神社情報
戸越八幡神社(とごしはちまんじんじゃ)
御祭神:誉田別命
社格等:村社
例大祭:9月第2土曜・日曜
所在地:東京都品川区戸越2-6-23
最寄駅:戸越駅・戸越銀座駅・戸越公園駅
公式サイト:https://togoshihachiman.jp/
御由緒
当社は、後柏原天皇の御世、大永六年(1526)八月十五日、村内藪清水の池中より出現した御神像を、行永法師が草庵に奉安して、山城国(京都府)石清水男山八幡宮の御分霊を勧請して倶に祀ったのが創立の起源と伝えられている。
又、古歌に『江戸越えて 清水の上の成就庵 ねがひの糸のとけぬ日はなし』とあり、これが戸越の地名のはじまりとも伝えられている。
[寛永年間刊行の木版本]によれば、この「成就庵は、昔、俗称一本杉の字名のある藪清水の池を控えた庵であった。大永年間に行永法師が諸国行脚をした時にこの庵に立ち寄り、折からの十五夜の月を眺め、時を移しうたた寝した時、夢の中で輝く光が藪清水の池から放たれているのを見たことから、池の中を探し、誉田別命(応神天皇・八幡大神)の御神体の出現を見たので、慎み戴いて草庵に安置奉った。すると近隣の人々はもとより、往来の諸人も諸祈願を乞い願うものが多くなり、『一つとして成就せずということなし』と云われる程になったことから、この草庵を清水の上の成就庵という。」と記されている。
元禄元年(1688)十二月十五日に、宮居を村内の高台にあたる現在の地に遷し、末社に、春日社、稲荷社を建立した。以来、氏子地域(旧戸越村・中略…氏子地域が多数書いてある)の産土神として、居住された幾代もの人々の守り神として、又、我が国文教の祖・殖産の守護神として遍く崇められている。そして厄除け海運の御神慮と供に「こころの故郷」としても親しまれている。境内の樹木は品川区の保存樹木に指定され、特にケンポナシの木は指定天然記念物とされている。
現社殿は欅造入母屋造銅版瓦屋根で安政二年(1855)に創建され、震災、戦災にも免れ都内でも古い木像の建物である。又、社宝の奉納絵馬二十四面と石造狛犬は品川区認定文化財に指定されている。
御本社宮神輿は平成の御大典紀念として、氏子諸氏の奉賛により新調され、御神行祭には【敬神崇祖】の精神にて御祭神並びに我々祖先の御霊を奉安して氏庫内を渡御いたします。(境内の掲示より)
参拝情報
参拝日:2020/12/15(御朱印拝受)
参拝日:2020/07/29(御朱印拝受)
参拝日:2020/02/18(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2019/08/06(御朱印拝受)
参拝日:2018/06/01(御朱印拝受)
参拝日:2017/01/01(御朱印拝受)
参拝日:2016/12/20(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2016/07/18(御朱印拝受)
参拝日:2015/05/26(御朱印拝受)
ほぼ毎月
御朱印
初穂料:300円(通常)・500円(限定)・800円(一部限定)・1,000円(一部限定)
授与所にて。
多数の御朱印を用意しているので詳細は公式サイトにて。
※1月1日-3日は御朱印対応不可。4日から御朱印対応開始。
※新型コロナウイルス対策のため当面の間は書き置きのみの授与。郵送頒布も対応。
- 2020年師走/見開き
- 2020年水無月文月特別/アマビエ
- 2020年文月/見開き
- 2020年卯月/見開き
- 2020年如月/見開き/誕生日
- 2019年葉月/見開き
- 平和に感謝/猫
- 師走恒例
- 8の日限定
- 青海波
- 2018年月1限定
- 通常
- 2016年夏限定
- 2016年夏限定
- 旧御朱印
御朱印帳
オリジナル御朱印帳
初穂料:1,500円(各種)・2,000円(特別)
授与所にて。
オリジナルの御朱印帳を複数用意。
数多くのデザイン・カラーの御朱印帳を用意している。
頒布日が限定の特別御朱印帳も用意。
- 授与所掲示
- 授与所掲示
- 授与所掲示
※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。
旧オリジナル御朱印帳
初穂料:1,500円(頒布終了)
授与所にて。
オリジナルの御朱印帳を複数用意。
筆者が頂いたのは2016年12月中旬頃より頒布を開始したもの。(現在は頒布終了)
カラフルな御朱印同様に右上に社紋が入り、成就庵の古歌と神輿渡御の様子がデザインされていて、透明の防水カバーも一緒についてくる。
- 表面
- 裏面
授与品・頒布品
特製しおり+師走恒例特別御朱印
初穂料:500円
授与所にて。
12月恒例の御朱印で2020年は特製の栞付き。
埃取りシール
初穂料:─
授与所にて。
御朱印を頂いた際に下さる埃取りシール。
鶏徳開運御幣+元日限定御朱印セット
初穂料:1,000円
授与所にて。
酉年(2017年)の鶏徳開運御幣と元日限定御朱印のセットでの頒布品。
限定300体の頒布。
歴史考察
江戸越えのお宮・戸越鎮守の八幡さま
東京都品川区戸越に鎮座する神社。
旧社格は村社で、戸越の鎮守。
正式名称は「八幡神社」であるが、他との区別のため「戸越八幡神社」とさせて頂く。
当社の起源となった「成就庵」が「戸越」の由来であり、戸越の地名由来の神社ともされる。
社殿は江戸時代のものが改築されつつ現存。
近年は様々な限定御朱印などを用意している事で知られ、一部で人気を博している。
室町時代に八幡大神を祀った草庵
社伝によると、創建は大永六年(1526)と伝わる。
諸国行脚していた行永法師という僧が、村内にある藪清水の池の中より八幡大神(八幡大菩薩)の御神体を発見、草庵を作り祠を建てて奉安し、山城国「男山八幡宮(現・石清水八幡宮)」から分霊を勧請して、共に祀ったのが始まりと云う。
京都府八幡市に鎮座する神社で、旧称は「男山八幡宮」。
二十二社(上七社)の1社で、「伊勢神宮」(三重県伊勢市)と共に二所宗廟の1社。
八幡信仰の中心的な一社で、日本三大八幡宮の1つとして信仰を集めている。
本殿を含む建造物10棟が国宝に指定。
当時は草庵に祀られており、まだ神社としての形を成してなかったと見られる。
戸越の地名由来となった成就庵
当社の起源となったこの草庵は、地域からの崇敬が大変篤かったと云う。
草庵に人々が祈願するとたちまちに叶うと云われたため「成就庵」と呼ばれ信仰を集めた。
このたちまちに願いが叶うと云う評判を歌った古歌が伝わる。
江戸越えて 清水の上の成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし
「成就庵」を詠んだとされる古歌で、これが「戸越」の地名由来とされる。当社にもその旨を記した石碑が建っている。
この歌で詠まれているように、当地は「江戸越え」の村であった。
これが転じて、江戸越(えどごえ)→戸越(とごえ)→戸越(とごし)となり現在の「戸越」の地名の由来となった。
別当寺・行慶寺によって八幡宮の建立
文禄元年(1593)、「行慶寺」の念誉上人が、「成就庵」のある場所に「八幡宮」を建立。
八幡大菩薩の御神体を奉安し、本地仏の阿弥陀如来と共に祀ったと云う。
日本の八百万の神々は、様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるという「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」の考えの中で、神の正体とされる仏を本地仏と呼んだ。
「成就庵」という草庵が、「八幡宮」として神社の体裁を整える事となる。
東京都品川区戸越2丁目にある寺院で、現在も当社に隣接する。
当社と同様に「成就庵」を起源とし神仏習合の元で崇敬を集めた。
開山後は「八幡山成就院」を号し、当社の別当寺であった。
元禄元年に現在地へ遷座・新編武蔵風土記稿に記された当社
元禄元年(1703)、「行慶寺」の覚誉上人によって、現在の鎮座地へ遷座。
戸越村の鎮守として崇敬を集めた。
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(戸越村)
八幡社
除地二段五畝十五歩。村の東にあり。神体は木像にて長五寸許の坐像なり。村内字藪清水と云所より出現すと云傳ふ。勧請の年月詳かならず。村の鎮守にて毎年九月二十八日神楽を奏す。 本社九尺四方前に拝殿あり、四間に二間半。それより二町許の間は雨側に松杉の並木連り、其中央に石の鳥居をたつ。行慶寺別当せり。
戸越村の「八幡社」と記されているのが当社。
「村の鎮守にて」とあるように戸越村の鎮守であった事が記されている。
藪清水より御神体が出現した事も記されており、これが上述の「成就庵」となる。
江戸名所図会に描かれた当社
天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。
当社と別当寺「行慶寺」を描いたもの。
「本社」と描かれているのが当社で、別当寺と現在も位置関係もほぼ変わらない。
現在も同様に長い参道があり境内の規模もあまり変わっていない。
現在の当社の社殿は約200年以上前に建立されたもの。
安政二年(1855)に改築(再建)されたものが現存していると見られており、そのためここに描かれているのは改築前の社殿と思われる。
明治以降の歩み・多くの境内整備
明治になり神仏分離。
当社は戸越村の鎮守として村社に列した。
明治二十二年(1889)、町村制施行により、戸越村・下蛇窪村・上蛇窪村・小山村・中延村の全域と、谷山村の一部(残部は大崎村に編入)が合併して平塚村が成立。
戸越村は平塚村戸越となる。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
平塚村という地名や、戸越という地名も見る事ができる。
当時は当社周辺を「八幡前」と呼んでいたようで、これは当然当社に由来する地名であろう。
大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
関東大震災後、銀座から貰い受けたレンガで再興し戸越銀座が形成される。
こうして関東有数の商店街もでき、当社氏子地域の人口も爆発的に増えていく。
昭和四年(1929)、神楽殿が再建。
昭和二十年(1945)、東京大空襲では戸越一帯は多くの被害を受けた。
しかし、当社の社殿は関東大震災や東京大空襲といった震災や戦災からも免れている。
昭和四十年(1965)、手水舎が再建。
昭和四十一年(1966)、境内社の稲荷社と春日社が再建。
その後も境内整備が進み現在に至る。
戸越(戸越1-4丁目)だけでなく、小山台1・2丁目、小山1-3丁目、荏原1・2丁目、平塚1-3丁目、豊町1・2丁目、西品川1丁目一部となっており、旧戸越村一帯の鎮守となっている。
境内案内
戸越の住宅街に佇む緑に囲まれた境内
最寄駅の戸越駅からは徒歩3分ほど、戸越の住宅街の一画に鎮座。戸越銀座商店街からも程近く、文庫の森(公園)も近いため当社に立ち寄る地域の方々も多い。
社号碑には「村社 八幡神社」の文字。

鳥居を潜ると鬱蒼とした緑溢れる参道が続く。『江戸名所図会』にもこうした長めの参道が描かれていて、立地などはほぼ変わらない。
参道の途中には旧別当寺「行慶寺」へ繋がる西鳥居。
4体の像が支える手水舎・デジタルサイネージ看板
比較的長い参道の右手に手水舎。手水舎の水盤をよく見てみると水盤を支える4体の石像の姿を見る事ができる。
当社ではあまり注目していないようだが貴重な水盤。
あまり目立たぬが貴重なものなので見ておきたい。
例えば「菊名神社」(横浜市港北区菊名)では、水盤を支える4体を「がまんさま」と呼び神社のシンボルとして人気を集めていて、当社の水盤もそれに近いものであろう。

手水舎の隣に新たに設置されたのはデジタルサイネージの看板。参拝方法や御朱印の頂き方の映像が流れてユニーク。
幸せうさぎと福分け猿・崇敬者からの奉納品が彩る参道
手水舎の先、参道に一対の狛犬。明治六年(1873)奉納の狛犬。
子持ちの阿と玉持ちの吽で、穏やかでいながら凛々しい表情。
その先に社殿が見えるが、参道両脇に新しい像が奉納された。右は「幸せうさぎ」の像。
左は「福分け猿」の像で、陛下御即位を祝して令和元年(2019)10月に設置されたばかり。
参道の両脇には崇敬者からの奉納品。ガラスケースに置かれた数多くの奉納品。
氏子崇敬者からの崇敬が伝わる一画。
可愛らしいものが多く飾られている。
拝殿手前には品川区最古の石造狛犬
拝殿の手前にも一対の狛犬。延享三年(1746)奉納の古い狛犬。
品川区最古の狛犬とされている。
品川区にある数多くの狛犬の中で現存する最古の狛犬。
短めの脚にユニークな顔つきが江戸中期の古い狛犬らしく、貴重な姿を伝えている。
震災や戦災を免れた江戸時代の社殿
社殿は今から200年以上前に建立されたと見られている。安政二年(1855)に改築された社殿が、幾度かの改築を経て現存。
欅造入母屋造の社殿で実に素晴らしい。
風格のあるとてもよい社殿。
拝殿には精緻な彫刻が彫られており、実に見事なもの。
躍動感のある龍の彫刻。
木鼻にも龍が施されていて、状態よく維持されていて素晴らしい。
本殿も同様に改築されたもの。拝殿同様に精緻な彫刻が施されている。
こうして状態よく維持されているのも氏子崇敬者による崇敬の賜物であろう。
末社の春日社と稲荷社・神楽殿など
拝殿の両脇に末社。右手にあるのが春日社で、左手にあるのが稲荷社。
いずれも昭和四十一年(1966)に改修された。
境内右手に忠魂社。その右手に立派な神輿庫。
そして神楽殿と並ぶ。
最近は神楽殿は開いている事が多い。
参道脇には力石。江戸時代には例祭になると当社でも奉納相撲が行われたと伝えられており、氏子衆が力比べに使った力石。
ソファーのある境内・輪投げやダーツも
当社の境内にはソファーが置かれているのが特徴的。参拝者や御朱印など待機するために設けられた空間。
御朱印や神社関係の雑誌なども置いてあるので、参拝者は手に取りくつろぐ事ができる。
また御朱印など授与品を頂いた方向けに飲み物などのコーナーも。参拝者の事を気遣ったおもてなしなので、参拝者側もマナーを守った上で有り難く利用したい。
ソファーなどがある一画には輪投げやダーツコーナーも。うまくいった方には授与品の特典もあり。
子供も楽しめる一画で、こういった施策もよいものだと思う。
また境内では定期的に地域イベントも開催。
品川区後援の戸越地域イベント「togoshi八満マルシェ」などが開催され、こうした地域と密に関わったイベントが行われるのも面白い。
昨今の厳しい神社運営において、こうした努力は素晴らしい事に思う。
可愛い猫や犬に出逢える神社
境内には数多くの猫の姿を見かける事がある。ソファーで丸くなってお昼寝中の三毛猫のみーちゃん。
他にも白黒の猫ちゃんなど多数の猫を見かける事ができて、近所の人にも親しまれている。
数多くのカラフル御朱印・限定御朱印
御朱印は授与所(社務所)にて。いつもとても丁寧に対応して下さる。
授与所の前に頂きたい御朱印を番号で記入する場所が設けられている。


御朱印は大変多くの種類を用意。通常のもの、1日限定のもの、月替りなど多数。
書き置きの見開きのものも多く用意していて、かなり力を入れている。
参拝日によって頂けるものと頂けないものがあるので、説明を見て確認するのがよい。
多数の御朱印を用意しているので詳細は公式サイトにて。
※1月1日-3日は御朱印対応不可。4日から御朱印対応開始。
※新型コロナウイルス対策のため当面の間は書き置きのみの授与。郵送頒布も対応。
2016年に頂いたのは以下の御朱印。御朱印を待つ間(混雑時を除く)にはお茶や茶請けも出して頂ける。
2018年に頂いた御朱印は、右が「青海波御朱印」で、左は月初めの1日に授与「月1限定御朱印」。
2019年8月に頂いた葉月限定の御朱印で、見開きで頂くと「たまやー!」の文字。
さらに可愛らしい猫が描かれた「平和に感謝」の書き置き御朱印。
2020年2月には「8の日限定御朱印」を頂いた。当社の御神体が出現した泉を守護した猿をイメージしていると云う。
こちらは2020年4月の月替り御朱印。
2020年7月の月替り御朱印。
アマビエがデザインされた御朱印。(作画:橋爪かおり氏)
2020年12月の御朱印。師走らしさのある可愛らしい御朱印。
クリスマス感のある御朱印は師走恒例で2020年は新型コロナウイルス感染防止を御神前に祈願した特別なもの。(1日20体限定)
誕生日の当日限定で頂ける誕生日特別御朱印
豊富な御朱印の中、最近話題を集めているのが誕生日特別御朱印。
誕生日当日のみ頂けるもので、基本的には月替り御朱印に見開きで追記して頂く形になる。
御朱印の申込用紙に誕生日の場合はチェックする項目があるのでチェックして提出。
その際、生年月日の証明書等(免許や健康保険証などの身分証でOK)を提示すると頂ける。
実際に筆者が誕生日当日に頂いた御朱印がこちら。如月(2月)の限定御朱印を見開きで頂いた上で、そちらに「令和になって初めてのお誕生日誠におめでとうございます」といった一言などを添えて下さる。
数多くのオリジナル御朱印帳
2016年12月中旬からはオリジナルの御朱印帳も頒布開始。カラフルな御朱印同様に右上に社紋が入り、成就庵の古歌と神輿渡御の様子がデザイン。
現在は新しいデザインの御朱印帳が数多く用意。人気が高く品切れになる御朱印帳も多い。
ポップやパスレルカラーで可愛らしいものものも多い。
また時期によっては特別限定御朱印帳の頒布も行っている。
2016年7月からは都営浅草線沿線の八社によって「東京福めぐり 開運八社さんぽ」も開催。
人気の神社の中に当社も参加しており色々努力されているのが伝わる。
所感
戸越の鎮守として崇敬を集める当社。
江戸時代の社殿が残っていて、境内も当時の様子をかなり残していた。
戸越の地名由来を起源にもち、戸越と大変の繋がりが深い鎮守であり、今もなお多くの人々からの崇敬を集めている。
朝に参拝すると氏子の方が掃除している様子や、境内で猫に餌をあげてる姿などもお見かけし、日中は社務所内で習い事が行われたり、地域の子供達が遊ぶ姿も見ることができ、地域に親しまれ愛される鎮守なのが伝わる。
最近は境内整備によって趣がある境内から、賑やかな境内に変貌を遂げている印象で、これは御朱印にも力を入れるようになり、氏子以外の参拝者も増えた事が要因であろう。
賛否がある要素もあるが、参拝者を配慮した心遣いなど色々な努力を感じる神社。
筆者は地元からも比較的近いため、御朱印授与時間外に参拝だけに訪れる事が多いが、そうした時間帯はとても普段は静かで心地よく地域の方に愛される良い神社である。
神社画像
- 鳥居・社号碑
- 社号碑
- 参道
- 西鳥居
- 手水舎
- 手水舎
- 手水舎
- 手水舎
- 手水舎
- 手水舎
- デジタルサイネージ
- 狛犬
- 狛犬
- 幸せうさぎ
- 福分け猿
- 展示物
- 展示物
- 展示物
- 狛犬
- 狛犬
- 狛犬
- 案内板
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 拝殿
- 扁額
- 本殿
- 本殿
- 本殿
- 春日社
- 稲荷社
- 絵馬掛
- 絵馬掛
- 龍像
- 神楽殿
- 神楽殿
- 神楽殿
- 神輿庫
- 忠魂社
- 百度石
- ソファー・ベンチ
- ソファー・ベンチ
- 輪投げ・ダーツ
- 輪投げ・ダーツ
- 輪投げ・ダーツ
- 石碑
- 授与所
- 御朱印所
- 御朱印所
- 飲み物等
- 御籤掛
- 力石
- ケンボナシ
- 案内板
- 案内板
- 案内板
- 案内板
コメント