成子天神社 / 東京都新宿区

神社情報

成子天神社(なるこてんじんしゃ)

御祭神:菅原道真公
社格等:村社
例大祭:9月25日
所在地:東京都新宿区西新宿8-14-10
最寄駅:西新宿駅・新宿駅
公式サイト:http://www.naruko-t.org/

御由緒

千百年を超える歴史を紡いできた「成子天神社」。
このあたりはその昔柏木村鳴子と呼ばれ、当地にはもともと大神宮(ご祭神天照大御神)が祀られ、松や柏の樹々が茂る清らかな神域が広がっておりました。
平安時代の延喜三年(903年)、九州の太宰府で菅原道真公が亡くなられたという報せを東国の地で受けた家臣の佐伯と斎宮は悲嘆極まりなく、その徳を慕い、洛陽(平安京)より、公の生前に彫られた像を柏木村に持ち帰りました。そして当地を菅公神社の神域とし、平和と文道の神としてお祀りし当社が設立されたのです。
その後、徳川三代将軍家光公より春日局に柏木鳴子の地を賜り、局の勧請により天満天神社として社殿を造営。明治二十七年成子神社と改め昭和三年成子天神社と改称。その後戦災焼失、昭和四十一年の再建等を経て、平成二十六年の御造営を迎えました。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2016/12/14

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

御朱印帳

初穂料:1,000円
社務所にて。

御朱印帳を用意している。
東京の天神様特製の御朱印帳で、都内の天神様で頒布しているのを見かける。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

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歴史考察

再整備プロジェクトで新しくなった天神様

東京都新宿区西新宿に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧柏木成子町の鎮守。
平成二十六年(2014)には、「成子天神社再整備プロジェクト」として、社地の一部を分譲マンションと共に再開発し、新しい社殿など境内を一新する建て替えが行われた。
境内には成子富士と呼ばれる富士塚も残されている。

菅原道真の家臣による創建・源頼朝の社殿造営

社殿によると、延喜三年(903)に菅原道真公が薨去。
その訃報を東国の地で受け、嘆き悲しんだ家臣の佐伯と斎宮が、平安京(一説には太宰府とも)より菅公が生前に彫られたという像を持ち帰り、柏木村に祀ったとされている。

建久八年(1197)、源頼朝が社殿を造営したと伝えられる。

当初の創建の地は、現在よりも北にある北柏木公園(北新宿4丁目)あたりと見られており、柏木村と呼ばれる地域であった。

柏木村の鎮守は平将門伝説が残る「鎧神社」であり、長い間「鎧神社」の摂社とされていたという。

成子村の分村と共に鎮守とされ現在地に遷座

寛文元年(1661)、柏木村から柏木村鳴子と呼ばれていた一角が分村し、成子村が成立。
この際に当社を現在地に遷座させ、村の鎮守とした。
当地には古くから「大神宮」と呼ばれる伊勢信仰の神社があったと云い、その地に遷座された。

社伝では、三代将軍・徳川家光より春日局(家光の乳母)が柏木鳴子の地を賜り、春日局の勧請によって「天満天神社」として社殿を造営と伝わる。

分村と共に遷座し、幕府の庇護を受けて社殿が造営されたのであろう。
別当寺は「鎧神社」と同様に「円照寺」(北新宿3丁目)であった。
なお、創建後(旧鎮座地)には明治中期まで「元天神」と称される神社が残っており、現在は「鎧神社」の境内に遷座し境内摂社となっている。

寛政三年(1791)、火災によって古文献・記録・神宝などを悉く焼失している。

江戸切絵図から見る当社と柏木成子町

青梅街道沿いにあった成子村は早くから町地化。
柏木成子町と称され、町奉行管轄地となっていた。

そうした様子は江戸の切絵図からも見て取れる。

(内藤新宿千駄ヶ谷絵図)

こちらは江戸後期の内藤新宿(現・新宿)や千駄ヶ谷周辺の切絵図。
右が北の切絵図となっており、当社は図の右上に描かれている。

(内藤新宿千駄ヶ谷絵図)

図を反時計回りに90度回転(北を上に)させ、当社周辺を拡大したものが上図になる。
左上にある「天満宮」が当社で、この一帯は柏木成子町(丁)として町地化していたのが分かる。

余談になるが、当社の左手には「ヨドバシ」の文字が見え、これが淀橋と呼ばれた橋。
この淀橋から後に淀橋区が誕生し新宿区の一角となっていく。(ヨドバシカメラもこの淀橋が由来)
左下に見える「十二社権現」と描かれた大きな神社が、新宿総鎮守の一社「新宿十二社熊野神社」である。
新宿総鎮守。十二社(じゅうにそう)と呼ばれる所以。中野長者と呼ばれた鈴木九郎。角筈村の成立。景勝地として浮世絵に描かれた当社・十二社池・熊野の滝。新宿中央公園の隣に鎮座。立派な社殿・境内社や文化財。御朱印。

こうして町奉行管轄地であった柏木成子町の鎮守として崇敬を集めた。

明治以降の歩みと戦後の再建

明治になり神仏分離。
明治五年(1872)、村社に列した。
この頃に「北野神社」に社号を改称している。

明治二十二年(1889)、角筈村と柏木村が合併し淀橋町が誕生。
柏木成子町も淀橋町の一角となり、当地は淀橋町大字柏木となる。
これによって成子の地名は公式には消滅する事となる。

明治二十七年(1894)、「成子神社」へ改称。
これは消滅してしまった旧地名「成子」を保存する意味合いもあったのかもしれない。

大正九年(1920)、境内にあった天神山と呼ばれていた丘を改造し、富士塚を築山。
これが整備されながらも現存している。

昭和三年(1928)、現在の「成子天神社」へ改称。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿が焼失。
以降は再建まで仮殿であった。

昭和四十一年(1966)、鉄筋コンクリート像による社殿を再建。
再建まで21年もの歳月がかかったものの、氏子崇敬者によって再建を果たす。

平成二十六年(2014)、「成子天神社再整備プロジェクト」として、新しい社殿など境内を一新する建て替えが行われた。

成子天神社再整備プロジェクトとは

「成子天神社再整備プロジェクト」は、三井不動産レジデンシャルと共に推進された、神社とマンション建設による再整備プロジェクト。

こうした神社とマンション建設を含んだプロジェクトは、第1号物件として「赤城神社」の「赤城神社再生プロジェクト」が推進され、平成二十二年(2010)に新しい境内となっている。

牛込総鎮守。神楽坂鎮座。赤城神社再生プロジェクトとは。近代的な社殿や蛍雪天神・個性的な狛犬。ゲゲゲの鬼太郎御守など豊富な授与品・カフェも併設。上野国出身の豪族により勧請・赤城信仰とは。江戸幕府より江戸大社に列せられる。御朱印。御朱印帳。

当社の「成子天神社再整備プロジェクト」は、その第2号物件として企画された。

具体的には70年の定期借地権を設定して、神社の建て替えと共に分譲マンションを建設。
分譲マンションの地代や賃貸による収入を神社の運営に充てる。
神社の既存樹の活用や新たな植樹による緑豊かな再生を図るというもの。

紆余曲折があったものの、平成二十三年(2011)より再整備が開始。
平成二十六年(2014)に、新しい社殿や境内が完成。
定期借地権付き分譲マンション「パークタワー西新宿エムズポート」も竣工された。

神社の運営が厳しく再建も難しい神社も多い中、こうして不動産業者と共に地域を活性化させるための試み、神社運営の安定化を図り、再生させていく。
現代において維持していくための素晴らしい手法であろう。

特に三井不動産はこの手の開発を積極的に行っており、「赤城神社」や当社の他、日本橋の「福徳神社」など、こうした神社の再生プロジェクトを行っている。

再整備された新しい境内・神門・社殿

最寄駅は西新宿駅になり、新宿駅からも徒歩10分ほどの距離の青梅街道沿いに鎮座しており、ビルの間に真新しい参道が見える。
まだ新しさを感じる参道ではあるが、至る所に古い奉納物なども置かれており、再建前のものも活かされている。

参道を進むと途中に朱色の鳥居。
当社の朱色は、通常の朱色よりもややピンク色に近いのが特徴的。

鳥居を潜ると左手に手水舎。
正面には神門となっている。
神門には左大臣・右大臣といった像は安置されておらず、両端には何も置かれていないので、いずれそうした整備も行われるのであろう。

神門を潜ると正面に立派に再建された社殿となる。
この日は年越大祓のための茅の輪も設置されていた。
平成二十六年(2014)に造営されたばかりの社殿はまだかなり新しさを感じる。
拝殿の扁額には「天満宮」の文字。
他の建造物と同様に、かなりピンクがかった朱色が特徴的で、ショッキングピンクに感じるくらい。
色合い的にも目立つ社殿と云えるだろう。

社殿前の参道右手には神牛像。
いわゆる撫牛と呼ばれるもので、天神信仰らしさを感じる。

古い狛犬・力石なども活かした境内

参道の両脇には文政十三年(1830)奉納の狛犬。
こちらは再整備以前の狛犬を活かしており、ところどころに古いものが置かれているのは素敵な事であろう。
境内左手にも安永四年(1775)奉納の古い狛犬が置かれている。

さらに拝殿の手前には力石も。
いずれも江戸時代に地域の人々が力比べに使ったもの。
真新しい境内ではあるが、所々にこうした古い信仰や歴史を感じさせるものが残っている。

撫牛の向いには御神木の夫婦公孫樹。
境内中央にあるのが雌木で、富士塚近くにあるのが雄木。
御神木として整備されており、手を置かれる方も多いとか。

多くの境内社と境内でできる七福神巡り

境内社は境内の左手に並ぶ。
鳥居奥の中央に鎮座しているのが、大神宮で、元々当地にあった産土神。
左手は大鳥神社、右手は鳴子稲荷神社で、さらに右手に水神宮。
水神宮は井戸の神とされ、前に手押しポンプが置かれている。
三柱鳥居に置かれた手押しポンプは現在も使用可能で水を汲み上げる事ができる。

当社の楽しみの1つして、境内に七福神像が置かれているところだろう。
参道には恵比寿神、大黒天、毘沙門天と続く。
境内社の側に弁財天。
社殿の左手に福禄寿、北参道に寿老人、布袋和尚と置かれ、一社で七福神巡りができるという欲張り仕様。
七福神を探し巡りながら境内を隅々まで楽しめるという形になっており、こうした施策は良いアイディアだと思う。

他にも綺麗な神楽殿や神輿庫などが整備されている。
全体的にすっきりと綺麗にまとまった境内である。

大正年間に築山された富士塚

社殿の裏手左側には富士塚と浅間神社が鎮座する。
鳥居の奥に浅間神社の社殿と、御祭神・木花咲耶姫命の像。
この向いが中々に大きな富士塚となっている。

富士塚は大正九年(1920)に築山されたもの。
境内にあった天神山と呼ばれていた丘を改造して造られたもので、新宿区内最大規模かつ最後に造られた富士塚となっており、再整備された際もこうして残された。
開門している時は登拝も可能だが、足場がかなり悪く道幅も狭く登拝する際は注意が必要。
しっかりした足元ではない時は登拝は避けたほうが賢明だろう。

山頂には新しい小祠。
高さは12mほどの富士塚でビルに囲まれてはいるものの、見晴らしも中々。
こうして社殿を俯瞰視点で見れるのは何だか嬉しい。

御朱印は社務所にて。
力強く「天満宮」の墨書が特徴的で、東京の天神様特製の御朱印帳も用意している。

所感

江戸時代の火災によって史料は焼失してはいるものの、柏木成子町の鎮守として崇敬を集めた当社。
更に東京大空襲によって焼失し、戦後の再建までは時間を有する事となる。
その後、「成子天神社再整備プロジェクト」によって新しい境内に生まれ変わった。
再整備される以前の当社には一度だけ参詣した事があるのだが、当時の記憶では西新宿の都心にありながらも鬱蒼とした鎮守といった雰囲気で素敵であった。
そうした面影はなくなってしまったのは残念ではあるが、新しさを感じる境内は、綺麗に整備されていて立派な規模感も残っており、新しさの中にも古い奉納物などを活かした造りは、よい再整備が行われたと思う。
この日も多くの方が参拝に訪れており、地域からの崇敬は変わらぬ事が伝わってきた。

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神社画像

[ 参道・社号碑 ]

[ 参道 ]

[ 鳥居 ]

[ 手水舎・神門 ]

[ 手水舎 ]

[ 神門 ]

[ 参道・茅の輪・拝殿 ]



[ 拝殿 ]





[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 神牛像(撫牛) ]

[ 力石 ]


[ 三柱鳥居・手押しポンプ ]

[ 境内社 ]

[ 大鳥神社・大神宮・鳴子稲荷神社 ]

[ 水神宮 ]

[ 神楽殿 ]

[ 御神木 ]

[ 御籤掛・絵馬掛 ]

[ 神輿庫 ]

[ 恵比寿像 ]

[ 大黒天像 ]


[ 弁財天像 ]

[ 福禄寿像 ]

[ 寿老人像 ]

[ 布袋和尚像 ]

[ 御神木 ]

[ 浅間神社 ]


[ 木花咲耶姫命像 ]

[ 富士塚(成子富士) ]




[ 富士塚からの眺め ]



[ 北鳥居 ]

[ 狛犬 ]

[ 扁額 ]

[ 水準点 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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