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鷺宮八幡神社 / 東京都中野区

5.0
中野区

神社情報

鷺宮八幡神社(さぎのみやはちまんじんじゃ)

御祭神:応神天皇
社格等:村社
例大祭:8月後半の土曜・日曜
所在地:東京都中野区白鷺1-31-10
最寄駅:鷺ノ宮駅
公式サイト:http://saginomiyajinja.com/

御由緒

康平年間、源頼義公勅を奉じ東国平定後鎌倉街道に面した当地に社殿を建て八幡神の御神霊を奉祀し戦勝感謝国家安泰、源氏の隆昌を祈願したのが始まりと伝えられる。往昔、境内に老樹林立し鷺が多く棲んでいたので里人は、鷺宮大明神と称し、これが地名の起因となった。正保二年(1645)今川直房所領の頃、八幡神社と改称した。慶安二年(1648)以降江戸幕府より御朱印七石余を寄進せられ、中野区内に於いて御朱印を付与された唯一の神社で崇敬厚き古社である。(頒布の資料より)

参拝情報

参拝日:2020/08/17

御朱印

初穂料:500円(通常)・700円(アマビエ)
社務所にて。

※祭事などに応じて限定御朱印あり。
※兼務社6社の御朱印も頂ける。

最新の御朱印情報
当面の間「アマビエ御朱印」「通常御朱印」
※兼務社「北野神社(中野区松が丘)」「八幡神社(練馬区高松)」「春日神社(練馬区春日町)」「愛宕神社(練馬区田柄)」「天祖神社(練馬区田柄)」「北野八幡神社(練馬区田柄)」の御朱印も頂ける。

歴史考察

鷺宮の地名由来にもなった八幡さま

東京都中野区白鷺に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧上鷺ノ宮村・旧下鷺ノ宮村の鎮守。
かつて当社の境内には多くの鷺が棲んでいたため「鷺宮大明神」と称された。
「鷺宮大明神」と称された当社が「鷺宮」の地名由来になっている。
江戸時代には幕府より朱印地を賜り、現在の中野区では唯一朱印地を賜った神社だと云う。
中野区や練馬区の6社の神社を兼務していて地域の中核神社として崇敬を集めている。

平安時代後期に源頼義によって創建

社伝によると、康平七年(1064)に創建されたと云う。

源頼義が東国を平定した後、鎌倉街道に面した当地に社殿を建立。
源氏の氏神である八幡神を祀って戦勝感謝・国家安泰、源氏の隆盛を祈願したと伝わる。

源頼義(みなもとのよりよし)
河内源氏2代目棟梁。
長男は八幡太郎と称した源義家(みなもとのよしいえ)で知られる。
義家の家系からは、鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏が出ており、武門の棟梁としての血脈として神話化されていく。
社伝にある源頼義による東国平定とはいわゆる「前九年の役」の事。
前九年の役(ぜんくねんのえき)
永承六年(1051)に頼義が陸奥守(後に鎮守府将軍となる)となってから、奥州で独自勢力を築いた有力豪族の安倍氏を滅亡させた康平五年(1062)までの戦いを云う。

源頼義・義家(八幡太郎)父子の伝承が残る八幡神社は都内に数多く残されていて、当社もそうした伝承の残る一社である。

かつての鎌倉街道を挟んで北側にも「八幡神社(練馬区高松)」(現・当社の兼務社)があり、当社と同様の御由緒が残されているため、当社と対になるよう建てられたとみられている。

境内に鷺が多く棲んでいた事から鷺宮大明神

往昔、当社の境内には大木数多くあり、鷺が多く棲んでいたと云う。
里人たちは当社を「鷺宮大明神」と称して信仰した。

鷺宮(さぎのみや)の地名由来
当社が「鷺宮大明神」と呼ばれた事が「鷺宮」の地名由来。

当地周辺に鷺ノ宮村が成立すると村の鎮守として崇敬を集めた。

鷺ノ宮村は上鷺ノ宮村・下鷺ノ宮村に分かれたが、当社は両村の鎮守とされた。

別当寺は現在も隣接する「白鷺山福蔵院」が担った。

白鷺山の山号が現在の地名「白鷺」の由来になっている。

中野区唯一の朱印地を賜った神社

江戸時代に入ると、上鷺ノ宮村は旗本・今川直房の所領となり、下鷺ノ宮村は幕府直轄の天領とされた。

当社は上鷺ノ宮村に属していたが、下鷺ノ宮村との村境に鎮座していた。

正保二年(1645)、上鷺ノ宮村が今川直房の所領であった頃に「八幡神社」へ改称。
慶安二年(1648)、幕府より朱印地7石を賜る。

朱印地(しゅいんち)
幕府より寺社領として安堵された土地。
朱印が押された朱印状によって安堵された事から朱印地と呼んだ。

以後、徳川将軍家・江戸幕府より朱印地を賜り庇護された。

中野区唯一の朱印地を賜った神社
現在の中野区には数多く神社はあるが、幕府から朱印状によって朱印地を賜った神社は当社のみだと云う。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(上鷺ノ宮村)
八幡社
除地六十坪余。南の方下鷺ノ宮村境にあり。上下両村の鎮守なり。神領御朱印七石余を附せらる。本社四尺に一間南向。拝殿三間半に二間。神体は木の立像にて衣冠を着し馬上に跨りたる形なり。長一尺五寸。外に本地十一面観音木の立像長二尺五寸なるを安す。前に石にて作れる鳥居をたつ。古は大木数多ありて多くの鷺やどりしゆへ、土人鷺ノ森或は鷺ノ宮などいへり。されば古社なるべけれど社傳を失ひたれば其詳なることをしらず。別当は福蔵院なり。

上鷺ノ宮村の「八幡社」として記されているのが当社。
「上下両村の鎮守なり」とあるように、上鷺ノ宮村・下鷺ノ宮村の鎮守であった。
「神領御朱印七石余を附せらる」とあり、これが中野区唯一の朱印地を賜った神社の所以。
鷺が多くいた事から「鷺ノ森」「鷺ノ宮」と呼んでいた事も記されている。

当時の石鳥居が東日本大震災までは現存していた
この『新編武蔵風土記稿』に「前に石にて作れる鳥居をたつ」と記してある石鳥居。
安永九年(1780)に建立された鳥居で、平成二十三年(2011)の東日本大震災で破損するまでは現存していた鳥居であった。

「古社なるべけれど社傳を失ひたれば其詳なることをしらず」とあり、江戸時代から見ても古社ではあるが社伝は失われていた事が分かる。

宝暦十二年(1762)に旧別当寺「福蔵院」と共に火災で焼失しているので、その際に古書など記録が失われたものと思われる。

明治以降の歩み・戦後の境内整備

明治になり神仏分離。
明治五年(1872)、村社に列した。

明治二十二年(1889)、 市制町村制の施行に伴い、上鷺宮村・下鷺宮村・江古田村・上高田村・新井村・上沼袋村・下沼袋村の7ヶ村が合併して野方村が成立。
当社は野方村上鷺宮と下鷺宮の鎮守として崇敬を集めた。

上鷺宮と下鷺宮は現在の鷺宮・上鷺宮・白鷺にあたる。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
青円で囲ったように上鷺宮・下鷺宮といった地名も見る事ができる。
周辺の多くは田畑であり、まだのどかな農村だった事が窺える。

昭和二年(1927)、西武村山線(現・西武新宿線)の鷺ノ宮駅が開業。
当社のすぐ近くに駅が開業した事で地域も発展を遂げていく。

昭和二十五年(1950)、国有地となっていた境内地1049坪の譲与を受ける。
昭和三十五年(1960)、本殿・幣殿・拝殿を改築。
昭和五十六年(1981)、社殿の改築が行われる。
昭和六十三年(1988)、再び社殿を改築。
社殿の改修は幾度か行われ現在の社殿となっている。

平成二十三年(2011)、東日本大震災によって安永九年(1780)建立の石鳥居が破損。
平成二十五年(2013)、現在の鳥居を再建。
平成二十六年(2014)、鎮座950年を迎えた。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

鷺ノ宮駅前に鎮座・再建された鳥居

最寄駅の鷺ノ宮駅から南へ徒歩すぐの距離に鎮座。
南向きに表参道。
社号碑には「鷺宮八幡神社」の文字。

その先に黒系で存在感のある鳥居。
かつては安永九年(1780)建立の石鳥居が建っていた場所。
東日本大震災によって旧鳥居は破損。
2年後の平成二十五年(2013)に現在の鳥居が鉄合金製で再建された。

境内には花が綺麗にバランスよく植えられ、綺麗に整備された美しい境内となっている。

哀愁を誘う小さな狛犬と江戸時代の狛犬

鳥居を潜ると一対の獅子山。
立派な獅子山が台座となっているが、それと対照的に小さなサイズの狛犬。
明治二十一年(1888)奉納の狛犬で、乳飲み子持ちの阿形。
吽形も同様に立派な獅子山の台座の上に小さなサイズ。
どことなく物寂しげで困ったような顔にも見え、この台座にちょこんと置かれているのがまた哀愁を誘う。

その先にも一対の狛犬。
こちらは文化十三年(1816)奉納。
小ぶりで哀愁を誘う手前の狛犬とは対照的に、ずっしりと重量感を感じる狛犬。

その先に綺麗に整備された参道が続く。
手入れされているのがよく伝わる綺麗な境内。
参道の右手に手水舎。

幾度も改修され維持されている社殿

参道の正面に社殿。
戦後になってから幾度も改築されている社殿。
とても良い状態の木造社殿。
幾度も改築されているのは地域からの崇敬が篤いからこそ。
彫刻も派手ではないものの施されている。
竹藪の奥にある鉄筋コンクリート造の本殿。

拝殿前にも一対の狛犬。
こちらは昭和五十年(1975)奉納の岡崎現代型。
玉持ちと子持ちの阿吽。

六社さま・数多くの力石・稲荷神社と御嶽神社

参道の左手には境内社の六社さま。
稲荷神社・御嶽神社・八雲須賀神社・北野天満神社・粟島神社・疱瘡神社の合殿。
6社の合殿のため「六社さま」と称されている。

六社さまの左手に数多くの力石。
綺麗に草花が植えられて整備された一画で、村人が力比べに使った力石が置かれている。

社殿の右手にも境内社。
朱色の鳥居の先が稲荷神社。
昭和四十二年(1967)に近隣にあった稲荷神社を境内に遷座。
古い神狐像が置かれている。

その右手には御嶽神社。
昭和四十三年(1968)に近隣から当社の境内に遷されたもの。
六社さまにも同じ神の御嶽神社が祀られているが、それとは別の神社。
「おんたけ」「みたけ」どちらとも読む様子。

アマビエ御朱印・兼務社6社の御朱印も頂ける

御朱印は社務所にて。
とても丁寧に対応して下さった。

2020年8月参拝時は「熱中症対策に」と、冷たいお茶と塩分チャージのタブレットまで出して下さり、ご配慮に大変助かり有り難かった。
最新の御朱印情報
当面の間「アマビエ御朱印」「通常御朱印」
※兼務社「北野神社(中野区松が丘)」「八幡神社(練馬区高松)」「春日神社(練馬区春日町)」「愛宕神社(練馬区田柄)」「天祖神社(練馬区田柄)」「北野八幡神社(練馬区田柄)」の御朱印も頂ける。

新型コロナウイルスの悪疫退散として頂いたアマビエ御朱印。
見開きのもので通常御朱印(右)の隣にアマビエが押印される形。

アマビエ
江戸時代の史料に残る妖怪。
豊作・疫病などに関する予言をしたとされ、「疫病が流行したら、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ。」と告げ海の中へと帰って行ったとされる。
新型コロナウイルス流行でネット上で注目を浴び、現在は様々な場所でイラストやグッズ展開などを見る事ができる。
兼務社6社の御朱印も頂ける
当社は中野区と練馬区に計6社の神社を兼務している。
「北野神社(中野区松が丘)」「八幡神社(練馬区高松)」「春日神社(練馬区春日町)」「愛宕神社(練馬区田柄)」「天祖神社(練馬区田柄)」「北野八幡神社(練馬区田柄)」の御朱印も頂く事ができる。
兼務社の御朱印を頂く際は参拝もすること。

所感

鷺宮(旧上鷺ノ宮村・旧下鷺ノ宮村)の鎮守として崇敬を集めた当社。
鷺が多く棲んでいた事から「鷺の森」「鷺の宮」「鷺宮大明神」と称され、鷺宮の地名由来にも。
江戸時代には幕府より朱印地を賜り崇敬を集めた。
鷺宮一帯の人々にとってはとても大切な神社であった事が窺える。
そうした崇敬の念は幾度も改修され良い状態を保っている社殿にも現れている。
境内は草花がバランスよく綺麗に植えられていて丁寧に手入れされているのも素晴らしい。
お話好きな宮司さんの朗らかな人柄も印象的で色々と感謝。
とても清々しい気分で参拝ができる実に良い神社である。

神社画像

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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