高田總鎭守氷川神社・高田姫稲荷神社 / 東京都豊島区

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高田総鎮守氷川神社(たかだそうちんじゅひかわじんじゃ)
高田氷川神社(たかだひかわじんじゃ)
高田姫稲荷神社(たかだひめいなりじんじゃ)

御祭神:素戔嗚尊・奇稲田姫命・大巳貴命
旧社格:村社
例大祭:9月10日
所在地:東京都豊島区高田2-2-18
最寄駅:面影橋停留場・雑司が谷駅・高田馬場駅
公式サイト:http://takatasouchinjyu-hikawajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/

御由緒

 氷川神社は素盞嗚命・奇稲田姫命・大巳貴命を奉祀し高田総鎮守なり。その創建は貞観年間と申傳ふ。徳川三代将軍家光公御鷹野の砌、御拝禮再三御祈願仰せつけられ(仰付けられ)、古跡除地(こせきのぞきち)たりしと云ふ。
初め山吹の里氷川宮、後氷川大明神と奉称し、明治二年氷川神社と改称し奉り、同五年十一月八日村社に定められ、同四十年五月四日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
高田総鎮守氷川神社の創建は今から約千百三十年以上の昔、第五十六代清和天皇の御代である平安時代の貞観年間(859~877)に、この地に御鎮座されたと伝えられている。
古今和歌集の六歌仙の一人である在原業平公も繁く御参拝された。
鎌倉・室町・江戸時代は武家の尊崇高く、江戸中期後期には商人・職人・農民の篤志化の御奉納が見られる。
神社正面の道は鎌倉街道である。神社近くの道割は江戸御府内当時の様子と現在もあまり変わっていない。
江戸名所図会では姿見橋や、神田上水(神田川)の周辺に黄金色に輝く稲田が洋洋と広がる。『氷川田圃』をみることができる。
鳥居・狛犬・石灯籠・玉垣は豊島区の文化財として登録されている。

(※境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/02/25

御朱印

初穂料:500円(高田總鎭守氷川神社)・300円(高田姫稲荷神社・目白豊坂稲荷神社
社務所にて。

※当社以外に境内社「高田姫稲荷神社」、兼務社「目白豊坂稲荷神社」の御朱印をお受けできる。
※三社セットの場合1,000円。
※三社セットの場合やられていたおみくじは平成二十八年より中止になったとの事。
※時期によって期間限定もあり。

高田氷川神社
(高田總鎭守氷川神社)
高田姫稲荷神社
(高田姫稲荷神社)
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考察

高田の総鎮守

豊島区高田に鎮座する神社。
旧社格は村社で、高田総鎮守とされている。
古くは「山吹の里氷川宮」と呼ばれていたという。

在原業平も参詣した氷川神社

社伝によると、創建は貞観年間(859-877)に「武蔵一宮氷川神社(大宮氷川神社)」から勧請されたとある。
その頃には、六歌仙の一人・在原業平(825-880)も参拝したと伝えられている。

氷川信仰の神社は荒川流域に多く見られるのが特徴。
当社の近くには神田川が流れている。
この神田川は、古くは平川と呼んだ荒川水系の支流。
そのため当地に氷川信仰の神社が置かれたのも自然な事だろう。

太田道灌と山吹伝説

古くは「山吹の里氷川宮」と呼ばれていたとある。
江戸時代の資料などからもその文字を見る事ができる。

現在の面影橋から下流の江戸川橋までの一帯は、かつて「山吹の里」と呼ばれていた。
江戸川橋の右岸が「新宿区山吹町」と呼ばれるように、現在もその名残が地名に残っている。
山吹の里と呼ばれるようになったのは、太田道灌(江戸城築城で有名)との伝説によるもの。
要約するとこういった伝説になる。
その昔、太田道灌が狩りに来た途中、急な雨に困り果て、ふと一軒の民家を見つけ蓑の借り受けをするために立ち寄った。
ところがその民家の娘はただ黙ったまま蓑の替わりに、一輪の山吹の花を太田道灌に差し出した。
しかし、道灌はその意味がさっぱり分からず、「花を求めたのではない」と不機嫌のまま帰城。
城に帰って家臣に話したところ、それは後拾遺集の醍醐天皇皇子・中務卿兼明親王が詠まれた「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」という歌にかけて「余りにも貧しくて蓑(実の)ひとつ持ち合わせがない」という返答だと教えられる。
それを聞いた道灌は村娘さえ知る歌を知らなかった己の不勉強を深く恥じて、それ以後道灌は歌道に励み、歌人としても名高くなったという。

当社近くの神田川に架かる面影橋近くに「山吹の里」の碑が残っている。
ちなみに埼玉県越生町にも「山吹の里」と称する場所が存在している。
江戸時代には、この故事を元にした「道灌」という演目が作られており、現在も古典落語として稀に見る事ができる。
この事からも古くから言い伝えられていた伝説なのは間違いない。

太田道灌との伝説が残る「山吹の里」にある氷川神社。
それ故に「山吹の里氷川宮」と呼ばれたのだろう。

江戸時代の高田

その後、下高田村(現在の高田・雑司が谷・目白付近)の総鎮守として崇敬を集める。
江戸時代になると三代将軍・徳川家光が鷹狩の際に何度も立ち寄ったという記述が残っており、除地(年貢免除の特権)にされていたと伝えられている。

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。
高田氷川神社

「高田」としてこの一帯が描かれており、当社はその中の「氷川社」の部分。
この絵の下部が氷川社であり、鳥居など当社の面影を見る事ができる。
杉林の中に当社があったとされている。
この頃には「氷川社」「氷川大明神」などと呼ばれていたようだ。
右手にある「南蔵院」が当社の別当寺であった。

姿見橋、面影橋といった、かつて「山吹の里」と呼ばれた一帯は江戸時代でも名所の一つ。
これは上述の太田道灌伝説によるもの。
後に古典落語の演目にもなるように、江戸庶民にまで広まっていた伝説であった証拠だろう。

歌川広重も錦絵で当社周辺を描いている。
面影橋

(歌川広重・名所江戸百景)

『名所江戸百景』にて「高田姿見のはし俤の橋砂利場」として描いている。
手前の橋が面影橋、奥の小さな橋が姿見橋とされ、奥が砂利場村といわれた一帯。
描かれてはいないが、さらに奥の杉林の中に当社があるようだ。
上の『江戸名所図会』にも「砂利場村」の文字が見える事から、この錦絵の奥が『江戸名所図会』の絵と繋がると見ると分かりやすい。

夫婦の宮・男体の宮

上述した『江戸名所図会』には、当社が「男体の宮」とされている旨の記述も記されている。
これは、当社の主祭神が素盞嗚命であることから、俗に「男体の宮」といわれたという事。
一方で、奇稲田姫命を主祭神とする落合村(新宿区下落合)の「下落合氷川神社」を、俗に「女体の宮」と呼んだとされている。
両社を合わせて「夫婦の宮」と呼ばれていたという。

現在はそういった関係を知る人は少ないが、江戸時代の資料に記されている事からも、両社を崇敬し参拝する民間信仰があったのではないか。

神仏分離と戦後

神仏分離で別当寺とは分離。
明治二年(1869)に「氷川神社」に改称している。
明治五年(1872)には村社に列した。

昭和二十年(1945)、第二次世界大戦の空襲により、社殿など境内の多くが焼失している。戦後の昭和二十九年(1954)に、社殿が再建されている。
近年境内整備が進められ玉垣なども新しく作られたようだ。

整備が進んだ境内

当社は境内が「撮影禁止」となっている。
そのため、境外からの2枚だけ掲載させていただきたい。

社殿は上述の通り、昭和二十九年(1954)に再建されたもの。
本殿が覆殿の中にあり、隙間から僅かに見えるのみになっている。
表参道側の鳥居は寛政二年(1790)に寄進されたものが現存。
鳥羽藩主稲垣対馬守が寄進したとされており、豊島区登録文化財となっている。
その鳥居の下に、分かりにくいのだが石造の橋がある。
明治十年(1877)に寄進されたものだという。

他に境内右手に置かれている古い狛犬が文化四年(1807)に奉納されたもの。
手水脇の玉垣と共に、豊島区登録文化財とされている。

境内社には「高田姫稲荷神社」「神明神社」「道祖神社」。
「高田姫稲荷神社」の主祭神は豊受大神。
岩本神社(在原業平朝臣)、六所神社(伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照大神・月夜見尊・蛭児尊・素盞嗚尊)、山祇神社(大山祇命)、藤森神社(舎人親王)の十柱も合祀されており、おそらく近隣にあった神社が合祀されたのであろう。

近年になり整備が進められ、北西側にも鳥居が作られた。
この先に上述の「高田姫稲荷神社」がある。

御朱印は社務所にて。
当社の御朱印のみだと初穂料は500円。
当社以外に境内社「高田姫稲荷神社」、兼務社「目白豊坂稲荷神社」の御朱印を各300円でお受けできる。
これら三社セットの場合1,000円となっており、いずれも社務所窓に掲示されている。

所感

高田総鎮守として崇敬を集める当社。
太田道灌伝説の残る「山吹の里」は、江戸の頃よりの名所であったし、「男体の宮」など当社にまつわる話がいくつか残っているのが興味深い。
現在も境内の整備が進められ、玉垣や北西鳥居など全体的に綺麗にさっぱりとまとまった印象。
少し気になるのが、撮影禁止の他に色々と禁止の注意書きが至る所にされており、玉砂利にも子供へ遊ばないようにといった記述がされていたりと、そういった部分で神経質な面を感じてしまう事。
そういった事を書かないといけないくらい、参拝者のマナーの問題があるようで、致し方ないのかもしれない。
ただ、個人的には厳重に管理してしまうよりも、地域の鎮守として、地域の方の憩いの場・子どもたちの遊び声が聞こえるほうが好みではあり、その辺の兼ね合いについて考えさせられてしまった。
とは言え、整備が進められたりと現在も氏子の方々から崇敬を集めている証拠だろう。
カラフルな御朱印などの試みも面白く、マナーを守って参詣しなければと、筆者も自省しないといけない。

神社画像

[ 社号碑・鳥居・石橋・玉垣 ]

[ 北西鳥居 ]

※境内は撮影禁止との事で、境外から2枚のみ掲載。

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