初午は盛大に祝われ、縁日は銀座4丁目の「出世地蔵尊」と共に多くの人々で賑わったと伝わる。
2月最初の午の日。
稲荷信仰の総本社である京都「伏見稲荷神社」の御祭神が伊奈利山へ降りた日が初午であった事から、稲荷信仰の神社では例祭とされる事が多い。
昭和二十年(1945)、東京大空襲にて多大な被害を受ける。
社殿などは灰燼に帰した。
昭和二十七年(1952)、宗教法人朝日稲荷神社となる。
以後、再建を果たし銀座三丁目町会によって篤く奉斎される。
昭和五十八年(1983)、隣地の大広ビル改築に伴い共同ビルを建築。
現在の大広朝日ビルとなり、ビルの一部の1F・2Fを吹き抜け拝殿、本殿を屋上に遷し現在に至る。
現在は「銀座八丁神社めぐり」の1社となっている。
また現在は「山王日枝神社」の兼務社となっている。
境内案内
銀座3丁目のビルに鎮座・通りに面して拝殿
最寄駅は銀座駅や東銀座駅などで、商業施設が並ぶ銀座のど真ん中に鎮座。
「銀座三越」も目と鼻の距離で、銀座三越側からもこうして屋上の旗幟を見る事ができる。
「大広朝日ビル」が当社の社地。
松屋通りに面して鳥居と拝殿が設けられている。
お稲荷様らしい朱色の鳥居。
鳥居の奥にぎゅっと詰まって置かれているのが拝殿。
1Fと2Fの吹き抜け拝殿・パイプが屋上へ
拝殿だが1F部分だけでなく2F部分まで吹き抜けになっているのが特徴的。
外から見ても拝殿の上が吹き抜けとなっていて、ビルも空洞になっているのが分かる。
その上にパイプが設けられずっと伸びる。
拝殿の前に立ち上を見上げると中々に不思議な光景。
パイプの穴がありそれが屋上へ通じている。(後述するが拝殿の音が本殿のある屋上へ届くようになっている)
エレベーターで8Fへ・外階段を上り本殿のある屋上へ
拝殿で参拝する形でもよいが、当社は屋上にある本殿まで参拝も可能となっている。
本殿へは拝殿の左手、JTB銀座店などがある奥。
拝殿の右隣の「銀座朝日ビル」ではないので間違えないように。
当社があるのは「大広朝日ビル」。
中へ入るとすぐエレベーター。
フロアガイドを見ると分かるように、8Fに当社の社務所、屋上が本殿となっている。
エレベーターに乗り8Fへ到着すると、左に社務所の扉、左奥に美容院、右に屋上への扉。
この扉を開けると外階段。
この階段を上り屋上へ向かう。
神社参拝では中々に経験できないビル屋上への道のり。
屋上の本殿・拝殿の音が本殿にも聞こえる仕組み
外階段を上り屋上に出ると、本殿の側面。
手狭な屋上ではあるが、左手には水盤。
水で身を清める事ができる。
朱色の鳥居と本殿。
昭和五十八年(1983)に現在のビルが建築された際「神社には青空が必要」として、1F部分の拝殿と屋上の本殿が分けられる形となった。
上述した通り1Fの拝殿部分とはパイプで繋がっていて、本殿も大地に繋がるという仕組み。
本殿で参拝していると、屋上とは違う音が響く。
屋上に設置された2箇所のスピーカー。
これらのスピーカーから聞こえてくるのが、拝殿からの音で、拝殿で参拝した音が本殿へ届くようにと云う実にユニークな仕組み。
『天気の子』に登場する神社?として聖地にも
ビル屋上の本殿は、新海誠監督による劇場アニメ『天気の子』に登場する神社のモデルの1つに推測される事もあるため、作品の聖地巡礼で訪れるファンも多い。
ビルの屋上にある当社の本殿。
朱色の鳥居、社殿などはやや似ているかもしれない。
ビルの屋上からの景色。
聖地巡礼する場合は、マナーを守った上で参拝をお願いしたい。
御朱印は平日に授与・銀座八丁神社めぐり
御朱印はビル8Fにある社務所にて。
とても丁寧に対応して下さった。
御朱印は書き置きのみで「朝日稲荷」の朱印に、社紋などが押されたもの。
御朱印をお受けした際に御守も合わせて授与して頂いた。(2人で参拝したので2体下さった)
また「銀座八丁神社めぐり」の1社として、開催期間中は賑わう。
毎年11月1日-3日に開催される神社めぐり。
銀座の路地やビルの屋上などに祀られている神社を巡る。
2019年の参加神社は12社。
所感
銀座のビルに鎮座する小さなお稲荷様。
古くより当地に鎮座していたが、安政江戸大地震で倒壊、再建される事はなかったと云う。
大正時代になって再建され、その後は銀座三丁目町会によって大切に奉斎され続けた。
ビルの建て替えにあたり、現在のような1Fに拝殿、屋上に本殿と云う形になったが、パイプを使い大地に繋がり、拝殿の音は本殿へ届くようになっているという仕組みがとてもユニーク。
銀座と云う地にありながらも、本殿の上には空を設け、大切にされているのがとても伝わる。
1Fの拝殿は道行く人がお参りする事も多いし、屋上の本殿も一般開放されているのは有り難い。
『天気の子』の聖地の1つともされる事があるため、作品のファンの姿、外国人観光客の姿も見る事ができ、今も多くの人に親しまれる銀座の良きお稲荷様である。
神社画像
[ 鳥居・拝殿 ]
[ 旗幟 ]
[ 案内板 ]
[ 大広朝日ビル ]
[ 屋上階段 ]
[ 屋上 ]
[ 奉納絵 ]
[ 水盤 ]
[ 鳥居・本殿 ]
[ スピーカー ]
[ 屋上からの景色 ]
[ 社務所 ]
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